10月8日
『産経』『読売』『東京』(8日付)北朝鮮情報の感想
三紙が共に伝える。7日北朝鮮外務省スポークスマンは、訪朝したケリー米国特使を
「極めて圧力的で傲慢だった」と非難し、アメリカは「強硬な敵視政策」をつづけて
いると激しく批判した。このように、米朝がぶつかったことが証明されたのはいい傾
向だ。北朝鮮が反発して初めてアメリカの要求が妥協のない強い、内容であったこと
が明瞭になった。
アメリカが北の柔軟な出方に乗るようなことがあってはかえって先が心配だ。北朝鮮
は当分の間、フセイン以上に激しいことばの応酬をするだろう。
『産経』が一面トップで、日本政府は日朝交渉代表団に警察を加えること、交渉会議
において一案とされていた拉致の分科会方式をやめることを報じている。なを第二次
現地調査団も当分見合わせるそうだ。そして拉致に関する進展がない限り2回目以後
の交渉継続に応じない方針を確認している。
政府はよほどしっかりしてきたように思う。相手が相手だということが少し分かって
きた様子だ。交渉会議で拉致を前面に出して戦う意思である。分科会方式や第二次現
地調査団派遣というやり方では、拉致問題は二の次にされて、本交渉と切り離されて
しまうという北朝鮮ペースを恐れている。私はこのことをずっと心配していたので、
政府方針の確定に安堵をおぼえた。アメリカの強硬姿勢とタイアップしていて、これ
でいい。(この重要な記事は『産経』のみ)。
田英夫が懲りもせずに次のように言っている。
「イデオロギーの違いを超えて北朝鮮が国際社会の中に入ってくることが大事。拉致
被害者の家族の皆さんにはお気の毒だが、拉致問題を理由に国交正常化をせず、平和
の方向に行くことをとどめるべきではない。ご家族の感情はよく分かるが、一緒にす
るのは問題が違う。」(産経3面)
田英夫の上記のような意見がやがて国全体で再び盛り返すのをいかに阻止するか。金
正日の体制が崩壊しない限り、生死不明の8人の被害者の行方も、さらに60〜70
人といわれている拉致可能性を残す日本人の行方不明者の安否も、それ以外のあの国
の隠された巨大犯罪も、なにひとつ白日の下にさらされることはないであろう。金体
制のままであの国が「国際社会の中に入ってくること」が考えられるのかと聞きた
い。それなのに、ぬけぬけと金体制との和解と協力を平和の名において口にする田英
夫のようなものの言い方がこれから増えてくるだろう。否、すでに何人もの人がそう
言い始めている。
拉致事件に限定した分科会方式を提案したのは、外務省アジア大洋局参事官斎木
昭隆氏、政府調査団の団長である(『毎日』10月4日夕刊)。外務省はやはり脇が
甘い。結局は田英夫の側に与しているのである。
韓国も半島和平ムードを煽り立てていることに注目。「韓国の『中央日報』紙は『新
義理州特区』の『実験』を成功させるため、『米国は対北朝鮮制裁を放棄するべき
だ』と強調した。」(9月25日中国『人民日報』電子版)と報じられている。
田英夫の側に与するのは必ずや日本の自民党の中にも出てこよう。これが増えていく
のがいちばん困った、面倒な方向なのだ。
日本のとるべきは、拉致問題を交渉の前面に押し立て金体制の傷口を大きくするこ
と。国交正常化交渉は、スターリニズムの国を解体する突破口であって、国際社会に
今のままで迎えるための入り口ではない。
10月9日
横田めぐみさんが結婚していた相手は「会社員」と記録されていた。この会社員とは
「工作員」のことだと以前テレビで元・工作員が語っているのを聴いた。テレビから
私も色々な情報を得ているが、テレビの画像と音声はあっという間に消えてしまうの
で、正確に把握できないでいる。
8日夜テレビ朝日10:00〜の時間帯に、顔を隠した在韓元・工作員による「招待
所」についての説明があった。党幹部の住む家から日本の歌の声が聞こえたので彼は
不審に思った。党幹部にそれとなく尋ねると、8〜10人の日本人を預かっている。
党幹部の夫人が世話をしている。「決していいことだとは思っていないが、日本から
拉致されてきた人たちだ」という説明もあったという。日本人の姿を見ることもあっ
た。生活は党幹部なみに保護され、朝になると外出し、ベンツで送迎されていた。自
動車事故で死亡するとは考えられない。自分は可哀相な人たちだと思っていた。数年
後、件の党幹部に再会し、彼がまだ「招待所」の世話係をしていて、拉致日本人は10
人いるとの説明をも受けた。それは1996年(?)のことであった。(この年号は
テレビの早口で聴き取れていない)
横田めぐみさんが精神病院に入院して自殺したという回答だったが、自由社会のよう
な、普通の「精神病院」が全体主義国家にあるとは思えない。鬱病くらいで入院できる
病院体制が完備しているとも思えない。ソ連・東欧の例をみても、精神病院とは体制
にとって不要な人間を抹殺する「強制収容所」の別名である。
私は1992年に東欧を歩いて『全体主義の呪い』(新潮社)を書いたが、あの本の主
題と観察が、やっと日本でも実感されるようになったのかとも思う。10年以上前か
ら西ドイツや韓国の人がしばしば耳にしていた体制犯罪の暗部を、日本国民は今初め
てやっと少し覗き見たのである。日本人はこういうことにまだ慣れていない。
8日付『朝日』『読売』(夕刊)で注目されたのはブッシュの対イラク演説であった
が、今ここでは取り上げない。これから多分この方がニュースとしての重要性を増し
てくるだろう。
9日午前のニュースで生存とされた五人の帰国(10月15日)がきまったそうだ。
予想より早い。多分一時帰国だろうから内密の話の内容ははかばかしく外には報道さ
れないだろう。生存の5人は正式の結婚が可能であったと想定され、表面に出せる
人々で、そうでない人々はみな「死亡」とされているのだからやはり何かを隠してい
る。
9日付『読売』『産経』が福田官房長官の記者会見の内容を伝えている。ここでやっ
ぱり疑問になるのは、次に示される「解決」の二字である。( )内は私の感想であ
る。
——日本政府が求めていく拉致事件の全面解決とはどういう内容か
「事実関係が納得できるような形で解明されるのが好ましい。同時に、解明された後
にはどうするかという両国間の話し合いが当然ある。それがすべて終らないと解決し
たというわけにはいかない」
(すべてが終る、とはどういう状態を指すのだろう。金体制がつづいていて、「終わ
る」という状態が起こり得るのだろうか。生存を予想されている8人の死者を生きた
まま取り戻すには、体制の終焉以外にあるまい。)
——早期の正常化は難しい
「正常化交渉では(拉致事件を含め)いろいろなものを討議する。安全保障なども交
渉する。多少の時間がかかるのは当然だ。慎重に粘り強く交渉するものだと思う」
(安全保障交渉は、イラク情勢と切り離せない、となぜ正直に語らないのか。日本に
交渉権はない。日朝だけで約束を交しても効果がない。)
——拉致事件に対する北朝鮮への賠償請求は
「事実解明とあわせて話を進めていく問題だ。原状回復とか賠償、違反者の処罰もあ
るかもしれないし、陳謝、再発防止というのもある」
(違反者の処罰とはすなわち金正日の処罰ということに帰結するのではあるまい
か。)
以上政府は「解決」をめざすと言っているが何をどう解決するつもりか。『毎日』9日
付“解説”のさいごのことばが正鵠を射ている。
ただ、外務省幹部は「底なし沼のようなものだ。日本国民が金正日体制に不信感を
持っている以上、いくら拉致についてただしても国民の納得は得られないのではない
かというジレンマがある」と話している。
まさしくこのことばの通りである。
10月10日
何度も言ってきたが、日本国民は北朝鮮と国交正常化それ自体をしないで済めばむし
ろしない方がよい。あの地域が危険のない、普通の民主国家になることが国交正常化
の前提条件である。そして、隣接する中国もまた、自由主義体制の常識的な国家に
なっていただく。そうならないなら、国交はむしろしない方を希望する。共産主義中
国とは今仕方なくて国交を開いているにすぎない。北朝鮮とは仕方なく国交を開く必
要すらない。そういう現状であることをゆめ取り違えないでいただきたい。
『週刊新潮』(10月17日号)の巻頭2ページ「アメリカに『拉致問題に介入する
な』と言った『亡国官僚』田中均局長をクビにせよ!」は久しぶりのヒット記事であ
る。
10月4日付『産経』一面下段に「田中局長 米国特使に拉致協力もとめず 米側が
不審▼安部氏らは要請▼ようやく了承」として出た記事内容とほぼ同一である。しか
し
『週刊新潮』はことの顛末を詳しく、物語風に叙述していて、何が起こったか初めて
よく分かった。これはひどい話だ!
田中均は金正日のご機嫌を損ねたくなかった。国交正常化を優先し、拉致問題はむし
ろこの次で、アメリカに口出ししてもらいたくないので、小細工を弄した。
ケリー国務次官補が訪朝する二日前の10月1日、アメリカ大使公邸での夕食会に、
田中は政治家を招待客のリストから外し、外務官僚だけで出かけて行って、席上ケ
リー国務次官補に「アメリカ政府は拉致問題にこれ以上深入りしないでほしい」と
言ったのである。ケリーは意外な言葉に怪訝な表情を浮かべた。発言は田中の独断で
ある。アメリカの圧力で北朝鮮はやっと態度を変えたという前提を田中はあえて無視
している。日本国民より、金正日のほうに顔を向けているからである。
以下『週刊新潮』の記事。
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そもそも、その夜の夕食会の日本側の出席者を人選したのは田中局長だったが、そこ
に陰謀が隠されていた。
政府関係者が続けていう。
「ケリー国務次官補が来日する前に、ベーカー駐日大使が福田官房長官を訪ね、アメ
リカの訪朝団と会ってほしいと要請があったのです。福田さんは、安部さんの方が北
朝鮮に精通しているので、安部さんとの会談を勧めた。そこでアメリカは福田さん、
安部さんとの会談を希望したのです。ところが田中局長が日程を調整して出してきた
夕食会の出席者の中に、福田と安部の名前はなかった。表向きの理由は“お二人とも
内閣改造で忙しいので、代わりに田中が務めます”ということなんですが、はっきり
言って、意図的に二人を外したとしか思えない。」
福田官房長官や安部副長官が国務次官補と会えば、当然、協力を要請するだろう。田
中局長は、その動きを封じ込めるつもりだったのだ。
実際には、官邸の巻き返しによって、福田官房長官も出席することになったのだが、
スケジュールの都合で、1時間遅れて現れた。その前に、田中局長はケリー国務次官
補に「深入りしないでほしい」と釘を刺していたのである。
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『週刊新潮』は次官になりたい田中の出世欲だと書いているが、それだけでは決して
ない。アジア局の外務官僚の「反米親中」体質そのもののせいであると思う。アジア局
を解体しない限り、国益は守れない情勢と見る。
9月17日の日朝会談当日、被害者の死亡年月日の入った安否リストの内容を田中均
が首相に伝えたのは、会談終了から一時間以上たった午後5時頃であったことはつと
に知られている。安部、福田、川口の三人はカヤの外に置かれ、リストの存在は後で
知らされた。署名直前まで田中と一部の外務官僚以外には隠されていた。この事実は
今ではあまねく知られているが、この件に関する時間刻みの詳しいレポートは、『諸
君!』11月号平沢勝栄論文をみられたし。
田中均の策謀は二度であったわけだ。一度目は成功し、首相を署名に走らせた。二度
目はケリー国務次官補が疑問に思い、日本政府に問いただし、ことなきを得た。二度
も反国家的独断行動をした官僚が今後も生き残れるかどうか、われわれはじっと見届
けていきたい。
私の心配は、田中均の身分は首相によって守られるだろうということである。もうひ
とつ言いたいのは、マスコミでいま「反米」を口にして強がりを言っている人は、結
局は田中均の側についている結果になるのだということである。アメリカとの協力で
はじめて成り立つ金体制への圧力である。こんな簡単な前提を抜きにして、拉致問題
を批判的に扱っている人は論理矛盾に陥るほかない。再び『週刊新潮』の記事の終結
文。
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10月6日、訪朝を終えたケリー国務次官補は東京に立ち寄り、大使公邸で報告会が
催された。日本側の出席者は、川口外相、福田官房長官、安部副長官、田中局長な
ど。その席で、ケリー国務次官補は、田中局長の顔を見ながら、
「アメリカ政府は、日本の要望通りに拉致問題について北朝鮮にしっかり要請してき
ました。」
と、嫌味を飛ばした。
国交正常化交渉の前に、拉致問題の解決が先決である。世論を蔑ろにする亡国官僚な
ど、即刻クビにすべきだろう。
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田中真紀子を追放するのに功のあったこの週刊誌の取材と筆力に、あらためて敬意を
表しておく。
10月17日
10月15日午後6:30〜北朝鮮の拉致被害者の記者会見をテレビでずっと見
た。ひとつ気になる発言があった。蓮池さんのお兄さんの発言である。16日朝に
なって正確な文言を新聞の「家族会見詳報」で確かめた。次の通りである。
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兄の透さん 弟とタラップで会いまして、ビデオで見るよりは活気がありました
ので一安心いたしました。それで、この記者会見に出るかどうかを彼に聞いたとこ
ろ、向こうでも八人の方が亡くなられているというふうに伝えられているようでし
て、「私のようなものが皆さんの前に出るのは忍びない。表に出るような身分ではな
い」というような発言がございました。
それにつきまして、お前には出る義務というか責務があるから、国民の皆さんが姿
と声を望んでいるから、一言でもいいからしゃべってくれ、ということで、むしろ祐
木子さんの方から促されて薫が承諾したというような形でございます。
(読売10月16日)
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8人の日本人が亡くなられているので、「私のようなものが皆さんの前に出るのは
忍びない。表に出るような身分ではない」とはどういう意味だろう。謎めいている。
15日夜11時頃のテレビで、たくさん見たのでどこのチャンネルであったか覚え
ていないが、有名な元北朝鮮工作員がテレビの画像を前に置いて、蓮池さんを指さし
て「あぁ、あんな高い地位の工作員までが帰国している」と叫んだ。テレビの画面は
あっという間に消えたので、今さら確認しようがないが、見たのは確かで、私の幻覚
のたぐいではない。
つづく16日午後2:00〜のテレビで、午前中に拉致被害者に会った他の家族
——死亡と認定されたほうの——による記者会見が放映された。午前中にホテルの各
部屋に、被害者ごとに3グループに別れ、写真などをみせて、見覚えがないかをたず
ね、対話して歩いたいきさつを家族が報告した。帰国組の5人は一様に下を向いて、
知らない、見覚えがない、と答えるばかりだったらしい。
ただし横田めぐみさんに関する限り、5人はめぐみさんと交流があったことを伝え
た。ミシンの使い方を教えてあげた、映画をよく一緒に見に行った、等々。ただしめ
ぐみさんを日本人とは知らずに付き合ったという。めぐみさんの情報だけがかなり表
に出たが、他の日本人については不気味なまでの沈黙が支配していた。対比がいちぢ
るしい。
蓮池さんと地村さんの二組の夫婦は知り合いだったが、日本人であることを互いに全
く知らないで今日まできた。恐怖すべき事実である。
蓮池さんと地村さんのご主人は、横田めぐみさんが結婚した相手とされる男性ともそ
れぞれある時期に同じ「会社員」として同僚であった。会社員とは「工作員」のこと
だとは前に別の人からの説明があった。
生存した被害者は、死亡したとされる被害者の家族から大きな期待を寄せられてい
たのにも拘わらず、最初家族との会見をいやがった。蓮池さんのお兄さんは午後も遅
い会見で、弟は「会わせる顔がない。横田さんのご夫婦にだけは会いたい。北の赤十
字の人(同行者)に連絡をとりたい」と言っていたと報告した。
筑紫哲也氏が15日夜TBSテレビニュース内の多事争論で、「これから彼らの身
において何が分かっても、彼らの責任ではない」という意味のことを語った。「これ
から彼らの身において何が分かっても」という前半の台詞が気になった。
分かっているのは以上の諸事実だけである。ここから先は憶測である。
歴史からひとつのことだけがいえる。ナチスのユダヤ人迫害には、ユダヤ人による
組織的協力があった。
全体主義の恐怖社会で生き残りに成功した者は、過去にそれなりのことはあった。