ピントのずれた人 (一) 投稿者:西尾 幹二 投稿日:2004/02/20(Fri) 15:33
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ピントのずれた人 (二) H16/02/22(Sun)17:22 No_65 ここまで書いて様子をみていたところ、同じことを単調にくりかえす「少欲」さんのしつこいもの言いは止まない。つくる会は戦略を考えよという建設的な提案の枠を越えて、大衆、教師、官僚、裁判官まで左翼に洗脳されているのが実情で、それに気がつかなければ何をやっても敗北する。洗脳を解く運動から始めるべきだと言い、それでいて具体的な方法は提言しない。ただ一般社会の人々を説得することを第一に考えよとしきりにいう。さながらわれわれが社会全体の洗脳に気がついていないかのごとく、会の指導者の怠慢を叱り、無知をなじり、しだいに嘲りの色さえ帯びてくる。そこで私は日を置いて次の二つの文章を掲げた。最初のは管理人の長谷川さん宛の私のメイルである。 ======================== H16/02/07 21:27 No:778 最近日録感想板の内容がなんとなく面白くないですね。貴方はそうはおもいませんか。少欲と言う人の考え方が悪意からではなく、心配に発し、つくる会への老婆心に出ていることはわかるのですが、典型的な俗論なのです。 人間は人間を操ることはできないし、操ってはいけないのです。彼にはそれがわかっていない。洗脳などと言う言葉も軽々しくつかうべきではないのです。 自分が高い知性をもち、相手が低い知性をもつ、そういう前提に立って相手を説得出来るとおもったら間違いです。見かけは説得された風にみえても、そういうやり方では相手の心をつかむことは出来ません。 人を説得するには、自分が自分の信念を愚直に語り、誠実に行動することです。利口ぶった、人を指導する意識をもたないことです。そういう姿勢に心をひかれ、胸を打たれた人だけが本当に説得されるのです。 時間はかかりますが、ほかに人間の心を変える方法はありません。相手を操って、相手の心を動かすことはできないと言っていい。 少欲さんは洗脳された愚か者を善導し、目を開かせたいと善良な動機から一貫して発言されていることは私は百もわかっていますが、彼はご自分のその善意の恐ろしさ、傲慢さを見つめるべきです。 それに気がつかないで、他人を啓蒙できると信じてるいるなら、政治主義です。私が一生かけて戦ってきたのは、左翼でもマルクス主義でもなく、人の心を自由にできると信じている便利で軽薄な政治主義なのです。 長谷川さん、私の以上の考え方、皆さんにも読んでもらいたいので、感想板へ移送してください。 西尾幹二 ========================== ご覧のように、この人は私の言を正確に受けとめようとしない。はぐらかし、するりとすり抜ける。「善意の恐ろしさ、傲慢さ」といわれたことが分らない。西尾は何の目的があってこんなことを言うのですか、というたぐいの返答をしたように思う。そして、同じ調子の無効論、教科書をつくっても大学入試センター試験を批判しても、社会の洗脳を先に解かなければすべてが無効だと、言っても仕方のないことばをくりかえす。そんなことは当方は百も分っている。分っているけれども、一挙にはできない。私はあらためてもう一度書いた。 ========================== H16/02/10 12:08 No:825 最後に、 少欲さんへ あなたはつくる会のやり方、運動の仕方に足りない面があると、長期にわたって、じつに驚くほど執拗に言いつづけてきていますね。であるなら、あなたはつくる会会員だそうですから次のようにお願いします。 支部に名乗りをあげて、会の指導者の一人として活躍して下さい。あなたの考える方針で支部活動を展開して下さい。あなたの誠意はきっと会員の胸を打ち、やがて本部もあなたの大衆説得活動の比類ない影響力に気づくことになるでしょう。 もしつくる会活動はいやだというのなら、つくる会の外で、あなたご自身がなんらかの会を組織して、あなたが理想とする大衆説得活動を展開して下さい。 つくる会は政党ではなく、また大衆説得を第一義に考えている会でもありません。事務局のメンバーも少なく、財力も乏しく、あなたが期待しているようなことはできそうにありません。 ではつくる会の目的は何かというと、教科書をつくることが第一義ですが、もう一つはそれに関係して、歴史教育の過誤に対し理論闘争をすることです。 日本史学会という所は間違いもなく左翼に占領されています。彼らは教科書を好き勝手にしているだけでなく、センター試験まで自由に利用できる強い立場を得ているのです。この敵の本丸を壊さなくてはなにごとも動きだしません。 大学入試センター試験では平成12年度にも、マッカーサーのし残した仕事として天皇制度廃絶を選ばせるトンデモナイ出題がなされ、われわれは激しく抗議しました。しかし、受験生の側に「これはひどい」と怒る声はなく、そのままになりました。 しかし今回の「強制連行」には、「これはひどい」と怒り、裁判をすると手を上げる受験生が出現したのです。日本史の方でも裁判に参加する声を上げている人がいます。たぶん連名で本訴に進むでしょう。 小さいながらこれは前進です。若い人の間に歴史学会の間違い、官製の歴史認識の間違いに気づき、怒りの声を上げるほどの人が出てきたのです。一大変化でなくてなんでありましょう。つくる会の理論闘争が一歩づつでも効果をあげている証拠ではありませんか。 少欲さん、あなたは気づいていないかもしれませんが、つくる会はあなたが言うような無力な存在ではなく、左翼が最も恐れている精神的保守運動の中核なのです。見掛けは3年前に比べて元気をなくしているように一見みえるかもしれませんが、日共や朝日だけでなく中国も韓国も、いぜんとしてわれわれの行動が気になってならず、自民党にしても拉致問題——解決すればそれで終わる——よりもはるかに深く、大きく日本の針路に影響を与える精神運動であることに気づいています。 だから安心していいというのではなく、あなたが言うように大衆の耳にわかり易いことばで語りかけることもできればやるべきでしょうが、そういうことは心ある他の人に任せ、理論闘争の手を緩めないこと、スキをみせないこと、敵失を見逃さないことが大切です。 あなたはつくる会が大衆社会に危険視される思想を述べるのではなく、甘いリベラルムードに迎えられる牙をなくした存在になるように求めています。しかしそれは理論闘争を深めていくことと一致しません。 残念ながらあなたの言う通りにしたらこの会は存在理由を失います。あなたは要求の相手筋をとり違えているのです。 そこで、あなたの考える大衆説得路線を歩みたいならあなたご自身で会支部の幹部の一人として実践してみるか、さもなければ別の会をつくってご自身が指導者として行動してみるべきだという、最初の提案にもどることになります。 あなたは私がこれだけ書いてもまだ白を切って、今までと同じたぐいのこと、つくる会を持ち上げるふりをしてその無力と将来性のなさを意図的にいいふらすことばを吐きつづけるなら、明らかにその動機はつくる会の無力、役に立たない無効性を言い立てることに目的があり、会の内側から会員を無気力にしようとしている陰謀家と思わざるをえません。 もし同じたぐいのことばを吐きつづけるなら、あなたはつくる会の支援者の仮面をかぶった「左翼」です。少くとも「左翼的思考」の持主です。 くりかえしますが、私やつくる会が牙をなくした大衆迎合的存在になることは絶対にあり得ないのです。歴史認識の是正は衆愚との闘いでもあるからです。二度と同じたぐいのことばを吐いて、撹乱行動をしないでいただきたい。さもなければどこかの団体の回し者と見なします。 =========================== これに対する少欲氏の答は再びはぐらかしであり、さらに嘲りに近かった。最初の私の問いに対し、それまでつくる会が存続しているかどうか分らない、というような言い方をした。相手にすべき相手ではもはやないのである。ある人は彼が書くのは私たちを疲れさせ、意気阻喪させるためなのだと言っていた。 さて、彼のことばはどうでもよいが、つくる会とその活動に共感して下さっている方々に一言申し上げておきたい。 この人物が期待しているような社会全体の意識の変革は一日にしてはできない。地味な努力の積み上げ以外に方法はない。けれども、われわれの側の自己満足や憂さ晴らしのような行動では勿論いけないのである。 彼は産経一紙にしかつくる会のことが報道されていない事実を嘲ったが、われわれは読売に広げる努力と、テレビに広報してもらう努力も、会の開始と同時に5年も前から始めている。読売の論説委員長は今年の私あての年賀状で、ようやく西尾の努力がむくわれる希望のもてる時代状況になったと書いて下さった。読売の論説は今までも一貫して好意的だった。けれども社会部は何を考えているのか分らない。新聞は論説だけで成り立っているわけではない。産経が先に走ることを読売は追いかけてやりたがならい面もある。こうしたことは私たちの力を超えている。 私たちがまったく何も手を打たないでぼんやりしているわけではない。読売のことは一例で、この他にも社会へ広く働きかける努力はしてきたし、さらにしなければならないだろう。ただ私たちの言論の努力よりも、拉致やイラク派兵で日本の社会が自ずから変化し始めることの方が大きい。 「少欲」という人は大衆を動かすために漫画や小説や映画を利用すべきだとじつに簡単にできるかのようなアジテーションをさんざん書いたが、つくる会には勿論そんな力もないし、才能もない。漫画家を近づけて傷手を負った記憶もまだ消えてはいまい。 小林よしのり氏を上手に利用する政治力が必要ではなかったかとまだ言う人がいる。しかし今日の彼の極度に偏向した政治的発言をみれば——彼は産経と読売を束にしてポチ保守と呼んでいる——小林氏とわれわれが早いうちに袂を別っていたのはお互いに良かったのである。彼の自由のためにも良かったし、私たちが傷つかないためにも良かったのである。私のあのときの判断と決断は間違っていなかったと信じている。 |
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ピントのずれた人 (四) |