わたしの愛国リアリズム (一)
 2003/12/01(Mon)20:30
 
 しばらく振りで北朝鮮情勢に目を向ける。事態はこの数ヶ月あまり動いていない。

 私は月刊誌『正論』(平成14年12月号)に「9・17から10・16観察記——小泉訪朝・拉致被害者帰国・北朝鮮核開発」(48枚)を書いた。日録によると、小泉訪朝から一ヶ月と少し経った10月21日夜に脱稿している。この文章は全文『日本の根本問題』に収録してある。

 ところがその中で末尾に、イラク開戦は必ずあり、戦争の結果のいかんが北朝鮮問題の行方を左右するであろうというシュミレーションを試みている。この部分は平成14年10月22日付日録に引用され、当然だが、『私は毎日こんな事を考えている』の138〜139ページに転載されている。予測内容は次の通りである。

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しかしそれでも、多分寒い冬の夜中に、アメリカがイラクに「先制攻撃」を開始する可能性はきわめて高い。

 さて、そこで北朝鮮問題だが、アメリカが(1)攻撃はしないで、国連決議に基くイラクの核査察の結果を承認して、サダム・フセインの生き残りを容認する、(2)イラクを攻撃し、フセインを排除する戦争にまたたくまに勝利し、戦後処理もスマートにやってのける、(3)勝利はするが、市街戦で苦戦して長期化し、一般市民に大量の犠牲者が出て国際的非難を浴びたり、イラクの戦後の立て直しで失敗し、アメリカ国民の多くが責任を背負いこみたくないと考え、逃げ腰になる、などの可能性によって、それぞれ違った局面をみせよう。

 われわれから北方の悪魔の重しが取れるのに一番いいのは(2)である。ケリー国務次官補はすでに10月3日〜5日の訪朝時に、北朝鮮は国境から兵を引くこと、韓国と兵力を均等にすること、核兵器と化学生物兵器の廃棄を約束し、査察を受けること、南北間に数キロ幅の緩衝地帯を設けること、多分これくらいの申し渡しをしていると予想される。アメリカがイラクに大勝利を収めれば、この申し渡しは実行を迫られ、中国、ロシア、韓国も黙って従うので、金正日軍事体制は国内的に持たなくなるだろう。(1)の場合には、北朝鮮が拉致問題を形式的に「解決」し、核査察を受け入れた段階で、独裁者金正日に日本は巨額の経済支援を実行する羽目になるだろう。(3)のケースではもっとひどい。中国、ロシア、韓国が発言力を増し、金正日を擁護し、核危機をかかえたまま日本に資金を出させようとするであろう。

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 日録に私はつづけて次のように書いている。「以上はわたしの推理である。当るか当らないかは分らない。短期間には当らなくても、一定の時間のスパンを経て、この通りになるだろう。当論文(『日本の根本問題』所収)を最初からずっと読んでいただければ、上記の結論の出てくる筋道がわかり、納得していただけるだろう。」とも書いた。

 私は自分のこの予測に責任を感じつづけていた。そして残念ながら予測の中の最悪のケースが現実に当てはまりそうである。
 



Re: わたしの愛国リアリズム (二)
 西尾幹二 - 2003/12/02(Tue) 13:33

 


 10月21日に予測を試みてから一年以上が経過した。これを踏まえて、私は産経新聞コラム「正論」に最近、以下のような情勢分析を行った。

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   米国に日米安保への背信はないか
 ——懸念拭えぬ対北先制攻撃の放棄——

 《《《避けたい最悪のシナリオ》》》

 イラク戦争の結果が北朝鮮情勢にはね返ることは戦前に予想されていた。米国はアフガンとイラクでの大勝利の余勢をかって北朝鮮をさっと叩き潰すとの見通しもあった。

 私は月刊『正論』平成14年12月号に小泉訪朝から以降の「観察記」を書いた。そこで「金正日が核開発とミサイル輸出さえしないと約束すれば、北朝鮮の金体制をアメリカはひょっとすると黙認するかもしれない」と述べた。

 「北朝鮮が今のままであるのはアメリカには一番有利かもしれない」とも。そしてイラク開戦は必ずあるが、①万一戦争がなく、アメリカがフセイン政権を容認する②イラクを攻撃して大勝利し、戦後処理もスマートにやってのける③勝利はするが、戦後の建て直しで失敗し、米国民の多くが責任を背負いこみたくないと考え、逃げ腰になる—の三通りの結果に応じた北朝鮮情勢を大胆に予測した。

 金正日体制の除去にもっとも有効なのは②である。①の場合には金正日は形だけの核査察を受け、体制は温存され、日本は巨額の経済支援を強いられる。③の場合は最悪で、中露韓が発言力を増し、核疑惑をかかえた北に対し日本に資金を出させようとする。②のケース以外に拉致の解決はない、と。この予測記は小泉訪朝の一ヶ月後の昨年10月半ばに書いた。その後、中西輝政氏との対談(『諸君!』3月号)でも、大みそかの『朝まで生テレビ!』でも、私はこのシュミレーションをあえて公開した。イラク戦争は今年3月20日に始まった。

 《《《平和解決には平和は禁句》》》

 開戦に先立つ2月4日付本欄に、私は追い打ちをかけるように「米の北朝鮮対策に誤算はないのか」と題し、「もし北朝鮮問題で米国が責任を果たさないのであれば、日本は不本意でもNPT(核拡散防止条約)を脱退し、核ミサイルの開発と実戦配備を急がねば、国民は座して死を待つ以外に手のない事態が訪れ得る」「日本が核開発すれば、そのミサイルは確実に米大陸に届く」ことを知らしめよ。「核保有国の無責任ないし政策の失敗」は許せない、と記した。NPTは核保有大国の優先権を認める代わりに、非保有国の保護を義務付けている。さもなければ修羅のごとき核拡散が始まる。

 イラク開戦の43日前に私は「日米安保に背信の匂いが漂いだした」ことを日本政府に警告したのである。「米国は自ら武力行使はしないなどと、なぜ先に言い出したのだろう。それは相手(北朝鮮)を安心させず、米国の弱さのサインとなった」「ブッシュには、まるで軍略がない。ハルノートを突きつけておいて、しかもそれが米国の真の強さから出ている要求ではなく、ブッシュ政権が自らの手詰まり状態、どうしてよいか分らない当惑から出ている要求だという弱みを北に読まれてしまっている」と。

 北が逃げ切り態勢に入り、イラクの混乱で発言力を増した中露韓がそれを守り、支えようとする現在の情勢は、以上の通り、イラク開戦の前に私が予想して恐れ、警戒していた構図そのものなのだ。

 米国が6カ国協議を言い出し、中国に解決を依頼し、加えて北の体制を保証する「文書化」提案を持ち出すに及んで、米国の政策の危険な間違いは一段と明らかになった。私は明日にも米国の空爆を期待してこんなことを言っているのではない。本当の平和的に解決を図りたいなら、米国は先に平和を口にしてはいけないのだ。

 《《《日本の外交努力に疑問符》》》

 中国は北の核を阻止するとリップサービスはするが、実効ある政策はなにひとつしない。経済制裁、海上封鎖、安保理制裁決議など、中国はこれまですべて妨害した。重油と食糧を北に供給している中国は、金体制を生かすも潰すも自由である。北に現状のような行動をとらせているのは中国である。その中国に効果的な政策をやらせるには、米国は実力行使の意思をいささかも緩めてはならない。

 中国に認め難いのは北朝鮮に星条旗が立つことである。それさえなければ、核という火遊びを北に禁じ、米国の顔を立てることもあり得る。しかし、ポスト金正日の朝鮮半島の全面管理を中国に委ねることを、もし米国がすでに決定しているとしたら、日米安保への米国の背信は二重であり、過激である。小泉・ブッシュ会談ははたしてそこまで問題を煮詰めたのであろうか。日本政府は中露韓とは逆の立場に立つ国益を米政府に飲ませるべく必死の外交努力をしたであろうか。米国の核政策の失敗は致命的ではないが、日本は国家の存亡にかかわっている。

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わたしの愛国リアリズム (三)
 西尾幹二 - 2003/12/03(Wed) 11:58
 


 このたびの衆議院選挙で当選を果たした民主党西村眞悟代議士事務所の鈴木尚之氏から、11月29日(土)にさっそく次のようなファクスの来信があった。

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  前略、先の衆院選では大変なご尽力を賜りありがとうございました。

  本日先生のコラム「正論」の論文を拝読させていただきました。いつもながらの
 鋭い論考に感じ入っております。西村代議士も先生の論文を読み、事務所の秘書達
 に「読んだか?」と念を押しておりました。また、米欧は歴史的にいつもアジアの
 情勢を見誤っており、今回もあぶないと申しておりました。

  以上、感謝とご報告まで                   草々
____________________________________________________________________________

 私のコラムはまたしても西村さんのハートをとらえたようである。早速返礼のファクスを鈴木さん宛に打った。鈴木さんを介して西村さんへ御礼のことばを伝えたかったからである。

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  鈴木尚之様
                              西尾幹二

  早速に読後感ありがとうございます。「米欧は歴史的にいつもアジアの情勢を
 見誤っており、今回もあぶない」という西村先生のお言葉があった由、深く共鳴し
 ます。あぶないと思う心を保持できるのは生命力の強い人に限られます。西村先生
 はそういうお一人です。

  『ダカーポ』という小雑誌の次号に領土問題で発言しました。東アジアが動くと
 きに、領土は危うくなるか、とり戻せるかのどちらかで、国民の関心を今から喚起
 する必要があります。まず何よりも国民に竹島・尖閣の知識の普及が大切です。北
 方領土は国民に意思統一も知識普及もかなり行き届いていますが、竹島・尖閣はこ
 れからです。

  どうかよろしくお伝えください。               不一
____________________________________________________________________________
 
 尚、別件だが、安倍晋三氏が自民党幹事長になったときに私が送った激励の手紙に、選挙が終わった段階で、丁寧な自筆の返書があり、国家改革への並々ならぬ決意のほどが述べられていた。安倍さんはいつも礼儀正しい。



わたしの愛国リアリズム (四)
 西尾幹二 - 2003/12/04(Thu) 09:56/

 


 私は政治家とそれほど知り合いが多いわけではない。今ここに名を挙げた西村眞悟氏、安倍晋三氏のほかには麻生太郎氏、中川昭一氏くらいしか交流のある方はいない。うち三氏がたまたま現内閣で有力な立場を得られているのはまったくの偶然で、いづれもお附き合いは古い。ことに麻生さんとは昭和53年(1978年)以来である。氏の事務所の主催する年一回の大切な講演会に講師として招かれたこともある。

 以上四氏は信念のしっかりした保守政治家である。だから自ずと私とも意思交流が生じたものと思える。一般に知識人が政治家と交際を深めても必ずしも利得をうるわけではない。「政界評論家」なら顔見知りの多い方が得なのだろうが、私のような思想の仕事をする人間は政界に「顔」がきく必要がない。しっかりした、肝の据わった上記四人のような政治家を私が好きなのは、単なるファン心理である。

 私の思想が政治家を通じ政治に反映されればそれは有難いが、実際にはそんな簡単なものではない。評論家は現実の政治に届かない「空砲」を射っているにすぎない。へたに現実に役に立つ思想を語っているなどと己惚れない方がいいし、自他ともに期待しない方がいい。思想が現実を動かすことが万一にもあるとしたら、とても時間のかかる息の長い話なのである。

 しかし政治家のほうが思想家を求めている、というもう一つの現実がある。これはまた別の話である。政治家の日常活動は行動だから、世界を観照的に広く、深く見る別の目が欲しい。そういう欲求は多分小さくないだろう。

 そんなわけで最近四氏のほかに石破茂氏が私の近くに現れた。恒文社21が企画し、出版した対談本『坐シテ死セズ』がきっかけである。けれども6月の対談の日以来、氏とは会っていない。11月24日の鳥取市の講演会で、鳥取市を選挙地盤とする石破氏から長文の電報をいただき、秘書のご挨拶をも受けた。

 さて、その『坐シテ死セズ』だが、当i日録ではまだしっかりした検討を加えていない。あの本で私は何を狙ったかといえば、防衛の最高責任者に、北朝鮮危機の迫っている今、国民が一番聞きたいと思っている内容の問いを遠慮なく、矢継早にぶつけて本音をうかがい知ることであった。心ある国民なら耳を欹てずにはいられない設問ばかりである。その中からいくつか選んでここに紹介しよう。
 


わたしの愛国リアリズム (五)
 西尾幹二 - 2003/12/05(Fri)09:59

 


 私は防衛庁長官に次のような問いを発したのである。

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 A:弾道ミサイルを防ぐ有効な手段がないということになると、「ミサイルを撃たせないという状況を作る」ということと、「万が一、発射されたとき、日本はどのような反撃と報復をするか」ということが問題になります。かりに日本にその意志はあっても、反撃の手段がない。報復しようとする精神があっても、報復の手段がない。本当にないんですか。(83ページ)

 B:長官は、平成15(2003)年1月24日の衆院予算委員会で以下のようにご答弁なさっています。「恐れの段階で敵基地をたたくことはできない。しかし『東京を火の海にしてやる』という表明があり、ミサイルに燃料を注入し始めたならば、これはわが国に対する攻撃着手ということになる」「攻撃着手とみなす」を「報復攻撃する」と誤解した向きもあったようですが、長官は右のようにしかおっしゃっていない。明らかな攻撃の意図が認められたときには、「攻撃着手とみなす」ということをおっしゃっているだけですが、日本はこれに対し、「だからどうする」という話ではないんですね。具体的にどう対処するか、ということをおっしゃっているわけではないんですね。(83〜84ページ)

 C:たとえばアメリカから武器を買って、トマホークもわがほうのイージス艦に備えるとか、わがほうもそれなりのミサイル攻撃兵器を自らの力で作るとか、ミサイルにはミサイル、空対地でも地対地でもいいが、それらの設置を推進するべきだというお考えはありませんか。(92ページ)

 D:日本がミサイル攻撃を受けた場合には、常識的に日本が戦争をしかけられたと認めざるを得ない状況になるわけです。そして日米安保条約が発動されたとします。アメリカは報復に転じようとします。問題はその時の日本政府の対応です。アメリカは日本に戦争をするかどうかの意志を確認するでしょう。ところが戦争はできないと思いこんでいる日本の総理大臣が、その時、逡巡したり、アメリカに「待ってくれ」と言った場合、運命の分かれ目になると思うのです。つまり、たとえ超法規的であっても、戦争に踏み切ればこの国は生き延びられる。しかし、首相が待ってくれと言ったり逡巡したりすれば、その瞬間にこの国は崩壊の道をまっしぐらに進む。つまりアメリカから見捨てられると思うのですが、いかがでしょうか。(97〜98ページ)

 E:BC(バイオ.ケミカル)爆弾が着弾しても、日本への被害は限定的でしょう。しかし、よしんば限定された狭い範囲であっても、そこに神経ガスをまき散らされたとすると、ただそれだけで、今、日本のような心の用意のない国はたまげてしまって、それだけでヒステリー状態になるのではないかと思います。いかがでしょうか。(138〜139ページ)

 F:治安出動、災害出動のレベルでおろおろやっていて、防衛出動という判断をしないということのほうが恐いですね。万一、北のミサイルが着弾した場合ですら、災害対策に追われるというようなことがないとは言えないでしょう。(146ページ)

 G:特殊工作部隊はたとえ10万人いても、日本に潜入できる数は、現在日本にいる工作員も含めても1万人以下でしょう。つまり夜陰に乗じて入ってくるといっても、警戒を強化すればそんなに多数が入って来られるはずはありません。日本に持ち込む武器も限られているでしょう。しかし、原子力発電所の正門の横で小さな爆弾騒ぎを一つ引き起せば、これは日本の国民がたまげます。そしてそれを、全国5ヶ所ぐらいの原子力発電所で同時多発させるゲリラ活動をした場合、大変な騒ぎになるのではないでしょうか。(153ページ)

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 さて、長官が何と答えたか、読者には興味のあることであろう。
 

わたしの愛国リアリズム (六)
2003/12/06(Sat)15:01
 


 イラク戦争が3月20日に開戦し、あっという間に終わって、アメリカは余勢をかって北朝鮮を掃討するのではないか、と息を呑んで見つめた時期が4〜6月頃であった。

 『坐シテ死セズ』が刊行されたのは9月である。タイミングがほんの少しずれた。アメリカがすぐには動きそうにもないという空気がはっきり感じられ始めたのがこの秋口である。

 私は5月末に「日本がアメリカから見捨てられる日」(『正論』7月号)を書いて、6月初旬に発表した。その後ほどなくイラク情勢が悪化し、来年の大統領選挙もあってアメリカは北朝鮮への積極的対応をためらい始めた。すぐ戦争にはならないという安堵感が日本にあっという間にひろがり、94年のカーター調停の直後に、安堵して村山親北朝鮮政権が出現した日本政界の暢気さと同じ安易なムードがまたしても到来した。11月9日の総選挙で民主党と公明党のハト派路線が伸びたのはそれと同じ現象である。

 けれども94年の場合とは違って、このあとだらだらと金正日容認の状態がいつまでもつづくとも思えない。戦争の危機は一時的に一寸遠のいたかもしれないが、またすぐ緊迫しないとも限らない。今はそんな情勢である。

 「日本がアメリカから見捨てられる日」で私がなした情勢分析は今なおほとんどそのまま生きている。石破長官との会談より少し前にこの論文は書かれている。長官との対談のなされた日は6月3日と19日の両日である。『正論』7月号が丁度店頭に出ていた時期である。同論文は今なおリアリティをもっていると信じている。あの文章で私が指摘したことは、ほとんどすべて『坐シテ死セズ』で、質問形式となって長官に問い糾されている。

 イラク戦直後の4〜6月頃から、東アジアの情勢は6カ国協議の名を借りて、いわば停滞静止状態に入っている。すべてが一切止まってしまった。だから4〜6月頃に書かれた内容は今書かれるべき内容とほぼ似たようなものである。

 拙論「日本がアメリカから見捨てられる日」(29枚)を以下、あらためて引用する。

 


わたしの愛国リアリズム (七)
 西尾幹二 - 2003/12/07(Sun) 12:48

 

 日本がアメリカから見捨てられる日(1)

 私はなぜ日本で防毒マスクや解毒剤が売られないでいるのかと、不思議に思っている。なぜ救急医療体制の整備がテレビのニュースにならないのか、訝しんでいる。例の肺炎(サーズ)の話ではない。北朝鮮のテロないしミサイルによる生物化学兵器に対し、ないよりましな応急処置としてである。

 私は安全保障の専門家ではない。しかし専門家というのは私などよりも何百倍もの軍事知識や兵器知識を持っているが、えてして肝心なことに答えてくれない。慎重でありすぎるせいでもある。明日何が起こるかは、厳密には専門家にも分からない。だから口を噤むというのは、無責任なことを言う人よりずっといい。一番いけないのは、アメリカに温和しく従ってさえいれば日本の安全と繁栄は保証されるというような固定した考えを言いつづける人である。また逆に、『帝国』(アントニオ・ネグり・マイケル・ハート)などという新しい本を読んで、アメリカの一極支配をマルクス主義の変種であらためて説明され、分かったつもりになっている人々である。どちらも暢気である。自分の現実を見ていないからだ。あらかじめ存在する動かぬ見取り図に自分を合わせて、激しく不安定に揺れ動く現実の中の自国と自分から目を離している。

 北朝鮮に対し日米間の三国共同対応がいわれて久しいが、三国の利害は決して一致していない。韓国人は最近では在韓アメリカ軍が半島の平和を阻害する要因で、アメリカ軍が刺戟しさえしなければ北が南の同胞を撃つことはないと思っている。彼らからみて恐ろしいのは38度線の地対地ミサイルで、アメリカが北を攻撃すればソウルは火の海になる。テポドンやノドンのような飛び道具は自分たちには関係ないと思っている。アメリカさえ気持ちを鎮めてくれれば、半島は全体として少しずつ安定と繁栄をとり戻す、と。

 アメリカはそういう韓国が有事の際に、同盟国であるアメリカ軍に銃口を向けてくるのではないかとさえ心配し始めている。韓国人は金正日に対し道徳的怒りを抱いていないようにさえみえる。一方、アメリカにとって関心があるのは北の核開発だけであり、米大陸に核弾頭を運ぶ能力のある長距離ミサイルの発達段階と、核ミサイルの外国への輸出能力のレベルに、ほぼ限られる。拉致も、贋札も、麻薬も、工作員潜入も、基本的にアメリカは関心を持っていない。日本に対する外交的気配りもあって、一部に関心を持っている振りはしているが、大量破壊兵器とは別の案件に対しては、アメリカはさして大きな警戒の気持ちを抱いていないだろう。

 韓国とアメリカの共通点は、それぞれ理由は別だが、金正日に恐怖を感じないことである。韓国人の北朝鮮論をいくつか読んだが、金正日を異常人格としては扱わず、冷酷な独裁者と言い立てる日本のマスコミをむしろ危険視している。若い韓国人は、彼を英雄視さえしている。反共の韓国人でも、日米を威嚇し、世界に突っ張っている金正日の言動には、むしろ爽快なカタルシスを覚えるらしい。一方、アメリカ人は彼に軽蔑感を示しこそすれ、勿論共感はない。けれども恐怖も持たない。やろうと思えば空爆であっという間に片づけられる相手だから少しも恐くない。二月の半ばから50日間金が姿を消したのは、韓国近辺の空域に米軍が爆撃機を移動させた時期に一致する。イラク開戦時と閉戦時のフセインの隠れ家攻撃は金正日の心胆を寒からしめたはずで、ここから得られるアメリカ側の教訓は、要人狙いの高度能力の特殊部隊を半島に集結せしめ、精度の高い集中爆撃で金を瞬時に排除することであろう、などと言っている(The New York Times, May13,2003)。

 いずれにしても韓国とアメリカでは金正日をこわがっていないが、日本人はあの男に嫌悪と不快と軽蔑と憎悪だけでなく、いまわの際に暴発して何をしでかすか分からないという恐怖を心中に奥深く抱いているであろう。

 彼の長男金正男が日本で捕縛されたときに、田中真紀子外相(当時)が、「さっさと送り返しなさい。さもないとテポドンが飛んでくる」と叫んだといわれているが、瞬間的に出てくるこういう上ずった言葉は、飛び道具に対する日本人の心の奥底に潜んでいる潜在的な恐怖の感情を示唆している。昭和20年夏の記憶がトラウマになっているのかもしれない。

 明らかに韓国にもアメリカにもない恐怖が、薄い皮膜のように国民の心を現にいま蔽っているのを私は感じるが、その日本で、冒頭に述べたように危機対策がなにもなく、防備体制がなにも進められていないのが日本というこの国の七不思議の一つである。韓国は既に臨戦体制に入っているといわれる。戦後ずっと軍事国家だったから、その気になればすぐそういう態勢がとれる。アメリカは生物化学兵器のテロに具えて、市民が防毒マスクを買い整えたりしている。日本ではデパートにも何処にも売っていないし、生産されているのかどうかさえ分からない。
 

わたしの愛国リアリズム (八)
 西尾幹二 - 2003/12/08(Mon) 17:17

 


 日本がアメリカから見捨てられる日(2)

 日本が北朝鮮をいやがり、こわがっていることは、北朝鮮の側には筒抜けである。となれば、日本を脅すのが政治的に最大の効果があることも、すでに見抜かれていると考えたほうがよい。ミサイルの第一撃は日本列島に向けられる確立が一番高いとよく言われている理由を、私も否定するつもりはない。

 アメリカと韓国と日本の三国が固く団結するのが、こちら側としては最も強い。しかし北朝鮮とすれば、三国の結束をこわし、三つの思惑に狙いを定め、隙を突いてばらばらにしてしまうのが一番得策である。というよりそれ以外に北に戦略はない。

 この戦略は約20年前に旧ソ連がSS20中距離ミサイルをヨーロッパに展開して、アメリカとNATO諸国との引き離しを図ったあのやり方の小型版と思えばよい。あのとき旧西ドイツはシュミット首相の社民党内閣だったが、アメリカから対抗ミサイルを大量に導入して自国内に配備し、力に対しては力をもってする均衡と抑止の政策でついに平和を守りきった。いったん火を噴けば、東西ドイツが核の戦場になる可能性があった。そのことでドイツ国内の不満と不安は高まった。最前線で同士討ちとなる東西のドイツ民族がともに十分に自己納得できなかった。そのために東西相寄るドイツ・ナショナリズムのような妙な空気が漂いさえした。

 今の朝鮮半島で南北の心理的歩み寄りが、表向きの政治対立とは別のところで発生しているのと少し似ている。

 そもそも北の核開発を韓国は本当に許せないと思っているのかどうか分からない。北の核を脅威の対象として強く意識しているのは日本とアメリカであって、韓国も中国もそれほどのこととは思っていまい。それどころか、あわよくば韓国は半島統一の機を利用して、核保有国になり得る可能性の一つと北叟笑んでいると取り沙汰されている。日韓の利害は鋭く対立している。日本にミサイルが飛んでも飛ばなくても、韓国人にすればどっちでもいい。口にこそ出さないが、そう考えているはずである。としたら、こちらも口にはだせないが、ソウルが火の海になってもならなくてもどちらでもいいと、秘そかにそう感じてもおかしくはないだろう。

 北朝鮮は寧辺の核施設を稼動し、使用済み核燃料の再処理を「ほぼ完了した」と北京の三国会談で述べ、さらに兵器用プルトニウムを抽出したとまで言い放った。ブラフかもしれないが、核兵器の大量製造に道を開く可能性は一段と近づいた。何ヶ月単位という日限が迫っている。アメリカにとっても、日本にとっても、問題をそれほど長く先送りできない。しかし韓国はいくらでも先送りしたいと思っている。北の核開発を心の中で容認しているからである。

 すでにして日米両国と韓国との間にはこのように溝ができている。北朝鮮はそれを知っている。溝を大きくするには韓国に対しては微笑作戦でいけばよいと分かっている。北が打つ次の手は、当然ながら日本とアメリカの間に楔を打ち込むことである。それには恐がっている日本を強力に威嚇し、アメリカの政策にこのままついていくなら東京を火の海にする——北にそんな能力があるのかどうかは疑問だが——と、ともあれ脅迫を重ねる。日本の世論と政治が浮き足立つのを狙う。反米に流れるのを誘発する。そのような方策を打ち出すのが北が次に考える当然の手となるであろう。

 しかし明日すぐにそのような事態になるのではない。アメリカは軍事的解釈のオプションは排除しないが、できる限り平和的、外交的な方法で解決する道をさぐっていく、というような言い方をくりかし述べている。その真意はよく分からない。対中方針が定まるまでの時間稼ぎにあるのか、イラク戦後の対応疲れにあるのか、われわれの知らないところで北の政府の中枢をゆさぶる情報戦を仕掛けているせいか——すでにイタチ作戦といって、20人以上の北朝鮮高官が昨年10月から秘密裏にアメリカなどの手で中国経由で亡命し、その中には寧辺の核施設を主導してきた最重要の物理学者もいるとか——、このように裏で駒を進める深謀遠慮がアメリカにあるせいなのか、ほんとうのところはわれわれにはつねによく分からないのである。

 けれども、北朝鮮に対しては無条件で核開発の放棄をせまるというアメリカの肚は決まっているように思える。北朝鮮の出す各種の条件にひとつひとつ対応する意志がアメリカにないことは、再三にわたり広く告知されているはずだ。もう一度、米中朝の三国会談を開いてもよい、というようなアメリカからのサインもあるが、北朝鮮が核開発の意志を決して放棄しない国だということを中国と韓国に認識させる手続きのためと考えたほうがよいかもしれない。北朝鮮が国内を100パーセント開放する査察などに絶対に応じないこと、ミサイルの生産も輸出も止める意志のないこと、38度線内の北側に100キロ幅の緩衝地帯をつくる提案などをとうてい受け入れないこと——こういう国だということを、いまだに態度を保留している中国と、話し合いに希望をつないでいる韓国に、はっきり最終的に認識させる必要がどうしてもあると、アメリカは考えているであろう。

 

わたしの愛国リアリズム (九)
 西尾 幹二 - 2003/12/09(Tue)17:17

 


 日本がアメリカから見捨てられる日(3)

 5月14日の盧武鉉大統領訪米の直後のアメリカ高官筋による「平和的解決」ということばの解釈は、次の通りである。「平和的解決とは軍事以外の全てのオプションを使って解決すること」である。つまり、北朝鮮が兵器級プルトニウムの抽出など政治的な限界戦を越えた場合には、「経済制裁」や「海上臨検」などの強制的行動が視野に入ってくるという意味であろう。ライス大統領補佐官は同日の記者会見で、「国際社会の全員が北朝鮮に強い姿勢で臨んでこそ平和的解決がある」とし、「第一の選択肢ではないが、われわれより先に敵に攻撃を許すことはない」とし、先制攻撃で武力を行使することも正当な行動だと語った(『読売』5月15日夕刊)。

 以上は、このまま時間が推移すれば、94年のカーター調停の時代とは違って、北朝鮮は必ず窮地に追いこまれることを意味している。しかも「国際社会の全員」つまりアメリカ、中国、韓国、日本が結束して「北朝鮮に強い姿勢で臨む」とは限らないので、足並みの乱れは北朝鮮に希望を持たせ、挑発行動をエスカレートさせ、かえって「平和的解決」を難しくするであろう。

 そのような場面でいよいよ北朝鮮が狙いを定めてくるのが、日本を脅迫し、日米の離間を策する作戦である。どんな手段で脅迫するかは分からない。ミサイルもあろう。朝日など一部のマスコミを利用した心理戦術もあろう。日本の都市へのゲリラ攻撃も起こり得よう。ここで日本が国家として無法に屈せず、旧西ドイツがかつてソ連のSS20ミサイルの脅迫に敢然と対決し、攻撃用対抗ミサイルを自国内に大量に配備して、アメリカとNATOの離間策を、断固はねのけたあの勇気と知恵と意志とをはたして発揮しうるのか否かがいま問われているのである。

 恐らく私と同じように考え、切実に危機感を感じている日本人は少なくないし、若い人の中にも、自衛隊員の中にも、同様の決意を秘そかに内心に蔵している人はことのほかに多いことを私は知っている。ところが指導者はどうか。政治家はどうか。そうなると誰も不安な顔をする。彼らは法律に縛られているから曖昧にならざるを得ないのだと同情する人もいる。ならばそのような法律を改正せずに放置しておいた指導者、政治家の責任はどうなるのか。有事法制が日の目を見たが、まだあまりに不完全で、目の前に迫る現実の切迫した必要には十分に役立ちそうもない。ないよりましという程度である。

 北朝鮮への送金停止を可能にする外国為替法改正案が今国会中の提出、成立を目指して、山本一太氏ら自民党有志による議員立法として立案され、二月に党の外交財務などの合同部会に提出されていた。現行の外為法では国連の安保理決議などがなければ制裁措置を実施できない。それでは現実に必要が生じたときに間に合わない。「経済制裁」は前述の通り、既にプログラムにのぼっている案件である。改正案は日本政府の独自の判断に基づいて、単独で送金制限や取引停止ができるようにするのを骨子としている。

 しかるに2月に部会に提出された同改正案は「北朝鮮を刺戟する」といった党内の慎重論もあって、“たなざらし”にされてきた。北朝鮮への不正送金問題は、「事実上、野放し状態」(公安当局者)であったのだ。北朝鮮は中国と韓国からの援助、ならびに日本からの不正送金で生き延びている。しかも援助や送金はわれわれを苦しめる核開発に使われている。アメリカやヨーロッパ諸国はみなこの矛盾をみて笑っている。中国や韓国は笑われていない。笑われているのは日本である。

 それなのに小泉首相は、5月14日の衆院有事法制特別委員会で、「必ずしも経済制裁が必要とは思っていない」とあっさり言ってのけたのだ。福田官房長官は同日の会見で、「政府として現行法でかなりのことはやっている」と述べ、法改正に慎重な姿勢を示した(以上『産経』5月15日)。

 北朝鮮の日本への威嚇攻撃は、日米を離間させるという戦略に基づく以上、日本が北朝鮮にやさしく、ソフトに振舞えば回避される、という性格のものではない。あの国を刺戟しなければ暴発も起こらない、などと期待してはならない。北朝鮮はやさしくされようがされまいが、暴発するときはする。やさしくされればかえって相手を甘く見て、思い切って乱暴なことをいくらやっても大丈夫だという、誤ったサインに受け取りかねない。94年のカーター外交、アメリカからの重油提供とみかえりに北が核開発を放棄するという、いわゆる枠組み合意が裏切られたことは、金大中の太陽政策が失敗であったことと同様に、あの国にやさしく、ソフトに振舞えば振舞うほど、あの国の危険な冒険主義をかえって誘惑し、激発させえるという、逆説的現実をありありと証明している。

 日本の政治家はなぜびくびくし、おどおどしているのだろうか。強く出ればかえって相手は自己を抑えるという、この簡単な原理がどうして分からないのか。

 


わたしの愛国リアリズム (十)
 西尾 幹二 - 2003/12/10(Wed) 15:35
 


 日本がアメリカから見捨てられる日(4)

 約半世紀以上にわたって、自分を防衛するための外への対応の仕方を忘れてきた日本国民は、法律的にも、心理的にも、手足が凍ったようにかじかんでいる。

 日本の安全保障の問題を考えるたびに私がつねづね疑問にも思い、不可解にも感じるのは、他の国の軍隊の法規にはやってはならないことが規定されているのに、日本の自衛隊法ではそうではない。できること、やっていいことが次々と列挙されている。こうなると、自衛隊ではやっていけないことだけを意識して単純に動くのではなく、何ができ、何が許されるかという選択肢をたえず意識して行動しなくてはならないことになる。従って例外に対応できない。戦争は例外の連続ではないか。敵はどう出てくるか分からないのだ。法典をひっくり返して、やっていいこと、許されていることを探していた日には戦争にならない。

 湾岸戦争の掃海艇派遣のときもそうだったが、アフガン支援のときも、いちいち「テロ対策特別措置法」などといった新しい法律をそのつど作って、変化する情勢に対応しているまだるっこしさは、やはり「何ができ、何が許されているか」を手さぐりで探している姿勢の一つである。軍隊というもののやる行動のおよその常識を最初に認めていれば、こんなまだるっこしいことは必要ない。

 それもこれも日本は戦争をしない、自衛隊は軍隊ではない、という建前に縛られているからにほかならない。「兵」という一語を使えないために、砲兵を「特科部隊」、歩兵を「普通科」と呼ぶなどのこわばりが、笑い話ですむうちはいいが、戦争をしない、という言葉のしばりが、いつの間にかこの国の安全保障の意識そのものを麻痺させて、捩じ曲げ、いざというときに自衛隊を機能不全に陥しめる危険を大きくしたまま、今日に至っている。

 自衛隊法には第76条に防衛出動、第78条に治安出動の規定がある。総理大臣が外国からの侵攻が起こり、実際に「戦争」になっているのに、憲法で戦争放棄をしている国だから、戦争宣言をしたくないと思って、第78条を適用して、その場を一時しのぎでごまかそうとする場合があり得るであろう。そういう可能性がきわめて大であると私は恐れている。

 北朝鮮のテポドンミサイルがかつて列島を越えて三陸沖に落ちたとき、あれは人工衛星の打ち上げ失敗だと公表され、日本の国民は誰も信じなかったが、外務省も防衛庁もこの解釈に取り縋った。野中広務官房長官(当時)は人工衛星説をよろこんで受け入れ、各種制裁案を抑えて、対北抗議文を苦渋の決断の中で読んだものだった。この伝でいくと、かりに同ミサイルが国内のどこかの都市に着弾し、死傷者が出たとしても、北朝鮮政府があれは事故であった、申し訳ないと一言いえば、政府は北の対応に安堵し、第94条の災害救助を発動するにとどめるであろう。否、北朝鮮政府がかりに謝罪しないでも、日本は戦争ではないということにしたいためのありとあらゆる法的詭弁をくりひろげるはずである。そうであればこの国に、第二、第三の威嚇弾を重ねるのもやり易い話になる。

 戦争であると認めれば日本は反撃しなければならない。しかし自分では反撃できない。着弾がもし一度ではなく、あるいは一度あった後で追加攻撃の威嚇があり、被害も小さくないとして、戦争を仕掛けられていると常識的に認めざるを得なくなった場合を考えてみよう。当然、日米安保条約が発動する。アメリカは報復しようとする。問題はそのときである。アメリカは日本が戦争をやる意志があるかどうかの確認を求めるであろう。運命の岐れ目はそのときである。日本が国際社会のルールに従って、戦争に踏み切れば、この国は生き延びられる。万が一首相がアメリカに一寸待ってくれ、とためらい出したら、それが「日本がアメリカから見捨てられる日」になる。

 かりに第一発目の着弾が生物化学兵器を搭載していて、一都市が全滅するほどの大被害を受けていたとする。第二発目の予告威嚇も同様の被害が予想されるとする。そのときでも、日本の選択は一つしかない。今まで60年間も問題を先送りしてきた民族の無責任がここで代価を支払わされるのである。日本がこのとき蘇生して本来の日本に立ち戻れるかどうかの瀬戸際を迎えよう。

 


わたしの愛国リアリズム (十一)
 西尾 幹二 - 2003/12/11(Thu)17:07
 



 日本がアメリカから見捨てられる日(5)

 軍事専門家に聞いたが、北朝鮮空軍の能力は低く、作戦用の航空機が日本領空に達することは100パーセントあり得ないそうである。かりに例外が起こっても、日本の自衛隊は航空機ならすべて撃ち落せる。しかし弾道ミサイルに対してはなすすべがないそうだ。

 地対空のぺトリオットミサイルPAC−2はかねて日本に配備され、約100−150機が、主として米軍基地を守っているといわれる。原発防禦用に配備されていないのは不思議である。湾岸戦争でも使われたこの機種は古く、航空機の迎撃には有効だったが、弾道ミサイルに対しては命中率もそれほど高くなかった。迎撃失敗が数しれずあった。

 そこで、PAC−3という新しい型のぺトリオットが導入されることになった。こちらは弾道ミサイルの迎撃を専用にしている。相当の数量が輸入されると聞いているが、日本ではそれでも次の予算時期を経ないとダメで、予算枠も厳しく、これからの局面の急展開に数量と時間とが果たして間に合うのかどうか心配である。

 敵が射ってくるミサイルに対して迎撃兵器だけで国土を守ろうとするのは間違いで、米軍ですらそれでは完全な国土防衛をなし得ないだろう。当然ながら脅威の根源である敵基地を叩かなくてはならない。しかし日本の自衛隊は、トマホークもバンカーバスターも保有していない。長距離爆撃機も用意していない。専守防衛に徹すると称して、外に撃って出る発想を初めから欠いているからである。

 国内に敵が侵入してきたケースでも、攻撃という発想を持たない自衛隊の右往左往ぶりは映画『宣戦布告』にみられた通りである。ピストルをもつゲリラには自衛隊はピストルしか使えない。武器平等の原則があるからである。国内では警察職務執行法に縛られざるを得ないらしい。

 アメリカは日本の軍隊のバカらしさをよく知っている。軍隊ではないと思っている。戦争ができる体制になっているとは考えていまい。日本はアメリカの武器をよく買ってくれるし、思い遣り予算をつけてくれるが、アメリカが日本を守るのは、そのためではなく、中国への警戒心があるからである。二十年ほど前は日本の潜在的軍事力にアメリカは脅威を覚えていた。十年ほど前には日本の技術力と経済力とに脅威を抱いていた。脅威のある間は日本を守ると称して、日本を抑止しておく必要があった。ソ連対抗のためにも日本の基地は必要だった。しかしこのところアメリカは日本を守る理由を次第に見失いつつあるようにみえる。中国への警戒心だけが日本を守る唯一の理由らしい理由である。しかしそれもこれから変化する可能性がある。アメリカは日本を守る事に少し飽きてきている。自分で起ち上がるかといつまで待っても日本は起ち上がらない。潜在的な日本の軍事脅威を警戒していた時分がなつかしいくらいだ、と多分今のアメリカ人は、自分の矛盾した感情に戸惑っているだろう。

 アメリカは先制攻撃であれ、報復攻撃であれ、北朝鮮に空爆を開始すると決意したときには、日本政府にこれを通告するのは、直前だと考えられる。日本政府は恐らくなにもできまい。そのとき一寸待ってくれ、と日本の首相が抵抗したら、アメリカから見捨てられるだけだとさっき書いたが、しかし日本の国民やマスコミは、これを知れば飢えた民衆に上空から攻撃を加えるのを思いとどまるよう、韓国人と一緒になって騒ぎ立てるであろう。日本の平和主義は政府をも制縛している。アメリカは北の核施設を攻撃するせっかくのいいタイミングを逸する可能性がある。

 そのことをアメリカは予想している。そうならないために彼らは恐らく巧妙に先手を打つであろう。日本のバカらしさを知っているアメリカは、北朝鮮がミサイルを日本に射ち込むのを予め予知していてもこれを日本に知らせない。防禦しようともしない。黙って北に先手を取らせる。しかも着弾させる。それがどの程度の規模の破壊になるかはもちろん分からない。場所が首都であれば被害は大きい。しかしこうでもしなければ日本は動かないことをアメリカは知っている。

 第78条の治安出動ではなく、第76条の防衛出動に首相がためらいなく決断するようアメリカはお膳立てするくらいのことをやってのけるであろう。日本が逃げ腰であればあるほど、アメリカが北を言葉で刺戟して、一発先に射たせるという戦略は、アメリカから見て合理的である。ルーズベルトがパールハーバーですでに実験済みの一件である。そう思ってふと考えると、北朝鮮を国際包囲して武装解除にほぼ近い要求を突きつけている核放棄は、北朝鮮からすればハル・ノートである。

 


わたしの愛国リアリズム (十二)
 西尾 幹二 - 2003/12/12(Fri) 16:47
 



 日本がアメリカから見捨てられる日(6)

 アメリカは北朝鮮と一対一で交渉のテーブルに着くことを久しくいやがってきた。直接交渉をすれば、なにがしかの妥協をしなければならないのでそれがいやだからだと普通には考えられるが、もう一つ別の理由があると思う。北朝鮮の核問題は、なによりもまず日本と韓国が解決すべき問題にほかならない。あるいは中国を入れて、アジアの問題にほかならない。そのことを関係国はつねに忘れないでほしい、というサインがこめられていると考えたほうがよい。アメリカがくりかえし関係国の結束を訴えるのは外交辞令ではなく、アメリカは全責任を負うつもりはないというシグナルにほかならない。

 アメリカの一極支配体制を人は誤解している。警察官としてのアメリカの治安出動が地球上のどこにでもつねにあって、地球は力の支配による安定を保つことを可能にした、と考える人が少なくないが、これは一寸違うのではないかと思う。私は前の論文でこう書いた。「ブッシュ・ドクトリンは、世界の安定それ自体をけっして目的としてはいない。仮に安定を損ねることがあっても、過去の遺物は恐れずに清算すべきだという強い意志に貫かれている」(『VOICE』平成15年3月号)。つまり、北朝鮮問題に即していえば、東アジアはいま一挙に流動化し、日本、韓国、中国などに解決のためのカードが投げられている。アメリカは世界の警察官ではなく、自国の利益を優先させることで一段と強硬になっていると考えるべきである。北朝鮮に大量破壊兵器の製造と輸出を許さない。テロリストの手にそれらが渡る危険をあらかじめ封じる。しかしそれ以外のことは、関係各国とそれぞれ責任を分有していきたい、と。

 私は同論文で、アメリカの北朝鮮政策には最初から一貫性がなく、イラク政策に比べ混乱と迷いがあることを指摘したが、イラク戦争が終わって今も同じ感想を抱きつづけている。

 ブッシュ政権の内部に潜む混乱と迷い——しばしばラムズフェルトとパウエルの路線対立として指摘されるが——は何かということを考えて、私は中国に対する態度決定がまだまったくなされていないことに起因しているのではないかと推察している。アメリカはアフガン戦争の結果として中央アジアに軍事拠点を初めて獲得し、ロシアの南側、中国の西側に割って入った。イラク戦争の結果、ヨーロッパ大陸の全体を押さえ、徐々に中国を包囲する意志があるなら、イラク同様に北朝鮮を武力で解放し、アメリカ民主主義の移植を企てるであろう。在日米軍の大きな部分が北朝鮮に移動する可能性も出てくるだろう。

 しかしブッシュ政権は、中国の強い抵抗を承知ではねのけ、いまそこまでやる気に果たしてなっているか、私にはまったく読みきれない。ここが一番政権内部で、不安定に揺れている部分であろう。むしろまったく逆に、アメリカは金正日の首のすげ替えをも含む北朝鮮の清算を中国の責任問題であると考え、アジアの諸問題を中国にいっさい任せようと思い始めているのかもしれない。傾いているアメリカ経済の建て直しを優先させないと、大統領選の再選も覚束ない。中国にしても、北朝鮮をアメリカの手に簡単に渡すわけにはいかない。両国の間でなんらかの取引めいた話し合いが進んでいる可能性は高い。

 われわれにはそこは分からない。けれども韓国はすでに今でもアメリカ寄りではなく、中国の勢力圏内に入っている。北朝鮮にアメリカが介入し、軍事拠点を築かなければ、朝鮮半島は全体として大陸国家となり、在韓米軍の撤退は時間の問題となるだろう。在日米軍にもその余波が及ぶだろう。中国は勢いを得て、日米同盟に楔を打ちこもうとしてきた従来の政策を一段と強め、アジアの覇権国家としての露骨な牙を剥いてくるだろう。

 前にも言った通り、アメリカが日本を守ろうとするたった一つの動機は、現在では、中国との対決を意識していることにのみある。しかし日本が今のように頼りない国家でありつづけるなら、アジアの問題は中国に委ね、北朝鮮の核問題だけ解決されれば、アメリカは東アジアに関心を失い、すでに負担に感じている日本の防衛から手を引くかもしれない。

 さて、北朝鮮問題はアメリカの課題であると頭からきめてかかって、日本の力の及ばなさを当然視している今の日本人の前提をおかしいと疑うことから、問題をあらためて組み直すよう訴えたい。日本が本来の国家なら、まず自分で解決しようとするはずだ。1945年までの日本はそういう国家だった。この国がそういう「自己」を取り戻したとき、アメリカはアジアの対等のパートナーは中国ではなく、やはり日本だったともう一度しかと気がつくであろう。そうでない限り、最終的に、「日本がアメリカから見捨てられる日」はそう遠くはない。

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 この論文は5月18日に脱稿しているが、基本は12月初旬の今とそう違っていない。論文中の重要ポイントはすべて質問形式で『坐シテ死セズ』に書きこまれている。彼がどう答えたかはどうか同書をみていただきたい。

 


わたしの愛国リアリズム (十三)
 西尾 幹二 - 2003/12/23(Tue) 11:35
 

 拙論「日本がアメリカから見捨てられる日」が店頭に出て間もなく、すなわち6月5日付で、評論家の藤井厳喜氏より次のファクスが来信した。

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 西尾幹二先生      発信者 藤井厳喜

 前略 正論7月号の先生の論文、拝読致しました。誠に、一行一行、首肯せざるは無き名論文と存じます。

 現在、米国と中共は協力して、脱北者を教育して北鮮へ送り込むという作戦を開始した様です。ブッシュ政権は暫くの間、胡政権に時間を与えて、北の処理を任せるものと思います。小生にとって、アメリカが帝国主義国家である事は自明の理ですが、今更それを発見している人々も、真に暢気なものですね。

 “専守防衛”の虚偽性も益々明らかで、「抑止力とは攻撃力」である事こそ防衛の基本にしなければ、いかなる外交も虚しい限りです。  (中略)

 先生の論文に即して考えますと、小生は次の三点が特に重要と考えます。①ブッシュ政権の(というより米国の)次の戦略目標の一つは、中共一党支配体制の崩壊である。(SARSはチェルノブイリとの説あり)②米国はイラクの油田地帯の安全さえ保てればよく、イラク全体の民主化などに責任を持たない。③米での日本核武装容認論の意味する所は、要は「中共・北鮮の核に対して米の傘など存在しない」という米側の告白。

 先生の結論の如く、日本が自主外交に目覚めてこそ、アメリカは日本を真のパートナーと認識するのでしょう。

 平成15年6月5日           藤井厳喜拝

==============

 真剣に、正確に読んで下さった有難い内容で、心から感謝申し上げる。

 6月5日から半年以上を経過した。私の文章も、藤井さんの観察も、今なお大筋において有効である。事態は動いていないのである。

 北朝鮮は逃げ切り態勢に入っている。アメリカは深追いしない姿勢を保っている。中国にやる気はない。しかし5カ国が包囲していれば核開発は急展開しないだろうというのがアメリカの希望的観測であり、日本の追認姿勢である。アメリカはそれでも重大事にならないかもしれない。しかし日本は刻一刻と自力解決を迫られる(あるいは自力解決できないので何もしない)場面へ向かってゆっくりと動いている。

 拉致は放置される。来年11月の米大統領選挙後になにかが変わるかもしれないという秘かな、受け身の期待を抱きつつ、日本人は今、呆然と年末を迎えている。
 


わたしの愛国リアリズム (十四)
 西尾 幹二 - 2003/12/24(Wed) 09:17
 


 「日録感想板」にお気に召した幾つかのことばを拙文から引用して、かくかくの個所に感銘を受けたと言って下さった人がいる。次の文章である。

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わたしの愛国リアリズム 投稿者:おやじの感想 投稿日:12/21(日) 23:50 PC No.496 [削除]

西尾先生の「わたしの愛国リアリズム」シリーズ?興味深く読ませて頂きまし
た。特に印象に残った記述を挙げます。

−−−−−−−<引用開始>−−−−−−−−−−
北朝鮮問題はアメリカの課題であると頭からきめてかかって、日本の力の
及ばなさを当然視している今の日本人の前提をおかしいと疑うことから、
問題をあらためて組み直すよう訴えたい。日本が本来の国家なら、まず自分
で解決しようとするはずだ。
−−−−−−−<引用終了>−−−−−−−−−−

こういった日本側の意識改革は大切だと思います。
現在は北朝鮮と日米韓中露の「6ヵ国協議」で北朝鮮問題を解決しようとして
いるので日本の単独行動には制約があるかもしれませんが、「6ヵ国協議」
が破綻することがあれば、その時に日本の自立性が強く問われてくることでしょう。

−−−−−−−<引用開始>−−−−−−−−−−
評論家は現実の政治に届かない「空砲」を射っているにすぎない。
へたに現実に役に立つ思想を語っているなどと己惚れない方がいいし、
自他ともに期待しない方がいい。思想が現実を動かすことが万一にもある
としたら、とても時間のかかる息の長い話なのである。
−−−−−−−<引用終了>−−−−−−−−−−

こういった冷静で謙虚な分析をされ、自信と抑制のバランスがしっかりして
いるところが西尾先生の魅力です。

「不可解にも感じるのは、他の国の軍隊の法規にはやってはならないことが
規定されているのに、日本の自衛隊法ではそうではない。できること、
やっていいことが次々と列挙されている。こうなると、自衛隊ではやって
いけないことだけを意識して単純に動くのではなく、何ができ、何が許され
るかという選択肢をたえず意識して行動しなくてはならないことになる。
従って例外に対応できない。戦争は例外の連続ではないか。」

という指摘などにも考えさせられました。(非常識な憲法が諸悪の根源です)

==============

 これを読むと、あぁ成程、こういう個所を読者は面白いと思って下さるのだな、と分って、私としては大変に参考になり、ありがたい。一言、御礼申し上げる。

 ところで、主にこの方が引用して下さった「日本がアメリカから見捨てられる日」だが、論壇時評その他での反響はまったくなかった。無反響はいつものことだから驚かないが、あの論文で提出した疑問点は私が石破防衛庁長官との対談本『坐シテ死セズ』でとりあげ、私からの一つ一つの質問の中にこめられている。ぜひ一書をご繙読いただきたいが、じつは同書の内容の一部をあらためて紹介して「防衛の開国」という概念を説いている別の短い文章を私はその後書いている。

 「専守防衛」ではとうてい防衛になり得ない矛盾を長官にお尋ねしたが、石破さんは職責上、はっきり言えないこともあって、100パーセント満足のいく答ではなかった。せい一杯努力しての対応である。しかしポイントはきちんと答えている。

 同書の全体の私のまとめと長官への印象を綴った「私が考える日本の最優先課題——いま求められているのは防衛の開国——」(『正論』11月号)を以下に再録する。同書への私自身による論評と思っていただきたい。
 

わたしの愛国リアリズム (十五)
 西尾 幹二 - 2003/12/25(Thu) 15:37
 


 いま求められているのは防衛の開国(一)(『正論』11月号より)

 9月初旬に石破防衛庁長官と私との対談本『坐シテ死セズ』(恒文社21)が出版された。私は北朝鮮危機のあらゆる場面を想定して、軍事専門家に学んで用意した質問を次々と長官にぶつけた。長官は私に戦前の日本のエリートと目される高学歴の青年に、進んで国防の任に就いたアメリカのエリートのようなノブレス・オブリージュが果してあったのか、という永年内心に秘めていた重く、鋭い疑問を提出した。石破長官は文明と歴史の行方を深く考えている思索人である。

 対談の結果、私は長官の見識や人柄の魅力は別として、それを以てしてもどうにもならない日本の国防の実態に、いいしれぬ不安、深い危惧の念をあらためて抱いた。

 北朝鮮の陸海空の軍事力はさして恐れるに足らない。F15二百機を擁する日本は領空侵犯に対応する能力では、世界一だと長官は仰言った。陸海にしても同様である。海にはイージス艦があり、海を越えて大挙して押し寄せる陸の力は、北にはない。けれども弾道ミサイルの襲来と侵入した特殊工作部隊のゲリラ活動には、これを防ぐ有力な手段はまだないらしい。

 「東京を火の海にしてやる」という表明があって、相手がミサイルに燃料を注入し始めたならば、わが国に対する攻撃着手とみなし、「その基地をたたくことが自衛権の範囲内として可能」とまで明言された。しかし可能は可能でも、攻撃の手段がない。精神はあっても、ハードがない。憲法に違犯するから先制できないのではない。武力攻撃の手段を所持していないのだ。日本の国防はそういう用意をしてこなかったのである。

 「憲法上許される範囲で、いかなる政策の選択もありうるが、現在政府はそのような選択をしていない、ということです」とは長官の言である。憲法が原因で手も足も出ないと思っている人が少なくないが、そうではないと言っているのである。現行憲法のままで今すぐやれることは一杯あるのに、それがやられていない、という意味である。長官個人の見識と能力の問題ではない。外へはいっさい撃って出てはいけないという日本人の積年の習慣と惰性、防衛庁、政府、国会、国民意識を蔽っている思考停止が、この国をいま累卵の危うきに置いている。

 平成18年からやっと空中給油・輸送機が導入され、高性能のF15もF2支援戦闘機も空中で給油を受けて、北朝鮮上空へ行って帰ってくることはできるようになるが、敵ミサイル基地をピンポイント的に破壊する空対地攻撃能力は搭載していない。政策的に選択をしていないのである。

 いったい何ということか。防衛のためだけの武器などあり得ない。敵基地に危害を加える力がなければ武器とはいえない。それでは自国防衛もできない。くりかえすが憲法が制約しているからではない。日米安保があって絶対安心だからなのでもない。
 
 

わたしの愛国リアリズム (十六)
 西尾 幹二 - 2003/12/26(Fri) 22:38

 

 いま求められているのは防衛の開国(二)

 長官は言う。
 「ただ漫然と『日米安保があるから大丈夫だ』というのは、いうなれば信仰の世界であって、責任ある政治とはいえません」

 驚いたのは万が一だが、飛んで来たミサイルが着弾しても、相手国があれは人工衛星の誤射だったと謝罪すれば、被害が発生しても、忍耐するしかないというのである。98年のテポドンのとき、人工衛星を打ち上げたという北の言い分に日本政府は安堵し、いわば歓迎した。戦争ではないということにしたいからである。これからも恐らく本当の着弾、大被害があっても政府は防衛出動にはせず、災害出動ですませようとするのではないか、という私の質問に、それはないだろうと長官は答えていたが、私は疑っている。

 だからこそミサイル防衛(MD)の一日も早い整備が必要だと長官は主張する。けれども完成までには時間がかかる。局面が急展開し、間に合わない場合が心配だと私は問うた。それに対する安心のいく答はなかった。朝鮮半島有事となれば、在日米軍の基地使用をめぐる事前協議が行われるが、北から「もし日本がアメリカに基地使用を許せば十分後に東京は火の海になる」と脅せば、日本国内に「アメリカの基地使用に同意すべきではない」の声が上がらないとも限らない、とは長官自身の正直な不安の表明であった。私は「それがとてもこわいのです」といい、彼は「脅しに屈しないためにMDが必要なのです」とお答えになったが、MDが完成するまでの期間は、日本は丸裸であると言っているにも等しいのである。私はゾッとした。国防の最高責任者の言葉だけに、本当に日本の安全保障はいまや、薄氷を踏む思いなのだと合点した。

 憲法改正とか、アメリカの制約から離れた自主防衛とか、時間のかかることは今言ってみても仕方がない。最優先課題とは明日の日本のための具体的な対策でなくてはならない。MDの完成さえ間に合わないのかもしれないのである。

 よくトマホークを売ってもらえという人がいる。対地攻撃能力を持つF15ストライクイーグルを備えよという人もいる。けれどもこの国の防衛は内向きになりすぎていて、自衛隊が敵基地を攻撃する能力を持つには、それに要する訓練の年月と莫大な予算をようするのである。長官も言っていたが、アメリカがイラク攻撃に成功したのは、戦争に踏み切る前にイラクのレーダー基地を全部つぶしておいたからである。そんな行動は自衛隊にはゆめにも考えられない。外へは一切撃って出てはいけないという半世紀を越えた国防の封印状態を、どうやったら少しでも開封し、国を変えていくことができるか。これがMDの完成と同時に、日本がいま求められている最優先課題である。

 イラク情勢の変動があって、今アメリカは東アジア政策で足踏みしているように見えるが、じつは日本の新たな動き、自分の運命を自分でどう切り拓くかを、黙って見守っているように思える。これから中国と日本のどちらが頼りになるかを秤にかけているともいえる。

 北朝鮮の万一の攻撃への報復、すなわちそれを前提とした抑止は、すでに見た通り日本の自力では間に合わない。アメリカの対応に待つ以外にない。しかし攻撃能力を持たなければ抑止もない。自衛もない。この認識を日本自らが持たなければ、先に見た通り、アメリカの抑止も機能しないのである。

 新内閣が10月にも実行すべきは、さしあたり集団的自衛権の宣言と非核三原則の一部手直しである。すぐにでもできる。やさしい具体的な緊急提言である。

 


わたしの愛国リアリズム (十七)
 西尾 幹二 - 2004/01/04(Sun) 13:35

 


 暮の26日に、今回のイラク派兵の準備をすすめてきた自衛隊中枢の幹部三氏を囲む小さな夕食会に招かれ、現地報告を受け、質疑応答を交す機会を持った。日本から見ているのとはだいぶ異なる情勢報告が出された。
 
 従来アメリカは日本の国内事情を考え、日本がやれるギリギリの線を守った上で、これこれのことをやってくれないかと具体的に日本政府に要請してきたのだが、今回は今までとは様子が違って、アメリカは特定の要求をしてこない。どこの国でもいいが、世界のどこかにこれこれのことをやってくれる国はないか、と広く呼びかけて、それで終りである。

 特定の要求をしてこなくなったアメリカと、言われなければ何もしない日本との差が出て来たということになる。今までは各国が情報を下さい、何かやります、という姿勢でよかったが、今はアメリカが何をやってくれますか、やってくれるならそれに応じて情報をあげましょう、という態度に変わった。

 イラクの未来の全体像はアメリカにも見えない。見えない点では各国と同じである。全体像が見えない中で何をやるかは各国が自分で判断し、自分で決定しなくてはならない。これが日本には苦手である。日本の行動を遅らせ、せっかくやっただけの効果もあげられない原因となっている。

 まるで子どもの自発性に待ってすべてを行うのが教育だと考える先生と、言われた通りに従うのが気楽だと思う生徒との関係みたいな話だが、事実そうなっている。戦闘はアメリカが引き受けている。アメリカ一国で十分である。代りに各国にはイラク復興に向けての自主的貢献が求められている。そこにコアリッション(coalition)という新しい概念が登場してくる。

 コアリッションは何と訳したらよいか。同盟でも、連合でも、連立でもない。参加自由の提携協力体制のことである。同盟は条約に基づいて長期にわたり作られた固定的な枠組みなのだが、コアリッションは特定の任務のために一時的に形成された柔軟な枠組みのことである。関係国は条約に制約されないで自主的に参加できる仕組みになっている。

 いいかえれば国家の意思決定の枠が変化してきている。内容も時間も変化し始めている。カンボジアやゴラン高原のPKOのときには、国連のリジットな枠組みが定まっていて、それに合わせて行えばよく、時間のテンポもゆったりしていた。9・11同時多発テロ以来、この枠組みがこわれた。

 国連の枠組みではなくコアリッションになってから、参加国の自由意志が前提になった。代りに各国が復興のため何を出すかが大切で、自分から何も出さなければもういい、と排除されるだけである。そして時間的にも緊急対応が求められる。しかも結果だけが評価される。

 アメリカは問題解決の手段としてコアリッション方式、同盟国、友好国によるこの方式を重視し、現在日本を含む53カ国が手を挙げている(ドイツ、フランスも入っている)。一国主義との批判を避けるためにアメリカにはコアリッション方式が有用であるだけでなく、戦闘後の復興、再建の段階での助力を得る上で必要不可欠となっている。

 しかし日本の政府首脳は世界のこの新しい変化が分っていない。何をやるにしても、これなら日本が主体的にきめられる。有利なはずである。早く手を打つほうが何倍もの得点になる。しかし、そのことを官房長官以下、内閣はよく分らず、いぜんとしてPKOの考え方から脱け切っていない。

 政府首脳には安全保障に対する感性が足りない。トップリーダーに軍事に対する知識だけでなく、センスが欠けている。自衛隊の幹部が合同会議に出席すると、他省庁の官僚たちはなにか起きたらどうするかをめぐり、法律の話から始まり、やがて法律の話で終わる。余りに危機管理に無智であって、彼らとは意思が通じない。

 例えば、イラク戦後の初期段階で、自衛隊内の医師団の派遣を決定すれば、一番早く復興の旗を立てることができた。また、空からアルカイーダの動きを監視するP3C機を出せば、どれくらい感謝されたか分らない。アメリカはP3C機が足りなくて、出してくれと日本に何度も言ってきた。これは憲法に抵触する話ではない。

 しかし日本政府はウロウロしているだけで有効な手を打てず、みすみすチャンスを逸している。首相のすぐ横に、首相にたえず話ができる補佐官(軍事専門)が置かれていることが必要ではないか。日本の中に外の情勢を機敏にキャッチする受け皿がない。防衛庁と外務省とを挟んで、真中に官邸があるが、この官邸が外の情勢に対応する能力をもたず、事実上まったく機能していない。以上の報告は、おうよそ私たちの予想の通りである。

 差し当たりこんな話をきいて、それから5日経ち、大晦日の「朝まで生TV」を見ると、イラク情勢が論じられて、余りにもかけ離れているのに驚いた。テレビは冒頭から、日本の自衛隊はどの段階で撤退するのか、犠牲者が何人出たら撤兵するのかという話を延々とくりひろげていて、私はバカらしくなって、スウィッチを切った。フランスやドイツは立派で、日本は米国追随でだらしないなどとまだ言っている。フランスもドイツもコアリッションに参加しているのにである。
 


わたしの愛国リアリズム (十八)
 西尾 幹二 - 2004/01/05(Mon) 16:07

 

 
 コアリッションによる協力とは、原則として特定の国に対して協力の圧力がかかることはなく、各国が可能な範囲で協力をすればよいという考えに立脚している。どの国にも制約があって当り前というのが一般的な認識なのである。

 どの国にも制約があって当り前とみられているのは、日本にはいい条件なはずである。それなのにうまくできない、というのが問題である。走りながら決断せよ、といわれている。然るに日本は走りだせない。憲法に制約されているからでは必ずしもない。自縄自縛にかかっている国民の心の問題である。

 もうここまでくれば国際協力のたびに特別措置法をつくって出かけていく非常識をなくすべきである。世界のどの国もが日本の軍事上の制約——法的だけでなく心理的——を理解してはくれない。

 現地にはいわゆる「ニーズ」はいくらでもある。いかに自立的にそれを選び取って決断をするかが問題なのである。その際タイミングが重要な要素であることはあらためていうまでもない。「決断しながら検討」できる意思決定のメカニズムが確立されていることが求められているのである。

 個別具体的な要求をしないアメリカ、要望がなければ検討を開始しない日本——この開きが、次第に異常なものとしてクローズアップされつつあると聞く。

 けれども日本は同盟国である。そのことをアメリカは理解している。最近は寛大である。自衛官幹部三氏の話を総合すると、アメリカは日本の制約をよく知り、あまり無理を言わないらしい。日本は湾岸戦争でカネを出して、ヒトをださなかったことが批判された。日本人にはそのことがトラウマになっている。しかし今のアメリカは費用を負担できる国はありがたいと歓迎している。湾岸時代と違って、それでいいと言っている。

 日本はゴラン高原、東チモールにPKOを派遣し、インド洋に対アフガン戦以来、補給艦による支援を行っている。こんなことができる国はきわめて数少ない。洋上で長期間の継続支援が可能な国はほとんど日本一国であるといっていい。そういう点では十分に理解され、感謝されている。

 ドイツにはこの真似はできない。ドイツには輸送機すらない。ウクライナから借りている。何でも話によると、ドイツはこの冬も借りようとしたら、日本からのおもちゃ輸送が先約で、ことわられたとか。なんとも奇妙な話も聞いた。

 安全保障をめぐる国際関係が変わったことが以上で明らかになったと思う。アメリカと同盟国・友好国との「二人のディナー」から、アメリカを中心とした「レセプション」へと変わった。その分だけ各国は、アメリカの顔色をうかがうだけでなく、同盟国・友好国との関係を新鮮に保持することが重要となってきた。

 勿論、ワシントンでは、日本は「世界で最も重要な二国間同盟」の相手国としてしかるべき対応を受けている。これに対し、戦争を実際に取り仕切っている現場では、日本は「53カ国中の一国」にすぎない存在である。

 コアリッションに寄与しない国には、情報は提供されない。へたな相手への情報の提供は、現場兵士への生命の危険に関わるからである。この点で実際の権限を握るのは、地域コマンド司令部である。

 現場の司令部とワシントンとの間では、当然ながら日本に対する意識の違いがある。現場ではたかが日米同盟である。「日本の立場」と「日本語」を理解するアメリカ軍人は一握りである。

 とはいえ、されど日米同盟でもある。日本経験者が強い味方になってくれる場面もある。

 こうした戦況では発想の転換が必要である。日本の国際協力は待ちから攻めへ転じなくてはならない。残り物には福はない。現地に滞在する各国の首席連絡官は国防大臣に直接電話できる人がアメリカの要望であるとか。

 日本の場合、防衛庁長官との連絡がとれても、官邸が話の通じない人ばかりだ。官邸をはさむ外務省と防衛庁との関係はほとんどカオス(混沌)である。日本はまず国際舞台で使える人材育成から始めなくてはならない。

 アメリカのやっていることを一語で表すと、「この指とまれ!」である。これは見方によればアメリカ一国に都合のいい話で、アメリカのわがまま、意地悪も可能なシステムである。しかし善かれ悪しかれ現実はそうなっていて、各国は表向きはともかく、基本的にはそれに異を唱えていない。日本の現地団は、ともあれ「怒らず」「驕らず」「諦めず」を心にかけている。

 以上のような説明を受けて、私は日本に伝えられている情報との意識の差を考えた。日本のマスコミの勘の悪さ、現地の状況を理解したがらない傲慢さは、福田官房長官の取り仕切る官邸よりももっとひどい。現地の日本関係者を苦しめるだけである。

 偉そうにアメリカを裁いて、道義的なことばかりを口にするマスコミ。戦争に大義はなかったという。しかしフセインという兇悪な独裁者を排除したことは大義ではなかったのか。その混乱に乗じてアルカイーダなどのテロリストがイラクに潜入している状況は、9・11同時多発テロの新たな継続ではないのか。フセイン排除のイラク戦は終り、情勢は変わったのではないのか。

 私は席上次のような発言をした。重要情報を官邸に伝えず、現場でどんどん行動して、官邸が文句をつけたらもう現地情勢が動いていてどうにもならないという形にして、一度でもいいから福田康夫に恥をかかせ、あの男を官邸から叩き出す方法はないものか、と。勿論同席の関係者は黙っていて、答はなかった。

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〔追記〕 投稿名 yakopi「人は成熟するにつれて若くなる」(1月4日)は私を大変に勇気づけて下さった。半ば買い被りだが、こういう風にいわれると嬉しい。投稿名 荒間宗太郎「コアリッション」(1月4日)は今書かれているテーマにいち早く反応し、正確に理解し、問題を新たに提起して下さって、ありがたい。二つの書き込みに感謝申し上げる。

〔訂正〕 年頭の挨拶(B)私の刊行予告のうち、ニーチェ『悲劇の誕生』(中公クラシックス)は、1月10日刊行で、同日店頭に出ます。なお、7、としてショーペンハウアー『意志と表象としての世界』(上、中、下)(中公クラシック巣)の年内刊行がきまりました。いずれも私の過去の訳業です。

 

わたしの愛国リアリズム (一九)
 西尾 幹二 - 2004/01/07(Wed) 10:27

 


 去る11月29日路の会に東海旅客鉄道株式会社(JR東海)社長の葛西敬之さんにお出ましいただいて、貴重なお話をうかがう機会をもった。葛西さんと私とは旧知の仲である。愛知県の山奥でIBM主催のシンポジウムがあり、葛西さんが主催者側にいて、私がパネリストに招かれたのはもう何年前だろうか。「たしか1980年代の前半でしたね。」と彼は言った。「当時あなたは課長さんでしたよ。」「そうでした。」とスピーチの始まる前の会食中に雑談がはずんだ。

 あれから葛西さんの活躍はめざましかった。国鉄分割後にJR東海の社長になってからの業績も上首尾で、リニア実験線の成功もあり、なにかと話題となり、また新聞雑誌に鋭い文明批評もときおり発表している。

 『中央公論』(平成15年12月号)の葛西氏の「国鉄と道路公団は同一視できない」は考えさせられる卓論で、私はコピーを路の会会員の卓上に配った。国鉄の民営化がうまくいったからといって、道路がうまく行くとは限らない。鉄道と道路は基本構造が異なる。以下引用しながら彼の考え方をざっと紹介する。

==============
 鉄道は、軌道、路盤などのインフラと、その上で鉄道輸送をオペレートする
部分がシステムとして一体不可分になっている。当然一社の専用軌道が前提と
なる。鉄道を民営化する場合は、線路も、車両も、運行も、一つの会社に所属
させなければならない。つまり一元経営が原則だ。旧国鉄時代、従業員40万人
あまりのうち、上部構造すなわち運輸、営業、車両などの部門に約85%、イン
フラ部分には残余の約15%が従事していた。民営化により、全体で20万人余に
まで要員を削減したが、減らしたのは上部構造が中心だった。この結果、収入
に占める人件費の比率は85%から35%まで効率化された。
 一方、道路のインフラ部分を保有しているのは国や道路公団であるが、その
上を走っている自動車、つまりバス、トラック、自家用車などは、すべて民有・
民営である。つまり、上部構造は既に「民営化」され、しかもオープン・アク
セスにより厳しい競争場裡に置かれている。したがって、道路公団を民営化し
ても、国鉄レベルの人件費削減の効果は期し難い。
==============

 まことに明快である。人が見落しがちな盲点である。これ以上余計な道路を造らせまいとする小泉内閣の抑制策には私も賛成だし、経済の回復策として公共投資一点ばりのやり方に歯止めとかけようというのも共感できる。けれども何もかも民営化すればうまくいくというものではないと、私も漠然と考えていた。

 市場競争で失敗したものは消えてなくなる。なくなって困るものは市場に100パーセントゆだねるべきではない。たとえば警察を民営化できるだろうか。国防も民営化になじまない。鉄道、電力、道路なども経営に失敗したからといって、なくしていいわけのものではない。国が最後の面倒をみざるを得ないものは、最初から国が完全に手放すべきではないのである。

 「道路は公有物だというのが世界の常識であり、日本もその世界の常識に従うべきである」と葛西さんは言う。

 国鉄の民営化の成功者がかように道路の民営化に疑問を投げかけているのがまことに辛辣で、示唆的である。

 詳しい所論はここに掲げないが、要するに道路の建設と道路の運営とは別の事柄であって、この両方をともに採算事業として成り立たせることは不可能だというご主張である。建設はどこまでも国の事業であって、建設を終わらせた後で、維持・運営のみを民営化企業に任せるという仕組みでなければ現実的ではないというのである。

 今のように建設と運営とを一体化して採算の合うようにしようとすれば、道路を造りつづけることこそが関係者の、つまり道路公団の生存権につながるという結果を招来するのは日を見るより明らかだというのだ。債務を返済するにも大きな債務を必要とするからである。社会的効率に関わりなく建設計画が次々と生まれてきて、抑止しがたいのはそのせいである。

==============
 無駄な道路建設を抑止するために道路公団を民営化するという考え方は
間違いで、まずこれ以上道路を造らない、という国の意思が前提にならな
ければならない。その上ではじめて、既成部分の維持・管理を効率的に行
うために民営化すべきか否かの論議に進むことができる。もし、建設が続
くのに民営化するとすれば、生煮えの、時期尚早の民営化になってしまう
だろう。
==============

 まことに言い得て妙である。道路は一つのネットワークだという思想が基本にある。高速道路だけを切り離して、株式会社にするのはおかしいと彼は言う。葛西さんはイギリス国鉄の民営化の失敗例をあげた。鉄道は一つのネットワークだという基本を忘れたイギリスは、鉄道を全国を束ねる一つのレール会社、三つの車両会社、約25の運行会社など約100社に分割し、しかも同じ線路の上で複数の会社に競争させようとしたのだそうだ。しかしレール会社が維持改善の努力を怠り、設備の劣化により事故が多発し、倒産し、結局その後は政府の負担で運営されている。

 民営化は万能ではない。民営化すれば果して、無駄な道路建設はなくなるのだろうか、そこに疑問がある、と葛西さんは言いつづける。

==============
 国が戦略的判断として、これ以上は経済的効率の低い公共投資を行わない
という決断をしない限り、民営化しようとしまいと建設は引き続き行われる。
民営化はインフラ事業の場合、あくまで出来上がったものを効率的に運営す
るシステムで、非効率な公共事業の抑止力にはならない。ところが、これま
での道路公団の民営化議論を聞いていると、まず道路建設を止めるという話
は聞こえてこない。民営化の機運はまだ熟していないのだ。最終的にどのよ
うな道路ネットワークが必要かというコンセンサスもないし、これ以上、投
資すべきでないというコンセンサスもない。ただ、民営化という言葉だけが、
ひとり歩きしたり、踊ったりしているだけだ。
==============

 私がなぜ葛西さんの道路問題の言論に興味をもったかというと、この日お出でいただいて拝聴した最重要の話、鉄道の輸出というテーマに、これが深く関わっているからである。鉄道はそれぞれの国土に即して仕上げられたネットワークで、国土から切り離して外国に移送し、植えつけることははたしてできるか、という本質的疑問を、鉄道の代表的思想家として氏が抱きつづけていることに、私は秘かに共感を覚えたからである。

 

わたしの愛国リアリズム (二十)
 西尾 幹二 - 2004/01/10(Sat) 09:18

 


 私が葛西さんを路の会のメンバーに引き合わせたいと思ったのは、折りしも新幹線の中国売り込みに国や財界が夢中になっている上っ調子に彼が水をさし、JR東海は協力しないと明言し、新聞紙上にも波紋がひろがっていたからである。

 なにゆえあってか、扇国土交通大臣(当時)が中国詣でをしたり、奥田日経連会長が葛西発言の後でもなお新幹線の売り込みを国家プロジェクトのごとくに語る不見識を、私はひごろにがにがしく思っていた。ここはぜひにと、ご本人から直かに話を伺うのが早道と考えたからに外ならない。

 葛西さんは15枚の図表、グラフ、車輌絵図などから成るペーパーをご用意くださった。表紙がついていて、富士山を背に新幹線の走る絵の下に「路の会」とかかれ、「東海旅客鉄道株式会社 葛西敬之」と銘打った立派な一冊を人数分だけ携行してきて下さった。

 話の最初は、品川駅開業によって東海道線は20分短くなるということ、平成15年10月から従来1時間当たり3本の「のぞみ」が7本に、6本の「ひかり」が2本に、3本の「こだま」はそのままに、というダイヤ改正がなされたということが伝えられた。「のぞみ」が主体になったということである。

 1年10万本走らせる東海道新幹線の一列車の遅れは、国鉄時代より大巾に短縮され、0.4分を越えて遅れたものが激減した統計グラフをみせてもらった。ドイツでは5分、フランスでは2分遅れまでをjust on time といっているが、日本は30秒であるとか。開業以来38年間で約48億人が利用した東海道新幹線で、事故発生率は国鉄時代の約5分の1、JR東海は、JR東日本JR西日本の約半分の0.41(100万kmあたりの事故件数)という僅少な数字であるなどと、最初のお話はしばらく自社広告の趣きがあった。

 最近の新幹線の先頭部分の形状は平べったく、薄く、長くなるというめざましい変化を示していることは、素人目にもひごろ気がついていた。N700という最新型はエアロ・ダブルウイング形というそうで、航空機で採用されている最新のシミュレーション技術を用いて、数千回に及ぶ空力解析により導き出されたそうである。その画像を何枚か見せてもらったが、鉄道マニアなら夢中になるであろう。

 やがて話は本日の中心テーマ、JR東海が「超電導磁気浮上式鉄道」の開発に成功しているという息をのむ話題に及ぶ。山梨リニア実験線の走行試験は、累積走行記録がすでに33万kmを越え、試乗者の総数も6万人を越えた。最高速度は時速579kmで、座席数1000、東京・大阪間を1時間で結ぶ。現在すでに実用できる段階に到達しているというお話である。

 超電導リニアの一番の特長は、最高速度までに達する距離の短さである。グラフで示されたが、スタートしてわずか8.5kmで最高速度時速579kmに到達する。そしてほぼ同じ距離で0にもどり得る。

 走行中であれば、最高速度に達するのがもっと短く、19km走ったところで起動するとわずか4.6kmていどで最高速度時速503kmに到達するという実験データが得られている。いうまでもなくこれは軍事転用が可能である。ロケットの瞬発力に威力を加えることに役立つ。

 中国が関心をもつのは新幹線自体ではなく、この超電導リニアの技術であって、朱鎔基首相が試乗し、何とか中国に導入を図ろうと働きかけてきた。葛西社長がJR東海は民間企業であって政府の指示は受け入れないとつっぱね、民間の企業秘密を外国に漏らす理由はないと公言した。

 山梨で実験が成功した「超電導磁気浮上式鉄道」は、東京—山梨—長野—岐阜を経て名古屋の北から関西へ入る中央新幹線として計画されている。東京—名古屋—大阪間は人口とGDPの60%が集中している大動脈である。

 会社としては準備OKで、いつでもスタートできる態勢がある。しかし国家的プロジェクトであるから民間企業の力だけではできない。今のところ国土交通省も政治家も冷淡である。彼らは地方の他の新幹線の拡張を狙っていて、中央新幹線の計画は知っていても、これを少しでも遅らせようとしている。

 葛西さんの偉いところは政治家の力を敢えて借りようとしないことだ。政治家との板ばさみになりたくない。黙って時機を待つ。必ず政治家がことの重大さに気がつくときがくる。国家の意思決定がないとできないのだから待つしかないが、へたに騒ぐとかえって危ういと考えているらしい。

 路の会のメンバーのひとりが「失礼だが、葛西さんが社長の任期を終えられた後の社長の代になってもプロジェクトが動き出さないと危いのではないか。中国に先に売ろうなどという不逞の徒輩がでてこないものでもないでしょう」と内心の心配を口にした。「その点は絶対に心配要りません。」と彼は自信をもってきっぱり言った。なぜ彼がそれほどの自信をもって確言できたのか、詳しい背景はわれわれには分からない。
 


Re: わたしの愛国リアリズム (二一)
 

2004/01/13(Tue)09:43
 鉄道の輸出ということで真先に思い浮かぶのは、新幹線の韓国輸出で日本がフランスに敗れた一件である。私はフランスが獲得してくれて良かったと安堵したのを覚えているが、他の多くの日本人は当時どう思ったのだろうか。

 韓国新幹線はとうに完成しているはずなのに、実態はどうなのかと私は葛西社長に訊いた。線路などの下部システムは韓国自ら敷設し、車両その他の上部システムをフランスが請け負った。実験し始めると、後尾の車両が尻尾を振るかたちになってうまく走らない。

 フランスの責任技術者がさっそく呼ばれたが、調査の結果「これは韓国側の責任」といってさっさと帰ってしまった。当然ありそうな話である。フランスのTGV(超特急)は広い平地を走る。韓国の地形風土は別である。

 韓国は日本に相談に来たが、鉄道はそれぞれの国の文化が育てた技術のネットワークで、他国の技術に口出しできない。尻尾を振る理由はついに分らない。あれこれ言っている。来たる3〜4月に正式に開通に漕ぎつける予定だが、所期通りには機能すまい。

 かつてスペインにフランスが輸出したことがあり、うまく行っていない。過去に鉄道の外国輸出でうまく行った例はひとつもない。日本の運輸省は韓国輸出を強く望んだが、韓国はフランスのリップサービスに乗せられてフランスを選んだ。しかもそのとき贈収賄の汚職がからんだ。フランスの関係者に逮捕者が出た。(日本では知られていないが、フランスは外国との国家規模のプロジェクトでつねに汚職を起こす国である。台湾との軍船ラファイエット号輸出をめぐる腐敗は今なお台湾政界を揺るがせている。)

 韓国の関係者は今こんなことを言っているそうだ。「日本の新幹線に試乗したときフランスではなく、こっちの方がいいと思った。しかし当時日本人は韓国への輸出に熱心じゃなかった。売りこもうとしなかった日本人が悪いのだ。」

 過日私(西尾)もフランスのTGVに乗ったが、乗り心地といい、客席内部のつくりといい、日本の新幹線とはほとんど勝負にならない。プラットホームと車両は通例の列車と同じように段差が大きく、停車時間がのんびりと長くて、速く走っても意味がない。第一の難点は「狭軌」である。座席は四列、通路は狭い。

 以上をもって鉄道の技術は各国の国土と文化に結びついて発展してきたもので、外国に安易に移動できない一大ネットワークだという葛西さんの従来の主張は証明されたかにみえる。車両を輸出することはできるが、それは車両会社が売れればよい。鉄道のシステム全体を外国に売ることはできない。

 システムを売れば、長期にわたって保全のオブリゲーションが発生する。例えばアメリカにシステムを売れば、訴訟社会アメリカの弁護士たちの恰好のターゲットとして狙われる危険がある。韓国も危ういが、中国はもっと危うい。中国は実費を負担する意思さえ確かではない。ただ台湾だけは日本側の危惧した条件をクリアされたと判断した。それについて次に述べよう。
 


わたしの愛国リアリズム (二十二)
 


                       初稿日:2004/01/15(Thu) 09:36 No.44

 台湾高速鉄道の支援は次の通りである。

 区間は台北—高尾(345km)で、山陽新幹線(300km)とほぼ同じ規模である。最高時速は300km。所要時間は90分。駅数は11。2005年開業予定。プロジェクト費用は約1兆6500億円。

 システムの7割は日本製だが、1部にフランスとドイツから無理に押しこまれた技術が使われている。これがシステムに不整合で、危険がある。例えば分岐器はドイツ製で、日本の分岐器のように折れにくいマンガン特殊鋼で作られていない。分岐器からのレールの長さやカーブも異なる。脱線したらドイツ人の責任である。こういうことが不安材料で、頭が痛い。

 以上は葛西氏の自由談話を私が筆録したもので、文責は西尾にある。鉄道技術輸出に関するJR東海の方針は次の通りであるとして述べられた以下の要約は、葛西氏の提出した文書に基く。ただし( )内の文責は西尾。

 JR東海が外国の鉄道事業に関与することはあり得ないし、協同経営主体となることは勿論、出資もしない。(台湾のケースは、「日本連合」という法人格のない共同企業体が契約主体となっている。受け手も台湾の民間会社である。)

 メーカー、例えば「日本連合」の中のメーカーが車両や信号システムなどを輸出することはあり得る。その運行や保守などノウハウの面で支援を要請されれば、当社が支援することはあり得る。

 その場合もシステム総体が日本式となる場合にのみ支援を考慮の対象とする。部分的に日本のシステムを採用する場合には支援しない。(台湾は80%日本のシステムである。要するに他の国のトラブルの責任までは負えない。)

 JR東海はこの支援から何らの金銭的利益を得る意思はない。実費のみを収受する。代りに支援に伴う一切のリスクは負わない。この点が法的、契約的に担保された場合にのみ支援を考慮する。また支援は当社の人的余力の範囲内を限度とする。(支援のために人は増やさない。)

 当社が支援する目的は、日本の鉄道関連メーカーの収益を高め、企業体力を強化すること、製造能力を国内に保存・強化する上で役立つこと、ひいては東海道新幹線の比類ない安全・正確・快適性を維持することに効果があること等であって、これが最終の目標である。鉄道関連事業の空洞化のおそれが出てくる場合には支援しない。

 台湾のケースは以上の条件がクリアできたので支援に踏み切った。中国の場合はまだ何も見えていない。(日本の鉄道車両関連メーカーは2000億円市場で、5つの電車メーカーが競合している。海外輸出で活路を開き、メーカーが力をつけるのはよい。ただし、中国に車両を輸出すると、中国製の安い、悪い車両が日本製と競合し、日本のメーカーの力が落ちる。)

 以上の社是は、じつに堂々とした立派な愛国的信条であると私は思う。こうでなければいけない。たのもしい。葛西社長に私は深甚の敬意を表する。

 話によると、アメリカやイギリスはいま車両をつくる能力もないらしい。フランス・ドイツ・カナダはある程度もっている。中国は自ら開発するだろうが、日本が応援する必要はないのである。まったくその通りだと私も思う。そういう決然たる意志を秘めたご主張であった。

 にもかかわらず政府や財界に無理解が存在している。奥田日経連会長(トヨタ自動車社長)は自動車を中国に売りたいがためであろうが、鉄道の対中輸出は日本の義務だといわんばかりの発言をするそうで、会議の席で葛西氏と火花を散らしたこともあったと聞く。

 目先のことしか見えない日本の政界と経済界の視野狭窄は昔からの悪弊だが、今ではこれがいわば日本の国難の一つになっている。