2004年09月28日

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(一)

8月29日(日) 
 夜、評論家の小浜逸郎氏と洋泉社の小川哲生氏が来訪、いつもの吾作で盃をあげる。小浜氏とは肝胆相照らす仲だが、なかなかゆっくり会う機会がない。三人で温泉に行こうよという話もあったが、そう言っていては埒があかないので今日の会合となった。酒を飲みながら友と語り合うのが今の私は一番楽しい。政治の話も、哲学の話も出なかった。

8月30日(月) 
 かねて約束していた通り、参議院議員会館に山谷えり子氏を訪ね、ジェンダーフリーと性教育に対する氏の戦跡を語ってもらった。選挙前からの約束で、当選してくれて本当に良かった。4センチもの厚さの資料集を私のために秘書の方が精選して用意しておいてくれた。たくさんの驚くべき、信じられないエピソードを議員本人から聞く。その中のひとつ。五人の女子高校生が制服のままで産婦人科の待合室でケラケラと談笑していて、五人で一人の男と関係し、男が病気を持っていたらしいと分ったのでお揃いで検診に来た、と屈託もない。

 ピルは副作用があり、多用すれば生涯子供の産めない身体になる可能性があるのに、文部科学省編の性教育の教材に、コンドームよりピルは安全と勧め、ピルは月経の痛みを柔らげるためにも使えるからそう言って買えばよいといわんばかりの、薬局に行き易い配慮さえ示している。小学一年生が覚えるべきことばの中に、ペニス、ヴァギナがあることは周知の通りだが、これから大人になる六年生のための用語集の中に援助交際が入っている。「学校がまるでフリーセックスを勧めている形です。せめて学校の場だけでもこういう言葉は禁句にして、道徳教育の場にしなくてはいけない。事実そうすることでアメリカのある州では妊娠中絶数が急下降した実績があるのです。」

 約二時間にわたって山谷氏の熱弁はつづく。PHP研究所から私と八木秀次氏との対談集『新・国民の油断』を出すことになり、テーマはジェンダーフリー批判で、私は今その準備中なのである。計画は夏前にスタートし、私の許に30冊ほどの関連書と500ページを越える関係資料がまたたく間に集まった。すでに準備会合が二度開かれ、対談は9月中に実行される。

 山谷さんは白に黒を組み合わせたカットもしゃれた瀟洒な装いで、いつものように女性としてじつに魅力的である。性差は存在しないなどと言って、「男らしさ」「女らしさ」は社会や権力がつくった後天的なものだと唱えているジェンダーフリー派の女性学者に美人はいるのであろうか。恨みと復讐心からの無理仕立ての学説のように思える。

8月31日(火)
 日録が混乱していて、収拾がつかない。私だけが無権利状態に置かれている不当な感情をもつ。匿名者による罵倒の浴びせられっ放しで、私は防衛のしようがない。「ネットの憂鬱(二)」を書いて、日録に掲げる。

9月1日(水)
「緊急公告」(一)〜(四)はプリントアウトして、B4のペーパー19枚になった。これで小泉再訪朝の「空白の十分間」の出所が日刊ゲンダイと分ったが、人に言われるまでもなく、出所の格の低さがたしかに残念である。しかしこの事実が分って、私よりも中西輝政氏の方が少し辛いのではないだろうか。私は氏にとっても、良かれと思ってやったのだが、申し訳ないことをしたのかもしれない。中西氏の言っていることがウソではなかった証拠を出したかった。それには成功したが、日刊ゲンダイひとつではたしかに物足りない。もうひとつ『週刊ポスト』(6月18日号)にも記事が発見されたけれども。

 このまゝ放って置くわけにもいかないので、ともあれ結果は出たのだから私は次の行動に移った。「緊急公告」(一)〜(四)の19枚のプリントを12通作成し、ホッチキスで止めて、中西輝政氏、産経新聞社主要関係ポストの責任者四氏、人を介して連絡をとったうえで関東公安調査局第二部、それから私が信頼している衆議院の大物代議士五人にそれぞれ異なる手紙を添えて送った。

 9月末の段階で中西氏より返事も連絡もない。公安調査局からは電話があり、「しかと承った。調査は開始するが、結果は職責上西尾さんにはお伝えできない」との言。これは当然である。産経は紙面を見る限り、その後何の動きもない。大物政治家のひとりから葉書の来信があった。

 後から考えたことがひとつだけある。当っているかどうかは分らないが、東京の細田官房長官とピョンヤンの薮中アジア大洋州局長との間の電話のやりとり内容がかなり詳しかった。あれは、ひょっとするとアメリカの通信傍受の結果ではないか。アメリカがあの会談の可能な限りの盗み聴きをしていないと考える方がむしろ難しい。となると、中西さんの「外国人情報筋の言」はやはり事実ではないだろうか。(アメリカは世界中の重要な会談の情報蒐めに対し知力を尽くしているはずである。)

9月2日(木)
日本がアメリカから見捨てられる日』が出たばかりで、評判を気にしている段階だが、掲示板が混乱しているので、感想を期待できる状態ではない。評論集は正式の書評の対象にもあまりならない。雑誌に一生懸命書いた文を集めて文集を編みたいのが自然の欲求だが、そういう幸運に恵まれている評論家は今は数えるほどしかいない。私は幸運な方である。小説家の場合でも短編集が出版できない時代である。

日本がアメリカから見捨てられる日』の約半分のページには日録の文章が利用されている。日録の読者はお気づきと思うが、もう一冊出せるだけの分量のエッセーが日録の過去録には貯まっている。今回は時事的テーマに限定して、雑誌発表論文と組み合わせて、書き下ろし新稿も加え、一冊にした。

 当然のことだが、時事的でないテーマの過去録からもう一冊作ることが予定されていて、来年の春ごろまでには同じ徳間書店から出されるであろう。私の読者には出版ラッシュでご迷惑をおかけする。少量多品目生産の出版事情でこうなっているが、私はいっさい手抜きはしていない。

 ほとんど毎日本づくりに精を出している歳月をいま丁度迎えている。多産の年齢である。今年3冊目は『日本人の証明』と予告していたが、版元(青春出版社)との相談の結果『日本人は何に躓いていたのか』に変更、確定した。これは評論集ではなく、書き下ろし稿である。入稿は終了し、間もなく初稿ゲラが出る。

 外交、防衛、歴史、教育、社会、政治、経済の七つの項目に分けて、日本の総合像を希望の相において捉え直した一書である。10月29日刊と正式決定した。

9月3日(金)
 わが家の犬を病院につれて行く。11歳の柴犬で、いとしい。たえず家の中の今どこにいるかを私は気にしている。5歳くらいの人間の子がいる感じである。言葉も通じる。もう老犬のはずだが、元気はいい。ちょっとした出来ものが生じたので診てもらったが、何でもない。

 午後インターネットの日録応援掲示板のあり方をめぐって、「年上の長谷川」さんから派遣された東京在住の「MOMO」さんと西荻窪の駅前の喫茶店で緊急会談をした。掲示板の管理をしばらく私が預かり、落着くまで私の監督で不要なものの削除を随時実行させてもらうことにして、収拾をはかることにした。

9月4日(土)
 『新・国民の油断』のために一日、ジェンダーフリーの関係本を読んだ。果てしない読書だ。性的変態者のうわごとのオンパレードである。

 藤岡信勝さんとの共著『国民の油断』は1996年10月刊で、丁度8年前になる。あのときのほうが批判意識をかり立てられた。敵の正体がはっきりしていた。今度はものの奥に隠れていて、敵はもっと悪質で、見えないだけに手敵い。


  
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2004年10月07日

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(二)

9月5日(日)
 午後2:00より故林健太郎先生のご霊前に参ずる。先生の訃報に接した日私は東京不在で、昨日電話をかけてご都合を伺い、今日ご焼香させていただいた。

 帰宅して心に思う所あり、一息で一文を認め、「林健太郎先生のご逝去」と題して「日録」に掲げた。
 
 以下は後日談だが、一月の訪問記と合わせて改筆し、『諸君!』に20枚程の林先生を偲ぶ文を書いてはと編集部に勧められ、私はその気になった。ご臨終の前後のデータに間違いがあってはいけないと思い、A4で2枚の「日録」のコピーを郵便で奥さまに送って訂正すべき個所を教えてほしいと書き添えておいた。奥さまから電話で思いがけないご返事があった。

 奥さまがご体験になったご臨終の前夜のあのシーンは、秘そかな思い出のまゝにしたいので『諸君!』に書かないでほしい、と。葬儀委員長の人選に私が「憤慨」したという一件も気になさっていたようなので、お立場上デリケートな一線に私が敢えて触れてしまったせいかもしれない。「『諸君!』の件はどうかわたしに預からせてください」と仰有った。私は諒承した。

 編集部にその侭伝えて、諦めてもらった。せっかく幾つかの先生の論考や資料を揃えてもらっていたし、私も先生の旧著を書棚から取り出して、心の用意をしていたので、少し残念だった。翌月の『正論』の読者の欄に、林先生を軽んじる文章がのっていたので、このまゝ先生に汚名を着せられて終るのはいやだとも思ったが、今さらどうにもならない。

 林先生の追悼文を言論誌に見ない。長生きするとこういうことになるのだろうか。葬儀委員長にあのような人物を据えた勢力の人々が、先生を本当に理解する追悼文を書くとも思えない。先生は立派な、マルクス主義の根本的誤謬を説いた言論人だった。小泉信三に匹敵する人だった。私でなくていいから、やはり『諸君!』か『正論』に追悼文があってしかるべきであろう。

 しかし、ふと思った。「林健太郎先生のご逝去」という私の一文はインターネットに公表ずみである。あとで自著に収録することに私はためらいをもたない。

 満面に笑いを浮かべて死期の到来に気づいたことを知らせた先生のあの従容たる挙措は、歴史に語り継がれてしかるべきだろうと思う。先生の最後のお姿は先生を敬愛した読者の財産でもある。

9月6日(月)
 今日は3:00から定期検診の病院に予約が入っているし、夜は6:00から「つくる会」理事会である。しかし、八木秀次氏との対談本『新・国民の油断』の第一回対談が9日であるのに、準備が進んでいない。病院も理事会も急遽キャンセルした。仕方がない。こういうことは往々にして起こる。

 ジェンダーフリー批判という今度の対談のテーマについて、八木さんは専門家はだしだから格別の準備も要らないらしい。しかし私には私に特有のアプローチの仕方があり、私でなければ語れない立論を打ち出していきたいが、同時に八木さんと話が噛み合わなくてはいけないから、共通の土俵も準備しておかなくてはならない。その後者の予備知識が私には不十分なのである。

 それで、今日はたくさんの本や文献資料を前に呆然としながら時間を過ごした。ご承知の通り、この世界をいろいろ読み調べることは、あまり楽しい体験ではない。

9月7日(火)
 私が最初から気にしていたのは、八木秀次さんや山谷えり子さんらが唱えている伝統的性道徳、健全な家庭の子育ての基準を今の社会に上から振り翳して、果してジェンダーフリー派の撒き散らしている「今の子供の性の現実」に太刀打ちできるのだろうかという疑問だった。

 彼らの早期性教育論は、今の子供たちを性感染症、強姦や売春や暴力団の介入、望まない妊娠からいかにして守るかという、それなりに筋の通った一貫した主張に裏づけられている。子供たちに性行為の過度の知識——過激に見える——を早くから与えるのは、彼らに性を勧めているのではなく、もうどうにも止まらない所まできた今の子の性生活を少しでも破壊から守るためだという現場教師の声に根拠を求めている。

 それに対し伝統派は、過激な性教育をするから子供の心に抑制がなくなり、安易に「性の自己決定権」などといって責任のとれない年齢の者を無理な行動に走らせてしまうのだと反論する。他方、早期性教育論者は、これとは逆のことを言う。性の正しい知識を早くから与えてやらないから、自分の身体をみすみす破壊に追いやってしまう、と。ニワトリが先かタマゴが先かという、議論の堂々めぐりで、どっちが正しいか、本当のところは私にも分らない。恐らくその両方に理があるのだろう。

 援助交際をする女の子たちはお金が目当てではなく、「半分以上の子供たちが最初に口にするのは『とても大事にされるから』という驚くべき理由でした」と語る水谷修氏(夜間高校教師)のレポート(『SEXUALITY』NO.13所収)には、私はかなり説得された。

 「中学生は妊娠しないと言われて、避妊をしない性交を本当に行っていた子どもたちもたくさんいます。」「女性の薬物中毒は助からないといわれています。・・・・・・薬物のためなら何でもやる。そこに売買春が入りこんできてしまうために、女性は生きていけてしまう。悲しい話ですがよくいわれます。」「我々が行うべき性教育とはどういうものかを考えた時、僕は、愛とは何かを教えることではないと思います。・・・・・・何回不特定多数と性交渉すると確実に性感染症になるか」というようなことを統計数値を見ながら研究し、教えていくことだという。

 水谷さんは12年間で4000人を数える子どもたちと直接的に交流をもった。この世界では1対3対3対3という有名な比率がある。関わる子どもの1割は自殺し、3割は刑務所か少年院の檻の中にいて、3割は先生のことばを信じて薬物なしの生活に努力し、残りの3割は行方不明になってしまうという。

 事実は恐らくこの通りだと思う。人間の弱さというものが問題の基本にあることは絶対に見落としてはならない。性教育を議論するうえでの重要な条件の一つである。けれども、子供たちの現実の一部がここまで弱さをさらけ出し、その現実に即した救いが求められているからといって、学校の公教育の場で、同じレベルの治療法的即効性教育をあらゆる子供に与えるべきだという話にはなるまい。

 八木秀次さんと対談するとき、ここいらが難しいなァ、どういう風に話をしようかと私は思案した。

 それにジェンダーフリー(性差は存在しない)の思想と性教育がどこでどう結びつくのかが分らない。こじつけがあるかもしれない。この方面の本を読んでいると、障害者、社会的弱者(先の薬物に溺れる子供なども含む)への差別の問題とジェンダーフリーが混同してもち出されてくる。どうもそこが奇妙である。

 障害者、社会的弱者の救済はなされねばならない。しかしジェンダーフリーの主張とこれとは本来別のはずである。両者ははっきり区別されねばならない。そこが混ぜこぜで提出されるのがおかしいと思った。なにか詐術がありそうだ。

9月9日(水)
 13:00〜19:00 PHP研究所の一室で『新・国民の油断』の第一回の対談を実行した。

 第一回は現象面の情報をできるだけ数多く紹介するページに役立つ話題を主に展開した。二人が用意した材料は夥しい。大人の性玩具のような見るも恥かしい露骨な「物体」の数々。それから、ジェンダーフリー派による言葉狩り(スチュアデスは客室乗務員とする、の類)、TVコマーシャルへの映像干渉、自治体の指定する男女役割分担禁止という名の私生活への介入。私は「これはファシズムですよ」と思わず叫んだ。

 落合恵子(作家)さんというジェンダーフリー派のスターがいる。この人の講演筆録(『SEXUALITY』NO.13)を読んで、なかなか話がうまいなと思った。ホロリとさせる処がある。大抵の人はいかれてしまうだろう。私は八木さんとの対談の中でもこの話を一寸出した。

 落合さんは私生児であると告白する。つまり、お母さんが未婚の母である。本人もお母さんも悩んだ。社会との約束ごとに背いた女だとの自責で母は苦しんだ、と落合さんは言う。

 「(母は)私に対する後めたさと自分の親に『肩身の狭い思い』をさせてしまったという反省を張りつめた糸のように紡ぎながら生きてきたのだと思います。」やがて脅迫神経症になる。洗手恐怖症といって、指紋が消えてしまうほど一日中手を洗いつづける病気になったのだそうだ。

 落合さんは10代のころ、「お母さん、どうして私を生んだの」と聞いたことがある。そのとき「お母さんはあなたのことがとてもほしかった。」「あなたのお父さんに当たる人を大好きだった。だからあなたは『大好き』から生れたこどもなのよ。」「お母さんがこんなにあなたを待っている、だからだからあなたはこんなにも待たれ、期待されて生れてきた子どもなのよ。」

 10代の落合さんは母親のこの言葉に納得し、それが心の支えになって生きてきた。ここまでは私もよく分る。私は同情をもって読み進んだ。すると一転して、次のような議論が始まるのである。

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 子どもは当然、自らの出生について何の責任もありません。

 私たちを取り巻く社会において、自分自身であることをずっと求め続けることは時には大きなストレスになることかもしれません。しかし、やはり私たちは個であることから始まり、個であることを続けていかなければなりません。このことは、セクシュアリティを含めて、あらゆる人権について考える時の基本であると思います。

 私たちの社会の中には「普通」という感覚がとても色濃く残っています。そして私は「普通」という言葉をなかなか使えません。というのも「普通」の価値観が根強い社会は必ずワンセットで「普通じゃない」という価値観を作りだすからです。「みんなと同じ」という言葉もそうです。みんなと同じという価値観が色濃い社会においては、みんなと違うという状況にある多くの人々が、みんなと違うという理由で選別をされ、切り捨てられてしまいます。人権というものを考える時、ここにもまた私たちが問いかけなければいけない大きなテーマがあるのではないかと思っています。

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 落合さんは「個」という観念をいきなりここでもち出す。両親そろっている「普通」の家庭へのルサンチマンもにじませた論が展開される。けれども落合さん自身はここでいう意味の純粋な「個」なのだろうか。この「個」の概念は間違っていないか。

 落合さんはほかでもない、お母さんの子供である。お母さんの愛に支えられて生きた子供だ。けっして「個」ではない。

 もっと不幸な子供がいる。両親を知らない子供がいる。両親はいてもまったく愛されない子供もいる。落合さんのお母さんは彼女を強く愛した。彼女は恵まれている。その意味ではもっと不幸な子供たちに対して優越者である。落合さんはそのことに気がついていない。

 もっと不幸な子供たちからみれば彼女は「普通」の価値観の中に安住することが許されている側にいる。彼女は見方によれば特権者の側にいる。「普通」とか「普通でない」とかはすべて相対的概念だ。基準も機軸もない。

 彼女は決して「個」ではない。母の子である。母の愛の依存の中にいる。そして、なにかに依存し、包まれていなければ真の「個」は成立しない。そういう意味でなら彼女もまた「個」である。しかしそういう「個」、言葉の本当の意味における「個」は決して彼女のいうような意味での「解放」の概念ではない。

 私は対談で以上のような議論を時間不足で十分ではなかったが、とりあえず展開した。『新・国民の油断』が出版されるのは12月だが、考えの浅い、愚かなジェンダーフリー派をたゞ頭ごなしに非難し、弾劾する本にはしないつもりである。

 深く考える人に、敵の陥し穴がよく見えるような案内をしたいと考えている。


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   報  告

(1) Voice11月号(10月10日発売)

 拙論「ブッシュに見捨てられる日本」25枚

  尚同誌に横山洋吉(東京都教育長)、櫻井よしこ両氏の対談「扶桑社の教科書を 採択した理由」があり、注目すべき内容です。

(2)

 11月20日(土)午後2:30〜に科学技術館サイエンスホール(地下鉄東西線竹橋から6分、北の丸公園内)で福田恆存没後十年記念として、「福田恆存の哲学」と題する講演を行います。他に山田太一氏も講師として出席なさいます。
(入場料2000円、申し込み先・現代文化会議 電話03−5261−2753
メール bunkakaigi@u01.gate01.com )

 10〜11月私は雑誌論文をやめてもっぱら福田先生の旧著を読み直すことになりそうです。

  
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2004年10月14日

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(三)

9月10日(金)
 午前11:00オーストラリア放送から頼まれたインタヴューを受ける。オーストラリア放送東京支局はNHKの建物の中にあるので、どうせ午後御茶の水の医科歯科大で歯の治療を受けるので、早めに出て自ら局に出向く。

 日本女性がインタヴュアーで、ほかにはオーストラリアの女性ひとりとカメラマンの三人が私を迎えた。テーマは外国人労働者問題。久し振りにこのテーマである。またまた世間の関心が高まっているようである。

 オーストラリアは白豪主義と言って、人種差別のはなはだしい国である。60年代にギリシア人とイタリア人の移民を迎え、そこまではよかったが、70年代にアジア系移民を大量に受け入れてトラブルが始まった。移民国家なのに移民反対政党も出現したはずである。

 私が何を心配して受け入れ慎重論者であるのかが知りたい、と、質問はしきりにそこに集中する。日本人が加害者になる可能性が一番恐ろしいと私は述べた。本来日本は階層が固定しない流動社会である。それなのに約8パーセント——ドイツ、フランス、なみに考えれば——の外国人定住化は1億2000万の日本人の内部に1000万人の外国人が定住化することを意味する。どこの国でも先進国の単純労働力受入れは8パーセント前後に近づく。しかも複数の民族の渡来で1000万人はカスト化する可能性が高い。例えば中国人が外国人の中の上位を占め、ベトナム人が下位を占めるなど。日本人は複雑にカスト化した民族間闘争に巻きこまれるだけでなく、彼らの総体とも対決しなければならなくなるので、日本人社会の内部は流動性を失い、受身のまま硬直化する危険がある。硬直化は社会の進歩を阻む。

 問われるままに、私が今まで
に論述してきた他のポイントを私は次々と語った。しかしインタヴュアーは何かを待ちつづける。テレビのことだから、実際の放送では、私の話の概要はアナウンサーが要約し、核心を衝く個所がきたところで約2分間私の顔を画面に出したいらしい。その核心が見つからなくて、あれこれ問いかけてくる。そしてさいごに「あァ、先生そこです。そこをもう一度語ってください。」

 「分りました。もう一度丁寧に言いましょう。」と私はあらためてテレビカメラに向って居ずまいを正して語った。

 「古代ローマ末期、ローマ人は奢侈に流れ、労働を嫌い、軍務を逃げ、つらい仕事は奴隷に任せ、外敵との戦いは傭兵に委ねて、その日その日をうかうか過し、やがて滅亡しました。日本人もつらい仕事を奴隷に任せればいいのですね。アメリカ軍を傭兵だと思っている日本人はとても多いのです。そのうちローマ人がゲルマン人の傭兵隊長オドアケルに寝首をかゝれたように、日本はアメリカ軍に再占領される日を迎えるでしょう。異民族がどんどん入ってきます。日本列島がなくなることはありません。列島の住民、この地への移住者が絶えることがなくても、日本という国、日本人という民族は消えてなくなってしまうのです。」

 「ありがとうございました。先生、そこを放映させてもらいます。」

 なぜこんな話を急にしたかというと、数日前、ある会合で出席者の一人が大学生5人のいる場で尖閣諸島の話をしたら、彼らは全く尖閣の名を知らなかった。そこで詳しく説明したら、大学生の一人が「そんなの簡単じゃないか。日本がアメリカになっちゃえばいいんじゃないか。」他の大学生もそうだ、そうだと言ったとあきれた面持で語ったのを思い出したからだった。

 「日本がアメリカに再占領される」という私の先述のことばの意味も今の大学生には分らないだろう。再占領されれば気楽でいいや、というくらいにしか考えないのだろう。

 再占領されれば憲法が停止され、日本人は人権を無視され、婦女子が暴行されても日本に裁判権はなく、彼ら大学生はアメリカ軍の尖兵となって最も不利な戦地に追い立てられるかもしれないのである。そんなことを今の学生は考えてもいない。けれども人手不足を補うために外国人労働者をどんどん入れゝばいいと思っている今の企業人やエコノミストも、日本の現実について考えていることはこの学生たちと大差ないであろう。

9月11日(土)
 午後1:00〜5:00「新しい歴史教科書をつくる会」の総会が虎ノ門パストラルで行われた。会員全体から5000万円の寄付をお願いするというのが総会のメインテーマだった。理事が率先して寄付に応じないで、会員にだけ新しい負担を求めても通る話ではないだろう、と私は秘かに思ったが、総会では黙っていた。

 ひきつづき5:30から、同じホテルで懇親会の今までの形を変えて、「前進の集い」という名で、東京都の新しい採択を記念して、各界の名士をあつめ、八木秀次会長の就任のおひろめを兼ね、どなたでも参加できるオープンな祝賀パーティーが開かれた。

 私は祝賀の会で何があったかをいちいち報告する煩に耐えない。政治家からの祝電ではやっぱり安倍晋三さんのものが一番長く心がこもっていたこと、皆さんのスピーチがとても上手で面白かったことなど、語ればきりがない。

 そこで私は、自分の印象に強く残ったスピーチをひとつだけ書いて記念にしようと考え、「二宮清純さんのこと」と題した一文を日録に掲げた。短いこの一文で「前進の集い」の全体の雰囲気を代表させたつもりだった。

 当日録に接続する「感想掲示板」に「前進の集い」に参加した人の報告文が皆無だったことが、私にはやゝ意外であり、また今非常に不満でもある。全体の報告は私ではなく、どなたかに代表して書いてもらいたい。

 だいたい「感想掲示板」は「新しい歴史教科書をつくる会」の応援をも意図していたのではないだろうか。このところまるきりそうでないのが心外である。、若い八木新会長就任についてもほとんど関心が払われなかった。「西尾幹二感想掲示板」は最近少しおかしい。変質している。自分の狭い関心にだけかまけたテーマで書き込む人が多い。共通の感情を失っている。

 今度また「前進の集い」のような関心が共通する催しがあったら、参加者の誰かゞ私に代って会の客観的な報告をしてほしい。

 さて、「前進の集い」では最後のしめくくりの挨拶を私に託された。『史』(9月号)巻頭に書いた一文とほゞ同内容の話をして、祝賀ムードに少し水をさした。ここに同誌から全文を引用しておく。

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 愛媛につづいて東京の6年生一貫校でわれわれの教科書が採択されたことは嬉しいし、関係者に厚く御礼申し上げる。しかし3年前に養護学校の採択に実績を上げたこの二ヶ所以外に、新しい採択校が他の府県で名乗りをあげてくれないことにむしろ私は心を痛めている。公立の6年生一貫校は全校で毎年次々と新設されているはずである。

教科書の採択は教育委員の権限とされる。しかし実際は違う。現場の教師が選んで、順位をつけて上へあげる。上にはPTA代表や学識経験者などから成る選定委員会という、教育委員会とは別の組織が存在し、そこでまず決められる。教育委員はめくら判を押す役目にすぎない。選定委員会に教育委員が入っている場合もあるが、権限は比率に応じて下がる。選定委員は元校長など、教師の世界と直結していて、日教組に左右され易い。例外は若干あるが、全国的にまずこの形態である。

だから平成17年夏の期待される採択にも、私の見通しは暗い。教員支配のこのシステムを毀し、本当に教育委員が全権を掌握し、しかも教員上りを教育委員から排除する法律でもできない限り、日本の成熟した社会の常識が教育を動かすということは起こらない。教師の世界は一般社会より半世紀遅れている。

八木秀次新会長を中心とした新しい体制には本当にご苦労をお願いしなくてはならない。今度の採択で一定の成果を上げなかったら、ひとえに右の閉鎖的システムのせいで、新しい力をもってしても固定した旧習を毀せなかったことを意味する。そうなると、歴史や公民は検定をやめて自由出版にせよ、という声が一気に高まるだろう。責任の所在を不明にする教育委員会制度そのものの廃止が叫ばれるだろう。

この意味で八木氏の果す役割は運命的な位置を占めている。若い会長が新任されたのは会が未来を信じている証拠で、その生命力が必ずや壁を打ち破ってくれるであろう。


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 「前進の集い」のしめくゝりの挨拶ではほぼこれと同内容を話しことばにして、強弱をつけ、分り易く語ったが、最後にこうもつけ加えた。

 「『新しい歴史教科書をつくる会』の若返り会長人事を真似していただきたいところがある。自民党です。どうか自民党はわれわれのこの人事をぜひともモデルにして、思い切って若返っていたゞきたい。」と語って、万座を笑いにして終らせた。

9月12日(日)
 どういうわけだかこの日私は9時間寝てそれでなお眠り足らず、朝食を食べて寝て、昼に起きて少し食べてまた寝て、何と合計13時間も眠った。

 それで夜になるとまた眠れた。我が家の老犬のようである。こんなことがときにあるのである。あっていいのだろう。昨日の会は三次会までつき合ったが、酒で疲れたとは思えない。

 2冊の著作が同時進行している。根をつめている。やはりそれで疲れているのだろう。

 余りに眠りつづけると、このまゝ快く死に至るのかと思う。しかし深く眠ると、翌日は生命感が甦っているのを感じる。

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報  告

(1) 10月17日(日)(関西の読売テレビ)
西日本だけのテレビ、よみうりテレビ「たかじんのそこまで言って委員会」にでます。
 テーマは「日本の自虐史観と反日」。放送は17日(日)午後1時30分ー3時。
関西、中国、九州地方5局ネット。

(2) 10月23日(土)14:00〜16:00
西尾幹二講演会「正しい現代史の見方」入場無料
帯広市幕別町緑館
主 催:隊友会道東連合会
連絡先:自衛隊帯広連絡部
飯島功昇氏
TEL 0155−23−2485

(3)Voice11月号(10月10日発売)

拙論「ブッシュに見捨てられる日本」25枚

尚同誌に横山洋吉(東京都教育長)、櫻井よしこ両氏の対談「扶桑社の教科書を採択した理由」があり、注目すべき内容です。

(4)11月20日に科学技術館サイエンスホール(地下鉄東西線竹橋から6分、北の丸公園内)で福田恆存没後十年記念として、「福田恆存の哲学」と題する講演を行います。他に山田太一氏も講師として出席なさいます。

蘄田恆存歿後十年記念—講演とシンポジアム—
日 時:平成16年11月20日 午後2時半開演(会場は30分前)
場 所:科学技術館サイエンスホール(地下鉄東西線 竹橋駅下車徒歩6分、北の 丸公園内)
特別公開:福田恆存 未発表講演テープ「近代人の資格」(昭和48年講演)
講 演:西尾幹二「蘄田恆存の哲学」
     山田太一「一読者として」
シンポジアム:西尾幹二、由紀草一、佐藤松男
参加費:二千円    
主 催:現代文化会議
(申し込み先 電話03−5261−2753〈午後5時〜午後10時〉
メール bunkakaigi@u01.gate01.com〈氏名、住所、電話番号、年齢を明記のこと〉折り返し、受講証をお送りします。)

・・・***・・・***・・・***・・・

戦後日本において最も根源的に人輭の生き方、日本人の生き方を問ひ、「左翼にとつて論爭しても勝てない隋一の保守知識人」と称されてゐた蘄田恆存氏が亡くなられてから今年で十年になります。當會議では、この機會に改めて蘄田思想を檢證し、今日に継承するため、御命日である十一月二十日に「蘄田恆存歿後十年記念—講演とシンポジアム—」を開催することに致しました。多くの皆様方のご參加を願つてやみません。

・・・***・・・***・・・***・・・

  
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2004年10月16日

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(四)(前の月の生活に即した所感です)

9月13日(月)
 12:30入れ歯の調整に医歯大へ行く。新しい入れ歯は非常に具合がいい。口腔内に違和感がない。私は担当の水口俊介先生に「先生は名人ですねー」と賛辞を呈する。

 3:30から渋谷の「日本文化チャンネル桜」のスタジオに赴き、初めての出演をする。知っている人ばかりで集まっていて、私たちの仲間のテレビ局だということがよく分る。

拙著『
日本がアメリカから見捨てられる日』を司会の大高未貴さんが用意していて、私の出演中ずっとテーブルの上に立てて置いてくれた。こんな厚遇は他局では考えられない。

 私はテレビが嫌いで、最近はニュース以外はほとんど見ない。私の老化のせいではなく、番組内容の劣化のせいである。アメリカでは240ものチャンネルが選べると聞いた。私がかって杉並ケーブルテレビに加入していたときには60のチャンネルがあった。24時間天気予報だけを流しているチャンネルなどもあって、その限りでは便利だった。

 私はあらゆるテレビ受像機が100くらいのチャンネルを映し出す電波の自由化の到来を待っている。NHKと既成民放の電波独占が番組内容の劣化を招いている。郵政の民営化より電波の自由化のほうがずっと優先価値が高い。テレビと大新聞の情報の独占、画一化、愚かな自己規制、小さくても途方もなく重要な情報の選別能力の欠落、その結果としての番組内容の空虚化——こうしたことをいっぺんに解決するのが電波の自由化である。

 私はこの点では秩序派ではなく、情報の戦国時代を良しとする者である。「日本文化チャンネル桜」はぜひその尖兵になってもらいたい。何が電波の自由化を阻んでいるのか、原因を究明している論文をどなたか知っていたら、教えてほしい(感想板に書いてほしい)。

9月14日(火)
 12:00〜14:00の時間帯に時事通信社の内外情勢調査会の講演で大宮市に行く。聴衆は企業の経営者が多いと聞いたので、あえて経済をテーマに選んだ。

 私は最近、14年前の日米構造協議における日本側の屈服を批判した私の観点は間違っていなかったと自信を深めるようになった。「日本経済は閉ざしている」という根拠なき強迫観念から解放されない限り、日本は立ち直らない。さすがに日本経済は遅れているとは今は誰もいわなくなったが、その代りに閉ざしていると口々に言い、遅れているというのと同じ思い込みに陥っている。

 果して閉ざしているだろうか。諸外国と比較してもそうは思えない。系列、談合、株の持ち合い、終身雇用、官僚主導、愛社精神などをことごとく「閉ざした」表徴として自己批判させられてきて、日本はアメリカ経済の前に膝を屈した。しかし、今にして分ったが、解雇したり不動産を売却したりして数字合わせをした日産よりも、日本型経営を守ったキャノンの方が、ずっと正しかったと思えてくる。

 日米構造協議から日本の没落が始まった。堺屋太一や、中谷巌や、竹中平蔵はやがて「日本をアメリカに売り渡した男たち」のドラマの主人公となるであろう。日本の資本主義は日本独自であってよい。アメリカが資本主義の正統で、日本が異端だなどというそんなバカな話はない。ファロアーズの『日本封じ込め』以来、ずっとなにかが狂っている。

 私は今日の講演で、90年代前半までの日本がいかに正当な自由競争社会であったかを例をあげて力説した。郵政民営化もアメリカの陰謀に相違ない。

 日米構造協議は海部内閣の時代だった。あのころまだ若かった小泉首相の頭の中に「日本は閉ざされている」という強迫観念が宿ったのであろう。中曽根首相の国鉄と電々の民営化が成功したかにみえたので、残るは郵政と思い込んだのに違いない。

 電々の民営化は時代の要請に合っていたし、国鉄の民営化もまあ仕方がなかった。しかし後者は巨額負債を棚上げして国民の負担として残した侭である。加えて廃線になった地方の山奥の人々を苦しめてもいる。100パーセントの成功とはとてもいえない。

 日本の国力は明治以来、「統合」と「公平」の観念に支えられ上昇した。教育と郵便と鉄道と保健衛生はその象徴である。義務教育の国庫負担削減という最近の政策は、貧乏県の教育を切り捨てるという結果をもたらす。小泉内閣は病院を株式会社にし、治療費を保険と自己負担に分ける自由選択制に切りかえようと画策している。保険の患者は粗末に扱われるようになり、日本の健康保険制度——世界一といってよい——は崩壊し、アメリカのような貧乏人早死制度になり果てるであろう。

 何でも自由競争にすればよいというものではない。郵政の民営化も大いなる疑問である。ストップ・ザ・カイカク!


(10/17削除修正)  
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2004年10月17日

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(五)(前の月の生活に即した所感です)


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お知らせ

(1)10月23日(土)14:00〜16:00
西尾幹二講演会「正しい現代史の見方」入場無料
  帯広市幕別町緑館
主 催:隊友会道東連合会
連絡先:自衛隊帯広連絡部
飯島功昇氏
TEL 0155−23−2485

(2)Voice11月号(10月10日発売)
拙論「ブッシュに見捨てられる日本」25枚

尚同誌に横山洋吉(東京都教育長)、櫻井よしこ両氏の対談「扶桑社の教科書を採択した理由」があり、注目すべき内容です。

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9月15日(水)
 日本時間15日夜、小泉首相がサンパウロで泣いた。ブラジル移民の集いで日系移民の苦労を察してと称して男泣きしてみせた顔相がテレビの画像に何度も映った。私はなんとも説明のできない気味の悪さと嫌悪を感じた。

 老いた横田夫妻に涙がなく、何で「移民の苦労」というような抽象的なテーマで滂沱と涙が頬を伝わるのか。小泉再訪朝の直前、孫のへギョンちゃんの来日要請が伝えられた老夫妻は断腸の思いでこれを辞退し、金正日に会ったら「娘は1995年まであなたの一族の家庭教師であったはずだと問い正して欲しい」と官房長官を通じて切願した。首相は経済制裁はしない、と自分から言い出す前に、なぜこの一言がいえなかったのか。首相の心の中で重要な位置を占めていなかったからである。


『日本がアメリカから見捨てられる日』の第一章の題は「個人の運命にも国家にも無関心なあぶない宰相」である。「情感を持たない機械みたいな人間」ということばも用いている。週刊誌は冷酷非情な人格と書いた。それをきちんと片眼で見て、国民にそうでないと見せるために、サンパウロで泣いてみせたのである。

 一挙手一投足がことごとく自己演技である。真心がない。総裁選に出る以前に、彼が靖国を尊重し、特攻隊に関する歴史知識を深めていたという話は聞いたことがない。それでいて、特攻隊員を思って涙を浮かべたという話がどこかから伝わる。サンパウロで流したのと同じ涙なのだろう。それならなぜ再訪朝前に横田夫妻に会おうともしなかったのか。

 というよりも、再訪朝後の度重なる実務者協議で、くりかえされる北朝鮮の非礼な拒絶を前にこの期に及んでなお「粘り強い交渉を」となぜ苦悩のない、当り前なことばを首相は平然と言いつづけるのか。

 男は簡単に泣くものではない。まして泣き顔を他にさらすものではない。泣きたくても怺えて静かに笑っているのが男子たるものの心得である。親の葬儀でも男は泣かない。焼香客が全部帰って、夜ひとりで蒲団の中で初めて男は号泣するのである。

 どうしてあんなに易々と涙が出てくるのか。どこぞの俳優学校ででも学んだのか。安っぽい涙はまさに感情を持たない人間であることの証拠である。

 男は簡単に泣くものではない。まして泣き顔を他にさらすものではない。
  
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2004年10月20日

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(六)(前の月の生活に即した所感です)

 今これを書いているのは10月16日である。当「日録」をリアルタイムに書いて欲しいという要求があったが、そんなことは私の身体が二つない限り不可能である。忙しいときには日録を書いている余裕はない。最も忙しいときにはインターネットを開いている余裕もない。

 リアルタイムに書けという要求がいかに無体であるかを示すために9月の多繁期を現在の感想と交差させながら回顧しておく。大体次のような毎日である。

9月16日(木)
 明日は人間ドックを予約している。1週間後の22日には、八木秀次さんとの『新・国民の油断』のための第2回目対談がセットされている。ほゞ同じ日に『Voice』11月号の25枚評論の〆切りがくる。両方が同時期に重なるのは無理だと直ちに判断した。

 明日17日には青春出版社の『日本人は何に躓いていたのか』の初校ゲラの校正もどしが予定されている。17日正午がタイムリミットである。私は人間ドックをキャンセルする決心をした。次いで『新・国民の油断』の第2回対談のためにも資料を読み、考えをまとめる時間が必要なので、関係者に連絡して、4日間だけ延ばして、26日(日)にしてもらうことにした。さもないと『Voice』が入らない。

 私は最近日程を変更してやりくりするこんな落ちつかない事ばかりしている。どたばたの騒ぎである。不手際のせいではなく、仕事量が多すぎるせいである。幸い八木さんやPHPのご好意もあって、延期は可能になった。

 私は今、約1ヶ月前の9月の日付をきちんと追った日記風の記録をここに掲示している。理由は、私がどんな風に自己整理して、否、自己混乱して日々を生きているかを公開しておきたいと思ったからである。

 明日17日までに『日本人は何に躓いていたのか』の初校ゲラを見終えて、同日午後から国際政治の新しい資料を一斉によみ始め、22日夜までに『Voice』論文を書き上げる。私でなくても、もの書きはみんなこんな時間の綱渡りをしている。私は大学の勤務がなくなった分だけ楽なのである。

9月17日(金)
 『日本人は何に躓いているか』は4月1日に書き始め、8月15日に脱稿した。(勿論、4〜7月は「江戸のダイナミズム」18〜20回の連載と重なっている)。9月の初旬に初稿ゲラを受け取っているが、十分に見ている時間がなく、後で再校、三校で修正量が多く、苦労することになるが、9月17日、すなわち本日までに初校に一通り目を通して戻さなければならなかった。

 この本は平成16年度の私の出版物の中心の位置を占める。330ページ、10月29日刊、¥1600、初版部数1万2000ときまった。

 現在——10月16日の段階で、三校まで修正の筆を入れ、校了となった。
目次の各章の題目とあとがきの「おわりに」をお知らせする。各章の下に見出し語が並ぶが、これはここでは省略する。

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『日本人は何に躓いていたのか』

目 次

序 章 日本人が忘れていた自信

第一章 外交 ——日本への悪意を知る
第二章 防衛 ——冬眠からの目覚め
第三章 歴史 ——あくまで自己を主軸に
第四章 教育 ——本当の自由とは何か
第五章 社会 ——羞恥心を取り戻す
第六章 政治 ——広く人材を野に拾う
第七章 経済 ——お手本を外国に求めない
 
おわりに

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 ここにも編集者との間で小さなやりとりがあり、変更を余儀なくされている。第一章の副題は最初私が「他国の悪を知る」とした。今でもこのほうが私の真意に近い。第三章の副題は最初「自己本位」とのみした。どちらも今の読者には唐突、または難解であるとの理由で、ご覧の題に落ち着いた。

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 おわりに

 最近日本人は永く忘れていた自信を少し取り戻しつつあるように思える。物事がすべてうまく行っているからではない。むしろ過去半世紀のほうが物事は円滑にはこび、日本人の生活は気楽だった。

 最近の日本は地域紛争の当事国になりかけている。国家財政の行方にもただならぬ不安がある。町には大型化した犯罪が増え、性風俗は乱れ、学校の生徒が昔のように勉強しなくなった。平成に入って、つまり冷戦が終わって以降ということだが、目立って問題が多く発生し、日本はこのまま行けば力を失っていくばかりで、この国は地上から消えてなくなってしまうのではないかと極論する人さえいる。

 こうなって初めて、最近卒然と何かを悟る気運が生じている。私にはそう見える。何を悟るかというと、日本を衰滅させてはならない、国がなくなれば自分の人生も生活も危うい、という動物の生きんとする本能のようなものが動き始めているように見える。

 国家主権というものを過去60年ほど日本人は考えないで済んでいた。最近そうはいかないのではないかと少し気がついた。日本という国を衰滅から守るという考え方が、言論界でも一般社会でも主流になりつつある。それに逆行する考えはこれから恐らく通るまい。

 大切なのは国家だと気がついたとき、忘れかけていた自信をかえって取り戻す心が至る処に見られるようになった。

 私もまた自信を回復しつつある一人である。本書はこのような精神状況を迎え、日本及び日本人を総体(トータル)として、あらためて捉え直し、描き出すという私にとって初めての試みである。

 何しろ日本の現代の全貌を七つの観点から一人で論じ尽くすのであるから、無謀といえば無謀である。うまく論じ得たという自信はないが、今必要なのはちまちました議論ではなく、立体的総合論ではないかという私の意図と野心の一端に共感を持って付き合っていただけたら、このうえもない喜びである。

 本書は平成16年4月1日から稿を起こし、8月15日に脱稿した書き下ろし稿である。

 一書のモチーフを私から引き出し、共に考え、支えてくれた青春出版社書籍編集部の辻本充子氏、並びに背後からバックアップしてくださった書籍編集部編集長の桑原渓一氏に心より深謝申し上げる。

平成16年10月9日
                        西尾幹二

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 以上で本書の方向は大体察知いただけたであろう。9月の前半はこれの初校もどし、9月30日に再校もどし、10月12日三校最終ゲラもどしを実行した。再校、三校ともに修正多量で時間に追われる苦しい日々だった。



10/22脱落個所掲載
10/23誤字修正  
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2004年10月23日

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(七)(前の月の生活に即した所感です)

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お 知 ら せ

Voice11月号(10月10日発売)
拙論「ブッシュに見捨てられる日本」25枚

尚同誌に横山洋吉(東京都教育長)、櫻井よしこ両氏の対談「扶桑社の教科書を採択した理由」があり、注目すべき内容です。

福田恆存歿後十年記念—講演とシンポジアム
日 時:平成16年11月20日 午後2時半開演(会場は30分前)
場 所:科学技術館サイエンスホール(地下鉄東西線 竹橋駅下車徒歩6分、北の 丸公園内)

 特別公開:福田恆存 未発表講演テープ「近代人の資格」(昭和48年講演)
講 演:西尾幹二「蘄田恆存の哲学」
     山田太一「一読者として」
シンポジアム:西尾幹二、由紀草一、佐藤松男
参加費:二千円    
主 催:現代文化会議
(申し込み先 電話03−5261−2753〈午後5時〜午後10時〉
メール bunkakaigi@u01.gate01.com〈氏名、住所、電話番号、年齢を明記のこと〉折り返し、受講証をお送りします。)


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9月18日(土)〜23日(木)
 頭を切り換えて国際政治の現状分析に没頭した。『Voice』11月号に25枚の評論「ブッシュに見捨てられる日本」として発表されたが、題は書く前から編集部があらかじめつけてきていた。

 私は日高義樹氏の論文2篇と新刊本
『日本人が知らないアメリカひとり勝ち戦略』のゲラの一部、及び江畑謙介氏の新著
『日本防衛のあり方—イラクの教訓、北朝鮮の核』、さらに英文と和文の大量のインターネット検索から得た米韓情報を読んだ。A4で300枚くらいはあったろうか。

 米議会下院を7月に通過した「北朝鮮人権法」が丁度上院の審議にかかっていた。私は資料を読むために4日、書くのに2日かけた。丁度資料を読み終わったころ、法案は下院の審議に入り、私が原稿を書き上げた日に北朝鮮のミサイル発射の不気味な情報が流れた。私は同法案成立へいら立つ北朝鮮の威嚇であろうと察知したが、日本の新聞にはそもそも同法案のニュースそのものがその頃もなおほとんど出ていない。日本人は北のミサイルの威嚇意図が何であったかついに分らず仕舞いではないかと、私はマスコミの迂闊さに憤った。

 米議会上院は民主党が修正動議を出したので、いったん動きが止まった。ミサイル威嚇が停止したのも丁度そのころである。私の論文もそこで雑誌校了となった。

 米議会上院の通過は結局10月4日だった。日本のマスコミは「北朝鮮人権法」についてようやく、そして一斉に報じだした。私にいわせれば遅すぎる。

 10月7日付コラム「正論」に、次の関連論文を書いた。本当は10月1日付けでも出せるほど早く私は書き上げていたのに、産経新聞も7日付に延ばし、タイミングを逸した。それでも末尾は十分に新しい見方かと思う。

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金政権崩壊促す米国の「北朝鮮人権法」

——日本政府に求められる自助努力——

≪≪≪ミサイル威嚇のサインは≫≫≫

 北朝鮮のノドンミサイル発射の兆候を日米両政府がつかんだのは9月21日午後だった。22日夜に公表された。結局何も起こらなかったが、何かのサインであったことは間違いないだろう。

 「北朝鮮人権法」というこのうえなく重要な、中朝両国に厳しい内容の法案が7月に米国の下院を通過し、9月21日に上院に上程された。23日付『ワシントン・ポスト』は共和党議員が全員無条件で賛成、そこまで行ったが、民主党議員が法案内容をもっと詳しく知りたいといって留保した。丁度そういう日に当たっていた。

 私は同法案とミサイル威嚇の間には、なんらかの関係があったと推理している。

 同法案は中朝両国の人権侵害を弾劾し、内政干渉となろうがなるまいがお構いなく、「世界政府」的見地から、米国の法律を他国に適用するといういかにも合衆国一流の強引な内容である。

 けれども、これからの北朝鮮に対しては、拉致された日本人と韓国人の情報の全面開示、彼らの本国への全員無条件帰還が認められるのでなければいっさい経済援助の交渉には応じないものとする、というきっぱりした内容をうたっている。

 いったいどこの国の法律であろう。米国の徹底度には目を見張るものがあり、人権と民主主義の総本山としての自負心横溢(おういつ)の文書といっていい。スキあらば日朝国交正常化を行おうとする小泉内閣の姿勢は明白に否定され、退けられたに等しい。


≪≪≪腰が引けた外務省の姿勢≫≫≫

 同法案は脱北者を摘発しては北朝鮮へ強制送還する中国政府を、手厳しく批判し、脱北者を助けようとする外国人牧師などの活動を迫害する中国政府の国際法違反を問責している。

 腰が引けたこれまでの日本政府とは大違いで、日本政府の非倫理性は改めて糾弾されてしかるべきと思うとともに、やはり軍事力の支えがなければ一国の外交に正義と倫理を反映させることは不可能なのか、と改めて痛恨の思いを抱かざるを得ないのである。

 国際協力とかいっている日本政府が脱北者支援のための国家プロジェクトを一度でも考えたことがあるだろうか。

 同法案は北朝鮮の人権回復のために働く団体に年間二百万ドルの資金を提供することや、米政府系「自由アジア放送」を一日4、5時間から12時間に増やすこと、脱北者の保護を中国政府に要求することなど、具体的なプログラムを掲げているが、軍事制裁には触れていない。しかし金正日政権の「転覆」をめざす政治意志は明らかで、法案は上院で28日修正可決、4日に下院が再可決したので、今後米国は同法に従う。

 謎の爆発や相次ぐ大量脱北で末期に近づいている金政権は1988—89年の、まずハンガリー人が逃げて、全面崩壊につながった東欧の状況に似ているように思われているが、決定的に違うことが一つだけある。ハンガリーからの避難民はウィーンなど西側自由圏に直接流れ出した。

 北朝鮮の避難民は中国へ逃げるしかない。これはハンガリー人などが当時のソ連へ逃げるというあり得ないばかばかしいケースに当てはまる。中国の協力がない限り、大量脱出といえども体制崩壊につながらないことを示すが、中国政府にその意志はない。


≪≪≪海外逃避の兆候出た韓国≫≫≫

 盧武鉉が大統領になってから韓国の親米派、自由主義者、富裕層は不快な攻撃にさらされ、北朝鮮が中国化されることを思うと不安で夜も眠れない、と書いている韓国人の文章を私は最近読んでいる。韓国から海外への不法送金は前年の十倍に達し、ロサンゼルスの不動産が高騰している。『中央日報』9月7日付によると、南米型の資本流出、富をそっくり持っての海外移住が始まっているらしい。

 つまり、朝鮮半島でいま起こっていることは東欧の状況に似ていない。1975年のサイゴン陥落後のベトナムに似ている。南ベトナムの人々がボートピープルになって脱出したあの悲劇がまた起こるか否かは、米中両国の意志ひとつにかかっているが、日本の政治意志も全く無関係ではないのである。日本の目の前に迫っている日本の危機である。米政府が求めているのは自助努力である。

 6カ国協議という外交交渉の限界は見えてきた。中国の対日敵意もはっきりしてきた。日本政府は「北朝鮮人権法」に示された米国の法の精神を他人事のように扱っているわけにはもはやいかないはずである。


  
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