新春会談 (一)
 投稿者:西尾 幹二 投稿日:2004/01/16(Fri) 11:22

 
 
 1月7日18:30より、船橋西図書館焚書事件の関係者、弁護士と原告などが一堂に会して、新年会を開いた。原告で出席したのは私ひとりである。

 弁護士の中の有力なお一人が、第一審判決への感想として、「法は長い間かけて形成されてきた。新しい権利が認められるのは大変に難しい。いざ判決となると負けると思っていた。」と仰言ったので、それならなぜ告訴する動きをむしろ勧誘したのか、私には疑問に思えた。「ただ、あの判決は原告に十分に顔を立てた内容だと思いますよ。」と前にも聞いていたのと同じようなことを語った。

 新年会なのですぐにお酒の席になり、各弁護士からきちんと整理した説明やこれからの理論的方針をお話いただけるのかと期待して出向いた私には少し意外だったし、残念だった。

 「新しい判決が出れば画期的なことです。はたして高裁にその勇気があるか。」と別の弁護士のかたが仰言った。「高裁ではむつかしく、最高裁で一発あり、ということになるかなァ。ならばいいのだが。ともかく新しい保護権益の承認に裁判所はつねに消極的なんです。」

 皆さんの語る見通しはともかく悲観的である。

 船橋市の市会議員の方が来ていて、私の批判文「船橋西図書館事件一審判決と『はぐらかし』の病理」ののった『正論』1月号が市内の本屋でまたたく間に売れ、とりわけ市役所の内部でひっぱりだこで、本屋の店頭から消えると次にはコピーが大量に出回ったという関心の高さを報告した。判決文が大幅に引用されているせいだと私は思う。土橋被告には市役所内部でまたあらためて打撃を与えた結果になった、との報告である。

 しかし私としては、拙論は控訴審に有効に役立ってもらい、第二審判決に反映されなければうれしくない。『正論』は高裁に勿論証拠として提出されているが、裁判官が必ずしも読むとは限らない。そこで弁護士は主張(「準備書面」という)の中に私の所論を引用して、読ませるように工夫してくださるそうである。

 そう語った主任弁護士の内田氏と一緒に、私は私の所論のポイントを確認し合った。(1)著者としての被害感情の切実な訴え、(2)全体主義の予兆を示すという道義的告発、(3)「つくる会側原告ら」というひとくくりで判決文が「つくる会」の敵対者も含めて一括する粗雑さ、また私の焚書された9冊のうち7冊までが「つくる会」参加以前の本であるという、私からみての判決文の事実誤認。以上三点である。

 「いずれも判決の結論に影響を与え得る新しい根拠とはならないかもしれない」と内田さんはいう。周知のとおり第一審の判決は、被告の図書館に対する犯罪は認めているのである。ただ被告の著者らに対する権利侵害は存在しない、と言っているので、私の所論の三観点も、この論理でいけば、判決の趣旨から逸れていて、控訴審判決に直接影響を与えない可能性が高い、と、これまた悲観的だ。

 傍らにいた弁護士のT氏が「つくる会側原告ら」といった一括して語る表現の仕方は判決文の通例で、許されている慣行だとも仰言った。これではますますもって私は立つ瀬がない。

 「裁判ってそんなに常識の世界とかけ離れていて、いいんですかねぇ」と私は慨嘆して言った。すると誰か「なにしろ、マニュアル通りにしかやらないし、やれない世代の判事たちですからね。彼らはただの法務官僚なのです。」

 また別の一人はこうも言った。「焚書は全体主義の予兆を示す行為だから、一罰百戒のみせしめをせよ、と論文にお書きになっていましたが、そういう考えは裁判になじまないのです。」

 「というより全体主義とは何か、そういう問題を彼らは日頃考えてなんかいませんよ。」ともう一人の人が言った。「ふだん社会のあり方なんぞ考えていない判事が大半です。そういう一般教養を身につける間もないうちに判事になってしまっているのですから。」

 なんとも空恐ろしい話だし、私としてはいかにも空しい思いに襲われる。
 


新春会談 (二)
 西尾 幹二 - 2004/01/18(Sun) 17:02
 

 
 高裁の審議は通例は一回で、二回目に判決となるのに、どういうわけかこの裁判では二回審議が行われることになった。被告側代理人は一回で終わらせようと懸命だったが、こちらの弁護士が食い下がったせいもあってか、二回審議が行われる結果になった。これは予想外であったという。

 裁判長がそのとき被告に、なにか言いたいことがあったら次回にさらに言うように、また船橋市の代理人に向かって、給与10%の6ヶ月カットという被告に対する市側の行政措置は一般に重い処分なのか軽い処分なのかと問い正したそうである。そこから裁判長がなにか新しいことを考えているのではないかという憶測を生んでいる。

 弁護団はこれに対し二つの可能性があると考えている。(1)もう一度審議を行うのは裁判所のリップサービスである。原告はどうせ強引に最高裁へ上告するだろうから、被告に言いたいことがあるなら今のうちに言わせて記録にとどめておいてやろう、という向う側に利のある話であって、判決の結論は同じだ。

 考えられる(2)は、これとは逆に、第一審の判決をひっくり返してもいいが、今のままだと根拠が不十分なので、原告弁護団が理論上のサポートをしてくれないか、という暗示である。

 (1)と(2)のどちらが考えられているかは今のところまったく見えない、という話である。

 ただし、次の話は今の裁判官のレベルを示す象徴例であるといえよう。弁護士のお一人が第一審判決の判事の一人に廊下で立ち話をする機会があり、私の『正論』論文を話題にしたら、読みたいと言ったので、今度裁判所に持って行って読ませることにした。「気にはしているんですよ」という。

 しかし、気にしているなら自分で買って読めばいい。こちらが知らせなければ知らない、持っていかなければ読まないという怠惰というか、傲慢というか、裁判官のその生活態度が問題なのではないだろうか。

 控訴審の2回目は1月26日に行なわれる。
 


新春会談 (三)
 西尾 幹二 - 2004/01/20(Tue) 09:15

 

  七回目の九段下会議が1月8日に開かれた。

 『Voice』3月号(2月10日発売)に声明文「国家解体阻止宣言」(予定)が掲載される。二段組12ページの誌面の組版がすでに出来上がっている。この中の1ページは、箇条書きした「緊急政策提言」である。約1年にわたる白熱的な討議の結実である。

 声明文の署名者は、伊藤哲夫、遠藤浩一、志方俊之、中西輝政、西尾幹二、八木秀次(50音順)の6名である。会議は各出版社、新聞社の編集者を加えて15人から構成されている。

 『Voice』での発表後、3月以降に、声明文を冊子化し、多方面に配布する。学者、言論人に必ずしも期待してはいない。むしろ官界、政界、経済界の人々と全国の団体役員、活動家たちである。

 声明文の末尾に次の文章が付記された。この部分だけ『Voice』での正式発表前にはなるが、以下にあらかじめ引用紹介したい。

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 九段下の某会議場で会議を重ねたので九段下会議と名づけた当会は、平成15年5月から7回の会合を行って、上記結論を得た。執筆者のほかに主要出版社と、新聞社のジャーナリストを含む15人が白熱の討議を経て、最後に執筆者の表記6名が代表して署名した。

 今の日本の現実を打開するのに、従来のような評論の言いっ放し、できそうもない理想の打ち上げ花火、何百人という有識者の署名を広告とした大衆運動はもう役に立たないとわれわれは判断した。そこでご覧の通り、危機の本質を総括した上で、政策提言を箇条書きにした。これらのテーマを今後質的に深化させ、継続的に追及するため分科会を設け、その結実を逐次『Voice』『諸君!』『正論』など主要論壇誌上に発表する機会を求め、各問題を現場の緊急解決テーマとしたい。

 そのため万機公論に決すべく、感想、提言、情報提供、人物の推薦、各自の研究主題の表明などを広く在野に、また官界、政界、経済界に仰ぎたい。われわれの力だけでは到底なしがたい日本解体阻止のための狼火を上げたものと理解して頂きたい。

 宛て先は千代田区飯田橋2−1−2葛西ビル302日本政策センター内
「九段下会議」事務局(〒102−0072)で、メールアドレスは・・・・(未定)である。その際氏名・住所・電話番号・年齢・可能なら職業を付記してほしい。郵便受付も可とする。署名者を個人的に知っている人は個人宛の郵便送付も可とする。

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 さて、ここで以下「日録」の管理人並びに読者諸氏にご報告し、お願い申し上げたいことがある。

 「日録」は九段下会議オピニオン板を新設し、その板を九段下会議の支部と位置づける会議での決定を了解してもらいたい。

 「日録」の読者の書きこみによる積極参加が期待される。その際実名を出す出さないは各自の自由で、ハンドルネームでも登録番号による識別でもなんでもいいが、ただ、「氏名・住所・電話番号・年齢・可能なら職業」を管理人が把握できるように届け出ておいてもらいたい。九段下会議の側が接近し、問い合わせや照合を行う必要が生じてくると思われるからである。「万機公論に決する」ための書き込みであることをご理解いただきたい。身分を内密にあかす程度の勇気を持ってない人に、世直しを口にする資格はない。

 九段下会議はやがてホームページを立てる。当「日録」との間でリンクを交換したい。

 声明文の内容は2月10日まで待たなくてはならないので、以上のように事前にものものしく語るのは少し大袈裟で、思わせ振りに感じとられるであろうが、ここにあらかじめ広報し、今から気を引き、煽り立てておくに値する内容の宣言文であることには自信もある。ご協力のほどを切におねがい申し上げる。
 


新春会談 (四)
 西尾 幹二 - 2004/01/23(Fri) 09:16

 


 1月9日18:30より六本木の樓外樓に、台湾駐日代表の羅福全大使から新年会をかねて語り合いたいと、8人の日本側言論人が招待を受けた。といっても、学識豊かで能弁な大使の、次から次に繰り出される未知の話題に、われわれは口を挟むこともあまりなく、ひたすら聞き惚れるばかりであった。

 羅大使は体躯も巨きい大人(たいじん)といった風格の、顔色の血色もよい、気合の入ったジョークも鮮やかな豊富な話題の持主であった。私と同じ昭和10年生れとは思えない元気さである。日本人として国民学校4年生のとき日本で終戦を迎えたそうだからいわば同じ仲間である。外国で暮らすことが多く、「私は台湾ではホームレスですよ」といって皆を笑わせた。というのも台湾の不動産の高騰の話が出ていて、80坪の高級マンションはやはり億ションであり、日本円にすれば3倍になるから3億円です、と仰言る。「80坪でもエレベータその他も含むので実際には60坪ですがね。」

 招かれたのは井尻千男、片岡鉄哉、中村彰彦、入江隆則、八木秀次、藤井厳喜、宮崎正弘それに私の8人である。大きな円卓でご馳走と老酒をいただきながらあちこちに気ままに話題の飛ぶトークだから、たいていの話の内容は忘れてしまっている。

 江沢民は若い頃覚えたので日本語がべらべらだが、反日の強持ての姿勢を崩さないため決してそれを人前でみせない。蒋介石も日本語はできたらしい。森喜朗前総理が代議士になったばかりの若いころ蒋介石に会見する機会があって、日本語で話かけられた、とか。蒋介石と蒋経国、蒋経国と李登輝の関係についてもいろいろ知らない話題が提供されたが、ここに書くほど正確には記憶していない。

 以下断片的な知識になるが、主として中国大陸の現実について、私がおやと驚いて耳を欹てて聞いた大使のことばの幾つかをここに書き留めておこう。

 中国は予想外に耕地面積が小さいそうだ。全国土の12%で、人口が多いので一人当りの耕地面積は日本や台湾の五分の一である。(へぇー本当かなァ、と私は思った)

 中国の成長神話はいつまでつづくか。試算によると、かりに10%成長すると8.9%は環境破壊を修復するための経費に消え、実質成長は1.1%にとどまるという現実があるようだ。分り易い例でいうと、経済成長によって水不足が生じている。

 黄河の水が1年のうち300日は海に届かないそうだ。そこで南の水を北へ運ばねばならない。揚子江の水を北方へ移送する。これは考えただけでも恐ろしいまでの巨額の経費を要するプロジェクトであるに相違ない。

 しかもその揚子江の水がコントロールされていない。上流の巨大湖である洞庭湖の三分の一を農地にした関係で、水害が多発している。農民が木を伐りすぎる。農民の7割にとって燃料はいまなおいぜんとして木材すなわち薪である。

 中国は今や世界最大の石油輸入国である。それでも工場はたえず停電で、電力供給は週4日である。中国はエネルギー不足におびえている国だ。しかも、それでいて自動車社会になろうとしている。昨年420万台だった中国製自動車は今年は恐らく500万台に達するだろう。

 成長すればするほど成長阻止要因が他方に発生する。そういう構造になっている。大抵の国々のエネルギー消費に交通の占める割合は35%である。中国とインドはまだ9%である。中国が人並みに35%になった場面を考えてみるとそら恐ろしく、矛盾は極限に達していよう。

 ロシアの石油を日本に引くパイプラインを中国経由ではなくシベリア経由にしたのは日本にとって幸いであり、懸命な選択だった。中国は資源が世界で一番乏しい国である。台湾を狙っていることは明らかである。太平洋に出て行くためにどうしても台湾がほしい。
 


新春会談 (五)
 西尾 幹二 - 2004/01/26(Mon) 14:38

 

 

 羅福全氏の戸籍にまつわる話も面白かった。中国には住民台帳がない。代りに戸籍がある。戸籍は出生地に固定されている。戸籍の移動の自由がない。それでも大都会に人口が集まる。

 北京人口の約四分の一は他の地域の人である。彼らはもぐりだから、福祉の恩恵や市営住宅に入れる権利がない。公職につけない。そういう人は戸籍のない自由を逆にいかして、一人っ子政策を守らないでいい。影の人口が増えていく必然である。

 戸籍をもつ人でも、二人目三人目の子供には戸籍がない。そういう子供は死んだ他人の戸籍を買うようになる。戸籍上60歳の人が実際には40歳代というようなケースがたくさん出てくる。戸籍に移動の自由があり大都会に正式に移住できるのは党幹部などの特権階級だけである。

 中国は昔から官僚(士大夫)優位であり、役人でないただの普通人(無人)に人権はない。彼らが国家ではなく個人のことだけを考え、名誉ではなく金だけを尊重するのは、こうした歴史背景と社会構造の結果だといっていいだろう。

 羅氏曰く、国全体を良くしなければ自分も良くならないと考えるのが日本型だとすれば、インドや中国は自分だけ良ければそれでよいと考える人々が大半である。インドでは大学が15できたときに文盲率が90%だった。今の中国も同じようなものである。これからの中国は日本型となり得るのか、いつまでもインド型なのか。

 水、エネルギーの不足、官僚の腐敗はますますひどくなるだろう。とうてい日本型にはならないだろう。

 そのほかいろいろなお話をうかがったが、私は途中で坐ったままつい仮睡してしまい、ここに書いた話は当夜の一割にも満たない。私が記憶していて面白いと思ったことだけを記録に留めた。

 われわれ日本人は解体していく日本の未来に絶望しているが、羅福全氏からみると、日本はまだまだ健全な愛国者の砦にみえるらしいのである。
 


新春会談 (六)
 西尾 幹二 - 2004/01/28(Wed) 10:43

 

 1月12日14:00〜18:00の九段会館における、中西輝政著『国民の文明史』のシンポジウムは、予想するよりはるかに多い参加者を数えることができた。1000人をかなり越えたとの報告を受けた。

 ロビーに『国民の文明史』を50冊積んでおいたら開会前にまたたく間に売れた。扶桑社の人がもっとたくさん搬入しておけばよかったと口惜しがっていた。司会の私は冒頭その報告をして、これはおかしな話で、当会場に来ている皆さんは予め読んでおくのが暗黙の約束ではなかったかな、と言ったらドッと会場が笑い声をあげた。会衆の照れ笑いである。

 会衆の集まりの良さは、当日朝『産経抄』に石井英夫さんが『国民の文明史』の中から名文句を拾って、本日シンポジウムあり、と書いてくださった力が与って大きかったと思っている。当日売りが250もあった。また本にシンポジウムの広告を入れておいたことも有効だった。2月1日の大阪シンポも同様の大きな人の波が予想される。(念のため 午後2時〜、会場:大阪メルパルクホール、当日売りあり)

 何といっても中西さんの本の、ことに後半の面白さが原因だ。巾広い知識、観察の鋭さ、日本の潜在力に期待を持たせる国民への明るい信頼の情、断乎決然たる意思的表現等々に魅了された人が少なくなかったのではないかと思う。彼の言葉には私流のペシミズムの悲劇的色彩がない。それは庶民の心に訴えるものがある。

 彼は大阪の商家の出身であり、私は東京の山の手の中産階級の出身である。彼は神仏信仰の徒であり、仏教や心学に傾斜しているのも大阪の風土である。江戸時代を考えると私はすぐ儒学に傾く。江戸の仏教には関心がない。また、石田梅岩も山片蟠桃も私はピンとこない。それに、法学部と文学部の違いも今度鮮やかに意識された。勿論イギリスとドイツ、経験論哲学と超越論哲学との違いもある。

 シンポジウムでは入江隆則氏と片岡哲也氏とが最初に発言し、中西歴史学に対しべた褒めだった。それはそれでいい。しかしこうなるとバランスというものがある。シンポジウムが面白くなくなる。私は悪役に転じた。

 縄文と弥生というが、ご本に考古学上の内容の裏づけがない。ただの概念であり、図式である。それなら「停滞と自足」の原理と「変革と自覚」の原理の二軸がある、というふうに抽象的に言った方が無難ではないか。

 弥生が800年も時代を遡ることが考古学の新しい展開で、長江文明の役割が大きくなってきた。中国大陸には長江文明と黄河文明という二つのそれぞれ別起源の文明があった。稲作は前者から、律令・文字・儒教は後者からきた。日本は縄文時代にすでに長江文明とつながっており、三内丸山もその影響下にあった。ヒスイの輸出など三内丸山から長江上流への文化伝播さえもあった。

 今までの狭義の弥生は前300年ごろで、長江文明の影響と刺戟を受けて国家を建設したと考えられてきたが、これは間違いかもしれない。大陸からは二度の文化情報伝播があった。5〜6000年前からの長江文明のゆるやかな影響と前1000年ごろの水田稲作の到来。これを弥生とみなすとすると、後100〜600年の古墳時代における黄河文明の影響と、律令国家へ向けての自己確立は何と呼べばよいのか。

 弥生時代が800年遡るという新しい年代測定による変革は、縄文と弥生の対立操作という従来の、ものの考え方の根底をぐらつかせているのが現下の状況だが、『国民の文明史』にはそれへの予感がない。(一寸付言すると、『国民の歴史』は上記の考古学上の認識の変化をすでに予測のうちに入れている内容になっていて、書き直しをほとんど要さない。)

 勿論、『国民の文明史』には縄文と弥生というフレームワークにしばられている、叙述上の不自由を別にすれば、それ以外の中に数知れぬ面白い知見、大胆な観察、魅力的な主張が述べられていて、ことに後半、室町時代から以後は巻を置くに能わざるほど一気に引きこまれて読ませる。

 『国民の歴史』では「中世」が書けなかっただろうと、私は網野善彦にくりかえし厭味や非難を投げつけられたが——単に時間の不足で書けなかっただけなのに——私がなし得なかった不足分を『国民の文明史』の室町期の叙述で、私が書きたかったと同じような内容として存分に描き尽くして下さって胸のすく思いである。
 



新春会談 (七)
 西尾 幹二 - 2004/01/30(Fri)09:12

 

 
 中西氏が明治と大正の違いを内村鑑三と吉野作造のキリスト教信仰の違い、西欧と日本を区別し、日本のアイデンティティを守った内村と、西欧と日本を区別できず、西欧近代を普遍とみなして国家意識を失った吉野の対立像でえぐり出したのは、文明批評としてじつに見事な分析というほかない。

 さらに大正と平成の類似、軽薄な「改革」の波に翻弄される両時代、金解禁と普通選挙法の否定面、幣原外交の破壊的悪影響のあたりの記述も、平成の経済と外交の運営をめぐる失敗と重ね合わせてよめて、とても面白い。

 戦後は丸山真男や大塚久雄の役割はそれほど大きくないと中西氏は言う。宮沢俊義、我妻栄、横田喜三郎の法学三悪トリオの日本文明への犯罪的破壊力のほうがずっと大きな悪影響を後代に及ぼした——との指摘も、法学部ならではの力強い発語である。

 さらに比較文明論Ⅰ、Ⅱとして、イギリスと日本の比較、東南アジアに対するイギリスの植民地経営法の表裏ある狡猾なやり方等のテーマも、ご専門らしく伸び伸びと、ゆとりある叙述になっていて、尽きず飽きない。

 こうしてみると本書は後半のほうが面白く、自由な叙述である。そして後半には縄文と弥生の物指しはもはや使えず、しばられてもいない。とすれば、この本は叙述の順序を逆にして、後半を前にもってきて、長い歴史叙述の中から「停滞と自足」の原理と「変革と自覚」の原理を導き出すようにした方がよかったのではないだろうか。その方が自然であり、歴史を二原理で無理に割った、図式にしばられたような概念操作のイメージを与えなかったのではないだろうか。

 それからもう一つの論理上の矛盾は「文明論」という考え方そのものにある。「文明論」は一種の宿命論、運命論に傾きかねない。平安時代の300年間、江戸時代の300年間が縄文の時期であるとし、戦後平和主義の現代日本も縄文に陥っているという御説であるが、だとしたらわれわれは今後250年も今の「停滞と自足」の時代感情のままに過ごさねばならないのだろうか。(ここで観衆は察知してドッと声をあげた。)

 さて私のこれらの批評に対し、中西さんは少し感情的になった。私のもの言いも無遠慮すぎたのかもしれない。中西さんは私が考古学の最近の当てにもならぬ新説をもち出して、それに振り回されているのは遺憾である、との指摘を主たる基調にする反論を行った。

 他のパネリストと中西氏とのやり取りはここでは割愛させていただく。本シンポジウムは内容的レベルもかなり高く、1000人もの観衆が身じろぎもせずに聴き入っていた会場の静寂と反応には、私は司会者としての満足と感動を覚えた。内容の雑誌再録は、分量の多さから、残念ながら今回は見送られた。発売されるビデオを見ていただきたい。

 シンポジウムが終って地下食堂で鍋をつつきながら懇親会が行われた。私の前の席に中西さんが坐わり、かけつけてきた西村眞吾氏が左の席に坐った。私と中西さんはわだかまりなく談笑した。中西さんは「坂本多加雄賞」のようなものは考えられないかとの提言を述べていた。二人が仲良く話しているのを、伊藤哲夫さんが遠くから心配そうにうかがっていた。後できくと実際に心配していたそうである。九段下会議でこれから共闘する仲間同士がここで喧嘩したら大変だと思ったらしい。でも、そんなことはないのである。心配ご無用である。