年頭の挨拶 平成16年元旦 新年あけましておめでとうございます。 恒例に従い、年頭に当り、今年の抱負を語るべきところですが、単なる抱負ではなく、現実に具体化されるプロジェクトを公開したいと思います。 最初は(A)共同プロジェクトを、次に(B)私の刊行予告を、そして最後に(C)今年の夏以降に着手が予定されている私の個人計画をご披露します。(C)のみが抱負です。(A)共同プロジェクト1.「九段下会議」のスタート 平成14年10月頃に計画が立てられ、九段下の某ビルで数度の会議とくりかえされる原稿の改稿を経て、ようやく声明文(A4で7枚)と政策提言がほぼ決着をみた。 伊藤哲夫、遠藤浩一、志方俊之、中西輝政、西尾幹二、西岡力、八木秀次に文藝春秋、PHP研究所、産経新聞社、徳間書店、筑摩書房、恒文社21の各社のベテラン編集者が相集い、会議を重ねて、日本国家再生のプログラムを提言する。 声明文には国の内外の病巣を剔抉し、内と外の病因が一つであることを明示し、その構造を分析し、打開の方向を暗示して、具体的な政策提言を箇条書きにして示す。 同声明文は月刊誌『Voice』3月号に発表される。 1月8日の会議で文章の微調整と今後の会の運営方針を加筆して、確定稿とする約束になっている。ここまで辿り着くまでには約一年有よ、容易ならざる作業であった。2.『地球日本史』(20世紀篇)の再開と出版 平成9年から10年にかけてほぼ1年2ヶ月にわたって産経新聞に連載され、後に扶桑社から3巻本で刊行された『地球日本史』(①日本とヨーロッパの同時勃興、②鎖国は本当にあったのか、③江戸時代が可能にした明治維新)は、その後文庫化されて、好評を得たが、自由民権運動のあたりで終わっている。 平成16年7月から平成17年5月にかけて連載が再開される。これは憲法制定や、日清、日露の両大戦を皮切りに、ワシントン会議を経て、大東亜戦争突入のあたりまでの政治、外交、文化の諸相を重点的にとりあげる新しい20世紀史である。戦史はあえて書かない。また戦後史は分量の関係でどこまで扱えるか今のところまだ分らない。 分量は1週に5回又は6回でワンテーマとし、全体で36テーマとする。責任編集者は私であるが、執筆者は原則として36人を用意しなくてはならない。 往時より新聞の活字が大きくなって、容量が減少したため、この連載は2巻本として出版される。第1巻は平成17年1月、第2巻は同年6月に刊行される。平成17年夏の教科書採択の盛り上がりを念頭に置いての刊行日設定であることはあらためていうまでもない。(B)私の刊行予告 出版される順番に記す。1.ニーチェ『悲劇の誕生』(中公クラシックス) 中央公論社 1月刊行予定2.『男子、一生の問題』 三笠書房 3月刊行決定 私の本の中で類例のないユニークな一書である。本が出たらあっと驚くような語り口、題材の選択に工夫がこらされている。恐らく一生に一度しか書けない本。すでに校了直前にある。私のいわばEoce Homo(この人を見よ)である。3.『あなたは自由か』(ちくま新書) 筑摩書房 6月刊行予定 現在執筆中4.『わたしの愛国リアリズム』(仮題)徳間書店 3〜6月刊行予定 「日録」本第二弾。ただし、雑誌に書いた評論も幾つか収録し、「日録」そのままではない工夫をこらす。5.ニーチェ『ギリシア人の悲劇時代の哲学、ほか』(中公クラシックス) 中央公論社 3〜6月刊6.『江戸のダイナミズム——古代と近代の架け橋』 文藝春秋 10月刊予定 『諸君!』誌上連載は続行中で、終わりがまだ見えない。次回(16)あたりからフィナーレに向けてゆっくり舵を切るが、国学と日本語の問題が残っているので輪郭を書くだけでも、そう簡単にケリがつくとは思えない。ひょっとすると来年刊になるかもしれない。慌てず、焦らず十分に展開したい。『国民の歴史』に次ぐ大著となる。
(C)私の個人計画(抱負)1.『わたしの昭和史』(『正論』連載の再開) 『江戸のダイナミズム』の連載が終わらない限りできないと思ってきた。私の体力では二本の連載は無理だからである。しかし、雑誌との約束もあるので、夏にはスタートしなくてはならないであろう。2.書き下ろしの計画 『国民の歴史』の裏ページに『日本文明史』を書くと予告して果せないできた。つづけてすぐ書いても、『国民の歴史』を越えた新しいものは書けそうにないと思ってためらっていたからである。代りに、『日本文明史』の別形式のつもりで書いたものが『江戸のダイナミズム』である。 『新しい歴史教科書』は一種の通史であった。代表執筆者としてこれをまとめたので、約束した『日本文明史』の代用を世に出したという思いもずっと強かった。 『日本文明史』をいきなり書くことは今の私にもやはりできない。個別のテーマで単行本を次々に書き下ろしていくという案をいま考えている。『江戸のダイナミズム』もその一つである。次のテーマでは雑誌連載を新たに考えるか、いきなり書き下ろしていくか、思案中である。 いま具体的に検討に入っているテーマは「柿本人麻呂論」「孔子と韓非子」「日本の天皇と中国の皇帝」「鎖国」である。いずれも『国民の歴史』から派生しているテーマであることは見易いであろう。しかし私としてはどれもみなそれ以前から抱懐している題材なのである。 「柿本人麻呂論」は日本語の確立のテーマである。「鎖国」は私の処女作「ヨーロッパ像の転換」以来の、西洋との対話と対決の16世紀—17世紀版といってよいかもしれない。勿論、中華文明との関係が新たに入ってくる。この間には行った儒学の勉強が役立つだろう。 4月8日につくる会主催の教科書の10のテーマの講座で、私は「ヨーロッパの世界進出」を頼まれている。もう一度16—17世紀の海外と日本を考えるいいチャンスである。じつは関心がずっとあって、『平戸オランダ商館の日記』全7冊や宣教師ヴァリニャーノ日誌の全集をすでに買い求めているし、むかし岩波で出た世界の航海全集も入手しているのである。私はどんな仕事にも膨大な文献を準備している。 このほかに書きたいのは「ゲーテとフランス革命」である。これも、材料は十分すぎるほど集まっている。資料収集には長大な時間がかかっている。果たして私の人生で「ニーチェ(第3部)」を書く時間があるであろうか。軽井沢にあつめたあの貴重な資料の数々は役に立つ日を迎えるであろうか。 私は自分の文章力がいまある頂点に達しているのを予感している。70歳をすぎると、誰でも例外なく筆力が落ちるときいている。残された時間をどう上手に使い、何を選ぶべきか、真剣に検討する時期が到来しているようだ。 目先の政治論にかまけている時間は私にはもうないのかもしれない。