Subject:平成15年7月30日     (一)        

From:西尾幹二(B)

Date:2003/07/30 11:40

 雑誌『正論』と『諸君!』はそれぞれ部数を競っているが、合わせて20万部にはわずかに及ばない。18万部くらいであろうか。『Voice』を入れて、保守派現実主義のオピニオン誌の読者数は大略20万人を数万越えるかどうかと考えていいのだろう。たえず上下するから、正確なところはわからない。

 

 私はこの約10倍の人々が保守主義のゆるやかな支持層を形成していると思っている。オピニオン誌の世界では左に属する『中央公論』も『世界』も『論座』もそれぞれ1万とか2万とかあるいは1000単位の発行部数だときくから問題にならない。

 

 オピニオン誌だけみていれば10年前に比べて保守派の圧勝である。支持層の巾はかくも急速に広がっている。現実思考をしている人が日本の物を考える知識層において確実に増えている証拠である。一昔前に比べれば隔世の感があると言ってもいいほどである。けれども、今述べた数字が恐らく支持層の現在の限界であろう。その外側にはテレビと新聞だけで物を考えている1000万単位の国民大衆がいる。そして、彼らとほぼ同質の「リベラル中間派左翼」という知識人がいる。この手の知識人はわれわれと本気で論戦しようとしない。すれば論理で負けるからである。けれども、テレビや新聞の烏合の衆の力を借りて、ムード的思考でわれわれを脅かしている。

 

 例えば、拉致事件で日本人は現実に目が覚めたという。国際政治の厳しさを前よりは少し考えるようになったという。それはある程度はいえるかもしれない。けれども被害者は可哀そうだという感情が前提にある。そして、それは瀋陽の外務省公館の門で押し合いへし合いした幼い北朝鮮の女の子も可哀そうだし、イラク戦争で傷ついたバグダットの子供たちも可哀そうだ。みんな可哀そうだ。こういう悲劇はあってはいけない、というレベルの一般的な非政治的感情に立っている。拉致事件は主権侵害だから許されないのだとは首相ですら言わない。

 

 昨日早大のある学生が言っていた。日本の捕鯨の正当さを訴え、学内でシンポジウムを企画した。鯨の捕獲は科学的に正しい。数の増大した現在の鯨によって食べられる水産資源の減少がむしろ人類を脅かしている。そういう事実を訴えようとして学内に語りかけたところ、学生の中で「なぜそんなに他人のことに一生懸命になるのか分からない」というような不思議な顔をする者が多数いて、そのものの言いように唖然としたという話である。これが今の日本である。

 

 テレビの言う通りだと思っている烏合の衆は学生にも、知識層にも、政治家にも広がっている。彼らが現実の日本の行方を左右している。私や「つくる会」のメンバーがいくら声を大にして叫んでもどうにも動かない現実がたしかにある。

 

 私の重要発言(一)〜(五)に対する「日録感想掲示板」の書きこみの中で、私に遠慮しないで言いたいことをきちんと言った「少欲」さんの二つの発言〔463〕〔470〕は仰有るとおりで、たしかに正鵠を射ている。〔470〕で「西尾さん達の言動は、シンパの人にしか届かない」と彼はにがい言葉を言い放った。また「採択問題では(意図に反して、逆に)大衆を大きく敵(反対)側に追いやってしまっているという現実を認識しておられないようですね。『一歩も二歩も前進』ではなく、実際には『五歩も十歩も後退』していると見るべきではないでしょうか。」これも多分仰せの通りである。尤も、朝日新聞がそう思いたがっていることを仰言っているだけだという面もあるが、私自身もそういう現実を片目でじっと観察している。

 

 テレビや新聞の言う通りだと思っている「烏合の衆」はわれわれが主張すればするほど戸惑い、退くという性情がある。いかんともしがたい。捕鯨問題で「なぜそんなに他人のことに一生懸命になるのか分からない」とキョトンとして言う学生大衆層を前に、反捕鯨の不合理をいくら説いても説得しようがないのと同じである。拉致問題で日本人は少しは変わったかと思っていたが、「可哀そうだ」としか考えていない人々は、結局なにも本質的に考えていないし、変わってもいないのである。こういう人々を相手に正論を説く難しさはいわれるまでもないことである。しかし「少欲」さんの言うように、大衆に正論を説くのではなく、「大きく敵(反対)側に追いやってしまった大衆に『左翼マスコミへの警戒心を生む』」という「大戦略」が必要だというのは、具体的にどうしたらよいというのだろう。

 

 「大戦略」の必要は分かっていても、何をどうやっていいのか、キョトンとしている大衆にはお手上げで、方法が分からず、力及ばないわれわれには手の打ちようがないのである。

 

 「少欲」さんは〔463〕で、採択の失敗は「ミッドウェイの完敗に相当する」とここでもズバット直言して、さらに「つくる会」が日本再生という大局(戦略)に着眼したのは評価していますが、教科書是正運動から着手したのは結果論からいえば戦場を間違えた(もしくは時期尚早、天の時を得ていなかった)と思っています」という絶望論を述べておられる。これもある意味で急所を衝いているご意見とは思うが、私や私の仲間を少し買い被っているように思える。

 

 文系の知識人であるわれわれには日本再生という大問題が先にあったのではなく、教科書是正運動という小問題が先にあったのである。誰でも人間は自分の身の丈に合った、自分に出来ることしかやりようがない。しかもその「小問題」でさえ、従軍慰安婦を全中学教科書が採用するという「敵失」があったからこそ、国民の怒りを買い、一応大きな反対運動にまで展開することが可能になったのである。「日本再生」という「大問題」は運動の形態にはなり得ない。なり得るとしたらどんな形態が考えられるのか。

 

 雑誌『正論』と『諸君!』が合わせて20万部近くにまで部数を伸ばした事実は、1960年代に竹山道雄、福田恆存、林健太郎、平林たい子、関嘉彦、武藤光朗、木村健康の諸氏が『自由』に結集し、細々と現実主義的保守の立場を訴えていた時代——家永教科書と戦うなどしていた——と比べれば、私からみると隔世の感がある。日本再生という「大戦略」がほんの少しづつ地歩を占めてきた証しと思えている。

 

 今われわれの無言の支援者は150〜200万人くらいはいると私は思っている。ようやくこのあたりまできたのである。しかしそれ以上伸びない。多分それが現実の限界である。しかし、われわれが正当さを言いつづけること、訴えつづけること以外に、あの巨大な烏合の衆をいっぺんに動かし、いっきように物事を一大転回させ得る妙案、効果的な「大戦略」はないものと考えている。

 

 「日録感想掲示板」の中で私の目を射た現実感覚のある二つの鋭いご文章に対し、「少欲」さんに御礼申し上げるとともに、「大戦略」の具体性のある秘策、実現可能なアイデアを授けてほしいと切望するものである。

 

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Subject:平成15年7月30日     (二)        

From:西尾幹二(B)

Date:2003/07/31 11:47

 それからもう一つ言って置かなければならないのは、戦略を考えてもその通りにはいかず、国際政治の状況の変化で国内でも一挙に風穴が開いて、その穴がどんどん大きくなるという思いがけない急変化が起こらないともかぎらないことである。夢みたいな話だが、他方、朝日新聞が悪夢のように恐れているのはその急変の可能性である。

 

 それから「少欲」さんの言うような悲観論がなぜにわかにこのサイトでも突然気楽に語られるようになったかというわけを少し考えてみよう。拉致問題で怒りが国内で沸騰し、イラク戦争への緊張が高まっていた時代にはこんな悲観論は表に出てこなかった。

 

 ところがアメリカはイラクでいまだ政情不安に手こずっているし、予告した大量破壊兵器が発見されず、ブッシュ政権は受身になり、来年の大統領選挙を前に、東アジア政策でも慎重になっている。それを受けて、小泉政権は一ヶ月前よりも立場が不利になっている。人は空気の変化に敏感である。

 

 反米が国民に受け入れられなかった朝日新聞とその系列のマスコミは、いまにわかに逆襲のチャンスをうかがい始めている。小泉政権の内部からもいろいろキナくさい臭いが立ち始めている。情勢の変化が生じている。

 

 「少欲」さんの悲観的な意見は、「日録感想板」のような小さな場所にも変化の風が吹き出していることを示すのである。しかし、情勢がまた変われば、風は逆に吹き出し、突風となって大きな石壁をも吹き倒してしまうことが起こらないともかぎらない。

 

 われわれは小さな努力を積み重ね、静かにその日を待つしかないのである。