九段下会議 (一)
                西尾 幹二  H16/03/10(Wed)19:54_No.73


※※※ 国家解体阻止宣言 ※※※

 「平成の革命勢力」を打ち砕いて日本の大本を改めよ

≪≪≪ 九段下会議 ≫≫≫

 伊藤哲夫(日本政策研究センター所長)
 遠藤浩一(拓殖大学客員教授)
 志方俊之(帝京大学教授)
 中西輝政(京都大学教授)
 西尾幹二(電気通信大学名誉教授)
 八木秀次(高崎経済大学助教授)


***** 緊急政策提言 *****

国家基本政策 //////////////////

1 憲法改正はまず9条2項の削除を
2 歴史認識の見直しは「村山首相談話」の撤廃から
3 8月15日の首相靖国神社参拝を慣例化せよ
4 国産技術の防衛と育成に国家戦略を
5 政府審議会から左翼リベラル勢力を一掃せよ

外交政策 ///////////////////////

1 対北朝鮮経済制裁の即時断行を
2 朝鮮半島の「中国化」を阻止する対中政策を確立せよ
3 インド・ASEAN・台湾重視へ対アジア外交政策を転換せよ
4 対米依存心理から脱却した日米関係の再構築を
5 竹島・尖閣をめぐる日本側主張を国の内外に向け鮮明にせよ

防衛政策 ////////////////////////

1 専守防衛体制から「防衛の開国」へ
 A 敵ミサイル基地への攻撃を含めた対ミサイル防衛態勢の整備
 B 自衛隊による「領域警備体制」の確立
  C 自衛隊武器使用基準の見直し
  D 自立的な情報機関の確立
2 集団的自衛権の行使の意志確立を

教育政策 ////////////////////////

1 教育基本法の改正は愛国心書き込みだけに留めるな
2 教育責任の不在を生む「教育委員会制度」を廃止せよ
3 ゆとり教育は「見直し」ではなく「全廃」へ
4 国語教育の総点検を
5 教科書問題は「教科書法」制定から
6 「子供の権利条約」の弊害是正を
7 文部科学省の「日教組化」を阻止せよ

社会政策 /////////////////////////

1一連の「家族つぶし政策」を見直せ
 A夫婦別姓の阻止

 B少子化対策の見直し
 C税制・年金における改悪の再検討
2ジェンダーフリー政策の駆逐を
 A男女共同参画基本法の廃止
 B過激な性教育の一掃
 C男女共同参画の予算の大幅削減
3ヒステリカルな政教分離要求にまどわされぬ伝統・慣習の擁護政策を

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(一)

 心ある多くの国民が日本の現在にはがゆい思いを抱き、未来にいいしれぬ不安を覚えてすでに久しい。根本の原因が分からぬまま、「改革」の声が乱れとんでいるが、それがかえってもどかしさを表現しているようにさえみえる。

 話は国のどこかの部分を改革すればうまく行くというようなレベルではない。全体としての衰亡が始まっているという印象を拭えないのだ。

 ソ連の消滅で冷戦に終止符が打たれたときに、「第三次世界大戦」の勝者は日本であった、といういまいましげな声がアメリカからあがったことがある。小中学生の数学と理科の国際学力比較で日本は当時つねに一位だった。治安も良かった。犯罪検挙率は高く、若い女性が夜の公園を通り抜けても不安はなかった。中学生の校内暴力はすでにあったが、深刻な不登校や引きこもり、援助交際などはまだなかった。日本の政治への不満は強かったものの、政治家が三流でも官僚が一流だからこの国は大丈夫だ、は合言葉だった。対米自動車輸出の自主規制で指導力を発揮した通産省は、産官協力の見事な見本として世界にその名をはせ、アメリカの嫉妬を招いたほどだった。

 これらは遠い昔の話ではない。なぜ近いこの過去の自分を日本人は取り戻せないでいるのか。はっきりとしたラインは引けないが、湾岸戦争(1991年)あたりを境に日本の下降が起こっているのではないか。あるいはもう少し前からかもしれない。竹下、宇野、海部、宮澤、細川、羽田、村山、橋本、小渕とつづく混迷の短命内閣時代、旧田中=竹下派にコントロールされた不自然な二重権力時代、アメリカでいえば主としてクリントン大統領時代の八年間に決定的な異変が生じたのではないか。

 日本が情報戦争に敗れた淵源はもっと古いかもしれない。鈴木首相・宮澤官房長官時代(昭和55〜57年)に起こった教科書誤報事件、中曽根首相・後藤田官房長官時代(昭和57〜62年)に起こった靖国参拝挫折というこの二つの出来事で、被害国と見られていた中国が加害国に転じたという事実に日本は迂闊にも気がつかず、国家意志のいわば背骨を折られたのではなかったか。じわっとその毒が回ってくるのは次の十年である。そして今度は日本の独り勝ちを許さないと総力を挙げて立ち向かってきたアメリカの計略の前にも、ずるずるとなすすべなく膝を屈したのではなかったか。

 こうして米中のはざまに不安げに立ち尽くしている今の日本の姿がある。

 よく日本の再生には「戦後」の総決算が必要だといわれる。憲法改正が残されている以上、そういう言い方がいまだ妥当することを否定はしない。けれども、日本は20世紀最後の十数年に。ゆるやかな経過で、「第二の敗戦」を経過しているのではないか。

 それは決して「戦後」の話ではない。経済バブルの崩壊の話でもない。もっと大きな、総合的な、近い過去に起こった危機の問題である。しかもこの危機はまだ広く世に自覚されていないが、このままうかうか放置して過ごすなら、米中主導による北朝鮮問題の解決の仕方のいかんで、日本は「第二の占領」ともいうべき悲惨な状態、国益を略取されるままの国家意志放棄の状態に甘んじなければならなくなることを意味している。

 これは決して「マネー敗戦」だけの話ではない。経済、外交、安全保障、教育、治安はいわば一体をなしている。国家意志そのものの全体の危機が露呈しているのである。

 南京事件も、東京裁判史観も、いかにも第二次世界大戦直後の問題に見えているが、教科書誤報事件が戦後の情報戦に敗れた「第二の敗戦」の出来事であったのと同じ意味で、この10〜20年のごく最近の問題にすぎない。

 勿論、「第一の敗戦」と根においてつながり、これをきちんと克服していなかった結果であるから、いってもれば「セカンドレイプ」をされているような不始末がある。

 例えば南京事件を中国が騒ぎ出したのは、ポル・ポトのカンボジア大虐殺が世界に知られ、これが北京政府の背後指導によるものだと分かったそのときであった。中国は突如として旧日本軍による南京虐殺事件を喧伝し始めた。終戦から30年経ってのことである。中国人一流の遣り方であるが、これは何より中国の手先となって受け売りし、宣伝し、教育界から政界まであげてその前にひれ伏した日本人の問題である。

 戦勝国イギリスのエリザベス女王も、アメリカのブッシュ現大統領も、戦没者慰霊の当然の礼儀から、靖国神社参拝を希望した。英米両国の代表者の正式参拝により、戦争は恩讐の彼方へと去り、事実上、東京裁判史観の克服を可能にする。そうなるはずだった。しかるに日本の外務省はこれを謝絶した。これまた日本人の問題である。救いがたいこの国民の問題である。「第二の敗戦」は繰り返されている。

 与野党ともに勝者ではない平成15年11月の総選挙は、後で詳しく述べるが、この病状をさらに一段と深め、重くした観があるのである。
 
 


 九段下会議 (二)
                名:西尾 幹二 H16/03/11(Thu)12:34_No.74


 拉致問題とミサイル問題に示された米中任せの日本政府の態度は、「第二の敗戦国」の姿そのままであり、今後の対応いかんでは「第二の占領」状態を招き寄せる可能性さえある。

 拉致犯罪が分かっていながらこれをなかったことにしてしまったのは、四半世紀前の福田政権(昭和51〜53年)であった。その後も梶山静六国家公安委員長が北朝鮮の犯行が濃厚であると国会答弁をしたが、マスコミはこれを黙殺した(昭和63年)。家族会・救う会が出来てマスコミ報道が始まると、今度は政府が北へのコメ支援を繰り返した。テロ国家に内通し、屈服し、国家として侮辱されてなお懲りない面々が政権部内の枢要な地位を占めていたからでもある。

 核ミサイルの問題も最初日本政府がこれをなかったことにしようと図った点では同様である。平成5年、宮澤首相・河野官房長官は、日本を標的にするノドンミサイルが飛んできた際、なかったことにしようと画策し、内部リークを招いた。翌平成6年以後、北朝鮮が70回起爆実験を実施した事実を米政府は確認し、日本政府に通報した。韓国国会がこれを明白化して日本政府もその通報を受けていたが、政府もマスコミも沈黙した。

 次いで平成10年、三陸沖にテポドンⅠミサイルが落下したとき、「人工衛星の射ち上げ失敗であった」という北朝鮮政府の説明に安堵し、これを歓迎したのは、ときの小渕政権の野中官房長官であった。相手に戦意も加害意識もなかったことにして問題を解決し処理したかったのである。

 それでいてアメリカを標的とするテポドンⅡミサイルの発射の可能性が取り沙汰された平成11年には、ときの高村外相はヒトとカネとモノを制限すると警告した。アメリカのためであれば、あれほど逃げていた制裁も辞さないというのだ。日本を標的にしたノドンのほうがはるかに日本国民にとって重大であり、制裁の対象となるべきものであるのに、である。

 念のために言っておくがこれは憲法だけが原因ではない。現行憲法の禁止で手も足も出ないと思っている人が少なくないが、必ずしもそうではない。国民が半世紀以上にわたって自分で自分を勝手に縛ってきた意識の問題である。

 日本人は外へはいっさい撃って出てはいけないという積年の習慣と惰性、防衛庁、政府、国会、国民意識を覆っている思考停止が、この国の防衛機能を事実上麻痺させている。

 必要があれば相手のミサイル基地をも叩くという防衛上当然に必要な選択肢を、日本は政策的に放棄しているのである。

 国家としての根本の姿勢を正す第一は、「防衛の開国」という新しいチャレンジから着手されなくてはなるまい。

 われわれは、北朝鮮から核の脅威を取り去るという合意において米中が妥結し、それに成功した暁の東アジアの政治情勢を今から予想し、直視しておかなくてはならない。中国は北朝鮮ないしは半島全域を中国領にしようなどと考えるほど愚かではあるまい。考えられるのは朝鮮半島と日本列島の非核化中立構想、米中露三国の包囲網の構想である。進行中の6カ国協議の焦点はじつは日本であり、その結果いかんでは日本の非核化にとどまらず、憲法9条の現状維持化につながるような決定が各国意志によってなされる可能性もなしとはしない。これは日本を矮小化し、大陸の附属地帯として中国の保護国へ傾斜させる危険な可能性を孕んでいる。

 それに断乎抵抗するために、日本は憲法改正はもとよりのこと、核武装をも考慮の中に入れざるを得まい。またインドや台湾、東南アジア諸国とのより緊密な関係を築かざるを得まい。しかしそのようなリアリズムを理解する政治的知性は国内に乏しく、そうなれば結果的に、中国の軍事大国化に対する対応策を今のように欠いたままで、尖閣諸島問題、対中ODA問題、歴史教科書問題、靖国参拝干渉問題を引き摺って、じりっじりっと息の長い中国の外交戦術の罠にはまっていくことにならざるを得ないだろう。

 そしてこれをアメリカが黙認するなら、今の日本人の体たらくからいって、自分で状況を撥ね返す力はなく、「第二の占領」に甘んじてもよいという気分にさえなるだろう。
 


 九段下会議 (三)
               名:西尾 幹二 日:H16/03/12(Fri)17:32_No.75


 目を国内へと転じてみたい。

 相次ぐ低年齢残虐事件、小学生女子児童売春事件に、ときの文部科学大臣は道徳的な怒りを表明したが、われわれにいわせれば、ことここに至らしめたのは文部科学省のこれまでの教育観であり、そこに「道徳的怒り」を表明したい。

 考えてみていただきたい。戦後のすべての教育関連の審議会は無反省に「自由化」と「個性化」を言いつづけてきたが、世の中の旧い仕来りがなくなった現代の社会で、子供たちになおも「自由化」と「個性化」を説くことが何をもたらしただろうか。

 解放されて砂漠のような精神状態の社会において、よりいっそうの「自由化」と「個性化」を説くことは自己崩壊を引き起すだけである。多少ましな子は怠け心を育てられ、大人の社会を甘く見て、子供のくせに一人前のつもりになる異形成長をとげる。そこまでもいかない子は、自由の中の一層の自由の誘惑には、暴力と非行をもって応えるだけである。

 困難な制約を強いられないで育った「個性」には創造力が生じないだけでなく、一人前の大人になる条件への自覚も芽生えない。にも拘わらず、文部科学省はいぜんとして「自由化」を唱え、「個性の確立」を言い、「自己決定権」を教育の理想のように言い立てている。

 幼稚園児に保母さんは毎日牛乳を飲むかどうかの意志をお尋ねする。参観日にお母さんが来たほうがいいかどうかも子供の意志できめていただく。「自己決定権」が大切だからである。すべて徹底的に間違っている。

 教育は訓練から始まり、訓練に終わる。義務強制のない処に教育はなく、教育には型が必要である。スポーツの選手には練習が必要である。同様に子供の教育にも、苛酷で厳しい訓練と暗記、知識の反覆学習が必要である。人間教育にもスポーツと同様、型や形式が重要であり、型におさまった知識の獲得が人間として成長する基本である。そのことをぐらつかせる教育観は根本的におかしい
その意味で文部科学省がこのところすっとやってきた「ゆとり教育」がいかに大きな間違いであり、人間破壊につながるかは明らかである。「ゆとり教育」は世間の猛批判を浴びて、少し手直しをしたが、文部科学省はいまだ明確に路線転換を実施していない。それは「個性化」や「自由化」が大切だと言いつづけてきた教育観、人間観の間違いそのものに気がついていないからである。

 解放された現代の砂漠の中で「個性化」や「自由化」を安易に唱える文部科学省の知性は、「第二の敗戦」によって国家意志が未決定状態のこの国では、自由な主体的行為ではなく、何らかのイデオロギーにじつは結果的に操られているといわざるを得ない。「自立した個人」とか、「自由な主体性」とかは、文部科学省に限らず、あらゆる官庁の審議会答申などに頻出するタームであるが、それらは背後にいかなる文化も歴史も背負っていない。

 何らかの文化共同体を前提としない「個」など存在しないが、答申などに出てくる慣用的な「個」の尊重は、民族文化も国家も前提としないで、空漠たる世界市民のようなもののみを前提としている。

 「個」は単なる解放の概念によっては成り立たない。「個」は歴史と伝統を共有する何らかの文化共同体への帰属によって初めて成立する。生物的個体のような単なる個の存在は、人間としての選択と自己決断を引き起すことはない。したがって、生物的個体のようなものを世界市民と結びつける思想は、おおむねどこかから借りてきたイデオロギーに依存している。

 冷戦が終わって、マルクス主義は敗退したと思われていたが、その二重人格のような亡霊の影が、繁栄する産業社会、高度官僚社会の中に、例えばフランクフルト学派などの名において生きつづけていることに最近あらためて気づくことが多い。ことに日本の場合、いわゆる全共闘世代、全学連世代が官公庁やマスコミの幹部の地位について、実社会を左右している時代がつづいていて、その影響は計り知れない。

 「第二の敗戦」は国際問題であり外交案件であるだけでなく、冷戦の終わった丁度同じ1990年頃から国内的には国家意志を内側から、さながら白アリが家の土台を食い亡ぼすように、日夜休みなく浸蝕している勢力によって引き起されている。

 国の中のどこの誰かというのでも、どの党のどの勢力がというのでも必ずしもなく、広く現代の知性の中に、狂気が宿っている。革命を諦めていない知性がなお根強く存在する。

 共同体を破壊し、社会をアトムと化した「個体」に還元してしまうファナティックな情念は、かつて青年たちの反体制運動の中にのみ存在した。しかしそれが今や官僚や政治家の中枢を動かし、保守政党の政治家の中にさえ息づいている。そして、権力の大きな部分を徐々に形成し始めている。15年前に革命を諦めた人々が、これをみて今や勇気づき、少しづつその地歩を固め、パワーを拡大しつつある。彼らは政府の審議会などにもぐりこみ「上からの革命」を実行し始めているが、そのことに気付いている人は少ない。

 例えば、夫婦別姓運動は、「家族」という共同体を弱体化させる、しつこい破壊的な一連の策動だが、自民党の中にさえ賛成派がいる。誰が策動しているかにも気づかない無知のせいである。

 儒教、仏教、神道という日本の伝統宗教に政教分離は厳密に適応させる必要はない。しかしわが国では例の狂気じみた革命感情にうごかされて、各地で政教訴訟が起こり、そのあおりをくらって、修学旅行で寺社仏閣を先生が引率するのは政教分離に違犯する、公立学校の先生が生徒に受験合格のお守りを買ってやるのは政教分離に違犯する、といったヒステリー現象が現実化している。

 そしてそのヒステリー現象が自民党に乗り移って、国家予算による国家解体事業の大なるものを開始した。それが、男女共同参画社会の推進である。当初、政治家も世の中の大半も、単なる男女平等の推進と軽く考えてあまり深刻には受けとっていなかった。

 しかし、小学生に対する露骨な性教育と高校家庭科教科書に同性愛者の結婚を是認するような主張がのるなどを見て、この運動の怪しげな正体、過激派フェミニズムの戦術に気がつきだした。要は家族と家族道徳の破壊が狙いだが、目標を失った日教組が「ジェンダーフリー教育」を今や最大の教育実践目標に掲げている。そして各自治体が彼らフェミニスト集団に乗っ取られ、莫大な予算がむしり取られている。

 人権、友好、環境、フェミニズムといったことばが野党や学生運動などのいわゆる批判勢力の専用語であるあいだは、その社会は健全な安定構造を保っていた。しかし思わぬかたちでこれらのことばが主流をなし、権力の一部を握るようになった日本の新しい事態は、社会が秩序の崩壊へ向けてまっしぐらに進んでいるしるしだと言っても過言ではない。

 ほかでもない、これこそまさに「第二の敗戦」の国内の顕著な風景である。

 面倒なのは、政治や官公庁の権力の中枢をまで動かしているこのイデオロギーは不透明で、自らが責任をもって何かをしているという自覚をはっきり持っていないことである。

 さらに厄介なのは、深い思索もない「空気」にすぎないこのムード的思想が、政治の現場を具体的に左右している事実である。

 平成9年の行政改革会議最終報告から、平成12年の「21世紀日本の構想」懇談会最終報告、平成14年の追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会報告書、教育基本法の改正を打ち出した平成15年の中央教育審議会答申までの各答申をご覧いただきたい。

 わが国の社会における人間の生き方に「個」が欠け、「主体性」が弱く、「自由化」が進んでいないという文脈においてすべての改革案文が記述されている。これから書かれる郵政や道路や経済機構の改革案文においても基調はおそらくそうなるだろう。審議会をリードする官僚の世代が、戦後マルクス主義のイデオローグの代表であった丸山眞男のもの言いに黙従する悪しき呪縛から脱していないせいでもある。

 「第二の敗戦」を克服するためには、「第一の敗戦」時からつづくこの呪縛を解くことから手をつけなくてはならない。

 「主体性」は丸山の口癖だったが、今必要なのは厳しい国際環境の中での日本の「国家としての主体性」ではないのか。自由と平等が行き過ぎた繁栄爛熟社会の中で個人により一層の「自由」と「解放」を与えようとするたぐいの、丸山が唱えていた国家を敵視する反体制の主体性ではあるまい。審議会の答申を書く大学教授や高級官僚にはどこか理由もない革命待望の虚しい気分、ないしは知的惰性が残っているが、責任ある審議会から丸山の亜流を一掃せよ、と提言しておきたい。
 

 九段下会議 (四)
                名:西尾 幹二 H16/03/13(Sat)16:07_No.76


 ここで気付くことがある。

 国家に必要なことがまったくなされておらず、国民に不必要になりかけていることが過度に唱えられている。それが同じタームで表されている。しかもその符合はいわばぴったり正反対である。

 幼稚園児から大学生まで求められている個の確立、自由な意志決定、自主性の涵養、主体性の維持——これらのタームが表明する内容ほど、ほかでもない、国際社会の中でわが国がいま最も必要とし、緊急に要請されていることはほかにないであろう。

 幼稚園の保母さんが幼児に求める「自己決定権」を、どうか国家に振り向けてほしい。国家に対して今ほど「自由化」と「個性化」が求められるべき時機はない。符合が内と外とで正反対になっているこの国のパラドキシカルな悲喜劇によく注意の目を向けてほしい。

 日本が教育も治安も安定し、生産力の向上に邁進していた堅実でパワフルな国家であることを見失ったのは、そう遠い昔ではない。われわれは今から10〜15年ほど前までの生活感覚を思い出し、とり戻そうと思えばとり戻せるはずである。

 ただし、日本をとり巻く四囲の国際環境はがらりと変った。もし判断を間違え、改革の方向をとり違えるなら、「第二の敗戦」だけでは済まない。米中露の谷間の無力な非核平和国家であることに自己満足しているうちに、知らぬ間に友好の名における北京政府の巧妙な内政干渉が、日本の政治権力を骨抜きにし、あっという間に事態は悪化し、気がついたときにはもう遅い。警察権力の内部にまで中国が入りこむ。かくて「第二の占領」を完成し、日本はアメリカに愛想をつかされ、見捨てられるという事態も起こらぬではない。

 しかしもう一つあり得る可能性は、日本の二度目の「独立喪失」である。米中対決が深刻化し、受身になったアメリカが東アジアの一角における日本列島を死守する必要から、日本との共闘を誘い、あらゆる援助を惜しまぬ姿勢を示してもなおこの国が中国寄りのまま、優柔不断をくりかえすなら、アメリカとしてはこの土地を放棄しないと決めた以上、「再占領」以外の手はないことになるであろう。

 いずれも極端なケースであり、明日起こると言っているのではない。しかし、最悪のシナリオを心の片隅に思い描いて、それへの用意を片時も忘れずに政策を組み立てるのが政治というものではあるまいか。

 なぜ国家がここまで「主体性」を発揮し得ないできたかの根本は憲法にあり、信仰のように唱えられてきた戦後の「平和国家」の虚妄にあることはあらためていうまでもない。さらにそれを可能にし、支えているのは歴史否定のムード、間違った歴史認識に端を発する自国の過去の否定の中に道徳を求める、いまだに国民を縛っているばかばかしい謝罪意識である。

 社会党左派の村山富一氏が政界のゆるみに抜き打ち的に閣議了解をとった平成7年の「村山首相談話」が、いまだに対中韓外交と歴史教科書を縛っている。近隣諸国条項という不合理もいぜんとして正されていない。

 今こそわれわれも必要なのは日本国家の「自己決定権」であり、「主体性の確立」である。子供に向けた「個の主体性」は甘い囁きであるが、今われわれは、苦い、厳しい自己陶冶の言葉としてこれらを再生させ、甦らせなくてはならない。

 なにかにつけ「改革」が叫ばれているが、改革というなら国家の大本を改めるのが本筋である。国家の大本は憲法、教育、軍事、そして外交である。郵政や道路の改革が重要だないというのではない。経済の構造改革が無意味だいうのではない。しかし行政や経済構造の改革はどこまでも二次的である。その意味では「小泉改革」は「二次的改革」にすぎない。

 経済が悪くなったのは、経済の構造が原因ではない。国家の根本を正さないことが国民の気力を奪い、急変する国際情勢への不適応を招き、経済の不況を招いたのである。原因と結果を取り違えてはならない。

 国家は生き物のように一体をなしていて、教育だけ改めれば教育が良くなるわけでもなく、日本外交が主体性を失っているのは外交官の教養の問題だけでもない。国家の政治の基本が決定されていないせいである。

 冷戦の終焉より後、国際情勢は日本に待ったなしの緊迫状態を強いている。しかし政治はそれを見て見ぬ振りをし、一日延ばしにしてきた。平成に入って15年間、よく日本は持ちこたえていると思う。だが、それは僥倖にすぎない。わが国は今、深刻な危機にある。
  

 
 九段下会議 (五)
                名:西尾 幹二 H16/03/14(Sun)14:35_No.77


 平成15年11月の総選挙の結果は、危機を一段と深めた観がある。自民・民主の保守二大政党の対立であるかのごとくいわれたが、民主党はいささかも保守ではない。その民主党がマニフェストをさらに詳細にした『民主党政策集 私たちのめざす社会』(10月20日発行)を出しているが、それをみると、旧社会党が乗り移ったかのような内容であり、他方、対する自民党のマニフェストもとても保守とはいえない無自覚な政策不在をさらけ出している。

 『民主党政策集 私たちのめざす社会」はジェンダーフリー社会の樹立、夫婦別姓の導入、盗聴法廃止、外国人参政権付与法案、国立追悼施設の建設などなど、あっと驚くような時代逆行の標語のオンパレードである。慰安婦救済のための戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案とか、国会図書館法改正案(恒久平和調査局設置)といった提案もある。戦後処理はまだ終わっていないというこの姿勢は、言論界で論争し尽くされた理性の判断を無視している。外交政策は中国寄りで、「アジア不戦共同体」を築くなどと呑気なことを述べている。

 基本に警察・自衛隊不信があり、集団的自衛権の確立もめざしていなければ、専守防衛堅持、非核三原則墨守のままで、旧社会党とまったく何も変っていない。幹部は国旗・国歌に否定的で、日米安保体制を軽視し、うす甘い国連中心主義などを唱えている。自由党と合体して民主党は保守の体質を強めたなどというのは大ウソである。社民党と共産党が選挙で没落した代りに、両党のイデオロギーがそっくり民主党に乗り移っただけなのだ。

 対する自民党のマニフェストはどうかといえば、これに対抗する姿勢も原理もなく、はなから北朝鮮との国交正常化を旗印にするなど慎重さを欠き、教育政策の無策ぶりは目を覆うばかりで、民主党でも「ゆとり教育」の中止を主張しているのにそれさえもなく、男女共同参画といった民主党と変らない社会政策を呑気に掲げている。保守としての哲学が不在、自覚が欠如、時代を先取りして動かして行こうとする意志そのものがない。とても保守とはいえない腑抜けぶりである。

 そしてこの結果、選挙では国民の多数は民主党を支持し、自民党は事実上、「負けた」のである。マニフェストにみえる政界の問題把握のレベルの低さはこのように悲惨である。

 以上、今日の日本が抱える根本問題を内と外から統括してみた。われわれはこれを黙過できないし、また、してはならないと思う。そしてこの現状を打破すべく心ある人々が結集し立ち上がることが必要だと思う。高らかに「保守」の理念を掲げ、わが国を本来あった姿に戻すために知恵と力を結集したい。

 九段下の某会議場で会談を重ねたので九段下会議と名づけた当会は、平成15年5月から7回の会合を行って、上記結論を得た。執筆者のほかに主要出版社と新聞社のジャーナリストを含む15人が白熱の討議を経て、最後に執筆者の表記6名が代表して署名した。

 今の日本の現実を打開するのに、従来のような評論の言いっ放し、できそうもない理想の打ち上げ花火、何百人という有識者の署名を広告とした大衆運動はもう役に立たないとわれわれは判断した。そこでご覧の通り、危機の本質を総括した上で、政策提言を箇条書きにした。これらのテーマを今後質的に深化させ、継続的に追及するため分科会を設け、その結実を逐次『Voice』『諸君!』『正論』など主要論壇誌上に発表する機会を求め、各問題を現場の緊急解決テーマとしたい。

 そのため万機公論に決すべく、感想、提言、情報提供、人物の推薦、各自の研究主題の表明などを広く在野に、また官界・政界・経済界に仰ぎたい。われわれの力だけでは到底なしがたい日本解体阻止のための狼火を上げたものと理解していただきたい。

 宛先は千代田区飯田橋2−1−2葛西ビル302
日本政策研究センター内「九段下会議」事務局(〒102−0072)で、メールアドレスはkudanshitakaigi@joy.ocn.ne.jpである。その際、氏名・住所・電話番号・年齢、可能なら職業を付記してほしい。郵便受付も可とする。署名者を個人的に知っている人は個人宛の郵便送付も可とする。
 
 

 
 九段下会議掲示を終えて
               名:西尾 幹二  H16/03/15(Mon)13:58_No.78

 九段下会議「国家解体阻止宣言」の掲示はいつもの日録の掲示とは目的と意味を異とする。いつもの日録は感想や意見を期待しているが、「宣言」の掲示は感想や意見を期待しない。参加と行動を期待している。否、それだけを期待している。

 「宣言」の内容はもとより不完全なので、あれこれ反論や意見を述べることは可能だし、容易である。しかしそんなことを今さらしていただいても仕方がない。この「宣言」は行動を起こしていただくための単なる切っ掛けにすぎない。

 今の日本はリーダーを待っていてはダメで、ひとりひとりの職業人が職業を持ちながらも立ち上がらなければ日本そのものが壊れてしまうというところまで来ていることを宣言しているのである。

 九段下会議の本部には約60通の署名入りの提言書が送られてきている。その半数は感想や意見の域を越えないが、省庁の幹部や企業の中枢にいる人からの、ここをこうすればいいというアイデア、この問題では自分が知っているかくかくの人物がキーマンなので紹介する、などの具体的な提言が書かれている。私たちが望むのはそれである。

 同宣言のプリント冊子が間もなく出来あがるので、有効な人にしぼって送付する。その中に、学者、知識人、言論人は入っていない。もの書き連中は入れていない。彼らの無力に絶望したからこそ外の世界へ訴えたいと考え、財官界の人に比較的なじみのあるVoiceに寄託したのである。

 日録を読んでいる読者の皆さん!皆さんも各職場の問題経験者でしょう。であればこの問題はここに的をしぼってこうすればよくなる、いざとなれば自分が力を貸してもいい、全問題に関心はもてないが、ある一つの問題なら自分にもできる、それを解決する方向へ力を結集するにはこういういい方法があり、それには自分のかくかくの知識が役に立つ、といったお言葉がほしい。いつでも馳せ参ずるという行動力がほしい。

 以上の私の要請に応えて下さる方は、九段下会議の掲示板に書くことが最適だが、内容を知られるのをためらわれる方は、九段下会議本部へ直接メイルか郵便で署名原稿を送ってほしい。日録をみて送ったと付記して下されば、他の提言者と区別ができてなおありがたい。

 「国家解体阻止宣言」の目的と意味をどうかとり違えないでいただきたい。

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※※※ 国家解体阻止宣言 ※※※

「平成の革命勢力」を打ち砕いて日本の大本を改めよ

≪≪≪ 九段下会議 ≫≫≫

伊藤哲夫(日本政策研究センター所長)
遠藤浩一(拓殖大学客員教授)
志方俊之(帝京大学教授)
中西輝政(京都大学教授)
西尾幹二(電気通信大学名誉教授)
八木秀次(高崎経済大学助教授)

***** 緊急政策提言 *****

国家基本政策 //////////////////

1 憲法改正はまず9条2項の削除を
2 歴史認識の見直しは「村山首相談話」の撤廃から
3 8月15日の首相靖国神社参拝を慣例化せよ
4 国産技術の防衛と育成に国家戦略を
5 政府審議会から左翼リベラル勢力を一掃せよ

外交政策 ///////////////////////

1 対北朝鮮経済制裁の即時断行を
2 朝鮮半島の「中国化」を阻止する対中政策を確立せよ
3 インド・ASEAN・台湾重視へ対アジア外交政策を転換せよ
4 対米依存心理から脱却した日米関係の再構築を
5 竹島・尖閣をめぐる日本側主張を国の内外に向け鮮明にせよ

防衛政策 ////////////////////////

1 専守防衛体制から「防衛の開国」へ
 A 敵ミサイル基地への攻撃を含めた対ミサイル防衛態勢の整備
 B 自衛隊による「領域警備体制」の確立
  C 自衛隊武器使用基準の見直し
  D 自立的な情報機関の確立
2 集団的自衛権の行使の意志確立を

教育政策 ////////////////////////

1 教育基本法の改正は愛国心書き込みだけに留めるな
2 教育責任の不在を生む「教育委員会制度」を廃止せよ
3 ゆとり教育は「見直し」ではなく「全廃」へ
4 国語教育の総点検を
5 教科書問題は「教科書法」制定から
6 「子供の権利条約」の弊害是正を
7 文部科学省の「日教組化」を阻止せよ

社会政策 /////////////////////////

1一連の「家族つぶし政策」を見直せ
 A夫婦別姓の阻止
 B少子化対策の見直し
 C税制・年金における改悪の再検討
2ジェンダーフリー政策の駆逐を
 A男女共同参画基本法の廃止
 B過激な性教育の一掃
 C男女共同参画の予算の大幅削減
3ヒステリカルな政教分離要求にまどわされぬ伝統・慣習の擁護政策を