Subject:平成15年8月21日     (一)         

From:西尾幹二(B)

Date:2003/08/21 11:25

 インターネット日録を単行本化した私の初の試み『私は毎日こんな事を考えている』が出版されてから3週間以上を経過した。「公開日誌」と銘うった本の性格からいって、私に関心のあるファン層に読者が限られていると看倣されるので、公的書評の対象には容易になりにくいタイプの本だと思う。

  手元に届けられた知友の感想文、贈呈本への礼状の文——だから当然、外交辞令を含むので——を読んで、今の時代の精神のあり方について、偶然、じつにいろいろなことを考えさせられた。

  最初の二つは心から喜んで読んで下さった文例である。『日本の根本問題』を編集出版した新潮社の冨澤祥郎さんは次のように書いて来た。今まで何冊も自著を差し上げたが、読後感などをくれたことのなかった方である。

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  残暑お見舞い申し上げます。

  徳間のご本をお送りくださり誠に有難うございます。ご自筆のタイトル、実に印象的です。生きた肉体をもって、生き生きとものを考えておられるご様子は、むろん本を開けば、そのまま生き生きとしたご文章の力となって、読む者(つまりは私)にゆたかなエネルギーを与えてくれるのを感じました。

  ふつう、考えることの日常のありさまなぞ、あんまり他人に見せたがらぬ書き手のほうが多いのじゃなかろうかと思うのですが、ほんとは、日常すなわち考える場なのだということを、このご本を拝読しながらつくづく思い思いしております。

  亡き草柳さんの西尾評は大いに首肯すべきものであり、草柳さんのその言葉から西尾さんが勇気を得ておられたというのも、実に共感し得ることでした。小林秀雄さんが、考えるというのは、物と親身に交わる、物を身に感じて生きる経験のことなのだと書いておられたのを思い出しました。

  それと、夏は来ぬはもちろん詞もいいのだけれど、曲がまたとても素晴らしいのだと思います、と、これは余談ながら。

  読者からの手紙と、日本の根本問題の読者カードを同送いたします。どうぞご高覧ください。「観念論ではなく、しかも洞察力のある力強い文章」「見る角度を変えるだけで、こんなに生々しく感ぜられる」などの感想はまさしくわが意を得たりです。右、とり急ぎ御礼とご報告まで認めました。

                        敬具。

  8月10日               冨澤生。

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 次は日録にたびたびご登場いただく池田俊二さんの奥さまである。「女房がやたら面白がって夢中になって読んでいます。再読するつもりらしいので、私が読むのはその後になります。」と池田さんからの添え書きがあった。

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 今回のご著書のはじめは「ノルウェーの森と峡江」であり、小学生の頃学校で習ったことを思いだしました。外国旅行するなら北欧と思っておりましたので、とっても興味深く拝読致しました。写真が白黒なのが残念です。カラー写真だったらいいのになどと・・・・。旅をされながらも書評とか「つくる会の総会へのメッセージ」などとお仕事をかかえられ大変でしたが、馬車から氷河の景観を楽しまれているご様子が目に浮かぶようでした。

 ノルウェーの少女から渡されたカラフルなタオルケットで身を守っておられる先生のカラー写真が見たいなどと思いつつ、気がつくと先へ先へと読みいそいでおりました。「分かりやすく」を常に心掛けておられるというお言葉どおりに文章が平明であるために、私のような者でもぐんぐんと引っぱられるのだと思いました。日頃学者、評論家といったような人たちの言葉に心おどらされているととんでもないごまかしがあったり、新聞の読書欄を楽しんでいると、これも作られた言葉だと主人に言われ、なんとなく新聞もテレビも信じられなくなっていましたが、ご著書は安心して読め心がはずみました。

 「つくる会夏の祭典」での先生の個人的な出会いの所もとっても印象的でした。疎開先で間借りされていた家の令嬢への初恋、その方が六十才すぎて会場に来ていて、短い立話だけで別れられたとのこと、甘ずっぱいような心はずむような思いが致しました。

 残念な坂本多加雄先生の死、学習院大学がそんなにひどい学校とは、長女が行っていましたが、わかりませんでした。そういえば、ゼミの外国人教授が周りからいじめられた挙句クビになりましたが、娘達の反対運動に坂本先生が力を貸して下さったそうです。風采はあがらないが毅然とした立派な方などと生意気な批評をしていましたが、尊敬していたようです。

 この国の主権を守っているのは政府でも外務省でもありません。例えば横田めぐみさんのお母さんのような心ある個人なのです——このお言葉には感銘を受けました。私も心ある個人になるよう努力しなければなどと考えました。

 草柳大蔵さんの「西尾さんの著書を読みはじめると超特急の列車に乗ったように、思考の途中下車ができなくなってしまう」とのお言葉が先生を勇気づける由、さもあらんと思い、生意気ですが、先生をよく知る人の言と感じ入りました。主人もお二方の御関係については今まで知らなかったそうです。

 先生のホームページへのアクセス数すごいですね。私どもはパソコンをしませんので、平塚にいる娘に時々覗いてみるように頼みました。

 最近政治から文学や言語へ関心がどんどん増えてと書かれております。これからのお仕事にますます期待がふくらんで参りました。ありがとうございました。

 

  八月十五日             池田敬枝

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Subject:平成15年8月21日     (二)         

From:西尾幹二(B)

Date:2003/08/22 12:08

 以上は私の身近な人々からの贈呈本御礼の書簡であった。本来公開すべきものではない。自著に関する手紙の批評や感想なら、これまでにも数限りない。いいものは保存しているので、ダンボール箱にいくつにもなって置き場に困っているほどだが、公開するつもりはなかった。年をとって日録を書きだしたら、こういう目の前にある文章や交際に即して毎日物を考え、自分がその思念の波の中にいることに気がついた。

 とりわけ次の一文は私にオヤと思わせ、例になく私の心を波立たせた。明星大学教授の友人の田中敏さんからである。

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 ご高著『私は毎日こんなことを考えている』をお贈りいただきまして誠にありがとうございました。お礼がおそくなりましたことをお許しください。

・・・・略・・・・

 インターネットで一度拝見いたしました私のことに触れた御文章(平成15年2月17日の分・西尾注)を改めて御高著の中で読ませていただき、感謝の外御座いません。あそこでお書きいただいたことは全て私の願望です。とにかくお書きいただいて、田中敏という人間が何を考え何をしたいと思っていたかが世間一般に、永遠に残ります。本当に本当にありがとう御座いました。

 そこにも西尾先生自身お書き下さいましたが、私は西尾先生とおなじ考えを持っている人間で、西尾幹二を心から尊敬している者です。このことは十分おわかりいただいてもいると思いますので、この御高著の読後感を、まさに直感的な印象を、一言、率直に申し上げてみます。

 どなたか徳間書店の方が、「僕はこの文章で先生をぐーんと身近に感じた」といったと書いてありましたが、私も全く全く同感なのです、が、この方はこのことを肯定的な意味で言っているわけですが、私は否定的な意味で申上げたいのです。私のつたない表現でお分かりいただけるかどうかわかりませんが、私は著作は著作で、西尾さんを身近に感じたくないのです。

 私は福田恆存を心から尊敬しますが、身近には感じたくありません。著作だけで著者を知っていたいのです。以上は私の個人的な、あくまで直感的な印象です。どうぞお気になさらないで下さい。(お気になどなさらないと思いますが) 

 八月十四日

            乱筆乱文お許し下さい。   田中 敏

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 この手紙の田中氏も、また先述の池田俊二氏も私と同世代で、福田恆存の愛読者であった。私たちは共通のもので結ばれていた。彼らは私の書くものの中に福田恆存の影を求めていて、その点で私を当惑させてもいた。たまたま福田恆存をめぐる師と弟子の誤解された関係については19日付で私がことさらに取り上げ、論を立てた直後にあたる。

 田中さんは私の素顔は見たくないという。著作だけに自己表現を限定し、その外にまで自分の素顔をさらすような慎みのないことはしないでくれ、と言っている。正論である。インターネット日録という新機軸を否定しているのである。

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Subject:平成15年8月21日     (三)        

From:西尾幹二(B)

Date:2003/08/23 06:24

 私は『諸君!』9月号の「〈癒し〉の戦後民主主義」を書くに当り、丸山真男・大塚久雄の世界と福田恆存・竹山道雄の世界——この二つの世界が対立し、白熱的に火花を散らしていた「戦後」という限られた精神空間を思い出し、これを甦らせようとした。

 あの時代はもう二度度戻ってはこない。論壇もあったし、文壇もあった。言論の世界は小さく、狭く、左右とも互いに顔見知りであり、Aの雑誌で語ったことばは直ちにBの雑誌にはね返って、論争が起こった。言論にそのつど確かな手ごたえがあった。

 それになによりも、言論の世界がどんなに世間離れした空想に遊んでも、——戦後進歩主義の平和論はまさに空想にほかならなかったが——背後の大衆社会がしっかりしていて、健全であった。また文部省その他官僚も保守思想の唯中に坐していて、微動だにしなかった。福田恆存の保守思想は、背後にあるこの健全な民衆の心を支えとし、文部省と日教組が対立していたはっきりしたケジメ、現代のように文部省が左翼化するなどユメにも考えられない権力の堅牢さとのバランスのとれた距離感において成り立っている。

 しかし今私たちは恐ろしい破壊の世紀を生きている。例えば修学旅行で神社仏閣を訪れるのは常識であったが、今は政教分離に反するとして教師の引率が許されない時代なのだ。神社のお祭りで地域の子どもがお神輿をかつぐことも、同じ理由から廃止させられている。過日朝まで生テレビで出演者であった公立高校の先生が、男らしさや女らしさを教室で説教しようものなら、セクハラの名において弾劾されると言っているのを聞いて、私は今の公立学校の現実にただ呆れかえるばかりだった。私立学校に親が子どもをやりたがるのは当然と思えた。

 何かが狂っている。教科書検定調査官が左傾している。三年前よりもさらにひどくなっている。NHKも公平な中立中道をとうの昔に踏み外している。例えば、靖国代替施設の設立へ向けた動きが自民党一部勢力の反発で一向進まないのは困ったことである、と言ったり、A級戦犯合祀の靖国への参拝に中韓が反発するのは当然である、などと言ったり、そうした偏向報道が公共放送の名において行われている。政治的に無防備で無関心な若い世代がどのように色ぬられていくか、とても恐ろしい。

 福田恆存氏が活躍した時代には、民衆生活も、官庁やNHKも、常識の範囲内にあった。異常な左翼一偏党は言論と知識人の世界に限られていた。だから彼は一流のアイロニーで自分を「保守反動」と自称し、言論界や大学社会の硬直ぶりをからかうことが可能だった。田中敏さんや池田俊二さんはそういう安定した構造の中に自分を置いて、言論とはこういうものだという一定のイメージをもちつづけている。著者の素顔などを見る必要がなく、著者を著者として権威づけて眺めていればよかった。当時は著者たちの声もまた確実に読者に届いた。

 今は残念ながら、悲しいながら、そういう時代ではない。私の世代には安定した言論の確実性はもはやまったく信じられない。私の声はどこへも届かない。一部の限られた「同志」の中に反響を見出すのみである。言論がタコ壷化している。私は「諸君!」や「正論」を尊重しているが、しかし、そこに安住していると、その外へ言葉が広がらないことへの根源的不安を抱いている。

 日録の感想掲示板に「少欲」というハンドルネームの人が、しきりに言論の大衆化の必要を唱えている。言論人の自己満足の打破、テレビやマンガのレベルの人心操縦術の確立を訴えているのは、この同じ根源的不安に発しているので、たとえ私が実践するのは難しいにせよ、よく理解することはできる。

 大衆が変質し、指導階級に思考の秩序が失われている。どちらからも常識が欠落している。嘆いても仕方がない、これは現実である。だから私に、テレビタレントやマンガ家になれといわれてもお門違いというしかないが、ものを考え、書き、訴えかける相手の存在が現代ほど不確かになっている時代はない。言論や思想がそのことに制約され、空回りしていることはよく知っておかなければならない。

 とても困った時代に入っているのである。田中さんや池田さんのような私の世代の読者は、私に昔の著作者と同じ姿勢を要求し、素顔をさらすようなはしたないことをするなと言う。私が自分の読者との関係への不安を抱いていることは彼らには分からない。

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Subject:平成15年8月21日     (四)        

From:西尾幹二(B)

Date:2003/08/24 22:59

 面白い一文を感想掲示板の中にみつけた。福田恆存と私との関係について

立論した19日付日録に寄せて書かれた次の一文は、いちだんとはげしくずり落ちた現代の、精神的秩序の喪失をいわば証言していて印象深い。

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[678] 日録によせて(平成15年8月19日) 投稿者:尊野ジョーイ 投稿日:2003/08/19(Tue) 21:41 [返信] 

 私も、西尾先生の影響をものすごく強く受けていた時期があった。

 しかし、私には西尾先生から離れようとする必要はなかった。

 なぜならば、70年代以降に生まれた私と西尾先生との間には、精神の奥のところで深い断絶があるからである。

 才能的にも西尾先生に追いつくことはできないけれども、そもそも、根本的に精神的に違う存在になっているのである。

 それは、ただたんに歳が離れているというジェネレーションギャップなるしろものではなく、そんなものは小さな違いにすぎず、この違いはそれよりもはるかにはるかに大きなギャップなのである。

 古代から連綿と受け継がれてきた日本的な精神性が、高度経済成長をはさんで断絶されてしまったのだと思う。

 おそらく、我々の世代は、70年代以前の日本人の精神を、頭では理解することはできたとしても、感覚として実感することはおそらく無理なのではないだろうか。

 それでも、そのように断絶してしまった現実を意識しながら、私は私なりの方法で自分の生きる道を切り開いていくしかないのである。

 今は、そういう時代になっているので、それはそれで仕方のないことだとあきらめるというか、現実は現実として認めるしかないだろう。

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 筆者は30歳代の方と思われるが、私が生き、呼吸していた若い頃の一時代が彼にはもう自分の手の届かない、遠い不可解な精神的世界なのである。私自身はすでにその世界からもずり落ちて、こちら側の世界に来ていて、それゆえ苦慮している。

 苦慮しているのは伝達の不可能である。私がインターネット日録になにほどか期待したのは伝達可能な世界をほんの少しでも広げることに役立ちはしないかと思ったからであった。

 けれども日録では必ずしも私は素顔をさらしているわけではない。舞台裏をガラガラとみせているわけでもない。一見気楽にみえる書き方ではあるが、一つの著作をつくり上げる姿勢を保っているつもりである。田中敏さんはこの点を見誤っている。

 しかしそれはそうだが、それにしても、読者が私に期待するのは『私は毎日こんな事を考えている』のようにとっつき易い切口の本ではなく、もっとヘビーな本の世界、構築された作品世界なのかもしれない。私は迷っているのである。

 私の教え児で、外資系企業に勤めている平井康弘さんから『私は毎日こんな事を考えている』の感想文をいただき、その中に次のようなことばを見つけることが出来た。ここに私がなにほどかの救いを見出したのは、果たして甘いセンチメンタリズムというべきであろうか。

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 また、先生の示唆に富む訓えを(しかも簡単に)継続的に享受できる「日録」の登場で、私は遠くにいながら、先生の授業を直接受けていられるような錯覚に陥っています。自分で考えなければならないのですが、日録から多くのことを学ばせて頂いております。恒常的にアクセスしている個人の数は存じませんが、数多くの日本人(あるいは外国人)に知的訓練の場を提供して頂いていることは、この国にとって大きな救いであると同時に、感謝に堪えない思いです。

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 しかし日録の形式を維持するために私が用いている時間と精神はばかにならないほど大きく、本来の著作活動にそれなりに食いこんでいることは知っておいてもらわなくてはならない。このところ日録を休みなく、勤勉に書いているのは、雑誌連載を今月は放棄しているからで、後者が忙しくなればまた前者は休みがちになるのは避けられない。