11月18日

『ていくおふ』という季刊誌をご存知のかたはまずおるまい。発行元は全日空(AN
A)である。乗客用の座席サービス雑誌ではない。発行部数は1万部、大半は無料配
布、発行目的は航空、交通に関する興味や理解を知見ある広い層、学者、財界人、官
僚、政治家などに深めていただくためとうたっているが、自由で暢びやかなオピニオ
ンもよく掲載されている。

私は同誌にこれまでときおり寄稿していたが、次号が通算100号となるとかで、3
枚の題材自由の随想を求められたので、次のような一文を認めた。

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ていくおふ特別号
怪鳥の教訓
  
アフリカの南東マダガスカルの東方のインド洋上にあるモーリシャス島に、ドードー
と名づけられた伝説の鳥が生息していた。全長約一米八〇糎、身の丈約八〇糎の頭と
嘴の大きい怪鳥で、翼が退化して空を飛ぶことができなかった。ルイス・キャロルの
『不思議の国のアリス』に登場してくる。

この鳥は、17世紀初頭にオランダ人がモーリシャス島にやってきてから約百年で絶
滅した。発掘され、再生された骨格が二体残るのみで、他にロンドンに壊れた剥製の
頭部と脚部がわずかに残存し、これら以外に、怪鳥の実在を証明するものはなく、
ヨーロッパで物語や絵に描かれたおかげで、今日に伝説として伝えられている。

ドードーはなぜ絶滅したのだろうか。オランダ人入植者の遺跡の発掘で、彼らが食糧
にしたのではないことが今までに分かっている。ロンドンの剥製のDNA鑑定で、こ
の鳥の正体は鳩であると分った。鳩の中でも、原産地が東南アジアの種目であること
も分った。約一千万年前、インド洋上の島づたいに渡来し、モーリシャス島で特異な
進化をとげたものらしい。人類発祥よりも前の話である。

モーリシャス島は深い森林につつまれ、木の実が豊富で、外敵もなく、ドードーの生
存にはこのうえもない安楽な環境であった。樹木の下にいれば食べ物は自然に上から
落ちてくる。空を飛ぶ必要がない。翼は次第に退化した。オランダ人が来たときにこ
の鳥は人間に襲いかかり、それなりに攻撃的であった。けれども次第に森林の内部を
追われ、百年の後には、海岸の一角に追いつめれて生存し、やがて絶滅した。人間が
直接手をかけたからではないらしい。人間が持ちこんだ豚や羊が彼らの天敵になった
ためらしい。それも直かに天敵が彼らを襲撃したためではないらしい。

ドードーは空を飛べない鳥になっていたので、排卵と孵化は安全な樹木の上でおこな
われずに、地上の草の上に露出されていた。外敵のない環境に、完全に無防備な生存
形態にまで退化していたのである。卵も雛も外から来た豚には恰好の餌食だった。

こうして、生態系の一角が崩れただけで、数百万年以上も安全かつ平和に暮らしてい
た島の一生物があっという間に滅びてしまった。

日本もまた島国である。縄文以来、深い森林につつまれ、木の実が多く、水は豊富
で、争いも少なく、大動乱の時期はわずかに弥生期と戦国時代の二度しかない。個々
人には防衛意識もあり、外からの圧力にはそれなりに攻撃的なのだが、民族全体とし
ては、組織的警戒心に乏しい、完全に無防備な生存形態にまで退化してしまっていな
いか。空を飛べなくなった鳥が迂闊に草の上に排卵し、雛を孵化するのと同じよう
な、生態系を一変させる陥し穴に、日本民族はすでに、誰も気づかぬうちに、思いも
かけず填まってしまっているのではないか。

この広い地球上に民族の興亡の歴史は繰り返され、一民族の消滅ということも、決し
て珍しくない。島国から人間が消えるのではない。住民は存続する。しかし人種混淆
し、大陸に呑みこまれ、日本という民族と民族文化がすっかり姿を消してしまうとい
うことは、歴史の経験則から十分に起こり得ることなのである。


11月20日

市民生活の中の軍紀
佐渡に住む拉致被害者の曽我ひとみさんの夫君、元米兵ジェンキンスさんに関する
ニュースの中で、アメリカの留守家族で、ジェンキンスさんの弟に当たる人が言って
いたことばが気にかかった。兄の失踪以来、アメリカ社会の中で、自分達は脱走兵の
家族として扱われ、いかに恥かしい思いをしたか、兄は早く帰ってきて釈明し、罪が
あるならつぐなって、家族の苦しみを解消してほしい、というのである。

これを読んで、アメリカ社会にはなお軍紀が一般社会にそれなりの責務意識を強く強
いているのだと分かった。「生きて虜囚の辱めを受くる勿れ」は旧日本軍の野蛮のよ
うに言われたため、われわれは戦後、「生命あっての物種」でずっとやってきて、侵
略を受けたら「逃げるが勝ち」と答える人が圧倒的に多くなった。いったいこの狭い
国土からどうやって逃げるのだろうかとは考えないで、安易に逃走を口にしていた
が、しかし戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受くる勿れ」はアメリカ社会にむしろ生きな
がらえている。

インド洋から佐世保に戻ってきた海上自衛隊の艦船の乗組員が、テレビのインタ
ビューを受けて、「もういやですね、二度とあんな処には行きたくない。」「つらく
て、人間の行く場所じゃないですよ」などと語っていて、私はご苦労を察しはしたも
のの、釈然としなかった。テレビはわざと自衛官の不満や陰口を拾うのであろうし、
すべての自衛官が同じ逃げ腰とは思えないが、そういうことばを安易に外部に漏らし
てはいけないという軍紀が欠落しているのが私にはむしろ衝撃だった。

最近北朝鮮と戦時中の日本とは似ているというような文章をよく読む。しかしあの時
代、天皇陛下は民衆と同じようにつとめて質素にお暮らしになっていたし、民衆に飢
餓が襲ったのは戦時中ではなく、敗戦の翌年、昭和21年である。情報統制が厳しく
なるのも昭和18年から2年半ほどのことで、北朝鮮のように半世紀以上にわたり体
制批判ができないというような国ではなかった。「大正政変」の大衆の街頭運動など
は、1960年の安保反対運動を思わせる騒ぎであった。北朝鮮では、食糧配給に不
平を言っただけで逮捕され、みせしめの公開処刑さえおこなわれる。だから誰も他人
と口をきかないで、沈黙して道を歩く。しかし日本では、戦争末期になってもそんな
ことはなかった。国民が心を一つにしていたという記憶はあるが、それも短い期間で
ある。

戦前の日本に似ているのは決して北朝鮮ではない。むしろ今のアメリカである。必ず
しも対イラク戦争の近づくアメリカのことではない。ジェンキンスさんの留守家族が
身内に失踪兵を持って社会的差別を受け、辱めを味わってきた過去24年間のごく普
通のアメリカ社会——それにずっと近いのである。

もしこれが正常な社会なら、戦後の日本が異常なのである。そう考えるほかない。

  11月22日  小池さんと蓮池さん

新潟県柏崎市の私の知友・小池広行さん(現在東京都内勤務)が拉致被害者家族会の
事務局長・蓮池透さんの高校の同窓生であり、かつ会社の同僚でもあると聞いて、私
は小池さんに、10月24日の当「日録」の内容を、機会があったら蓮池さんに伝え
ておいて下さいとたのんでおいた。これが切っ掛けで、小池さんは何度か蓮池さんに
会って、雑談を交す機会をもっただけでなく、社内の蓮池さん支援体制づくりにも貢
献したようだ。

小池さんは今日私にファクスによる報告文を送ってこられた。10月29日、11月
7日、11月19日とつごう三回蓮池透さんと会った内容の報告文である。

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西尾先生

 10月29日には、西尾先生のインターネット「日録」(10月24日付)での透
さんへの共感と多くの国民が「家族の会」「救う会」にエールを送っている等の話を
してきました。
透さんは、誹謗、中傷のメール、悪意ある電話、ネット書き込みへの怒りを訴えてい
ました。

 11月7日、先生の「わたしの9・17から10・16観察記」を一読してもらお
うと思い、月刊誌『正論』を持参し、雑談してきました。
 小池 「読み応えあるから読んでよ」
 蓮池さんは、11月4日?(1〜2日のズレ有り)の朝日新聞を持ち出して、「小
池君これみろよ」と言います。そこには朝日新聞のコラムニスト早野 透なる人が
「拉致家族の別離せつない」との題で以下のことを書いていた。

<〜だが、本人が望むなら北朝鮮にいったん戻ってもいいのではないか。いまや  
 日朝間の往来も移住場所もすべて完全に自由に、そして自分たちの未来を選ば  
せよ。日本はその環境を整え、金正日はそれを保護する義務がある。何時までも国家
のゲームに巻き込んではいけない。>

小池 「何これ!ところで今日7日の産経新聞の「正論」読んだ?このコラムと同じ
く     【声】に対し、西尾先生が朝日のやり方に憤りを感じているんだよ。」
蓮池 「うちも産経だけど、まだ読んでいない。ありがとう。読ませてもらう」

11月7日には、西尾先生と蓮池さん、シンクロナイズしていると感じました。国、
拉致問題8団体をはじめメディア、世論が一体となって国家主権たるものを考える風
潮の中、朝日はじめ無責任のメディアに怒り心頭です。
(11月13日記)

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私は拙著『全体主義の呪い』(新潮選書)に署名して、小池さんに託し、そのうち機
会があったらきっと参考になると思うので、蓮池さんに読んでいただけたらありがた
いと伝言しておいた。数日してまたファクスのメールが小池さんから届いた。

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西尾先生

本日蓮池さんに『全体主義の呪い』をお渡ししてきました。1時間ほど雑談してきま
した。11月7日の産経のコラム「正論」の話になり、「蓮池さんと西尾先生はシン
クロしている」と連絡した話に「うん、うん」と嬉しそうでした。

蓮池さん曰く、弟(薫)もかなり呪縛が解けてきているようで安心している。だけど
北の話についてあまり核心を話したがらない。子供たちは寮生活といわれているけ
ど、どうやらそれもよくわからない。金正日は絶対に子供らを返さないだろう、と。

さらに、地元(柏崎市)が良心的に対応してくれて本当に感謝しているとも言ってい
ました。市長も助役もできるだけのお手伝いはしたいと言っていることは私も聞いて
います。蓮池さんが感謝していることも多くの知友をつうじて伝わってきます。

蓮池さんは、『週間金曜日』の非常識さに怒りが込み上げてくる、みな朝日のOB
(落合恵子もいるが)連中か、とも言っていました。どこかの局で徹底的にたたいて
ほしい、と私は思う。

公民教科書で「拉致問題」記述があるのは「つくる会」だけであることは、蓮池さん
もご存知でした。「つくる会」で拉致問題〜公民教科書のシンポを計画したら出ても
らえない?企画が決定しているわけではないようだけど西尾先生からの伝言。もちろ
ん佐藤勝巳さんや西岡力さんも出て頂くことになると思う、と私が言うと、「OK 
喜んで参加させてもらうよ」と彼は即座に答えました。「先生によろしくお伝えくだ
さい」と。私は「大多数の国民がエールをおくっているからね」と、つけ加えまし
た。

霞ヶ関の喫茶店でリラックスした会話でした。突然向かいに坐っていた中年風会社員
の方が「蓮池さん!頑張ってください」と声をかけられ、彼もにっこりとうなずいて
いました。私はこの人も大多数の一人だよ、と言っておきました。

蓮池透さんについては、無職なのかなどと噂する人がいるそうですが、彼はれっきと
したエリートサラリーマンです。「家族の一大事、国家の一大事」。いま時間的に彼
が対応できるゆとりがあるのは、会社のトップに理解があるせいなのです。先生の
「日録」がそうなる切っ掛けだったので、ご縁に感謝しています。
(11月19日記)
小池拝