Subject:平成15年9月1日   (一) /From:西尾幹二(B) /H15/09/01 17:13

 私もついに老人になったという話を昨日書いたついでに、今日も昔ばなしから始める。30歳台の終わり頃、早稲田大学の大学祭に講演に行ったことがある。講師は二人で、一緒に招かれたのは梅原猛氏であった。聴衆の中にまだ学生の故坂本多加雄さんがおられたようだ。勿論、私が知るはずもなく、なにかの機会に「僕はその講演会で先生の話を聴いたんですよ」と坂本さんご自身が仰ったことがあるので、初めて知ったのだった。

 じつはこの奇縁が話題になったある席上に評論家の遠藤浩一さん(拓殖大学客員教授・現代政治・戦後政治史)がたまたまいた。そして「僕は西尾先生の講演を高校二年生のときに聴いたんですよ」と突如発言されて、吃驚した覚えがある。

 遠藤さんは金沢のご出身である。そういえば、私は石川県立金沢桜丘高校の創立記念日に講演に行った覚えがある。「校長先生はたしか林忠重先生ですよね。あれからずっとお付き合い頂いているんですよ。」私は遠藤さんにそう報告し、「そうでしたか。あの日の列の中にいらしたんですか。みんな詰襟の学生服を着ていましたよね。いつ頃のことだったかなァ。」「私が高校二年ですから昭和51年(1976年)です。」

 こんな会話を数年前に交わしている。遠藤さんは校友会誌かなにかに載っている講演の記録を持っている、と仰ったが、「へぇー」と言うだけでずっと私は忘れていた。彼はいつの間にか私の最も頼りにする友人の一人になっている。本日9月1日にある会議でご同席する予定だったが、昨8月31日に腰痛と夏風邪で体調をこわしたので、やむなく欠席するとの謝絶の来信があり、つづけて次のような黄長●(=火+華)をめぐる日録の一文について、感想文が書き添えられてあった。(遠藤さんは旧仮名使用者である。)

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 ところで、時々インターネット日録を拝見してゐるのですが、先生が「身近に」感じられるかどうかといふことではなく、一般の活字媒体ではなかなか拝読できないエッセイが読めるのがいいと思ひます。掲示板で展開される議論も水準が高く、大変参考になります。とりわけ、大衆にいかに声を伝へるかといふ問題については、大いに考へさせられました。

 8月29日付の次の一節は、心に響きました。
〈哀れな悲劇とばかり思っていると、死のすぐ横に欲望があり、救国の傍らに権力への妄念があり、壮絶な情念がとぐろを巻いている。人間は生きている限り人間でありつづけて、無常を悟ることはないからに相違ない。しかしこうした歴史の変転を高い処から見る視点もあってもうよいのではないかと不図心に横切るものがあった。政治を非政治的に観念するものの見方もあってよいのではないかと。〉

 不埒な言ひ方かもしれませんが、「哀れな悲劇」と「欲望」が、「救国」と「権力への妄念」が隣り合わせに鬩ぎ合ってゐるからこそ、人生、捨てたものではないのではないでせうか。悲劇を欲望充足の糧にし、救国の名の下に権力への意志を発揮するとき、人間は生きていくことが面白くなり、生に執着するのでせう。戦後日本の経済復興も、この二律背反を巧みに利用したおかげといへなくもありません。

 ただ、かういつた剥き出しの「生」に溺れるのが大衆であるとするならば、知識人の役割は、それを懐疑する視点を提供することではないでせうか。さういふ自覚に立てばたつほど、大衆への説得が途方もなく難しいことに思はされてきて、ときには徒労感さへ感じます。

 小生が政治について論ふとき、常に留意するのは、現実を無視した空論にならぬやう(例へば西部邁氏のやうな)、そして同時に、現実に埋没した小賢しい議論(例へば櫻田淳氏のやうな)にならぬやう心がけることです。その意味で、「こうした歴史の変転を高い処から見る視点もあってもよいのではないかと不図心に横切るものがあった」「政治を非政治的に観念するのものの見方もあってよいのではないか」といふ文章が心に響いたのです。西部氏の観念論も櫻田氏の現実論も、ともに、きはめて政治的です。政治を論ずるにあたつてこそ、非政治的な観念が必要だとする小生にとつて、この一言は重く響きました。

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 ここで述べられている考え方の対比は、私にはピンとすぐくるものがあったが、人によってはにわかには分からないという人もいるかもしれない。固有名詞があがっているが、それはどうでもいい。政治を論じて現実を無視した空論になるか、現実に埋没した小賢しい議論になるか、この二つに流れ易い傾向を警告しているのは、わが意を得た思いがする。この二つがたしかに世に多い。前者は正し過ぎることを具体的手続きを考えずに言う人に多く、後者は相容れない対極論を足して二で割って真中を取って名案のつもりでいる人に多い。

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Subject:平成15年9月1日   (二) /From:西尾幹二(B) /H15/09/02 20:06

 私が遠藤さんに最初にお会いしたのは、彼が民社党中央理論誌委員会に勤務していて、『革新』という雑誌の編集に当たっていたときのことである。この雑誌が『かくしん』と改名し、装いも新たに再出発するに当り、インタビュー記事をとりに私の家に訪ねてこられた。遠藤さんの記憶によると、それは昭和57年(1982年)である。

 遠藤さんも福田恆存の熱心な読者のお一人であった。大磯の福田邸へ平成3年に取材に行き、晩年の先生にお会いしているそうである。「しかし福田先生のご葬儀には行かなかったんです。平成6年のご葬儀の日に、民社党が正式解散しました。解党大会の当日だったんですよ。」「二つのご葬儀だったんですね。」「えぇ。」

 一昨年(平成13年)彼は、『消費される権力者』(中央公論新社)を上梓なさった。気鋭の政治学者としてのデビュー作である。目次をみると、第一章「消費される民主主義」、第二章「なぜ日本を信じないのですか?——小沢一郎」、第三章「リベラル、それは破壊への衝動——管直人・鳩山由紀夫」、第四章「自民党を潰す『トロイの木馬』——小泉純一郎、加藤紘一、野中広務」。

 この本の「後記」に次のように書かれている。「筆者は『政治評論家』を自ら名乗ったことは一度もない。自分を『政界探訪記者』と思ってゐないからである。そんな資格もなければ、意欲もない。」「ただ、筆者は、(中略)『国を思ふ心』だけは大切にしたいと思ってゐる。政治的事象や政治指導者について論ずるにあたって、なによりも重要なのはこれだと確信してゐる。国家から離れた文章は空しいし、国家を忘れた政治は危うい。」

 いい言葉である。心意気がいい。精神がすっくと立っている感じがする。枝振りのいい樹木が風の強い高山の上に踏んばって立っているイメージをこの本は与えてくれる。彼はテレビによく出て政界解説をするたぐいの人ではない。政治を論じ、非政治的になる瞬間が必要だ、という私の先述の言葉に魅かれるといった遠藤さんの心魂がはっきり見えるような姿勢である。

 彼は政治を論じて、政治なんか少しも論じていない。しかしどこまでも政治を論じきる。政治のなか、現実のなか以外に精神の存在場所はない。しかし精神は政治の言葉では語れない。これは矛盾である。遠藤さんはこの矛盾を引き受けている。矛盾を表現する難しい舞台に立とうとしている。

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Subject:平成15年9月1日   (三) /From:西尾幹二(B) /H15/09/03 15:28

 次の対談本が出版され、9月3日全国の店頭にいっせいに出る予定です。

  ┌────────────────────┐
  │ 防衛庁長官 石破 茂         
  │ 評論家   西尾幹二 対談      
  │ 『坐シテ死セズ』恒文社21 ¥1600    
  │                     
  │ 帯広告のことばは、激論10時間。    
  │ 防衛庁長官に国防の覚悟を問う究極対談。
  │ 〈奴隷の平和は望まない!〉      
  └────────────────────┘

 31日に電話で遠藤さんと話をしていたら、彼は高校時代に聴いたという私の例の講演の記録を、私を待たせる間もなく、さっと取り出して来た。その早さにちょっとたじろいだ。

 間もなく私にファクスが送られて来た。『桜高文化』(石川県立金沢桜丘高校)の26号で創立記念講演(昭和51年10月7日):個人・学校・社会——ヨーロッパと日本の比較について——という速記録である。勿論、私はなにもかも忘れている。へぇー、こんなものがあったかァと目を見開いて、しげしげと眺める。

 モントリオールのオリンピックの話題から始まっている。一枚の写真が映し出されていて、演壇の私の背後に大きな日の丸が掲げられている。ここは公立高校である。堂々としたものである。林校長が立派だったんだなァ、と今さらながら思う。

 創立記念日に講演をして欲しいと私の家までご挨拶に訪ねてこられた、今もまだご健在な林忠重先生のもの静かなお姿を瞼に思い浮かべる。先生は金沢の街を案内して下さった。私は料亭でご馳走にもなった。二度お邪魔している。一度は家内を同行している。お世話になったのだ。この日の講演は一度目のときか、2度目のときか思い出せない。

 恐る恐る自分のしゃべったままの古い文章を読みはじめる。私の修正の手が入っていない。十分に整理されていない文章がかえって27年前の自分の心の動きや時代の空気を伝えてくれる。若干読み始めて、遠藤さんの顔がまた浮かんでくる。

 8月31日に私に送ってきた彼の手紙の中の、現実を無視した空論と、現実に埋没した小賢しい議論の二つを区別して、否定した彼の政治批判の考え方の対比が、古い私の講演の中にもモチーフとして存在しているように思えて、オヤという気がした。これは偶然の符合である。

 モントリオールのオリンピックが終った。日本人を一番喜ばせたのは体操と女子バレーであった。選手団が帰国してから一つの報道が反響を呼んだ。青春の数年間を犠牲にし、全身全霊的な情熱を注いで訓練に励んだ選手たちが報いられることが余りに少ない。選手団を代表して監督の某氏がせめて何らかの社会保障と国家的栄誉を、と言ったことばが大変な話題になった。

 東ドイツなど共産主義社会の選手たちに対する国家的な栄誉の与え方、お隣りの韓国でも金メダル獲得者に終身年金が授与される、等のニュースが先に取沙汰されていて、日本の選手は余りに報われていない、可哀そうだという不満が国民的関心事になった。私は講演でまずこの主題をとりあげた。終戦直後の“フジヤマの飛び魚”の古橋選手の世界記録は国民を熱狂させ、国家的栄誉はそれで十分であって、当時はオリンピックの勝者に金銭的報償のないことに格別不満の声があがったという話はきかない。速記録をそのまま少し引用してみよう。

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 共産主義社会や、お隣りの韓国というような非常に全体感が強い国、あるいは、戦前の日本もそうでありましょうが、そういうところでは個人の生きがいというもの、あるいは孤独の解消といってもいいかもしれませんが、そういうものを外枠が造ってくれる、外側の社会、ないし国家が与えてくれる。つまりこれは精神的な意味でですね、心理的な意味で作ってくれる。しかし、私達の自由社会は、いうならば、そういうものを作ってくれるものは何もないというところにあるはずです。すなわち、オリンピックのバレーボールの選手達がどれ位苦労したか、それは想像がつきます。そして、日本という国はその人達に冷たいわけではなく、テレビや週刊誌によって、彼らがたいへん優遇されているということも事実であると思うんですね。ですから、そういう点でいえば恵まれてないはずはないんですが、しかし、何らかの意味での国家的名誉、あるいは社会的な保障というようなものが欲しいとにわかに言い出した。そこでよく考えてみたいのですが、自由主義社会の自由というものは何か。個人でやった人間の行動や価値というものは、個人それ自体に責任があり、また喜びがあるのであって、他や、あるいは国家でもいいし、社会でもいい、そういう外側から与えてくれるものではないということに実は問題の本質があるはずです。したがって、このオリンピック選手団のそうした不満は、外から起こったことに作用されて少し勘違いしているのではないかなあとも思う。またしかし最近になってそういう不満が出てきたということは、日本という国が置かれている今の文明の状況に、何か関係があるんじゃないかなと、様々な感想を抱いたわけであります。

 私達がこの人生にどんな目標があるのか、あるいはどんな意味があるのか、国家や社会が人生に意味や目的を与えてくれるのだろうか。もし与えてくれないのだったらば、人生の意味や目的は何処にあるんだろうか。人生の意味や目的というようなことは、問うまでもなく、若い人の心の中には渦巻いているはずであります。三年生の皆さんも今、あるいはこれから受験勉強を盛んにしなければならない時期に差し掛かってきているわけですね。受験勉強している時は楽しいんです。本当は、苦しいと思っているのは大きな錯覚です。なぜならば、受験勉強が終ってしまって大学へ入ってしまったら、何をしていいんだかわからないということだってあるんです。あるいはもっと過ぎて大人になってサラリーマンにでもなって、毎日毎日生活が単調に流れていった時には、受験勉強で無我夢中で勉強していた時代が懐かしいんです。なぜならば、受験勉強に打ち込んでいるときは皆さんの人生の意味や目的は、問うまでもなく与えられているからですね。それに向かってまっすぐに進めばいいわけですから、生きていくことの形というものは非常に明確であります。

 しかしそういうものがなくなったときの方が問題です。オリンピックの選手にとってもオリンピックまでは、彼らや彼女らの人生の形は明確だったわけでありますが、終ったときに虚脱感が訪れたのでありましょう。そこで、まず第一に考えなければならないのは、人間はみんな孤独に生きているということ、そして、考えてみたら本当は人生に意味や目的はないのかもしれないのです。あるいは、あるかないかを問うこと自体は、みんな一人一人の課題だということです。だからオリンピックの選手は自分の行為として全エネルギーを注いだわけであります。自分自身の心の満足というものが得られれば、それでいいはずです。そのことをまず最初に確認しておきたいと思います。

 しかし他方私は今、日本の国の状況というものが変化してきていて、そういう個人の心と全体との間に大きな開きができていて、個人の心の空しさみたいなものが、非常に強く感じられるようになってきている時代に入ってきている。国家や社会が、そうした意味や目的を与えてくれなくなっているのは本来は当たり前なのに、それが分からなくなっている、ほんの少し不安に感じられるようになっている時代だということを申しあげたい。それはちょうど、東ドイツを中心とする、ああいった共産主義諸国のめざましいスポーツの振興というものと比較してみると、よく分かるような気が致します。しかし、西ヨーロッパ諸国はオリンピックはあんまり強くないですね。そこから明らかに言えることは、日本と同じような文明の状況、すなわち自由というものが、一人一人の課題になっているという似た状況に、やはり置かれているのだろうと思います。

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 今から27年前、41歳の私が高校生を前に一生懸命に訴えているのがわれながら健気に思え、懐かしいし、微笑ましい。自由をめぐるこのテーマは引き続き重要な展開をみせるので、明日以後も何度かとりあげるが、講演のトーンから読者は今も昔も変わらないと思うだろうか、それとも時代はすっかり変わったと思うだろうか。

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Subject:平成15年9月1日   (四) /From:西尾幹二(B) /H15/09/04 17:27
 次の対談本が出版され、9月3日全国の店頭にいっせいに出ました。

  ┌──────────────────┐
  │ 防衛庁長官 石破 茂        
  │ 評論家   西尾幹二 対談    
  │ 『坐シテ死セズ』恒文社21 ¥1600
  └──────────────────┘

 自衛隊に何ができ、何ができないかを明解に検証する。在日米軍は何をしてくれ、またわれわれに何を求めているかも正確に解説する。

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 金沢の高校生を前に私は次のように語りつづけた。
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 今から15年か20年くらい前、したがって昭和30年代の前半あたりを想定していただければよろしいんですが、まあ、みなさん方が生れた頃になるわけでしょうか。あるいは、もうちょっと前かもしれませんが、ある私の先輩がアメリカから帰ってまいりました。当時、まだアメリカに行っている人、そんなにいなかったんですが、話を聞いたことがあるんです。アメリカはとにかくすごいよと。どんなに貧しいスラム街でも電気冷蔵庫やテレビが置いてあるし、どんなに貧しい家にだって洗濯機ぐらいはあるんだよ。へぇってなもんですね。アメリカの主婦は、暇でしょうがない、暇をもてあまして困っているらしいよ、というような話なんです。

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 「三種の神器」という神話から借りてきたことばを消費生活の憧れの代表名にする習慣はもうすっかり忘れられたが、昭和30年当時の日本では、テレビと電気洗濯機と電気冷蔵庫を備えるのが各家庭の最高目標であり、「三種の神器」といわれていた。昭和30年代までは食糧難が続いていた時代だから、三つの夢を叶えるだけでも大変なことであった。私が高校生の前で講演をしているこの時期、昭和50年代初頭(1970年代中葉)はといえば、日本の高度成長期の唯中であり、三つの製品はもはや目標ではなくなって、ほとんどどの家庭にもすでに存在していた時代になっていた。

 アメリカ帰りの先輩の話を聞いた昭和30年当時、アメリカの余りの豊かさはアメリカのある種の心の貧しさではないか、という余裕ある認識を抱く日本人はほとんどいなかった。昭和50年代になると、豊かさが日常的になり、日本でも「豊かさの貧しさ」ということを次第に多くの人が普通に実感できるようになってきた。ここでいう貧しさというのは具体的な金銭的貧しさのことでではない。今言った、心の貧しさということである。

 ここで少し長くなるが、再び当日の講演の流れに耳を傾けていただこう。

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 電気洗濯機がなかった時代には、人は手でもって洗濯していて、そのために主婦は毎日たいへんな時間を取られていて、洗濯が家事労働の中で占める割合はきわめて大きかったのです。しかし、電気洗濯機ができたために、主婦の労働時間は短縮されました。またですね。電気洗濯機が欲しいと思って、一生懸命努力していた時代と今とを比較いたしますと、努力していた時代の方が、それを手に入れてしまった今の時代よりもずっと幸福なんです、というふうに考えたこともありませんか。先ほどもちょっとそれと同じようなことを言ったわけでありますが、われわれはその程度のことを求めるために一生懸命努力していたのです。

 日本という国は、戦前は富国強兵と称して、いわゆる西洋列強の中に投げ込まれたために、まず、ヨーロッパに追いつけ、追い越せということから大国として背伸びをして、そしてその仲間入りをするために努力してきました。それで国家目標がはっきりしていたといわれるんですが、実は戦後だってですね、国家目標は明確だったのであります。戦前は建艦競争といって軍艦づくりの競争をしていたわけですが、戦後はGNPの競争をするということで衣が変わっただけでありまして、国際環境の変化に応じて日本は日本として、東京オリンピックから池田内閣成長経済時代ぐらいまでは、闇雲に一丸として走ってきたわけであります。しかし、今、ふと振り返ってみると、当時のアメリカを襲った、「豊かさの貧しさ」というものは今、私達の身辺にも迫っていると言ってもいいのではないでしょうか。

 電気洗濯機によって労働時間が短縮された家庭の主婦は、果たしてそれでは昔のお母さんたちよりも豊かになっているんでしょうか。私はその点については、はなはだ疑問に思うわけであります。すなわち、当時のニューヨークの家庭の主婦が時間をもてあまして、困っていると言っているのと同じようなことが、実は日本の女性にも広がっているような気がしてなりません。すなわち、やることがないもんだから午後のテレビのメロドラマなどを見ていたり、あるいは、お料理教室で井戸端会議を開いたり、といったようなことまで、まあ、学生のみなさん方の世代とはあまり関係がありませんけれども、実際には人間は暇と自由が与えられることによって重荷を背負うということもあるんです。

 最近は週休二日制というようなことが、非常に一般化しつつあるような傾向がございます。労働時間の短縮は、近代社会の進むべき目標としてだれでも疑っていないかにみえます。しかし、いったい、労働時間が短縮されたために残された自分の時間というものを、本当に自分のために生かすことができる人がどれくらいいるのだろうか、ということになると、はなはだ疑問に思うことがあります。なぜならば、自分の時間を自分で処理していくということは、本当に辛い大変なことだからなんです。

 おそらく今の日本人にとっては、より便利で豊かで贅沢な生活ということ以外に依然として生活に目標というものはないんじゃないか。つまり、簡単に言うと、何かのために生きるのではなくて生きるために生きる、ということ。あるいは逆に言えば、何かをするための自由が欲しいのではなく、ただ単に自由が欲しい、ということが広くみられるような傾向でございます。

 週休二日制になって、実は時間をもてあまして困ったという会社の話をいくつも聞きました。ある会社では、仕方がないもんだからサラリーマン諸氏に土曜には会社にでてくるように、そして会社の主催でレクリエーションや講演会や、あるいはまた女性の社員には生け花や、お料理の講習をしたりして、それをその会社の労働課、庶務課みたいなところが担当しまして、大変に好評であったということです。自分の自由な余暇をまでも他人に管理されて、初めて心の安定が得られるということは、これほど大きな矛盾というのか、おかしなことはないわけであります。

 つまり、何かのために生きるという、その何かのためにがなくなってしまっているということですから、ただよりよい生活のために生きるということしか考えなくなってしまう。生きるために生きるということはですね、結局、何かをするための自由ではなく何もしないですますための自由が欲しい、ということでしかないのではないか。

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 このように慨嘆することになにほどかの真実をみていた昭和50年代当時の私のものの言いように、すでに今の人は時代錯誤を感じるかもしれない。あの時代にはにわかに自由になった時間とにわかに便利になった生活環境に対し、日本人全体がたしかに戸惑っていた。戸惑っていたうちはまだ救いがあったのかしれない。今は自由や便利や豊かさに慣れて、これになにももう感じなくなっているのではなかろうか。

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 いろいろな困難や苦しみを少しづつ取り除くのが、近代の歴史であったと言っていいでしょう。貧乏からの解放、家庭の因習からの解放、不平等からの解放、病気や老人になっての生活困難からの解放が、唱えられてきて今日に至っているわけではありますが、私は必ずしも、その解放が完全に行われていると申し上げているわけではありません。けれども、解放ということが自由ではないんだということを今、よく考えなければならないと思うのであります。

 もし、解放ということが自由ならば、解放された後はどうなるのでしょうか。解放された後は全部自由だからもう人は安心して生きていかれるかというと、おっとどっこい、そうはいかないのが人間の宿命なのですね。解放された後の自由こそ、自分で自分をもて余す、本当に自分自身の心の中の厄介な問題になってくるのではないでしょうか。

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 日本という国家が浮標のように海上を漂流している現代の危機は、すでに高度成長のこの時期に始まっていたのではないだろうか。最近の目に余る犯罪の多発も解放された自由を方向づけしないで、無為と無責任の中に放置してきた帰結であろう。

 しかしここで一寸立ち停まって考えてみて頂きたい。自由が多すぎて困るという今見てきたような観念は、じつは自由を量的に計量している考え方の現れである。自由は多すぎるから30%削ればいい、などと考えることができる概念だろうか。自由はどこまでも自由であって、誰かが任意に制限すれば、それはもう自由ではないのではないか。

 自由をめぐる私の講演は次にもうひとつ面白い展開をみせる。

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Subject:平成15年9月1日   (五) /From:西尾幹二(B) /H15/09/05 20:41
 次の新刊の本は、私が北朝鮮危機のあらゆる場面を想定して用意した質問、ひごろ知りたいと思ってきたきわどい内容の質問を防衛の最高責任者にぶつけた問答を主体にして成り立っています。

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  │ 防衛庁長官 石破 茂       │
  │ 評論家   西尾幹二 対談    │
  │ 『坐シテ死セズ』恒文社21 ¥1600 │
  └──────────────────┘

 他方、長官は私に近代日本の歴史と文明に関わる重要な、簡単に答えられない難しい二つの問いをぶつけてきました。私は私で、軍事専門家に学んでしっかり用意して討議の場に臨んでいます。真剣勝負の一冊です。

 日録感想板[860]投稿者無頼教師、「坐シテ死セズ」を読んで、に早くも内容に深く入った、貴重な論評がなされています。ご参考になさってください。

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[860] 「座シテ死セズ」を読んで 投稿者:無頼教師 投稿日:2003/09/04(Thu) 20:58 [返信]

 全体として議論は地に足がついた堅実なものであるというのが第一印象でした。本のまとまりとしても均衡がとれており、一般に政治家の出す書籍の中では、従来になく質の高いものだと言えるでしょう。
 そういえるのは、第一に、本来防衛という限定されたテーマが主題である対談であるにもかかわらず、西尾先生や石破先生の人柄もしくは魅力がうまく表現されているからです。例えば石破家の家風に関する「私の家の中は、自分の目で見て、自分で考えないことは言ってはいけないという方針があったのです。」という話も、その後の石破氏ご自身の北朝鮮訪問につながっていることが確認でき、石破氏の人となりを知る上でも有益でしょう。

 第二に、その人柄や魅力にとどまらず石破氏の日常のメディアでは伺えない国防に対する意識のあり方が克明に記されている事にあると思います。例えば石破氏が戦前の日本人の若者にノブレス・オブリージュがあったのか、という問いかけには非常に重いものがあるように思えます。第二次世界大戦が始まった当初、アメリカの若者達は、後に大統領になったアイゼンハワーからブッシュ父に至るまで進んで軍務についているのに対し、日本の若者は「学業に励み、時には銀ブラを楽しんでいた。また、金持ちの中には徴兵を逃れるために子息を大学に送っていたものもいた」という指摘に石破氏はショックを受けたと告白しているのです。「なぜこのように日米の対応が違ったのでしょうか。(・・・)恵まれた立場の人たちだからこそ率先して戦う、ということがなぜなかったのでしょう。」という問いかけは、逆に石破氏の国防に対する姿勢を浮き彫りにしていると言えるのではないでしょうか。

 加えて、財政民主主義の指摘は、既知のこととはいえ、心強く感じました。19世紀のイギリスでもナポレオン戦争が終わると外務省の予算は大幅に減らされています。何故減るかというとやはり議会の圧力があるわけです。現在の日本政府のあり方は、議会によるチェック機能が必ずしも十分に働いていないように思えます。その意味で財政民主主義の指摘は重大であると思いました。まあ、この問題は国防だけの問題ではないと思いますが。

 その一方で西尾先生の発言の中では、大正教養主義に対する批判がとりわけ鋭かったように思います。この大正教養主義批判は、『国民の歴史』以来一貫した先生の主張ですが、ここにいたって国家を経由しないで世界と直結する知性への疑問という形で結晶化しつつあるという印象があります。そして近代以降の日本における軍事学の不在は「独立国家としては致命的な欠陥であり油断」であるという指摘は、戦前と戦後を考える上で改めて考慮されるべき視点といえるでしょう。この点に関しては戦前も戦後もないわけですから、歴史的問題であると同時に優れて現在の問題であるといえるはずです。いずれにせよこの点に対する西尾先生の憤懣は「私は(・・・)負けると分かっている戦争を回避するための軍事学的知識や合理的計略の知力が大正教養主義に浮かれた旧制高校エリートの戦前知識人に欠落していたことが許せないのです」という言葉に集約できると思います。

 こうした両氏の示唆に富む発言の間にかいま見えたのは、日本の現在の国防に関するお寒い状況であったこともまた確かでしょう。例えば次のようなやりとりが見られました。

・・・・・・・・・・・・・・・
>西尾:ただMDは、完成するまでに時間がかかりますね。その間に局面が急展開しないとは限りませんから、それが心配です。

>石破:朝鮮半島で北が突然韓国に侵攻したとします。日本にとっては、周辺事態と認定される場合があり得るという状況ですが、米韓条約によって韓国防衛の責務を持つアメリカは、厚木や三沢、嘉手納などの日本の基地の使用を希望することになりますし、その際は日米安全保障条約四条の事前協議が行われます。我が国としては、これに同意することになる場合が当然あり得るものと考えますが、まさにその時、北から「もし日本政府が事前協議に同意しアメリカに基地を使用させるのであれば、今から十分後に東京は火の海と化すであろう」との発表があったとしたらどうなるのか。この状況になれば、「事前協議でアメリカの基地使用に同意すべきではない」との意見が出ないとも限らない。

>西尾:私は、それがとても怖いことだと思っています。

>石破:脅しに屈しないためにMDが必要なのです。
・・・・・・・・・・・・・・・

 この部分を読んで私は、愕然とした思いにとらわれました。結局、MDが完成するまでは日本は自らの身を守ることができない、ということなのですから。通常、国家の安全保障は国家の政策のうちでも最も優先順位が高いものだと思えるのですが、改めて我が国が丸裸であるという指摘がなされると、暗澹たる思いにならざるをえませんでした。両氏の力の及ばないところで、日本の国防の実態について不安を覚えずにはいられませんでした。

 総じて、話題の取捨選択も適切であり、よく練られた対談であるという印象があるのですが、欲を言えば、北朝鮮対策に関するもう少し突き詰めた議論があれば、と思いました。今後の事態の推移を、何通りかの場合に分類して、それぞれに応じて日本の進路を考えるという議論もあれば、一層興味深かったであろうにと思えます。日本にとっての北朝鮮問題は、冷戦のミニチュワ版、あるいはプチ冷戦とでも呼べる事態です。その意味で、ヨーロッパでの冷戦終結に至る過程との比較対照なども、今後の参考になるのではないでしょうか。冷戦の教訓の一つは、共産主義体制は人間の意思によって崩壊させることが出来るということでした。ただ、崩壊させるにまでいたる過程は、通常の戦争などにはよらず、もっぱら情報活動によって遂行されたために、いまだに十分に解明されたとは言えません。とはいえ冷戦の終了が、ソビエトの共産主義体制の自然消滅というものでは決してなかったのです。はっきりしていることは、ソビエトを崩壊させるという意思をレーガン大統領とローマ法王が共有していたという事実です。その意味では石破氏には「座シテ死セズ」という覚悟以上のものを期待したいと思います。

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以下、9月1日(四)のつづきです。

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 自由がメインテーマになった私の27年前の、高校生を前にした講演はいよいよ佳境に入る。

 丁度その頃、ペンクラブ会長であった作家の故石川達三氏が、同じく作家の野坂昭如氏を批判する刺激的な発言を行って、マスコミの一部がにぎやかに騒ぎ立てるという事件が起こっていた。野坂さんはその頃テレビの評判のCMで全国的ににわかに有名になっていた。画面一杯にとびはねて、「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか、ニ、ニ、ニーチェかサルトルか」というような奇妙唐突な哲学者名連呼コマーシャルである。あの画像を思い出す人もいるであろう。私もこのコマーシャルはよく覚えているが、何の広告だったかを覚えていない。

 永井荷風が戦時中に書いた「四畳半襖の下張」というポルノまがいの文章を編集責任者の野坂氏が『面白半分』とかいう雑誌に面白半分に載せて猥褻の疑いで摘発され、昭和51年に10万円で罰金有罪判決が出された。それがそもそもの騒ぎの切っ掛けだったと思う。猥褻で有罪なんて今の時代では考えられないが、やはり27年前まではゆるやかな禁制が存在していたのである。

 言論の自由の妨害であるとして野坂氏が抗議して、むしろ喝采を拍していた。一部にはポルノ退治に名を借りた思想弾圧だ、とべ平連の支援を得ていきまく向きもあった。その抗議のさなかに、ペンクラブ会長の石川達三氏の大略次のような内容の野坂氏への批判がなされたのだった。

 「言論の自由には絶対に譲れない自由と、譲っても良い自由との二つがある。ポルノなどは、むしろ後の方の自由である。こういうものを放っておくと、国民の生活に非常に悪害をもたらすのみならず、政府権力はかならずや、過度に行き過ぎた自由への弾圧を加えるようになるであろうから、自分で自分の首を締めているようなことである。それゆえに、映画や小説やその他いたるところに広がっている行き過ぎた表現の自由というものに自己規制を加えなければいけない。このことを自由の名において主張し、二つの自由ということをあえて唱えたい。自由には二つあって、譲っていい自由と、譲れない自由とがある。ポルノなどは譲っていい方の自由で、これは必要のない自由である、云々」

 私は自由とは量的概念ではないと前に言った。自由が多すぎるから30%ほど削ればいい、などと考えれば、それはもう自由は存在しないと言っていることと同じである。他方、野坂氏は社会の禁制を犯したからとて拘束されるわけでも、牢屋にぶちこまれるわけでもないのだ。自由とはそんなに安易なものだろうか。

 高校生に分かるかどうかあやぶんだが、この微妙な大切な区別、自由の本義に関わるデリケートな概念区分について私は次のように語った。

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 結論を先に申し上げれば、私は石川達三・野坂昭如の両氏いづれも自由ということについてまったく理解していない、なにもわかっていない、そう思っております。だいたい石川さんは二つの自由などと言って、まるでおまんじゅうを二つに割るように、自由という概念を分割することが出来ると思っているわけです。つまり、必要な自由と不必要な自由とに割ることが出来ると思いこんでいるのですが、自由というのは、そんなふうに物体を二つに割るように割ることが出来るものではありません。

 石川さんは必要な自由と不必要な自由というふうに区別しました。けれども一体、その必要、不必要は誰が決めるんでしょうか。石川さん自身が決めて、「さあ、国民のみなさん、私の言うとおりこちらは必要な自由です。あちらは不必要な自由です。」と分けるんだとすれば、石川さんは独裁者であり、いうなればそれはもう国民にとっては自由がない、ということじゃないでしょうか。

 さきほどから何度も申し上げておりますように、共産主義国家では必要な自由と不必要な自由というのは政府が決めてくれます。中世の昔、近代以前では、神様すなわち教会が決めてくれた。しかし、近代の自由というのは、必要な自由と不必要な自由を決めてくれるものは個々の人間に委ねられている、ということであります。

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 女子高校生は進学に際し、その頃はまだ短大を選ぶ者が多く、さもなくば花嫁準備にいいのが文学部英文学科であった。自由とは自己決定であり、自己決定は安全とは限らず、身を誤るそれなりの危険を孕んでいるということを言いたいがために次のような話も交えて、分からせようとした。

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 自分でとった行為は、自分で責任をもたなければならない。自由とは、そういうことです。従って私は、ちょっと過酷な言い方をしますが、もしポルノで日本の社会が破滅するのだとすれば、その程度の社会なら破滅した方がいいんじゃないか、そう思ってるのです。すなわち、自由というものの中には、石川さんは大きく間違っているわけですが、善を行う自由もあれば悪をする自由もある、ということです。

 亡くなった三島由紀夫は、自由の極限は快楽殺人であるということを言っている。つまり自由ということの中には、危険が含まれているということです。自由は、放っておけば何になるかわからない、という危ういものを持っております。逆に言えば、自由というものは日々試されていると思います。ポルノによって、日本の社会は試されているのかもしれないんです。ぼくはたいしたことはないと思っているんです、実は。ポルノなんてものは、ああいうものは、飽きられるんですから。

 通俗小説が非常にたくさんはやっておりますけれども、ポルノ小説はそんなに売れてないんです。一冊の発売部数てのは、意外に少ない。それから、ああいいうものはですね、あの、ま、こういうことはあまり言っちゃあいけないんですが、いくら出てもさして危険がないということは、読者がああいうものだと思って読んでいるからなんです。つまり人間の感情というのは、意外と良識的です。ですから、むしろ危険なのはですね、ポルノではなくて、純文学の皮をかぶってできたポルノです。あるいは知的めかした、粉飾を施したところのにせものの文学というものが、本当は危険なのです。

 とにかく害をなす自由もあれば、悪をなす自由もあり、出版社なんてのは、売れりゃあいいんですから、国民に災いとなる自由だって無限にやる所でありまして、逆に言えば自由は試されている。しかし、私は大丈夫だと思っています。日本の社会は、ポルノぐらいでダメにならない社会であります。石川達三が間違えているのは、自由というものを二つに分けることができるように便利に考えていますが、私の言うのは一つの自由の中に善を行う自由もあれば悪を行う自由もある、ということですよ。善と悪という二つがあるんじゃないですよ、誤解しないで下さい。

 例えばですね。皆さんが善いことだと思ってやったことが、結果的に悪に通じていた、というようなことを意味しているわけです。善と悪というと、少し大袈裟であれば、皆さんが、これは必要な自由だと思って自分の為にやっていたこと、例えば、大学を受験するとき、私は理科系で薬学科へ行きたかったのに、文学部英文科へ行ってしまった。これは自分にとって必要な自由だと思って選択した自由ですね。しかし、5年たってみたら、それはあなたにとって不必要な自由だった、とわかるかもしれないですね。

 あとで嘆いてもしょうがないですね。これはやっぱり先生が決めるんではないでしょう。自分で決めるんです。で、自分で決めた行為に対しては、自分は薬学をやりたかったのに文学部英文科へ来てしまった。これは失敗したわ、と女の子なんか思ったりすることもあるわけですけれども、それは自分の問題ですから、自分があの瞬間に決めたので、誰も恨めっこないわけです。しかし、だからいいことをやったつもりでやったことが、悪いことになるかもしれない。しかし、それが自由なんですよ。試されていると言うことなんです。

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Subject:平成15年9月1日   (六) /From:西尾幹二(B) /H15/09/07 17:43
 人間の行為が必ずしも最初から善悪に二分されるわけではなく、絶対的な善、絶対的な悪があるのかどうかだって分からない。善悪は往々にして行為の結果の社会的判断にすぎない。行為の自由はかくて行為の結果をあらかじめ予想させることはない。私の言いたかったのはそういうことだった。私はさらに次のように話をつづけた。

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 ゲーテのファウストは、ご承知と思いますが、契約を結んで、ファウストが悪魔メフィストフェレスに魂を売る話です。ファウストは、まさに悪への自由に、第一歩を踏み出す。そして、極限まで行ってしまって、最後のところで反省し、自己を取り戻す。ゲーテの思想によれば、彼を救ってくれる何かがあるからであります。

 ゲーテには、そこに人間への強い信頼、楽天的な信仰というものがあるわけですが、ま、しかし、救ってくれるものがあろうがなかろうが、とにかく、悪魔と魂の取り引きをして、悪を犯す自由というものを最大限に展開した人間が、最後どうなるかという問題が、ゲーテが提出した人類の最大のテーマの一つであります。

 というわけで自分で自由を二つに分けたり、善い自由だけを選び悪い自由を捨てるなんてそんな便利なことは人間の身には起こらない。

 一方、野坂昭如氏の表するところの自由はどうでしょうか。果たして正しい自由でしょうか。これはですね、自由という概念に関する限り、間違っていないと思う。悪い自由を防止できないということをいわば実践しているからです。しかし野坂さんは、その原点において考え違いを起こしていないか。

 「四畳半襖の下張」という文章は、ポルノという言葉がまだ存在しなかった、官憲の弾圧が厳しかった時代に、抵抗して書かれたものであり、永井荷風にとっては、自分自身の危険を冒してやっている行為であります。わかりますね。しかし、野坂氏にとっては、危険がなんにもない。それどころか、文章が押収されて発禁になりますと、ジャーナリズムはこぞって野坂を応援し、彼はたちまち名士になり、講演会などしたりして、しだいにテレビのCMにも出たり、これは何にも危険じゃないわけです。永井荷風は、ひょっとしたら手が後ろに回ったかもしれない。

 ソルジェニーツィンという作家が、ソビエトの国家社会から追放されたときにも、似たようなことがございました。ソルジェニーツィンにとっては、反国家体制、反社会主義的全体主義という行為を行うことは、命を落とす、大変な行為であったわけです。ソルジェニーツィンはたまたま、ノーベル賞を得たために、ソビエト政府は西側諸国に対する気がねから、彼を厳罰に処すことができなかった。国外追放するにとどめた。しかし、ソルジェニーツィンと同じような考え方を持った思想家が、今シベリアに何千人と拘留されている、という話であります。

 それくらい、ソビエトの国家体制の中で反国家を唱えることは、命がけの仕事であった。ソルジェニーツィンの国外追放にあたって、日本の知識階級の多くは拍手を送り、反国家というか、反社会、反体制という名において賛美したわけでありますが、そういうことを言っている日本の知識階級の多くが、日本の体制や国家に対してですね、同じように反国家、反体制ということを言って、同じような気分に浸って、大変に受けているわけです。

 しかしこれは途徹もなくおかしいことではないでしょうか。ソルジェニーツィンのようなことを言っても日本では、手が後ろに回るということがございません。それこそ、小学生でもわかることですね。つまり、反国家と言ったら手が後ろに回るということ、反国家と言えば言うほどお金がもうかること、これはもう、大きな前提に相違があるわけです。その小学生でもわかる前提が、日本の知識階級には、わからなくなるという問題がございます。というわけで野坂昭如の言っている自由というのも、やはりどこかおかしい。

 で、この石川さんの自由と野坂さんの自由というのは、日本の社会の中では、体制に無懐疑な保守派の自由と、革新陣営の左翼の自由の概念になっていると思います。すなわち、自由という概念を、石川さんも野坂さんも非常に、政治主義的に、理解しているわけです。

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 これだけ例を挙げれば、高校生にも多分分かったであろうと思う。私が述べ立てた自由という概念は二つのそのどちらでもない。石川達三のように社会の安定と利益のためにほどほどに妥協して、自由を問題の少ない衛生無害な温室の商品のように考えるのも間違いであれば、野坂昭如のように自由のもつきわどい側面を知っているのはよいとして、置かれた環境や条件を度外視して破壊的なことをいくら言っても少しも破壊にならないことにまるで呑気に気がついていないというのも間違いである。そのどちらも自由の本当の恐さと困難を知らない。

 あまりに解決が簡単すぎるからである。前者は世間体の思想であり、良風美俗の代弁である。後者はワルガキの思想であり、不良ぶった反抗が社会の実際のあり方と余りにかけ離れていて、言葉の過激は宙に舞い、むなしい空想に終っている。

 前者は人間の真実を少しも反映していない。後者は真実の一端を覗かせてはいるが、遊びに終っている。私にはそう思えてならなかった。

 ここで9月1日(一)の私あての遠藤浩一さんの手紙をもう一度思い出していただきたい。偶然の符合があると私は前に言った。

 「小生が政治について論ふとき、常に留意するのは、現実を無視した空論にならぬやう(例へば西部邁氏のやうな)、そして同時に、現実に埋没した小賢しい論者(例へば櫻田淳氏のやうな)にならぬやう心がけることです。 (中略) 西部氏の観念論も櫻田氏の現実論も、ともにきはめて政治的です。政治を論ずるにあたってこそ、非政治的な観念が必要だとする小生にとって、この一言は重く響きました。」

 考え方の対比は、読者にはすでにお分かりと思うが、順序が逆になっている。西部邁氏の側に野坂昭如が位置づけられ、櫻田淳氏の先人に石川達三がいる。

 私は遠藤さんの言葉を受けて次のように述べている。念のためもう一度書いておく。

 「固有名詞があがっているが、それはどうでもいい。政治を論じて現実を無視した空論になるか、現実に埋没した小賢しい議論になるか、この二つに流れ易い傾向を警告しているのは、わが意を得た思いがする。この二つがたしかに世に多い。前者は正し過ぎることを具体的手続きを考えずに言う人に多く、後者は相容れない対極論を足して二で割って真中を取って名案のつもりでいる人に多い。」

 ところで一人か二人だけの名を挙げておくだけでは、個人誹謗の傾きがあると譏られそうで、広く現代の言論一般の根本の欠陥を問うている遠藤さんの名誉にも関わることだし、私の本意にも添わない。そこでもう少し敷衍すると、前者には私は小林よしのり氏の名を、後者には山崎正和氏の名を追加しておく。小林氏に関しては『歴史と常識』(扶桑社)所収論文で、山崎氏に関しては『日本の根本問題』(新潮社)所収論文で、すでに私は条理を尽くして理由を論述しているので、ここでは繰り返さない。上記二名の追加は私の文責である。

 遠藤さんは『Voice』6月号で、現実の対立を足して二で割る宥和的政策で何かを解決したつもりになり、結果的に解決をかえって遅らせる「生ぬるい現状維持の保守」「擬似保守」をとりあげ、論難している。その例、おまんじゅうを二つに割るように自由を割ってみせた石川達三を先人とする例の便利主義者一派に、山崎正和氏と櫻田淳氏のほかに、北岡伸一氏の名を挙げている。

 『正論』9月号で遠藤さんは、同じタイプの、「現実に埋没した小賢しい論者」の側に、新たに神谷万丈、村田晃嗣、中西寛、橋爪大三郎の各氏の名を加えている。理由づけは遠藤さんご自身の論文に委ねたい。

 よく保守派の人々はなぜ仲間割れするのか、なぜ左翼の人々のように大同団結し、集団意志で動かないのか、運動体として損ではないかときかれる。日録感想板の書き込みにもしばしば、思想を通俗化させ、大衆をもまきこむ戦略が必要だとしたりげに語る人がいる。

 けれども保守派という派閥は存在しない。保守主義というものも存在しない。私は真の保守を唱えるつもりもない。存在するのは「真贋」の区別だけである。

 声高に空論を叫ぶ輩にも、おまんじゅうを二分割して真中を選ぶ折衷派にも、私は最初から最後まで与するつもりはないのである。私は「保守運動」などというもののために生きているのではまったくない。これだけははっきりさせておく。

 高校生のための講演はまだつづく。

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Subject:平成15年9月1日   (七) /From:西尾幹二(B) /H15/09/10 07:27
 遠藤浩一さんが高校時代の校友会誌を、偶然電話で話題に出したので私は思い出をまさぐるようにして聞いていると、間もなく書棚からさっと取り出したらしく、電話口にもって来られたその素早さに私はたじろいだ、と前に書いた。「日録」の9月1日連続エッセーが始まって以後に、彼からお手紙をいただいた。

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 ・・・・略・・・・日録中、先生のご講演記録をただちに取り出したことについて驚いてをられましたが、小生とて、少なくない蔵書や資料の全てについて、何が、どこにあるかを完全に把握してゐるわけではなく、中にはどうしても探し出せない書物もあります。ただ、あの講演録の載った校友誌は西尾先生の著作が置かれたスペースにあったため、取り出しやすかったのです。つまり、あの校友誌は、小生にとっては御著の一冊といふ位置づけといへます。27年前のご講演は、インターネット上でも議論になってゐる様です。新旧を問はず、先生のご発言は、読み手、聴き手の思考をうながしてやまないからでせう。・・・・略・・・・

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 ここまで大切にしていて下さった冊子とは夢にも考えていなかった。私は講演の題材も、内容も、否、講演の存在そのものをもすっかり忘れていたので、なんともいえない強い感銘を覚え、感謝の念も新たにしたのだった。さらにこんな風にも書いて下さっている。

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 ・・・・略・・・・自由といふものの一筋縄では行かぬ意味について、ボンヤリとではあるけれども自分なりに意識し始めたのは、あのご講演を拝聴したのがキッカケでした。高校生の時にお話を聴けたのは、その後の生き方に大きな影響があったと思ひます。幸福な高校生でした。(今どきかういふ講演を企画する高校なんてないでせう)。・・・・略・・・・

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 彼を善導したのではなく、誤導したのかもしれない。私のこんな話を聴かなければ、彼は心を乱されず、今ごろ大企業のエリートサラリーマンになっていたのかもしれない。否、そうではない。彼はここまで書いてくれたけれども、私の話の内容に若者の人生が影響を受けるようなそんな大それた「毒素」があったとも思えない。ただ今どきこういう講演会企画を立てる高校はないだろう、というのは、確かにその通りだと思う。叡智ある林校長のお引き合わせである。

 せっかくここまで言って下さったので、講演のつづきのポイントだけでももう少し拾って、全体のイメージをまとめる最終のテーマまで、読者にいましばらくご辛抱いただこうかと思う。

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 さて、以上私は三つのお話、オリンピックの話からアメリカ帰りの先輩の話、電気洗濯機と幸福の関係、それから今申し上げましたように、自由というものの矛盾背理について、これらの話題を通じて、一貫して申し上げてきていることは、人間は孤独だということに他なりません。

 孤独ということは、誰でもない、自分自身が耐えなければならない課題だということです。しかも日本人の今日置かれている状況が、ますますこの自覚を必要とし、孤独が深くわれわれにのしかかってくる時代にさしかかっているということも言っておきたいのであります。というのは、今まで日本人は、他人や外国から生き方や自由を与えてもらうことに慣れている。

 自分ひとりで解決すべき難問を他に転嫁することができました。他の文明をモデルにしている間は、孤独の決断は要らないのです。

 日本の文学史をみると、貧しさとか絶望とか生きにくさとか辛さというものを組み立てた人生観や感受性には、慣れていることがわかる。けれども、富と豊かさと安易さというものには慣れていない。自由が現に配布されているというこの状況で、人間が如何に生くべきかというモラルには、実はあまり慣れ親しんでいない。こういう状況であります。富とか豊かさとか安易さを自分の責任においてコンロトールして行くという生き方に通じていない。

 全国民が飢えを知らないというのは恐らく史上初めてです。自由という言葉で言ってもいいし、平等という言葉で言ってもいいし、解放された広々した感情と言ってもいいです。あるいは余暇と言ってもいいんですが、怠け心と安逸かもしれない、とにかくまあ今われわれに与えられてしまっているものをどういう風に生きていくか、ということには熟達していない。

 富に未経験であるがゆえに田中角栄事件みたいなのが起こるんです。本当の意味で国民が富というものとつきあうすべを知っていない証拠です。例を言えば、イギリスのような国はもう300年も先進国としてスタートしてきて、富と安逸というものに慣れ親しむモラルを身に付けている。が、しかし日本は、近代国家として大変遅れて出てきているために、戦前、戦中もそうでしたが、戦後もそういうものに、不慣れなままなんですね。

 私は東京の郊外(当時は日野市平山)に住んでおりますけれども、一夜にして何十億という金をつかんだ土地成金が豪壮な邸宅を建てて、そこからにわかにおしゃれの女性がそろそろと出てくる姿を見かけます。ですが、大変悲惨なことには、昨日まで豊かであった土地成金が一挙にして、その一家埋財の一切を失う。すなわち財産争いをしたり、農夫だった当主が女狂いをしたり、仲よかった家族がばらばらになったり、さまざまな悲喜劇を引き起しているのを見聞きします。

しかしそんなのはですね、我が国の風俗の大変ほほえましい一面と言ってもいいかもしれません。別段、驚くにも値しないし、怒りも感じませんけれども、端的に私達の生活が新しい状況に親しむモラルというものを持っていないがゆえに、隣近所の生活を見ていても、不必要なものにいかにたくさん金を使っているかという現実を見ております。

みなさんの生活の中でもいらないものを買ったりする人が多いでしょう。それからそういうものの競争みたいなことがごく普通に行われているのが、今の日本の社会であります。困ったことでありますが、まさしく今、私達が考えなければならないのは、そういうものとつきあう方法、道なのであります。

 私は東京の私鉄京王線の奥の新興住宅地に住んでいますが、近所に新型の8ミリカメラや新しいステレオなどを買うとそれを客間に飾って、近所の人を呼んできては、みせびらかす奥さんがいます。まあ無邪気なんですが、なにか電気器具を買うたびに吹聴される我が家の家族はいやだ、いやだと鬱陶しがっています。

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 今思うと、ここに述べられている風俗はむしろまだ貧しさの余韻をただよわせている時代の光景といえないだろうか。日本の社会が初めて繁栄社会の敷居口に立ったその頃の風景である。

 私の一家が郊外の山の斜面を切り拓いた京王電鉄の新興住宅、多摩動物園が近くにあり、多摩テックという遊園地のすぐ下にひろがる丘陵地帯に移り住んだのも、今思うと列島改造論のあおりであった。東京や神奈川の在では当時一斉にブルドーザーが山を切り崩し、斜面に階段状の住宅地を造成していた。

 当時の社会は、モラルの頽廃といっても今とは違う。富を自慢する人がいるといっても、小規模であり、まださして邪心のないものであった。二昔以上前の懐かしい情景をこころから思い起こしていただけたら、ありがたい。

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Subject:平成15年9月1日   (八) /From:西尾幹二(B) /H15/09/12 07:49
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 このあたりからみなさんにヨーロッパの話をしたいと思います。ヨーロッパにもやはりそれなりの問題や疑問があることは当然でありますが、この富と安楽さに親しむモラル、あるいは孤独に耐えるとか、人生の目標は他人が与えてくれるものではないというような自覚に関して、ヨーロッパ人にはわりに昔からの伝統というものがございます。それは日本人と違って、自分を存立せしめるということが習慣化しているために、どこか人間が一本で立っているところがあるんです。人間の関係がどこか冷たいところがあると言ってもいいかもしれません。

 それが必ずしも一方的にいいわけではなく、生きていくのに非常に世知辛いというか、辛い面もあります。争いとか戦いとかいうものが、日本よりももっと厳しい所がある。で、そういうヨーロッパの中でちょっと生活すると、日本人とはたいへん違った点は彼らが自分と他人の間の人間関係を情緒的ではなくて、お互いに寄りかからないで、切磋琢磨するというところが日本より強いことに気がつきます。

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 ここからは私の処女作『ヨーロッパの個人主義』(講談社現代新書176番)の読者には、ある意味でお馴染みの比較論が展開されるであろうことにいち早くお気づきであろう。

 『ヨーロッパの個人主義』はこのときより7年前、昭和44年(1969年)に出版され、かなりの評判を得た。あの頃は講演をすると私にはつい留学時代のヨーロッパ体験を話題にしがちな傾向があった。また人が当時はヨーロッパの話を好んで聞きたがったものだった。

 『ヨーロッパの個人主義』はどういうわけか私の本の中では最も息の長いロングセラーでありつづけ、30年余もの間版を重ねている。相当に険しいテーマを語った積りだが、最も穏健質実な本と思われているらしく、大学の入学試験に毎年どこかが必ずここから出題している。

 私は今の自著、例えば韓国批判のような激しい現代政治論から出題してもらいたいのに、一番古い本から好んで出題されるのは、まるであなたは進歩していないと言われているみたいで、シーズンの度に少しがっかりしている。平成15年度にも新設の独立行政法人法科大学院の問4に出題された。私は自分でやってみたが、正解がどれかよく分からなかった。変な話だ。

 従って、「人間が一本で立っている」印象を物語る、『ヨーロッパの個人主義』にも引例した同じエピソードをここでもあえてもう一度書かせていただく。27年前のあの頃はとくに、同書のテーマを話すととても聴衆の受けがよかったのである。

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 森有正という方が昔雑誌に発表し、連載されたものがあるんで、ちょっとそれを読んでみます。

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 「僕の隣にすこし気のふれたような金物屋さんが住んでいたのですが、そこのお嬢ちゃんがうちの娘と友だちで行ったり来たりしていた。ある時私の娘が向うに呼ばれていて、僕も来なさいというので行って一緒に飯を食っていた。それで僕の娘が少しお行儀の悪いことをしたので、僕は少し大きな声で叱ったのです。

 そしたら金物屋さんが、「ちょっと森さん」というんですよ。「大変失礼ですけれども、ここは私の家であなたの家ではありません。あなたもお嬢さんもお招きした私のお客です。どうか私に任せて下さいませんか。お嬢さんがどうしてもいけなければ、私が叱ります。」というのです。

 これには非常に感心しました。日本では考えられないことでしょう。父親が叱るのはあたりまえなことだけど、考えてみれば僕の家じゃない。向うでおやじさんが責任を持って呼んでいるわけですね。僕も娘もそのおやじさんの家では同格の客だ、その方がこの場合は親子関係に優先している。これは相手が金物屋の職人だということからも本当にびっくりしました。(中略)

 フランスの小学校では学校の中へ入るともう親子関係は通用しない。親は子供について行っても、学校の門のところで別れて帰らなければならない。子供は家庭と学校という二つのはっきり違う共同体に属している。『個人』という考え方が自然に出てくるわけですね。異なる共同体に属する個人といえば、同じ個人が世俗社会と教会との双方に属しているのも同じような意味合いのものです。」
             (『展望』昭和43年1月号)
・・・・・・・・・・・・

 そこで高校生のみなさんによく考えて頂きたいのは、「個人」という言葉が始めて出てきましたけれども、これは今まで言ってきたように自由とか、自律とか、主体性とかいろいろ言ってきたと同じような意味と考えて頂いてもいいんですが、しかしその共同体、普通の考え方ですと共同体のいろんな束縛から解放されるのが個人であるとか、自由であるとかそういう風にみなさんは思っているでしょう。しかしそうじゃないですね。いまの例を見てますと、共同体の約束とか形式とかにいかにピタッと則って生きるかとかいうことが、「個人」というものが出てくる所以だと、こういうふうに言っているわけです。

 私にもいろいろな経験があります。ヨーロッパは親子関係よりも大人の社会と子供の社会とがくっきり分かれている社会です。子供が悪さをしますとですね、大人は総出でもって子供を叱ります。他人の子供でも強く叱っていい。大人の社会が総がかりでしつけをしているというのがヨーロッパの社会である。だから日本のように他人の子供は叱れないが自分の子どもだけ叱るというような遠慮がない、そういうのは一つの約束です。そういう約束に則って生きるために、子供はしつけの段階から一本立ちするという考え方が強くなっているのです。

 みなさん方はお父さんお母さん方から一所懸命学校へ行きなさい、勉強しなさい、それからいい学校へ入りなさい、とお尻を叩かれているんじゃないかと思いますが、ヨーロッパは教育システムまで含めて自分でせっせと努力しなければ、どうにもならないような突き離された環境に子供が置かれている。ある時留学中の私のゼミナールの友人も言っていましたが、どんなにインテリ家庭に生れても、どんなにお金持ちの家庭に生れても、親が自分の教育のためにいったいどれくらいお金を出してくれるか、ということを真剣に不安に思う時期が子供の時に必ずある。すなわちお兄さんは大学をすっと出て学位まで取るような道を歩んだ、弟は職業学校へ行って徒弟からやったというようなケースも決して珍しくない。

 世襲という考え方が強いヨーロッパでは、今でも依然として大工さんの子供は大工さん、パン屋さんの子供はパン屋になる。日本のような著しい流動社会ではない。ヨーロッパはある種の安定社会であり、職人社会でありまして、それがこの近代の競争、技術革新の波において日本やアメリカに引けを取るかもしれないといわれている点ですが、一人一人の生活の仕方を見ておりますと、今申し上げましたように、子供の時からかなりつき放されて生活させられているのを感じることがまま多いのです。私も今のこの森さんと似たような経験を何度もいたしました。

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Subject:平成15年9月1日   (九) /From:西尾幹二(B) /H15/09/13 09:31
 森有正氏の先のエピソードは、ヨーロッパにおける「個」のあり方、位置づけに関しては的確な判断を下しているように思えるが、ヨーロッパ社会の優位、日本社会の劣位を暗黙のうちに前提にして語っているような一面がある。

 文化の相違に価値の上下はない。Aの社会をモデルにしてBの社会が発展しようとしても、ある発展段階に達すると、ABの越えがたい溝、埋まらない相違点がかえってはっきり見えてくる。私の留学時代に、ヨーロッパと日本の関係はすでにそういう段階に入っていたように思う。パリに憧れて留学し、日本に帰国しなかった森有正は、典型的な大正文化主義の末裔だった。

 私の『ヨーロッパの個人主義』の位置づけは、恐らく彼らと自分を最初に区別した点にある。価値の相対化の自覚、追いつき追い越せの近代化の終焉を体験した初記録であったと考えているし、そう論述してくれている人もすでにいる。

 けれども、価値の相対化は、日本の逆転優位では必ずしもない。Aの社会をモデルにしてBの社会が発展した結果、Aの価値の絶対化はもはや不可能と分かったとしても、Bはすぐに自らの伝統的価値に立ち戻ることはできない。Aを導入した以前にそっくりそのまま簡単に立ち戻れるものではない。

 ABの価値の相対化ということと、Bが背負いこんだ自らの価値のAによる化学変化、質的変容は自ずと別の問題ではないだろうか。高校生相手の金沢における27年前の講演は、この点をそれなりにかなり明確に自覚し、指摘していることに、今度あらためて気がついた。

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 日本では他人同士でも、家族関係みたいにベタベタしているわけですが、ヨーロッパでは親子関係でも他人のように、突き離されたところで生きているということを感じることが、ままあります。

 美術館などを歩いていますと、ヨーロッパの美術館は非常に大きくて暗い。そして全部見終わるのにどんなに早く歩いてみても、五、六時間はかかる。その大きな美術館を日曜日の午後など市民の誰かれが、見に来ている。

 お母さんの後ろに、スカートのひだを一生懸命掴んで、まだ4つか5つぐらいの子供がパタパタと、まるで犬ころが後ろからくっついてくるように走ってくる、という光景を何度も見ました。つまり子供にとっては面白くも何ともない。日本の親は子どものために生きているようなもので、自分の教養や、娯楽をいかすというよりも、自分を殺して遊園地へ出かけて行ったり、子供のための行楽とか教育とかお稽古事とかに、時間を費やすということが通例となっています。どうもヨーロッパではそうじゃないようですね。

 子供よりも親が大事と言うような考え方が一般的であるようです。ですから子供は可哀想なくらいに親の犠牲になっているような印象を受けることがあるのです。こういうケースは結果的にいいか悪いか、あるいは日本人がまねできるかできないか、まねする必要がいったいあるのかないのか、というようなことは私には、よくわかりません。

 日本人の親子の情の篤さ、他人に対する思いやりや繊細、細やかな感情の付き合い方の微妙さ、そんなことはたいへん大事なことでありまして、私は日本人の弱点をなしているとは思っておりません。一方では日本人の美点であると思いますが、しかしそういったような日本人の美点や長所が、外国から入ってきた観念の上ずみと重なって、表面に出てきた時には応々にして弱点と見えるということも、ないわけではありません。たとえば最近の老人に対する処置、もしくは核家族といわれるような問題ですね。おじいさんおばあさんと一緒に暮らすべきかどうかというような問題を例にとりあげてみます。

 ミュンヘンで私の知人が下宿していたところの、ブレンゲルさんというお宅はアパートメントの4階の半分を占拠しておりました。かなり大きなお宅で4つか5つの部屋があったので、二部屋ばかりを私の友人に貸しました。お宅といってもそこには女性が一人で暮らしておりまして、保険会社に勤めている35歳ぐらいの人ですけど、私の友人が初めてその女性を一人だと思っていたところ、夕方になりますと、必ずおばあさんが一人やってまいりまして、ブレンゲルさんといっしょに夕食を食べる。彼女は新聞を読んであげて、テレビを一緒に見て、9時頃になりますと、そのおばあさんをそこから百米くらい離れた小さなアパートメントに連れて行って、自分の住居にもどってきて、朝早くブレンゲルさんは勤めに出、帰ってくると夕方にはまたおばあさんが来ているという日課を繰り返しているのを見て、びっくりしていました。それは実のお母さんだったのです。

 これは日本では全く考えられないことだといって、私の友人は唖然としたわけであります。しかし実のお母さんと、勤めに出ている娘さんは日常の生活のリズムが違う。それでもその女性が結婚して家庭を持っているというのならまだわかるが、他人に貸す部屋のスペースがあって、一人で実の母親とも別れて暮らしているというのは不思議でしかたがないと言っておりました。一定の時期がくると親子離れて暮らすべきという観念があるのですね。だからといってブレンゲルさんはお母さんに意地悪をしているわけでもなんでもありません。非常に女らしい細やかな人で、大変世話好きで、お母さんの世話もよくやっているそうであります。

 私の友人のマイヤーさんというのは技術者の一家でしたけれども、そのお宅では近くのアパートで暮らしているおじいさんやおばあさんと一緒に土曜にはお昼ごはん(ヨーロッパではお昼にごちそうを食べます)を食べます。日曜日の午前中は朝8時くらいに、おじいさんとおばあさんを迎えて教会へ行き、礼拝をすませますと、おじいさんやおばあさん、子供もみな一緒にレストランで食事をします。

 こういうようにまるで判を押したような日課を繰り返しているのを見ました。しかし月曜から金曜まではおじいさんやおばあさんとは完全に別に暮らしているのであります。大変合理的と言えばそう言えるかもしれません。マイヤーさんは非常にやさしい人で、決しておじいさんやおばあさんを粗末にしているわけではありませんし、子供たちもおじいさんおばあさんを大事にしておりました。

日本でいろいろな問題が起こっているわけでありますが、ヨーロッパでは老人が年をとると必ず子供と別れてくらすようになる、という事柄をなぜそういうことができるかと、よく疑問を出されますが、簡単に考えますと、子供の時から突き離されて暮らしているからです。自分は一人で生きるんだということ。一人で生れたんだから自分の責任において自分の人生は、一人で組み立てていかなければならない。何かをしたからといって保障を求めることはできないし、しなかった。失敗したからといって他人に甘えることもできない。

 日本にも、家族制度というものが昔からありましてね、さきほど私は日本人の思いやりであるとか、いたわりとかっていう気持ちが、非常に大切だと申しました。そして元来、日本人にとっては、その家族制度というものはそんなに間違っていたものではなかったのかもしれません。が、ご承知のように核家族という言葉がヨーロッパから入ってきて、正しいということになって以来、日本人はそれを当然のことのように、受け取るようになっておりますね。

 親子は離れて暮らすのが正しい、とすでに思いこんでいる日本人が多い。ところが今申し上げたように、ヨーロッパの場合には子供の時から、一本立ちで暮らすようにしつけられていますから、年をとって子供から離れて暮らしても、そんなにお年寄りは辛くないわけです。けれども、日本の場合はですね、子供は存分に親に甘えて、過保護で育ってきて、それでいながら今度は年をある程度とって結婚をするとなると、私は親と離れて暮らすのよ、と、こういうふうな形になりますね。

 そもそもその前提が違うのです。ヨーロッパの場合は、とかく子供の時から一人で暮らすことを、当然のような形でしつけられてきていますが、日本の場合には十分に親に甘え、かつ親から保護されて生きてきた人間が、今度は一人前になると、親をつき離す。

 しかし年寄りは、年寄りでですね、子供の時には十分に一本立ちではしつけられてこなかった人間です。それを老いて子供からつき離されるというふうな形になるのが、今の日本の状況じゃないかと思うんです。

 こういうふうに、皆さんのお父さんやお母さんたちの世代で、どういうふうに処理されているかわかりませんが、こういう問題が日本で発生しているのは、日本とヨーロッパという人間の感受性の違う文化が接触してですね、日本人の持っていた美点というようなものが、そのまま美点として発揮されにくくなり、それが逆にマイナスの作用を起こし、混乱の原因になっているというところに、今の私達の問題の一つがあるんじゃないでしょうか。

 ですから私は、核家族というものがいいとか悪いとかいっているのではなくて、どういう程度の接点というところに私たちは置かれていて、それぞれの文化の状況を私たちが考えなければいけないので、親と別れて暮らすというようなことが絶対であると信じるならばその人は子供のときからも親から十分に離れて、独立した精神でもって生きてきたという自信がなければいけない。しかし子供のときは、さんざん親に世話になり、親に甘えていて暮らしてきたくせに、ある年配になってからは、親はいらないというようなのは、成り立たない論議なわけですね。で、そういうことが、どうも外のヨーロッパから入ってきた理念が日本の文化と重なって、日本の本来のよさを変質させ、化学変化を起こして、日本に特有の混乱の因になっているのではないか。私はどちらが良いとか悪いとかではなく、混在したところに問題があるんじゃないかという気がしているのです。

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 今でもなお、日本人は「個」が欠けている、「主体性」が弱い、「自己決定権」をしっかり保持していない、日本の社会はいぜんとして「自由化」が足りず、「解放」されていない、というようなことをいわば前提にして自分の思想を組み立てている人が多い。政府の審議会の文章などはおうむねそうである。例の丸山眞男の影響がまだつづいているのである。

 丸山とその一派はヨーロッパと日本を比較して、日本を近代以前と見立てていた。けれども日本において不足や欠陥や弱点とみられてきた生活上の諸特徴は、明治以前には存在せず(少なくともマイナス面とは意識されず)、ヨーロッパの近代価値が入ってきて、これをモデルにして、それと混ざり合い、変質し、化学変化を起こしたがゆえに不足や欠陥や弱点と感じられるようになっただけの話ではないだろうか。

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Subject:平成15年9月1日   (十) /From:西尾幹二(B) /H15/09/14 05:53
 高校生を前にした私の講演は、このあとドイツの教育制度がいかに日本と違って、子供の孤独と自由を保証しているかのテーマに移った。ドイツの制度は、ヨーロッパ型「不平等社会」の健全さに立脚して、階層格差の上に成り立つ、天才と職人を育てる伝統的制度である。

 私はこのユニークな特徴、平均型人間を育てる日本との相違をある種の驚きをもって説明した。高校生たちは多分、ドイツでは中卒の比率が国民の約7割である(当時のこと)、ドイツの大学には卒業がない、入学試験はドイツでは憲法違反である、などという私の話には、さぞ目を丸くし、耳を欹てたであろう。

 このテーマをさらに追って私は再度研究旅行をして、各種学校を訪ね歩き、昭和57年(1982年)に『日本の教育 ドイツの教育』(新潮選書)を書いた。これもよく売れ、私の成功作の一つといってよかった。

 ところがその後奇妙なことが起こった。ドイツの教育のレベルダウンが著しくなった。天才と職人を育てる理想のシステムは、大衆社会化現象の波に洗われ、むしろ時代遅れになり、天才も職人も育たない制度へと硬直化しているのではないかという疑問をさえ抱くようになった。

 森有正が感心したパリ市民の「個」は果たしてどうであろうか。今年の夏、熱暑で10000人の老人の死を招いたフランスはいったい文明国であろうか。貧富の格差の大きさにおいても、夫が妻を殴るドメスティック・ヴァイオレンスのひどさにおいても、フランスは今や高度の近代社会といえるかどうかさえ疑わしい。

 ヨーロッパと日本との価値の相対化、という私の認識は正しかったかもしれないが、丁度80年代を境に、少しづつ比較それ自体が意味を失いつつあるという認識を私は抱かざるを得なくなった。いうまでもなく日本の産業の成功が関係しているが、むろんそれだけではない。1980年は日本の自動車生産台数が世界一を記録した記念すべき年であった。

 この間における私の精神的位置の移動については複雑なので、ここでは詳しく書けない。拙論「裸身になった和魂——『ヨーロッパの個人主義』から『国民の歴史』へ」『正論』平成13年11月号(扶桑社刊『歴史と常識』所収)を参考にして下さるようおねがいしたい。

 時代が大きく変わったのである。小林秀雄や福田恆存の活躍の最盛期には、社会の構造も、官民の伝統意識の健全さもしっかりしたものがあったと前に書いた。今はたしかになにかが変わった。思考のひっかかりがなくなった。言論がかってのやり方では成立しなくなった。

 この点に関連して、日録感想板に興味深い分析があがっているのに気がついたので、参考にしていただきたい。

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[935] 西尾幹二講演速記録を読んで 投稿者:総合学としての文学 投稿日:2003/09/12(Fri) 12:43 [返信]

 ・・・・前略・・・・西尾幹二さんの「自由」に関する講演速記録を改めて読んでみたのですが、意図することは正直よくわかりませんでした。ただ個人的に思う事はありました。

 昔は個人的な悩みや葛藤を社会問題や国家問題にすりかえることができたと
いうことです。近代の超克を叫んだ戦前の帝国大学生、戦後の全学連運動に参
加した大学生。彼らの叫んだ思想的政治的メッセージの実際はほとんどが実は
個人的な悩み・葛藤が原因だったのかもしれない。

 現代日本には個人的な悩み・葛藤を包み込んでくれるような社会問題・思想
問題はありません。
 例えば失恋をすれば、昔は「近代的自我とは何か」なんて思想問題にもって
いくことができた。現代日本では失恋をすれば「恋愛ノウハウ集」を読んで女
の子にモテルためのテクニックやおしゃれの方法を勉強するしかない。
 就職先が無ければ、戦前であれば「近代の超克」、戦後であれば「マルクス
主義」なんて社会問題にもっていくことができた。現代日本では就職先が無け
れば就職セミナーにかよったりリクルートの就職サイトに登録するしかない。

 昭和50年はまさしく個人が個人の問題に対して個人で対峙せざるを得ない
時代の幕開けだったといえるでしょう。

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 もうひとつこれを受けて敷衍している次の論述もよく現代を見抜いている。

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/[945] はじめまして 投稿者:無頼教師 投稿日:2003/09/13(Sat) 14:37 [返信]

 >総合学としての文学様

 >現代日本には個人的な悩み・葛藤を包み込んでくれるような社会問題・思想
問題はありません。
 > 例えば失恋をすれば、昔は「近代的自我とは何か」なんて思想問題にもって
いくことができた。現代日本では失恋をすれば「恋愛ノウハウ集」を読んで女
の子にモテルためのテクニックやおしゃれの方法を勉強するしかない。
 > 就職先が無ければ、戦前であれば「近代の超克」、戦後であれば「マルクス
主義」なんて社会問題にもっていくことができた。現代日本では就職先が無け
れば就職セミナーにかよったりリクルートの就職サイトに登録するしかない。

 とおっしゃるのは、私もそのとおりだなとおもいます。包み込んでくれるというか、個人的な問題を抽象的な問題に昇華させることができない、ということですよね。最初は喜劇に属する個人的な事件でさえ、いまでは単なる方法論の問題で解消されてしまい、精神的な問題につながらない、というのは一昔前のことを知っている人間からみれば、やはりこっけいではあるが悲劇な事態ですね。

 総合学としての文学様のお話は、中央線で投身自殺をする人間があとを立たないという事実とどこかつながっているような気がします。現代において自由というものは、形式的には確かに万人に与えられていますが、いざ意思を決するという段階での現代人の無能ぶりは目に余るものがあります。鹿島昇著の「破天荒に生きる」という明治時代のそれこそ破天荒な生き方をした企業家の伝記があるのですが、当時の企業家はたとえ商売で無一文になっても、いや逆に莫大な借金を抱えようとも、奮起して逆に大きな富を築き上げてしまうのです。中央線で投身自殺をする人との対比は、ある意味情けないです。どうしてこのようになってしまったのでしょうか?それは明治の人間のほうが現代人よりも、精神面ではるかに豊かであったからではないでしょうか。現代日本人のボルテージの低さは、この救いようのない精神面での貧困の裏返しとしか私には思えないのです。形式的に自由が与えられても、それこそ人間は当惑するだけなのです。その自由を使いこなすだけの精神的な力こそが重要なのではないでしょうか。
 総合学としての文学様の書き込みを読んでこんなことを考えました。

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 この筆者がいうように、現代は「個人的な問題を抽象的な問題に昇華させることができない」時代になっているのだとたしかにいえるが、「現代日本人のボルテージの低さが、この救いようのない精神面での貧困の現れ」なのであろうか。

 私は個人の精神の弱さに理由を求めるだけでは不十分だと考える。思考のパラダイムが大きく変化したのである。戦後がどうのこうのというパラダイムではない。世界史的な変換の時期である。個人の悩みや心理問題が大きな世界説明とつながらなくなった、という事態がむしろ新しいのである。新しい現実なのである。これが常態であると考えたほうがいい。

 そういう意味でなにも思考のひっかかりはなくなったということでよいのではないか。ニヒリズムがそれだけ深まったのだ。例えば「新しい中世」の到来などと唱える人がいるが、どこまで信じられるか。時代や文明を説明する言葉が説明する先々にどんどん古くなっていく。そういう時代がやってきた。われわれはそう考えるべきである。私はそう覚悟している。本当に孤独に耐えるときがきたのだ、と。

 高校生への話のつづきはもう一回ある。

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Subject:平成15年9月1日   (十一) /From:西尾幹二(B) /H15/09/16 09:25
 私の講演の最後は次のように展開された。

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 ヨーロッパの教育制度はヨーロッパの停滞をまねいている原因でもありますから、善し悪しはいろいろ難しいので、日本と比べどっちがいいかはあまり簡単に言えませんけれど、以上述べましたドイツの教育制度から、私たちが学ぶべき点があるとすれば、人間が突き離されて生きているシステム、制約もされない代わりに保護もされないシステムがつくられているという点です。勉強したい者は、勝手にするがいい、したくない者は学歴なんかと関係なしに生きればいい、それでも必ずしも未来は袋小路にとざされていない。みんな自分たちが分に安ずるというか自分の適正というものをよく知って生きる、そういうシステムが、日本よりも上手に、組織的に作り上げられているということがわかりますね。

 それによって、先程から申し上げているように自分の道は、人生は、自分で築いていくんだ、孤独は自分で処理するんだということが、肝心かなめの問題になって、人生観を組み立てるように習慣付けられていると思います。

 若干、時間を延長させていただきますけれども、そこで最後に私、一番最初から申し上げてきたことを確かめるのに、みなさんと一緒に友達というものを少し考えてみたい。皆さんは友達をこうやってたくさんお互いに持っているわけですが、友達の問題で悩んでいる方が多いと思います。

 人間と人間とのつきあいというか、関係というもの、これは友達からはじまる。今日私は最初から何も抽象的なこと、徳目めいたことを申しあげているわけではない。孤独ということは自分で処理しろ、他人に期待してはいけない、人生の目標というものは、自分の責任において成すべきだからたとえ失敗しても他人に不平を言ってはいけない、というようなことを申したつもりです。

 どうも人間はですね、自分が成功すると、これは自分のせいにしたがるんですよ。自分が失敗すると他人のせいにしたがる。そのこと自体が自分の弱さです。それが弱点だということを知らなくてはいけないんですね。みなさんもそうじゃないですか。試験の問題で、自分ができていい点をとるとこれは実力を証明したいい問題だ、自分がよくできないと問題が悪かったんじゃないかなんてね。学校が悪いんだとか、社会が悪いんだとか、政府が悪いんだとか、まあすぐそういうふうになる。しかし、成功するとそんなふうには思わないわけですね。これは非常に卑怯なことじゃないでしょうか。

 友達との関係においてもそうです。私は、一貫してここでも同じことを言おうと思っておりますから。結局、友達との間で、まあ特に女の子同士の間のつきあいなんていうのは、なかなか複雑なようですね。みなさんぐらいの年齢になると、誰かさんがああ言っていたとかこう言ってたとか、まあ、いろいろあるでしょうけれども、そういうときに、人間は他人に期待すること大であると、必ず自分が損をするということがあります。

 どんなときにでも、自分と他人とを遠く突き離して生きながら、相手を深く理解しているところに本当の友情というのはあると思うんです。それで今日の話のしめくくりに、ニーチェのツァラトゥストラから、友情に関する一節をみなさんの前で読んで、解説をしながら考えてもらい、それで終わりにさせていただきたいと思います。さっきから申し上げている一本立ちで生きていくということの意味であります。

 「人は、おのれの友をも敵として敬うことができなくてはならない。君は君の友にあまり近づきすぎて、彼に隷属せずにいることができようか。おのれの友のうちに、おのれの最善の敵をもつべきである」

 敵といえば、また、刺戟の強い言葉ですけれども、スポーツをやっておられる方にはすぐわかるでしょう。敵が友であり、友が敵であるというのは、そんなに難しい話じゃありませんね。

 「君が彼に敵対するときこそ、君の心は彼に最も近づいているのでなければならない」

 一番近い人間こそ一番遠い、って言葉なんです。繊細な人は特に、そういうことを感じます。いい友達と付き合っているときの方が、孤独を感じるはずです。そういうことがありますね。しかし、自分の孤独に耐えられないから誰とでも付き合って、弱みや訴えたいことがあってそれを全部ぺらぺら喋ってしまう。それはそれで何かこう一時的にまぎれる。慰められる。それが友達だと思ってはいけません。あるいは一般に人との付き合い方だと思ってはいけないんです。

 「君は君の友の前にいるとき、衣服を脱いでいたいと思うのか。ありのままの君を友に与えることが、君の名誉になるというのか。いや、彼はそういう君を、悪魔にさらわれるがいいと思うだろう。自分を少しも蔽い隠さないということは、相手に不快の念を抱かせる。君達は、全裸であることを慎み、恐れるべきである」

 君子の交わりは淡くして水の如し、という言葉がありますが、青春というのはなかなか厄介なことです。青春というのは自分を隠すことができない時代ですね。だから傷つきやすい。たとえばもっとも近い友こそ最も遠い、というようなことが簡単にできない。諦められない。近い遠さをいっぺんに埋めようとするわけです。それがゆえに無用に傷ついたりするのです。友の目の前で全裸であることは慎まなければならないのです。

 遠い友は関係ないんですよ。一生無縁と言う人もいます。これはみなさんがまだ高等学校でわからないかもしれませんが、卒業して、一生無縁な友達というのが出てくるということがわかります。本当に無縁なんですね。同じ学校にいて隣りの席にいても、同じ職場に勤めていても、精神的に無縁で終わっちゃう人がいるわけです。しかし、遠くにいても通じている友達というのがいますね。それから、たえず付き合っていて親しいんだけれども、近いから遠いという関係もありますね。

 「友への同情を、君は堅い殻の下に隠すがよい。」

 同情されて喜ぶ人はありません。同情は侮辱の一変種です。しかしそれでも自分から同情されたいと願わずにはいられないほどの苦悩はあります。

 「友への同情を堅い殻の下に隠すがよい。それを噛めば、一枚の歯が折れるくらいに堅くなければならない。そうであってこそ、君の同情は、細やかな甘美な味をかもし出すだろう。」

 「人の友たる者は、推察と沈黙の熟練者でなければならぬ。君は一切を見つくそうと思ってはならぬ。」

 「君は君の友にとって、濁りのない空気であり、孤独であり、パンであり、薬剤であるだろうか。自分自身の鎖を解き放つことができなくても、友を解き放って救うことのできる者は、少なくないのだ。」

 最後の一文は、自分自分がかかえている問題を片づけることができないでいても、遠くから友を見守り、距離をもって友を支えているうちに友の問題を片づけるのに役立つこともある、というほどの意味でしょう。

 「君は奴隷であるか。奴隷であるなら君は友となることができない。君は専制者であるか。専制者であるなら君は友を持つことはできない」

 専制者というのは、暴君と言ってもいいかもしれません。ま、皆さんのクラスがどういう情景になっているかわかりませんけど、私は大体想像がつくんですが、50人くらいクラスにおりますと、一人か二人は必ず剽軽なのがいますね。一人か二人は必ずいじめられるのがいますね(笑い)。それから、一人か二人は必ず自然に権力を持つ奴が出てくるでしょう。一人か二人は必ず媚び諂うのがいる。一人か二人は必ず正義派ぶっていかにも誠実な顔をしているというのがいる。思い当たる節があるでしょう。所謂いやな奴です。あの野郎のことを言ってるんじゃないかなんて皆思っているでしょう。「君は奴隷であるか。奴隷なら君は友となることができない」奴隷の意味はわかりますね。「君は専制者であるか。専制者ならば君は友を持つことはできない」

 さて、次に転じます。「あまりにも長い間、女性の内部には奴隷と専制者が隠されていた」

 これから女性論を展開しますけれども、このホールには三分の一くらいしか女の子がいないわけなんですけれども、「女性の内部には奴隷と専制者が隠されていた」っていってるんですね。「それゆえ女性にはまだ友情を結ぶ能力がない。女性が知っているのは友情ではなく、愛だけである。」

 どうも女ってのは友情を結べない、と昔から言われているんですが、そんなことないわって顔をしているお嬢さんもいるようですが、まあ聞いておいてください。女性の内部には奴隷と専制者とが長い間隠されていたということは、もう高校三年生、二年生となると意味がわかると思います。

 男性に対する奴隷と男性に対する専制者とが隠されていたという風に置き換えれば、よく分かるかもしれませんね。女性の中にはどうもそういうものがありますね。専制者、というのは分かりますか。圧制者、暴君、無理無体なことを言う人ということです。だからこそ女性には友情を結ぶ能力がないというのです。女性は女性同士でもそうでしょう。

 「女性の愛には、彼女が愛していない一切のものに対する不公平と盲目がある。」

 まあ女性に対して少しひどく言い過ぎていますが、これはどうも事実そういうことがあるようです。もちろん、男だってそうです。公平であり盲目でないなんてことはなかなかできませんが、どうも女性は、愛する者に対する愛が強く、客観的にものを見るということができにくいようですね。不公平と盲目があるというのはそういう意味です。

 「また、どんなに知性的な女性の愛にさえ、そこにはなお、光と並んで、発作と稲妻と闇がある。」

 発作というのは発作的に何かを言い出したり、稲妻というのはヒステリーみたいなものでしょう。闇というのは説明のできない不合理な感情ですね。これは私など、絶えずいろいろ経験していることでございます。

 「女性には、まだ友情を結ぶ能力がない。今も女性は猫であり、小鳥である。最善の場合でも、雌牛である」

 雌牛というのは、重荷をしょって歩く、という意味でしょう。ここでニーチェは女性のことだけ言っているのではありません。さあ男性諸君、よく聞いて下さい。女性にはまだ友情を結ぶ能力はない。しかし、君達男子よ。君達に、一体誰に友情を結ぶ能力があるのだろうか。そう一転して問いを改ためます。

 男性もまたおおむね非常に女々しい女性的原理で生きているのではないか。一本立ちで生きていて、ベタベタし合わないで強く、というような人間になり、表面は柔和で優しく、しかし芯においてどこか強い人間、そういう人間がやはり理想の人間像だと思いますが、君達男性よ、一体誰がそういう友情を結ぶ能力があるか。友のためにベタベタと奉仕するとか、そういうことじゃなく、友を敵として敬う、そういう人間になることができるか。

 相手を最大のライバルとして常に尊敬できるようになる、そうすればこっちも対等に敵として付き合えるであろう。そういうことですね。これは奴隷でもなければ専制者でもない、ということですね。対等の敵同士なんです。

 「おお男子達よ。君達の魂の貧しさ、魂の貪欲さはどうだ。君達男子がともに与えるだけのものを、私は敵にも与えよう。そうしたからといって、より貧しくはならないつもりだ。」

 「世の中に、仲間のよしみということはある。願わくば真の友情があってほしい。ツァラストゥストラはこう語った。」

 日本の社会では、一番最初に申しあげてあるように、どうも仲間のよしみはあるけれども、個と個が互いに敵としてわたりあって、しかも調和を保っているという、距離を持った生き方、真の友情というものは、容易に成り立たないようですね。だからこそ、最初に申しあげましたように、自分の生きる価値、意味というものをまで他人や社会から与えてもらいたいという弱さが、私達一人一人の心の中にあるようです。

 それが最初に申し上げたように、オリンピックで金メダルをとったのに保償がないといって嘆くような、おかしな論理が生れてくる原因でもあります。あるいはまた、自由という概念を二つに分けて必要な自由と不必要な自由を他人や社会に指示しようなどと、そういう便利な考え方が正しいと思うような俗論が出てくるゆえんでもあります。あるいはまた、富と豊かさというものが突然与えられて、生きる目標をかえって見失う。生き甲斐論が必要になってきたりする。そういうような時代を私達が迎えている、とも言えます。

 そのような時代に私達はニーチェが言うように、他人を敵として敬う。敵として喧嘩をするんじゃないんです。まちがえないで下さい。他人を敵として敬うような形で、出会い、競合する。

 私もみなさんにそのような人間観を確立して、自分の人生観というものをしっかり組み立てて生きていただきたいと、こういう風に思います。

 どうも長らくご静聴ありがとうございました。

 [この稿は昭和51年10月7日、本校体育館での氏の御講演を録音、整理したものです。石川県立金沢桜丘高等学校『桜高文化』編集]

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Subject:コーヒーブレイク  17 /From:西尾幹二(B) /H15/09/09 16:52
以前にも告知しましたが、9月に二つの「西尾幹二講演会」を行います。
お近くの方はご参加ください。

(1) 9月10日(水)18:30〜21:00
    金沢市観光会館

   「子どもに何を伝えたらよいのか——誤解されている個人主義——」

    主 催 金沢青年会議所
    連絡先 090−3298−8413 葭田(ヨシダ)
    入場料 ¥1000


(2) 9月27日(土)1:30〜
    浦安市民文化会館
    (京葉線・新浦安下車)東京駅から20分

   「日本再生への道」

    主 催 UNKの会
    連絡先 047−390−9727 関根
    後 援 産経新聞社千葉総局
    入場料 当日¥1500 前売¥800

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