11月11日(一)  論文への反響


月刊誌『正論』の12月号に、私は「9・17から10・16観察記——小泉訪朝・
拉致被害者帰国・北朝鮮核開発」(48枚)を発表した。発行日をほゞ同じくして
『正論』臨時増刊号「明治天皇とその時代」に、「明治初期の日本語と現代における
『言文不一致』」(45枚)を出した。前者は国際政治学者の向こうを張って、後者
は国語学者に挑戦して、それぞれ本人は大いに気を吐いている積りだが、私らしく素
人の恥しらずの率直さ、常識を拠り所とした「無知の知」の表現である。

どちらもたっぷりした分量を与えてくれた大島信三正論編集長に感謝したい。ことに
前者は他の人の予定原稿にたぶん迷惑をかけている。それでもこのあと20枚欲し
かった。なぜこれから米中対決か、私なりの根拠を書きたかった。そういうと、最大
最長の分量を与えているのだから「謙虚」でなければいけないと、編集長に叱られ
た。

それで私はFAXで次のような手紙を認めた。
「いろいろご配慮ありがとうございました。他人の原稿を押しのけているのだから
『謙虚』でなければいけないと仰言られたのはまさにその通りです。私もそのうち
『今回はできが良くないので掲載を見合わせていただきます』なんて言われるときが
くるのかもしれません。〆切り3日前から体力を使います。こういうことがいつまで
続けられるか、とても不安です。今回の論文は時事論としてはまあまあですが、文学
的でないので、不満もあります。時事論そのものにも飽きてきています。それでいて
懲りないのです。」と所見を書き送った。

編集長はつねづね自分のオピニオンの発表の舞台と方法をもっている人は幸せなんで
す、と何かの機会に仰言る方である。すぐに返信がきて、大略次のように言ってこら
れた。三島由紀夫だって通俗小説を書いていた。時局論文のむなしさは私も気づいて
いるが、贅沢を言っちゃいけない。それさえ書かせてもらえない俗論家がゴマンとい
るのですよ。軽やかなステップで社会の動きを見つめていく姿勢を失うと、たとえ文
学論を書いたって、読者が三人(筆者と編集者と弟子)という狭い、だれも読まない
文章になってしまうでしょう、と。いつも編集長には叱られているが、今度も一本取
られたかたちである。

当の論文「9・17から10・16観察記」は幸い身近な人の評判が良かった。雑誌
が出る間もなく、『諸君!』編集長の立林昭彦氏から電話が入り、「よく書けていま
した。この一ヶ月間みんな誰もあゝいう風に意識しながらマスコミに接していた、と
いうのを全部思い出すような、しかも八方に広がりをもった指摘もあって、良かった
ですよ。」こういうことばを聞くとホッと安心し、体力を使い果たして書いた労が報
われた気がする。

私は昨年、元郵政省のお役人で、『逓信協会雑誌』前編集長の池田俊二氏との共著
『自由と宿命・西尾幹二との対話』(洋泉社新書)を刊行したが、対談相手のその池
田さんからファクスが入った。「9・17から10・16観察記」について、次のよ
うな具体的な感想が並べられていた。

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「小泉さんの顔に一瞬ドキリとするような緊張が走った」——私はこの人の頭はカ
ラッポと決め込んでゐますが、この時の表情は見落しました。「國家犯罪」などとい
ふ認識がなかったことは間違ひないでせう。「北朝鮮といふ緩衝地帯」「海洋國家
化」——かういふ見方には初めて接し、大いに繁へられました。「ユダヤ人による組
織的協力があったこと」は多少知ってゐましたが、それと「表に出るやうな身分では
ない」との發言を結びつけて考へることは全くしてゐませんでしたので、ギクッとし
ましたが、これは鋭い直觀、洞察だと感じ入りました。どんな時代、どんな民族で
も、ある状況におかれたら必ず起こる現象ですね。二つの國の核ミサイルの影響下、
「地球上で最も深刻な状況下にある」とのご指摘にも深く同感しました。にもかかは
らず、小泉さんはプノンペンでの日中韓三國首脳会談で「核問題は米国と北朝鮮との
直接的問題だが、日本、韓国ひいては中國も無關心ではゐられない」と言ったとか、
この人にはどんな薬も效きませんね。

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臨時増刊の方の「明治初期の日本語と現代における『言文不一致』」についても書い
てこられた。

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「記述體」といふお考へ、いゝ勉強をさせて頂きました。徂徠の中華狂については若
干知ってゐましたが、「ひよっとすると國民的大誤讀をしてゐるのかもしれない」と
いふ「懐疑」は初耳でした。こゝまで徹底して考へれば一見識と言へるかもしれませ
んが、「聖人」の國へ近づいたと喜ぶやうでは・・・・・。「根本原因は古代にあ
り、明治初期にある」——些か絶望的ですね。「私は讀むのにも疲れたし、批評する
のにも疲れた」——福田恆存が、數字にコンマを振るには、日本語は4桁で呼稱が變
るのに、西洋語の便宜に合せて3桁で振ってゐる、日本人たることもつらいものだ、
と言ってゐたことを思ひ出しました。「自覺的に再整理する作業からなにかが生まれ
てこようかとのかすかな希望を抱いて」ゐるしかしやうがありませんね。お疲れさま
です。

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インターネットには11月2日に「無頼教師」さんが次のような感想を寄せてこられ
た。

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今月の正論はおもしろかったですね。特に西尾先生の記事は、「まとめてみるとこう
なるのか」という感じで、ネットで読むのとはだいぶ印象が違いましたね。印象的
だったのは、文章のリズムがいつになくダイナミックというか、文章のスピードがい
つもよりも速いと感じたことです。このようなスピードのある文体は、西尾先生にし
ては珍しかったかと思います。・・・・・以下略・・・・

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拙文をつねひごろ読んで下さっていることも分かり、たいへんに有難いおことばだっ
た。この文章の下につづけて書かれた内容はだいぶ私とは国際情勢の見方を異にして
いるが、それはそれでいいと思う。いろいろな意見があっていい。ただ文中に普段つ
かわれていないことばが常用されているのが気になる。本来なら〈アメリカ一辺倒〉
とか、〈対米従属派〉とか書くべき処を、一部の人にしか通じない「隠語」をつかっ
ているのは読みにくく、インターネットの仮名記事でもやはりちゃんとした文章表現
をするべきですから、これは今後考え直してほしい。



11月11日(二)

11月3日付「日録」(一)(二)において、坂本多加雄さんの告別式(11月2日、
於文京区護国寺)の模様を報告した。その内容に触れて、私の大学時代の友人、元住
友商事理事の粕谷哲夫さんから次のような感想文をいただいた。文中に出てくる粕谷
氏は別の人物で、既報のとおり、葬儀委員長をつとめたかたである。

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西尾兄

坂本さんの急逝もあってたいへんでしたね。「日録」で貴兄の行動はフォローできま
す。

学習院大学内の坂本イジメを生々しく感じ取れます。粕谷一希氏についての論評はた
いへん良かった。<「寛容」をもって「譲歩」できる余地はない><日本のかっての
保守指導者というのは、単に共産主義者ではなかった、というだけのことなのではな
かろうか>の二つの指摘は秀逸です。特に後の指摘は鋭い。あの中曽根ですら単に共
産主義者ではなかっただけのことといって過言ではない。そうでないのは石原慎太郎
ぐらいではないでしょうか。

よく政治は「理念」と「調整」といわれるが、理念の要素が希薄で、意見が異なると
き「中央(なか)とって調整する」が竹下に代表される流儀です。対立する二つの意
見の対立に「決闘」という究極の決着の方法がない「和」の国の掟なのか。粕谷一希
氏は、あるいは西尾は山崎正和をコテンパンにやつけようとして暴力的ですらある
が、坂本多加雄は譲歩はしないが他人を傷つけない」と単に言いたいのかもしれませ
ん。

理念の希薄化が日本の特徴です。和⇒調整というDNA・・・・・しかしサヨク系の
人々は絶対に譲歩しない。こちらが一歩引けば、撤退したその領土を侵食する、とい
うのが実情です。

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11月7日付『産経』コラム「正論」欄の拙稿「朝日の『声』欄から見える珍風景」
(当「日録」11月7日付に掲載)は、どういうわけか反響が大きく、あっちこっちか
ら電話やFAXをいただいた。といっても8人くらいで、親しい知友からにすぎない
のだが、最近例のない反響である。たとえ親しい知友でも、面白いと思わなかった
ら、わざわざ連絡をしてくれたりはしない。知友の反響から、見知らぬ広い一般読者
の反応の高低をだいたい察知することができる。

なかでも関西経営者協会前会長で、(株)きんでん元社長の高橋季義さんは重病の療
養中にありながら、長い電話を掛けてきてくださった。生命力の強いかたで、張りの
ある元気のいいお声を聞いていると、とても病中の人とは思えない。きっと病気も吹
きとばしてしまうだろう。平癒を祈願する。

前述の粕谷哲夫さんは次のように書いてきている。

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先日の産経「正論」はたいへんよかったと思います。だいたい朝日新聞しか読んでい
ない人は、知らず知らずの間にその方向に洗脳され、頭がおかしくなってきていま
す。朝日新聞だけを読んでいる私の叔母の認識もいつの間にかびっくりするような逸
脱ぶりを見せている。最近とくにひどくなっています。朝日、岩波、NHKは著しく
日本を誤らせる一見紳士風三悪です。朝日新聞は石原慎太郎の話なんか載せません。
加藤周一や大江健三郎や小田実や田英夫など相手にしていては如何とも仕方が無い。

<平和>や<平等>や<人権>や<民主>を喧伝するサヨクが<核装備>や<極端な
差別>や<極悪非道>や<個人独裁神格化>をよしとして友党化している神経、その
グロテスクさには到底ついていけない。いったいどうなってるの?!!!!

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また、(一)でご紹介した池田俊二さんは私の同じコラムについて次のように書いて下
さった。

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新聞の投書の内容がいつしか社説に変ずるパターンもまた意圖されてゐるのは明らか
ですが、朝日の人達はどこまで自覺的にそれをやってゐるのでせうか。先生のおっ
しゃる「次第に對中從屬國家になる」ことをいゝことだと思ってゐるのでせうか。そ
れとも、さうならないと思ってゐる(又はそこまで思ひを致したことはない)のでせ
うか。敵でも、知慧のある奴には敬意を感じるものですが、私は朝日には敬意を感じ
ることはありません。呉々も御自愛ください。

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池田さんは会うたびにいつも私に、信じられないバカバカしい言説を語る人をみて、
自覚的に意図をもってやっているのか、それとも本当はなにも考えていなくて、ただ
ぼんやりと単純なことばを鸚鵡返しに言っているだけなのか、判然と区別がつかない
と言っている。大多数は後者ではないか。なにも考えていないし、意図もなにもない
無自覚の徒が圧倒的に多いのではないか。もし若干とも意図があり、策略があるなら
まだしも救われる。自覚しているウソなら、いつか改める可能性もあるからである。
無自覚なウソなら何度でも繰り返されるので、救いがたい。池田さんは大体そういう
話をする人だが、私も同感である。

さて、それなら『朝日新聞』は自覚してウソをついているのか、無自覚に、自分で自
分を騙していることにも気づかないでウソをついているのか、はたしてどちらか。