西尾幹二 H15/11/26/
17:28
直販方式の定期講読誌『月刊THEMIS』12月号に、私へのインタビュー記事がのっている。フランスに行く前夜に電話インタビュー記事の校正をした覚えがある。
目次に編集部がつけた「西尾幹二の『思想』と『行動』を注目せよ<行動する言論人>のこれから」とあり、ページを開くと、上記の見出しの右上に、「保守論壇の4番打者」と書かれていて、ギョッとする。見出しの左に「ニーチェからベルリンの壁、教科書問題、拉致問題まで<行動する言論人>のこれから」と記されている。
「4番打者」といわれてヤニ下がるわけではないが、少しうれしく、しかし、少し残念である。「保守」とついているのが限定された勢力、といういことを意味し、残念なのである。精一杯努力してもいつも外から枠をはめられ、制約されている思いから脱け出せない。
私はある勢力から優遇され、ある勢力から差別されている。優遇よりも差別の方が規模も大きく、範囲も広い。いつになったらこの枠を打破し、言論の自由を呼吸できるのだろうか。
尤も、制約の中にしか自由はなく、言論の自由なんか存在しないというのが私の思想のはずだった。以下インタビューの本文を掲載する。
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小説家志望だった文学青年が
「拉致事件によって日本は大きく変わったといわれますが、本当にそうでしょうか。私は、日本は何も変わっていないと思いますよ。これだけ危機が叫ばれながら、この国には危機感が感じられない。非常に不思議です。弾道ミサイルに対して日本は全く打つ手がない。ミサイル一発撃たれたら、それっきりです。それに対する防衛も、報復もできない。だから拉致問題でも強いことをいえず、経済制裁ひとつできない。日本が背筋をしっかり伸ばすには、ひとつは「防衛の開国」ということが必要です。これはつまり、自分を守るためには場合によっては外へ打って出る必要があるという考え方です。憲法はもちろん大きいですが、足踏みしている主たる原因ではないのです」
電気通信大学名誉教授で「新しい歴史教科書をつくる会」前代表の西尾幹二氏が、最近の日本の置かれた状況を憂えてこう語る。月刊誌『文芸春秋』『諸君!』『正論』『Voice』など日本の保守論壇のなかで西尾氏の「思想」と「行動」があらためて注目されている。
とくに「新しい歴史教科書をつくる会」の活動に関わってからの西尾氏は、初代会長として歴史教科書のあり方を根底から問い直す作業に力を注いだ。
その過程で西尾氏は、ただ黙々と考えて書く思想家から、行動する言論人に変貌していった。現在では保守論壇の4番打者としての地位を確立している。
東大時代の西尾氏を知る人物がいう。
「東大文学部独文学科に学んだ西尾は、典型的な文学青年で、小説や抒情詩を発表していた。当時、西尾は『自分は小説家になる』と、周囲に漏らしていた。'60年安保真っ盛りの時代で左翼が学内を闊歩していたときも、西尾は全学連の学生達と全面的に対決する論陣を堂々と張っていた」
西尾氏は'35年、東京生まれの68歳。東大大学院修士課程終了後、ドイツ精神史及びニーチェを専門に学ぶため、ミュンヘン大学に留学した。しかし、何といっても論壇で注目されたのは、'88年の「戦略的『鎖国』論」である。ドイツの状況を踏まえた上で、外国人労働者問題では、「鎖国」をすべきだと論じたので、当時の安易な「開国派」に対して論争を挑んだ。
また、'95年のオウム真理教事件では「いますべきは国家を宗教から守ること」とし、宗教法人法の改正と破防法の適用を訴えた。さらに、日本とドイツの「戦後処理問題」では、これまでの日独ファシズムVS米英デモクラシーの対決図式を批判。むしろナチズムとスターリニズムという全体主義に共通点を見出すべきだとして、こうした全体主義の犯罪と日本の戦争犯罪は、本質的に違うと主張した。
「ドイツはいまだに講和条約を結んでおりません。したがって、賠償金も支払ってないのは周知の通りで、ドイツはナチスのホロコーストに対して政治的対応をしているだけで、いわゆる戦争それ自体の国家賠償はしてはいないし、謝罪もしていない。ただし、ナチ党幹部、手を下した下手人たちは個人として責任を負う必要がある。だから相手にも個人補償はするが、国家賠償はしない」(『諸君!』'00年12月号)
ナチズムとスターリニズムには、特殊任務部隊、秘密警察、強制収容所といったテロ機構がある。ドイツと日本は、その意味で同じ戦争をしていないとするのが、西尾氏の主張だった。
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