ピントのずれた人 (一)
 投稿者:西尾 幹二 投稿日:2004/02/20(Fri) 15:33


 
 

 世の中はいままた教育の重要さに、人間づくりがすべてだという認識に傾きつつあるようにみえる。国民は制度の改革を叫んでみたが効果はない。道路も郵政もたいしたことにはなりそうもない。経済が少し上向いてきたのは改革のせいではなく、時期が来たのである。

 世の中がもし少しでも変わったとしたら、その切掛けは拉致とイラク派兵である。これは改革ということではない。現実である。現実は世の中を変えるが、意図的な改革では何も変らない。大切なのは制度の変更ではなく、人間である。

 自衛隊が立派に、堂々と「出征」して行った。人間がしっかりしていることが何を措いても救いである。それと見比べて、教育の現場は余りにもなっていないのではないか。

 再び教育問題の季節がめぐってきているようである。「新しい歴史教科書をつくる会」はこの4月にリライト版を検定に出す。公民はリライト版ではなく、新版である。平成17年夏に二度目の採択を迎える。各地で少しづつ気分が高まりつつある。

 つくる会がこの2年マスコミの表舞台に出ないので、失望する人、苛立つ人、馬鹿にする人、戦略の間違いを説く人——いろいろ出てきている。心配して下さる向きにはありがたいが、「学者とイデオロギー」(一)〜(四)でも書いたように、歴史教育の背後は暗黒世界である。予断を許さない厳しさがある。

 つくる会はとても脆弱な会なのだが、なぜいまだに地歩を占め、じりじりと歩を進めているかといえば、固い、堅実な研究者の集団でありつづけ、へたな大衆運動もしないし、歴史教科書以外の政治問題に会として口出しすることを自らに禁じてきたからである。その寡黙の強さである。同時に『諸君!』『正論』『Voice』にたとえ限られているにせよ、論理的で理性的な反論をくりかえし、相手の中心部を撃つ思想上の戦いの手を緩めていないからである。

 へたに俗受けした大衆運動をしたり、思想上の戦いの手を抜いたりすれば、たちまちなめられ、足許をみられ、あっという間に内部からも崩れてしまうだろう。

 なぜこんなことを言うのかというと、「日録」感想掲示板に「少欲」というハンドルネームのかたが、以前からしつこく言いつづけてきた大衆化路線を、ここへきてまたあらためて要望し、つくる会や西尾幹二へのお門違いの論法を先鋭化し、つくる会支持者の混乱と分派活動につらなる危険を感じたからである。

 私の彼への反論文をお読みいただきたい。

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 H16/01/26 19:51 No:650 

少欲さんへ          西尾幹二

 教育的に刷りこまれた自虐の歪みを脱洗脳させるために、主要な大学でつくる会主催の公開講座をできれば無料で開いたらどうか、と少欲さんは仰言います。放送大学でも、NHKの市民講座でもいい。つくる会のシンポジウムよりよほど効果的であろう、とも仰言るのです。

 また、つくる会主導で教員採用試験の精査を実行すべきである、ともいいます。あぁ、やれればどんなにいいでしょう。

 少欲さんは将を射んには馬を射よ、将とは「自虐史観の克服」で、馬とは「メディアへの警戒心を広い世間に植えつけること」だといいます。

 朝日新聞が東大に1億円払って、「政治とマスコミ」の研究委託講座を開かせることにしたらしい。この中につくる会の思想を入れるように働きかけるべきだろう。せめて同じように読売や産経にどこかの大学に金を払わせて、委託講座を開かせるべきだろう。

 西尾は九段下会議を開いたというが、Voiceや諸君や正論のような固いメディアだけを相手にしていてはダメだ、と。

 「名月を取ってくれよと泣く子かな」という句がありますが、少欲さんはこの句の示すダダっ子にみえます。少欲さんの求めていることは、できればすべてわれわれがやりたいことばかりです。夜空に浮かぶ名月です。しかしそれができないばかりに苦しんでいるのではないですか。皆さんがみんな分っていることです。

 しかし、ここまで書いてきて、私はじつはだんだん腹が立ってきました。少欲さんはダダっ子でもなければ、夢想家でもなく、ひょっとすると相当に腹黒い策謀家ではないのだろうか。

 左翼にできてつくる会にできないことのオンパレードを展開し、左翼の威力をたえず宣伝している下心があるのではないでしょうか。私たちの無力を天下に知らしめ、笑いものにしている大変な煽動家ではないのか。

 少欲さん、あなたは何者ですか。

 仮面をぬぎなさい。あなたの一語一語が今は不快です。不快であるだけでなく危険です。

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 「少欲」さんが敵の回し者ではないかという私の最後の推理はどうも間違いだったようで、この方は大学にご勤務で、私たちを支持している知識人の正会員であるということはその後のご発言でだいたい分り、私の失言はお詫びする。

 けれどもここではっきり申し上げておきたい。学者とイデオロギー(一)〜(四)でお分かりの通り、「少欲」さんの要望はつくる会や私にどうか向けないで頂きたい。私どもが闘い取った思想上の活動を養分にして、他の方々が、たとえば「少欲」さんご自身が別の会をおつくりになり、世論喚起の運動を立ち上げることはとても良いことだと思う。けれども私たちはやらないし、やれない。理由は次の通りである。

 第一に、お考えになっていることは大衆というものはレベルが低く、知識人はそこ降りて行って手を取り足を取り教えるべきだという前提に立っていて、一種の愚民政策である。共産党がレーニン以来ずっとやってきたことである。私どもは彼らの過ちの真似はしない。

 第二に、もしわれわれが広い範囲に網を張るべく、運動員を募集し、マスコミの呪縛を解くためのやさしい教室や語りかけの場を広げていくとしたら、必ず怪しげな人物が運動員として組織に入ってくる。固い、堅実な研究者集団のイメージはこわれ、本体が弱体化するであろう。今でも右翼っぽい人の接近にわれわれは警戒を怠っていない。

 第三に、(一)〜(四)で詳述した通り、歴史学会のメカニズムがいまだ壊れていない。世の中が変わっても、歴史教育のコントロールタワーを敵の手に握られている。洗脳が再生産される根源である。われわれとしては理論上思想上の地道な忍耐づよい闘いがなによりも現実を変えていく基礎的パワーであると信じている。

 以上いずれを考えても、「少欲」さんの仰言ることは、お門違いであり、迷惑であり、慎みと配慮を欠いている。私たちは政治運動家ではない。教科書改善というたった一つのことを目的として思想上の闘いをこととしてきたメンバーであることを間違えないでいただきたい。

 私たちの仕事、少なくとも私の仕事は怪しげな敵の勢力の根っ子を叩く仕事である。相手の心臓部に矢を放ち、全体をだんだん弱らせる仕事である。網野善彦が恐がったのは、むべなるかなである。

 「少欲」さん、『国民の歴史』の「あとがき」をもう一度読んで欲しい。私は「捨石」になると書いたはずだ。大衆教化の仕事は、どうかあなたがわれわれの意を受け、代ってやっていただきたい。
 


  ピントのずれた人 (二)
                H16/02/22(Sun)17:22 No_65


 ここまで書いて様子をみていたところ、同じことを単調にくりかえす「少欲」さんのしつこいもの言いは止まない。つくる会は戦略を考えよという建設的な提案の枠を越えて、大衆、教師、官僚、裁判官まで左翼に洗脳されているのが実情で、それに気がつかなければ何をやっても敗北する。洗脳を解く運動から始めるべきだと言い、それでいて具体的な方法は提言しない。ただ一般社会の人々を説得することを第一に考えよとしきりにいう。さながらわれわれが社会全体の洗脳に気がついていないかのごとく、会の指導者の怠慢を叱り、無知をなじり、しだいに嘲りの色さえ帯びてくる。そこで私は日を置いて次の二つの文章を掲げた。最初のは管理人の長谷川さん宛の私のメイルである。

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H16/02/07 21:27 No:778 

 最近日録感想板の内容がなんとなく面白くないですね。貴方はそうはおもいませんか。少欲と言う人の考え方が悪意からではなく、心配に発し、つくる会への老婆心に出ていることはわかるのですが、典型的な俗論なのです。

 人間は人間を操ることはできないし、操ってはいけないのです。彼にはそれがわかっていない。洗脳などと言う言葉も軽々しくつかうべきではないのです。

 自分が高い知性をもち、相手が低い知性をもつ、そういう前提に立って相手を説得出来るとおもったら間違いです。見かけは説得された風にみえても、そういうやり方では相手の心をつかむことは出来ません。

 人を説得するには、自分が自分の信念を愚直に語り、誠実に行動することです。利口ぶった、人を指導する意識をもたないことです。そういう姿勢に心をひかれ、胸を打たれた人だけが本当に説得されるのです。

 時間はかかりますが、ほかに人間の心を変える方法はありません。相手を操って、相手の心を動かすことはできないと言っていい。
   
 少欲さんは洗脳された愚か者を善導し、目を開かせたいと善良な動機から一貫して発言されていることは私は百もわかっていますが、彼はご自分のその善意の恐ろしさ、傲慢さを見つめるべきです。

 それに気がつかないで、他人を啓蒙できると信じてるいるなら、政治主義です。私が一生かけて戦ってきたのは、左翼でもマルクス主義でもなく、人の心を自由にできると信じている便利で軽薄な政治主義なのです。

 長谷川さん、私の以上の考え方、皆さんにも読んでもらいたいので、感想板へ移送してください。

                    西尾幹二

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 ご覧のように、この人は私の言を正確に受けとめようとしない。はぐらかし、するりとすり抜ける。「善意の恐ろしさ、傲慢さ」といわれたことが分らない。西尾は何の目的があってこんなことを言うのですか、というたぐいの返答をしたように思う。そして、同じ調子の無効論、教科書をつくっても大学入試センター試験を批判しても、社会の洗脳を先に解かなければすべてが無効だと、言っても仕方のないことばをくりかえす。そんなことは当方は百も分っている。分っているけれども、一挙にはできない。私はあらためてもう一度書いた。

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H16/02/10 12:08 No:825
 最後に、 少欲さんへ

 あなたはつくる会のやり方、運動の仕方に足りない面があると、長期にわたって、じつに驚くほど執拗に言いつづけてきていますね。であるなら、あなたはつくる会会員だそうですから次のようにお願いします。

 支部に名乗りをあげて、会の指導者の一人として活躍して下さい。あなたの考える方針で支部活動を展開して下さい。あなたの誠意はきっと会員の胸を打ち、やがて本部もあなたの大衆説得活動の比類ない影響力に気づくことになるでしょう。

 もしつくる会活動はいやだというのなら、つくる会の外で、あなたご自身がなんらかの会を組織して、あなたが理想とする大衆説得活動を展開して下さい。

 つくる会は政党ではなく、また大衆説得を第一義に考えている会でもありません。事務局のメンバーも少なく、財力も乏しく、あなたが期待しているようなことはできそうにありません。

 ではつくる会の目的は何かというと、教科書をつくることが第一義ですが、もう一つはそれに関係して、歴史教育の過誤に対し理論闘争をすることです。

 日本史学会という所は間違いもなく左翼に占領されています。彼らは教科書を好き勝手にしているだけでなく、センター試験まで自由に利用できる強い立場を得ているのです。この敵の本丸を壊さなくてはなにごとも動きだしません。

 大学入試センター試験では平成12年度にも、マッカーサーのし残した仕事として天皇制度廃絶を選ばせるトンデモナイ出題がなされ、われわれは激しく抗議しました。しかし、受験生の側に「これはひどい」と怒る声はなく、そのままになりました。

 しかし今回の「強制連行」には、「これはひどい」と怒り、裁判をすると手を上げる受験生が出現したのです。日本史の方でも裁判に参加する声を上げている人がいます。たぶん連名で本訴に進むでしょう。

 小さいながらこれは前進です。若い人の間に歴史学会の間違い、官製の歴史認識の間違いに気づき、怒りの声を上げるほどの人が出てきたのです。一大変化でなくてなんでありましょう。つくる会の理論闘争が一歩づつでも効果をあげている証拠ではありませんか。

 少欲さん、あなたは気づいていないかもしれませんが、つくる会はあなたが言うような無力な存在ではなく、左翼が最も恐れている精神的保守運動の中核なのです。見掛けは3年前に比べて元気をなくしているように一見みえるかもしれませんが、日共や朝日だけでなく中国も韓国も、いぜんとしてわれわれの行動が気になってならず、自民党にしても拉致問題——解決すればそれで終わる——よりもはるかに深く、大きく日本の針路に影響を与える精神運動であることに気づいています。

 だから安心していいというのではなく、あなたが言うように大衆の耳にわかり易いことばで語りかけることもできればやるべきでしょうが、そういうことは心ある他の人に任せ、理論闘争の手を緩めないこと、スキをみせないこと、敵失を見逃さないことが大切です。

 あなたはつくる会が大衆社会に危険視される思想を述べるのではなく、甘いリベラルムードに迎えられる牙をなくした存在になるように求めています。しかしそれは理論闘争を深めていくことと一致しません。

 残念ながらあなたの言う通りにしたらこの会は存在理由を失います。あなたは要求の相手筋をとり違えているのです。

 そこで、あなたの考える大衆説得路線を歩みたいならあなたご自身で会支部の幹部の一人として実践してみるか、さもなければ別の会をつくってご自身が指導者として行動してみるべきだという、最初の提案にもどることになります。

 あなたは私がこれだけ書いてもまだ白を切って、今までと同じたぐいのこと、つくる会を持ち上げるふりをしてその無力と将来性のなさを意図的にいいふらすことばを吐きつづけるなら、明らかにその動機はつくる会の無力、役に立たない無効性を言い立てることに目的があり、会の内側から会員を無気力にしようとしている陰謀家と思わざるをえません。

 もし同じたぐいのことばを吐きつづけるなら、あなたはつくる会の支援者の仮面をかぶった「左翼」です。少くとも「左翼的思考」の持主です。

 くりかえしますが、私やつくる会が牙をなくした大衆迎合的存在になることは絶対にあり得ないのです。歴史認識の是正は衆愚との闘いでもあるからです。二度と同じたぐいのことばを吐いて、撹乱行動をしないでいただきたい。さもなければどこかの団体の回し者と見なします。

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 これに対する少欲氏の答は再びはぐらかしであり、さらに嘲りに近かった。最初の私の問いに対し、それまでつくる会が存続しているかどうか分らない、というような言い方をした。相手にすべき相手ではもはやないのである。ある人は彼が書くのは私たちを疲れさせ、意気阻喪させるためなのだと言っていた。

 さて、彼のことばはどうでもよいが、つくる会とその活動に共感して下さっている方々に一言申し上げておきたい。

 この人物が期待しているような社会全体の意識の変革は一日にしてはできない。地味な努力の積み上げ以外に方法はない。けれども、われわれの側の自己満足や憂さ晴らしのような行動では勿論いけないのである。

 彼は産経一紙にしかつくる会のことが報道されていない事実を嘲ったが、われわれは読売に広げる努力と、テレビに広報してもらう努力も、会の開始と同時に5年も前から始めている。読売の論説委員長は今年の私あての年賀状で、ようやく西尾の努力がむくわれる希望のもてる時代状況になったと書いて下さった。読売の論説は今までも一貫して好意的だった。けれども社会部は何を考えているのか分らない。新聞は論説だけで成り立っているわけではない。産経が先に走ることを読売は追いかけてやりたがならい面もある。こうしたことは私たちの力を超えている。

 私たちがまったく何も手を打たないでぼんやりしているわけではない。読売のことは一例で、この他にも社会へ広く働きかける努力はしてきたし、さらにしなければならないだろう。ただ私たちの言論の努力よりも、拉致やイラク派兵で日本の社会が自ずから変化し始めることの方が大きい。

 「少欲」という人は大衆を動かすために漫画や小説や映画を利用すべきだとじつに簡単にできるかのようなアジテーションをさんざん書いたが、つくる会には勿論そんな力もないし、才能もない。漫画家を近づけて傷手を負った記憶もまだ消えてはいまい。

 小林よしのり氏を上手に利用する政治力が必要ではなかったかとまだ言う人がいる。しかし今日の彼の極度に偏向した政治的発言をみれば——彼は産経と読売を束にしてポチ保守と呼んでいる——小林氏とわれわれが早いうちに袂を別っていたのはお互いに良かったのである。彼の自由のためにも良かったし、私たちが傷つかないためにも良かったのである。私のあのときの判断と決断は間違っていなかったと信じている。
 
 


ピントのずれた人 (三)
                     H16/02/25(Wed)12:35 No:66

 管理人の長谷川さんから、2月16日に私宛にメイルをいただいた。そこにまず、「以下は最近の少欲さんの発言です。あれだけさんざん人がしていたことをけなした割には、提案はこれだけです。」とまず書いて、神奈川支援板の「呆−管理人」と「少欲」さんの次のようなやりとりを送ってきて下さった。

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活動が盛り上がれば 投稿者:少欲 投稿日:02/14(土) 14:01 PC No.3538


呆−管理人どの

> 脱洗脳への秘策を打ち立てる>そうですね。要は「ここから」なんです。具体的に考えていきましょう。ちなみに良い「策」というのは、神田正典氏によると「それを話すと聞いているものの表情が見る見る明るくなり、興奮と感動でその場が包まれていく(ここではROMの方ですね)」ものなのだそうです。私は未だその手の策に巡り会っていません。

だいそれたものでなくても良いのです。皆さん、一緒に知恵を出し合いましょう、ということなのです。皆さん一人が一つづつ出すだけでも、沢山のアイデアがでます。それに触発されて、また出ます。その中で、誰かが、試してみたくなるようなアイデアがあるかも知れません。そして、試して、良かったこと、まずかったこと、を披露し合えば、良いのです。昨年は、私は、教室でそれを試しました。良かったこと、まずかったこと色々ありましたが、全体として結構満足できる結果でした。それをここで詳しく紹介することははばかられますが、似たような環境におられる(もしくは似た志を持っておられる)方からの要望があれば、それを個人的にお伝えすることはできると思います。身近な家族の脱洗脳は既にやっておられる方も少なくないと思いますが、それを紹介し合うのも良いし、子や孫の通う学校で洗脳教育が行われていないかどうか、調べたり、それへの対策を相談したりするのも良いと思います。要は、脱洗脳が諸問題解決の鍵だということ、それを皆で実行しようという活動が盛り上がれば良いなあ、と願っています。

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こここ 投稿者:呆−管理人 投稿日:02/15(日) 23:30 PC No.3539

・・・・・一部略・・・・・・

少欲さま>
だいそれたものでなくても良いのです。>いえ、それでは10万単位で営為にいそしんでいる組合アカ先生の前では焼け石に水です。そのベクトルでは「やらないよりまし」程度の小技しか見いだせません。ところが、ここ10年ではまず「よしりん」が数%、「拉致問題」が数十%、彼らの「営々たる営為」を吹っ飛ばしたんですね。この規模のインパクトがあと数回あれば「まあこんなものかな」と感じられる程度の社会にはなると思っていますし、多分あるでしょう。要はその機を逃さずに盛り上げることで、そういった意味では「小技」をウダウダと仕掛け続けて「体を温めておく」ことは「それなりの意味」はあるのかも知れません。

ただ、よしりんも拉致問題も「外的要因」ですし、今後の「機」も絶対にそうですから、「内発的に盛り上げていく」って言うのは結果を追い求めるとコストパフォーマンスが悪すぎて自滅するでしょう。ま、飽きない程度に楽しくやっていきましょう。

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精神的に拉致された若者を取り戻す 投稿者:少欲 投稿日:02/16(月) 14:02 PC No.3540

呆−管理人どの

> 「内発的に盛り上げていく」って言うのは結果を追い求めるとコストパフォーマンスが悪すぎて自滅するでしょう。ま、飽きない程度に楽しくやっていきましょう。

精神的に拉致された若者を取り戻す(脱洗脳させる)のは大変興味深い営為です。また満足感も得られます。ある段階が達成されたら、次の段階へのチャレンジ精神も湧いてきます。外的要因を待つより、また(正論以外に発信するメッセージを持たない)つくる会に期待するより、精神的にはるかに健全な運動だと思います。昔、企業にいた時、一歩運動というのがありましたが、それに似ています。飽きない程度に楽しくやれると思っています。

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ににに 投稿者:呆−管理人 投稿日:02/16(月) 21:20 PC No.3541
少欲さま>ええ、ネットでも書籍でもやろうと思えば誰でも出来ますし、「どうしてもやりたい人はすでにやっている」んですね。で、そうでない人はやりませんから「運動にはならない」んです。ですから、盛り上げるすべなぞありませんし、あるのなら具体的な方法論を教えて下さい。「読んでいてワクワクするような」ね(笑)。

つまり、その点に関しては「大体今のままでよい」と考えています。

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 「呆−管理人」さんの止めのことばでもう十分である。私も「ピントのずれた人」(一)〜(二)で同じことをすでに書いてきた。

 上記にも「正論以外に発信するメッセージを持たないつくる会」という揶揄のことばがある。必ずどこかで毒づいている。そして、大衆に説く具体的な方法論は何かときけば、なにもないのである。

 ネットに関係する皆さんももうこれでよく分ったであろう。彼にはなにか底意があるのである。相手にもうしない方がいい。

 たしか「文学さん」のコメントだったと思うが、世の中には暇な人が多く、少欲さんは暇つぶしを楽しんでいる左翼である、と。

 尚、『産経』の実売部数は最近『毎日』を追い抜いているらしい。月刊誌『正論』は10万部に達した、最も売れているオピニオン誌である。

 つくる会は『産経』や『正論』でしか発信できないと彼は嘲笑されているが、両者にこれほど支持されていることは強力なバックアップで、大変に有難いことと私などは考えている。つくる会が路線を変更して他紙誌にもときおり顔を出すよりは、現行路線を守って『産経』『正論』に支持されている方がずっといい。勿論、現行路線で他紙誌にもどんどん主張をのせてもらえるようになるのが最良である。そうなるように努力しようと、と言うしかない。

 管理人注(神奈川支援板管理人から転載許可有り)

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告知します

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公開講演会

 日 時:2月28日(土)午後2時
 場 所:茨城県大洗町
     大洗文化センター大会議室
 演 題:米中のはざまに立つこれからの日本
     ——外交・防衛・教育——
 入場料:無料
 主 催:大洗町町長公室

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月刊誌出稿

 「西洋古典文献学と契沖『萬葉代匠記』」
   江戸のダイナミズム⑯ 『諸君!』4月号(53枚)

 今回も具体的な話ばかりで、読み易いはずです。
一回ごとの読み切りですので、今までの連載分のことは気にしないで読んで下さい。

 題未定(イラク派兵問題)志方俊之氏と対談 『Voice』4月号
 
ピントのずれた人 (四)
                  H16/02/27(Fri)09:17 No:67

 私のむかしの教え児で、いまスイスの外資系企業の(株)シンジェンダにいる平井康弘さんが2月22日に、「ピントのずれた人」(一)を読んだといって次のような感想を送ってきてくれた。

 ご本人の了解を得て、まず手紙の冒頭を紹介する。

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 拝啓 寒さの折、西尾先生には益々ご清祥のことと存じます。

 先々週より四国、福岡、静岡、シンガポール、静岡への出張と、東京勤務の繰り返しの予定をこなし、昨晩、盛岡から帰って参りました。途中、体を失調し一日ベッドで休みましたが、その後は強制的に働きながら回復させ、今日はお蔭様で元気に頑張っております。

 久しぶりに日録を拝見しました。またか、と思いましたが、瞬間、少欲さんはツァラトゥストラの“on passing by(通過)”に出てくる「ツァラトゥストラの猿」を彷彿とさせる人だと思いました。

 世間に向けられた不平、不満には、本当に世間をよくしようとする意思はなく、自分の不満をただ愚痴として騒ぐだけで、それでいて一向に自分に対しては甘く、自ら行動を起こさない。論点も脇が甘いのでしょうが、それ以上に、論点に対し自覚と責任をもたない、無意味な人だと直感しました。

 おそらく、先生がご自身のつくる会の活動を「捨石」とまで言い切る(とてもそうとは思いませんが)決意と覚悟を諭されても、そこまで理解のできる人ではないでしょうし、できる人なら最初からそのような慎みのない発言はしなかっただろうと、読むにつれ、だんだん気が重くなってきました。

 先生が相手にする人ではないのではないでしょうが、こうしたものに煩わされ、貴重なお時間を犠牲にされてまで、フォローされるお姿に先生の深い愛を見た思いです。

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 このあと手紙には、仕事で会ったあるイギリス人に、平井さんが戦後の日本人の歴史を裁く悪い癖、教育や外交に巣くう病理を説いてきかせたこと、「すべて学生時代に、先生から教わったことですが、彼は静かに、納得していた様子でした。」という報告が書かれていた。そのイギリス人が何も自分から意見を言わずに黙って聞いていたという点が私には少し気になったが。

 英語のよくできる平井さんは、英訳本のツァラトゥストラを読んでいるらしい。

 さて、『ツァラトゥストラ』の第三部にある「通過」を少し説明しておこう。

 ツァラトゥストラはあるとき大都市の門前にくると、独りの阿呆が口から泡を吹き、大手を広げて、まっしぐらに彼の方に向かってくるのに出会う。阿呆は「ツァラトゥストラの猿」と呼ばれている男である。ツァラトゥストラの言葉や思想の若干を学びとり、その知恵の貯えを借用しては語るのを好む男である。
 
 阿呆が何を語ったかは、ここでは省略したい。
 ツァラトゥストラの次のことばに注目しよう。

 「いい加減にして止めなさい。」とツァラトゥストラはさえぎった。
 「もうさっきからお前のお喋りとお前のやり方には嘔気をもよおしている。どうしてお前はこんなにも長く沼地に住んで、自らも蛙や蟇になってしまうほかなかったのか。
 お前の血管の中にも腐って泡立つ泥沼のような血が流れているからこそ、グァグァと蛙のように鳴き、人を誹謗してやまないのではないか。
 なぜお前は森の中へ入っていかなかったのか。あるいは、大地を耕さなかったのか。海は緑にもえる島々に満ち満ちているではないか。
 私はお前が軽蔑することそのことを軽蔑する。さらに、お前が私に警告するというのなら、——なぜお前はお前自身に警告しないのか。
 私は私の軽蔑と、それから私の警告の鳥とを、ひとえに私の愛の只中から飛び立たせたい!しかし沼の中から飛び立たせようとは思わぬ。
 泡を吹き立てる阿呆よ、世間はお前を私の猿と呼んでいるが、しかし私はお前を不平豚と名づけておく。——私はたまに阿呆を礼讃したくなる気持ちになることもあるが、私の気持ちまで、お前の不平たらたらの態度で台無しにされてしまった。
 いったいお前に最初にブーブー不平を言わせたものは何だったのか。誰もお前に十分にへつらってくれる者がいなかったからだ。——それでお前はこの汚物の貯り場にどっかと坐った。ブーブー不平を鳴らす種子にはこと欠かぬためにだ。——
 ——たえず復讐する種子にもこと欠かぬためと言いかえてもいい!虚栄心にかられている阿呆よ!つまり、お前が口から泡を吹き立てているすべてが復讐なのだ。私はちゃんとお前の正体を見抜いている!
 だが、阿呆であるお前のことばは、よしんばお前の言い分が正しい場合でも、私に損害をもたらすだろう。ツァラトゥストラ本人が語りされすれば100倍も正しい場合でも、お前が私の口真似をして語れば同じことばも——正しくない働きをすることになる。」

 ツァラトゥストラはこう言って溜息をついて町を離れた。別れ際に彼は阿呆にさいごにこう告げた。

 「人は愛することの出来ぬ場所では、そこをただ——通り過ぎて行くしかないのだ!」

 そういうわけだから、私ももうこれだけ語れば十分で、「ピントのずれた人」のテーマの傍らを通り過ぎて行く。