Subject:平成15年5月26日 /From:西尾幹二 /Date:2003/05/27 13:19

 都下小平市にある陸上自衛隊小平学校に今日講演に行った。自衛隊員はどこでも聴講態度が礼儀正しく、立派なので、気持ちがいい。けれども、さして理由もなく今まであまり講演を引き受けないで来た。今日うかがったのは校長の武田能行氏と以前面識があったからだが、それだけではない。過日拙著『国民の歴史』についての隊員の感想文、A4で26枚になる力作を武田氏がどんと送ってこられて、その内容に感銘を受けたからである。

 聞けば、小平学校では、『国民の歴史』それから続けて『新しい歴史教科書』を全隊員によませて、各自に長文の感想文を書かせている。今日小平学校校長室で、大型ファイルに何冊にもなった感想文が机上に積み上げられ、私はたじたじとなったほどだった。

 私に送られてきたのはそのうちの一つで、署名がなかった。書いたご当人が今日校長室に出向いてくださり、ご挨拶いただいたので、用意していた旧著『超然たる人生』に署名してお渡しした。市谷の防衛庁陸上幕僚監部の吉田時彦氏である。前言としてまず次のように書いている。

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 前言

 私たちは生活の中で、自ら国の歴史をじっくりと振り返ることなどまずない。せいぜい日頃の実用書の読書や新聞の特集で断片的に目にするか、歴史紹介のテレビ番組で偶然接する程度である。90年代以前は、左翼知識人や一部マスコミの自虐史観を土台にした日本の歴史解釈が教育現場を含めた日本全体に蔓延していた。このような一部アジア諸国の意図を汲んでねじまげられた歴史解釈に疑問を抱いていた国民は多かったであろうが、文化人・知識人=左翼、暴力的思想家・天皇崇拝者=右翼といった単純なレッテルが貼られる風潮で、当時は明確に反論できるメディアも識者もいなかった。このたび「国民の歴史」という日本の歴史を根本的に問い直す貴重な文献を読む機会を得たことは、これまで自国の歴史を不当に卑下した歴史観に抱いていた不快感の多くを払拭できたという点で非常に有意義なことであり、自国の歴史を左翼思想や自虐史観に左右されない自由な立場で、新鮮な再学習の機会を得ることができた。

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 吉田氏は米国の在日米軍関係者を対象にしているラジオ(国営公共放送NPR,810khz)が「一分間の歴史」という短い歴史教育の時間帯で、とてもいい内容の放送、米国民の心にひびく役立つ内容の放送をしているのを紹介したあと、「残念ながら国民から聴取料を徴収し国から補助金を支給されて運営されているNHKが、米国の国営公共放送のように日本人が誇りと自信をもてるような『日本の歴史』に関する放送をしたことは、私の知る限りほとんどない。」と、不満を表明している。それどころではない。NHKは『国民の歴史』から秀吉とフィリップ二世のモチーフを盗用して、特別スペシャル番組までつくったことがある。あいさつなしで私のモチーフが使われたことは、著者は直観で分るので、番組担当者にその直後に電話でたしかめた。私は非難しなかった。むかし教育番組を共につくった旧知のディレクターだったので、笑い話で済ませた。あの本が世に出た当時の話である。

 『国民の歴史』はご承知のように34の章から成る。吉田氏が拾い出し、論評を加えたのは、1、7、8、9、12、14、15、16、19、21、24、25、26、28、30、32、33の各章で、文字、神話、美術、学問などのテーマは避けられている。けれども、いずれもA4で1〜2枚はある分量で、正鵠を射ていて、感心し、感謝もした。

 少し長くなるが、8、9、12の各章を完結に要約し、感想を加えた三つの文をここに紹介する。『国民の歴史』の前半のメッセージが正しく一般読者に伝えられている事実を始めて確認できて、うれしかった。

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 第8章  王権の根拠—日本の天皇と中国の皇帝

 筆者は本書を通じて、古代から中世の日本と中国の関係において、特に戦後の歴史教育を規制していた大陸中国の呪縛から、あらゆる視点で日本歴史教育を解放しようと試みている。本項では日本の天皇と中国の皇帝を比較することで、両国の国家支配体制における権力の所在の差を述べている。この分野について筆者は、「深入りしない」と言っているが実は宗教とのかかわりが極めて大きな要素となると思う。しかし筆者は、両国の王権の全体像を簡明な例を用いて、非常に判りやすく説明している。中国の王権の根源は「天」であり、この概念は、ユダヤ、キリスト、イスラム教のカミの概念近く、人間と天の間には断絶が存在する抽象的理念的存在と説明している。この点は大陸中国の個人主義と西欧の共通部分があるのではないかと感じる。一方日本の神々は、自然信仰に依拠し、身近で具体的な事物や現象に現れるという点で、中国とは大きく異なると説明している。このような古代での天(神)に対する意識の差は、これまで私自身あまり意識していなかったことである。

 また、古代中国の律令体制が偉大なものであったことは言うまでもないが、日本はこのお手本にあえて不忠実な選択をし、自国の現実を重視した独自の王権を制約する制度・思想を作りあげていったという指摘は、重要である。この結果、我々は古代中国を結果として日本の歴史と異質なものと認識すべきであるという筆者の主張は、これまでの古代中国の巨大な呪縛から日本の歴史を解放するための貴重な提言である。古代朝鮮が中国文明に傾斜を強め自縄自縛に陥っていったのに対して、日本は唐の崩壊以降、徐々に中国文明から離反し、日本が中国と異質なものを感じ、日本独自の国家統治形態を開拓していったことが、中国とは異なる発展が可能であったと筆者は読者に問うている。この指摘はこれまで中国文明の呪縛から逃れられなかった日本の歴史観とのバランスをとる意味で重要な問題提起であると思う。

 第9章  漢の時代におこっていた明治維新

 筆者が提起しているようにあの広大な中国が、殷の時代から唐にいたる2千年以上の年月を中華帝国という専制政治体制が如何にして可能であったかという点は、日本の古代国家と比較しても興味深いことである。日本のような小国ですら絶対権力による統治期間はないに等しい。しかし日本では、天皇の権威のもとで行われる祭祀機能が長い期間にわたって継続していた。筆者は、日本と中国の権力維持構造の差を簡単に言えば「ムラ社会の存在」に求めている。ムラ社会の構造を古代に当て嵌めるには少々無理があるが、筆者もこの点は比較文明論であるとことわっている。日本ではムラには共同意識があり共同作業を行うがその反面社会的には閉鎖的で、これは保守的に伝統を継承できる基盤でもある。一方中国のムラ社会は、団体的な性格を持たない代わりに開放的で拘束力のない自由な社会であることが興味深い。この結果紛争処理などの問題解決は有力者や名士の名による場合が多く、ここに権力構造の差があったと思われる。中国では公共部分のごく一部がムラのような中間団体で処理されてこなかったため、その他の公共部分は国家、すなわち権力者が埋めてきたと解釈できる。このような社会背景から中国では極めてドライな個人主義、団体意識のない個人主義、他者無関心主義、公意識のない利己主義が蔓延し、その空白を埋めるものが強大な国家権力であるという構図をなる。ここに長期間にわたる変遷を繰り返しながらも異なる権力者が、比較的スムーズに権力の交代をなしえたということが理解できるような気がする。筆者がこの項で中国文明の背景を分析した目的は、日本が中国文明を日本の師匠として意識せざるを得ない状況を文明論的に解消したと考えたことであろうか。筆者は、中国が築いてきた利己的な個人主義を背景とした文明社会が日本の中間団体(ムラ社会等)を基盤とする文明社会と明確に異なっていたことを強調していると思われ、この見解はムラ社会の比較文明論としての前提の上では、理解しやすい説明である。

 第12章  中国から離れるタイミングのよさ—遣唐使の廃止

 日本の史書の中に「東方見聞録」と並ぶ古代中国の紀行文が存在したという事実をこれまで知る機会はなかった。確かに遣唐使廃止の歴史的事実は知っていてもその背景となった当時の朝廷の判断と、またその判断の根拠となった唐の情報収集と国情分析が如何に優れたものであったかにいささか驚かされた。筆者はこの判断の根拠に「当時の日本人の勘のすばらしさ」という表現を用いているが、勘も一種の状況判断であり、的確な情報なくして、勘だけで物事がうまく運ぶことはない。その意味では日本は、実にタイミングよく中国の権威そのものから距離をおくことに成功したという筆者の主張はもっともである。円仁の「入唐求法巡礼行紀」の一部を読んだが、筆者ほどの驚きと感動は感じることはできなかったが、私情を入れない純粋な観察力と表現力の鋭さを十分感じとることのできる文章である。なお筆者は、本書の冒頭から「唐帝国の崩壊をもって中国文明はその役割を終えた」と主張し「宋以降も民衆史としての中国は継続したが、異民族支配の国家形態の連続となり、社会的、人種的、言語的に大きく変質し、日本が中国大陸から習得する時代は終わった」と再度主張している。これは筆者の中国の呪縛から日本を解放すべきであるとの重要な提言の一つであると思われる。

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 宣長学者の子安宣邦氏が最近著(本年3月刊)『「アジア」はどう語られてきたか』(藤原書店)で、一章を立て35ページも割いて『国民の歴史』の批判を書いているのを偶然、店頭でみつけて買った。私のこの本の出版は日本の歴史や思想関係の学者にとってよほど気になる事件らしい。網野善彦氏や永原慶二氏のような札つきのマルクス主義者の反論には私はまるきり関心がないが、子安氏は少し違うタイプの学者と思っているので、ゆっくり読解し、機会を得て対応したいと思っている。ただ、彼の批判は私の「他者としての中国文明」という、まさに今、吉田時彦氏が解説してくれたポイントに向けられている。

 子安氏は、「『国民の歴史』とは、日本の一国文明史の成立のために中国との差異化、中国の他者化を意識的に、また戦略的に遂行した書である。」と述べたのはいいとして、差異化、他者化を「人種差別」だなどと論難している。宣長論者がどうしてこんな左翼のタームに簡単にはまりこむのであろう。いずれゆっくり吟味するが、そういえば子安氏の宣長論は数多くあるが、生来宣長がそう好きになれない人の宣長論だなとつねづね思っている。
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