Subject:平成15年7月15日 (一) 重要発言 (五)まで続く
From:西尾幹二(B)
Date:2003/07/15 17:25
「教科書リライト」問題への私の介入は、昨年12月15日に九里幾久雄理事に西荻窪でお会いし、一夕歓談した日に始まる。九里氏は私より齢上の西洋史学者で、お付き合いも40年余になる旧知の仲である。教科書執筆委員の一人に会がお願いしたのは、山川世界史をむかし書いた経験者であり、教育委員会の実態をもよく知り、加えて故・坂本多加雄氏のいない穴を埋めていただくという意味もあったであろう。
久里さんは執筆者会議が余りに扶桑社主導でおこなわれていることに驚き、リライトの方針もすでに決まっていることに新理事として奇異の念を覚え、私に訴えてこられた。扶桑社の立場に立てば分からぬでもない。採択の失敗はもう許されない。学者先生にお任せしていたから前回は失敗したのだ。今度は現場の教師の声もよく聞いて、出版社主導で受けのいいものを作ろうと考えたのであろう。その焦る気持ちは同情できる。
しかし、九里さんの話をきいていると、出版サイドは余りに性急で、頑固で、原則主義的である。例えば総ページを先に決めており、新しい項目表もすでに作成していて、各項目ごとに見開き2ページで何字以内に書けというように過度に厳格である。こんな例は教科書作成の現場できいたことがないと氏は言う。字数限定が窮屈でたまらないという悲鳴を私は藤岡さんからも聞いていた。いったい彼らは何をやっているのだろう、と私は思った。現行教科書を全面的に書き直す心算らしい。しかも分量を大幅にへらし、他社並に合わせる方針だという。他社の薄っぺらな教科書に合わせるとわれわれの教科書は30%くらいの削減を甘受せざるを得ない。
それよりも何よりも、九里さんを一番おこらせたのは、つき合っている中学の先生の批判を例にひき、編集部が「現場の声」を振り翳してくることだった。そして、叙述の模範例として、何とまあ、われわれの敵である「東京書籍」を引き合いに出して、それを委員達の前で朗読さえすると聞いて、私も腹が立ってきた。
私のいない場でいったい何が起こっているのであろう。教科書の叙述方法に編集部は一定の枠を嵌めたようだ。他からも聞いた話を含めてまとめると、歴史上起こった事実を時系列的に淡々と列挙するだけで、評論風の記述を禁じる。これから起こる出来事を先に書いたり、前に起こった出来事を後であらためて解釈したりしてはならない。そういう説明的部分が必要になればすべてコラムにする。戦闘場面のシーンなど、具体的な描写はいっさい省く。歴史叙述は単調であるのが教科書の理想である、と。
事務局長その他からもこういう編集方針が立てられているときいて、しかも執筆者たちがそれに必ずしも抵抗していない、あるいは抵抗できないでいる、と分かって、私もにわかに大きな不安につつまれた。私は12月18日ごろに、「インターネット日録」の管理人Bさん、つまり長谷川さんに電話で日録の打ち合わせをしているさ中に、この不安を漏らした。長谷川さんも私と同じようにかねて教科書の未来に不安をいだいていた。彼女の周りにいる人々は新しい教科書に愛情をもち、その行方を心配している人々である。
間もなく当日録とリンクしている「i勝手支部」というネットで議論の火の手があがった。東京支部長の松本謙一氏が「・・・・私設掲示板で、秘密にすべき会の大事な問題(リライト)を勝手に持ち出して、それを論拠にあれこれ主張するのはいかがなものでしょう?」と言って長谷川さんを非難する次第となり、インターネットのうえだけだが、多数者が論争に参加し、まさに騒然となった。
その頃私は器械操作がまるでできないので論争があったということを知るだけで、よむことができない。いまだにこれらを読んでいない。けれども論争があったことは事務局を慌てさせ、理事会を揺さぶり、一定の効果を引き起すことに役立った。ただ私としては、私が自分の不安を口外したことから会の内紛が始まった責任を感じ、近づく理事会の前に、釈明をしなくてはならなかった。釈明だけではなく、「教科書リライト問題」の方針の是非を同時に追及しなくてはならないとも考えた。
かくて私は次の一文を十氏に宛てて書いた。四氏は執筆者委員であり、三氏は編集部であり、さいごの三氏は会本部の事務局長と論争の端を開いたご両名である。全員に訴えてひとまず論争の鉾を収めていただき、理事会に編集方針の再確認を求める目的からであった。
この文は関係者以外にいまだに知らされていない。7月12日の「つくる会総会」を経て、雨降って地固まるの時機を得たと考えるので、あえて公開することが「リライト問題」を多くの人に広く共有していただくのに有益ではないかと考えるに至った。
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平成15年1月6日
明けましておめでとうございます。
教科書リライトについて、年末インターネットで会員内部に論争が起こり、憂慮しています。発端は、教科書の分量が約三割ていど減少されるらしいこと、リライトに私は参加していない事実を私が電話の雑談中に長谷川さんに伝えたことにありました。詳しくは田中、藤岡両先生に質問して下さいと申しましたので、ページ数など私の知らないことも長谷川さんの耳に入りました。東京支部長の松本さんが長谷川さんと論争を始めました。理事会で十分に詰めていないテーマが理事会の外に出て、幹部会員の心配をかき立てた騒ぎとなるのは具合が悪く、その発端の責任は私の迂闊さにあり、お詫びします。
しかし問題はリライトの件で理事会が十分に問題点を煮つめないうちに見切り発車したことにあります。昨年後半理事会が台風で流れ、坂本先生のご逝去もあって、たしかにゆっくり話し合う時間がありませんでした。リライトの件を討議したのはたしかご逝去の当日30分もなかったと思います。
私の問題提起を申し上げる前に、私の立場を確認します。リライターを田中、藤岡、高森、九里の四先生とした理事会決定に異存はなく、四氏をご信頼申し上げます。教科書の文章を平易にすることに賛成です。生徒への設問、課題学習を充実させることも必要です。中学生レベルに不要な内容事項を削ることにも異議ありません。
そこで、私の疑問点を順次列記します。
①平易にすることは分量がふえがちになることです。漢字を仮名にするだけでもふえるし、どうしても説明的になり、噛みくだいて語ろうと思えば長くなります。もし現行教科書の内容の10%の削減なら、私の常識では20%の本文テキストを削って、10%の新しい文章を補えばよく、現行教科書の大筋の文章の流れに影響ありません。しかし30%の削減なら、60〜70%の本文テキストを削って、新しい文章を作って新たに30〜40%を補うようになり、現行教科書と著しく違った内容になります。しかも、章立てや筋立てが今までとは変わると、現行教科書のリズムや流れは生かせません。現行教科書と著しく違った別個の教科書を新たに作ることでいいのかどうか、理事会ではまだ一度も討議されておりません。
②問題は分量の削減です。量を少なくしてしかも易しく噛みくだいて書く。しかしこれは無理が伴います。量を減らし、内容もそう削れない、となると、息苦しい文章になるか、内容を大幅に変更した味の薄いものに変わる。分量さえ現状の侭なら、リライターも楽だと思います。分量にゆとりを持って、子供に分るように平易な文に改める。10%ぐらいの内容削減でも、全体の分量は削減しない。それで初めて易しい、よみ易い「物語」になるのではないでしょうか。私は現行教科書がいいと言っているのではありません。分量の削減に反対なのです。内容が変質するからです。
③分量を減量し、息苦しく詰まった文章の中で、政治的テーマを扱うと誤解を招き易くなります。韓国併合のところで「一進会」のことまではたして書けるか。ゆとりがあれば、日本の過失も日本人の名誉ある朝鮮政策もバランスよくかけると思うのです。ゆとりがなければ、誤解を招き易い危いテーマは書かないで逃げる。そうなるのではないでしょうか。結果として味の薄い内容にならざるを得ないでしょう。
④このようにして新しく変化・変質させた教科書は、われわれの主観で政治的により穏便にしたつもりでも、検定を通らないかもしれないのです。新しくすると、まったく新しい精査の対象になるからです。
⑤コラムを少し整理し、易しく書き直すことに賛成です。それで少し分量をへらし、本文テキストは文章の流れをこわすほどまでに大巾に手を加えることを避けた方がよいのではないでしょうか。
⑥神話、韓国併合、大東亜戦争の三点の扱い方については理事会の討議が必要です。大きく変更させるのなら総会は無理としても全国評議会ないし支部長会議にまで下ろして会員の合意を得る必要があります。現行の「まえがき」「あとがき」の扱いも同様です。こうしたことに手を抜くと会員が怒りだし、採択で協力しなくなるか、反論が喧しくなり、会が崩壊する可能性があります。
⑦熊本県の女子中学生を魅了した「読んで分る叙述」「頭に入る流れ」がわれわれの教科書の生命線です。東京書籍などの、固有名詞を羅列した無味乾燥を打破するために起ち上がった改善運動でした。執筆者会議でモデルとして東京書籍が朗読されていると聞いて、少し驚いています。現場の先生のアイディアを尊重したがる風もあると聞きましたが、投書文章をみても分る通り、「謝罪」の文言を1行でもいれてほしいなどと、現場の教師はまったくダメな存在なのです。現場の教師の習慣的知性を打ち破るためにこそ「新しい歴史教科書」は書かれようとしているのではないでしょうか。
教科書リライトについて、リライターのお役目四者は決定されましたが、方法ややり方や方針までは何もきめないで「見切り発車」したことは誰しもお認めになるでしょう。各自の心の中で勝手にきめたルールで出発し、一人一人がルールが異なるのです。この侭先走る前に、スタートの原則をもう一度はっきりさせるべきではないでしょうか。
幹部会員の中で論争が起こったのは、わがことのように心配しているからです。私も心配しています。新年に当り、もう一度考え直し、再出発しても間に合う早い時期です。どうかみんなの心配を奇貨とし、始める前に原則をしっかり考えなおして下さるようお願いします。
以上
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この項は(五)までつづく
[誤記訂正.7/16am0:10]
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Subject:平成15年7月15日 (二) 重要発言 (五)まで続く
From:西尾幹二(B)
Date:2003/07/16 09:05
上記の文章は理事会で取り上げられ、激しい議論を呼んだが、現行版の執筆者代表である私の「要望」を今後も編集会議は尊重する、という理事会決定がともあれなされた。ところがこの結果、問題は即座に解決したかというと必ずしもそうではなかったらしい。私は編集会議に入っていないから、何が起こっているかまるで分からないままで時間が経過した。
先行きを憂慮している私は、執筆者会議に中間でメモを送り、あらためて同趣旨を強調し、加えて『文藝春秋』平成13年12月号の拙稿「歴史教科書問題は終わっていない」(『日本の根本問題』所収)のコピーを全執筆委員と全関係編集部員に送り、ぜひこのような精神でやってほしいと訴えた。同論文は、「東京書籍」の事実羅列の単調な叙述法をことばをきわめて排撃している。そして、比較文明論的視野と因果関係のつながる物語性の維持をつよくあらためて要請した。
しかるに5月7日の教科書改訂特別会議でようやく提出されたテキスト第一素案は、私の要望や期待とは大いに食い違っていた。それは扶桑社編集部が最初から企てていた「教科書的な、余りに教科書的な」書き方で、小じんまりとまとめられていた。私がしきりに言ってきたこと、お願いしてきたことはものの見事に無視されている。こんな平板で無味乾燥な文章のまますべてが進行したら、教科書が世にでたとき、期待している会員はじめ多くの人々をひどく失望させるに相違ない。それだけではない。何のための教科書運動であったかの根本が広い世間からも疑われるであろう。
このまま現委員に任せっぱなしでよいのだろうか。このとき私は、口出しする正式の資格が私にないだけに悩んだ。編集会議に乗りこんで行ってなにか言っても変えられるものではない。すでにあれだけ言って、なお変わらない。口で言っても、文章で説いても恐らくダメだろう。よほどの挙に出ない限りこれ以上なにかを少しでも動かすことは難しいだろう。私は正直、途方に暮れた。
教科書を担当している扶桑社の書籍編集部は、じつは私の一般書籍の出版を引き受け、私がひごろ世話になっている部局でもある。現に同じ時期に『日韓大討論』の製作が進行中で、5月30日付で同書が出版されている。書籍編集部の責任者M氏はPHP時代に『国民の油断』を出版した歴史教科書問題のベテランであり、「つくる会」運動に最初から関わってきた出版サイドの中心人物にほかならない。
彼が問題の所在が何処にあるかを知らぬはずはなく、彼に悪意や変心があるなどとはまったく考えられない。私は彼の人柄をよく知っている。彼は私の永年の盟友である。しかしリライト作業が始まってから以降、「つくる会」の教科書を他の七社の教科書とは異質なものとして際立たせ、主張するのではなく、できるだけ同質のものに近づけようとする平均化への働きかけが、強力に、休みなくわれわれに向けられた。
私はM氏自身さえ気がついていないなにか別の力が目にみえない形で作用していると考え始めていた。採択を成功させるため、という表向きの理由はよく分かっている。私はそこにもうひとつの別の力が介在している、と言っておきたいのである。分かり易くいえば、文部科学省と教科書協会の予測不能な圧力を、扶桑社自身がなんとなく予感し、意識し始めているということである。
しかし、だからといって、今の私の目の前に出されたテキストの第一素案の現物を「これで結構です」と黙って看過すこは私にはできなかった。
「新しい歴史教科書」の運動はこれまでに数々のストレスの多い苦難をくぐり抜けてきた。しかも運命の岐れ目で、私の身ひとつに重荷が一挙にかかるケースがきわめて多かった。小林よしのり・西部邁の両氏の追放がさいごの苦難かと思っていたが、また再び、先行きのみえない決定が迫ってきた。必ずしも理事たちが私についてきてくれるかどうか分からない不安な選択の前に私は立たされている自分を意識した。
しかし、恐らくこれが最後だろう、と私は思った。田中英道会長はすでにヨーロッパに長期研究滞在中で、相談できない。頼みは藤岡信勝氏ひとりだが、彼が私の意を体し責任をとってくれることをひたすら祈ったものの、先立つ理事会でわれわれ二人は激しく衝突しているので、彼の心は読めない。
次に掲げる文章は、このときの私の置かれた一大岐路の表現である。この文章を私は、つくる会の理事や扶桑社の関係者を越えて、教科書運動に協賛して下さってはいるが、明らかに外部にいるより上位の立場の複数の方々にあえて送った。勿論、非常手段である。私は自分でコピーを作成し、封筒書きをして、郵便局へもって行って、自ら投函した。
私が最も信頼している朋友の一人である伊藤哲夫さんは、私のこのときの文書行動に反対だった。「西尾先生、私は何が起こっても先生について行きますが、しかし、これは危険な賭けですよ。先が読めません。」伊藤氏は会の分裂、瓦壊を恐れていたのである。
私は伊藤さんにこう言った。「あなたは政治的に判断します。私は文学的に判断します。その違いです。許してください。」
彼からよく分かったという長文のファクスをもらって感激したが、それは郵便を投函した後であった。
この項は(五)までつづく
脱字等訂正.H15/7/16pm1:30
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Subject:平成15年7月15日 (三) 重要発言 (五)まで続く
From:西尾幹二(B)
Date:2003/07/17 09:12
私が直接の関係者を越えた、複数の上位の方々に投函した手紙は次の通りである。
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前略
「新しい歴史教科書」の関係者のみなさまに申し上げます。今進行中の教科書改筆作業の結果に私は重大な疑義を抱き、この侭いけば会本来の目的にそわない教科書の出現を甘受しなければならない不安を覚え、関係のみなさまのご高配をたまわりたく、急遽筆を執りました。
「新しい歴史教科書」の今までの改筆結果を見させていただき、私が抱いた疑問は、本文テキストの(一)物語性をできるだけ削いでしまったこと、(二)事実の単調な羅列に近づいていること、(三)叙述の先にくるテーマを前に語ったり、前のテーマをもう一度もち出したりする評論的叙述の仕方をことごとく削り取ってしまったこと、(四)大化改新の例にみられる具体的場面描写などを叙述から外してしまい、せっかくの面白さをなくしてしまうこと、(五)神話、日本語の誕生、アヘン戦争の中国の敗北に中国や韓国はなぜ恐怖しなかったかのわけ、ペルーの率いた米捕鯨船団のルートや捕鯨目的の具体的な説明、欧米列強に対応した近代日本の三つの前提(一八四〜一八五ページ)などを全部コラムにまわしてしまうということ、(六)コラムが乱立し読みにくくかつ使いづらくなること、(七)なによりもいけないのは歴史の背後に一貫している一筋の流れが消えてしまったこと、等々から、本文テキストは著しく単調化しました。自虐的表現はありませんが、従来の月並みな教科書スタイルに近づき、無味かつ平板な叙述となりおおせております。改筆作業をすすめる編集会議は、現行版の内容を堅持すると再三強調していますが、とうていそういうものではありません。
私たちの教科書は「読み物」であることを最大の特徴としています。学校の先生がいなくても子供がよんで分る教科書なのです。それが歴史叙述の理想です。理想に近づいている教科書なのです。
勿論一部の難しい表現は少し平易化した方がよいでしょう。中学生に不必要と思われる知識は削った方がよいでしょう。けれども私たちの教科書の最大の特色であるリーダブルな筋の展開のある魅力を捨ててしまうことは許されません。
ここで「史」の裏表紙に掲げた趣意書の一文をもう一度よんでください。
「手にする一人ひとりが歴史に連なる自分を感じられる日本人の物語。世界の中の日本を、品格をもっていきいきと描写した日本人の自画像。私たちは、そんな『新しい教科書』を子供たちに届けたいと願っています。この小さくつつましやかな目標の実現すらが無限にむつかしい『現代』という時代。その時代の壁に、私たちは挑戦しつづけます。」
さて、現在までの改筆部分をみて、なぜこんなことが起こったかといえば、約三十五%程度に及ぶページ数の大幅削減が、以上みた表現の単調化、物語性の欠如、事実の平板列記を招いている主原因だと思われます。どなたが執筆担当をしても、これほど削減すれば、現行教科書の血と肉を削いだ骸骨のような叙述にならざるをえません。
少しでも現場の教員の通念に合わせることで採択してもらいたいという欲求のために、会は本来の目的を見失っています。文部省はページ数の制限を求めていません。教科書協会が文部省との間で話し合ったと称して、ページ数の大よその目度を示しているだけです。ページ数の目度も独禁法では許されない「談合」なのです。すでに市販本を出すなど教科書協会の枠を破って行動してきた「つくる会」の教科書が、今さら教科書協会にすり寄り、その基準に合わせてみたところで、だから採択に有利になるという保証はありません。採択のために、できるだけ世の教科書の外形に自分を合わせたいという編集会議と扶桑社スタッフの気持ちも分らないではありませんが、それは前回の失敗が生み出した心の迷いです。自らの特色、自分のもっている良さを見失ったら、元も子もないのです。
そこで以下私は編集会議と扶桑社スタッフに次のことを要求します。
①五月二十三日付「つくる会FAX通信」が明示した「総ページ数を320ページの現行版より約100ページ減」の方針を改め、削減幅を約20ページ減の程度に修正する。
②本文テキストは表現の平易化、漢字の平仮名化、中学生に不要な知識の削除などを主な改筆作業の課題として、現行教科書の叙述の流れと表現とを可能なかぎり踏襲する。(ガラリと別のイメージを与えるものにしない。)
③現行版のコラムをもう少し整理短縮し(例えば現行二ページの人物コラムを一ページにしたり、コラム「日本語の起源と神話の発生」や「明治維新と教育立国」——これらは私が書いたものですが——などをとり除く等)主なページ削減はそういうところで実行する。
以上はすでに改筆作業の始まる前後に、編集会議のメンバーに、私が文筆で二度、理事会で一度、要請した内容とほぼ同じです。私の要請は三度無視され、その結果、教科書は今のような状態になっています。
田中会長は一月のメール通信で「三割削減でも、内容の変更でもありません」と公言し、宮崎事務局長は『史』五月号で分量削減について巧妙に逃げています。そして先述のとおり、五月二十三日付のFAX通信では320ページの中の100ページ減、をついに告知しました。
すべてを内緒にして、ことを運んでしまおうという、臭いものに蓋という対応の仕方は、公明正大にやってきたつくる会の本旨に反します。
七月十二日総会を前にし、私はまだ間に合うと信じ、最後のチャンスに賭けるべく、編集会議のメンバーと扶桑社スタッフのみなさまに、今までの作業を白紙にもどし、右の①②③の条件ですべてをやり直して下さるように、ここにあらためてお願いします。
聞く処では扶桑社スタッフにおいては、内容では勿論なく形式やスタイルにおいて、われわれの教科書が東京書籍に似ることを理想としているそうであります。編集会議のメンバーの藤岡先生も、「つくる会」教科書が採択の場で“醜いアヒルの子”扱いされないために、外見を他の会社のものに似たものにすることを戦略と考えると仰有っております。しかし、平成十三年度の採択の失敗が心の迷いを生み、みなさんを小手先の戦術に走らせているのではないでしょうか。
会の本来の精神に立ち還ることを私は求めたい。ほかの会社のものより部厚くなってもかまわないのです。歴史教科書のあり方そのものを問うという精神ではじめた改革運動でした。月並みなものの軍門に屈するならやめた方がよい。
私はつくる会の分裂が外部で噂されないために、平成十七年夏まで現在の私の位置を維持し協力の姿勢を保ちつづけるつもりですが、リライトされた教科書の叙述の結果いかんでは、奥付から私の名を外していただくようお願いすることになります。
私の①②③の改筆方針はこれまでに三度黙殺された現実にかんがみ、残り時間も少なくなっているので、本文書を編集会議と扶桑社のスタッフの枠を越えて、われわれに協力する重要な関係方面に訴えます。
もはや私の力を越えたところですべてが行われております。私は会の理事でもなく、編集委員でもなく、いかなる権限もありません。ただ現行版の代表執筆者として傍らで観察する役割を与えられていると信じ、ここに警告を発し、ご協力をお願いする次第です。
私は現行版の維持にこだわっているのではありません。そうではなく、現行版をいっぺんに解体して一から作り直そうとするということで果たしていいのか。現在リライトを進める編集会議と扶桑社のスタッフに誰もそこまでの権限は与えていないはずです。分量を三分の一も減らせば一から書き直すしかないのです。本のリズムはこわれてしまいます。分量を大幅に減らす方針を扶桑社サイドから出され、会が押し切られたことに最大の原因があるようです。
以上のことを訴えるべく 本文書を貴方様にあえてお送りしました。趣旨をよくご賢察くださり、実効あるお力ぞえをおねがいします。
敬具
平成十五年五月三十一日
脱字等訂正.H15/7/17pm3:10
この項は(五)までつづく
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Subject:平成15年7月15日 (四) 重要発言 (五)まで続く
From:西尾幹二(B)
Date:2003/07/18 07:31
これを出した後、会が大揺れに揺れたことは間違いない。宮崎事務局長はさぞかし苦労されたであろう。しかし「ページ数の上限は文部科学省に指定されている」という扶桑社編集部の日頃の主張が根拠なき虚報であることを突き止め、これを私に教示したのは事務局長であった。
私のいない執行部会議が何度か開かれたようだ。そして藤岡氏が中心となって、リライトのリライトが始まった。6月25日と30日に分けて、律令国家までの素案が私に手渡された。見違えるようになっていた。私はひとまず安堵した。私の考える現行版の若干の削除とは違う方法であって、全体の書き直しではあるが、現行版の精神はそれなりに生かされ、冗漫な部分はカットされて、ひきしまっている。これについては、12日の総会のメッセージで、私は既述のとおり、次のように述べている。
「書き修された新しい文章は、現行版とは印象は違いますが、より簡潔になり、物語性も残して、苦心の跡がうかがえ、教科書らしい一つの新しいヴァージョンの誕生といってよいように思います。律令国家までは合格点がつけられます。」
私は藤岡氏がしっかりと私の意向を受け止め、危機を乗り切ろうと一身に責任を背負おうとしていることに感銘し、また感謝した。それもこれも、教科書問題に対する氏の執念の強さ、あるいは愛情の深さに由来するものと考える。
勿論、道半ばで、これからが大変なのだが、12日総会に出された第3号議案の「教科書改訂の方針」②の中で、恐らく藤岡氏の筆になると思われる文体で次のように記されている文言は氏のひとつの覚悟を示していて、私には心強い。以下は総会の翌日の13日に、総会に病欠した私にファクスで知らされた。
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もし、判型などの改善や記述のわかりやすさを求めるあまり、他社と区別のつかないような記述になってしまっては、新しい教科書を発行する意味がそもそもない。現実の作業の過程では、このような傾向に陥る危険性は確かに存在する。そこで、会としても、現行版の歴史観を堅持する必要を改めて確認したい。具体的にいくつかの点をあげれば、次の通りである。
a) 国際関係の中での日本の位置づけを重視し、日本の立場から歴史を書く。日本文明は他の文明との交流と緊張関係のなかで自己形成をとげてきたことを明らかにする。
b) 中国文明の摂取とそれからの自立をテーマにした古代国家の形成期と、西洋文明と対峙した近代国家の形成期を特に重視する。
c) 歴史の因果関係や、意味を明らかにし、物語的な記述を生かす。
d) 事実の記述のほかに、歴史教科書記述の原則を損なわない範囲で、歴史評論的な記述を生かす。
e) 美術史に特色を持たせる。
上記の諸点とも関連するが、文字量の問題に触れておきたい。授業時数の三割削減に伴い、他社は前回に比べて記述の量を大幅に減らしてきた。『新しい歴史教科書』は、この変化をほとんど反映していない。これが、判型のちがいとも相俟って、「文字が飛び抜けて多い」かのような印象を与えた理由であろう。改訂に伴い、若干の文字量の削減は当然必要になるが、出来上がってみなければどの程度になるかはわからない。ただし、現在の進行状況から見て、機械的に3割削減ということにはならない。物語的な記述スタイルを残し、しかも簡潔な記述に変えることは難しい課題であるが、上記の諸点に関する方針をそこなうような書き直しはすべきではない。
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私の考えるリライトの方向や意図、というより教科書の叙述の本来の精神はこれをもってしっかり理解され、継承されたと私は今は実感している。藤岡氏にはいい意味での政治的判断力があり、実際的行動力がある。後は静かに結果を待つ心境である。
関係各位にはさぞ容易ならざることとは思うが、どうか藤岡氏を扶けて、われわれの未来の目標の達成と理想の実現に向けて今度こそ力強い第一歩を踏み出してもらいたいと思う。
この項は(五)までつづく
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Subject:平成15年7月15日 (五) 重要発言
From:西尾幹二(B)
Date:2003/07/19 09:28
以上で私の「教科書リライト問題」への関与報告は終わっていいのだが、あと二点ほど追記しておきたい。「つくる会」は今まで会員に対し言葉だけの約束を数多くしておきながら、実現していないことが少くない。上記のリライト方針も言葉だけの約束で終わらないようにしてほしい。
律令国家までがうまく行ったのは、文字数が現行版の10パーセント程度の減量で終わったからである。くどいようだが、量は質を変えるということがこの問題の鍵であって、平安から現代に至るこれ以後のリライトで、扶桑社編集部からの、再度量を減らそうとする捲き返しが予想されるので、藤岡氏が前記文章のさいごで、10パーセント程度の減量で行くと明言されていないことは、多少とも私には気懸かりになっているのである。
さらにリライトそれ自体ではなく、リライトを取り巻く条件の変化という問題がある。それはすなわち文部科学省と教科書協会——この二つは裏で手をつないでいる{http://nishio88.hp.infoseek.co.jp/right.html(http://nishio88.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/wforum.cgi?no=26&reno=no&oya=26&mode=msgview&page=0)(北の狼・教科書協会発言参照)}——が、つくる会と扶桑社に対し今度は前回と同じ行動をとらせまいと今から手ぐすねひいて待っていることである。扶桑社が早くもそのことを意識し始めているのではないかという私の推測は前に書いた。扶桑社が市販本をためらっているのはその現われである。
幸いにも公正取引委員会が教科書採択のあり方に疑問を持っている。公正取引委員会は文部科学省のやり方に批判的であることを私たちは前回の経験を通じて知った。それゆえ、早めに先手を打って、文部科学省に採択のやり方の公開、あらゆる教科書の市販の自由化を求め、「談合」組織としての教科書協会の存在をあらかじめつくる会と扶桑社が公取法違反として訴えておくというくらいの積極的行動にでなければとうてい勝ち目はないであろう。勿論文部科学省との癒着の仕組みはマスコミの官僚攻撃キャンペーンにのせなければいけない。
前回のわれわれの教訓は、判型で差をつけられ、藤岡氏がよく引き合いに出す「醜いアヒルの子」扱いをされたが、それをした張本人は談合組織・教科書協会である。しかもここは文部省高官の天下り先である。「薄められたマルクス主義」の砦・「東京書籍」や「山川出版」はがっちり彼らと手を結んでいる。判型とはまた違う、別の悪だくみをわれわれに仕掛けようと今秘そかに画策しているに相違ない。
つくる会と扶桑社は彼らに仲間入りして採択のおこぼれに与かるという方法で未来を打開することができるだろうか。文部科学省が「薄められたマルクス主義」の城であるなら、まったく別の力、国民運動の力で、この城主でさえ手の出せない別の方法を見出していく以外にやりようはないのではないだろうか。
アンデルセンのお話によれば、「醜いアヒルの子」はいじめられているうちに成長して、美しい白鳥になって大空へ飛んで行った。アヒルの仲間にならなかったからである。「醜いアヒルの子」のままであくまで押し通す、という心構えでいたから白鳥になれたのである。私たちもそうであってよいのではないか。
以上
(参考)日録感想掲示板〔426・北の狼〕に次の重要な指摘があるので、追加付記させていただく。
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(抜粋)
西尾先生の指摘はその通りで、(リライト掲示板でも書きましたが)公正取引委員会は1999年の10月8日に「社団法人教科書協会に対する勧告」 として、以下のものを出しているのです。
・「4 排除措置 (1) 教科書協会は、会員が発行する予定の小学校用、中学校用及び高等学校用の教科書について、会員にそのページ数、色刷り度数等を記入した教科書体様届と称する届出書を提出させるなど、当該教科書の規格が、同協会が決定した体様のめやすに適合しているか否かを調査し、体様のめやすに適合していない教科書を発行しようとする会員に対し、体様のめやすに適合するように当該教科書の規格を変更するよう要請し、当該教科書の規格を変更させている行為を取りやめること。」
・また、公正取引委員会は1999年10月29日に「学校向け図書教材の出版業者に対する課徴金納付命令」 として、小学校及び中学校向け図書教材の出版業者17名(延べ20名)に対し、独占禁止法第48条の2第1項の規定に基づき、課徴金の納付命令を行っています。各社が共同して、ページ数、刷り色数、判型等の規格及び小売価格の引上げ等を決定し実施していたことが、独占禁止法第3条違反、同法第7条の2第1項に規定する「商品の対価に係るもの」に該当するというのが理由です。