Subject:平成14年11月26日 From:西尾幹二(Date:2002/11/27
08:53
富樫信子さんは公認会計士である。「新しい歴史教科書をつくる会」の経理を担当
して下さっている。かつては会の代表の立場上ときどきお目にかかっていたが、最近
はご無沙汰していた。しかし経理のことで私がご相談したいことがにわかに発生し、
過日お電話をしたところ、「丁度良いところでした。最近は先生のご本をあれこれ読
んでいるのです。」と仰有るので、ありがたい話だと思っていた。すると数日たっ
て、次のようなファクスのメールが送られてきた。
旧著をていねいに読んで下さったのが何よりもうれしく、また、こんなお賞めのこ
とばは照れ臭いのだが、率直なご感想文にも思え、ご承諾を得て、「日録」に掲載さ
せていただくことにした。
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昨日の日曜日は、『わたしの昭和史 1』を拝読致しまして、現在は2の挫折した
小説『留やんとKさん』のところまできました。
先生の幼年時代がつぶさに描かれていて、私には想像もつかない困難な時代の戦
前、戦後を価値観が一変した時代の断層の中を、真正面から対峙して少年時代に駆け
抜けて来られた先生だからこそ現在の先生があるのだということを納得いたしまし
た。
先生の作品を拝読していつも感じていることですが、常に、偽善、贋物を鋭く看破
し、真直に物事の本質を志向する姿勢は、先生の幼年時代に育まれたものであったの
ではと感じました。
都会と田舎、戦前、戦後という異質なものの中で、また田舎での疎開生活の体験
は、先生を単なる机上の柔なインテリ知識人が語る軽薄さとは無縁の、物事の本質に
迫る学者になさったのですね。それだけ先生の幼年時代は過酷な時代であったので
しょうか、先生の繰りだす力強くほとばしる言葉は、人生について何たるかの意味を
ビシビシと私に語ってくれています。(『人生の価値について』も私の愛読書で
す。)
小説『留やんとKさん』のくだりを拝読しまして、12、3才頃の思考の深さに私
など凡人にはただただ驚きと敬服あるのみですが、一方で先生の疎開生活での自然と
人間の営みの体験を羨ましく存じました。でも私など同じ体験をしても何も見えな
く、また耐える事が出来ないかもしれませんね。
先生のご両親の愛情深い豊かさに敬服いたします。私の亡き両親の愛情を思い出し
ました。「親と言う字は立木に見ると書くでしょ。子供をいつも見守っているの
よ。」と亡母が言っていたのを思い出します。また先生のご両親に対する深い愛情と
感謝の気持ちも伝わって、ご両親のお人柄を忍ばせます。親と子の関係の原点を見た
思いです。
今まで、ドイツ文学者の先生がどうして歴史教科書の分野をも範疇にしておられる
のかが分かりませんでしたが、その答えは『わたしの昭和史』で合点がいきました。
日本は戦中、戦後のアメリカの対日政策に、時には政治的局面に、時には経済的局
民で多大な影響を受け、翻弄されつづけているのだと先生の著書や経済書を読むにつ
け最近強く感じます。
ことばを選んで勝負するプロの先生になかなか感想文など書けなく二の足を踏んで
いた私ですが、今日はチョット練習のつもりで書いて見ました。拙い文で恥かしいの
ですが失礼の段お許し下さいませ。
11月25日
富樫信子
Subject:平成14年12月1日
From:西尾幹二(B)
Date:2002/12/04
23:00
拙作『わたしの昭和史』について、冨樫さんのご感想を「日録」にのせさせて頂い
た処、
「東郷大介」さんから次のようなご投稿があった。旧作について、読者のかたからこ
んな
風にあらためて問題にしてもらえるのはまことに有り難い。
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題名:
「留やんとKさん」
投稿者 東郷大介 投稿日 2002年11月28日 15時19分
(竹林問答塾)
『日録』に出てきた<挫折した小説「留やんとKさん」>は、『わたしの昭和史』
の中で最も印象深い章の一つです。
13歳の西尾少年が芸術哲学的社会小説を企図して<挫折した>とされるのです
が、『わたしの昭和史』には小説の終結部が掲げられおり、形の上では完成しているので、
挫折したという思いが、現在の西尾先生のものなのか、当時の西尾少年のものなのかは、
明確ではありません。
書き上げた当時は、西尾少年はけっしてそう感じていなかったのではないか。挫折
と考えられたのはもっと後年のことではないか、という気がします。読者としてはそのへ
んがもう少し知りたいところです。
印象深いのは、この西尾少年の試みを、長じた西尾先生がこっぴどく批評しておら
れることです。
>そんなものが書けるわけがない。まったく冗談にもほどがあるのである。
>けれども本人は結構、本気だった。
私はここを読んで西尾少年が可哀想になりました。ご自身のこととは言え、あまり
にもきびしい評語です。まるで容赦がありません。こうまで言わなくても、という気がし
ます。なにか反撃しろ、と少年を励ましたくなります。
しかし、思えばこの自虐的批評に、芸術家を志し「静謐な散文詩を愛し、俳句に
こっていた」幼き日への、そしてその挫折への、西尾先生の強い愛惜の念がこもっているよ
うな気がします。
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小説の終結部が掲げられているので、途中で挫折しなかったのではないか、という
ご説であるが、じつは真中の叙述部分が単にあらすじを残しただけで、書かれていなかっ
たのである。子供に農村の生活叙述はできない。ましてや大人の農民たちの暮らしの中の
ドラマは描けない。子供の私は頭の中に勝手に終結部だけを思い描いて、真中の叙述は書
かないで、観念的なつくり話をたのしんでいただけであったと思う。
ところでこれに関連して思うのだが、成長して私はますます小説が書けなくなっ
た。小説家になりたいと思って、ますます観念的な人間になって、希望から遠ざかった。平
凡な生活叙述ができなかったからである。
大家族の中で育った人が小説家として大成する例が多いことに後日気がついた。少
くとも複雑な家庭に育った人が自分をとり囲む「社会」を観察し、描写することに幼いと
きから長けているように思える。私のような山の手の親子水入らずの平凡な中流家庭の出
身者は小説家には向かない。20歳代後半にしてそんな感想をもったことをいまふと思い
出す。
それにしても『わたしの昭和史』に注目して下さって本当にありがとうございま
す。続篇の『正論』連載を平成15年春には開始したいと思っています。
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