2004年06月17日

拉致問題の新しい見方 (一)


 いま多分皆さんが一番関心のあるテーマについて、陸上自衛隊の親睦雑誌『修親』にエッセーをたのまれて、蓮池さん、地村さんのお子さんがたの帰国に伴う微妙な諸テーマについて書きました。『修親』には一歩早くて悪いのですが、タイムリーなテーマなので、掲載します。
 
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 5月22日拉致被害の蓮池・地村両家の子女5人が帰国した。タラップを降りて来た16歳から23歳までの5人のテレビ映像は、日本中の視線を釘づけにした。少し小柄で、政府が用意したのであろう余所行きの服装は若干流行遅れで、面立ちは同年の日本人に比べやゝ幼く、しかしはにかみや礼儀正しさや慎ましさが感じられて、見慣れている日本の生意気な若者よりいい印象であった。
 
 その後の様子を詳しく知るわけではないが、両親の記者会見によると、親は一族の数奇な運命をすぐには話題にしていない。子供も聞かない。話題はいつまでも核心に入らない。双方のそんな遠慮が伝えられた。
 
 恐らくそう遠くない時期に、親子は真剣に討議し、論争し合うときを持たざるを得なくなるだろう。親のさし当りの沈黙は、子に対する思いやりであるが、子の沈黙は必ずしも日本という新しい現実・未知の世界への恐怖からだけではない。それもあるとは思うが、それだけではない、と私は考えている。
 
 共産主義的全体主義の国家では、人が意見を持つことは過失であり、才知を見せることは落度であり、大胆であることは罪悪である。そのように教育され、躾けられてきたに相違ない。ましてこの5人の若者は工作員教育を受けてきたと聞く。対日工作が目的の施設で、親兄弟から切り離されて、幼児時代から特訓を受けてきた。
 
 何年もしないうちに5人のうちのいく人かが北朝鮮へ帰りたいと言い出すかもしれない。日本で生れ育った親とは違うのだ。両家の親はそのような子供の心の動きをよく知っているので、警戒しているのであろう。心の奥には触れないようにし、腫れ物に触るようにしているらしい。
 
 5人の子供は笑顔は見せるが、テレビで見る限り、無表情である。面白い発言をした、というニュースはなかなか聞こえてこない。そのうち奇抜な日本観察があって、われわれを驚かせるようになれば、心がぐっと開かれた証拠である。
   
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2004年06月18日

拉致問題の新しい見方 (二)

 
 東ドイツの例でいうと、独裁者がいちばん恐れているものが三つあった。教会の牧師、文学者、そして子供の心。この三つは独裁者の手の届かない、どう動くか予測のつかない恐しいものだった。体制に裂け目が生じるとすればここからだと思われていた。
 
 そこで教会の牧師の組織では、枢要のポストに秘密警察の非公式協力者が配置された。もちろん聖職者がそれになりすましていたのであって、密告のシステムが張りめぐらされていたということである。一方作家や詩人や文芸評論家にはそういうやり方をしなかった。相互監視の方法もとらない。出版物への検閲は勿論あるが、それもさほどうるさくない。文学者には自己検閲をやらせた。当局は「もうこれで十分だとご自分でお考えになったところで提出してください。」と言った。文学者たちにはこれはかえって不気味であった。どこまでが制限枠かが分からないからだ。すると人間は自分で夢中になって自分を縛る方向へ走る。体制に忠順な「いい子ちゃん」であることを一生懸命に自己証明しなくてはならない。全体主義の国ではこのやり方が文学者を体制順応型に縛り、文学を国家の奴隷に文学者を仕立てていく最も有効なやり方であったと聞く。
 
 人間の心の弱さにつけ込んだ卑劣なやり方である。独裁者にとって一番こわいものの三つ目、すなわち子供の心は、牧師や文学者に対するやり方のいずれでもうまく行かない。子供はどう出るか分からないからだ。親の安否を抑えれば有効だが、子供というのはそれでも分からない。
 
 東ドイツ秘密警察のミールケ長官は14歳以下の小学校のクラスの中からスパイの適格者を選び、特訓する方針を打ち出した。15・6歳になったらもう遅い、と彼は言う。独裁者とその輩下たちが年端もゆかぬ子供を最も恐れていたのだから、面白い。
 
 選んだ子供にクラスの他の子供たちや教師をスパイさせるのである。子供たちを通じてその親たちの動静をさぐらせるのが目的である。外国にしばしば出て行く職業がある。外交官、国際的学者、音楽家、スポーツ選手、船舶や航空機の関係者、彼らは共産主義的全体主義の国ではいわば特権階級であった。ひごろの言動で体制に最も忠誠な安全人間でなければ選ばれない。それでもたびたび外国へ行き、自由社会に触れているうちに変心する人が出てくる。親の行動を子供に密告させる絶好のチャンス、そういう手続きがいよいよ必要になる場合といってもいい。しかしそれよりも、西側を知った人間は親子ともども体制への反抗心を募らせるという方向へ傾く人々がはるかに多かったという。
 
 東ドイツの秘密警察当局はこういう親子を見つけるとゆっくり動き出す。逮捕するためではない。彼らを威嚇して手なづけるためである。
   
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2004年06月19日

拉致問題の新しい見方 (三)

  
 弱点を握られた特権階級が、一番従順なスパイになり易いという。体制への反抗心を強く抱いていればいるほど扱い易い。親か子のどちらか一方の身柄を押さえてさえおけば、思想的に西側自由社会の色に染まっていてくれたほうが、西側に浸透し易く、東側にはかえって便利で、ありがたい。顔色ひとつ変えずに西側の人間になり澄まし、東側の体制の悪口を言い、裏切り者の顔をして、いよいよ最後のところで逆転してもう一度裏切ればいい。
 
 自由社会に浸透したこの種の二重仮面の人間は南北朝鮮の間にも数えきれぬほど存在するだろう。日本の政治家や言論人にも必ずいるにきまっている。そういう人間を育てるのが謀略国家の目的の一つであったからだ。
 
 東ドイツの場合に、東ドイツ社会に反抗的な一家の子供は、家庭で話すことと学校で話すこととをたえず厳密に区別しなくてはならなかった。西側自由主義社会がいかに物資が豊かで、情報が自由であるかを、親子はよく知っている。子供はそれをその侭学校で喋るわけにはいかない。彼らは言えと学校で自分を使いわける演技を幼い頃からつづけている。これは一流のスパイを育てる技術を幼児期から毎日磨いているようなものである。事実、東ドイツの超一流の名を轟かせたスパイは、国際的学者や演奏家など、東西を行き来する特権をもつ者の家庭の子供から育てられた場合が多い、と関係書にしばしば書かれている。
 
 東ドイツには西のテレビや書物が入って、今の北朝鮮の息づまるような閉ざされた密封社会とは少し情勢が違うかもしれない。しかし、共産主義的全体主義社会の基本性格には変りはないと思う。
   
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2004年06月21日

拉致問題の新しい見方 (四)


 蓮池さんと地村さんの親子がお互いに体制の相違について率直に話せない複雑な心理背景は、以上からだいたい推理できると思う。ただ、私は帰国した5人の子女をテレビで見ていて、ひょっとすると北朝鮮もまた子供の心を利用しようと年来計画を立てていたのではないかと、私の意識をフト横切るものがあった。
 
 いったいなぜ日本人を拉致する必要があったのか、という最初からの謎に、いまだ誰も分り易い答を出してくれていない。住民票を奪って日本人になりすました偽造旅券の一件があった。あの件の理由はよく分ったが、北朝鮮人スパイの教育係に、拉致した日本人が必要だという今までの説明はどうしても腑に落ちない。
 
 25年前の北朝鮮はまだ国力があった。拉致した日本人の二代目をつくらせ、1.2キロ四方の囲いの中で特殊な生活をさせ、親子の関係を利用して、洗脳された若い日本人スパイ(北朝鮮国籍の)を大量に、組織的に日本に送りこむ壮大な長期計画を展開しようとしていたのではないのか。だとすると、5人どころではない。拉致日本人の二世の子供たちがいま他にも多数育てられているのではないだろうか。
 
 信ずべき情報筋から聞いた話だが、蓮池・地村両氏は二年前の10月15日に、北朝鮮当局から子供たちを連れて帰ってもよいと言われたそうである。両氏はすぐに断って、夫婦だけの「訪日」を希望したそうだ。かりに喜々として当局の提案を受け入れたら、忠誠心を疑われ、彼らの「訪日」は取り消され、そして別の二組が代わりに選ばれただろう、と。
 
 恐しい話である。しかしあの体制の真実をえぐっている。両氏は信じるもの乏しき荒涼たる心の戦場をくぐり抜けて今日ここに立ち戻った人々である。大変なことである。待っていた親の愛があり、故郷の土を踏んだ日の暖い歓迎があり、全国民の支援がウソでないことが歳月と共に分って、ようやくマインドコントロールは融けた。彼らの子供は若い柔かい心を持つだけに融けるのが早いともいえるし、親と違って、故郷に帰ったわけではないからマインドコントロールは容易に融けないともいえる。どちらかは分らない。  
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2004年06月22日

拉致問題の新しい見方 (五)

 
 一昨年の10月15日の帰国に際し、5人の記者会見があり、現地で一番地位の高いといわれる蓮池薫さんの目が異様に光っていて、無気味だったことを覚えている人は少なくないだろう。
 
 私は当時次のように書いた。
 
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 帰国直後、記者会見に出るのを最初いやがった1人の帰国者の発言は、私に奇妙なものを感じさせた。8人の日本人が亡くなられているので、「私のようなものが皆さんの前に出るのは忍びない。表に出るような身分ではない」(『読売』10月16日)という発言は不可解な印象を与えた。有名な元北朝鮮工作員から、この日本人は高い地位の工作員であったという証言も得られた。
 
 私は17日付の私の「インターネット日録」に「ここから先は憶測である。歴史から一つのことがいえる。ナチスのユダヤ人迫害には、ユダヤ人による組織的協力があった。全体主義の恐怖社会で生き残りに成功した者は、過去にそれなりのことはあった」と書き添えた。
 
 インターネットの書きこみに、私のこの言い方は余りに無情だ、容赦がなさすぎる、という批判が乱れとんだ。また私を擁護する反論もあった。(『正論』平成14年12月号)
 
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 ある自民党の有力な政治家が、「蓮池さんは犯行の当事者なのだから・・・・」という言い方をテレビで敢えて言った。私の直観はそう間違ってはいなかったのだと今は信じている。
 
 けれども過去に何があったにせよ、彼が悲劇の犠牲者であることに変りはない。表面的な善悪で問うべき事柄ではまったくない。けれども、お子さんがたも無事手もとに取り戻したのだから、ここで洗いざらい全部体験を語って、安否未確認者特定失踪者の情報を待ちわびる人々の期待に応えるべきだと誰しもが思うのだが、私は必ずしもそうならないのではないかと、一抹の不安を抱くのである。
 
 強靭な意志力、したたかな心理眼、物怖じしない演技力、信じさせておいてさっと翻すあの裏切りへの胆力、知力、行動力——そういうものの一切を有していたからこそ両家は帰国できたのである。(曽我さんの場合には米兵がらみに北の目算があったためで、別ケースと思う。)
 
 私は蓮池・地村ご夫妻とそのお子さんがたを、あの社会の本質を知っている生き証人と考える。発言に注目したい。文章を詳しく書いてもらいたい。ことにお子さんの出版を期待する。私が心配するのは、彼らが北に残留する犠牲者に対し加害者の位置にあるかもしれないので、発言に自己防衛のかすみがかかり、これ以上の事態の解明にかえって蓋をしてしまう可能性が小さくないと考えられることである。
  
Posted by nishio_nitiroku at 09:27Comments(0)TrackBack(0)