Subject:平成14年9月18日
From:西尾幹二(B)
Date:2002/09/19
16:03
〔8月から、9月半までの『日録』はあとから少しづつ追加掲示されます〕
17日、日朝首脳会談をテレビで追った。午前11時頃から夜中まで、少し途中中
断したが、久し振りにテレビを見つづける体験をした。
小泉首相が立って待たされているところへ、金正日がお供をつれてやってきた。三
分くらいだろうが、相手を待たせるのも威嚇効果がある。1時間で午前の会談が終っ
た。2時から再開され、全体が3時半で終った。合計2時間半である。短いのに驚い
た。
昼食は別々の部屋でとった。緊張した会談らしく、成程と思ったが、日本代表団は
日本からの持参のお弁当を食べたと聞いて、エッと驚き、おかしくて少し笑った。相
手国に何と言ったのだろう。「お食事を用意します」「いえいえご迷惑はおかけしま
せん。弁当を持っていきますから」「あゝそうですか。分りました」というような会
話が双方の外務省の間で交されたのだろうか。
なんだかとても奇妙だ。
幕の内弁当であったらしい。総理は手をつけなかったようだ。食事の一時間のあい
だに、宣言文書に調印すべきか否かが議論され、総理は緊張なさっていたのだろう。
安倍官房副長官が調印に対し慎重論を述べ、総理がそれを抑えたと伝え聞く。
18日のNHKニュース時間帯に安倍さんがそのときの議論の内容を語った。日本
人8人死亡の事実に対し、金正日が拉致を認めず、謝罪もしなかったら、調印しない
で帰ろう、という合意が日本側にはできた。ところが2時に開会されたら、予想に反
し、金正日は全部を認めた。行方不明ではなく拉致であると語り、動機、目的もあけ
すけに説明し、謝罪もした。これには日本側代表団は意表をつかれ、おそらくギョッ
としたのであろう。
総理は6時半からの現地記者会見の席で、金正日は「率直に」謝罪したと、この三
字を少し声を高めて強調していた。金正日の思い切った自己暴露は効を奏したのであ
る。韓国へのスパイ潜入目的が告白された。拉致の動機説明は、私も初めてきいたと
き、その隠し立てのなさが驚きであったし、韓国にも局面の新しい転換として受けと
られたと、今日の新聞は伝えている。
けれどもお昼のお弁当を食べていた部屋に、当然盗聴マイクが仕掛けられていて、
会話の内容は全部つつ抜けだったのではないだろうか。金正日は「率直に」謝罪した
のではなくて、総理と安倍さんの対話から日本側の内輪の決定を知って、先手を打っ
たまでであろう。
尤も、日本側も盗聴されていることは承知で大声で喋ったという説もある。とする
と「率直に」の強調は総理の日本国向けの芝居ということになるが、はてそこまで演
技のできる人か。
現地の記者会見が終りかけたとき、最後の発言者(共同通信)が追い撃ちをかけるよ
うに「国家犯罪とは思わなかったのですか」と総理に問い正した。このとき小泉さん
の顔に一瞬ドキリとするような緊張が走った。そして、「それもこれからの会談でと
りあげていくことになります」と答え、さっと記者会見を終えた。私はこのときま
で、「国家犯罪」という認識が総理の頭の中にはまったくなかったのではないかと思
えてならない。ただ強い道徳的抗議をしただけではなかろうか。国家犯罪となると、
国家意思で謝罪し、賠償しなければならなくなる。場合によっては国際法廷の場に立
たされる。そこまで認めさせて調印すべきであったとの考えは当然である。
記者会見をきいている限り、総理には成功意識だけがあり、帰国して、例えば「猛
批判 たじろぐ官邸、拉致こんな悲惨な結果とは・・・・」(読売9/18夕刊一面
トップ)といわれるような事態が、テレビを見ていた日本の国民の中に湧き起こるな
どという予想はまったくなかったように思われる。
やはり日本人の外交交渉は淡白である。18日の反響をみていると、小泉訪朝と宣
言文書調印について、賛成しているのは政府および与党首脳たち、そして共産党、社
民党であるのが面白い。民主党、自由党はみな反対。「拉致」への謝罪の文言のない
文書になぜ署名したのか、という反対意見から、10月の国交正常化交渉はとり止め
よ、という拉致議連の強硬意見まで、強い抵抗は与党自民党をさえ二分している。
加えて興味深いのは、成功はあったと歓迎したのは韓国、中国、ロシア、国連、注
意深く今後を見守りたいとしたのが米国であったことだ。
国交正常化交渉に入る前に拉致の実態調査、責任者の処罰、謝罪と補償の決着が前
提としてどうしても必要だとどの新聞もが書いている。けれども、これが無理だとい
うことに気がつくのにおそらく時間はかかるまい。日本人は相手国が普通の法意識を
もつ国だと何となく誤解している。責任者の処罰なんかできるはずがない。責任者は
金正日その人だからである。ムリに処罰させれば、金正日の身替わりの誰かが無実の
罪を背負うことになるだけである。実態調査も雲をつかむような話になるだろう。補
償金は、日本が負担する経済援助の中から支払われることになるだけだろう。その分
の積み上げを要求してくるかもしれない。
バスの中で刃物を振り回した17才の少年がいた。北朝鮮の行動はこれに似てい
る。われわれ周りの者は遠まきにして、できるだけ刺激しないようにするか、取り押
さえて刃物を奪うか、どちらかしかない。今までは前のようにしていた。今度はじめ
て後のようなケースになりかかっている。取り押さえて刃物を奪ってくれるのはアメ
リカである。
アメリカの高官はイラクについて、「ガラガラ蛇が庭先にいるとき黙って放ってお
いてもいいのですか」と言った。北朝鮮もガラガラ蛇である。日本列島の裏庭に住ん
で久しい。
9月11日の同時多発テロ以来、日本のマスコミには「反米」の感情が広くただよ
い、なかにはヒステリックになってテロリストに同情する向きもあるようだが、金正
日というガラガラ蛇がしおらしげに頭を垂れて、裏庭の草薮の中からでてきたのは、
アメリカのパワーのせいである。これでよく分っただろう。「反米」で大見栄を切っ
ている連中は、アメリカ依存心理に甘えて、子供みたいな強がりを言っているにすぎ
ないということが。
テレビにも、新聞にも、拉致問題をなぜ今まで放置したのかと政府や外務省の今ま
での姿勢を非難する声がしきりである。しかしガラガラ蛇を退治するには、それなり
の防護服と用具が必要である。憲法9条の改正に反対してきた日本人に、拉致問題放
置の責任を問いただす資格はない。
私は5月16日の『産経』コラム「正論」に次のように書いた。
「人はあまり公言したがらないが、短期間でアルカーイダを掃討した米空軍の爆弾
の威力が、北東アジアの力関係に、影を落としていないはずはない。息をつめ、声を
殺していたのは、金正日氏であり、江沢民氏であった。そして、日本がこの機を利用
して、まともな国家として立ち上がるのを手伝おうとしているのがブッシュ政権であ
ると、大雑把にいってよいであろう。いずれそのうち日本の首相は、八月十五日の靖
国参拝をさえ、米空軍の支援で実行するというみっともないていたらくの倒錯を演じ
るのであろうか。」
最後の靖国のくだりはブラックユーモアのつもりである。靖国の英霊はアメリカと
戦った人々である。日本は敗戦のままだということを意味する。
テレビを今度みていて、不思議に思ったのは、北朝鮮との会談に総理がもち出す
テーマを掲げたボードに、1位 拉致問題、2位 植民地支配の謝罪と補償、3位
ミサイルと核開発とかいてあって、キャスターが3位を取り上げるときに、「これは
アメリカが最大の関心事としているテーマです」「先般ブッシュ大統領との会談でア
メリカからたのまれたテーマです」というようなことばかり言うのである。NHKで
もどこでもみなそうである。
冗談ではない。これはどう考えてもおかしいのではないか。拉致も大切だが、ミサ
イルと核開発こそが日本の最大の関心事であり、緊急課題であるはずなのではない
か。テレビのキャスターや解説する大学教授たちはいささかとち狂っているのではな
いか。外交と軍事を他人任せできた心理のままであり、外務省を批判する資格は彼ら
にはない。第二、第三の拉致が起こっても、こんな日本人のままでは、やはり何も手
を出せまい。
拉致は北朝鮮ではニュース報道されなかった。共同宣言文に拉致の二字は入らな
かった。当然である。金正日は外国からならず者とか暴漢とか思われることは平気で
ある。国内の権威、尊敬、体面だけが守るべき一線である。国外では突っ張り少年の
ように振る舞ってむしろ得意でいるのではないか。
ガラガラ蛇にも家族がいる。家族は首領の世評を知らされていない。これを外から
どうやって家族に知らせるか——この地域が本格的に動き出すための条件である。
.
初出稿09/18[A10:20], 修正①09/18[P11:23], 修正②09/19[A10:23],
最終稿
09/19[P04:03]
最新考
Subject:平成14年9月21日
From:西尾幹二(B)
Date:2002/09/21
07:25
9月18日付当該『日録』で日朝首脳会談のテレビ報道の分析を試みてみたが、
終ってすぐに『産経新聞』コラム「正論」欄(21日付)に次の一文を草した。
======================
米と協調し「金体制」崩壊の戦略を持て
“朝鮮半島を日米に近寄せる大計画を”
《《《 「北」続くとの前提を持つなかれ 》》》
ベルリンの壁が崩落してから十三年経った。この間ヨーロッパに行くたびに、アジ
アでなぜ共産主義体制の崩壊が起こらないのかと聞かれた。しかし今度の日朝会談で
ようやくアジアにも地滑りの兆しが見えた。
とはいえ、独裁者の居直りなどのアジア的不徹底さがまだ尾を引く。中国にも、共
産党を解党したゴルバチョフのようなすっきりした幕引きは現れない。北朝鮮も国外
逃亡した東独のホーネッカーや、銃殺されたルーマニアのチャウシェスクのような、同
国人にもわかる形をまだ見せない。
しかし、ヨーロッパと同じ時代の動きが始まった。金正日は「拉致」が北朝鮮によ
る国家犯罪であることを事実上認めたが、ユーゴのミロセビッチ大統領の犯した体制
の犯罪に等しく、いずれは国際法廷の場に立たされる運命となる規模の質の犯行であ
る。
人は拉致の責任者の追及をというが、責任者は金である。日本政府ならびに外務省
は、この認識で対応しなくてはならない。間違えても、金体制がいつまでもつづくと
いう前提で、それを温存する方向で、国交正常化交渉をすべきではない。北朝鮮を決
して信用していないアメリカの理性をむしろ頼みとしつつ、東北アジアからテロ国家
を一掃し、その残滓もきれいに拭い去った後に初めて日本の巨額の経済支援がなされ
るという未来の方向に、自国の国家戦略をしっかり打ち樹てて立ち向かっていただき
たい。
《《《 東欧解放倣い、情報鎖国破れ 》》》
北朝鮮各地で飢餓救済に当たってきた米国の国際開発局のナチオス局長の新著によ
ると、大飢饉は今や人民軍を廠い、兵士の多くは家族が餓死したという悲惨な体験を
有し、その原因が政権にあるとの認識についに達している。独裁政治は揺らぎ、内戦
の可能性も高い。金正日の言動にも人民軍への恐怖を示す兆候がはっきり出て来たと
いう(『産経』九月十一日)。なりふりかまわぬ今回の「拉致」や「工作員」に関す
る独裁者の自己告白は、足元に迫っている彼の恐怖と動揺をむしろ証明している。
ミサイルの輸出と開発の中止、さらに配備ずみのミサイルの撤去という日韓への段
階的危険除去は、米朝協議に委ねられるほかないであろう。ならば、経済協力という
人参を馬の口先にぶら下げる日本政府の交換条件は何であるべきか。私は東ヨーロッ
パの解放の例にならうべきだと思う。ルーマニアを除いて、東ヨーロッパには西ヨー
ロッパのテレビ・ラジオの電波が自由に流れ込んでいた。印刷物の自由化はすぐにと
はいかないだろうが、韓国や日本からの電波の自由化、それを受信できるテレビ・ラ
ジオの大量のプレゼント。政府が受信を妨害しないための核査察ならぬ情報査察の実
施。映画の自由化。そしてやがては書籍の搬入可能化。インターネットの国際接続
化。
両国が「近くて遠い国」でなくなるためには情報鎖国の中止以外にないことを絶対
条件とすべきである。
《《《 民主主義国家に仕立てる道 》》》
アメリカとの共同で北朝鮮を民主主義国家に仕立てる—それが日本の国家戦略でな
くてはならない。幸いアメリカはイラクとともにあの国に「悪の枢軸」の認識をも
つ。ある米高官はイラクについて「ガラガラ蛇が庭先にいるとき放って置けるか」と
言ったが、北朝鮮が腰くだけになったのもアメリカの決意と力である。日本は脅威除
去に動くアメリカの妨害になるような、何にでも使える無差別援助は絶対にすべきで
はない。
しかるに日米協調の朝鮮半島の民主化を、ロシアも、中国も必ずしも望まないとい
う現実がある。韓国でさえも北に心理的に接近している。日本の共産党、社民党も現
状維持を期待している。面白いことにみなこの勢力は小泉訪朝を成功とみなし、歓迎
した。アメリカだけは注意深く今後を見守りたいと態度を保留している。
困ったことは周辺諸国の思惑が、金正日の延命であり、小泉訪朝はそれに役立つの
ではないかと期待されていることである。もともと朝鮮半島はいま、大陸勢力に属す
べきか、海洋勢力に属すべきかの迷いの中にあり、韓国の金大中政権は北朝鮮を尊重
し、中国に傾斜した。韓国野党はこれに疑問をもち、アメリカ路線に戻ろうとしてい
る。
小泉政権の半島政策は、北朝鮮に対してはもはや遠慮無用のこの機を利用し、金体
制を崩壊せしめる方向へ戦略を重ね、アメリカとの協調によって、朝鮮半島を中露の
大陸勢力から日米の海洋勢力へとり戻す大計画を展開しなくてはならない。
(にしお かんじ)
==========================
18日付の新聞の朝刊は読売、朝日、毎日、産経、夕刊は読売、朝日、毎日、東京
を駅前で買い集めてていねいに読んだ。毎日の記事が案外にいいのに感心した。読売
も安心してよめる。夕刊は読売が良かった。
平生の私は新聞ぎらいで、今は産経一紙しかみていない。産経の夕刊がなくなっ
て、読む負担がそれだけ減ってむしろホッとしている。それくらい新聞に無関心な人
間である。
ところがこういう事件が起こると、数紙を集めて、徹底して隅々まで読む。色ペン
でしるしをつけながら読む。しかし不思議なことに、上に掲げたコラム「正論」欄を
書くに当って、読んだ新聞はほとんど役に立っていない。わずかに中露韓の三国が小
泉訪朝を成功とみなし、歓迎しているという情報を各紙から得て、確実情報とみて、
最後の一節の記述に役立てた程度だった。
17日にテレビを終日見て、なにかを感じ、『日録』を綴っているうちにコラムに
何を書くべきかが定まった。
.
Subject:平成14年9月22日
From:西尾幹二(B)
Date:2002/09/22
22:31
(8月から9月半ばまでの日録は追加記述されます)
北朝鮮による拉致が犯罪として底深い恐ろしさをたたえているのは、国際政治のこ
とも、世界史の数多くの悲劇も、なにも知らないし、考えたこともない人々が犠牲者
となった事実にある。いわゆる「小市民」が狙い撃ちされた。とりわけ13歳の少女
にとって、自分の身に何が起こったか、いつまで経っても、どうしても理解できな
かったろう。彼女は精神に異常をきたしたという情報が、北の亡命工作員からもたら
されている。そうだろうと思う。われわれはどんな想像力をもってしても、幼い少女
の内心に渦巻いた錯乱と焦燥を推察することはできない。
前近代社会では、地球上のいたるところで恐ろしい人さらいの話があった。しかし
まさか、今の日本で、しかも静かでなにごともないような平凡な漁村の片隅で起こっ
たことである——想像を絶するとはこのことである。多くの日本人がそうであるよう
に、私もまた17日からずっと心を揺さぶられている。平常の自分の活動になかなか
戻れなくて困っている。
21日付の『産経』コラム「正論」の私の記事をよんだ大学時代の友人K君から電
話が入った。「君に書き加えてもらいたかったことがあったんだよ。日朝友好議員連
盟という議員団がある。自民党から150人以上もが入っている。今まで彼らは恐ろ
しくバカバカしい言葉を吐いているし、許せない行動をとってきた。いちばん悪いの
はあの連中だ。今こそ名を挙げて弾劾する必要がある。選挙にひびくからすごくきき
めがあるんだよ。君にひとこと伝えておきたかったなァ」
私は今日読売、毎日の21日付朝・夕刊、東京の夕刊、日刊ゲンダイ、夕刊フジ、
Herald
Tribune(21—22日号)、『週刊現代』を買ってきた。もよりの駅のキオス
クで手に入るのはこの程度である。テレビはもうほとんどなにも報じない。21日夜
10時ブロードキャスター(TBS)がやっと伝えた。8人死亡はウソかもしれな
い、全員生存説もあり得る、とギョッとするような解説があった。
他方、夕刊フジと日刊ゲンダイは、8人の大半は病死ではなく、やはり処刑された
ようだ、という日朝関係筋とかの21日の情報を伝えている。さらに櫻井よし子さん
や西岡力さんたちの「救う会」の信頼すべき推定として、36人の日本人拉致の痕跡
や証言があり、未解明を総合するとざっと70人くらいの被害者数が割り出されると
いう情報も伝えられている。今日のテレビニュースによると、新潟県警に拉致とみな
される新しい失踪者の届出が現実にあったそうだ。
これからも次々と新しいニュースがとびこんでくるだろう。何でもあり得る。しか
し真相はなにひとつ明らかになるまい。日本国民はそのもどかしさの前に立ち往生す
るに相違ない。
20日の衆院外務委で「なぜ拉致問題をあいまいにして交渉を急ぐのか」の質問
に、外相は「もし北朝鮮が基本原則に反することがあれば、当然、国交正常化も進ま
ない。」と答弁。田中アジア太洋州局長も「拉致問題の解決なくして国交正常化なし
ということだ」と明言。政府は国交正常化交渉で拉致を実行した犯人引渡しなどを北
朝鮮に要求、さらに賠償を請求する方針を固めた、と伝えられる(以上読売21日
付)。「拉致で補償要求へ、警察庁も参加」(毎日夕刊21日付)。しかし、そもそも
こんなことは可能だろうか。引き渡されるべき犯人は金正日その人なのである。とす
ると、何をもって「解決」とみなされるか。政府は真相不明のまま、いい加減なとこ
ろで「解決」したと称するのではないか。
今日の新聞では、米大統領が発表した安保ドクトリン、テロ国家に先制攻撃があり
得るというアメリカの戦争観の転換を伝える記事が大きく出ている。『毎日』夕刊に
は「北朝鮮、攻撃対象に、政府高官が名指し」というアメリカからの追加説明が報ぜ
られている。拉致はまぎれもなくテロである。金正日の体制が崩れ去らないかぎり、
日本人拉致の真相は絶対に明らかにならないであろう。
国交正常化交渉の会議を平壌で開くというのも私には分からない。北朝鮮の歓迎と
威嚇の二重作戦に日本代表団は翻弄されはしないか。東京でできない事情があるな
ら、ソウルかジュネーブでやれ。
田中均アジア太洋州局長が非難されている。秘密主義と権威主義の権化だといわれ
る。被害者の死亡年月日を家族にすぐ言わなかった、首相にも文書署名の直前まで知
らせなかった、そこに外務省の操作がある、というのだ。安否リストのあて先が日本
赤十字社であったのを隠した一件も、問題になっている。田中均という人については
私も前に批判している。『諸君!』10月号の拙稿「なぜ国家から目を背けるのか」
の中で、日韓歴史共同研究会議の官僚サイドの代表としての田中氏への危惧を述べて
いる。
『毎日』は今でも朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という書き方をする。正式国名
を先に書いて、テレビよりももっと丁寧である。それなら韓国についてあっさり韓国
といわずに、大韓民国(南朝鮮)といちいち丁寧に書け。
私は見なかったが、20日のフジテレビ報道番組で、小泉首相は金正日が拉致事件
を認め謝罪したことを「よくここまで言った。大転換だ」と述べたそうである(『毎
日』21日付)。17日の昼食時間をはさんだ金のショック療法的演出に、日本代表
団がうまく乗せられただけの話で、宣言文の文言にひとことも書かれていない以上、
あとでそんなことは言っていない、謝罪はしていないといわれれば、それまでであろ
う。
金正日は前言をいつも反古にする男だ。北朝鮮の国内では謝罪はおろか拉致そのも
のがいっさい伝えられていないのである。首領さまは過失のない神様だからである。
日本からの批判なぞは、彼にとっては屁のカッパである。国内の権威さえ落ちなけれ
ば彼にこわいものはなにもないのだ。国際社会における元首の謝罪の重さを恐らく彼
はまだ知らない。今までの彼をみていると、国際社会の中で、ことに西側に対して、
悪党ぶってみせることをむしろ楽しんでいる風がある。やりたい放題である。謝罪も
そんな「やりたい放題」のうちの一つにすぎまい。こちらが本気になって、誠実の証
しのように受け取るのがおかしいのではないか。
金の謝罪を日本人が歓迎しているのは余りにナイーブであるという批判はアメリカ
にもあるそうである。けれども、中国、ロシア、韓国は金の「大転換」をひき起こし
た小泉訪朝の外交成果をしきりに誉め上げている。私にはこれが恐い。日本政府がこ
の三国の、三国にのみ好都合な、しかし日本には決して利益にならない方向へ引摺ら
れていくのを恐れるからである。
小泉首相は外交成果を誉められたくてウズウズしている。誉めてくれる国々の考え
に次第に彼が傾くのは国益に反しはしないか。金正日の罠にはまる結果につながりは
しないか。
小此木政夫氏が小泉外交は成功であったと言った。もし首相が席をけって会談が不
調に終れば、アメリカは北朝鮮ににわかに厳しくなり、北東アジアの平和が失われる
から、今度の交渉は成功であった、といかにも日本の言論人の言いそうな甘い考え方
を述べている。平和でありさえすればいいのである。拉致が重ねて起こっても、不当
な処刑がまたくりかえされても——金体制がつづけばそうなる——平和でありさえす
ればそれでいいのである。こういう考え方こそが北朝鮮の犯罪を醸成してきた最大要
因ではないか。
しかし新聞・テレビ・その他の論調は、今後拉致された人の苦悩を次第に忘れ、平
和であればそれでいい、ロシアや中国や韓国はたいせつな隣国であるから、金正日を
寛大に許し、東アジアの平和共同体をつくろう、という方向の声を高めていくであろ
う。これが一番困る。必ず北朝鮮の犯罪はまた起こる。しかも今までの犯罪は永遠に
伏せられたままになってしまうだろう。こういう方向が一番いけない。われわれは監
視しなくてはいけない。小泉首相の今後の言動と日本の一般世論を注意深く見守り、
おかしな方向へ走るのを阻止しなければいけない。
.