拉致問題の新しい見方 (二)
東ドイツの例でいうと、独裁者がいちばん恐れているものが三つあった。教会の牧師、文学者、そして子供の心。この三つは独裁者の手の届かない、どう動くか予測のつかない恐しいものだった。体制に裂け目が生じるとすればここからだと思われていた。
そこで教会の牧師の組織では、枢要のポストに秘密警察の非公式協力者が配置された。もちろん聖職者がそれになりすましていたのであって、密告のシステムが張りめぐらされていたということである。一方作家や詩人や文芸評論家にはそういうやり方をしなかった。相互監視の方法もとらない。出版物への検閲は勿論あるが、それもさほどうるさくない。文学者には自己検閲をやらせた。当局は「もうこれで十分だとご自分でお考えになったところで提出してください。」と言った。文学者たちにはこれはかえって不気味であった。どこまでが制限枠かが分からないからだ。すると人間は自分で夢中になって自分を縛る方向へ走る。体制に忠順な「いい子ちゃん」であることを一生懸命に自己証明しなくてはならない。全体主義の国ではこのやり方が文学者を体制順応型に縛り、文学を国家の奴隷に文学者を仕立てていく最も有効なやり方であったと聞く。
人間の心の弱さにつけ込んだ卑劣なやり方である。独裁者にとって一番こわいものの三つ目、すなわち子供の心は、牧師や文学者に対するやり方のいずれでもうまく行かない。子供はどう出るか分からないからだ。親の安否を抑えれば有効だが、子供というのはそれでも分からない。
東ドイツ秘密警察のミールケ長官は14歳以下の小学校のクラスの中からスパイの適格者を選び、特訓する方針を打ち出した。15・6歳になったらもう遅い、と彼は言う。独裁者とその輩下たちが年端もゆかぬ子供を最も恐れていたのだから、面白い。
選んだ子供にクラスの他の子供たちや教師をスパイさせるのである。子供たちを通じてその親たちの動静をさぐらせるのが目的である。外国にしばしば出て行く職業がある。外交官、国際的学者、音楽家、スポーツ選手、船舶や航空機の関係者、彼らは共産主義的全体主義の国ではいわば特権階級であった。ひごろの言動で体制に最も忠誠な安全人間でなければ選ばれない。それでもたびたび外国へ行き、自由社会に触れているうちに変心する人が出てくる。親の行動を子供に密告させる絶好のチャンス、そういう手続きがいよいよ必要になる場合といってもいい。しかしそれよりも、西側を知った人間は親子ともども体制への反抗心を募らせるという方向へ傾く人々がはるかに多かったという。
東ドイツの秘密警察当局はこういう親子を見つけるとゆっくり動き出す。逮捕するためではない。彼らを威嚇して手なづけるためである。
Posted by nishio_nitiroku at
09:21
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