10月22日 アメリカの動き


『正論』12月号への拙稿「わたしの9・17から10・16観察記——小泉訪朝・
拉致被害者帰国・北朝鮮核開発——」(47枚)を昨21日夜8:00に脱稿した。

「日録」の読者は9月17日小泉・金正日対決の日以来、私がテレビと新聞と週刊誌を
追いつづけてきたことをご承知であろう。どうも私は地球上に起こる現実の出来事に
無関心でいられない。何か大きな出来事が起こると、毎日そこだけに関心がいく。夏
の終わりから本居宣長を読みつづけていたのだが、9月17日から古い文章には手が
伸びない。心を落着けて、と自分に向けて語りかけるのだが、どうしても現実へ目が
向く。

今回の「わたしの9・17から10・16観察記」は闇雲に自分から書きたくなっ
て、書いた。9月12日に着手し、21日までかかったのは、私としては時間のかか
り過ぎである。書いている途中で次々と事件が新たに発生し、時局が動くので、とて
も書きにくい。被害者の帰国は10月15日、アメリカによる北の脅威・核開発公開
は10月16日であった。原稿の〆切りは18日。〆切りを二度延ばしてもらい、原
稿の分量も二度増やしてもらって、やっと脱稿に漕ぎつけた。最近は書き終わると、
歳のせいかどっと疲れが出る。

日本を揺さぶった今回の出来事を、地球規模の視点で、時間的には9・11米同時多
発テロ以来、冷戦後の「後」が始まった問題として捉えようとした。ひとつにはベル
リンの壁の崩壊がやっと東アジアに及んだことだといっていい。もうひとつには「抑
止」や「封じ込め」による平和維持政策がテロの出現で破綻し、アメリカが「先制攻撃戦
争」preemptive warという新概念をもち出したことから、地球がにわかに動き出した
点だ。

20世紀の初頭から戦争のルールを決めているのはアメリカの「世論」である。むか
し日本やドイツはそれを読み間違えた。日清・日露までは日米の戦争観は並行してい
る。第一次世界大戦以後アメリカはルールを変えた。この戦争は「総力戦」total war
だった。日本は「限定戦争」partial warで勝利し、欧米の戦争観、少なくともアメリ
カの戦争ルールがそのあと変わっていることに気がつかなかった。

今度またアメリカは新しく動き出している。対イラク攻撃のことである。北朝鮮問題
の行方はイラクにおけるアメリカの行動の正否いかんにかかっている。「わたしの9
・17から10・16観察記」に次の一文がある。読者に早めにチラッとのぞいてい
ただくことにする。

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しかしそれでも、多分寒い冬の夜中に、アメリカがイラクに「先制攻撃」を開始する
可能性はきわめて高い。

さて、そこで北朝鮮問題だが、アメリカが(1)攻撃はしないで、国連決議に基くイ
ラクの核査察の結果を承認して、サダム・フセインの生き残りを容認する、(2)イ
ラクを攻撃し、フセインを排除する戦争にまたたくまに勝利し、戦後処理もスマート
にやってのける、(3)勝利はするが、市街戦で苦戦して長期化し、一般市民に大量
の犠牲者が出て国際的非難を浴びたり、イラクの戦後の立て直しで失敗し、アメリカ
国民の多くが責任を背負いこみたくないと考え、逃げ腰になる、などの可能性によっ
て、それぞれ違った局面をみせよう。

われわれから北方の悪魔の重しが取れるのに一番いいのは(2)である。ケリー国務
次官補はすでに10月3日〜5日の訪朝時に、北朝鮮は国境から兵を引くこと、韓国
と兵力を均等にすること、核兵器と化学生物兵器の廃棄を約束し、査察を受けるこ
と、南北間に数キロ幅の緩衝地帯を設けること、多分これくらいの申し渡しをしてい
ると予想される。アメリカがイラクに大勝利を収めれば、この申し渡しは実行を迫ら
れ、中国、ロシア、韓国も黙って従うので、金正日軍事体制は国内的に持たなくなる
だろう。(1)の場合には、北朝鮮が拉致問題を形式的に「解決」し、核査察を受け
入れた段階で、独裁者金正日に日本は巨額の経済支援を実行する羽目になるだろう。
(3)のケースではもっとひどい。中国、ロシア、韓国が発言力を増し、金正日を擁
護し、核危機をかかえたまま日本に資金を出させようとするであろう。

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以上は私の推理である。当たるか当たらないかは分からない。しかし当論文を最初か
らずっと読んでいただければ、上記の結論の出てくる筋道がわかり、納得していただ
けるだろう。

近づくイラク戦争に関しては、アメリカが正義か不正かという議論ばかりが横行して
いる。これからますます「気分的反米」に傾くだろう。ヨーロッパのまねをするだろ
う。けれども今のヨーロッパに核脅威はなく、今の日本だけが地球上で最も深刻な状
況下にある。

首相は8月中にアメリカから北の核開発とミサイルが日本を標的にしていることを告
げられていた。それなのに、何の勝算があって金正日に会いに行ったのだろう。不思
議で仕方ない。これからが日本の正念場である。イラク戦争の行方を見守ろう。

10月24日
拉致被害者の帰国日については、安倍官房副長官が最初に、「ご本人の意志を尊重す
る」と記者会見で語ったのを聴いて、私はそれは「自由主義社会のルールで、無理な
はなしだ」と思っていた。安倍さんは一番しっかりした政治家だが、それでも自由主
義社会のルールでなんとなく相手国を考えている。案の定帰国問題がクローズアップ
して、安倍さんも考えを変えた。

10月23日『産経』3面の「救う会」会長佐藤勝己さんの、そもそも「親子分離の
一時帰国容認」という両政府の「合意」がすでに北の策略にひっかかってしまった証
拠であるとのご指摘は、まことに正鵠を射ている。

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テロ政権の狙いは明白である。この度のように親のみを日本に帰して、肉親に合わせ
る。そして北朝鮮に帰して、親子ともども日本に帰さない。肉親は、子供や孫に会い
たいから北朝鮮を訪問するようになる。これと同じケースはすでに石川県にある。こ
うなれば、金正日政権の拉致に対する一切の責任は不問に付される。また金正日政権
のテロを糾弾する理論的根拠も国家賠償請求もできなくなる。 (中略) 家族会は
「北朝鮮を訪問しない」という方針がなかったら、今ごろテロとの戦いに敗北してい
たであろう。原状回復に本人の意思確認など必要ない。 (佐藤勝己)

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テレビに被害者が「自由に往き来できるようになれば一番いいね」と語ることばがす
でにあり、日本国民のセンチメントにも適うが、これが一番こわいのである。北朝鮮
に犯されたのは「人権」なのではなく「主権」なのである。「主権」が侵害されたと
いう認識が外務省にも、首相にもないのは奇異千万である。小泉首相は、毎日行われ
ている記者団の前のインタビューで、この件で口癖のように「ご家族のご要望を第一
に尊重していきます」と語るが、「拉致されたのですから原状回復させるのは国家の
責任です」となぜ言えないのか。北が、「11月には学校の勉強があるから子供は帰
さない」と言ったのに対し、蓮池さんのお兄さんが「弟も学校の勉強を途中にして拉
致されたのだから理由にならない」と切り返したのは、びくともしない家族会の意志
をよく示している。

国家主権を守っているのは、今、外務省でも政府でもなく、家族会とそれを支える
「救う会」「拉致議連」の面々である。

この件以外でも何度も経験してきたが、外務省の役人は外国を渡り歩いていて、外国
人の心を一番知らない人たちだ。一番自我の弱い、日本的な、凹型の、自己主張を欠
くタイプの人間である。「ご本人の意思を尊重するのがルールだ」などと、自由主義
社会のルールが地球全域に通用すると思っているのが、地球全域に公館を置いている
外務省の知能レベルである。

それから、私が今週、情報をテレビ、新聞、『アエラ』『ヨミウリ・ウィークリー』
などで追っていて、ひとつ欠けていると思ったことがある。蓮池薫さんが友だちに
「俺の24年間をどうしてくれるのか」と語り、北へ帰る必然性を主張した。友人や
親にも反論した。そして多くの日本人にそれも尤もだと思わせたらしいのである。こ
の点について的確なアドバイスがない。私は誰かが言って上げなければいけないのだ
が、と思った。

5人の日本人は北へ戻った後も、今までと同じ条件、同じ立場で生活ができると信じ
ているようにみえる。しかし、生活も環境もがらりと変わる可能性がある。そのこと
を蓮池さんに伝えたい。誰も忠告していないらしい。そこまで考えていないらしい。

北へ戻ったら今度はもう同じ仕事をさせてもらえないかもしれない。給与も下がるか
もしれない。日本にはいっさい5人の情報は入ってこなくなるかもしれない。ピョン
ヤンにもう住んでいない、と噂が伝わるようなことが起こるかもしれない。

私は「救う会」の西岡力さんと佐藤勝己さんにこの認識を伝えようと思った。蓮池さ
んが「俺の24年間」にいくら自負心を抱いても、人間の心をおもちゃにする国であ
る。所詮、工作員(情報部員)に、人権は認められていない。西岡さんには電話で話を
したが、佐藤さんにはつながらなかった。蓮池薫さんの幻想、期待を、気の毒だが打
ち破ってはもらえないか、9月17日を境に彼らの「条件」は変わったことをしっか
り認識させてほしい、と、西岡さんを介してたのんだ。しかしこの私の依頼は間もな
く必要がないと分かった。関係者はもうこのていどのことは分かっていることが判明
した。

夜11:00ごろの日本テレビのニュースで、蓮池さんのお兄さんのテレビ・コメン
トの中で、弟に次のように言った、と発言があった。「お前は向こうの仕事を気にし
ているが、今度向こうへ行ったら同じ立場に立てないで、すっかり変わってしまって
いたという状態になっていたらどうするんだ、と言ったら、弟はウーンと言っていま
した。」私の言いたいことはもうすでに言われていた。

このお兄さんがいてくれて、事件全体がよく分かり、本当に良かった。被害者の心の
内部へズケズケ入った分析、それをマスコミに公開するタイミングの良さ、そしてそ
れが家族会の意志として世間にも伝わり、被害者の心の状態が知的に整理され、じつ
に効果的で、私はこの人物に再三感心した。

24日午前中にも、お兄さんの短いインタビューがあり、北朝鮮の幹部が過去の日本
がやったことに比べれば拉致はたいしたことはないと言った片言に反論して、「歴史
上のことと拉致のこととは次元が違う、別の話だ」と即座に的確に切り返していた。