1月25日  金完燮氏との対談

1月23、24日の二日間、かねて予定していた通り、『親日派のための弁明』の著
者、金完燮氏と通訳を交えて11:00〜18:00の各7時間の対談を行った。27日にも
う一度これを実施し、一冊の本にまとめて4月頃に刊行する予定である。(扶桑社
刊、標題未定)。

長時間討論の中で、聞いていてえっと驚くような主題や、あぁそうだったのかとあら
ためて納得するような内容が幾つかあった。1392年に高麗が滅亡して李氏朝鮮が成立
した。それ以後の李王朝の実在は動かない。そして、歴史的に現在の韓国人とつな
がっているのが李王朝の国家と国民であることは疑いを容れない。しかしそれ以前の
半島の歴史は正確にはなにも全くわかっていないのだ、と金完燮氏は言うのである。
韓国人は、だから自らの民族のアイデンティティに大きな不安を抱いている、と。

通説としては、676年に新羅が半島を統一したというような話になっているが、そう
いう歴史的展開はぜんぶ現在の大陸東北部で起こった出来事であって、半島の歴史で
はない、というのである。古代史に関する彼の大胆な「仮説」は、27日にあらため
て聴くことになっている。ともかく、半島における高句麗、新羅、百済の三韓の葛藤
劇もことごとく歴史的実在が疑わしい。要するに1392年より以前の半島の歴史で確実
なことは何もわからないので、韓国人の歴史への自信喪失は根が深いのだという話で
ある。

17世紀初頭、日本列島には3000万人の人口があった。同じ時期、あの広大な中国の
人口はわずか6000万人であった。(確かに、中国の人口が一億を越えたのは17世紀
後半の清王朝の成立より後のことである。)朝鮮半島の人口は、当時300万人程度で
あった。朝鮮人からみて日本列島はすでに当時から人口の多い「大陸」であり、一つ
の大きな「文明」であった。今のように島国の日本というイメージではなかった。朝
鮮半島は二つの「大陸」にはさまれているという自己認識であった、と。

じつに面白い話である。今日と明日で私は朝鮮史の勉強を少しし直して、27日に彼
にしっかりした質問をぶつけてみたいと思っている。いづれ古代史についても彼は一
冊書く予定があるそうだが、「きわもの」と思われるような本だけは書かないよう祈
りたい。(直かに彼にそう注意もしておこう。)

近現代史については、たしかに彼は李登輝の世代の親日派の台湾人と似たような観察
を述べている。それは最初の本の読者にはよくわかっているだろう。韓国在住者にし
ては最初の発言者である。日帝時代を知る老世代の韓国人が日に日に少くなっている
今、良識のある彼らの懐旧談を今のうちに聞き書きして、本にまとめて行きたいとも
言っていた。彼のこうした事業はわれわれが日本で翻訳するなどして支援し、背後か
ら扶けて行きたいものだと思う。

韓国人が日本人の罪をならし、日本人が自らの罪を韓国人に謝るという「日韓併合」
の構図は、金完燮氏と私の間では完全に毀れた。韓国人が日本人に感謝し、「日韓併
合」は韓国のために役立った事実、日本の進出が李王朝を倒壊せしめ、市民革命の役
割を果たし、「併合」なくして半島の近代化は起こらなかった、というのが金完燮氏
の立脚点である。『親日派のための弁明』を一読した読者にはこの点は自明であろ
う。

さて、本対談に対する私のスタンスは、これに反し「日韓併合」否定論である。日本
人が罪を犯したという意味での否定論ではない。日本人はやる必要もないお人好し丸
出しの「併合」をやって、財政上の莫大な欠損を背負いこんだ。1905年の保護国扱い
のままにしておくべきだった。ヨーロッパ流の徹底した植民地政策でよかった。それ
なら期限がある。いつか終結することができる。「併合」ではそうはいかない。日本
が韓国に影響を与えているうちはいいが、そのうち日本の内部に韓国が浸蝕し、「日
本の韓国化」というブーメラン現象が起こるという事態に、100年前の日本人は気が
ついていなかった。対外進出にすれていない、うぶな日本人の、善意まるだしの「日
韓同祖論」などを私は「愚行」として批判した。

この見地は、拙著『国民の歴史』の第32章「私はいま日韓問題をどう考えている
か」、で恐らく最初に言い出されたものであろう。そして中川八洋氏の『歴史を偽造
する韓国』が数字的に整理し、歴史的に正確に主張した。

金完燮氏に私は以上の見解をそのままに陳述した。彼がどういう反応を示すかに興味
があった。すると、驚くべきことが起こった。彼は黙ってきいていて、何も言わな
い。「どう思いますか」と尋ねると、仰有る通りで全部正しいから、ご見解に賛成
で、反論することばがない、というのである。内心は分らないが、表に出た態度に動
ずる風はなかった。なかなかの人物だと思った。感心した。

端倪すべからざる人物という印象を私はもった。激しい気性を内に秘めている。しか
しヒステリックではない。最近、彼の韓国での処女作『娼婦論』というのが日本で翻
訳出版された。「私はまだもらっていないが」と言うと「先生にお贈りすると、こん
な本を書いた人物とは対談できない、と言われはしないかと心配して、まだ送ってい
ません。27日にもってきます。」「私はどんな内容の本にも驚きませんよ」と答え
て、みんなで大笑いになった。

『親日派のための弁明』は日本では30万部を越えるベストセラーになったが、本国で
は2000部刷って1400部ほど実売されたという。彼は草思社から初夏に『親日派のため
の弁明』第二部を出すそうである。これの韓国語版を合本にして、韓国でもう一度同
書を世に問う予定だそうである。

私との当対談本も日韓同時出版を考えているらしい。『国民の歴史』も翻訳して出し
たいというので、二巻本にした方がいいですよ、と答えておいた。通訳のお嬢さんと
草稿作成者のご婦人と編集担当の吉田淳氏と金さんと私と五人で中華料理をいただい
て、談笑した。老酒をいささか飲みすぎてしまった。


1月28日(一)
1月27日11:00〜18:00の金完燮氏との第三回対談は完了した。最初の2時間は北
朝鮮の核問題、韓国の反米と米軍の撤退、韓国は大陸勢力か海洋勢力か、これからの
日韓関係と東アジアの未来、といったテーマについて語り合った。本にまとめられる
ときには最終章として扱われる部分である。

ラングーン爆破事件は北のテロ犯罪の代表例だが、金さんがあれは全斗喚大統領を
狙った軍事独裁打倒の正当な目的に根ざしていた、という意味のことを語ったのには
びっくりした。大韓航空機爆破事件についてもわれわれが日本で理解しているのとは
違う趣旨のことを語った。金賢姫は日本国籍のパスポートを所持している。彼女が死
亡して証拠が消えたら、日本人が韓国機を爆破した事実だけが残り、日韓関係が最悪
化する。だからソウルオリンピックを破壊する目的のテロだった。われわれはそう理
解しているが、と私が述べると、金さんはこの説を否定し、まったく違う推論を言っ
た。正確で詳細には今ここで書けないので、本が出たときに見てほしい。

金さんは韓国に今ひろがる反米感情の中にいる。盧武鉉次期大統領には好意をもって
いる。フレキシブルで、いい人だという。やはり今の韓国の若い世代の一人である。
北朝鮮に警戒も、恐怖もない。金大中の太陽政策を失敗だとも思っていない。反米感
情だけが強い。当然国際情勢をめぐって私とは意見が合わず、論争になった。

しかるに日本に対する金さんの期待は大きい。経済的、技術的なことよりも、政治
的、軍事的な期待である。アメリカに代って、日本が東アジアの盟主になり、中国と
対抗するパワーとして、韓国、台湾、ASEANなどを強力に牽引していくべきだ、とい
う考えである。日本がアメリカの後楯なしで中国と対抗するという構図が描かれてい
た。そのことと、韓国の北朝鮮への傾斜とは矛盾しているように思えるのだが、この
あたりは何が語られたかはっきり覚えていない。草稿が打ち出されてくるまでは、こ
れ以上は書かないことにする。

昼食をいただいてから、古代史の話になった。これがまた奇想天外で、まことに面白
い。百済は半島の西海岸、今のソウルの南側に、新羅は丁度反対側の東海岸に位置し
ていた。これに対し、高句麗は半島の東北部で、一部は満州にかかっている、という
のがわれわれ日本側の常識的な歴史理解である。4世紀から7世紀にかけてこれら三
国の葛藤の歴史が展開され、倭(日本のこと)も参画した。676年に新羅が半島を統
一した。936年に高麗がとって替って、1392年の李氏朝鮮の登場まで高麗がつづく。
新羅は唐に、高麗は元に、李氏朝鮮は明と清にそれぞれ服属し、厳密な意味での独立
国ではなかった。

以上は私の理解に基く朝鮮史の概括である。私がこのように大略述べると、金さんは
高麗より以前の歴史は朝鮮半島の歴史では必ずしもない、と思いがけないことを言
う。3日前にきいていた話よりもっと思いがけない。すなわち、百済は今の中国の山
東半島、台湾、ベトナム、フィリピン、日本の九州、近畿にそれぞれ支配地をもって
いた分散王朝であった。新羅は主として今の北京とそこからひろがる中国の東方地域
を支配地としていた。朝鮮半島に位置づけられてきた百済と新羅は大陸の王権の出城
にすぎない。『三国史記』や『三国遺事』に述べられている朝鮮史はおうむね中国大
陸で起こった出来事を綴った歴史で、半島の歴史ではない、と。

以上は金さんの思いつきではなく、韓国のテレビ局が大陸に学術調査団を派遣して、
近年大規模に展開した放送内容に基く。勿論、数多くの研究書が出版されていて、百
済や新羅の支配地域も人により、本により、それぞれ異なっているらしい。


1月28日(二)
朝鮮最古の文字記録『三国史記』は1145年の成立である。『漢書』や『晋書』などの
中国の文字記録にたよる以外に、12世紀より古い時代の朝鮮史について厳密に正確
なことは何も言えないということは私もよく知っている。

それに高麗が中国の一部であり、半島の高麗朝は出城にすぎなかったということはあ
る程度までいえる。ことに後期の高麗は元の完全な制圧下にあった。高麗王室と元室
との一体化が進んだ。歴代の王は元の皇女を王妃に迎え、その男子の直系は成人する
まで元にとどめ置かれ、元の許可を得て、次の王位に登った。以上は私の知っている
高麗王朝の屈辱の歴史である。

これにつづく李氏朝鮮の支配が非文明に閉ざされた、堕落と硬直の儒教教条主義の
500年間であったことはよく知られているし、韓国の人も自覚している。従って、今
の韓国人には歴史に救いが見出せない。アイデンティティに大きな不安がある。そこ
で、百済、新羅、高句麗の活躍した三国時代にロマンを見出そうとしているのではな
いだろうか。

金さんはご自身も古代史について一冊本を書きたいというので、私は学問的に実証さ
れていない不正確なことを本にするのはよほどの警戒を要する。「きわもの」として
扱われると著者までが信用を失いますからね、と念を押した。通訳の若い女性——在
日三世——が「きわもの」をうまく訳せなくてことば探しで立ち往生した、というよ
うな一幕もあった。

われわれの対話本に、この話が数ページ程度あってもべつに信用にひびくわけでもな
いので、ぜひ地図つきで載せてもらいたいものだと思った。担当の編集者にも地図つ
きをお願いしておいた。ただ位置については数説あって固定していないので困る、と
も金さんは言っていた。

韓国人はいま自国史についてどんな希望を抱き、どんな風説を流しているのかはやは
り大変に興味深く、知っておいて悪くはないだろう。ニニギノミコトの天孫降臨の地
が朝鮮半島の南部で、日本の天皇家の祖先は朝鮮から渡った、という「学説」は戦後
ずっと韓国をにぎわし、最近もくりかえしシンポジウムや研究会が開かれ、論じられ
ているそうである。当然ながらそれにつづく次の彼らのロマンは、百済、新羅、高句
麗は大陸国家であり、朝鮮人は大陸に雄飛していた、という話になるのであろう。

金さん曰く、李氏朝鮮と人種的につながる祖先は、女真族(満州族)と同一であると
いう。いうまでもなく、清朝は満州族に統治された王朝である。つまり、朝鮮人が中
国の中原を奪い、1644年から1912年までの260年間の中国史の主人の座についてい
た、というようなたぐいのことも口の端から洩らしていた。勿論彼によれば秀吉の朝
鮮出兵は、日本人が明を倒し、中国史の主人公になろうとしたドラマの失敗例にほか
ならない。秀吉は朝鮮の侵略者、迫害者であったというような単純な言い方を彼はむ
ろんしない。

金さんは愛国者である。日韓併合肯定論もそこから出ている。けれども半島に多い偏
狭で、こわばった、せせこましい自国偏愛病者ではない。「あなたは過激な思想家で
すね」と私は言った。「えぇ、人にもそういわれます。」「しかしあなたの過激さは
少しもヒステリックではない。国境をこえた普遍性を信じているところがある。そこ
が救いです。」

彼はこんなことも言った。「東京はソウルに似ていると聞いてきました。しかし東京
は大きく、整然としていて清潔で、ソウルは何年たっても東京にはなれないでしょ
う。それに、日本人はもの静かで、電車でも街でも礼儀正しく、聞いていた話とだい
ぶ違います。」「あなたは正直な人で、見た通り考える人です。そこがまた救いで
す。」と私は応じた。

二人の対談本は『日韓大討論』と名づけてはどうかと私は提案しておいた。