10月3日 「国民の芸術」について
9月28日のシンポジウムの再録と検討をつづけている途中であるが、今日は田中
英道氏の『国民の芸術』の推薦文を書いた。大冊をざっと読んで、書くのに三日は要
している。10月2日は北朝鮮拉致調査団の帰国報告をテレビで見て、3日は新聞を
読んで、『諸君!』『正論』の11月号を読んで、考えることが多く、落着かない。
推薦文はそんな中で書いた。
『諸君!』11月号平沢勝栄氏、古森義久氏の文章は白眉。いったい日本は北朝鮮
との外交交渉をこの先どうするつもりなのだろうか。米国の対イラク戦が終了するま
で、国交回復などしない方がよいにきまっている。武力はアメリカだのみの日本であ
る。アメリカが全力で北朝鮮に対決してくれるまで、引き延ばすにしくはない。しか
し拉致問題だけでいつまで引き延ばせるのであろう。それがいま新たな私の心配であ
る。
さて、『国民の芸術』の推薦文がひとりでも多くの人の目に触れ、ベストセラーに
なるのに役立つのを祈っている。
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拝啓其後みなさまにはご健勝のこととお慶び申し上げます。
みなさまのご支援で愛媛県の中高一貫校の採択に成功し、一つの風穴を開けることが
出来ましたことに心から深く安堵いたしました。なんとかして来年は、今までわたし
たちを拒んでいたどこか新しい府県で、中高一貫校の採択が実行されるよう期待し、
努力していきたいと存じます。
さて、本年十月二十九日に、いよいよ待望久しい田中英道会長の力作『国民の芸術』
が刊行されます。
この本は非常に独創的で、切り口も大胆な、新しいスタイルの日本文化史です。
ちょっと目次をみるだけでも、「仏教がキリスト教を生んだ」「聖徳太子が世界の宗
教を融合した」「『大学』は七世紀に創立された」「奈良の初のオーケストラ」「光
源氏は大画家だった」「親鸞はルターを先駆けている」「日本の大学は西洋より進ん
でいた」「巨大で美しい城は芸術作品だ」「浮世絵はなぜ『近代』絵画の先駆けなの
か」「日本映画の黄金期 黒沢明、溝口健二、小津安次郎」等々の、とても目新し
い、すぐにも開いて読んでみたくなる魅惑に満ちた章節がずらりと並んでおります。
さりとてこの本は、鬼面人を驚かすはったりの書ではなく、国際的な美術史家として
知られる田中氏の積年の、美を見てきた体験と古代の宗教や文芸について深めてきた
学識研鑚の足跡が自然ににじみ出た一大集成です。若い頃から日本文化史を書きたい
との野心を持っておられたので、国民シリーズの機会にそれが花開いたのは「つくる
会」にとっても、著者にとっても、ある意味で大変に幸運な出来事でした。
第六章の(3)「神道の偶像崇拝の禁止」において、著者は「日本の神話の神々がな
ぜ、ギリシャの神々のように、あるいはメソポタミアの神々のように、その姿が像と
して表現されていないのだろうか」という興味深い問いをたてています。「日本では
仏像は造られても、日本の神々、とくに天照大神像の姿がどこにもない。」
神道は形象だけなく、言葉もあまり残しません。『国民の芸術』の主題を象徴するポ
イントの一つがここにあるように思いました。
日本の歴史を叙述するのに通常の歴史家はひたすら文献にこだわります。言葉や文字
にとらわれます。いわゆる近代の文献史学は言葉や文字を絶対の基準にしていて、書
き残された文書の細部にのめりこみ、全体の価値観が希薄になります。そこで、全体
の価値をきめる大枠はマルクス主義から借りてきます。実証主義の仮面を被ったマル
クス主義——それが日本のいわゆる「歴史学」です。
しかし歴史には目に見えないものがあり、ことに日本の歴史には顕著です。古代文化
が?文字時代から始まること、先にみた神道の特性が関係していること、この二つに
原因があると思いますが、「歴史学」の射程に入らない隠されたこの世界をどう表現
していくかがこれからの新しい歴史叙述の課題だと私は考えています。
『国民の歴史』がこの点で成功しているとは必ずしもいえませんが、言葉が成立する
までの数世紀に及ぶ「沈黙の歴史」の示唆、ならびに西欧や中国やモンゴルの外側か
ら光を当てる比較文化の方法などで、日本の歴史には文献資料に現れ出ていない影の
部分があることをしきりに力説したことだけは私も覚えているし、読者も記憶して下
さっていることでしょう。
田中英道氏は私が四苦八苦したこの難問をやすやすと解決してみせました。何によっ
て解決したか。言葉や文字が表現していない影の世界は美術作品によって、色彩と形
態によって十分に語られているという、今まで日本の歴史家が見ないできた背後世界
をはっきりと目に映るように表舞台に出す“美の認識者”の方法態度によってです。
「形も言葉も対象となるのを謹んだ日本の神々はいったいどこにいるのであろう」と
氏は書きます。そして、その答えは、形なき日本の神々が仏像において表現されてい
ること、「神々は表現されず、仏像たちは表現されるのである」という認識によって示
されます。「仏教がもとで神道が従うとする本地垂迹説とは逆である。主神仏従なの
である。」
右は浩輪な本書の数多いテーマの一つにすぎませんが、書物全体に流れている主奏低
音といってよいように思います。仏教彫刻が日本の「歴史」の中心部分を形成すると
いう主張がこの本の魅力の大きな部分を形成しています。
まだまだ申し上げたいことが山ほどありますが、別の機会に譲りましょう。
田中英道氏は人柄は柔和で、謙譲で、心の広い伸びやかな方ですが、他面、思想に関
わることには頑固で、後に引かず、闘争心旺盛です。「つくる会」はとても頼りにな
る得がたい人材を会長に頂くことが出来たのを喜びたいと思います。皆様のご支援を
私からも切にお願い申し上げたく、一筆いたしました。
平成十四年十月三日
西尾 幹二
新しい歴史教科書をつくる会
会員各位
其後皆さまには
敬具