Subject:平成15年8月30日     
From:西尾幹二(B)
Date:2003/08/30 17:54
 産経の8月26日付のコラム「正論」で私が試みた一つは、できるだけ外国の立場、今回はアメリカの立場に立って協議の行方を見て行くとしたらどう見えてくるかという仮説的方法に基いてもいた。日録感想板のほうで「秋の空」というハンドルネームで書いている在米日本人が次の文章を寄せてこられた。これは私の意に適っている。この方のアメリカから見た視点にはリアリティがある。

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[814] 6カ国協議 投稿者:秋の空 投稿日:2003/08/28(Thu) 15:46 [返信]

 北朝鮮をめぐる六ヶ国協議の正論論文を拝読し思わず筆をとりました。
私は米国住まいで、日本の新聞はインターネット版しか読みませんので、
こうやって西尾先生の論文を拝読できるのは大変ありがたく思っております。

 今回の論文で感銘をうけたのは、9・11以後アメリカの対中姿勢に変化が
生じた事を指摘なさっていらっしゃる点です。

 実は私が9・11、当日、世界貿易センター崩壊以上にショックを受けた
事があります。パウエル国務長官がいきなり中国の見舞いに対して感謝の
言葉を口走ったからです。確かに日本国政府の対応は多少遅かったですが
パウエル長官の言葉は大変唐突に聞こえました。その後のイラク戦争に至る
までのパウエル長官の推し進める戦略を見つめてきましたが、私には良く
分かりません。結果として中国の思うつぼになるのでは?と思う事が多々
あるからです。パウエル、アーミテージ正副両長官の台湾問題に関する発言
も、そのたびにワシントンレポートで読み返しますがどこまでが、真意なのか
判断に苦しみます。

 それ以上に、日本国内の親米派、日米同盟維持強化を唱える方、マスコミの間で
パウエル氏の評価が何故こんなに高いのが不思議でなりません。

 ただ、米国の中国への接近について先生がお書きになったことがどこまで米国の
現実を反映するのかどうかは私には難しくて分かりません。対中政策はまだ揺れ動く
というのが私の実感ですが。もちろん次回、次々回の大統領選挙次第では、今世紀
の日本は大変な事になるのではという心配はしております。

 いざというときは朝鮮半島での武力行使も辞さないという強力な日米同盟の結束
と圧力無しに同地域の安定は有り得ないと思います。私は今回の6カ国協議が決裂す
ることを願っています。

 いまイラク・パレスチナで苦境にあるアメリカの虚をついて朝鮮半島を支配下におく
のが中国の戦略であるのなら、自衛隊を中東に派遣することは日本にとって
これほど重要なことはない・・・とも思いながら論文を拝読しました。・・・・略・・・・

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 アメリカから見ている日本人が私の一文をよく理解して下さった点に、拙文のリアリティが保証される思いがして、うれしかった。とりわけパウエル、アーミテージの日本における人気に疑問が呈されている。彼らの親中姿勢に猜疑の目が向けられている。これらの点は重要である。6ヶ国協議の決裂を願うとはっきり書かれているのも面白い。中国がアメリカの虚をついて朝鮮半島を支配下に置こうとする野心を指摘し、警戒しているのも納得がいく。

 ところで同文の書かれた翌日6ヶ国協議は終幕した。予想どおり中途半端な結果であった。公式声明も出せず、議長国総括でお茶をにごした。しかし協議の中でアメリカが下手な妥協をしないでよかった。中国外交が大成果をあげたということにならなくてよかった。北朝鮮は核保有宣言や核実験を協議の席上で口にし、さいごの総括文書の署名も拒否したようだ。やはり核あっての体制安全の考えは放棄すまい。米日からみればこの結果は予想どおりである。中露韓に米朝間のへだたりをあらためて認識させるのに役立つ結果になった。これも予想どおりである。だから問題は振り出しに戻った。軍事オプションがなくなったわけではない。

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Subject:平成15年8月31日     
From:西尾幹二(B)
Date:2003/08/31 18:34
 『新潮45』の元編集長の亀井龍夫さんから手紙があった。停年退職なさってもう何年になるであろう。『ぺるそーな』という雑誌の編集をしておられる。産経新聞「正論」欄8月26日付の私の例の文章をそこに転載したいとのお申し出であった。私にはもとより異論はない。手紙につづけてこう書かれてあった。

 「われながらジジイになったものだと思わないわけにはいきません。昭和5年生れのジジイには旧友の訃報も絶える間がありません。旧友の訃報は自分にも覚悟をうながしてくれる働きをしているようです。つまらないことを書いてしまいました。お許し下さい。」

 転載応諾の葉書の空白に、私もこう返信した。「私はご承知の通り昭和10年生れですが、まだ旧友の訃報はほとんどありません。きっとこれから相次ぐのですね。」

 亀井さんが編集長の時代に私は『新潮45』の常連執筆者だった。ゴルバチョフの登場を追って書いた「ロシア革命、この大いなるムダの罪と罰」から、私の中教審委員奮戦記まで、亀井さんのお導きでたくさんの仕事をさせてもらった。あの頃の『新潮45』は代表的オピニオン誌の一つであった。つい10〜12年ほど前の出来事で、昨日のようにしか思えないが、他方、こうして手紙をもらうと、なぜか遠い昔話を二人で語り合っているかのような気分にもなってくる。

 過去を振り返ると、昨日の出来事のように鮮やかに記憶に蘇ってくる事柄が、死の近づく未来を意識すると、子供時代の思い出と同じような、セピア色に変色した写真集をとり出して眺めているような幻影の一齣に思えてくる。不思議である。

 亀井さんと一緒に仕事をしたのは、平成8年暮れに「新しい歴史教科書をつくる会」を立ち上げる少し前までの話であった。そんなに遠い過去ではない。まだ壮年の意気盛んだった。わたしは凄い過密なスケジュールで仕事をしていて、平成6年末に病床に臥した。あれから8年で、ひとまたぎで老人になってしまった印象をもつ。余りに早いし、余りに短い。日々迷いの中にあり、なにも悟れないし、老熱からも、老成からもほど遠い。

 ストアの哲人セネカは、「多忙に追われている者たちの心は今なお幼稚であるのに、彼らの心を老年が不意に驚かせる。」と言っている。辛辣に的確である。「話をするとか本を読むとか、なにかの考えごとに熱中などしていると、旅人は旅も忘れ、行き先に近づいているのも知らないうちに到着してしまうものである。それと同じように、人生のこの旅も留まることはなく、また何よりも速やかであり、われわれも寝ても覚めても同じ歩調でそれを続けているのだが、多忙に追われている者たちには、終点に至らなければそれが分からない。」(人生の短さについて)

 しかしそれでよいのではないだろうか、と私は逆に考えてもみる。無常に観じ、大悟に徹するなどという精神の働きを達成するにも、それなりの日常の多忙はつきまとうのである。日常の完全な外になにかがあるのではない。

 私は年を経て次第に複雑なものより平明なものを愛するようになった。暗鬱なものより快活なものを見るのを好むようになった。複雑で暗い世界になにか深い精神性をしきりに求めたのは、若さにあふれていた青春時代の心の働きだった。

 私は65歳で公務を離れてから、かえって人の波が私を取り巻くようになった。執筆量も一段と増えた。今年はご承知のようにすでに4冊本を出し、9月初旬に次の新刊が待っている。けれども、私の心はまだ本当のことをやっていない、肝心要の大業をやり残している、という焦りの気持ちをも抱きつづけていて、日々せわしなく、心ここにない。つまり老いてむしろ心が未来に向いて開かれている。明日の自己設計に向かっている。

 年をとると子供時代の出来事を正確に思い出すものだそうだ。しかし、他方、昨日と一昨日の区別、去年と一昨年の区別がつきにくくなるとよくいわれる。それは私の身にも起こっている。けれども近い過去の区別が定かでなくなるのは、健忘のせいではなく、心が昨日ではなく明日に、過去ではなく未来に向けて燃焼しつづけているせいではないだろうか。年を老いて諦めるのではなく、ますます未来に期待している自分を目の前に見て、私はかえってそういう自分に驚いている。