Subject:平成14年7月24日         (一)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/27 19:43


 金完燮さんの『親日派のための弁明』という本が話題になっている。最初、産経の黒田特派員の囲み記事かなにかの紹介で知った。あっという間に翻訳が出て、版元の草思社が送って下さった。草思社はこのところずっといい本を出している。これはと思う本を必ず送ってくださる。

 しかし私はまだこの本を読んでいない。今年の上半期に、日本人の書いた韓国に関する注目すべき本が二冊出た。『親日派のための弁明』の感想はいつか必ず書くことにして、二冊の本、すなわち中川八洋『歴史を偽造する韓国』(徳間書店)と勝岡寛次『韓国と歴史は共有できない』(小学館文庫)に注意の目を向けておきたい。

 中川さんは冷たい認識を熱く書く人だ。この本もそうである。1910年の韓国併合で日本は韓国を同胞として扱った。日本の利益を度外視し、朝鮮人の側に立ち、日韓は兄弟だ、祖先は同じだ、などと言って自他の区別を明確にしなかった。それが間違いのもとだと中川さんは言う。今日の度外れた日本に対する韓国の干渉、国境の存在を無視しているかのような無遠慮なもの言いは、韓国人の側にも「自他を区別しない」甘えがあるからに相違ない。

 かつてイギリスやオランダが植民地に対して、冷徹な無関心と無感動で対応したように、昔の日本も朝鮮を単に保護国として扱い、余計なお節介や世話をやかなければその方がずっと後くされがなくて良かったのに、そういうことのできない日本人の体質が私も嫌いだし、中川さんもよほど嫌いなようだ。『国民の歴史』の第32章「私は今日韓問題をどう考えているか」の中で、私は「日本人はいいこともしてあげた」なんていう女々しい未練がましいことは口が裂けてももう言うな、と書いたが、あのときの私の気持ちと通底するものが中川さんの今度の本にはある。

 けれどもこの『歴史を偽造する韓国』は、ひどくストレートな題名とは反対に、学問的に緻密な叙述、データや数表でしっかり論証した本である。そして、日本は内地の犠牲の上に莫大な投資をして朝鮮に梃子入れするくらいなら、あの国を保護国のままにしておき、当時の余分な資金は、ソ連の南下を防ぐことに注いで、むしろ沿海州を日本はしっかり押さえるべきであった。日韓併合は大きな損であった。「自他の区別」をあいまいにしたままの「併合」は大失敗であった、という大胆な歴史解釈を展開している。

 日韓併合を弁解している本ではない。失敗だったのは日本が罪を背負っていまなお苦しんでいるからではない。「併合」は日本にとって政治的にも、経済的にもマイナスであり、無意味であって、それゆえ「併合」を推進した当時の政治家たちは日本を害し韓国を裨益したかどで批判さるべきだ、という従来の歴史観をくつがえす新しい認識である。「自他の区別」をあいまいにした結果、いま「日本の韓国化」という耐えられない逆襲を受けているともいえるからである。

 まだはっきりしたことは分からないが(まだ読んでいないので)、『親日派のための弁明』と案外に共通する一面をもっているかもしれない。正反対の表と裏をはり合わせると一枚になるという関係があるかもしれない。

================================================================================

Subject:平成14年7月24日         (二)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/28 20:09


 中川八洋さんは「路の会」の最初からの有力メンバーである。同会は一冊の討論本(『日本人はなぜ戦後たちまち米国への敵意を失ったか』8月25日刊予定)をつくった関係で、春先から5月まで休会していた。6月25日に久し振りに再開した最初の集まりで、中川さんの上記の本を取り上げ、論評し合う機会を持った。あらかじめ西岡力さん、呉善花さんに論評役をおねがいしていた。お二人とも大きな異論はなかった。

 その日は黄文雄さんの『韓国は日本人がつくった』(徳間書店)という、もっとセンセーショナルな題名の、しかし中身はしごく真面目な、朝鮮史に関する知られざる知識の一杯つまっている本も、中川さんの本と一緒に討議の対象にさせてもらっていた。呉善花さんはむしろ黄さんの本について多く語り、時間の関係で中川さんの本は十分に読む余裕がなかったと言っていた。けれども、この二冊の本を、韓国へ帰る飛行機の中でよむ予定だったけれど、題名にやはり気が引けて、本のカバーを剥がして携行しようと思ったものの、それでも人目に立つので持っていくのを止めたと仰有っていた。やはりご苦労があるようだ。しかし本の内容については彼女はいたく感服していた。ことに黄さんの、古い文献を駆使した李朝秘史には目をみはらせるものがある。漢文よみの黄さんの史料渉猟能力に、なまなかの日本の朝鮮史専門家などはとうてい太刀打ちできないのではないかと思えてならない。

 中川さんの本についてはメンバーからいろいろな論評が出て、細部に異論もあって、討議は揺れたが、本の本来の主題を誤解のないようにビシッと要約し、異論を押さえた八木秀次さんのもの言いが印象的であった。

 中川さんは歴史の見方という点で、ひとつの新しい、きわめて独創的で、これからの日本人にとって大切な史観を提出している。学問的な手続きも踏んでいる。黄さんは自由即興的な書き方で、自分の知識をどんどん思うがままに叙述する書き方で、学問的な形式とか枠とかにこだわらない。お二人はそれぞれが良さをもっている。中川さんは大変に緻密な頭脳の持ち主である。黄さんは博識家である。私は二人にともに舌を巻く。

================================================================================

Subject:コーヒーブレイク  3
From:西尾幹二(B)
Date:2002/08/30 20:09


 昨日8月29日に「路の会」の会員にお伝えしたメッセージを「コーヒーブレイク3」として、ここに公開します。「日録」から一ヶ月時間を先に飛ばした例外ですが、ご報告させていただきます。

===============================

「路の会」の皆さまへ

 前略
 この度、みなさまのご支援で、『日本人はなぜ戦後たちまち米国への敵意を失ったか』を徳間書店より出版させていただく運びとなりました。みなさまのご協力と徳間書店の力強いご支持に心から感謝いたします。

 去る8月27日、恒例の暑気払いの席上でもご相談申し上げましたが、ご欠席のかたにもお伝えしなくてはなりませんので、あらためて一筆させていただきます。

「路の会」は9月から以後しばらく、予想される米国のイラク攻撃を念頭に置いて、この方面の軍事情報その他に通じた専門家のお話をたてつづけにお伺いしたいと考え、さしあたり最初は9月24日(火)に志方俊之氏をゲストにお迎えします。「路の会」は天下大乱に具え、信頼しうる情報を共有するために結成されました。この当初の趣旨をここでこそ生かさなくてはなりません。緊急のときには月に二度会合をもつこともあっていいと考えています。

 しかしそのために新しい会員の自由なスピーチの参加、会員の拡充がおろそかになりかねません。そこで場合によってはスピーチの担当は後回しにして、会員としてのご参加を承認するような方々のケースが出てくるかもしれません。ご了承ください。

 ところで、討議本第二冊目は、「路の会」のメンバーの構成からみて教育論でいくのが一番いいように思えてなりません。仮題『日本の教育をダメにした根底にあるものは何か』を企画しています。その内容として予想されうるテーマは、①ゆとり教育、②国語教科書、③ジェンダーフリー教育、④少年犯罪と教育、⑤教育基本法、⑥エリート教育、⑦文部行政批判、等々が考えられますが、いかがでしょうか。これを全部やるというのではなく、また前回のような全体討議スタイルそのままでいいかどうかも検討の余地があります。1〜2月討議、4月刊が希望です。会合のたびにご相談をさせていただくつもりです。

 以上とり急ぎご報告申しあげます。夏の終わりに向け、各位のご健勝をお祈りします。
 
                            不一

                           西尾幹二

追伸 なお27日の席上でも力石さんよりご案内がありましたが、
   『日本人はなぜ戦後たちまち米国への敵意を失ったか』の
   印税配分は、全額を頭数で割る単純計算とさせていただき
   ます。小額であることをおゆるし下さい。刷り部数は初版
   7000部です。

===============================

 なお現在「路の会」の例会案内が送られているメンバーのリストは次の通りである。(順不同)


   石井公一郎、伊藤憲一、入江隆則、大島陽一、尾崎護、小田村四郎、小浜逸郎、
   坂本多加雄、桜井よし子、高橋史朗、中川八洋、藤岡信勝、松本健一、
   八木秀次、井尻千男、遠藤浩一、岡本和也、小田晋、勝岡寛次、片岡鉄哉、
   黄文雄、呉善花、桜田淳、高森明勅、田中英道、種子島経、西岡力、萩野貞樹、
   東中野修道、宮崎正弘、吉野準、西尾幹二

 新たに9月例会から元住友商事副社長、現経済産業調査会理事長の木下博生氏、日本政策研究センター所長の伊藤哲夫氏の御両名が、正式メンバーとして新加入されます。

================================================================================

Subject:平成14年7月24日         (三)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/09/10 17:05


 この日は「路の会」の7月の例会があり、『韓国と歴史は共有できない——日韓歴史共同研究のまぼろし——』(小学館文庫)を書いた勝岡寛次氏をお招きした。勝岡氏とは何度かお目にかかった覚えがあるが、親しいお付き合いはまだしていない。

 今年上半期に日本人の書いた注目すべき韓国論のもう一冊がこれである。私は一読後感服した。内容がいちいち納得がいくだけでなく、書きっぷりに感銘したのである。引用が非常に多い。普通はそれが邪魔になって、読みにくくする。ところが同書では、引用個所が精選され、施線でポイントが強調され、しかもそれらが的確に配列されていて、他の文とうまく溶け合っている。だからとても読み易い。頭のいい人なのである。

 ベストセラーになった氏の前作『韓国・中国の「歴史教科書」を徹底批判する』(小学館文庫)は合本の風があり、まとまりが悪いので、今度の本は進境著しいとみて、贈呈いただいてすぐに葉書の礼状を出した。「この本で貴君は言論界の第一線に立ちましたね。」と書いた。正直私はそう思っている。

 各章の冒頭についている「まとめ」の文章から二箇所を引用しておく。本の趣旨をよく伝えている。

 第二章「過去の共同研究を振り返って」、韓国は自らを“絶対善“とし、
     日本を“絶対悪“と決めつけてきた。一方、日本には、韓国への
     贖罪意識から『自己規制』したがる勢力が存在し、いたずらに日
     本の歴史教科書の分析・批判だけが行われ、韓国の歴史教科書を
     日韓共同で分析・批判するという視点は決定的に欠けていた。」

 第四章「今回の共同研究は日韓両国政府の政治的思惑による妥協の産物に
     すぎない。そのため、学問の自由は確保されていないし、韓国側
     のナショナリズムを再燃させる場になることは火を見るより明ら
     かだ。『歴史認識の一致』など最初から目指すべきではない。ま
     ずは第一歩として、その違いを確認することから始めるべきであ
     ろう。」


 本日、この勝岡さんをお招きしてお話を伺った。5月25日に初会合が開かれた『日韓歴史共同研究委員会』に関するさまざまな情報が整理されて、伝えられた。その中から興味深い一例をここに記録する。

 平成13年10月15日訪韓した小泉首相と金大中大統領との間で行われた首脳会談において、歴史教科書問題がとり上げられたことはよく知られている。「つくる会」教科書の採択不首尾をいわば手土産にした首相の謝罪外交再演などと悪口をいわれた例の訪韓である。このとき、小泉首相より、「学者・歴史の専門家で公平に判断できる協議の場を設けること」が提案された。興味深いのは、それに対する金大中大統領の応答のことばである。応答のことばが、韓国の報道と日本の外務省の報告文とで微妙にくい違っている。

(A)は「朝鮮日報」10月15日付
(B)は日本の外務省のホームページ・10月16日付
今ここでは(A)と(B)の微妙なくい違いだけを問題にする。

(A) 金大統領=歴史は過去の問題だが、歴史認識は現在と未来の問題。
   ドイツは戦後、侵略戦争に対し謝罪・賠償し、徹底した歴史教育を
   行って、残虐行為の遺跡を保存して過去の歴史に対し十分に反省し、
   必要な措置を取った。その結果、ドイツは周辺国の信頼を回復し統
   一過程でも周辺国の同意を得ることができた。われわれが日本に望
   むのも、まったく同じこと。日本は若者たちに歴史をきちんと教え
   ないといけないが、そうでない場合、日本の若者が過去の歴史を知
   らず、韓日の国民は話が通じ合えなくなる。日本国内の良識ある世
   論などに耳を傾けて、正しい歴史記述を行うべきだ。

(B) 金大統領より次の発言があった。
   98年以来、著しく発展した日韓関係が教科書問題等により停滞し
   ている状況は非常に遺憾。本件は、日韓関係の根幹に関わる問題。
   韓国国民の感情と懸念を理解頂き、近隣諸国条項に対する十分な配
   慮を望む。

(A)の内容に私が承服していないことは周知の通りで、反論はじつに簡単にできるが、今内容の適否を言っているのではない。金大中は相変わらず多分こんな内容の事を言ったのであろう。問題は(B)の外務省による要約文に、とつぜん「近隣諸国条項」が出てくることである。ごらんのとおり、金大中はこの語を使っていない。外務省が安易に使っている。わざと意図的に使っているのかもしれない。韓国側が「近隣諸国条項」をいつも持ち出していることを示したいのか、それとも外務省がこの語を用いれば日本国内へのおどしになると思っているのか、あるいは不用意につい使ってしまうほど無意識にこの語がいつも外務官僚の心の中にあるのか、たいへんに興味深いひとつの事実である。

 以上の指摘も勝岡寛次氏に依る。

================================================================================

Subject:平成14年7月26日         (一)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/09/11 19:31


 8月3日に東京の九段会館ホールで「つくる会・夏の祭典」と称する大きな催しが企画された。私はコーディネーター兼パネリストということで全体の設計を委ねられた。

 会の関係者が交替でコーディネーターを演じる方針は、宮崎事務局長によって立てられた。昨秋と春先に、それぞれ田中英道氏と高橋史朗氏が、また本年9月28日には藤岡信勝氏がコーディネーター役を引き受け、シンポジウムを主宰することとなった。私は上記三回のどのシンポジウムにも、パネリストとして出席することさえもあえて遠慮したいと考えていた。また事実、顔を出さないで通している。

 私はもう代表の座を退いたので、あまり前面に出ない方が良いと考えたからだった。これからは田中さんや藤岡さんや高橋さんや坂本さんや高森さんがもっと前面に出るべきだし、また実際にそうなっていくだろうと思っている。

 「新しい歴史教科書をつくる会」の運動は、私の晩年の6〜7年を占領してきた。残りの人生にはやりかけているいくつかのライフワークを完成したいので、自由な時間が欲しく、会長を辞任した。しかしなかなか完全には手が抜けない。

 昨年9月11日の米国の同時多発テロで、日本はイスラム過激派になんの関係もないのに、保守勢力の中にこれに同調する反米感情が激発し、「つくる会」をもまきこむ勢いだった。私があえてこの潮流に反対したのは、「つくる会」を守る気持ちからだった。(拙著『歴史と常識』扶桑社刊・参照)。たとえ自分がこのために不当に侮辱されるなど傷ついても、やるべきときはやはり断乎やらなくてはならない。

 歴史認識をさし当り棚上げして現実のテーマに取り組むのが、成熟した国家間の外交であり、政治というものである。世界の先進国はみなそうしている。米露でさえ今そうなっている。日韓のように歴史認識が外交のトラブルとなるというのは異常で、不幸な例外である。日米は日韓の関係ではあり得ないし、あってはならない。ワンパターンに「反米」を叫んでいる一部の日本人は、ワンパターンに「反日」を言いつづける韓国人によく似ている。

 今、米国のイラク攻撃が取沙汰されている。むつかしい時代に入ってきている。けれども、日本の安全と繁栄の維持がどこまでも前提である。世界の動きを冷静に眺め、大きく過ったことのないようにしなくてはならない。

 加えて、歴史研究とか教科書づくりとかの立場は、時代の激しい動きに余り振り回されないように、二歩も三歩も距離をもっていた方がいい。そんなふうに考える私は、私個人の保守感情に基いて行動しているだけだが、結果的にいつも「つくる会」の立場を意識し、これを守ろうという感情にかられている自分に気がついて、後から自分でも自分がおかしくて笑ってしまう。私は責任者の立場を退いたはずだ。自分にそう言いきかせているのにそうなっていない。

 私は二・二六事件の青年将校のような行動にも、感情にも同調する気はない。こういう方向の革命めいたことを口先で言っているだけで、実際に自分はなにも行動しない、というのはなおいけない。

 人間は自分にできることは何か、を起点にして考えていかなくてはならない。自分にできないことを他人に強要するようにして煽動的に語る人のことばを私は好まない。

 これは学生運動などの空虚を笑ってきた私の若い頃からの感情の原型であって、「つくる会」とはなんの関係もないはずなのだが、結果的に、時代の大きな曲がり角で、会を激流の中に無責任に放り出さずに済んだ原動力となった。いま会は落着いた安定期に入っている。

 7月の総会で中西輝政、遠藤浩一、九里幾久雄、新田均の四氏を新理事に迎え、会の若返りを計ることにも成功した。中西氏の理事就任は会にとってとても大きな収穫である。九里氏は西洋史家で、ただ一人年配者だが、いずれも私には気心の知れた方々で、安心できる。(九里氏とは30年来、遠藤氏とも20年来の知己である。)

 そんな事情で、「つくる会」の袋の中に閉じこめられていて抜け出せない私は、「夏の祭典」のコーディネーターを引受けることをついに覚悟した。これが私の主宰する最後のシンポジウムになるのかな、などと考えつつ、春ごろから準備に入っていた。

 第一部がコンサートで「教科書から消えた唱歌・童謡」川田正子と森の木児童合唱団。第二部がシンポジウム「今、あらためて問う!日本人はなぜ敗戦の打撃から立ち直れないのか」。

 シンポジウムの長いテーマは私の発案である。『正論』10月号に掲載される予定である。

================================================================================

Subject:平成14年7月26日         (二)
From:西尾幹二(B)
Date:2002/09/13 15:04


 シンポジウムのような企画がどんなふうにして進められるのかを、少し話しておきたい。

 会場の設営から人間の配置にいたる準備のすべては事務局によってなされる。第20回シンポジウムなので手慣れたものである。パネリストの発言に関わる問題にだけ、私は事務局長から相談を受けた。7月22日に全パネリストに私は自分で書いた次の文章を送った。

===============================
          シンポジウムのすすめ方について

 前略 8月3日の「つくる会」シンポジウムにパネリストとしてご参加くださいますことを、心から御礼申し上げます。

 テーマ「今、あらためて問う!日本人はなぜ敗戦の打撃から立ち直れないのか」は、人によって異なる反応を誘うきわめて広い内容です。しかも、このたびは五人のパネリストの年令差に一定の幅ができるように工夫されていますので、とうてい一つの話題にまとまり得ない多様な内容を暗示しています。

 五人のパネリストは、それぞれ専門や関心を大きく異にして生きてきました。そこで、最初におひとり15分の持ち時間で、ご自身に特有のテーマ、ご自身の人生の価値観で、この問いに自由に対応して下さい。政治、文化、外交など人により題材がまちまちになっても構いません。ただ設問のテーマを意識して(若干テーマからズレても構いませんが)、今の日本人に訴えたい重要なお話を簡潔かつ印象的に、しかも面白く語っていただきたく、あらかじめまとまった話を用意しておいて下さるようお願いします。時間が短いことをお忘れなくおねがいします。この第一発言でシンポジウム全210分のうち概略80分近くを消費してしまうことになり、ここで「トイレタイム」(10分)をとります。

 そこで、二周目は前より短い時間、おひとり5〜6分程度で、もう一度順序どおりに語っていただきますが、このとき単なる自説の補足説明ではなく、他の方の発言への感想や意見や反論を混じえていただきたいのです。第二周目をディスカッションのスタートにいたします。順調にいって、二周目の終了時で120分ほど経過し、残りは90分程度になります。本当にその時90分残っていれば幸いです。

 この後はフリートーキングで、発言はおひとり2〜3分、超過したら私が旗を掲げます。そして、テーマは司会者である私の誘導にまかせて下さい。全員が関心をもてるいいテーマがみつかったら、そこへ集中的に議論を運ぶようにいたします。第一発言は私もパネリストとして15分の話をさせていただきますが、第二発言以後は時間の都合をみながら、私は調整役に回ります。私は短い質問を挟みながら進行させていただくかもしれません。

 パネリストの発言順は牛村圭氏、遠藤浩一氏、中西輝政氏、草柳大蔵氏、西尾幹二という順序にさせていただき、二周目までこれでいきたいのですが、いかがでしょうか。第二周目の発言になってからフリートーキングにかけてはできるだけ他の人の補説、異説、疑問の提示などで会場がエキサイトする方向を心がけていただきたくお願いします。

   平成一四年七月二十二日

                 「つくる会」第20回記念シンポジウム
                  パネリスト兼コーディネーター 西尾幹二

 パネリスト各位