Subject:平成15年3月13日(一) /From:西尾幹二(B)/Date:2003/03/13 20:04

 「フランスはうぬぼれて強国のステータスを要求しているが、過去50年間にフラ
ンスがその地位を手に入れたことはない。国連安保理の常任理事国の席を与えられた
ので、英雄的フランスが反ナチ大同盟の一翼を担ったというつくり話を守りつづける
ことができたが、むしろ実際にはナチに降伏し、対敵協力した国家なのであった。」

 Charles KrauthammerのA costly charade at the UN(金のかかる国連の猿芝
居).Washington Post,February 28,2003 はアメリカ人の本音をさらけ出していてと
ても面白い。

 「半世紀たってフランスの見せかけは値段の高いものになった。われわれはフラン
スをなだめるために安保理決議1441を採択したが、彼らはそれをそっくりゴミ屑箱に
捨ててしまい、さらに何ヶ月もアメリカの行動を引き延ばしてきた。」イギリスのブ
レアを苦しめ、フセインにサボタージュの機会を与え、アメリカ兵の命を砂嵐の危険
にさらす結果となった。「フランスがこういうことをしているのはイラクを抑止する
ためではない。・・・・・アメリカを抑止するためなのである。」

 なんとも腹立たしいといわんばかりのクラウトハマーの筆法は鋭い。フランスは超
大国アメリカに挑戦するブロックのリーダーと自分を位置づけ、自らも大国となる
チャンス到来と張り切っているが、この挑戦はただごとではないですぞと、クラウト
ハマーは脅しをかける。

 「この挑戦には深刻な応答をもってする必要がある。最高の国益問題についてアメ
リカ合衆国の土台を壊そうとしたことに対しては支払うべき代価があるということ
を、われわれは思い知らせてやらねばならない。まず第一に、イラクの砂埃りがおさ
まったらすぐに、われわれは安保理の拡大を強く求めていくべきで、——インドと日
本を新しい常任理事国に加えて——フランスの分不相応で、時代錯誤的な影響力を薄
めていかなくてはならない。」

 さらにいろいろなことを言っている。イラクにおけるフランスの役割はもうあって
はならない。フランスがたとえ心を入れかえても、戦中、戦後をとわず役割はもうな
い。平和維持活動も、石油の契約ももうフランスは関係ない。借款の返済も順序とし
ては最後で、ロシアの後でいい。ロシアはアメリカの政策にただ単に反対しただけ
だ。フランスは「アメリカに反対するよう世界に動員をかけた。」

 NATOについてもこう言っている。冷戦後の同盟は廃れたので、新しい同盟に置
き換える基礎づくりを始めるべきだ。NATOを廃止する必要はない。けれどもトル
コ防衛を妨げようとしたフランス、ドイツ、ベルギーのあのグロテスクな行動はNA
TOの耐用年数が尽きたことを示している。国連とNATOはともに自己不適格のゆ
えに衰徴していくであろう。

 そこで彼の考える構想は、アメリカ、イギリス、オーストラリア、トルコを取り巻
く新しい同盟で、スペインとイタリ—のような古いヨーロッパに、アメリカに深く賛
成した東欧諸国を入れて、多分インドと日本をも加え、テロリズム、ならず者国家、
大量破壊兵器からの脅威を受けた、心を共にする国々が新秩序を目指すべきであろ
う。ドイツは東ヨーロッパへの展開基地だから、再考されうる。

 「以上はすべて明日のプログラムである。今日の至上命題はイラクの戦争に勝つこ
とである。しかし平和をかち得てもそれは単にイラクの再建を意味すまい。それは何
年も前に死亡した同盟の取り替えを意味しよう。その同盟の死亡記事は今年書かれ
た。それはフランス語で、脚注はドイツ語で書かれた。」

 以上のような記事はなかなか日本のマスコミではお目にかかることができない。ク
ラウトハマーは国連を「不思議な国のアリス」と呼んでいる。昨日徳間書店の力石さ
んから電話があって、クラウトハマーはアメリカの外交政策を一番早く予言し、リー
ドし、有効打を放ちつづけているコラムニストだそうである。私が再三引用している
とおり、私と波長も合い、好みの評論家である。徳間でこの人の翻訳を出したいと
言っていたから、ぜひそうするようにと奨めた。

 12日付たしか『東京』夕刊——新聞がどこへ行ったか見えない——に、戦後のフ
ランスにイラクの石油の管理を禁じる法律を米議会が模索していると書かれていた。
アメリカの法律で他国の手出しを禁じようというのだからすさまじい。が、これをみ
るとクラウトハマーの言う方向にアメリカ議会が動いているようにみえる。

 今夕、東京のワシントン・ポストの女性記者から電話があって、政治家石原慎太郎
についてきいてきたので、ついでに彼女に、クラウトハマーの記事をよんだと言って
おいた。
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Subject:平成15年3月13日(二) /From:西尾幹二(B)/Date:2003/03/14 09:16

 イラク戦の後、クラウトハマーが言うようにフランスが中小国に転落し、インドと
日本が抬頭するということがかりに起こっても、これは日本にとって容易な話ではな
い。石原さんのことをきいてきたワシントン・ポストの女性記者にも私は言った。
「軍事的自己決定のない安保理常任理事国なんて考えられないでしょう。」「そりゃ
あそうですね。」「ですから石原さんが短期内閣でいいから、北朝鮮危機に対応し
て、憲法9条第2項の削除だけでも大急ぎでやってくれるといいのですが。」

 『ニューズウィーク』日本版(2003、3、19)にDana Lewis が「拉致家族の訪米と
国際政治の現実」と題して書いている中から二・三句を拾ってみる。

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  ワシントン・ポスト紙も保守系のワシントン・タイムズ紙も、横田家の
  門灯の話を記事にした。横田めぐみがこつ然と姿を消した77年の夜以来、
  彼女の帰りを待って門灯はともされ続けている、と。

  訪米は大成功だった。だがそこに希望ではなく、恐ろしい既視感を覚え
  るのは私だけだろうか。拉致被害者の家族が夢を奪われたように、日本
  の「無垢の時代」もまた失われたのではないかという思いを、私は禁じ
  えない。

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 日本の「無垢の時代」とは? いったい筆者は何を言いたいのだろうと私はあやし
んだ。すると、こんな風にも言うのである。

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  北朝鮮に強硬姿勢を取る今の共和党政権が拉致問題の解決を主張するの
  は、クリントン政権とは別の理由からだ。いずれ新たな戦争を仕掛ける
  口実として、ジョージ・W・ブッシュ大統領が横田めぐみの名を口にす
  る日が来るかもしれない。湾岸戦争ではクルド人、昨年のアルカイダ掃
  討作戦では抑圧されたアフガニスタン国民の名が使われた。来年は拉致
  被害者の番かもしれない。

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 拉致問題がまぎれもなく戦争史のひとこまにくりこまれつつある現実は、この筆者
にいわれなくても、日々、日本人は肌でかんじている。米政府が横田夫妻や蓮池さん
の声に耳を傾けたのが、利用価値があるからにすぎないこともわれわれは分ってい
る。ワシントンでは「悪の枢軸」への強硬論が高まっている今だから、たしかに例外
的に門が開かれたのだ。これを利用しない手は勿論ない。その点で訪米はいいタイミ
ングだったといえる。

 けれども同記事が次のように結ばれると、私の気持ちは複雑になった。

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  ワシントンの大物たちの気が変わらないうちに、拉致被害者の家族が愛する
  人を取り戻せるよう、あるいはせめて詳しい消息を知ることができるよう、
  私は心から願っている。

  だが同時に、悲しい気もする。日本は過去何十年もの間、国際政治の血も涙
  もない現実とは奇跡的に無縁なようにみえていたからだ。

  もちろん、キュートなマンガやお気楽なJポップ、ディズニーのキャラクター
  で身を飾る少女たちの国という日本のイメージは、ただの幻想にすぎない。
  それでも、拉致被害者の家族たちが頼らざるをえなかった権謀術数が渦巻く
  国際政治の世界よりは、はるかにましだった。

  彼らが子供たちに再会できる日が来ることを願ってやまない。ただ、日本が
  「無邪気な子供」に戻れる日はもう来ないかもしれない。

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 アメリカ人には、日本は千と千尋とモーニング娘の国だと思われているのだろう。
日本を「無邪気な子供」と思いたいのは白人の願望だが、わが国の政治家や官僚や新
聞をみている限り、そう思われても仕方のない面がある。

 北朝鮮が地対艦ミサイルを発射しても、「日本には特別の脅威はない」とただちに
防衛庁がコメントを出す国である。かつてテポドンが列島を越えて太平洋に着水した
とき、「あれは人工衛星だった」という北の発表を国民は誰も信じないのに、政治家
と官僚と新聞は北のこの解釈に救われたとばかりに、いっせいに「あれは人工衛星
だった」と符牒を合わせて発表し合い、めでたしめでたしに終わらせた。こういう国
の風景は、外国人からみて日本は千と千尋とモーニング娘の国と思われても致し方な
いような気を起こさせる。

 イラク後の新しい国連の構成が変化し、日本にも発言権が出てくれば、当然ながら
われわれは「無邪気な子供」でなくなり、そこにもう戻れなくなるであろう。

 私が心配するのは、これからの平和維持は「危険な大人」にならなければ不可能な
のだが、それが分らなくて、今のままでいたい、何も変えたくない、外の世界は見た
くもない、子供を大人にしようとしているアメリカがいけない、アメリカとそれに同
調する一部の日本人が悪いのだ、と、だだっ子のように喚き立てる勢力が今から予想
されることである。彼らを現実に目覚めさせることの方がどんな外交政策よりも難し
いし、大切だと思わずにはいられない。
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Subject:平成15年3月15日 /From:西尾幹二(B)/Date:2003/03/15 09:29

 昨日聞いた話だが、イラクが売却した石油の代金は国連に寄託され、イラク政府の
自由にならず、その貯蓄額は100億ドルに達するという。イラク国民の食糧その他の
必要支出は国連が支払うのだそうだ。フランスの裁量でこの100億ドルはユーロに切
換えられた。そのこともアメリカを怒らせている原因の一つだそうだ。

 100億ドルはイラク国民の財産だから、戦後の復興と平和維持に使われることは間
違いない。日本政府が別途復興資金を用意していると聞くが、そんな必要が果たして
あるのだろうか。対イラク債務はロシアが60億ドル、日本が50億ドル、フランスが40

ドルだそうである。ロシアとフランスはこれを取り戻そうと懸命になっているのに、
日本はさほど熱意もなく、なぜかひとりバカをみているのではないだろうか。金融・
外交当局はこういう点でももう少ししっかりしたらどうなのだろう。

 2月24日「路の会」に森本敏氏をお招きしてお話をうかがった。そのときの話
で、日本は対イラク戦後イラクの石油を必ずしも必要としないので、あそこに割って
入るに及ばない、と日本の通産省はなぜか涼しい顔をしているそうである。事情通の
森本氏でさえこの事情はどうにも理解できかねると仰有っていた。

 地球上の現実には私たちの理解を超えている事柄がじつに数多くある。日本の国内
だってかくのごとくである。深く突き入って調べれば、ますます判断のつかない謎に
突き当たるだろう。

 国際政治を動かす動因は数えきれないほどに複雑化している。けれども起こる出来
事はイラク攻撃に賛成か反対かという二つに一つで、じつに単純である。私はアメリ
カが「鎮魂」をいまだ癒されていないから、と単純に考えている。石油利権は結果で
ある。石油利権にこだわっているのはむしろフランスのほうである。

 戦争をしないでも査察は少しづつ進んでいるから、査察期間を延長すればよいとフ
ランス以下の反英米派と安保理議長国はいうが、こういう言い方も私には理解できな
い。アメリカの軍事力が目の前にあってはじめてフセインは仕方なく協力姿勢を示し
ている。アメリカが手を引けばフセインはたちまち協力しなくなるだろう。子供にで
も分る理屈である。そんな理屈を大の大人たちが政治的に利用することが可能になっ
ている安保理の光景、これも私たちの理解を超えている事柄のひとつであろう。
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Subject:平成15年3月16日(一) /From:西尾幹二(B)/Date:2003/03/16 11:25

 Patrick Buchanan の Why the French behave as they do(フランス人があのよう
に振舞うわけ),WorldNetDaily Commentary, March 5,2003 を読んだ。これが3月1
3日付日録で紹介したCharles Krauthammerとはまた一味も二味も違っていて、面白
い。

 「アメリカは二度の世界大戦でフランスを救ってあげたのに、今困惑している。フ
ランス人はなぜ安保理でアメリカに対する反対勢力を組織化するのか。彼らはイラク
に民主主義をもたらそうとするブッシュ大統領の計画をなぜ邪魔立てするのか。アメ
リカがかってフランスに民主主義を回復したのと同じ計画ではないのか。フランス人
は今なぜあんなことをしているのか。」

 パトリック・ブキャナンは「パリから見た二つの視点」を書いている。500年遡っ

16世紀初頭、ハプスブルク家を引き継いだCharles Ⅴに、フランスのFrancis Ⅰが楯
ついた。Francis Ⅰは神聖ローマ帝国の皇帝にも選ばれた勢威絶頂のCharlesの軍勢
に包囲された。Charlesは、今日スペイン、オランダ、ベルギー、オーストリア、ド

ツ、ハンガリー、イタリーに相当する地域の支配権を得ていた。Francisは皇帝の選
にも洩れた怨みと憤りから行動した。1525年、フランスの軍勢はCharlesの力の前に
敗退し、Francisは捕囚となった。屈辱的な平和条約の後に彼はフランスに帰国した
が、再び戦争の準備を始めた。Charlesの支配下に入っていない新しい弱小国軍と同
盟を組み、またひごろCharlesの覇権を快く思わない法皇とイタリア各国の支援を得
て、あらためて戦いを挑んだ。そして再度敗退し、1547年に死亡した。

 ブキャナンはこう書く。「Francis Ⅰをジャック・シラクと読め。Charles Ⅴを
ジョージ・ブッシュと読め。」じつに単純な組み立てだが、アメリカを代表する保守
論客がこんな話を書いているというのはもっと知られてよいのではないか。日本のマ
スコミにはまったく出てこないアメリカ人の感情の一面だ。
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Subject:平成15年3月16日(二) /From:西尾幹二(B)/Date:2003/03/17 19:05

 パトリック・ブキャナンが「パリから見た二つの視点」と呼ぶ二番めは次の通りで
ある。

 「フランス語はかってヨーロッパ各国の宮廷語だった。プロイセンのフリードリヒ
大王は『私がドイツ語を話すのは私の馬に対してだけだ』と語ったほどである。しか
し今は、アメリカ人が英語を話すので、英語が外交、インターネット、グローバル・
エコノミーの言語になっている。」

 「かってフランス文化は支配的だった。今日、フランス文化は競争力さえもってい
ない。ヨーロッパ人が見ているのはアメリカのテレビと映画であり、読んでいるのは
アメリカの書籍、雑誌、新聞である。カンヌ映画祭はアカデミー賞と張り合うことが
できない。」

 まあそんな風に言って、アメリカに二度戦争で助けられたこともフランス人は内心
腹立たしく思っていて、同じようにアメリカの覇権を腹立たしく思って反対している
怨恨派各国を糾合し、大同盟を組んで、フランスはその先頭に立って、対米バランス
・オブ・パワーの一翼を担おうとしているのである、というのである。

 もはやヨーロッパにロシアの赤軍は戻ってこない。フランスはわれわれアメリカの
防衛をもう必要ないと思っている。NATOだって、過去の対米依存を思い出させるから
もう考えたくないのだ。

 けれどもヨーロッパを守るためにすべてをやってきたのはわれわれアメリカではな
いか。彼らは自分を守ってくれと懇願する日が再びくるだろう。自分を守るためにわ
れわれの軍隊を金で買おうとする国も現れるだろう。そうなったらヤンキー・ゴー・
ホームと黄色い声をはりあげる代りに、ヤンキー・カム・バックと合唱するようにな
るだろう。

 ブキャナンはこう結論づける。
 「以前から言われてきたように、われわれアメリカ人は鼻もちならない帝国主義者
なのである。外交上われわれがミス・マネージを犯したことのせめてもの慰めは、反
アメリカの旗を掲げたのが無益無害なフランス人であって、もっと手に負えない、戦
略上のライバル、ロシア人や中国人ではなかった事実である。」


 クラウトハマーと違って、ブキャナンの眼中に日本はない。発想が内向的である。
国際社会の新しい動きを見ているのではなく、アメリカ人の「怨恨」の情に焦点を当
てている感じがする。少しいやらしい印象である。カラッとしていない。フランスが
フランスの優越を言いたがる以上に、アメリカがアメリカの優越を言いたがってい
る。

 フランス人にブキャナンの言うような救いがたい傲慢、「地中海は文明の尺度」と
いううぬぼれのあるのは確かである。けれどもアメリカのヨーロッパに対する文化優
位は映画やテレビなど現代の現象文化だけである。ブキャナンにそういう謙虚な自己
認識がないのは残念である。伝統的なヨーロッパの文化優位は動いていない。同様に
アメリカの日本に対する文化優位も政治や外交語など表層的である。映画やテレビの
影響は最近小さくなっていると思う。日本にはヨーロッパと同様に、アメリカによっ
て浸蝕されない文化がある。日本人はもっとしっかり自覚する必要がある。

 保守派の代表論客のブキャナンが内向きで、他国に対して無知だということを知っ
ておくのは参考になる。クラウトハマーの方がずっといい。
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Subject:平成15年3月18日 /From:西尾幹二(B)/Date:2003/03/18 08:53

 本日拙著『日本の根本問題』(新潮社、¥1700)が刊行されます。店頭に出ると思い
ます。よろしくお願いします。

 本の広告は朝日が本日、読売が22日と聞いています。その他に夕刊の朝日と毎日が
28日、読売が31日と伝えられています。この前後の『週刊新潮』にも出るようです。

 今年は初夏までに6冊を各社から出します。こんなに集中するのは偶然で、私の人
生でも例外であり、人生最後の打上げ花火かもしれません。花火の跡には黒々と深い
闇が広がっています。私はそのころ68歳を迎えます。

 けれども、来年の今ごろ、とても大型な出版を開始しているかもしれません。3月
10日にある出版社と話し合い、企画は推進されそうで、決まればご紹介します。
あっと驚く巨大企画です。やっぱり私はまだ闇に没するわけにはまいりません。とり
あえず本日の新刊をよろしくお願いします。
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Subject:平成15年3月19日 /From:西尾幹二(B)/Date:2003/03/19 08:57

 国連尊重主義は戦後に特有の幻想である。冷戦時代米ソ両国が拒否権を連発して、
国連は機能していなかった。冷戦が終わって、湾岸戦争とその後のカンボジア問題で
曲がりなりにも有効にはたらいたような錯覚がある。しかし実際に現実を動かしたの
は国連ではなかった。

 いろいろな人が国連尊重主義にとらわれた日本のマスコミの空論をいま批判してい
る。西村眞吾氏がご自身のホームページに書いていた所見に私は賛成である。志方俊
之氏が3月16日付産経新聞コラム「正論」で述べた、民主主義を破壊する努力をお
さえるのにどれだけの破壊が許容されるか、という問いから国連が背を向けていると
いうご説にも共鳴する。

 ところで、1990(平成2)年11月5日私は産経新聞同コラム「正論」に次のように
書いている。少し長いが、全文引用する。湾岸戦争時代を思い出しながら、読んでい
ただきたい。12年半前の文章だが、今そのままに通用すると自負している。

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       中東の危機は極東にも危機
     ——安易な国連尊重主義の日本——

 冷戦という従来の構図がゆるみ、その後新しい世界の権力構造が再編成されようと
してまだされないでいる時期——それが今だと思うが、イラクのクェート侵攻は、多
くの人が指摘した通り、その空隙を突いた、思いがけぬ角度からの挑発であると思
う。また、フセインが読み切れなかったのは、米ソ両国がすでに話し合いのできる状
態になっていた新しい変化で、しかも米国が世界監視者の役割をまだ捨てていない段
階にあることである。

 もし米国の中東作戦が失敗したらどうなるだろう。私はいまそれを憂慮している。
アジア、アフリカ、中南米には独裁者がごまんといて、米国が失敗しフセインが成功
するのを、かたずをのんで見守っていると思う。フセインが成功したら、隣国に侵攻
してももう大丈夫と、あちこちで領土分捕り合戦が始まるのではないか。ことにアフ
リカが危ない。東アジアでも、中国による台湾の武力併合、朝鮮半島の不安定化、
フィリピンの共産化、その他、いろいろな可能性が考えられる。一番うっとうしいの
は、伝統的に日本を敵視している朝鮮半島が統一して核武装し、日本列島と対峙する
構図である。可能性はそれほど大きいとは思わないが、あり得ない話ではない。

 中東作戦が失敗したら、世界のあちこちが不安定化する。ことに太平洋地域におけ
る米国の軍事的プレゼンスが後退すれば、日本は今のままではとうてい済まない。米
国のプレゼンスは、日本の軍国主義化を防ぐ「びんの蓋」だということをよく言う人
がいるが、米国人が主張するのならともかく、日本人がこんなのんきなことを言って
よいのだろうか。日中友好関係のひとつ取ってみても、米国の軍事力の支えによって
可能になっているのだ、という当り前のことを、日本人は忘れ過ぎている。なぜなら
中国は三百万の陸軍を持つ核武装国だからである。

 中国が日本の自衛隊を見て、軍国主義化がどうのこうのという資格はまったくな
い。そういうことをときどき中国が言うのには、底意がある。ご記憶のある方もあろ
うが、中国は対ソ脅威でおびえていた時代、日本の防衛力はGNP比3%まで伸ば
し、ソ連の脅威に対抗すべきだと、日本をそそのかしていたのである。ことほどさよ
うにご都合主義的である。中国の抗議などは、友好国としての外交辞令をもって、礼
儀正しく聞き流しておけばよろしい。

 さて、米国の中東作戦の成否は、これほどまでに東アジア情勢を左右するのだが、
多くの日本人の論調をみていると、中東の今度の事態を自分たちに直結する緊急の課
題だとはまるきり思っていない人が、大半だということには驚かされる。平和団体や
革新勢力だけがそうだと言うのではない。日本政府までが、中東危機を米ソの和解の
谷間に起こった、自分自身に突きつけられた新しい問題、東アジアの問題だとはまっ
たく考えていない。その証拠に、政府が国連尊重主義をまたしても持ち出している気
楽さ、安易さを考えてみるがいい。

 なぜ人は、左も右も、国連、国連と言い立て、国連を正義の御旗とするのであろう
か。じつにもって分らない話だ。

 周知の通り、国連は今まで無力な存在であった。冷戦時代が終わって、国連が何ほ
どか機能しているかのごとき幻想が今始まり、これからますます機能してくる、とい
うが、果たしてそうだろうか。米国が国連に背中を向ける時代が来ることだってあり
得る。じつは現在の国連も、米国の軍事力があってはじめて機能しているのだ、とい
うことを忘れてはいけない。米国の迅速な判断と行動があって、国連はその力の実効
性を追認したに過ぎない。まず国連で決議し、それから国連軍を結成し、などとやっ
ていたら、フセインのような人物が出て来たときに間に合わないではないか。

 それに、例えば中国のチベット弾圧に抗議して、日本と米国が国連を舞台に何らか
の外交行動をしようとしたとする。しかし安保理常任理事国である中国の拒否権に
あって、国連は再び機能しないであろう。東アジアでは、中国の気に入らないこと
は、国連を通じてでは、何も実行できないはずである。

 「国連平和協力法」は日本の防衛行動を国連に縛りつけ、不自由にする法律であ
る。同盟国米国は、日本は自分よりも国連の方を尊重しているのだろうか、と猜疑心
を抱くことになろう。

 防衛行動はつねにフリーハンドでなければいけない。もちろん、米国にも一方的に
縛られるのはまずい。けれども、実際上の力を持つ米国との軍事的協調の維持こそ
が、日本の安全にとって不可欠である以上、米国に対しては少しずつフリーである方
向を目指しながら、合理的に共同していかなくてはならない。そのために米国にある
程度縛られるのは、今後ともやむを得ないのである。

 ところが、国連相手ともなると、そうではない。何の頼りにもならない、空虚な
フィクションである国連に自国の防衛を永久に縛りつける今度の法律は、果たして日
本の未来のためになるであろうか。

 それに国連は第二次大戦の戦勝国や往時の植民地宗主国によって、線引きされた国
境に区切られた国々が各一票を有する。そのため、二千万ともいわれる中東のクルド
族にも、六百万のチベット人にも、一票もない。国連は今後、地球の民族問題の多発
する可能性に対し、いぜんとして無力な存在でありつづけるのではないか。

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 現在問題になっていることは、ここですべて言い尽くされているつもりである。

 以前松本健一氏が国連の合意がある場合にのみ日本は国連軍の指揮下で、PKOを
派遣できるという国連中心主義を、日本国憲法に明記すべきだ、という意味の、自分
で自分をしばる内容のことを言っていたのを思い出す。これは状況次第で日本は自滅
してよいという思想である。よくこういうことを言っていた人が今でも左と右の両方
のメディアに上手に顔を出して生き永らえているとも思う。読者はどうか贋物を見分
け目を養ううえでもっと厳しくなってほしい。(3/20一部修正)
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Subject:平成15年3月22日 /From:西尾幹二(B)/Date:2003/03/23 00:43

 今年は寒い。お彼岸を過ぎたのに、寒さが終わらない。昨年は桜が満開になってい
た頃合いだ。

 イラクで戦争が始まった。実際に戦争が始まると、それについては、私はもう何も
語ることばを持たないし、語る気にもなれない。

 3月24日の「路の会」に江畑謙介氏をお願いしていたが、その頃は何が起こるか
分らないからお約束できないと、いったん内諾していただいていたのに取り消され
た。当然である。

 江畑氏は純軍事的なことにのみ関心を限定しようとなさる方である。ほんの少しで
も話題が外へ出ると、それは政治の領域ですからといって避けられる。そういう慎重
な方である。逆にいえば自分のお立場を徹底している。テレビによく出ておられる
が、余りテレビ解説者型ではない。

 私が何を言おうとしているかというと、私——あるいは私たち一般——はちょうど
その逆の位置関係にあるということをである。戦争をめぐる政治、経済、歴史文化に
ついて、私たちは推理を働かせることができるし、饒舌である。しかし、戦争そのも
のについては語ることばを持たない。江畑氏のような厳格な専門家でも、饒舌にはな
れないのが普通だ。NHKテレビで氏がときどき判断を保留し、「そこはよく分らな
い処です」と立ち停まるようにして仰有るのは知的誠実さの現れであり、氏の発言に
好感がもてるところである。

 戦争が始まって、テレビをたしかに見たくなるが、テレビはとたんにシャッターが
下ろされたように現実を見せない。情報を伝えることばも限られていて、不完全で、
もどかしい。今は何が起こっているのか、われわれにはまったく分らなくなっている
のである。

 夜闇に閃く光や爆発は確かに画面に出ているが、それは単なる映像である。テレビ
の観客には、劇映画の空襲シーンと変わるところはない。第一夜の40発のトマホー
ク、要人会談中を狙い撃ちした計画外の急襲はわれわれをびっくりさせたが、ハイテ
ク武器でも人間のやることは中世の刺客となんら変わらない珍腐さであって、かえっ
て興ざめだった。

 私が今までテレビの映像から戦場をありありと実感したのは、『国民の歴史』にも
たしか書いたが、ボスニアへルツェゴビアの戦いで、最前線の街中の瓦礫の重なる小
路で、幼い子供達が棒きれを銃代わりにして戦争ごっこをしているシーンであった。
どんな処でも子供は遊ぶ。どんな恐怖をも遊びの種子にする。戦場では戦場そのもの
が遊びになる。それでようやく、画像に写されているものがほかでもない、戦場であ
るということを私は納得した。

 今度の戦争で私はまだそういう映像を見ていない。何が起こっているのかまったく
分らない。
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