Subject:平成15年7月6日      (一)         
From:西尾幹二(B)
Date:2003/07/07 06:55
 宮崎正弘氏は今仕事の油がのりきっている時期で、目をみはらせるものがある。相次いで出された『ザ・グレート・ゲーム』(小学館)と『ネオコンの標的』(二見書房)はどちらも6月初旬から月末にかけてのまたたく間の出版である。前者はイラク戦争に隠された、米英仏露中が暗闘する石油争奪戦の内幕を描いた本だ。後者はネオコンは日本の敵か、味方か、日本の命運を左右する米国新保守主義の牙を検証している本である。

 となると、宮崎氏は欧米を中心とする国際政治学が専門かと思いきや、じつはそうではない。氏は今の日本で最も頼りになる中国ウォッチャーである。昨年8月に中国全33省を踏破し、あの広い国の東西南北を見て歩いている。出かければ必ず絵葉書をくれる。また行っているな、と私は吃驚している。いつであったか古代詩人の屈原の故地を訪ねた報告文を送ってもらった。今や訪う人のないさびれた故地——屈原の入水した有名な汨羅(べきら)——に田舎のバスを乗り継いで行ったときの話だ。

 私にはゆめにもできない冒険である。バスを降りて洞庭湖の支流のひとつを艀で渡って、中州に辿り着く。広々とした公園になっている。屈原碑林といって、詩を刻んだ石碑が林のごとくに並んでいる。そこに大きな屈原の銅像が立っている。それだけである。人の姿をみない。「洞庭湖は北海道の半分以上もある大きな湖なのに今どんどん埋め立てられているんですよ。ひどいことになっている」などとも後で四辺の印象を語っていた。

 湖南省の長沙の奥に劉少奇と毛沢東の生地を訪れた文章も面白かった。歴史館がよく整理され、保存も管理も行き届いているのは劉少奇のほうで、毛沢東は生家があって、あとのものはバラバラで、管理もよくない。今の中国人がどっちを敬愛しているかを示すエピソードであるという。

 北朝鮮と接する中国国境で舟に乗り、金正日の国にあと1.5メートルまで接近した話にもへぇーと驚いた。吉林省の延吉から図們という所まで行って、そこで船に乗り、対岸近くにまで迫って行って走る。北朝鮮は荒れた草原ばかりで、人影を見ない。それでも図們の船着場に船は多く、特に身の危険は感じなかったようだ。

 「ここを開いて、中国側に巨大難民キャンプを作って、日本も金を出して、北朝鮮を具体的に崩す対策を考えなければダメですよね」と私は今朝、宮崎さんと電話ではなしをした。宮崎さん曰く、「また脱北が少し自由になったようですよ」「いや、ガードが固くなったと私は聞いていましたが。」「一時そうでしたが、6月10日以後、緩んでいるようです。」氏はそう言って、7月2日付『朝鮮日報』の日本語記事をファクスで送ってきた。それによると中国公安当局は朝中の国境に網のように設置していた検問所を6月初めから撤去し、脱北者に対する検問や探索も6月10日以来、ほとんど行っていないとの報道が示されている。

 再び情勢が変化している証しである。アメリカと中国が相談し、なにか大仕掛けな措置がとられだしたのか、よく分からない。『朝鮮日報』も「根本的な変化を予告するものかは、確かでない」と書いている。

 それはともかく宮崎正弘氏の情報は早いし、多方面だし、世界各地に及ぶ目のつけ所も的確である。よほど念入りに、心をこめ、時間をかけて調べている。というわけで、彼のホームページhttp://www.nippon-nn.net/miyazaki/は人気もあるし、信頼度も高い。

 私がパソコン操作がうまく出来ないのを知っていて、宮崎さんは三日に一度くらいの割合で郵便でご自身のホームページその他の目星しい記事を送ってきてくれる。私は恐縮している。私は与えられた板をクリックして、自分のサイトや関連板を引き出すことはできるが、自分で新しいインターネットの記号から新しいサイトを開く技を教えてもらっていない。口伝えにきいて何度打ちこんでもうまくいかない。SOTECであるが、Windows meというソフトの器械がおかしいのかもしれない。



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(管理者.注)
.1)文字化けの部分を修正しました。
.2)まだハード/ソフト(OS=オペレーティングシステム/アプリケーション・ソフトウェアー)の区別が微妙
...「ソフトの器械」=ソフトウェアー。 表現が先生(の年代)らしくってとても嬉しかったので(^^;;
  あえてそのままの表記としています。先生が現在もお気づきになっていないという意味ではありません。

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Subject:平成15年7月6日      (二)         
From:西尾幹二(B)
Date:2003/07/08 08:48
 今日宮崎氏との交際について書いているのは『日韓大討論』の氏の感想文が今朝ファクスで届いたからなのだ。かくも大陸に詳しい宮崎氏がこの手の本について述べたポイントは誰だって興味があるだろう。

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 西尾先生

 遅ればせながら、ようやく時間が空いたので真っ先に、「日韓大討論」(扶桑社)を夢中で拝読しました。いやはや、これは革命的な歴史観をもたらす内容で、しかも金さんが盧政権支持という立場でありながらあれほど日本に冷静な判断をしている。
いくつか感想を申し述べます。

 238p金さんの発言個所ですが「ジョンベーカー元国務長官」は「ジム・ベーカー」の誤りです。

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 このあと本のページが指摘されているので、同書からそれぞれ引例し、引例文への宮崎さんのコメントを順次に記載する。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・25p
 (発言者・西尾) もう一つ指摘したいのは、日本と韓国の間の変化です。朴正煕軍事政権の時代は日本の保守派、たとえばいま名をあげた「日本文化会議」などが親韓派でしたが、いつの間にかいまでは位置が入れ替わり、左翼進歩派の人たちが親韓派になっています。いままで信頼して深くつきあってきた韓国ですが、韓国ではわれわれ保守派を反韓勢力、敵のように見るようになりました。そういう状況の変化について戸惑っています。
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 日本の「親韓派」は、全政権になったときに閣僚がガラリと変更され、全軍事政権は以前の朴政権の親日派を一斉に逮捕、もしくは失脚され、とくに日本は金鍾泌首相の人脈にパイプが収斂されていましたから、突然切れた凧糸のように「絶縁」、真空状態が生まれ、その間隙を外務省と左翼がついた。そういう図式ではないかと思います。以後、まともな日韓関係はなく、いびつなまま。

 盧泰愚はいくらか日本びいきでしたが、保守人脈で強いパイプを韓国と持つ日本人がおらず、また加瀬英明さんなど入国禁止になりました。金泳三に真っ先に取り入ったのは朝日、そのご金大中もおなじ日本の人脈ですね。彼等は韓国版ゾルゲかも。

・・・・・・・・・・・・・・・・・40p
 (発言者・金完燮氏) 韓国の歴史教育では、朝鮮民族が日本に同化したということを教えていません。日本人は朝鮮人を「いじめ、苦しめ、殺した」とだけ教えられています。しかしたとえば、満州に出掛けていったのは日本も韓国も一緒だったはずです。実際、朝鮮人は満州で日本人として振る舞いました。満州人は、朝鮮人と日本人は区別ができません。その結果、朝鮮人たちの振る舞いに満州人は反発しました。朝鮮系日本人は日本人よりも強くアジア解放を信じていました。
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 朝鮮人で「日本人」として振る舞ったのはサハリンにも数百(まだ居ます)。小生がサハリンへ行ったときに「日本人通訳」と名乗った「山本」なる当時65歳くらいの人物も、立ち居振る舞いが可笑しいので、その後調べると朝鮮人でした。ハルピンあたりに、まだ何人か残っているようです。(たとえば岡田和裕「満州辺境紀行」(光人社))

・・・・・・・・・・・・・・・・・51p
 (発言者・西尾) それからちょっと気になったのは高麗のことです。高麗が後期において元の出城のような服属国になったのは事実でしょうが、高麗が半島に位置していなかったというのは、びっくりする新説です。
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 「高麗」とおぼしき遺跡が、その後、色々な王朝が重なりどれがどれと推定する事も難しいのですが、中国の遼寧省から吉林省にかけて遺跡があり、いつぞやタクシーを雇って丹東郊外のいくつかを何回も何回も道に迷いながら(付近の人がまるで知らない)、ようやく探し当てたら幼稚園の片隅の石碑だけだったり、田圃の真ん中に地蔵のように目立たなく遺構なるモノが残っていたり、タクシーの運ちゃんも地元の住民に「日本からわざわざ物好きに古代のことを知りたいんだってさー」と道を尋ねる有様でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・105p
 (発言者・金完燮氏) 生物学的に見ると、朝鮮半島に住んでいる人たちはカザフスタンと遺伝子が同じで、それは学者たちが調査してわかったものです。カザフスタン、キルギス、モンゴル、このあたりの国が遺伝子学的には韓国にもっとも近いと見られます。

 ですから東アジアの主流をなしているチャイナ民族とは、とくに遺伝子的な関係はありません。韓国と、アジアにいるほかの国の人々とは関係がないのです。一方、満州やモンゴルとは遺伝的にひじょうに近い。

 ですが、古来、韓国人はアイデンティティを中国に置いてきました。文献的な歴史と人種的な歴史は違うということです。

 わたしは、遺伝子的にみて女真族が自分たちと同じ民族なので、女真族が朝鮮族だと思っています。なぜなら昔、それぞれの国名の漢字の読み方は違っていましたが、女真と朝鮮は発音が同じでした。朝鮮を女真と表記した。女真族はむかしから朝鮮族だったのです。

 朝鮮半島に入ってきた人たちは大陸から来た勢力なので、女真族、満州族と分離してしまいました。ですから朝鮮王朝は女真族とは違います。朝鮮王朝は女真族を野蛮人だとして交流しませんでした。いま女真族は、中国に溶け込んでしまいました。
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 中国に編入以後、要するに女真族の遺構、満州族の遺構は消し去ろうとしていることが分かります。(女真もおおかたは戦後のどさくさ時期に「漢族」に籍替えをしています。満州族はスターリンの強制移住政策を真似た毛沢東によって、新彊ウイグル自治区へ追いやられた人たちが大勢居ます)。

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 宮崎さんの後からの電話によると、満州族(女真族)は一部は新彊ウイグル自治区その他へ強制移住させられ、彼らは今でも満州出身を意識している。一部は旧満州地区に残り、劣勢民族であることを恐れて、漢族に戸籍登録した。戸籍のない時代に新たに戸籍を作る段階だったので、漢族になり替わり、女真族は今ではほとんど残存していないという。

 中国には56の少数民族がいるが、女真族はほとんど消えてしまったのではないか。強制移住させられた人にかえって女真族であることを名乗る人が少なくないというのは、故郷への執着心だろうか。

 この満州族吸収のいきさつも、清朝支配に対する漢族の復讐であろうか。

 なお朝鮮族は吉林から黒竜江省へかけて約200万人、戸籍登録をしているが、実際の数はもっと多いだろうという。金完燮さんは朝鮮人は中央アジアの国々と人種的に近いと言っていたが、カザフスタン、キルギスタンなどはみなトルコ系である。そういえば韓国語はトルコ語に近いという説もある。

 彼の今朝のファクス来信のさいごは次のように結ばれていた。

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 やはり金さんは戦後派ですね。北への警戒心のなさは彼自身が池東旭さんらの世代と異なり、まだ戦後洗脳の呪縛から解放されていない部分を示してあまりあり、それが不用意に、しかも如実に出ている箇所も大いに参考になりました。ともかく有意義な御著書と存じました。
                   宮崎正弘

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 宮崎さんとの交流はいつも私の無知を知らしめ、私の知識欲をかき立ててくれる。彼は今月11日にも台北に、月末には上海に行く。サーズ克服のニュースは本当だろうか。どうか御身大事にと思う。「ちょっと行かないでいると情勢がつかめなくなるのです」と言っていた。

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Subject:コーヒーブレイク   12の1
From:西尾幹二(B)
Date:2003/07/08 20:49
 7月8日から11日まで北海道を旅行する。今夏も外国旅行を考えていたが、サーズで取りやめとなった。二都市での北海道講演が組まれたので、少し足を伸ばして富良野のあたりを見てくる。北海道には梅雨がないので今頃は一番いい季節のはずである。この間に日録の本「私は毎日こんな事を考えている——西尾幹二の公開日誌」の(あとがき)を紹介させていただく。

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 あとがき

 押し流されるようにして時間が過ぎていく。追い駆けるようにして日課を果たしていく。「日々の務めを果たすこと、それ以外のことを思い煩うな」という古人のことばをふと思い出す。

 ほぼ十ヶ月の自分の生活の周辺、仕事の背景を具体的に綴ってきたこの日誌風の文章をあらためて読み直して、人間にとって明日起こる出来事はやはり分からないものだとしみじみ思う。平成14年7月にノルウェーを旅しているとき、二ヵ月後に北朝鮮が動きだすことも、三ヶ月後に若き友・坂本多加雄さんが他界することも、夢にも考えていなかった。明日また何が起こるか分かったものではない。

 副題に公開日誌と銘打っているが、この本は私の私生活の公開を主題にしていない。また、日誌であるから大型の評論や学問上のテーマの追及それ自体を目的ともしていない。例えば、日誌の期間中、私は「江戸のダイナミズム」という17〜19世紀の西洋、中国、日本における宗教と文献学に関する比較思想の研究を雑誌『諸君!』に断続連載中であり、今なお一番これに心を労しているのであるが、本書にその内容はほとんど触れられていない。

 それなら何を公開し、何を本音で語ってきたのか。私が国家と社会に関わっている精神生活のすべてが本書の中に投じられているといってもいい。それは個別の評論でも論述してきたが、本書の中でも角度を変えてそのつど具体的に言及している。しかも個別の評論では明かしていない背後のドラマ、社会的脈絡、新聞やテレビの断片情報から日々感じたこととの繋がりにおいて、具体的に描き出されている。

 本書の出版を引き受けて下さった徳間書店編集三局局長の力石幸一さんが、原稿を一読して、「いつも身近でお付き合いしている先生に言うのも何だが、僕はこの文章で先生をグーンと身近に感じた」と仰ってくれたのが非常に印象的で、本書は多分、この言葉に集約される性格を最も良く発揮しているのではないかと思う。ただし「身近」といっても、私的にではない。本書は私の公的生活の公開日誌だからである。そうはいっても大学を辞めているので、公的社会に勤務義務を負っていない人間の思想的公的関与の公開、という風に考えていただきたい。つまり私の精神生活を「身近」に感じて下さった、という意味なのである。

 その限りにおいて私はかなり徹底して公的である。私の精神生活は日本という国家と社会への公的責務意識に何らかの形で彩られているといえなくはない。第四章を「日日是憂国」と題しているが、本書の書名に一度は考えたくらいである。ほかに「憂国有愁」「孤憤切々」「疾走する怒り」などを書名にあげてあれこれ空想し、また他の方々から「時事散歩」「常識国家の確立」「腹の立て方据わり方」「日常からの思索」など数多くの良いアイデアを頂いたが、これらの書名案に、本書の特質がそれぞれ象徴されているといってもよいであろう。

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Subject:コーヒーブレイク   12の2
From:西尾幹二(B)
Date:2003/07/10 09:05
あとがきのつづき

 本書は平成14年7月15日に始まる「西尾幹二のインターネット日録」(http://nitiroku.hp.infoseek.co.jp/)の、平成15年5月18日の記載分までを整理し、再編成したものである。不要と思われる記述は削除されているし、内容補強に必要と思われる場合には加筆されたり、順序が入れ換えられたりしているので、「日録」のサイトとはかなり違った印象を与えるのではないかと思う。けれども基本はインターネットの毎日の記述の積み重ねの上に成り立っている。ところで私はパソコンを操作しない。今ようやくすこし習いはじめているが、本書収録の文章はすべて私がペンの筆稿をある人にファクスで送って、打って送り返してもらった原稿を校正して再度ファクスで送り、ネットに掲載してもらったものから成り立っている。この練達で、忍耐強いパソコンの使い手は、広島県廿日市市の前教育委員・長谷川さん(主婦)である。

 長谷川さんは平成13年夏の教科書採択において、扶桑社版「新しい歴史教科書」と「新しい公民教科書」の採択を主張し、会場で理路整然たる教育理念を展開して、しかも教育長以下の頑迷な抵抗に屈しないで、最後まで単身支持を貫いた女性である。その強靭な意志と明晰な弁説は彼の地の語り草であり、『諸君!』(平成13年10月号)の拙論にドラマティックに描き出されていることを知る人は知るであろう。

 今はインターネットの時代になり、私は書籍や雑誌以外の公論の発表方法としてのインターネットの重要性を長谷川さんに指摘され、そして説得された。はじめは軽い気持ちで旅の印象などを綴っていたが、時局の急変で、私の思想の整理に「日録」が役立つようになり、やがてスタイルが決まってきた。こうして彼女の助力と努力のお蔭で、ついに本書が上梓されるまでになり、「日録」のサイトは今日もなおインターネットに掲載されつづけている。

 長谷川さんのご夫君は廿日市市のよく知られた医師で、拉致被害者を救う会の広島県支部の事務局長である。一男三女の健全なご家庭をもっておられる。あらためてご一家の皆様に、私の新しい思想表現の形成に寄与して下さった熱い思いと力強いご関与に心から感謝したい。

 なお「日録」の成立と維持にはもうひとりの有力な協力者がいる。インターネットの当サイトの管理人の荒間宗太郎氏である。

 当「日録」は荒間氏のお力もあって、ことにその絶えざる技術的支援があってこそここに至るまで成長した。立ち上げてから早い速度でアクセス数の記録を伸ばし、この世界でもよく知られる存在になったといわれるのも氏のお蔭である。アクセス数はスタートして4ヶ月で5万、5ヶ月めで10万、6ヶ月めで20万を突破し、ちょうど本書収録の最後の日付あたりで40万のアクセス数に達した。本書が出版される頃には50万をはるかに越えているであろう、と予想されている。

 アクセス数が内容への信頼性や文体への魅力を証明するものでは必ずしもないが、低迷しているよりはいいに決まっている。関係者が喜んでくれるのも嬉しい。「日録」は前述のとおり、徳間書店編集三局局長の力石幸一氏の目に留まり、書物化されることになった。実務に当っては同書籍編集部の橋上祐一氏のお力添えを頂いた。

 以上幸運な出版に当たり、各方面へあらためて篤くお礼を申し上げる次第である。

 尚本書は、先立つ拙著『日本の根本問題』(新潮社)に、内容的題材的に相関関係があることをお断りしておく。

 平成15年6月30日