Subject:平成15年5月25日(一) /From:西尾幹二 /Date:2003/05/25 00:16

 「日録」読者のみなさまにはかねて予告しておいた金完燮さんとの対談本『日韓大討論』(扶桑社、\1429)が本日、発売される。「朝日」と「産経」にそれぞれ今日、広告が出るはずだと伝え聞いている。

 対談は本年1月23、24、27日の三日にわたって行われた。「日録」(1月25日)に対談の空気はあらまし伝えたので、ご記憶の方も多いであろう。あれこれ内容の説明をするのはやめ、ここに2ページにわたる私の第一発言を掲げておく。本の基調をなすトーンはここからしっかり読みとっていただけると思う。
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 最初に金完燮さんの書かれた『親日派のための弁明』(草思社)の主題を大づかみにし、そのうえでわたしの感想を述べてみたいと思います。

 わたしは、韓国併合に関するあなたの考え方を次のように理解しています。李王朝の封建体制を、市民革命を起こして打ち倒す力が韓国にはなかったので、結果的に日本がその市民革命の役割を果たしたようなかたちになった。それをみんな誤解しているのではないか、というモチーフが中心にあると思います。

 日韓の間には1905年の乙巳保護条約と1910年の併合条約がありますが、あなたは日韓の併合条約は市民革命を完成するのに必要不可欠だった、日本は併合して韓国人を日本人として扱ったので、大々的な資金コストがかかったが、革命という大義を果たすことに成功したと分析しています。そのような歴史解釈は韓国のかたには大きな驚きでしょうが、わたしにも新鮮で、小さくない驚きを覚えました。

 日韓併合で韓国が得をしたことは間違いありませんが、わたしは日韓併合は日本側からすればむしろ失敗だったと思っています。韓国をむしろ保護国のままにしておけばよかった。韓国が得をしたぶん、日本は損をし致命傷を得た、という見方も成り立ちます。同じ事象を見ながら、併合をあなたは成功だと見るが、わたしは失敗だと見る。一つのものを同じ原因から対極的に見た二つの見方です。

 もちろん、私の併合失敗論は「日本は併合して韓国に罪深いことをした。申し訳ないことをしたから失敗だ」という意味ではありません。贖罪からの間違い論ではありません。日本がしないでもよい親切をして、痛手をこうむったという見方です。

 南下するロシアに対する安全保障のためだけなら、併合は必要ではなく、保護国のままにして資金と兵力を南満州に注ぐべきだったのです。日本側の併合論には、日韓は親類だという政治的甘さと心の不用意がありました。わたしが今述べたようなこうした歴史の見方は、最近日本でもぼつぼつ出てきましたが、韓国の方と討議を交わす例はこれまでありませんでした。思い切った論点にまで及ぶ議論ができるようになったことが、あなたの出現とご本の素晴らしさだと思います。

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 『日韓大討論』は277ページ、活字も大きく、発言ごとに行間もあり、読み易いはずだが、読者はたえず立ち止まり、考えに耽けり、小さくない驚きをかき立てられつづけるものと思われる。
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Subject:平成15年5月25日(二) /From:西尾幹二 /Date:2003/05/25 13:48

 『日韓大討論』の「まえがき」を書いたのは金完燮さん、「あとがき」は私だが、金さんの近況報告を綴ったこの「まえがき」を読むだけで、国家権力を挙げての迫害と有罪処分にこの国の目をみはらせる異常ぶりをあらためて知り、慄然とするものがあった。今年の三・一独立運動記念日には、ソウルの都心で「金完燮火刑式」が開かれ、彼に反対する街頭デモが行われたそうだ。

 検察は刑法で彼を裁けないので、歴史上の人物である閔妃の「死者名誉毀損罪」という韓国に特有の法律を持ち出して、閔妃の八親等内の子孫をみつけ出して告訴にこぎつけるという手のこんだ遣り方であった。加えて「外患誘致煽動罪」という国事違反でも裁こうとした。後者は罪になると死刑か無期である。幸い2月に下った判決は700万ウォン(約70万円)の罰金刑ですんだが、有罪は有罪である。他の反日団体が有罪判決に鼓舞されて、新たな訴訟を次々と準備しているという。裁判所は彼の身辺保護要請を無視しているので、彼は身の危険をかんじているらしい。2月の判決の日には、法廷の外で待っていた閔妃の後裔によって、金さんは激しい暴行を受けた。

 「死者名誉毀損罪」などというのは儒教朱子学の残滓で、どう考えても近代法の観念にそぐわない。こと「反日」になると、官民あげて学問の自由も、言論の自由もいっぺんになくなってしまうこの国の異常さは、第二次大戦後の反日教育の影響では説明がつかない。600年前からの歴史、李氏朝鮮王朝の儒教の因襲の墨守とその独特な序列意識に深く関係しているのではないかと思う。

 私は5月17日徹夜して『正論』論文を書き了えてから、すぐに「他者としての朝鮮半島」(『諸君!』7月号)にとりかかった。明け方6時までの執筆を再び三夜くりかえして、22日午前2時に35枚を脱稿した。同じ月に二論文を書くのはやはりきつい。〆切りがほぼ重なるので、時間の綱渡りになる。

 「他者としての朝鮮半島」では金完燮さんへの国家的迫害がなぜ起こり、反日の構造がどういう歴史文化に由来するのかを考察してみた。元東京銀行ソウル支店長湯沢甲雄氏の証言と分析をまず紹介した。さらに日本民族のルーツは朝鮮半島であり天皇家も半島に由来するという韓国の古代史ブームの動機をとり上げた。日本人は5〜6世紀に半島から逃亡した食いっぱぐれの流民たち、罪人、浮浪者を前身として構成されたので、韓国民の賤民階級のさらに下に位置する奴隷階級とみなされて当然であるという、李朝以来の固定観念、起源がより上位に立つという儒教朱子学の宗教感情の病理をいろいろ考察してみた。

 それだけで話は勿論終わらない。日本の江戸時代もまた儒教を教養の柱としていた。林羅山や山崎闇斎や新井白石といった錚々たる顔触れはみな朱子学者である。中国の朱子学、朝鮮の朱子学に比べ、日本の朱子学は社会的政治的役割を異としている。論文ではとくにこのことに注目した。学者が官となり、地方の知事となる大陸の郡県制度に比べ、武家大名に土地と権力を分有させる日本の封建制度はどの点で、どう違うか。皇帝制度と天皇制度との違いにも関係しているのではないか、といった大きな根本的テーマにも論述はひろがり、一つの仮説を提示してみた。

 金完燮さんの話から始めて、朝鮮海峡の向うには、われわれとはまったく異質の「宗教生活」があるという認識に説き及び、過去の「宗教生活」がその侭の形で残存して現在の病理に陥っている諸相に注意を促した。

 以上は『諸君!』論文についてである。本日発売される『日韓大討論』は、またもう一つの別世界であって、金さんとの多角度からの対話による切りこみである。併せ読んでいただくことで、日本人としての足場を固めてもらいたいものだと思う。