Subject:平成15年5月18日 /From:西尾幹二 /Date:2003/05/18
23:53
5月9日に時事通信社山梨支局(甲府市)の内外情勢調査会で、日本の安全保障と北朝鮮問題について講演した。終って支局長が控え室で、「今日の聴衆のみなさんは一寸ショックだったみたいですよ」と心配そうな面持ちだった。「みなさんはアメリカの日本防衛はアメリカの利益のためにおこなわれていることだと頭から信じきっていますからね。」であれば、アメリカの最近の一極支配はますます日本に役立つと思われているであろう。
アメリカの一極支配体制は日本では誤解されている。アメリカが治安出動隊となって地球上の不安定要因を取り除いてくれる平和維持の体制だ、とみんな何となく思っているらしい。だとしたら、私の講演はショックを与えたであろう。ブッシュドクトリンは世界の安定を目的としていない。たとえ安定を犠牲にしてでも、過去の遺物を清算しようという強い意思に貫かれて行動しているのが今のアメリカである。だから、東アジアは今一挙に流動化している。日本、韓国、中国のそれぞれにアメリカは解決のカードを投げている。アメリカが自分で全部責任を背負うとは言っていない。
一対一で北朝鮮との交渉のテーブルにつくのをアメリカが一貫していやがっているのは、話し合いになれば必ず妥協ないし歩みよりの具体策のひとつやふたつを合意しなくてはならない。それがいやだからテーブルにつかない。中国を挟んで話すことに仕方なく合意したのが北京会談だ。けれども、アメリカが北朝鮮と一対一で対話するのをいやがる理由がもうひとつ別にあると私は思っている。北朝鮮の核問題は、一義的には日本と韓国の問題ですよ。それに二義的に中国の問題ですよ。アメリカは協力者にすぎませんよ。各国の結束が大切だといっているのはその意味ですよ。アメリカは助っ人にすぎませんよ。間違えないで下さい、としきりにシグナルを送っているのである。
けれども厄介なことにアメリカは自分の道理を押し通すためには、自分のやりたいようにやる。日本、韓国、中国が結束して当った場合にのみ「平和的解決」が可能だという謎かけを行っている。もし三国の利害が衝突し、足並みが乱れたら、北朝鮮は勿怪の幸いとばかり三国とアメリカとの離間策を図り、いろいろな楔を打ち込んでくるであろう。そして挑発行動をさらにエスカレートさせるであろう。そうなれば「平和的解決」はかえって遠のく。アメリカは北朝鮮に先に攻撃はさせないと言っている。軍事的オプションはちゃんと考えてある。けれども「外交的解決」のプログラムをアメリカは具体的にもたない。北と外交交渉はしたくないし、しない。それはアジアの三国がやってほしい。失敗したら、軍事行動にならざるを得ない。三国の納得づくで、アメリカは空爆を開始する、と。——
ということは、三国の納得づくだから、周辺に何が起こってもアメリカは知らないよということである。アメリカは安定を目的としていない。ソウルが火の海になっても、日本列島に生物化学兵器搭載のミサイルが着弾しても、中国の吉林省で大量難民が出ても、戦争の初期段階で起こる災害に対しては防止しようがない。最終的に北朝鮮から大量破壊兵器の製造と輸出のシステムを取り除くということにだけアメリカは責任をとっている。あとのことは自分で考えろ、と日本や韓国に言っているかにみえる。
勿論アメリカは中国にすべての下駄をあづけるというもう一つの別のプランももっているかもしれない。金正日の首のすげ替えを含め、北朝鮮の清算は中国の解決すべき責任範囲にある、という判断に立てば、しばらく辛抱づよく中国の半島への強権発動を見守るだろう。しかし北の核放棄と厳重な公開査察だけはアメリカとしては譲れない一線である。中国がそれを実行しなければ、いづれにしても軍事行動ということにならざるを得ないだろう。来年のアメリカ大統領選挙がらみで日程がどうなるのかがもうひとつの焦点である。
しかしいづれにしても日本はアメリカが守ってくれるから安心、という話ではもうないことだけは疑えない兆候である。アメリカは東アジアの封印された密室をゆさぶり、周辺を一気に不安定にした。いざとなったら軍事介入だけはするが、あとのことは俺は知らない、お前たちで何とかやれ、という態度である。とんでもない時代の到来である。アメリカの一極支配体制は平和維持の体制ではない。
私は甲府でそういう話をした。聴衆の皆さんにはたしかにショックだったかもしれない。
こうして13日から新たな論文に着手した。17日夜徹夜になって、18日(日)の朝7時30分に、「日本がアメリカから見捨てられる日」(『正論』7月号掲載予定)の30枚論文を仕上げた。甲府の講演と新しく勉強した日本の自衛隊の実態とを組み合わせた内容で、甲府の聴衆に与えた以上のショックを読者に惹き起こすおそれがある。
しかし、人は真実を知っておかなくてはならない。私の執筆期間中に、有事法制が成立したが、まだまだあれでは、切迫している現実に十分に役立ちそうではない。ないよりはましといった程度である。
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Subject:コーヒーブレイク 10
/From:西尾幹二 /Date:2003/05/19
15:38
『壁の向うの狂気』はどしりとぶ厚いのでみんなびっくりしています。ぜひ読んでください。読みやすいのが取り柄です。03−3238−0164へ電話をしてほしい。有利なサービスが用意されています。この本について、以前に「日録」管理人のBさん、すなわち「年上の長谷川さん」が私に、ことに第5章の感想文を書いて送ってくれました。ご紹介します。
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全体主義の呪い第五章を読んで
全体主義の呪いの中の第五章をとりあえず読んだ。東ドイツのシュタージ(秘密警察)のレポートは、私が今まで全体主義体制のことを思い描いていたものが、とても手ぬるいものであることを教えてくれた。それは、ジョージ・オーウェルの1984年のような世界だった。おそらく私ばかりでなく多くの日本人は、全体主義の国の異常さ、底知れぬ恐ろしさを小説の中の世界だけのように感じ、「閉ざされた世界」と近く接したことのない能天気な感性で、今の今まで過ごしてきたのだろう。
それが突如、身近な人たちの拉致があったこと、スパイが自分たちの周囲にもいるかもしれないことを突きつけられた。しかし、核弾頭で脅されていてもなお実感がわかないらしい。よその国から学べない。
シュタージが収集した秘密書類は1メートル一万枚で、キロメートルという単位で表され、その膨大な量は、ドイツ的特質でもあるらしいが、量こそ違え全体主義の国家には共通してそのような書類がある。つまり監視機構がある。戦後しばらく占領軍が日本のあらゆる書き物を検閲したが、あのエネルギーもとんでもないものだったろう。
言論の自由なほとばしりにチェックをし、消したり修正させたりすることそのことが全体主義の傾向だとしたら、私は今の日本にも十分その匂いを嗅ぐことができる。今はやりのジェンダーチェックもそうだし、日教組の研究会でも披露されていたCMチェックもそうであるし、同和団体や日教組による歴史教科書の内容チェックもそうだ。日本の中にある、ある反日的全体主義的グループの思想統制の匂いがぷんぷん感じられる。
今北朝鮮のベールがはがれ——もっとも、分かる人には以前からその危険性がずっと指摘されてきたのだが——西尾先生仰るところの「閉ざされた世界」と無媒介に接してしまった、この日本という国は、まず全体主義体制の底知れぬ恐ろしさを知ることから態勢を整えなくてはならないのだろう。
東ドイツには末期だったからとはいえ、その体制の中でさえ、自分の子供と自分を守るために上層部へきちんともの申した婦人がいたようだ。「泣き寝入り」「平和でありさえすればいい」という考えがどうしても主流になりがちな日本人は見習いたいものだ。
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どうもありがとうございました。この本のテーマをよくとらえていますが、全体主義の社会はこの我々の自由社会とは異質なので、自由社会の全体主義的風潮とは区別して、同じには扱わないで下さいね。切り離して別の危機と考えて下さい。
第5章「恐怖の遺産」は東ドイツの「拉致」のテーマです。拉致された息子の消息をさがして歩く可哀そうな老婆と私の出会い、対話、手紙の往復などで綴った運命の物語です。そこにもうひとつ、あわや住んでのところで消される母子の物語が重ねられて、二重の物語が進行する小説仕立てになっています。はらはらして読んでください。
当時の東ヨーロッパでも「拉致」がおこなわれていました。70年代以後銃殺処刑は減りましたが、代わりに密告と拉致がはやりました。ある日突然、東ドイツの建築技術者が「拉致」されて、10年後にシベリアの奥地から手紙が来て生存が分ったという例もあります。旧ソ連は100の建築技術者を必要とすれば、指令を出して東ヨーロッパの各地から100人を「拉致」したのでした。
『壁の向うの狂気』はものすごくたくさんのことを面白いエピソードをとり入れて考えさせようと工夫した本です。誰も書かなかった世界史の悲劇の記録です。ぜひ読んで下さい。03−3238−0164を忘れないで。
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Subject:平成15年5月24日
/From:西尾幹二 /Date:2003/05/24
12:42
自分の本を本屋の店頭で取り上げて見ている人を、私は二度目撃したことがある。一人は即座に買い、一人はゆっくり平棚へ本をもどした。どちらの場合にも私は自分の姿に気づかれないように、そっとその場を離れた。
人がどんな心理で私の本を買って下さるのか分らない。人によっても、本によってもいろいろ違うだろう。「日録感想掲示板」に21日に掲載されたある人のコメントは、買うときの一瞬の心理が書かれていて、うれしくもあり、また言いようもない感動をも感じた。
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レス嬉しく 投稿者:フクロウおじさん 投稿日:2003/05/21(Wed) 02:10
・・・・・・・略・・・・・・・・・
「壁の向こうの狂気」購入してしまいました。行きつけの店で三日連続して目にして、誘惑に負けてしまいました。旧版は持っていますが、読みやすさとなんといっても新稿120枚を糸口にしてじっくり読み味わいたかったからです。何者かにおののく、というような不思議な気持ちでページを繰っています。
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旧版『全体主義の呪い』を持っている方が、もう一冊余計に買って下さったためらいのこもったお言葉である。それだけに、熱いものを感じる。どんな方なのだろう。何冊かすでに私の本を読んで下さっているのであろうか。
読者が見えないというのが著者の切なさでもあり、また救いでもある。相手が見えないから心情を吐露できるという一面もある。そういう姿勢に慣れてしまっている。具体的な人の顔が浮かんだら、かえって書けないかもしれない。しかし「何者かにおののく」というお言葉は重い。どういう人だろうか、と想像する心もやはり抑えがたい。
私は自分の読者をあれこれ空想すると、いくつかのイメージが湧いてくる。恐らく少し孤独な人なのではないかと思う。気位が高く、あまり社交的ではなく、さりとてもの思いに耽るというタイプでもなく、社会的関心は旺盛で、しかし対人的関心は必ずしも高くなく、狷介で、周りにいる人のことはそれほど気にならず、とはいえ暗鬱症ではなく、気質的には明るい性格の人ではなかろうか。まるで私は自分のことを語っていると思われるかもしれない。
私の本はそんなに難解ではない。読み易い、平明な文章で綴られているはずである。論理的にも明快な内容だと信じているが、しかし必ずしも大衆向きではない。そこが不思議である。読み易ければ、大衆にもっと受けて、売れてもよいはずだが、読みにくい、難しく書かれた本をよろこぶ読者が意外に多いのである。大衆は私の掲げる「価値観」に関心を示さないのだと思う。
私の本の愛読者は中年以上の男性に多いと思われているかもしれないが、それが必ずしもそうでもない。若い女性の読者が案外に多いのである。いただくお手紙からそれを察する。とても嬉しいことである。少し心が華やぐのである。けれども女性の読者でも、社会の現状を否定する激しい言葉に惹かれる、自分の孤独を持て余している熱い心の持主であることはきっと共通しているのではないかと思う。
もし間違えていたらお許しいただきたい。それから、もう一つつけ加えるなら、私の文章は読み易い、平明な論理で綴られているはずだが、必ず事柄の両面を見る書き方をしている。そこを面白いと思って下さるかどうかが、私の読者になって下さるかどうかの岐れ目ではないだろうか。
本当に読者のみなさまには感謝している。前述のかたの文章には、つづけて次のように書かれている。
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「日本の根本問題」で前回は触れませんでしたが、やはり憲法前文が今の私にとっては「根本問題」です。特にその最初の十数行。縄文以来の列島の自然と歴史、そこに生きた人々の姿を思い浮かべ、私たちが守るべき価値がそこに胚胎しているのだという思いを強くします。私は何をなすべきか。またお教えください。
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何かをお教えするというほどの気持ちを私は持っていない。私はなにかを必死に訴えているだけである。
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