日本の香港化  (一)
                             投稿者:西尾幹二 投稿日:2003/11/05(Wed)19時50分
   

 私はあるところで次のように書いている。

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 たび重なる北朝鮮の時間稼ぎ作戦に誤算が生じ、米朝双方が引っ込みがつかなくなって軍事衝突に至る可能性ももとより絶無とはいえないが、それよりもはるかに起こり得る可能性が高いのは、米国ならびに中国による北の核兵器の黙認である。

 かりに北がいま核兵器保有宣言をしたとしても、国際社会はどんな手も打てまい。軍事制裁など論外である。としたら制裁は核の出来ぬうちが有利なのだが、米国にはその気はない。現在核の存在を不透明にしている北の作戦は、米国にとっても必ずしも不快ではないからなのだ。

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 これは平成6年(1994年)5月9日付の産経新聞「正論」欄の私の文章である。題して「日本独自の朝鮮半島政策必要」で、これに「北と単独交渉の事態想定を」の副題がついている。

 まるで平成15年11月初旬の今のことを語っているかのごとくである。今朝の新聞では6カ国協議の文書に拉致問題は記入しないことに日本外務省は合意している。そしてKEDOの停止も考え直そうという気運である。

 平成6年の上記の文章をつづける。

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 北はNPT(核拡散防止条約)体制に事実上もう入っていないに等しいにも拘わらず、米国は無理に北を引き留めるようなポーズを示して、「核の不拡散」という建前にだけしがみついている。金日成外交の勝利である。

 クリントン政権は中国の協力が得られないと分ってから、すでに保有済みと思われる二、三発の原爆は大目に見て、これ以上の開発は許さない、などという微妙な発言に変わってきている。4月29日北朝鮮はまたしてもIAEA(国際原子力機関)の条件を拒否し、期待された再査察は延期された。それなのに30日、米大統領はホワイトハウスでラジオ演説し、北の核疑惑には「根気強く」対処していく考えだ、などと表明している。そして再び北から5月5日書翰が届き、今動機分析が行われている。

 恐らく対決回避に関係各国はほっと胸をなで下ろすだろう。けれども問題の先送りの結果、二、三年後に日韓両国は北の核兵器と共存しなければならなくなる。

 韓国では今、左翼進歩史観が知識人の心を捉え、日本の戦後のような雰囲気だそうで、反米感情も根強い。米国がかりに北に先制攻撃をしかけたら、デモがソウルを埋め、米韓離反は決定的になるといわれている。北はそれを見越している。

 つまり北の核武装は韓国をフィンランド化する。日本に恐怖を与え、在日米軍基地を無力化する。通常兵器の軍拡では得られない効果である。そうなったら日韓の利害は決して一致しない。韓国は無気力になり、北の言いなりになる。

 今でも米国は韓国を相手にしないで北朝鮮と直接交渉しているが、米軍が消極的でありつづければ、日朝の直接対決交渉とならざるを得ないだろう。

 日本に対する米国の冷淡さ、再び抬頭してきたロシアの大国化、中国の混乱と傍観——明治日本が日清・日露で苦闘した状況がわが列島に徐々に忍び寄っているといえないだろうか。

 ただ単に他人事のように国連に「協力」したり、米韓と「連携」したりすることで日本の防衛は全うされるのだろうか。今われわれに必要なのは、冷戦後の新しい状況に備えたわが国独自の「朝鮮半島政策」ではないだろうか。

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 ほぼ今の状況と同じである。国際政治を論じる文章には予言の能力が必要である。

 東アジアの中の日本の位置について私が過去にどんなことを語っていたか、これからしばし材料だけを順次提供しよう。
 


日本の香港化  (二)
                                 西尾幹二 - 2003/11/07(Fri)10時54分
 

 平成7年(1995年)1月6日の私の文章(産経コラム「正論」)の一部を以下に掲げる。この年は国会謝罪決議でもめ、これが不成立となり、抜打ち的に村山談話が出され、閣議了解事項とされた。

 福田恆存先生が2ヶ月ほど前に亡くなられ、少し前に大江健三郎のノーベル賞さわぎがあった。

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 冷戦後、世界では各地でゆっくりと、再び新たな帝国主義が生まれつつある。

 アジアでは中国が覇権へのきばを研ぎはじめた。中国市場をめぐって日米がしのぎを削る状況は、日露戦後から第一次大戦へかけての時代とそっくりだが、韓国が次第に中国に接近し、朝鮮半島そのものが日米から離反し、大陸に秋波を送る状況は、日清戦争の前に近いともいえる。

 今、韓国に最大の発言権を持っているのは中国であって、米国ではもはやない。米国は朝鮮半島に見切りをつけ始めている。昔と違うのはロシアとイギリスが手を引いていることと、日本に打つ手がないことだ。
 
 昔の時代はなにひとつ参考にならないのに、状況は百年前に少しずつ似ている。いったい日清・日露まで日本はなぜ自分の羅針盤ひとつを頼りにして、何とか国を亡ぼさずに大過なく生き延びることに成功したのだろうか。

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 私はこう問うて、次のような答えを書いている。

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 自分の過去を否定したり反省したりする利口な人間がいなかったからだ。自分の時代を何時代だななどと定義して生きるような閑人がいなかったからだ。未来が怒濤のごとく押し寄せてきて、小利口に生きる余裕は誰にもなかった。

 本当は第二次大戦だって、われわれはそのようにして生きたのである。それが軌道を踏み外した錯誤だったのかどうかも、じつをいうと、誰にもまだ分からない。

 さらに50年、日清・日露と同じくらいの時間の距離ができなければ、なにひとつまともな、後世に恥じないですむ判断はできないだろう。

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 ここでは別の話に転じているが、前段の「日清戦争の前に近い」という情勢判断は、前年の5月9日付の指摘とつながっている。今でこそ同じ指摘をする人はふえたが、1994年−95年当時に「日清戦争前」を示唆する人はいなかった。
  


日本の香港化  (三)
                       西尾幹二 - 2003/11/09(Sun) 09時31分

 平成8年(1996年)の当時、どういうわけか大東亜戦争の解釈をめぐって、われわれのサイドから激しい反論が起こっていた。平成10年に出した『沈黙する歴史』(徳間文庫)の中に入れた私の重要な歴史認識をめぐるエッセーは、大半が平成8年に書かれている。

 次は同じく産経のコラム「正論」欄の、7月4日付「歴史は沈黙しつつ抵抗している」で、副題は「無言の中の拒絶の声をきけ」の冒頭である。

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 歴史には沈黙している部分がある。沈黙しながら、じつは声を発している。無言の裡に声を発している。そういう部分がある。簡単には言葉にならないし、あえて言葉になろうとはしないのだが、、外から言葉を与えられると、不服従を示すのである。
 
 戦争に敗れた国の歴史は、一般に抑圧されている。敗北民族は自らのかつての神を忘れ、勝利民族の神を新しい守護神として祭壇に祀りあげる。生きるための必要がそうさせる。そのうち自分が信じていた神の名さえ忘れる。

 世代が代わり、旧敵国の道徳を自分の道徳とし、旧敵国から加えられた不正や犯罪までをも、自分の神の罪深さのせいにしている方が便利で、生活しやすいということになると、もう誰も昔の神のありがたさを思い出す者はいない。
 
 けれども、そういうときでも、歴史は声を発している。言葉は発していないが、黙って語りかけている。歴史には沈黙している部分がある−−これは古代から現代に至るまで変わらない。

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 江沢民と金泳三の二人がソウルで日本の過去を裁く共同記者会見をしたのはその前年だった。江藤総務庁長官——このたび衆議院議員を引退された——が「日本は韓国にいいこともやった」とオフレコで発言したのが騒ぎとなり、引責辞職された。大臣の対韓発言による辞任はこの人が最後である。私は同文を次のようにつづけている。

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 昨年は中韓両国主脳が共同記者会見で「日本の過去」を叩くという初めての統一行動をとった。これは新しい現象である。

 江藤総務庁長官のオフレコ発言を韓国紙に通報した一記者の行動が、ただ非難される程度に終わらず、刑法に触れる犯罪ではないかとさえ取り沙汰されるようになった。「日本の過去」を政治手段として用い、日本を屈服させようとする内外の威嚇は、新段階に入った。
 
 中国がアジアで覇権のきばを研ぎ始め、韓国が中国の顔色を窺うようになった今日、謝罪外交でやっていけると考える甘い誤算は危険ではないか。

 「ご免なさい」と言って相手に好意をもってもらおうという程度に、国家間の関係をとらえていい範囲は、条約違反や領空侵犯など、きわめて小さな分野に限られている。戦争に関する解釈は、戦勝国と敗戦国の双方に言い分があり、ある段階から先は沈黙以外にないのが常だ。

 昨年8月の村山首相の不用意な謝罪談話が、つけ入られるスキを新たに作った。中韓両国はここを突っこめば日本は白旗を掲げるを確信し、勇み立っている。
 
 もうここまできたら日本は肚をきめ、自らの政治意志を明言しないわけにはいかない。日本もまたかつては「半植民地国家」であって、被抑圧の歴史の一部をアジアと共にし、自国が破滅するわけにはいかなかった、これ以上道徳的に非難される理由はない、ときっぱり拒否すれば、もうそれから後はかえって何も言ってこなくなるというのが、私の見通しであるだけでなく、政治の常識である。
 
 そしてそれでも戦争の解釈そのものは未解決で、まだ残る。それは時間の裁きに待つべきだろう。

 歴史には沈黙している部分がある。われわれはそこを軽々に踏み荒らしてはならないのだ。

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日本の香港化  (四)
 西尾幹二 - 2003/11/11(Tue) 09:19
 


 以上(一)〜(三)までに、東アジア情勢と日本の位置に対する私の認識が示されているが、まだ「香港化」という言葉は使われていない。

 この言葉の初出は、平成8年(1996年)の文芸誌『新潮』9月号の「創刊1100号記念特大号」の中である。

 私は見開き1ページの小さな欄「21世紀望見」に寄稿している。題して「日本は『香港』になる」。

 同文章は久しく忘れていて、日録感想板で私のこの言葉使いに賛否両論が寄せられ、関心を持たれたので、思い出して捜したが、どの自著にも収めれれていないと分かった。編集者に頼んで、新潮社の書庫から拾い出してもらった。見つけるのに苦労したらしい。送られてきたフアクスには「西尾さま。発見!しました」と添えられていた。全文を引用する。

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 日本は「香港」になる

 最近の小中学校では「生徒が授業を聴かない」症候群に悩まされていると聞く。

 先生が授業を45分間なんとか持たせるために、例えば剽軽で不作法で皆を盛りあげる生徒を一時的な主人公に仕立てあげるなどの、教師にはばかばかしくも面倒な工夫が必要なのだそうだ。

 教師が呼べと叫べど木霊が返ってこないブラックホール——それが現今の子供の世界である。いうまでもないが、同じ波は大学にすでに及んでいる。

 むかし大学の教師は学問研究の最先端を講議していればよかった。ことさらの教育は必要ではなかった。学生は自ら問題を見つけ出して、自然に成長していく。大学の教師が研究者でありかつ教育者であるという意味はそういうことだった。

  はるか遠いむかしの話しである。
 
 いまは全国のあらゆる大学で——一流二流を問わず——真面目な教師であればあるほど、なんらかの人為的なチャレンジングの状況を作らないと学生たちに勉学への動機づけを与えることができない、という差し迫った思いに悩まされているはずである。しかし大抵の大学では具体的ないい方法が見出せず、途方に暮れている。
 
 中学生の三人に一人がいじめの対象になり、不登校を当り前の権利のように言う子も増えている。大学の受験科目数がどんどん減り、一方、第二外国語を廃止した大学が増えている。互いに関わりのない義務教育と高等教育の現象の背後に、一つの共通の変化、社会の中のなにかがずれ落ちていく秩序崩落の病理がある。

 教育は今や教育の手に負えない、教育組織の内部だけでは解決のつかない次元の問題にぶつかっている。
 
 二十一世紀はここを通過してきた子供たちが主役になる。そう思うと、暗澹となるが、考えてみればすでにしてこの国の政治、経済、司法、行政、マスコミといったほとんどすべての分野で崩落は始まっている。
 
 外国の干渉で大臣を罷免する内閣。党利党略のためとあれば国の利益を二の次にする野党。今の政治家たちは物事の取り返しのつかなさということが完全に分らなくなっている。

 妻子三人を計画的に殺した男を死刑にしないばかりか、殺人犯を父親に持つ子の将来は不憫だからという父親の子殺しの弁解を判決文で正当化する裁判官。かと思うと、国家主義的テロリストを反国家主義的自由の旗印しに利用するオウム弁護団とそれを応援するマスコミ。なにかが狂い始めている国にしてはじめて起こる「常識」の喪失である。

 今あらゆる分野で戦後の飢えと忍耐を知らぬ世代が各権力の中枢を掘りだし、日本の未来を動かし始めている。沈滞する子供の世界は、大人の世界の反映にすぎぬ。
 
 このままいけば恐らく日本は二十一世紀に“アジアの香港”になるだろう。アジアでいぜんとして最も生活レベルは高く、ハイテク文明を築くが、国家意志はなく、刹那的個人主義だけが跋扈する、あってもなくてもいい虚栄の市場。
 
 中国にとっては香港がそうであったような位置を、アジア全体の中で日本が占める日はそう遠くないであろう。

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 もっぱら内政が書かれている。しかし、雑誌が文芸誌であったから、産経コラム「正論」のような題材の扱い方を避けただけである。

 内政と外政は一体である。教育と外交(安全保障)はいわばウラとオモテである。
 
 


日本の香港化  (五)
 西尾幹二 - 2003/11/12(Wed) 15:03
 

 平成8年(1996年)12月、「新しい歴史教科書をつくる会」が赤坂プリンスホテルで記者会見しスタートしたときで、同じ12月の号、徳間書店の月刊誌『サンサーラ』(今は廃刊)に私は「ワイマール時代のドイツと日本の政治状況」を書いた。この一文は『歴史を裁く愚さ』(php研究所)に収録されているので、用いられた「香港化」という表現に気がついて下さった愛読者のかたは少くない。

 (四)に紹介した『新潮』の文章のつづきのような内容になっている。評論全体の最初の三分の一ほどを再録する。

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 このままいけばおそらく日本は、21世紀には「アジアの香港」になるであろう。

 いぜんとしてアジアでもっとも生活レベルは高く、ハイテク文明に彩られてはいるが、国家意志といったものをまったく持たない国、刹那的な個人主義だけが限りなく跋扈する虚栄の市場としての国になり果てるであろう。中国にとって、かつての香港がそうであったような位置を、繁栄するアジア全体の中で、日本が占める日もそう遠くないのではないか。——というような悪夢を心のなかで抱くこと久しく、私は最近あるところでそう語りもしたし、書きもした。そうなっては困るのだが、しかしそうなるのではないか、いや、間違いなくそうなるに相違ないという悪夢のような心理を、私はここ数年、ずっと持ちつづけてきたのである。

 そのような暗い予感に捕えられるようになったのはいつの頃からかといえば、少なくとも田中・福田・中曽根内閣の時代まではそうではなかった。当時はどんなに国内の秩序が乱れ、反体制運動が街頭に乱舞しても、とりあえずの基軸が日本の中にあるという一種の信頼感を見出していた。

 ところが冷戦の終結、1991年のソ連の崩壊という大きな歴史的変化によって起こった波が、日本列島にもようやくひたひたと迫ってきた結果なのであろう。ここ数年来にわかに、いわゆる「溶解現象」ともいうべきことがあちこちに起こってきたのである。政界の中枢においても、官僚の中枢においても、また各種の学校や社会組織などにおいても、おやっと思うような不安な決定が、比較的若い世代の指導者たちによってなされることが目立ってきた。

 たとえば、外国人を地方公務員に採用するというようなことが議論の段階を一挙に飛び越えて、地方自治体の一部であっという間に実行の段階に入ってしまった。あるいは夫婦別姓という民法の驚くような改正、それをすれば家庭という最後のきずなが断ち切られ、ひいては社会が瓦解していくような措置が、予想もしないような審議会において、つまり誰もそんなことを考えておらず、誰も主張していなかったにもかかわらず、一部の法務官僚の手によって急速に法案化段階にまで浮上した。

 あるいはまた私の教師としての現場においても、大学の一般教育を再編成していいということになったがために、改革に次ぐ改革と称しながら、結局、大学がわけの分らないものに変わってきている。

 もう一つの例を挙げると、妻子三人を計画的に殺害したつくばの医師は、死刑判決を受けなかった。死刑の是非についてはさまざまな文明論上の問題がからむことであるから、一概にここでその当否を批判するつもりはないが、しかし「殺人犯を父親に持つ子供の将来が不憫であるから殺した」という犯人の言い分を認めた判決文は何とも不可解である。裁判官は失言というにはあまりに行き過ぎた常識の逸脱である。

 尊属殺人や卑属殺人が最高裁で取り消されてしまった時代の要請をもっとも端的に示す変化といえるが、こんな釈明が罷り通るとすれば、殺人犯は自分の父親の不名誉を思うと忍びないといって父親を殺害しても当然だという議論にも通じかねない。さらにまた、国家主義的テロリストである麻原彰晃を反国家主義的自由の旗印に利用するというばかばかしい矛盾を平気で犯すオウム弁護団の出現と、それを応援するマスコミというような奇現象も堂々とまかり通っている。

                  (以下つづく)

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日本の香港化  (六)
 西尾幹二 - 2003/11/13(Thu) 21:23
 

 平成8年の拙論「ワイマール時代のドイツと日本の政治状況」のつづきは次の通りである。

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 日本は「アジアの香港」になる

 つまり、今までの理性ではとうてい理解できないような現象が、ここ数年、社会のあちこちで一斉に噴き出してきている。それが私をしてこの国の先き行きに抑えがたい不安を覚えさせ、このままいけば「アジアの香港」になるのではないかという危惧を抱かせる原因になってきた。これは何も私だけがとりわけ敏感だからというわけではなく、おそらく国民の大半がしだいにひそかに共有し始めている不安ではないかという気がする。

 すべては、何かが狂い始めている国にして初めて起こる常識の喪失にある。そしてそれは時期的に、どうやら自民党と旧社会党、さきがけの連立から始まっているといえなくはない。もちろん底流はそんなものではなく、心理的精神的にもっとずっと以前にさかのぼることができる。そしてそういう底流があったからこそ作ってはいけない連立政権が作られたともいえるのだが、少なくとも顕著な現象として非常識がひろがり始めたのは、まさしく同じ時期からといっていいだろう。以来、この国の政治、経済、司法、行政、教育、マスコミといったほとんどすべての分野で、とめどない崩壊が始まって今日に至っている。

 何よりもまっ先に政治がおかしくなってきた。宮澤喜一内閣の末期に始まった謝罪外交がその濫觴である。教科書の「侵略」を「進出」と書きかえたという誤報が中・韓両国に伝わり、これがまったくの事実無根であって、文部省がそのような事実はなかったと反論したにもかかわらず、時の鈴木内閣の宮澤官房長官は、あっという間に文部省の頭越しに中国に謝罪外交をした。これは昭和57年の出来事だが、すべてはここから始まっている。

 それからというものわが国は、中国及び韓国からの強烈な圧力と、これを梃子にして日本国内を混乱させることを目的とした両国の戦術に乗せられっ放しで、右往左往するばかりであった。そしてこの同じ趨勢は宮澤内閣末期の平成4年、内閣が崩壊する直前に、河野洋平官房長官が従軍慰安婦の強制連行があったとして、これまた全くいかなる証拠もなかったにもかかわらず——最近そのことを本人自らが認めた——謝罪するという事態において再び繰り返される。

 このとき韓国政府は、もともとこんな話題が日本のマスコミから出たことを迷惑がっていたのである。廬泰愚大統領は「今ごろになって日本のマスコミは何でこんなことを急にいい出したのか理解に苦しむ」というコメントを述べていたほどだった。

 しかし日本から一旦火がつけられた場合のこの国の感情は、金銭的解決策ではなく、強制連行があったという事実だけは認めてくれという政治的要求となり、これが外交取り引きへと発展し、またしてもあろうことか宮澤内閣は、後々どれほど取り返しのつかないこととなるかという政治的判断もないまま、補償金を支払わないかわりに強制連行の事実を認めるという政治的妥協案を唯々諾々と受け入れてしまった。

 事を荒立てないためのまあまあ主義がわが国の外交をどんなに傷つけているか計り知れない。実際、以上は宮澤喜一という政治家が二度にわたって犯した、国民に対する犯罪だと私は考えている。

 以来、内閣は何度も代わったが、どの内閣もこの構造から抜け出すことができないできた。中・韓両国の干渉でみずからの大臣を罷免するようなことを再三繰り返してきた。しかも一方において今度は野党に回った新進党までが、党利党略のためとあらば中・韓両国の主張を盾にとって政府を攻撃するという、いわば国の利益を二の次にするような愚行を重ねてきている。もやは今の政治家たちは、物事の取り返しのつかなさということが完全に分からなくなっているといわざるを得ない。そしてそれはひとり政治家だけでなく、官僚においても同様である。     
                            (以下略)

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 上で述べられた内容はすでにかなり広く知られ、恐らく目新しくはあるまい。「日本の香港化」はこういう内外の政治危機から用いられたことばだが、2001年9月11日の米国同時多発テロとイラク戦争、そして経済と外交の両舞台における中国の抬頭という新しい現象は、「香港化」への具体的危機を一段とつよめている。
 


日本の香港化  (七)
 西尾幹二 - 2003/11/14(Fri) 15:55
 

 冷戦の終焉とドイツ統一このかた、私は経済のことはよく分からないが、漠然次のような譬えばなしを頭の中に思い浮かべてきた。

 「熱いお湯と冷たい水の入った二つの盥がある。ドイツは二つを大きなバスタブにいっぺんに入れて、かき混ぜてしまったようなものだな。」
 「それなら日本はどういうことなの?」
 「熱いお湯の入った盥を一杯に水をはった大きなバスタブの上に浮かべたようなものさ。」
 「どっちの方が盥のお湯の温度は早く冷めるだろう。」
 「短期的には前者だね。でも長い目でみると後者の方がこわいなあ。」

 なにしろドイツの場合よりも日本を浮かべたバスタブは大きく、ざっと20倍はある。しかも温度差もずっと大きい。私はそう考えたし、さしたる理由もなく、今も漠然とそう思っている。
 


日本の香港化  (八)
 西尾幹二 - 2003/11/15 15:46
 

 ここで日録感想板に10月7日にとつぜん三回書いて、そのあとハタリと書かない高田雄二という方の書きこみを紹介してみたい。高田さんはどういう方か知らない。しかし、私には強烈な印象を与えた。私の感想はいっさい付記しないで、一回づつ掲載する。

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/1170: 日本の「香港化」は現在進行中です /高田雄二 /H15/10/07 17:25:11

「香港化」ですが、いろいろな示唆があると思います。中国という国は、現在13億の人口がいて、経済成長する必要があるのですが、そのときに真っ先に利用されているのが「香港」だと思います。実際のところ、香港の膨大な貿易赤字のおかげで、中国は外貨を稼いでいます。対日貿易も中国側の輸出超過なのですが、香港を加えると、なんと中国側の輸入超過になるのです。

これが言わんとしていることは、中国が国内を発展させるために、香港400万人の富が中国内陸に移動しているということです。もちろん、400万人の富では足りません。次に中国が目標にしているのは、台湾2200万人の富を、中国内陸部に移転することです。そして、最後に1億2000万人の富が中国の東部に転がっているのをご存知でしょうか?

アメリカ、特に、米民主党の考えでは、日本・台湾さえ非武装でいれば、日本の富を中国が収奪しても干渉はしないでしょう。そして、アメリカは、日本から収奪した富で、幾分、豊かになった中国を市場として、通商条約を結べば、経済上はまったく不都合がありません。

一方、1億人の日本人は13億人の中国人と富が平準化されるのですから、日本人の生活水準はかなり落ちると思います。ここまで見越して中国にODA援助をしている政治家などいないでしょうね。ODAとは、中国へ進出した企業や商社というまったく国防意識のない組織の便宜を図るためだけのもので、長期戦略などありません。対中投資の社会基盤が、難癖をつけられて没収されるとも思わずに平和なものです。すでに日本の香港化は始まっていると見たほうがいいでしょう。

=============(日本の香港(九)2003/11/16 09:35)

/[1171: 石原氏では広範な支持が得られなかった /高田雄二 /H15/10/07 18:42:11

西尾氏や中西氏は、小泉氏に懐疑的で石原氏を推しています。数十年も前から、日本の外交姿勢に警鐘を鳴らしてきた諸氏には、小泉氏がもどかしいのはわかります。しかし、石原氏だと逆に急進過ぎて、一般の国民が付いてこられなかったと思います。また石原後の左翼反動も怖いものがあります。ご存知のように、憲法改正には、国会議員の3分の2の賛成と、国民投票で過半数の票が必要です。この要件を満たすには、左翼中道系の議員を取り込むか、落選させるしかありません。また、国民の半数となると相当な啓蒙活動が必要です。

もちろん、小泉首相の真意は分かりません。就任当初には親中国派で日本の「香港化」を推進している田中真紀子氏を外相に起用するというポピュリストです。しかし、小泉首相は、田中真紀子氏起用と更迭、北朝鮮訪朝と拉致問題、安倍晋三幹事長起用と、綱渡りのように、高支持率を維持しています。小泉首相の3年間は、構造改革という経済面で、遅々と進まないのに対して、自衛隊の海外派遣、有事法制と安保面では飛躍的に進歩しています。憲法改正も道筋をつけたいといっています。

この3年間で、徐々に、中国・朝鮮謝罪派、護憲派は権威を失墜しました。小泉首相がそう仕向けたのか、小泉首相が民意に従ったら、こうなったのか分かりません。しかし、着々と前進しています。石原氏だと、急進的なので、ついて行けない人も多く、左翼反動もあったでしょう。それに、西尾氏も、GHQに洗脳された自虐知識人の壁の厚さに絶望した趣旨のコメントも以前しています。私も絶望するときがありますが、確実に日々、よい方向に向かっていると思います。

私は、最近、俄かに保守系に知識人に台頭しだした、「憲法解釈変更による集団自衛権の行使」について危険性を感じます。これは、まさに護憲論の新バージョンです。おそらく、これこそ、米保守層が影で入れ知恵していると思います。護憲で集団自衛権を行使するというのは、実質上、自衛隊を米軍に永遠に従属させる政策で、自衛隊を国連に従属させるのと同様に愚策です。あれほど、ブッシュ大統領に協力的な小泉首相が、憲法解釈を変更しないのは、その危険性に気づいているからだと思います。自衛隊派遣は改憲によって実現するものです。私は、石原氏よりも小泉氏のほうがアメリカからみて手強いと思います。
 
==============(日本の香港化(十)2003/11/17 09:47)
 
[1172] アメリカのペルソナ /高田雄二 /H15/10/07 19:22:11

>片岡氏の話は何処までも悲観的である。唯一の米軍プレゼンスの可能性は中国が最後に残った覇権国、対米挑戦の国だということにつきる。それ以外にアメリカが朝鮮半島、日本、台湾を気にかける理由はもうなくなっている。(日録10月1日)

私は、これこそアメリカの本意だと思っています。しかし、これこそ、アメリカが日本を絶対に捨てられない理由だと思います。(もちろん、だからといって、民主党のように、イラク戦争に協力しなくても、日米安保があるので、アメリカは日本を守る義務があると安住していたら、本当にアメリカに捨てられます。ちょうど、韓国がいくら反日策をとっても、地政学的に日本は韓国を絶対に捨てないと勘違いしているのと似ています。)

さて、この覇権国アメリカのペルソナですが、一般のアメリカ国民は意識していないでしょう。ヨーロッパの因習を嫌って自由と独立を求めて新天地を求めてきた人たちですから、モンロー主義も悪くないと思っています。しかし、有識者はすでに、アメリカを維持するためには覇権国でなければならないと気づきはじめています。アメリカの自由と結束を支えているのは、フロンティア精神ではなく、膨大なエネルギーです。膨大なエネルギーを独占するためには、世界に自国軍を配置し、常に軍事的プレゼンスを維持する必要があります。逆にその目的を達成すれば、極東のエコノミックアニマルとの経済紛争なんて小さな問題になりつつあります。

そして、その最大の脅威が中国であるのは自明です。もし、中国に東南アジアと日本を抑えられたら、米軍のインドと中東へのアクセスは完全に失われます。そうなれば、今はしぶしぶアメリカに従っているヨーロッパもロシアも、アメリカを完全に見限るでしょう。オセロゲームのようにアメリカの陣地は新大陸だけに縮小します。そして、何よりも怖いのが、世界一の大国ブランドを失ったときのアメリカ国民の精神的荒廃です。おそらく、エゴが噴出して、内紛が始まり、富は偏在して、マフィアが跋扈する中南米のような状態になるでしょう、もともと歴史などない国ですから。

余談ですが、そのときには、日本は中国に隷属して、富も知識も宗主国に奪われた極貧国に転落しているでしょう。

クリントン政権の末期からその危険性に気づいてできた政権がブッシュです。日本は、未来永劫アメリカに従う必要はありませんが、向こう20年間はアメリカの覇権を支えることが日本の国益に合致します。その間に中国が中華思想の国から脱却するのを期待するしかありません。片岡氏は、日本を過小評価しますが、それは、くしくも、
>「中国人は話が大きい。戦略の話をひとつしてもスケールが大きい。日本人に話してもほとんど通じない。」(日録10月1日)
という片岡氏が典型的な日本人であるという証左でもあります。

逆に、アメリカこそ、日本を必要としている面もあります。少なくとも覇権国アメリカを支えるのは日本の国益にも合致します。日本の人口はアメリカの2.5分の1です。アメリカほど片意地を張らなくても、アメリカの補佐でも国民の富は維持できます。アメリカ支持を従米主義と捉えるのではなく、パックス・アメリカーナのサブシステムとして日本が機能していると壮大に考える意識改革が必要です。その間に、アメリカから軍事技術を移転してもらい、しかるべきときに備えればいいだけです。家康の忍従を思い出しましょう。

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日本の香港化  (十一)
 西尾幹二 - 2003/11/24(Mon) 11:34


日本の香港化  (十一) : 西尾幹二 /2003年11月24日 11時34分
             「(九)と(十)は(八)に統合されています」


 「日本の香港化」と題した日録(八)〜(十)に、高田雄二という方の三つの文章を掲載したのは、10月初旬のこの書き込みに当時すばやく注目していたからで、全文に納得していたからでは必ずしもない。

 高田という名が本名か同かも知らないし、どういう方かも分らないが、刺激的で、面白い内容だと思った。香港の富が中国の内陸に移動し、香港に次いで、台湾、そして日本列島の順にうかうかすると吸引されるという警告は、今の時代に必要である。そうならないように自戒し、警戒するためのいいヒントである。

 「アメリカが日本を守る義務があると安住していたら、本当にアメリカに捨てられます。」という言い方は誰でも言えるが、それは「ちょうど、韓国がいくら反日策をとっても、地政学的に日本は韓国を絶対に捨てないと勘違いしているのと似ています。」は面白い。かって金完燮氏が『日韓大討論』で「米軍を撤収して安保同盟を破棄するとしたら、勧告では日本と安保同盟を結ぼうという声が高まると思います。」(240ページ)とあっさり言ってのけた言葉を思い出させる。私はこのとき「アメリカが半島から手を引いた後の日韓安保同盟に関しては、日本は<ノー>と言うでしょう」とただちに反論している。韓国人の「勘違い」である。

 高田さんの指摘には他にも納得のいく、想像力を刺戟するモチーフが散りばめられている。アメリカが自己縮小し、新大陸だけに収まったときの「アメリカ国民の精神的荒廃」に関する部分をもう一度お読みいただきたい。私もまったく同じ悪夢を、1990年当時につよく意識したことがある。以下は拙著『自由の悲劇』(111〜112ページ)からの一節である。

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 1989年のゴルバチョフによるソ連の力の後退劇はアメリカの健全ぶりを示すことにはならなかった。むしろ逆のイメージを増強させ、アメリカの思わぬ面をわれわれに意識させる結果となった。

 ソ連の最大の悩みは多民族問題だが、そのコンフリクトの凄まじさは、米ソ両超大国のイデオロギーの覇権争いが終わった後で、地球上で起こる争いの最たるものが何であるか、人種、言語、宗教のコンフリクトこそが21世紀の命運を左右するのではないか、という反省をわれわれに甦らせた。そして、ふと気がついてみると、アメリカはソ連とは違った形式ではあるが、じつは内部にどうにも解決のつかない最大の問題、アメリカ産業の行方を遮っている社会の秩序のきしみや痛み、人種によるコンフリクトを火種のように抱えている代表国であることを、あらためてわれわれに認識させたのである。

 半世紀後にアメリカがどうなっているか、われわれには到底わからない。「多民族国家」に特有の多元的活力がアメリカを再び不死鳥のように蘇らせるか、それとも逆に、白人と有色人種との対立激化によるアメリカの南ア連邦化、あるいは第三勢力への転落という、今まで考えてもみなかった恐るべき事態がやってくるか、先のことはまったくわからない。しかし、21世紀には何が起こっても不思議はない条件だけは揃っている。

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 アメリカが縮小し中国が膨張するというのは悪夢である。高田さんは未来に起こるかもしれないこの悪夢を語っている。しかも手負いの獅子になったアメリカは20世紀のアメリカよりもっと恐ろしいかもしれない。

 が、すぐにそうなるという話ではない。100年くらい先の話である。それまでに、日本は「アメリカから軍事技術を移転してもらい」、「中国が中華思想の国から脱却するのを期待する」という彼のもの言いには納得する。中国人が豊かになり、中産階級化すれば、十分にあり得る話である。

 それまでは「アメリカ支持を従米主義と捉えるのではなく、」「家康の忍耐を思い出しましょう」は、私の立場でもある。

 しかし一番恐ろしいのは、アメリカへの日本人の油断であり、心の弱さからくる依存心理である。「忍耐」にはしたたかに強い心が要請されるのである。

 


: 日本の香港化  (十二)


日本の香港化  (十二) :         西尾幹二 /H15年11月25日 09時16分


 私は『Voice』12月号に「小泉純一郎と安倍晋三」という題名を付けられた論文を出稿している。この冒頭の部分の約3ページは、日本の政局とは直接関係のないアジアの情勢論である。

 「日本の香港化」と題した連載のしめくくりとして、同文をここに引用する。論文全体は10月15日〜17日の3日間かけて書いている。思い出せば18日〜21日の4日間で「科挙と赤穂浪士」(『諸君!』12月号)を書きあげ、23日から月末にかけて会議や会談をこなし、四つの雑論文を仕上げて、それから「船橋西図書館焚書事件一審判決と<はぐらかし>の病理」(『正論』1月号)をあわただしく書いて、11月6日にフランスに発った。『諸君!』1月号は休載となる。読者に関係のないこんなことを付記するのは、これでは健康が危ないなァ、と少し不安になっているからである。余りにムリをしている。今までの経験でも、こういうとき病気をするのである。

 さて、私個人の話はこれくらいにして、しめくくりの一文を掲載する。

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  小泉純一郎と安倍晋三

  誰が本当の改革者か
——「国家への忠誠心」なしに日本の大本は立て直せない——

 本稿を書き始めたのがちょうど10月15日、中国の友人宇宙船が打ち上げに成功したとの報が入った日である。計画は1992年にスタートし、99年から四回の無人実験を経ているそうである。

 たしか、文芸評論家の故村末剛氏が日本の有人宇宙船の必要を唱えたのは、中国の計画よりもずっと昔のことだった。村松氏は政治効果を第一に挙げた。私は共感したが、日本の中で反応する人はいなかった。子供っぽい夢物語と思われただけだったのかもしれない。

 日本の宇宙開発は、その後アメリカの指導の下で、資金協力と人材派遣のかたちで、アメリカ文明に寄与するプロジェクトとして行われている。日本人宇宙飛行士は米大リーグで活躍するイチローや松井のような存在である。

 独自の宇宙開発に乗り出した中国に日本はいぜんとして政府開発援助(ODA)を与えつづけ、それも他国に比し巨額である。最近も首相の靖国参拝に対する中国首脳の抗議は繰り返された。終戦でソ連や蒋介石に引き渡した化学兵器に責任は持てないのに、管理責任を問わずに、日本は一兆円もの補償を約束させられている。珠海市で集団売春事件があった由、詳報のないままに外務大臣はいち早く謝罪している。例によって例のごとき不始末である。

 しかし多くの人がすでに気がついて怒っている右の比較対照よりも、私に不安と苛立ちを与えたのは——多分大概の日本人は気にしなかったと思うが——北朝鮮核開発阻止の六カ国協議に先立つ北京会談が、米中朝三カ国で行われたことだった。20世紀前半までの世界史における安全保障会議(軍縮会議等)に、日本を排除するなどということは考えられなかった。まして東アジアの平和維持会議に日本が最初から参加しないだって?・・・・・私が恐れたのは、今の若い人たちがこれを見て、不思議だと思わず、日本の安全を米中に任せることを当り前の措置だと受け入れてしまうことだった。

 韓国外務省は北京会議に韓国が外されたことに痛恨の意を表明した。しかし日本外務省からは寂として声がなかった。日本は韓国に比べて、大人なのか、それとも準禁治産の痴呆症なのか。

 本稿を中国の有人宇宙船から書き始めたとはいえ、私は中国の脅威を今さら論じようというのではない。むしろこのような局面で、アメリカに対する日本外交の存在感の薄さのほうが今や問題である。アメリカ自身が対日政策を迷い始めているときだからである。日本脅威論は確実に去り、さりとて庇護必要論も次第に説得力を失いつつある。9・11多発テロ以来、アメリカは中国を有力なパートナーと看做さざるを得なくなったが、加えて北朝鮮政策で一段と中国への依存度を高めている昨今、日本はアメリカからにわかに見窄らしい国家に見られ始めているはずである。

 北朝鮮から核の脅威を取り除くという合意において、米中が妥結し、それに成功した暁の東アジアの政治情勢をわれわれは今から予想し、直視しておかなくてはならない。核抜きで北朝鮮の現体制がかなり維持されたとする。日本を平和中立国家のままに北朝鮮と対立させておくのは、中露韓の利益に適い、日本自らがそれでよいなら、アメリカも「どうぞお好きに」というだろう。勿論そうなれば、拉致は中途半端な処理で終わる。戦争さえなければ何でもあり、が許される日本のことである。

 仮に北朝鮮の現体制が交替した場合を考えてみる。拉致は解決するものの、朝鮮半島全体は混沌とし1910年の直前のように自己管理能力を失っていくが——否、すでにそうなりかけている——日本は管理者になれない。いったいどの国が主要管理者になるのか。米中はすでにこの点で話し合いに入っていると私は見る。そしてその際、朝鮮半島と日本列島はワンセットで考えられがちである。六カ国協議の焦点は北朝鮮ではじつはなく、日本である。日本の核武装を阻止し、米中の許容範囲の中でどの程度まで大国日本を泳がせるのか。すなわち朝鮮半島と日本列島の非核中立構想、米中露三国の包囲網の構想がそれである。

 これは日本を矮小化し、大陸の附属地帯として中国の保護国へ傾斜させていく危険な可能性を孕んでいる。アメリカがそれを許容するはずがないと安心するのは甘い。日本は独立心を失ってアメリカの意志に従属する国家である限り、アメリカによって軽く扱われ、いつでもカードの一つに使い捨てされる。

 今わが国の保守言論界では、解釈憲法の枠を拡大して、集団的自衛権の承認を進めようという動きがあるが、憲法を改正せずして、解釈枠を次々に広げるこの措置は、アメリカにのみ好都合でありすぎる。アメリカの庇護下における軍事力の増強、日本が独立自由意志を奪われたままでの軍事協力の延長化、固定化を招きかねないだろう。

 これはアメリカの悪意なのではなく、日本が自らの弱さから自らをアメリカに不必要に縛りつける日本人の心の落とし穴の問題である。憲法改正が急がれる所以である。本当の自主独立への決意が待たれる所以である。

 野球ならイチローと松井の大リーグでの活躍を楽しんで観ていればいいかもしれない。しかし宇宙開発なら、自国で有人宇宙船を打ち上げるくらいの気概がなければ、やがてこの国は危うい。否、野球でも、日米のプロ野球はもともと別世界であった。両国で違う楽しみ方をしていた時代のほうがずっと健全であったようにも思う。日本の超一流選手が1.5流の働きしか出来ないのを毎日見せつけられ、それを有難がってテレビ放映している昨今の図は、休みない屈服の確認であり、日々刷りこまれるアメリカの出店文化としての自己承認である。

 われわれは中国を最大限に警戒し、そのためにアメリカの力を借りるのはやむをえぬとしても、主体はどこまでも日本であって、アメリカへの依存心理にややもすると陥る日本人自身の心の隙間、弱さ、油断を、中国を警戒するよりももっと俊敏かつ厳正に警戒しなくてはならないだろう。

 以上は日本が第二次世界大戦の敗者であった事実に今なお縛られている状況に由来する。60年近く経ってどうしても克服できない。アメリカや中国のせいでは必ずしもない。日本人が自分で自分を呪縛している心の隘路から自ら脱け出せないでいる現実がつづく。(以下略)

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日本の香港化(了)