Subject:平成14年7月15日        (一)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/02 22:55


 日録と名づけるが毎日記すわけではない。

 7月14日午前8時55分、フィンエア(フィンランド航空)でヘルシンキから戻った。ずっと見てきた北欧の風景から心が離れない。とりわけノルウェイの暗く沈んだフィヨルドのあの静寂の景観に心が縛られたようになっている。広い水面に垂直にそそり立つ断崖、黒い岩肌の上に白い斑点のように散らばる雪、そしていく条も筋をなし岩の裂け目に奔る細い滝。行けども行けどもそんな風景だった。ある日は朝7時から夜の9時まで1000キロを走破した。何処まで行っても水また水だった。しかもその水は海とつながっている。その証拠に山奥の水に鴎が群れている。数百キロに及ぶ細長い入江。入江の水は海洋に近い入り口が浅く、山岳地帯に入れば入るほど深くなり、水深1000メートルに及ぶ地点もあるとか。冷戦時代にはソ連の潜水艦がひそかに侵入していた由。断崖下の水際からいきなり深くなり、そして地上では水際からいきなり垂直に聳え立つ。日本のようななだらかな優しい曲線はない。それがフィヨルドだ。

屈折する地点ごとで名称が変わるから同一名のフィヨルドが海岸にまで達しているわけではないけれども、ノルウェイ西岸のフィヨルドの名は五百余を数えるという。そしてその他に、淡水湖が数え切れないほどに存在する。一体一つ一つに名がついているのかと訝しく思う。もう人間が住めなくなる地球の限界点に近づいている兆しは明らか。それなのにまだ家がある。あぁあんな処に人が住んでいるのか、と思う。日本でならどんな山にも、どんな湖にも名があるだろう。しかしこれだけ限りない数の山と湖の存在にいちいちどうやって名がつけられるのだろう、などと私は子供のような事を考え、首をひねった。事実、私達の泊まったホテルも11月には閉鎖され、道路も氷に閉ざされて通れなくなるという。7月になお寒く、暗い。陽光のあるときだけ明るいが、すぐに天候が変わり、驟雨に襲われること数知れない体験を私達もした。

北欧では今は白夜のシーズンだというのに直ぐ薄暗くなるので、すべての自動車は用心のためにエンジン始動と共にライトがつく仕掛けになっている。法律でそう定められているそうである。夏の日照りの明るい時刻の道路を行くあらゆる自動車にライトが点いて、ピカピカ光らせて走っている情景は、私にはいささか奇異なものだったが、「暗さ」こそが生活のすべての基本をなしていて、常にそこへ照準を合わせているせいであろう。冬には午前10時に夜が明け、午後3時にはもう日が暮れるという。その間陽光はほとんど望めないそうだ。日本の夕暮れ時のような、すべてのショーウィンドーに明かりが灯り、ネオンが色とりどりに輝き始めるあの薄明の時間の情景が、冬の北欧の日照時間内の都市一般の光景であるとの説明も受けた。あぁ、これではとても我々には暮らしていけないなぁと思った。私が訪れた7月3日〜14日はまさに夏の真っ盛り、北欧の人にとっても最良のシーズンといっていい。ストックホルムでは市民はヴァカンスで山荘に行ってしまい、町の中のオフィスビルにも居住区にも人影がなかった。学校は6月半ばから8月半ばまで長い夏休みだそうだが、暑くて勉強できないから休みにするのではなく、戸外で遊ぶのにいいシーズンだから、限られた短い夏の時間を親子ともどもで有効に生かしてもらうために学校もオフィスもいっせいに休みに入るのである。

 やがて間もなく8月になる。
北欧では8月に秋が始まる。8月の末はもう寒い。

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Subject:平成14年7月15日        (二)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/03 09:02


 旅行の間に私は二つの小さな仕事を背負っていた。どちらも旅の妨げになるので、あまり有難くなかった。
 一つは新野哲也さんという方の『大人になるための思想入門』(新潮選書)を新潮社の『波』(2002年8月号)で書評する約束だった。もう一つは「新しい歴史教科書をつくる会」の総会(7月13日)に私は出席できないので、会員を鼓舞するメッセージを旅先からファクスで送って欲しいと言う事務局長宮崎正治氏からのきついお達しである。どちらも安請け合いして旅立ったが、たちまちしまったと思った。
 外国旅行は案外に時間にゆとりがない。二週間でフィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマークを駆け足旅行するので、ノルウェーの四泊の自然体験を除いては、さして充実感を覚えなかった。気ぜわしく、旅程に追いかけられる毎日に、他人の本のゲラ刷りを読み、短い書評を工夫するのは案外に気骨が折れる。「つくる会」総会へのメッセージのほうがずっと簡単だが、気分が今そこにないので、夜ベットの中で気分を盛り立てて書くのに、これまた一苦労である。旅の時間ともう一つ別の時間の中に私は身を置いていた。

 新野哲也さんという方を私はまだ知らない。6月の新潮社のパーティーで編集者N氏に口説かれて書評する羽目になった。彼の口説き方がじつにうまい。N氏は依頼状にも次のように書いてきていた。

    新野さんは、西尾幹二先生の『自由の悲劇』を読んで以来、新書とは
    いえぬほどの中身の濃さに驚嘆し、繰り返しクタクタになるまで読み
    ふけったと言うのです。特に「自由」や「過去」についての人生的捕
    らえ方に感銘をうけ、新野さん曰く、「自分の考え方の根幹に血肉と
    なっている部分がある」というほどです。ニーチェも西尾先生の本で
    ずいぶん勉強したと言っていました。今回、本書を上梓するにあたっ
    て、是非とも『波』で先生にお願いできないものだろうかと言ってお
    られました。

こんな風に言われるともの書きはまず弱く、きっぱり断れる人はいまい。

 精神の血縁関係ということを私はそれなりに信じている。以心伝心で、ほんの少し読むだけで分かってしまうのである。保守とか革新とか、右とか左とかで決まるものではない。私は教科書運動を五年もやってきたが、その運動に携わっている人の中に私の精神と血縁関係を結んでいるとは全くいいがたい人はたくさんいる。またその逆も勿論あり得る。
新野さんは私より十歳年下で、フリーの編集をしながら本を書いている人らしい。哲学者である。というより哲学的思考の型を知っている人である。知識でものを言わない。私にはぴんとわかる言葉がたくさんある。書評の最初を引用してみよう。

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          対話や小話で哲学を語る
       新野哲也『大人になるための思想入門』
 

 この本には筋のいい、アフォリズムめいた名文句が無数にある。
「未来はほっておいても、予定どおりに予告なしにやってくる。何か思いめぐらすまでもなく、明日はいつでもでたとこ勝負だ。」
「なぜ生きるのかと考えることも強迫観念である。生きることは行動する事であって、考えることではない。」
「言葉で説明できるものは底が浅く、役に立たない。理屈抜きに分かる、というのでなければ本当に理解したことにはならない。」
「矢も楯もたまらず、というのが行動の本質である。計画性はないにひとしい。」
「世界はじつに単純にできている。世界を複雑と感じるのが心の迷いであり、弱さである。依然として困難はあるが、困難はどこにでもある。全力をつくし、しくじったら退散する。負けたときは、弁解や負け惜しみなどいわず、黙って負ければよいのだ。」
 引例に既に示唆されているように、「エッセイ風哲学入門」とでも言うべきこの本の著者は、意識が行為の純粋さを妨げ、言葉が感情を増幅し、反省や思索がとかく人間を不自由にする諸相について、ベルグソン、ハイデガー、九鬼周造などを引き合いに出して、ある哲学的認識を示そうとしている。しかし普通の思想書の体裁はとらない。飲み屋のおやじやバーのホステスとの対話、子供時代の思い出、酒を飲んでいる時にふと浮かんだ思考の断片などを大切にし、具体的な自分の体験を尊重して書いている。例えばテニスのサーブがうまくいかないと悩んでいたある夜、眠りに落ちる寸前、身体イメージが絵画的に目に浮かんではっと悟ったという話。むかし剣の達人に、三里先を歩いてくる友人の来訪がわかる人がいて、客人が着いたら風呂と酒の用意がしてあるという話をバーのホステスと交わし、「ホントかしら」といわれ、動物の本能の正確さを語る。「人間が気配に鈍感になった理由は、言葉を用いるようになったからだ」「人間はなぜ下品なのかしら」「野生を忘れているからさ」と応答する。
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 最初に並べた名文句も、私が旅のさ中に丁寧に読み、三十個所も予め抜き出して置いたものの中から選んだ。字数が極端に限られている——書評全体が僅か三枚——ので、面白いと思ったことばも十分に引用できない。私は旅先で書評原稿を書いて送るという約束を放棄し、オスローから新潮社に不可能を伝え、コペンハーゲンでN氏から帰国後二日内に書くようにとの猶予を許諾するファクスを受け取った。

 しかし『波』という小冊子のわずか一ページの片々たる書評に、こんな苦労と情熱が注がれている事を誰が知るであろう。勿論、新野氏ご本人も苦心して一作を著わされたに違いないが、そのご苦心のほども多くの読者には伝わるまい。ものを書くことに注ぐエネルギーとそれに対する報酬(精神的な意味も含めて)の乏しさにはつねづねほぞを噛む思いがする。

 けれども、書評はなされねばならない。書評は他人の仕事を紹介し、論評する仕事だから、著者に迷惑をかけないために細心の注意を要するのを常とする。それがストレスになるので、私は好きではない。私は若いころさんざんやらされた。そしていつも不満足で、書かれた本の著者も不満足だろうなという思いを同時に抱いたものだった。このところ恐らく十年以上、どんな書評もやっていない。それは両方に不満足が残るという不快感のせいである。本当に久し振りである。
私のこの書評は次のように結ばれる。

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 対話や小話で哲学を語るこのやり方が、ぜんぶ成功しているわけではない。軽い無駄口をたたいている部分と、深遠な哲理を語っている部分とが上手く噛み合わずに、前者がむしろ後者の理解の妨げになっている場合さえあるからである。けれども、学者風の論述にあえてしない著者の意図はよくわかる。どんな高度なテーマでも、自分の卑近な経験を基点に語ろうとしているからである。著者がある日没時の、西の空が赤褐色にくすぶった風景をみていて、とつぜん自分が二つの人格に割れて、自分の中のもう一人の自分に出会ったという神秘体験を叙述した章節は、この意味でとても興味深いのだが、体験のもう少し詳しい緻密な解析を書いて欲しかったと思う。

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Subject:平成14年7月15日         (三)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/04 22:01


 新野さんの本にはもっともっと面白いところがたくさんあるのだが、書評は本全体の主題に礼を払わねばならないので、どうしても舌足らずになる。そこで誰にでも分かり易いこの本の面白いところをザクッと引用し、紹介しておこう。本音の出ている個所といっていい。
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 日教組にも負けたが、日本中、伝統が根絶やしになった反体制・左翼カラー一色になっている。街にでてもテレビを見ても不愉快きわまりない。こうなったら多摩川べりの下町で一人ひっそり「晴釣雨読」の日々を生きてゆくしかない。
 日本の左翼は、革命を起こして人民政府を樹立せよ、立て飢えたる者よ、というのではない。中国や北朝鮮に攻めてきていただいて革命植民地になろう、というのである。ぶくぶくと太っているわけだから自力では革命はおこせない。あとは日本という国を骨抜きにするだけである。戦後の左翼はマルキストというより「なんたって左翼はインテリなんだかんな!」の文化破壊者なのだ。マルクス主義者ではなく「エロス文明論」のマルクーゼ主義者なのである。
 マルクーゼは「本能の解放をもって社会的に有用な労働価値と新しい文明を築くべし」とのべた。フェミニズムも同じようなことをいっている。エロス的文明社会は、一切の抑制が消えた餓鬼地獄だ。マルクーゼ主義者がめざす社会は、欲望にあやつられた男女が徘徊する都市の盛り場にころがっている以上のものではないのだ。
 類似品に「管理型社会において人々は文明の奴隷へと転落する」というフランクフルト学派がある。戦後日本は、カビの生えたようなマルクス主義やフロイト心理学、サルトル的実存主義やマルクーゼ主義をごちゃまぜにした同学派のシンパがじつに多い。
 これが日本の戦後民主主義とくに「反戦平和主義」とぴったりと波長が合った。「敵が攻めてきたら黙って白旗をあげろ」とのべた作家がいた。「エロ事に夢中になっていれば戦争をおこそうなどと思わない」ともいった。道徳観念や志、美意識などは無用、そんなものがあるから戦争になるというのだ。
それが戦中・戦後派の気分である。「全体統制がすすむと恐怖社会が到来する」とするフランクフルト学派や「エロスの解放をとおして社会建設を」というマルクーゼに染まったマスコミから教育分野、政・官・財にまで「戦争がおきなければ——何がおきてもよい」という野暮な気分が蔓延しているのである。

 戦後日本では、心配や不安が最大のモチベーションである。日本経済が心配、老後が不安というわけだが、だからといって何か手を打つでもない。ひたすら心配や不安という気分を共有しているだけである。そしてその一方、夢や希望という言葉をもてあそぶ。心配と不安、夢と希望という四つの単語のあいだをぐるぐると巡礼しているのが日本人の気分的世界なのである。
 これが野暮である。気分をおしとどめるのではなく、さらけ出すそのあられなさが世相から思想にまで及んでいる。いまの日本では、気分や感情、心の状態を率直に面や仕種にだす事が人間らしさなのである。
 本物の感情はもっと深いところにある。美しい風景を見てだれもが心を奪われる。ぐっすりと眠った爽やかな朝、小鳥の声がきこえてきたら、誰もが仕合わせな気持ちになる。遠い昔に味わった懐かしい感情がふいによみがえってくることもある。そんなときだれも大声でわらわない。一人静かにその感情をかみしめるだけである。そのクドくないかんじが意気地と諦めをくぐってきたあか抜けということだろう。ハイデガーに学んだ九鬼周造は、そこに日本人の情緒の結晶をみたのである。
 激情は豊かな感情の欠如だったかもしれない。テレビばかり見て激情を発散させていると本物の感情が麻痺してくる。雨上がりの空にかかった虹、道端に咲いている可憐な花を見ても生きた感情が動員されない。人工的な激情に見をませていると、本物の感情が衰え、かえって無情となるのである。
 感情が横溢する社会は、不安にみちている。不安だから感情的になるのではない。感情を噴出させるから不安が生まれる。感情は、円満なコミュニケーションを拒絶するからなのだ。感情は内側におさえこまれて意識となり、意識が言葉を編みだす。言葉がコミュニケーションを可能にして社会が成立した。社会が成立する前提に、感情の奔流をおさえこむ文化が合ったはずなのだ。黒澤明監督の『用心棒』で三船敏郎が演じた主人公の桑畑三十労は気分や感情などのうるさいものをほとんど表情にうかべない。しかし、武士の魂のようなものはしっかりとつたわってくる。三十郎が一人で酒をのんでいる。それだけのことだが、それがすべてだった。それが存在のすべてであるような身のふるまい方があるのかと、わたしは劇場の片隅で小さくうなずいたのだった。

「いき」という抑制の文化が消え、戦後日本は、気分とエロスが蔓延する野暮な国になった。永井荷風は「得ようとして得た後の女ほど情けないものはない」といったが、人権や平等、自由も手に入った瞬間に情けない野暮となる。なぜ日本から「いき」が消えてしまったのか。戦後、九鬼哲学は徹底的に排除されたからである。羽仁五郎は「やぼの構造」と呼びかえて罵倒したが、これを進歩的マスコミが一斉に支持した。反戦平和のアンチテーゼとしたのだ。九鬼は「いき」を日本人特有の優れた美意識だと考えた。ところが羽仁五郎ら左翼は、九鬼の「いき」が日本人の民族意識を高揚させ、侵略戦争のエネルギーをつくったと因縁をつけ、この「民族的存在の解釈学」を抹殺してしまった。
 これが、戦後左翼文化の原点となった。ベルリンの壁が崩壊し、飢えや社会的階級が消えても、血による革命という究極の野暮=マルクス主義が消えても、かれらは破壊すべき伝統や文化、国家や民族が残っているかぎり、預金通帳のゼロの数を数えながら、日本的美意識への攻撃の手を休めない。こうして野暮から転じた破壊主義的感情が戦後日本人の“情動性”となったのである。
 用心棒の桑畑三十郎はいちどだけ怒った。土地の有力者に女房を取られた男の泣き言を耳にしたとき「おれはめそめそしたヤローが大嫌いだ」といったのだ。その後三十郎は一人でしずかに酒をのんでいた。そのシーンがいまもありありと網膜に映る。近所にはジーッと一人で酒をのめる場所はないが、そんな店がみつかったら三十郎のように一人で酒をのみたい。
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 これだけの分量を引用すると、この本の著者の心根が分かってくるであろう。私が共感した所以も理解されるであろう。書評という形式では、本の精神の律動のようなものを伝えることが出来ない。論評とか解釈とか説明とか批判とかオピニオンとかいったものがむなしい所以である。人はなにかを知るには、なにかの実物に自分で直に触れてみる以外にないのである。

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Subject:平成14年7月15日        (四)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/04 22:20


 雨に煙るフィヨルドの動かぬ水面を車の窓からじっと見ながら、私は今度の旅で、ふと涙ぐむ瞬間があった。これには若干の説明を要する。
 私の父や母は戦争のはじまる前にまだ若い方の側に自分達を置いていた。戦争が終わって、生活していくだけで精一杯だったあの食べ物のない困難な時代に私と兄を無事に育て、ホッと一息ついたときにはもう完全に老人の世界に属していた。その時代には大衆規模の世界旅行はまだ始まっていなかった。「お父さんがいつか世界旅行につれて行ってくれるって若いころよく言っていたよ」と母はとうていあり得ぬ空想話のようにときおり語ったものだった。

 私の最初の留学(1965〜67年)は両親の夢を代役で満たしたような熱い思いが一家にあった。そのころ、私の給与は1万5300円、ドイツ政府の私への支給額は月額5万5000円、そして正規のヨーロッパまでの航空運賃は片道68万円の時代であった。今のお金にすれば600万円あまりになろうか。だからヨーロッパに日本人はまだほとんどいなかった。交換レートは360円固定。日本人の持ち出せる外貨は500ドル、日本円は2万円までに限られていた。
 私はいま自分がノルウェーの森林を眺め、山道をずっと登って氷河のそば近くにまで到達するというような奇跡めいた体験を、わずかの時間と計画で思い立ち、実現できるという事実に、心の底で抵抗していた。というのも、空港で二日前に日本人旅行団、大声でおしゃべりする田舎のおばちゃん風の一団が広い待合室の一角を占めていて、近くで聴くともなく聴いていると、その中の一人が、「オスローって、ノルウェイだったのねぇー」と誰か相手に無遠慮な声で話し掛けているのが聞こえてしまったからである。

 あぁ、なぜこんな人までが世界の北端の地に来ることが可能であり、許される状況を我々は迎えているのだろうか。私は父や母のことを思い出し、旅の感傷であろうが、にわかに切なく可哀相で、ふと胸を詰まらせてしまったのだった。

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Subject:平成14年7月15日        (五)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/05 21:21


「新しい歴史教科書をつくる会」の正会員だけから成る年一度の総会が7月13日、私の帰国する前日に行われることは勿論よく知っていた。私はすでに会長を辞任しているので、必ずしも出席しないでいいと思って、旅程を立てていた。しかし私に対する会員の期待と指導力を求める要請はなお大きく、動かぬものがあると事務局長に切実に言われ、それは一寸違うんじゃないかなぁと思いつつも、私は旅先で乏しい夜の時間、疲れた残りの時間に、勇を奮い立たせて、総会出席者への次のメッセージを書いた。これも記録しておきたい。

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 前略
「つくる会」総会ご出席の皆様、お元気ですか。私はいま、ストックホルムにいます。総会に出席できなくて、まことに申し訳なく、残念に思っております。「つくる会」は所期の目的に向かって、田中会長以下幹部全員が、何があっても動揺せず、がっちりスクラムを組んでいますので、この点は何の不安もありません。会員の皆様の結束も、心ある方々の場合、この一年で一段と強まっているように思われます。誠にありがたいことと思っています。
 昨年の夏教科書問題は、中国韓国の圧力と小泉内閣の逃げの体質で思わぬ不運を招きました。そのため国内のマスコミからはひとまず一段落ついたといわんばかりの扱いを受けていますが、ひとびとは心の奥底で決して教科書問題で何が示されたかを忘れていません。サッカーのワールド杯の終了後、日韓関係の未来について楽観と悲観の両方の見方が広く新聞で伝えられましたが、どの記事も必ず将来において歴史教科書問題が再び最大の困難事の一つであることを付け加えています。韓国の前駐日大使の崔氏もそんなことを言っていました。これは「新しい歴史教科書をつくる会」が東アジアと世界に引き起こしたイメージの強烈さ、主張が正当であることの手ごわさを物語るものであり、中韓両国がわれわれを敵視すればするほど、われわれが提起した「日本人ここにあり」の声が力強くはね返り、反響していることを示唆しているのであります。
 瀋陽の日本総領事館における北朝鮮五人家族亡命事件によって外務省は日本人の恥を天下にさらしました。この不始末が教科書検定阻止に動いた一年半前の外務省の悪質な妨害工作と心理的にひとつながりであることは、よほど鈍感な日本人でももはや気づかぬ人はおりません。われわれの問題提起以来、一つの合言葉が日本の政治と外交をゆっくり動かしています。「歴史認識」という一つの言葉です。この分かりにくい言葉が、今では一般語になりました。そしてこの言葉の意味が何であるかといえば、それは今では中国・韓国に対する日本の外交のことであり、謝罪外交の是非の問題であり、ひいては大東亜戦争の新しい解釈の問題だということが、今や国の内外において誤解の余地のない現実となってきました。
 さらに、最近、自民党、民主党、自由党の枠を越えて、超党派の各種議員連盟が提携しあう新しい動きが出て来ました。靖国問題、拉致問題、朝鮮総聯系金融機関問題などの解決を求める議員連盟が、志をひとつにする勢力として、党派を超えて大同団結する萌しをみせ始めています。これは心づよい限りですが、その合言葉は「歴史認識を共にするもの」なのです。
 皆さん、私達のやってきたことは確実に国の動きを変えつつあります。お互い、自信をもちましょう。目立たぬ小さな努力が積み重って山を動かす日もそう遠くないかもしれません。皆さまのご健勝を祈り、遠く地球の北辺よりご挨拶申し上げます。

  平成14年7月7日
                       ストックホルムにて

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Subject:平成14年7月15日        (六)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/06 21:00


 水面が澄んでいるのは水が深いせいだろうか。フィヨルドにも魚はいると聴くが、漁船の姿をほとんどみない。否、船そのものがどの水面にも極端に少ない。たまに見るのは観光船くらいである。水上にも、地上にも、人影をほとんど見ない。山があり、家があり、教会の塔があるというヨーロッパらしい箱庭のような美しい風景が向こう側の岸辺に広がっているところがあった。水面はほんとうに澄み切っている。文字どおりの鏡のようである。

 車が止まった。あまりに美しいので、一行が口々にここに停めてくれと言ったからだ。大きな湖のようなフィヨルドの対岸線を折り返し線にして、水の面に、山、家、森、教会などがそっくり逆さになって反射するように映し出されている。しかも視界いっぱいに迫る大きさで対岸の山は、ここだけは日本の山のように裾野を広げて、左右にゆったりと伸長している。緑なす山容は全景すっぽりとさかさになって水面に反映し、しかも折り返し線の上と下に光、色、形状にまったく区別がないほどに、さながら精度の高い反射鏡に投影されたかのごとくである。

同行者は老人ばかりだったが、みんな子供のようにはしゃいで、カメラのシャッターを切った。

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Subject:平成14年7月16日
From:西尾幹二 (A)
Date:2002/08/07 21:09


 北欧から帰国して、完全な時差ぼけで睡眠時間が混乱し、体調ははなはだ悪い。そんな中で、『波』の書評を片付けた後、私は月刊誌『諸君!』の仕事を即座に二つ処理しなければならなかった。私の断続的な長篇連載「江戸のダイナミズム」は9月号で第9回めを迎える。いろいろな事情で毎号のせられない。歩みは遅々としている。しかし私の今の活動のメインだ。日本の仏教と冨永仲基を論じた今回は47枚もの分量になり、旅にでる前に仕上げて、編集部にすでに渡しておいた。

 二週間の旅から帰ってみると、いつものことだが、郵便物はざっとダンボール箱三杯になっている。処理するのに10日はかかるなぁと溜息をついたその中に、「江戸のダイナミズム」の刷り上った初校ゲラがあった。いくつもの問題点を未解決のままにして旅立ってしまった。ゲラを見ると、校正部から多数の質問の朱が新たに加えられている。すぐにも調査して答えなければならないが、眠くて、気力がなくて、原稿の調整に立ち向かうことができない。丁度そこへ『諸君!』編集部からさらにあらめて、靖国問題のアンケートを急いでいるので、先に送れと言ってきた。そういえばそうだった、と思い出す。旅行トランクに入れておいたが、まだ封筒を開いていなかった。

 北欧の夜の時間が日本の昼の時間なので、どうにも調子が出ない。けれども、アンケートの問いにはすぐに解答してファクスで返送した。次のとおりである。

   総特集『靖国神社』アンケート  『諸君!』編集部

質問① 靖国神社は国民多数が戦没者を追悼する施設として定着
    しているとお考えでしょうか。
    ——小泉首相は先の春の例大祭で「長きにわたって多く
    の国民の間で中心的な施設となっている靖国神社」と述
    べましたが。
西尾  定着していると考えます。

質問② 国が戦没者を追悼することの是非についてどうお考えで
    しょうか。
西尾  是と考えます。神道、仏教、儒教という日本の伝統宗教
    に関する限り、政教分離 の必要はありません。フラン
    スを除く西欧各国はみな国家がキリスト教を保護してい
    ます。ドイツや北欧では国民は教会税を支払い、従って
    一般に牧師は国家公務員です。南欧には教会税がありま
    せんが、与党はキリスト教民主党の党名が多く、日本に
    直せばさしずめ「神社神道民主党」などとなりましょう。
    西欧ではキリスト教によって戦没者を追悼します。アメ
    リカのアーリントン墓地は、他宗教も認めますが、通例
    はキリスト教で追悼されます。フランスが唯一例外なの
    は革命国家だからで、日本が真似する理由はありません。

質問③ 戦前戦後を通じて世界各国の元首、大使、駐在武官など
    が靖国神社を参拝していることについてどうお考えでしょ
    うか。
西尾  ②で述べた理由から、当然のことがなされてきただけです。

質問④ 首相の靖国神社参拝は憲法に違反するとお考えでしょうか。
    また、首相の参拝に関して、公的参拝と私的参拝との区別
    はありうるとお考えでしょうか。
西尾  憲法に違反していません。公的、私的の区別は不要です。

質問⑤ 靖国神社にいわゆる「A級戦犯」が祀られていることを
    どうお考えでしょうか。
西尾  「A級戦犯」は単に旧敵国の裁きによるレッテルで、日本
    人の歴史判断はこれとは別です。靖国神社に遺骨があるわ
    けでなく、日本の信仰では、御魂はすでにひとつになって、
    分割不可能であり、「分祀」などできると考えるのは現代
    人の空想です。

質問⑥ 靖国参拝は軍国主義イデオロギーの復活につながるとお考
    えですか。
西尾  まったく考えません。

質問⑦ 首相の靖国参拝に反対する一部外国(中国・韓国)の批判を
    どうお考えでしょうか。
西尾  中韓の批判は日本をこれで動揺させることができると考えた
    両国の政治的攻撃で、日本が一歩退けば二歩踏み込まれるだ
    けです。かりに靖国神社をなくしてしまったら、次に天皇制
    度をなくせと言ってきます。こんなふうに日本を破壊するま
    で無限にやめないのが彼等の批判の動機です。

質問⑧ 首相が靖国神社に参拝する場合、いつが適当でしょうか
    (例・春秋例大祭、終戦記念日・・・・)
西尾  本来なら春秋例大祭でよいのだと思います。けれども、8月
    15日が問題化しているので、これが実現し、外国の干渉が
    消え、8月15日参拝がごく普通になる日まで、日本として
    は終戦記念日にこだわらざるを得ません。

質問⑨ 天皇や首相が外国の戦没者墓地に参詣することがしばしばあり
    ますが、諸外国の元首などが訪日した場合、靖国神社に参拝し
    てもらうことは適当とお考えでしょうか。
西尾  適当と考えます。

質問⑩ 靖国神社以外の慰霊施設を作ることについてどうお考えでしょう
    か。
西尾  あり得べからざることと考えます。慰霊施設をつくって何を祀る
    のでしょうか。遺骨を全国から集めて持ってくるのでしょうか。
    それとも靖国から御魂だけ移送するのですか。そんなご都合主義
    的なことができますか。いったい誰がお参りにくるのですか。遺
    族や戦友がくるでしょうか。中国や韓国の来賓用の施設にすれば
    よいのですか。

神々に対する冒?だと思いませんか。

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Subject:平成14年7月17日         (一)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/08 23:22


 視覚上の異様な衝撃を受けたのはかなり離れた遠い距離からの眺望だった。はて何だろう、と正体は知らされているのに一瞬戸惑い、眩暈を覚えた。それほどに奇怪だった。

 その奇怪なものの手前には緑の林がつづき、ところどころ家もあり、次第にいつも見慣れた山岳地帯へとそれらがつらなる。全体は普通の風景だった。だからどんどん近づいていくにつれ、その奇怪なものは風景にとけこんでしまい、衝撃はかえって薄れていった。しかし、最初の私の目の驚きはしばらくはつづいた。10分くらい私の眼は車窓から大きな「Y」の文字型の、周囲の風景と不釣合いな白い異物に向けられて釘付けになった。

 黒い円形の山と山の谷間に股裂きになったような巨大な白いYの字はブリクスダール氷河である。7月7日、氷河に近づき、車を降りてある地点まで馬車に乗っていく。これは歩いても行ける距離であるから、観光客用の遊びである。馬車の最終地点から山道を自分の脚でさらに登って氷河そのものの最後の裾の部分に近づく。氷の裂け目は蒼白く光っている。光線の効果であると科学的説明を受けたが、興味はない。同行者の何人かが氷の上をよじ登って歩いたが、私は滑ると取り返しがつかなくなるので、高い尾根からなだれ落ちた氷河の、しかし実際には動いているように見えない最後の部分に近づいて手を触れるにとどめた。

 近づくともうただの氷の重なる巨大な塊りで、衝撃はない。遠くから眺めた普通尺の樹木や山や家などと比較も出来ない異常尺の白いY型の異物を見たときの驚きが心を去らない。

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Subject:平成14年7月17日         (二)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/09 08:50


 馬車には3人づつ乗った。ノルウェーの少女が馬の轡を取って曳いていく。小さい馬である。かなりの急坂で、馬は辛そうにして途中で何度も立ち止まった。私の家内が可哀相だとしきりに馬に同情する。馬車に乗るときカラフルなタオルケットを渡された。巨きな滝の飛沫を浴びる地点を通過するので、そのときに濡れないように体を包んでください、という配慮からだった。

 つづら折りに登っていく坂の途中に木の橋があり、水がさながら頭上から襲い掛かるように落ちて水平になった急湍の上を馬車が通っていく。往き帰りで二度ここを通る。従って往きには下から見上げていた滝のそばを左に見て通り抜け、やがて帰りに上から見下ろしている滝のそばを右に見て通り抜けていく。そのつどすごい飛沫を浴びる。私はタオルケットを楯のようにして掲げた。が、首を持ち上げてふと滝の反対側を見ると、周囲の遠い山々の地肌に無数に幾條もの別の滝が奔流しているのが見て取れる。そして、馬車がつづら折りから直線コースに入ると、いきなり目の前にあのY型のブリクスダール氷河が迫っていた。

 たしかに日本では見ることの出来ない奇観だった。馬車は全部で30分もないが、その行程の半ばあたりに標識があり、19世紀末には氷河の末端はここまで伸びていたと書かれている。距離にしてどれくらいかは分からない。1キロか2キロであろう。氷河後退の証明である。

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Subject:平成14年7月17日        (三)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/10 16:59


 北欧の旅の印象が強いので、当分、「日録」に挟むようにして旅の思い出を記録する。

 北欧はどこも酒が高い。ことにノルウェーではスウェーデンよりも高い。500クローネ、約8000円で飲めるビールの量はノルウェーで4.5リットル、スウェーデンでは8リットル、デンマークでは12リットルだそうである。ノルウェー人は国境を越えてビールや肉などをスウェーデンに買いに行く。スウェーデン人はデンマークに買いに行く。ポーランドではこの同じ金額でバスタブ一杯のビールが飲めるよ、とみんなが軽口を叩き合うという。毎日朝から浴びるようにビールを飲むドイツ人のことを考えると、たしかにノルウェーのアルコールの高額は異常である。中くらいのコップ一杯が50クローネ、約800円もする。

 外国でのお酒の楽しみを半ば旅の目的にしていた私は困った。そこでワインを考えたが、これがみな輸入品だからビールより高く、しかも出されるワインの品質が低い。そもそもワインの選択が出来ない。白か赤かと問われるだけである。私はワインを諦めビール一本にした。ビールがあまり好きではないから味けないことおびただしい。

ノルウェーでは煙草も高い。20本入りの一箱が800円〜1000円もする。私は喫煙しないが、これが日本の煙草よりもはるかに高いことは知っている。嗜好品がなぜこんなに高いか。太陽の出ない日がつづく北欧のあの「暗さ」に関係があるらしい。精神的病気にかかり易く、酒や煙草に逃げる人が多いので、それゆえ値を高くして入手困難にした、という説明を受けたが、いかにも本当のように聞こえるだけに——また半ばは本当なのであろうが——どことなくうそ寒い。

 北欧ではどこの国も税が高いことは世界中に知れ渡っている。国ごとに税率は若干違うが、所得の50〜60%くらいが税であることは共通しており、消費税も25%くらいである。税の上限はノルウェーが53%、スウェーデンが60%である。日本では北欧型の高負担高福祉を理想社会のしるしのように言う人がいるが、太陽の光の乏しいあの「暗さ」とどこか関係があるのではないだろうか。何ものかに身を委ねて、耐え忍ぶようにして生きる永年の生の形式が、個人的欲望の充足より公的保証への依存の方をより心地良く、合理的であると感じさせる感覚を少しずつ育んだのではないだろうか、などとふと考える。

 高負担高福祉は一種の保険の思想の発展形態のように思える。19世紀に生まれた保険の制度は、宗教心を破壊するとたしかブルクハルトが言っていたが、日々の生活が危険のうえではなく、安全第一を考える利便性の上に展開する趨勢は、宗教の減退とほぼ並行している。周知の通り北欧はほぼ100%の住民がプロテスタントである。

 高負担高福祉の制度下だから医療費は全部無料なのかと思ったら、必ずしもそうではないらしい。ノルウェーでは約25000円以上になると無料になるという。デンマークでは薬は自己負担で、長期の投薬の場合にのみ無料になる場合があるのだという。これらは小耳に挟んだ断片的知識なので、専門書を見てきちんと調べてから書くべきかもしれない。ただ、北欧では医療費は全額無料だと私はなんとなく思いこんでいたので、ちょっとした驚きだった。

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Subject:平成14年7月17日        (四)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/12 08:53


 ノルウェーの平均年収は日本円にして340万円ほどであるという。ここから高率の税を取られる。どうやってあんな豊かな生活が可能になるのだろう、と不思議でならない。大抵の市民は夏を過ごす別荘(丸太小屋)を持っているし、車も一、二台は所有している。しかも、子供達は夏休みに別荘に行ったというだけでは、恰好が悪いのだそうだ。トルコやカナリア諸島にでも旅行した、と自慢話ができないと、秋、学校が始まってからいじめられますからね、と話す人がいた。どこにそんな経済的な余地があり得るのだろう、と外から見ているだけの私は不可解に思えてならなかった。

 森の中に別荘を持って夏そこで魚釣りや農耕をして暮らすのは北欧四カ国の市民生活に欠かせない要件のようだ。2万4000もの群島から成り立つストックホルムの場合には、バルト海に散らばる小島にとりどりの別荘が建てられている。私たちはヘルシンキから大型汽船でスウェーデンに向かったので、次々と美しい海上の別荘の建ち並ぶ夢のような情景を見た。スウェーデンの平均年収はノルウェーより少し高いようだ。

 それにしてもよく分からない。北欧は予想以上に日常品の物価が高い。デパートはヘルシンキのストックマンという代表例を一つ見ただけで、他の国のデパートを見る機会はなかった。生活物資は何でも高かった。折畳み式の傘が5000円もする、日本では最近500円の例もあるというのに・・・などと話題になった。フィンランドよりもスウェーデンが、そしてスウェーデンよりもノルウェーの物価が一般に高いと聞いた。

 私達は脂身のある鮭の厚い切り身の料理にたびたび出合った。ノルウェーでの話だが、一般市民は高い鮭はあまり食べないらしい。ノルウェーはEU加盟国ではないので、南国からの野菜も関税がかかり、非常に高い。けれども北海油田をイギリスと共同開発し始めて、国家財政はいっぺんに救われたのだそうだ。この特権をEU加盟国になどなって、奪われたくはないであろう。けれども、一般の小市民は爪に火をともすようなつましい生活をしているのではないだろうか。因みに、EU加盟国はフィンランドとスウェーデンの二国であり、ユーロを通貨としている国はフィンランド一国である。

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Subject:平成14年7月17日        (五)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/15 21:24


 今日の午後は千代田区の九段会館大ホールで私の講演会が行われた。主催は日本公認会計士協会東京会。昨年から頼まれてやっと実現する。北欧から帰国してすぐにこのプログラムが予定されているのが気になっていた。1000人を越える人の集まるかなり大きな企画なので、油断して迷惑をかけてはならない。

 主催者も慎重で、講演内容について4ヶ月も前にすでに詳しい問い合わせがあり、
私は次の3つのテーマを提案して、主催者に選択させた。

 (1) 日本人の自己回復——世界の政治、外交、歴史観にどう対応するか——
 (2) 日本文明の可能性——東洋でも西洋でもない日本——
 (3) “らしさ“の回復——子供らしさ、大人らしさ、男らしさ、女らしさ、
              日本人らしさをなぜ否定するのか——

(1)は経済立国と平和憲法をもってアメリカに対抗し、代償として自国の歴史を失った日本の戦後の現実を前提に、大陸から有形、無形の脅威が強まる今日、この国の国家観、歴史観はどうあるべきかを論じる内容で、去る6月24日、早稲田の大隅講堂で行ったものとほぼ同じである。
(2)は日本国際文化フォーラム主催、外務省後援の、ホテルオークラにおける1月24日のシンポジウム「東洋でも西洋でもない日本」の私の担当第1セッションの冒頭レポートを念頭に置いていた。(読売新聞に公開された)その時のレジュメが手許にあったので、添えておいた。

 すると、今回の主催者の公認会計士協会は理事会を開いて、(3)のテーマに決定したのでよろしくお願いしますと言ってきた。(3)については私は次のような講演会予定内容をあらかじめ伝えてあったので、この指示が興味を引いたのであろう。
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 ゆとり教育を始め、教室崩壊は、自由化・個性化だけをいいつづけてきた文部行政の帰結である。自由には型がなくてはならない。教育の基礎は訓練である。知識教育の軽視は間違っている。昔、子供と大人の間にはのり越えがたい高い壁があった。今は子供はなんの苦労もなく、自分はすでに大人だと思うようになっている。野生動物の子育てをみれば、こういう区別の消滅は人間が自然性を失い、むしろ野蛮になっている証拠である。
 男らしさ、女らしさは権力がつくったフィクションだというような特定勢力の偏った考え方が、公的権力の中に入り始めている。男女共同参画基本法は単なる男女平等の強化のために作られたのではなく、性差を無視するジェンダーフリーの異様な考え方に基く。
 鯉のぼりの“大きな真鯉はお父さん、”・・・・は、家父長制度をつよめる考えだとして、止めるようにというパンフが文部省発行の文書にまで出はじめた。同性愛の結婚を認めるのがこの法律の最終目的である。しらぬ間に官庁や公権力の内部になぜこんなバカバカしい危険な勢力をかかえこんでしまったのか。地方教育委員会発行のパンフをOHPでおみせしながら、目でみて分かる、驚くべき、新しい情報をお伝えする。

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Subject:平成14年7月17日         (六)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/16 16:07


 OHPのシートは八木秀次さんから以前に送ってもらった資料をすでにフィルム化して、これまでにも上映して、成功している。小学校5年の「道徳」の時間に用いる「こだわり度チェック」(三重県教育委員会)をみると、「女の子はサッカークラブに入らないほうがいいと思う」「男の子はピンクの服を着ない方がいいと思う」などの項目に「はい」「いいえ」で答えさせ、「いいえ」を期待しているのだから、私からすれば非常識である。

 山口県発行の「あなたもジェンダーチェックしてみませんか」は大人向きのパンフレットで、「『主人』『奥さん』という言葉に抵抗を感じない」にやはり「いいえ」を正答として期待しているが、これはまことにお笑いである。ただ、私は講演で怒声で非難するようなことはしない。「私たち男は主人と呼ばれても別に主人らしく扱われていませんよねぇー」というと、会場はどっと湧く。「奥さまといわれても、べつに奥座敷に大事にしまわれているわけでもなく、どんどん外に出て行ってしまうじゃないですか」というと、またあらためてわっと笑う。

 こういう案件には笑いを誘うような言い方が良いのだと思っている。なぜならば、ジェンダーフリーとか男女共同参画社会とかいうのはいわば一種の喜劇だからである。なるべく笑い飛ばして、蒙を啓くのがよいのである。

 ただそれにしても、高校家庭科教科書(来春使用の)に「今や同性愛のカップルでも家族といえない理由はない」(教育図書)という記述が初めて登場した事例などを紹介すると、会場はシーンとなって、深刻な表情に変わった。

 「“らしさ”の回復」の大筋は、拙著『歴史と常識』(扶桑社)に一論文として収録されている。講演筆録だから読み易く、平明な文章のつもりだが、それでも「主人」「奥さん」のような冗談までは活字になっていない。

 今日の講演会の主催団体について私には格別の知識はない。公認会計士と税理士との区別すらも私は知らなかった。終わって懇親会の挨拶で、この点での自分の無知をお詫びした。初めてお目にかかる方々ばかりだったが、気持ちの和む、愉しい、お酒のおいしい懇親会であった。