9月29日(一) 第21回つくる会シンポジウム



 第21回つくる会シンポジウム「日韓歴史認識の共有は可能か」が東京杉並公会堂
で昨28日午後2:00〜6:00に行われた。出席者はまず話題のベストセラー
『親日派のための弁明』の著者金完燮氏で、出入国干渉のきわどいなかを来日され
た。この人を中心に、鄭大均、西岡力、勝岡寛次、司会兼パネリスト藤岡信勝の各氏
である。

『親日派のための弁明』を私はシンポジウムに間に合わせるように前日に読んだ。私
の感想は二つあった。(1)知的想像力のきわめて高い著者である。遠い時代、遠い
国の現実が今と違ってどうであったか、想像力を駆使してきちんと見ている。(2)
民族を越えた人類の普遍性を信じている愛国者である。愛国者であるが、民族主義者
ではない。日韓両方にある民族感情からはいささか遊離している。

(2)について少し予備説明をする。金完燮さんは韓国の偏狭なナショナリズム、国
際社会で通らない子供っぽい民族感情に辟易し、これを羞じている。こんなことでは
韓国は世界から相手にされない国になるということを心配している。その点では愛国
者なのである。けれども、民族の間の根の深い価値観の対立のもつ、どうしようもな
い暗い側面については徹底的に考えていない。

 金完燮さんは人類の常識を求めているコスモポリタンである。彼はアインシュタイ
ンの翻訳もある物理学者で、マルクスに一度は打ち込んだ政治経済学の研究者でもあ
る。光州事件に関与した左翼運動家であった時期もあるらしい。彼はこの件で「国家
偉功者」として表彰されている。つまり日本も韓国も超えた超民族的な価値に立脚し
ようとしている人だ。それゆえに、いっさいの既成の観念からとび離れた驚くべき認
識と発見が、『親日派のための弁明』には出て来たのであり、天才的でさえある。

 「日韓歴史認識の共有は可能か」の問いに一言づつ最初にYSEかNOかを答える
ようにという司会者からの要請に対し、YESと答えた、つまり共有が可能と言った
のは金完燮さんおひとりであった。他の4人のパネリストはみなNOであった。しか
も、4氏はニュアンスの違いはあるが、『親日派のための弁明』に対する自分の違和
感をそれぞれ語った。

 討議の最終の段階で、司会は「拉致問題」のために約40分の時間をよけておい
た。パネリスト5人の感想は興味深く、あとで報告するが、西岡力氏が「日本の科学
技術では、遺骨が誰のものかがDNA鑑定などで判るように、いつ死亡したかの時期
もわかる」と明言したのは注目をひいた。拉致の被害者が9月17日より後に処刑され
るのではないかという不安があり、それをさせない科学的警告であって、これは新し
い情報である。

 中華料理店での懇親会で私は金完燮さんと通訳をはさんで並び、たいへんに面白い
貴重な対談を交し、これをノートに記述した。シンポの内容とともに、私のこうした
体験もこのあと順次記録する。『親日派のための弁明』をあらかじめ読んでおくの
が、私の「日録」の続きを読む前提である。

9月29日(二)

「日韓歴史認識の共有は可能か」の問いにYESつまり可能と答えたのが金完燮さん
おひとりだったとは前回に述べたが、その可能の理由がまず第一に、朝鮮はむかし日
本だったからというまことに端的な理由で、つまり元は同じ国で、同じ戦争を一緒に
した同胞だったからだとあっさり切り出されて、私は吃驚した。あたかも親日派台湾
人の最も親日的な人が語っているかのごとき趣があった。

日本軍人になりたかった朝鮮人がいかに多かったか、志願兵の応募状況をみよと、金さ
んは数字をあげて説得せんとする。昭和13年(1938年)406人の志願兵募集に
対し応募数は2946人もあった。7、3倍のじつに難しい試験をくぐり抜けて晴れ
て帝国軍人となったのである。昭和14年(1939年)には600人に対し120
00人余、倍率は20倍を越えた。戦争もたけなわの昭和18年(1943年)には
なんと6300人の募集に30万人余が応募した。司法試験の競争率よりもはるかに
高かった。

台湾では昭和14年(1939年)に募集1020人に対し応募45万人、昭和15
年(1940年)においては1008人に対し60万人余。当時の台湾の人口は600
万であった。

朝鮮でも台湾でも最も優秀な人材だけが日本軍人になった。選にもれ、なれなかった
人は血書を書いて訴え、日本軍人になりたがった。それが数字によって赤裸に示され
る当時の人の心の現実である。

しかるに朝鮮人は戦後手の平を返すように、この過去の現実を忘れたふりをし、自ら
が戦勝国であるかのように振る舞ったので、日韓の間に心理的へだたりが出来た。朝
鮮人は日本と一緒に同じ敵を敵とし、同じ戦争を戦ったはずなのに、にわかに日本と独
立戦争を戦わせて自ら独立をかち取ったかのごときことを言い出し、歴史教科書にも
そう書き始めた。

これは明らかなウソである。

戦後すぐ米軍やソ連軍と一緒に、海外のごく少数の独立派と称する人々が戻ってき
た。これは半島内にいた人々とは異質な政権だった。彼等が外からやってきて、南北
の朝鮮をそれぞれ統治し始めた。もともと朝鮮半島内にいた人々は独立を望んでなん
かいなかった。しかも外からやってきた人々は自分達は戦勝国だと言い出し、そう振
る舞った。

1939年にドイツはオーストリアに侵攻し、これを併合した。両国は一緒に同じ敵
を敵として戦った。戦後オーストリアは独立した。しかしオーストリアはドイツに対
し戦勝国としては振る舞わなかった。しかるに南北の朝鮮は日本に対し当時も、そし
て今もなお戦勝国のように振る舞っている。これはどう考えても変なはなしである。
義理を欠く行為である。戦後の日韓関係のすべての間違いはここから始まる。

以上は金完燮さんの最初の話のおよそ前半部分の要約である。


9月29日(三)

私はシンポジウムの会場の片隅で、手帖にペンを走らせつづけた。この記録は私的覚
書に基く。録音再生も経ていないことをお許しいただきたい。

金完燮さん曰く、日本では歴史認識はちゃんとしていて、韓国ばかりがおかしいのだ
と思っていたが、日本でも韓国と同じ歴史教育がおこなわれていると知って、自分は
驚いた。今、日韓にそれぞれ歴史認識がある。しかもどちらも誤った歴史認識であ
る。日本の歴史認識をまず正し、これに韓国人をしてついてこさせることが必要であ
る。

自分にいわせれば、日本全体の反日教育は異常なことだ。これに対し、韓国の反日は
一種の「いじめ」である。

韓国では自分たちの悪いことをみな日本のせいにしている。日本から抗議がないから
図にのって、歯止めがきかない。例えばKOREAがKで始まるのは日本の陰謀であ
る。そもそもはCOREAだったが、アルファベットでJAPANのJの後に置くた
めに日本がKにきめた。

昔から朝鮮半島は兎の形をしているといわれているのに、近年、虎の形をしていると
考えられ、そのようにイメージされるようになった。もともと虎だったのを、日本が
兎と教えたから、元に戻さねばならない、というのだ。

これらは歴史認識の問題ではない。単なる感情の問題にすぎない。けれども韓国の若
者たちがこういったことを信じているのは事実である。余りにもバカバカしい内容だ
が、日本がちゃんと抗議すれば、消えていくはずだ。

韓国人がなぜこんなレベルのことを信じるようになったかは、政府による歪曲教育の
せいである。三点での歪曲がなされた。

(1) 韓国の歴史教育では、朝鮮民族が日本に同化したということを教えていな
い。自分自身は当時を経験したわけではないけれども、日本人は朝鮮人をいじめ、苦
しめ、殺したとだけ学校で教えられているのはおかしいと思ってきた。例えば満州進
出は日韓一緒だったはずだ。朝鮮人は満州で日本人として振舞った。満州人からみて
朝鮮人と日本人は区別されなかった。朝鮮系日本人の行動に満州人は反発した。彼ら
は白人を好んで迫害した。朝鮮系日本人はアジア解放を日本人よりも強く信じた。映
画にもなった「クワイ川の橋」を知っているでしょう。あの映画にも出てくる、白人捕
虜を苦しめたとされる日本人は、朝鮮出身兵だった。朝鮮出身兵は中国でも、東南ア
ジアでも、日本兵よりも忠実に戦った。こういったことをいっさい韓国では教えられ
ていない。

(2) 韓国の歴史教育では李王朝の時代の悲惨さ、民衆の苦しさを教えていない。
李王朝の末期はまさに生き地獄であった。

日本総督府の時代がはじまり、やっと大きな変化が訪れ、近代国家としての統治が開
始された。これは天地がひっくり返るほどの一大変化であった。しかるに今の韓国で
はこの事実を教えていない。教えていないだけでなく、正反対のこと、日本統治とと
もに苦しみが始まったと逆のことを教えている。

(3) 日本時代の半島の経済発展について教えていない。日本総督府治下の朝鮮半
島が世界最高の発展を残したことは、数字の示す明白なる事実である。ところが、歴
史教育では、この時代の政治が朝鮮経済をダメにしたと教えている。コメや工業製品
をぜんぶ日本に持ち去ったと教えている。

朝鮮半島が近代国家としてスタートを切ったのはすべて日本の力による、このことを
教えていない。むしろ朝鮮が近代的改革をしようとしたのを日本が邪魔したかのよう
に教えている。

一進会(注・民間の朝鮮人によって結成された日韓併合促進団体)の存在も教えてい
ない。一進会がなかったら、日韓併合は決して行われなかったであろう。

つまり、まとめていえば、韓国の歴史教育では、まったく教えていないか、又は逆の
ことを教えている。

以上金完燮さんの持時間は通訳が入って40分であった。


10月11日(9月29日のテーマの続き(四))

昭和30年代の前半、60年安保(昭和35年)を直前にひかえていた当時、日本の国
内世論の9割までが反米一色だったように思い出す。知識人の場合は99%までが反
米だった。けれども、当時それにNOと言う人がいないわけではなかった。福田恆存
のような思想家がいた。それが日本にとっては救いだった。私は戦後の韓国をみてい
て、反日一色の世論の中で、たった一人でもNOを言う人がいないのはなぜだろうか
とずっと疑問に思ってきた。

公正にものを見ようとする人、生活を犠牲にしてでも勇気をもって異見を述べ立てる
人——そういう人がいなければ民主社会ではない。全体主義社会である。金完燮さん
の出現は韓国の社会を私が今度あらためて見直すきっかけになった。金氏はたった一
人でNOと言ったからである。この一声は大きくこだました。ますます大きな響きと
なることだろう。

9月28日のシンポジウムについて、インターネット上に私とは別に体験記をのせた
人がいて、4人の日本人のパネリストは金さんに対し、少し失礼ではないかと言った
そうである。果たして失礼であったかどうかを検証してみたい。今の日本を考える一
つの面白い測定材料になる。

4人のパネリストの意見と感想を要約する。
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鄭大均氏曰く、金完燮氏は類い稀な人である。氏が展開した考え方は本来、私のよう
な在日の内部から出てくるべきであった。韓国がかつて日本帝国の一部で、両者は運
命共同体を形成していたことが忘れられているという金氏の指摘は正しい。しかし、
1945年以来韓国が変化したという事実がもうひとつ存在する。自分の中の日本人
性を取り去る努力、これが戦後の韓国人にはどうしても必要であった。これもある程
度理解すべきことと思う。

歴史認識の共有にはNOと答えざるを得ない。日本人にとってのヒーローと韓国人に
とってのヒーロー、例えば豊臣秀吉と安重根は、どうしても互いに相容れない存在で
はないか。自分の愛するヒーローを悪玉にしてもいいくらいの大転換がなければ、歴
史認識の共有はできない。

1960年代に二人の韓国人が日本人の歴史認識に大きな影響を与えた。朴慶植と金
達寿である。朴の『朝鮮人の強制連行』は、贖罪意識をもった心やさしい日本人のバ
イブルになった。金の『日本の中の朝鮮文化』はことに古代史の面で、朝鮮が日本に
与えた文化、朝鮮文化の先達性を語って、日本人の中に多数のファンを生んだ。

60年代のこの二冊の本が今の日韓関係を規定している。日本の内部で議論を高め
て、これらを克服する必要があるが、いずれにせよ、1945年以来、韓国も日本も
変化したという側面があるのに、金完燮氏は変化の事実をいっさい飛び越えている。


10月12日(9月29日のテーマの続き(五))

勝岡寛次氏曰く、金完燮氏の考え方を押しつめると、再び日韓は一つにならなければ
ならない。理の必然としてそうなる。

金氏の本が有害図書に指定されたおかげで、日本でよく売れた。日本でベストセラー
になると、韓国に逆流するので、いい変化が期待できる。現にソウル大学の西洋史の
教授が影響を受けた発言を始めている。

しかし実際には韓国の改訂教科書は悪くなる一方である。今度の新改訂版では、朝鮮
が中国の属国であった事実が書かれていない。元寇についてあれは元がやったこと
で、高麗は関係ないとされている。ひどいレベルの改悪である。

そこで心配なのは、5月に開始された日韓歴史共同研究委員会の行方である。2年後
に結論を出すというのだから、2年後に必ず問題になる。なにしろ座長が外務省のあ
の田中均氏である。危ない。

せっかく扶桑社の教科書が出て、ムードが少し変わってきているのに、また水をささ
れる可能性がある。扶桑社版のようなものの再来を防ごうというのが韓国政府の狙い
だからである。結論を教科書に反映させないのが表向きの約束だが、日本の検定は当
てにならない。われわれは二年後にフタを開けたときに、慌てることのないようにし
たい。
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鄭、勝岡両氏のはなしからは金氏への違和感はそれほど出ていない。ただ『親日派の
ための弁明』の新しさにびっくりして、戸惑っている観がある。いちばんきっぱりと
立場の違いを明らかにしたのは西岡氏である。

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西岡力氏曰く、日韓の歴史共有はNOである。自分は日本人として韓国と北朝鮮を研
究している。どこまでも他者の研究である。日韓が36年間同じ帝国に属していたか
らといって、そのことを理由に一緒にはならない。

自分は金氏の発言をお聴きして若干の疑問をもった。朝鮮の国内に独立運動はなかっ
た、と仰言ったが、国外の独立運動に国内から資金がとどけられていたとも仰言っ
た。これは矛盾ではないか。

戦前から戦後へかけて親日的である朝鮮人の医師の話をしたい。彼は終戦と共に侵入
してきたソ連兵による日本婦人の暴行を防ぐのに一計を案じた。性病の治療にきたソ
連人将校に、医師の立場から、日本の一般家庭婦人は貞操観念がないので性病が蔓延
している。慰安施設の女だけが医学衛生的よく管理されているから、性交渉を求める
のなら慰安施設だけを利用した方が安全である、そう教えて、ソ連人将校に信じこま
せ、日本婦人を守った。

それほどに日本人に親愛の情をもつ彼は息子を日本の陸士に入れた。しかしその動機
は、朝鮮の独立には武力が必要だということにある。陸士に入り、日本から軍事をま
なべ、そしてある段階を経たら金日成将軍のところへ行って独立戦争に参加せよと教
えていた。(この金日成はほんものの金日成のことで、北朝鮮の金日成はほんものを
かたった偽者であることはつとに知られている。)

彼ほどに親日的な人にも反日的愛国心が根底にあったことを言いたい。日韓の歴史認
識の一致はできない。日本が日本であり、韓国が韓国であったことには核がある。日
韓は互いにどこまでも他者である。私自身は他者として朝鮮を研究している。『親日
派のための弁明』に違和感をおぼえる所以である。

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これはかなりきつい指摘であった。


10月14日(9月29日のテーマの続き(六))


藤岡信勝氏は少しとりなすように、金完燮さんの本から学んだ認識や発見についてい
くつかの指摘をした。

李王朝がどういう社会であったかを考えるのに、金正日の体制のイメージをもってす
ればよい。大量飢餓に平然としている点では昔も今も変わらない。人口の三割が生き
残ればいいと考えているのが金正日の体制である。李王朝もまた働かない両斑(ヤン
パン)階級が1690年に人口の7.4%、19世紀に48.6%にものぼり、餓死
が通常化していた生き地獄の世界であった。

北朝鮮では李王朝と金日成・金正日の体制の中間に日本統治の36年間があった。統
治開始の1910年から1942年の32年間で、人口は1313万から2553万
に増加、生産力も2倍以上になり、平均寿命は24才から45才に上昇した。人口増
加率は同年の日本とほぼ同じである。

こうした数字から日本統治の合理性と有効性を割り出すのは科学的には十分に納得が
いく。民族感情はまったく考慮に入れないで、こういうデータがあればこうなるとい
う自然科学的判断に立脚して日韓併合時代の優越を導き出した金完燮さんのものの見
方は、一つの立場として納得がいく。

金さんは物理学者であり、アインシュタインの本の訳者でもある。ご本によると阪神
大震災のときに日本はこれでダメになると喜んだ反日派だったが、オーストラリアに
留学して外から韓国を眺めて一大転換した。その転換に日本人の影響がまったくな
い、というのが面白いし、重要な点だ。

しかし私見では歴史は、一つの「物語」である。国によって異なるのは当たり前であ
る。共通の歴史を共有しようとする人々が集って一つの「国民」を形成する。歴史は
nationalなものだ。しかるに金さんはnationalismを100パーセント否定してし
まっている。

金さんの判断は自然科学者の判断である。暗黙の前提となっているのは超合理的な価
値観ないし人生観である。日本人論から出たものでもないし、何らかの歴史観から出
たものでもない。かくかくの物質的条件がデータで証明されれば、そこに住む住民の
幸福感も証明されるという考え方である。これはナショナルなものをより重視する韓
国の主流の考え方にはなれない。

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以上をもってシンポジウム第Ⅰ部の、私による要約整理を終る。この後第Ⅱ部で自由
討論があった。

4人のパネリストはご覧の通りベストセラー『親日派のための弁明』の示した親日性
にも拘わらず、それぞれ違和感ないし否定的批評を展開した。これをどう考えるべき
だろうか。

私は金完燮さんの本にはこの4氏が述べていない魅力と新発見が数多くあったと思
う。4氏が金さんに少し「失礼」だったかどうかは別として、韓国の戦後の病いを金さ
んが正しく診断し、治療しようとした長所を4氏はもっと評価すべきであった。韓国
が自己否定してきた戦後は日本がやはり同じ意味で自己否定してきた戦後と重なって
いて、日本の問題でもあるからである。

勿論、日韓は他者同士である。歴史は国によって異なり共有できない。けれどもそれ
とはまた別に、注目してよい諸発見があの本にはある。それをどう考えるべきかは、
稿を改めたい。



10月16日  「金完燮さんについて」


9月28日のシンポジウム第Ⅰ部の内容について、9月29日付、10月11,1
2,14日付に6回に分けて、当「日録」で要約紹介した。このシンポジウムはベス
トセラー『親日派のための弁明』を書いた金完燮さんを韓国から招いて行われた。当
日の4人の日本側のパネリストの見解は、10月11、12、14日分に要約されて
いる。要約者は私であり、文責も私にある。

パネリストの意向に添うているつもりだが、勿論文字通りに厳密ではない。それは承
知のうえであるから、4人のパネリストに不当なことをしていないかと多少恐れての
話だが、10月15日付「竹林問答塾」(でじゃ・ぶ氏投稿)の「学者や知識者とい
う商売は厄介なものだな」は考えさせられる問題を提起しているように思えたので、
ここにあえて再掲示する。

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題名: 学者や識者という商売は厄介なものだな
投稿者 でじゃ・ぶ 投稿日 2002年10月15日 02時03分 (竹林問答塾)
4人のパネリストはご覧の通りベストセラー『親日派のための弁明』の示した親日性
にも拘わらず、それぞれ違和感ないし否定的批評を展開した。これをどう考えるべき
だろうか。

上記はシンポジウムに対する西尾先生の問いかけである。
小生は残念ながらシンポジウムには参加できませんでしたが、4人のパネラーのそれ
ぞれの発言要旨は西尾先生の日録で良く理解できました。
小生の第一印象は「学者や識者という商売は厄介なものだな」というところでしょう
か。
他者を大らかに賞賛することは学者としてのプライドが許さないのでしょうか?

本来ならば日本の学者が堂々主張しなければならないところを、韓国の名もない、彗
星の様に現れた若い物書き(学者としての実績があるかどうか不明)が、余りにも見
事に日本の統治を正当化して見せた事に狼狽え、嫉妬したとしか思えないのです。

金完燮氏は日本の統治が韓国を革命的に儒教の世界から救出し近代化の道標になった
という意味で日本の統治を正当化しているのであって、韓国人の愛国心が無かったと
言っている訳ではありません。

「韓国人が自分の中の日本人性を取り去る努力が戦後の韓国人にはどうしても必要で
あった」から虚偽の歴史を教えても良いという話ではないし、戦後50有余年もそれを
続けることが韓国にとって不毛の結果しか生まない事を危惧しての金完燮氏の発言な
のです。

物理学を専攻しただけに数字や統計を使っての論建てには説得力があるが、歴史はそ
れだけではないnationalなものであり「物語」なのだと言いますが、それならば北朝
鮮の金日成、金正日神話が「歴史」だと言うのでしょうか。
どうもパネラーの皆さんの反論は説得力がありません。為にする反論、悔し紛れの反
論としか思えないのです。

小生は韓国の諸問題について関心があり日本で出版された韓国関連の書籍はほとんど
チェックしています。特に歴史問題については日本の対応こそが問題を複雑にしてい
るのであると理解しています。韓国がナショナリズム高揚のために反日教育をするこ
とを是とするものでは有りませんが、歴史の解釈、認識に日本と違いが有ることは当
然と考えます。
しかし余りにも事実を歪曲する歴史観には辟易するばかりか絶望感すら感じます。
その上日本の対応の拙さに乗じて教科書問題に容喙する韓国には「身の程知らず!」

言わざるを得ません。

近年、滞日10年をへての日本研究から紡ぎ出された呉善花氏が書いた日韓関係の
数々の著書は小生に少なからず希望を与えてくれました。
そして今回、金完燮氏の『親日派のための弁明』を読んで大変なショックを受けまし
た。
余りにも率直とも言える日本の統治に対する好意的評価に何か裏があるのではないだ
ろうかと、読後暫く考えがまとまらない状況でした。が、韓国の親日派への狂信的な
拒否反応を覚悟の上で
(正に命がけで)金完燮氏がこの本を発表したことに深い感動を覚えたのです。この
ことは同時に、冒頭で述べたように、本来ならば日本の学者こそが韓国からの非難を
恐れずに書くべき本ではなかったのかと思い、日本では多くの識者や学者が金完燮氏
に賞賛の言葉を贈るだろうと思っていました。

しかし残念ながらそのようにはならなかったのです。
一体、何故なのでしょうか?
金完燮氏の韓国での立場を考えて自主規制をするという優しい心根からでしょうか?

少なくともこのシンポジウムの結果を見る限りそうではなく単に器量の問題のように
思えます。又、日本の学者や識者には大所高所からの政治的センスが欠けているので
はないでしょうか。金完燮氏を盛り立てる事が韓国に多くの金完燮氏を育てることに
なり、しいては日韓の歴史認識の差が少しでも縮まり、韓国の反日感情も穏やかにな
る事を期待できるのではないでしょうか。

勿論、そうなるには時間も掛かるでしょう、あるいは韓国は変わらないかもしれませ
んが、革命的な仕事を成し遂げた人に対する「思いやり」が余りにもなく、思いやり
を示すより己を主張することを第一義とする「学者や識者は厄介な商売だな」と思わ
ざるを得ません。
===============================

じつは次のような一面もある。
シンポジウムの演題が「日韓の歴史認識の共有は可能か」であった。従って、最初に
司会者がYESかNOかでひとこと答えて下さい、と言ったために、金完燮さんの仕
事への評価が一つの方向に限定されてしまった。この点ではパネリスト全員はNOな
ので——かく言う私もNOである——、どうしても話の内容がNOである理由の説明
に傾きがちになり、金さんにいささか不当な話の展開になってしまった一面があると
思う。この点は私から釈明しておく。

「歴史認識の共有は可能か否か」という二者択一の問い詰め方を、金さんは恐らく普
段あまり考えていなかったので、YESと答えてしまったのだと思う。

しかし「でじゃ・ぶ氏」の言う通り、『親日派のための弁明』にはこういう問いを越
えて、人を感動させる高潔な自己否定の精神が宿っている。これは日本人だけでな
く、心ある韓国人をも感動させるのではないかと思う。

「でじゃ・ぶ氏」の見解に触れてご意見ある方は「竹林問答場」にご投稿ください。
『親日派のための弁明』のどこに感動したかを書いて下さるとうれしいです。

なお、問題のシンポジウムは、全文ではないと思うが、『諸君!』新年号(12月初旬
発売)に掲載される予定である。