Subject:平成15年2月9日   From:西尾幹二(B)Date:2003/02/09 22:23

 いままた新しい三島全集が新潮社から出始めている。2000年11月から始まっ
ているので、もう相当の巻数になるのだろうが、詳しくは知らない。そのための月報
を頼まれて、次の一文を書いた。没後30年記念出版と銘打たれた決定版三島由紀夫
全集(全42巻)のどれかに収められるはずである。

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 月報      世界史の分水嶺

 アメリカ保守派の論客として知られ、2000年に大統領選本選にも出馬したパトリッ
ク・J・ブキャナンの話題の新刊『病むアメリカ、滅びゆく西洋』を読んだ。この本
は日本をもまきこむ先進国の生命力の衰弱について、人口激減から説き起こしてい
る。彼は若者たちを惹きつけてやまない今日の「解放的」文化が、いずれは彼らを死
に至らしめるであろうと見ている。誰もが気楽さだけを求め、家族のために尽くすと
いう、生物にとっての必然の概念があっという間に過去の遺物となったのは60年代
であった、と回顧する。原因は避妊の普及。繁栄の中を成長した女性たちが母と同じ
生き方をしたいという気持ちを失った。1960年に世界人口の4分の1を占めた西洋系
人種は2050年に10分の1になる。日本人も同じ衰滅の波の中にある、と彼は説く。
出生率は1950年の半分で、日本もまた死にかけている、と。

 この本が60年代末の大学紛争について、またテレビに育てられた世代について
語っているのを読んだとき、私は三島由紀夫の自決とその前後の時代を思い起こし
た。ブキャナンは1938年生れ、私の三歳下である。「シカゴ暴動の起こった1968年は
まさに動乱の年だった。プラハの春を成したチェコの学生たちはロシア軍に立ち向か
い、メキシコの学生たちは首都で軍部に射殺され、フランスの学生たちはドゴールか
らパリを奪う寸前まで行った。彼らの共通項は反戦ではない。数の勢い、豊かさ、安
心、自由、そしてブラウン管を通して目にする世界の仲間たちの前例だ。誰もがテレ
ビに育てられた——パパやママよりよっぽど楽しいテレビというベビーシッター
に。」

 彼はこうも書いている。

 「今やわれわれの世界は逆さまになってしまった。昨日の正義は今日の悪。不道徳
で恥ずべき行為——乱交、中絶、安楽死、自殺——は賞賛に値する進歩的行為になっ
た。」
「西洋におけるキリスト教精神の衰退と、日本における戦前戦時を貫く教義の死に
は、何か共通点があるのだろうか。国家がその使命感を失うとき、独自の民・文化を
持つという国家を国家たらしめる理念を失うときが、国家衰亡、文明崩壊のときでは
あるまいか。私にはそう思える。」

 2002年に書かれ、同年末に翻訳されたアメリカの一政治思想家の60年代回顧に基
く現代弾劾の文章を読んでいると、まざまざと蘇ってくるのは三島由紀夫のあの
「檄」の一文である。

 「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつをぬかし、国の大本を忘れ、国民精
神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態
へ落ちこんでゆくのを見た。」
 「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。」
 「今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自
由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。」

 そう叫んで自決した三島の死から三十余年が流れた。精神状況は当時よりももっと
悪くなった。三十余年の間に三島の経験していない余りにも多くの出来事が起こっ
た。彼はベトナム戦争におけるアメリカの敗退を知らない。ベルリンの壁の崩壊とソ
連の消滅を知らない。日本の高度経済成長とそれのもたらした社会風俗の一大変化を
知らない。オウム真理教と地下鉄サリン事件を知らない。中学生の校内暴力、不登
校、そして少女達の援助交際を知らない。・・・・

 60年代をいわば曲がり角にして起こった道徳の変化、生き方の正負の逆転は、日
本だけの現象ではなかった。日本は世界的な「価値」の地辷り現象のいわば一端に位
置していたにすぎなかったのかもしれない。ブキャナンは三島由紀夫について触れて
いないが、60年代に三島が何を予見し、何を洞察し、そして何に絶望したのかが彼
ならば今にしてやっと分ったというであろう。

 私の記憶でも、60年代末から70年代への大学紛争・赤軍派・三島事件は、時代
を二つに分ける分水嶺であったように思える。それ以前と以後で価値観が変わった点
では、第二次世界大戦よりも大きな著しい割れ目であった。すなわち、他人と世界に
対する無関心の急激な広がり、若さやロマンティシズムの目に余る喪失。至るところ
に現れたのは無気力と無感動、そして価値の区別をしらない人間、等質化された人間
であった。文学の衰退、論壇の崩壊がいわれた。教養主義が消えてなくなり、変わり
に教育問題が立ち現れた。世界文学全集が出版されなくなり、とって代わったのはコ
ミック誌、漫画、そして健康雑誌ブームだった。気がついてみたら日本の人口再生率
は1.3にまで急落し、茶髪とフェミニズムが蔓延していた。

 ブキャナンの言う通り、人口の減少は生命力衰退の決定的な証しである。三島由紀
夫がここまですべて見通していたとはいえまいが、何かに気がついて耐えられなく
なったのではないか。つまり未来は明るく、どこまでも平安で、それゆえに何もつく
り出さず、何も生まず、時間は無意味にただのっぺら棒に延びていくだけの、生の深
い暗さに気がついたのではないか。
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Subject:平成15年2月13日   From:西尾幹二(B)Date:2003/02/13 08:58

 『文藝春秋』誌から次のようなアンケートの依頼があった。

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 小誌『文藝春秋』では、きたる4月号(3月10日発売)にて「各界有識者アンケー
ト『日本の衰亡』を読む歴史書」(仮題)という企画を考えております。

 混迷する経済情勢を中心に、我が国を閉塞感が包む今日、「日本はこのまま衰退へ
の道を歩むのではないか」という声もあがっています。私たちは今、歴史から何を学
ぶべきなのか?そのためにはどんな本をひもとけばよいのか?皆様からご推薦いただ
き、読者の道しるべとなるような記事にしたいと思います。ぜひご協力たまわりた
く、お願い申し上げます。

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 さて、私はいろいろ考えたのだが、思いうかばない。書庫をあさったが分らない。
そんな一冊がしかとあるくらいなら、『国民の歴史』を書くはずがないではないか、
と内心思ったが、まさかそう表明するわけにもいかない。

 考えあぐねた結果、担当者にまず次のような手紙を添えて、アンケート用紙に書名
と推薦理由を書いた。後者の文章は時間をかけ、心をこめている。

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 前略 いろいろ考えたのですが、これはという「歴史書」は思い当たらないので
す。しかし、「日本の衰亡」というテーマには重大な関心があります。私の今の精神
的関心は古代に向いています。日本衰亡は日本人のアイデンティティがぐらついてい
ることにあります。そんなわけで、用紙に記したような内容になりました。稲岡耕二
氏の一連の研究にはずっと注目してきています。日本文化のキーを握っている人で
す。

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   アンケート 「日本の衰亡を読む歴史書」

   書名        著者・編者       出版社

1、縄文語の発見     小泉 保        青土社
2、日本語の誕生     安本美典・本多正久   大修館書店
3、万葉集の作品と方法
  —口誦から記載へ—  稲岡耕二        岩波書店

 コメント: 韓国人のナショナリズムが異様なのは、14世紀より以前の民族の素
性が良くわからない不安にあると私は見る。日本人のアイデンティティの高さが彼ら
には腹立たしい。しかしその日本及び日本人のアイデンティティは今ぐらついてい
る。神話とそれに基く天皇制度では十分に保証されない人が増えている。日本人の心
は今もっと始源を求めている。それは言語である。言語と文字は別である。最初の二
冊は日本語の起源に関する新研究だが、科学的である。他方、稲岡耕二氏は文字以前
の日本語の予感を精神史的に解き明かしてきた。『萬葉表記論』以来の氏の仕事は、
小林秀雄『本居宣長』の立てた問いに、学問的に対応している。雑音の多い古代学の
中で、醇乎精神の本質を貫いている学者として注目している。
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Subject:コーヒーブレイク 9   From:西尾幹二(B)Date:2003/02/12 12:33

 当「日録」が徳間書店から一冊の書物にまとめられ、出版されることは前に報告し
たと思います。
 
 現在、1月末までの全草稿が出版社から送られてきています。加筆、削除などの若
干の修正は加えますが、北欧紀行から始まって今日までの「日録」形式はそのまま
で、内容もほとんど変更しません。

 この本の題名をどうしたらよいか迷っています。良い案があったら教えてくださ
い。「インターネット」は表紙に出さない約束になっています。採用の暁には掲示板
管理人と相談の上、薄謝をさし上げる所存です。
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