Subject:平成15年2月23日 (一)   From:西尾幹二(B)Date:2003/02/25
16:07

 田中英道著『国民の芸術』は予想をはるかに上まわる大作であり、野心作であり、
問題作であり、眞に一つの挑戦の名に値する力作である。細部において異論はあって
も、その壮大な意図と芸術を通じて日本文化の優秀さを世界に訴えようとしている熱
情には、人に迫るものがある。今までの著者の個別の作品を集大成した趣もあるが、
新たにたくさんの本をよみ、研究し、追加した知見も少なくない。

 私に魅力的であったのはやはり前半、第11節の聖武天皇あたりまでの古代文化史
である。この本の二つの中心テーマと私が考える問題提起がそこまでにすべて出てい
る。

 2月22日(土)13:30〜17:30 東京の豊島公会堂で「今こそ見直そう!日本文化の
世界史的価値」という大袈裟な題のつけられた、つくる会主催のシンポジウムが行わ
れ、約束どおり私が司会進行役をつとめた。出席者は田中氏の他には、神林恒道立命
館大学教授、ヴルピッタ・ロマーノ京都産業大学教授、エッセイスト呉善花氏であ
る。

 最初に7分づつ各自に読後感を語ってもらったが、四番めに私も、先述の同書の二
大中心テーマを取り出し、私見を述べた。

 『国民の芸術』の第一のモチーフと私が考えるものは、次の通りである。日本の神
道の神々は偶像となる事を拒んだだけでなく、言葉の対象となることをも謹んだ。柿
本人麻呂が「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」(140ページ)と詠んだ
日本のあり方、神意にそって、余り言葉に出していわない国、いちいち言挙げしない
国、という実情にふさわしく、日本の神々は同時に美術の像として表現されることも
少なかった。そういわれればたしかに天照大神の絵や彫像はほとんどみかけない。ギ
リシャの神々のように、日本の神々はなぜ美術の像として表現されることが少ないの
か。

 田中氏によると、その代わりに「仏像が神の形象化の役割を果たした」(142ペー
ジ)というのである。仏教彫刻が、姿をみせない日本の神の代わりに具象的な姿に
なって立ち現われた、というのである。『古事記』の神々がどこぞの観音や如来や菩
薩にひとつひとつ対応するらしい。春日大社に残る春日大明神の記録がそれを示して
いる。この対比表(142ぺージ)は初めてみて、私もびっくりした。外部に姿として立
ち現れることを拒む日本の神々がもう一度姿を現わすのは、能の中の翁(おきな)であ
る。田中氏は折口信夫の説を引いて説明している。

 ところで『国民の芸術』のもう一つの大きなモチーフは、以上の日本的自己秘匿と
はまったく逆の精神、きわめて西洋的な「個」の顕在化の主張である。田中氏の自論
といっていいが、仏像を刻んだ仏師の個人の名をきちんと出さない日本の習慣、どの
像は誰が創ったかをひとつひとつ様式鑑定を通じて明示すべきなのにそれをしない学
会のあり方にも、美術行政のあり方にも、氏は今度も再び疑問をつきつけている。

 興福寺の十大弟子や八部衆の像は将軍万福の作である。東大寺の大仏を創ったのは
聖武天皇ではなく、仏師、国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)であるという自
説がここでも強調された。将軍万福はドナテルロ、公麻呂はミケランジェロに比肩さ
れている。公麻呂の作品は他にも多いという。東大寺法華堂の巨大な不空羂索観音や
日光・月光菩薩、同戒壇院の四天王、そして有名な鑑真の像もすべて公麻呂の作とみ
なすべきであるとする。

 「この作家認定の試みは、美術史として本道なのだ、(226ページ)と氏は言う。
「『すぐれた』芸術作品は、血肉の通った人間である特定の芸術家によって創造され
ることを忘れてはならない。作者ぬきで作品は論じられないのである。」(249ペー
ジ)

 雪舟の評価に関してもこのテーマがもう一度強調されている。「日本は『作品』の
『価値』ばかりを論じて、一定の『作家』に結びつけることを怠ってきたために、作
品中心の美術史になっている。」(474ページ)
.



Subject:平成15年2月23日 (二)   From:西尾幹二(B)Date:2003/02/27
16:56

 きわめて日本的な精神をうかがわせる第一のモチーフと西洋的な「個」の主張に立
つ第二のモチーフは一見して矛盾しているように思える。前者で田中氏は古代の精神
の体現者であり、後者では現代の美術史家の顔をみせている。

 日本の芸術作品を世界的規模で比較し、広く世に知らしめ、告知したいという田中
氏の終生の悲願のようなものがここにはある。これはよく分かるし、読者にきちんと
伝わってくる。

 柿本人麻呂があえて「言挙げせぬ国」と詠んだ自己秘匿の国柄と西洋的な第二のモ
チーフは一見して矛盾しているようにみえる。この矛盾の中に『国民の芸術』の本来
の姿がある、と私はシンポジウムの第一発言で語った。

 そして最近私が書いた「本居宣長の問い」(近刊『日本の根本問題』所収)の終結部
の文章、宣長の内と外とのはざまに引き裂かれた矛盾を語った文章を私は会場であえ
て読み上げた。田中英道氏の姿勢もまた同じ矛盾にさらされ、そこに日本人の宿命が
あると思ったからである。宣長をめぐるその一文を掲げておく。

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 宣長の「道があるからこそ道という言葉がなく、道という言葉はないけれども、道
はあったのだ。」に、すべてが言い尽くされているといっていいだろう。

 しかしこの美徳は本来外へ主張する声をもたない。言挙げしないことを、むしろ原
則とする。ところが宣長は原則を破り、このような日本人の道なき道を外へ向かって
主張し、言挙げしようとしたのだ。そうしなければ圧倒する外の基準に規定され、近
い山々の面白い風景にさえぎられて、遠景にぼんやりみえる日本人の魂が見失われて
しまいそうに思えたからに相違ない。

 「皇大御國(スメラオホミクニ)」の一語をもって『古事記傳』の序「直毘靈」を始
めた理由はそこにあると思う。自己主張を必要としたという点で彼は近代人なのだ。
さりとて、今の言論界で、皇国イデオローグだなどと政治的偏向をもって宣長を非難
するたぐいの固定観念は、彼にはない。日本人のおおらかさ、言葉をもたない柔軟
さ、道をいわなくてもちゃんと太古から具わっている道、世界宇宙の中での鷹揚とし
た生き方、大自然に開かれ、自分の個我を小さく感じる崇敬と謙虚の念——こういっ
たものを野蛮な外の世界のさまざまなイデオロギーから、彼は守ろうとしたのであ
る。宣長の思想は最初から最後まで守勢的であり、防衛的である。

 さて、しかしさらに考えると、こうしたあり方は一つの矛盾であり、論理破綻では
あるまいか。立場なき立場こそが日本人の無私なる本来性であるなら、これを主張す
る立場というものを立てるのはおかしいではないか。言挙げしないという日本人の良
さをあえて言挙げする根拠はどこにあるのか。我を突っ張らない日本人の自我の調和
をどうやって世界に向けて突っ張るのか。

 宣長の自己表現の激越さは、この矛盾、論理破綻そのものの自覚に由来するように
思える。そして現代の日本人がじつは世界人であろうとして直面しているさまざまな
問題もここに関係しているのではないだろうか。

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 田中氏も「世界人であろうとして直面しているさまざまな問題」のひとつに誠実に
答えようとしているのだといっていいだろう。シンポジウムには500人以上が集ま
り、成功であったと思う。
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