講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(一)

★ 新刊、『日本人は何に躓いていたのか』10月29日刊青春出版社330ページ ¥1600


日本人は何に躓いていたのか―勝つ国家に変わる7つの提言

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帯裏:六カ国協議で、一番焦点になっているのは、実は北朝鮮ではなくて日本だということを日本人は自覚しているのでしょうか。これから日本をどう泳がせ、どう扱うかということが、今のアメリカ、中国、ロシアの最大の関心事であります。北朝鮮はこれらの国々にとってどうでもいいことなのです。いかにして日本を封じ込めるかということで、中国、ロシア、韓国の利益は一致しているし、いかにして自国の利益を守るかというのがアメリカの関心事であって、核ミサイルの長距離化と輸出さえ押さえ込めば、アメリカにとって北朝鮮などはどうでもいいのです。いうなれば、日本にとってだけ北朝鮮が最大の重大事であり、緊急の事態なのです。

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書評:「史」ブックエンド(11月号)より

外交・防衛・歴史・教育・社会・政治・経済の七つの分野にわたって、歪んだ日本の現状を立体的に解き明かしている。それはまるで推理小説の最終章のごとく痛快明朗だ。そこから導き出された提言は「日本人が忘れていた自信」を回復するための指針。こたつを囲んで優しく諄々と聞かされているようで、この日本の現状をどう捉えたらよいのかがだんだんクリアーになってくる。筆力ある著者ならではの説得力に富む快著。この祖国日本が二度と躓かないためにも、政治家や官僚に読んでもらいたいという著者の意向だが、国民必読の書である。

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書評:アマゾンレビューより

西尾ワールドの全貌, 2004/11/07
レビュアー: recluse (プロフィールを見る)   千葉県 Japan
西尾氏の作品は20年以上にわたって読み続けて着ましたが、今回の作品では、彼は自分の思想の全体像を簡潔な形で、整理することを目的としています。外交、防衛、歴史、教育、社会、政治、経済の順で議論を展開することにより、徐々に現象面から、より深く日本の抱える問題の根本に接近しようとしています。この手法により、彼の考えの基層に接近することが可能となるよう、構成されています。すべての論点で、彼は明確に一貫して変わることのない自分の人間観と歴史観を呈示しています。簡単なことですけど、これは稀有なことです。いったい何人の日本人が、自分が20年前に書いたことを一点の恥じらいもなく振り返り再提示できるでしょうか。また、本質を捉えたアフォリズムと西尾節も満載です。特に熟読すべきなのは、第三章の歴史の部分です。続きを読む

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講演「正しい現代史の見方」 (一)

 「正しい現代史の見方」という今日の講演のタイトルはややおこがましくて、少し説明が要るかなと思います。歴史の見方に、絶対に正しいということは、ないのですから、題のつけかたがやや際どいのです。しかし、絶対に誤った、間違った歴史の見方というのは、これはあるんですね。皆さんがたくさん経験されている。だから、間違った、正しくない見方は、正しくないと指摘ができると思うので、そういう意味での、「正しい見方」ということはいえるであろうと、そういう風に理解していただきたい。最初から正しい歴史の見方があるかのごとき絶対主義で臨んでいるわけではないということを理解していただきたいのです。

 私が書いた本や、話してきたことや、そういったことでお手紙を下さる方が非常に多くて、いちいちお返事することができないのですが、その中に善良な方で、誠意がこもっていて、分かってくれているようでいて、しかし、何かどこかわかっていないなぁ、肝心なことが分かっていないなあ、と思う手紙が、一番多いんですね。悪言罵倒を書いてくる人や批判してくる人はこれはもう問題にしませんし、そういう例は少ないんですが、わざわざ手紙を書いてくださる方は好意を持って私の本を読んで、好意をもって書いてくださる。

 しかし何か心に一物もあって、釈然としない思いがおありなのでしょう。その一つの例をここで読みあげてみますので、話の切っ掛けになろうかと思うのです。

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 私は生来の悪筆のためワープロで失礼いたします。先生の著作『国民の歴史』を興味深く拝読致しました。ひとつひとつの記述に対しコメントできるだけの学識もありませんので、全体の印象を勝手に申し上げる失礼をお許しください。先生が著作の中で述べられていることに関しまして、いちいち尤もだと思いました。特に「日本は詫びる必要はない」という言葉に非常に強い印象を受けました。(詫びるというのは戦争の罪ということです 聴衆へ説明)

 しかし、と私は考えます。確かに、事実はそのとおりでしょうが、今の時代それだけでは話は前に進まないのでは?と思います。戦争とはそんなものだと済ませては、相手の国も神経を逆なでされたような感じを抱くでしょう。まぁ日本人のための『国民の歴史』だから余計なお世話だとも言えるのでしょうが、 しかし相手がどうであれ、近隣諸国との友好関係なくしては日本は立ち行かないのは事実ですし、時代を担う若者が先の戦争(先の大戦ですね)をそれをどうであったか、何が起こったのか?事実を知らないのでは情けないと思います。日本人にとって不都合な歴史でもきちんと教えておく方が、判断の根拠を与える意味でも、親切ではないかと思っています。詫びる詫びないとは関係なく、日本に非があるのであれば、それはしっかりみとめ、その代わり自分の主張もしっかりすることも大事だと思いますが、どんなものでしょう。日本は悪くない、謝る必要はない、しかし、それを言っちゃあおしまいよ、と、私は考えるのです。

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 この他にもいろいろ書いてありますが、「決して先生の著作を悪く言うつもりではありません。」云々と。「失礼の段お許しください・・・」とこういう手紙です。

 いかがですか?いかにも典型的な手紙ではないでしょうか。私、素直な気持ちで読みまして、最初別に腹も立ちませんでしたが、時間が経つうちにだんだん腹が立ってきました。おだやかにお書きになっているし、素直な表現でありますので、そういう何か私を誹謗する意図なんかなにもないのですが、これ、今の日本人の一番悪い、ある意味で分かったような顔をしていて、根本的なことがわかっていない、という、一番悪い例ではないかと私は思ったのです。日本が加害者だと思い込んでいるんですよ。てんから。日本は加害者だから、歴史の加害者だから、詫びなきゃいけないんじゃないか、悪いことをしたなら、それも認めなきゃいけないんじゃないか。悪いことなんかなにもないよ、そんなことは、言っていいのかなぁ、と思案している。

 みなさんはどう思いますか。20世紀の歴史を振り返って、まぁ19世紀の末から21世紀の今日に至るまでですけど、誰に対しどの点で詫びる必要があるんでしょうか。日本は必ずしも加害者じゃありません。自ら戦争を始めたわけではない。20世紀の前半は地球上のいたる処で大戦争が折り重なるように相次いで起っていて、日本もその大河の中に呑み込まれていった、勿論自らの意志もあってのことですが。詫びるとか詫びないとか、そんな個人の身に起る出来事のようにして戦争を考えるということはできない。詫びるんだったらいよいよの最後に破天荒なことをした国、原爆を落としたアメリカが詫びなきゃ、まずアメリカが真先に詫びなきゃいけないんですよ。詫びる詫びないというのは、まず何のことを言っているんだろうと、私はそこがよく分らない。

 まずその私の、気持ちの中にふり切れないものがある。私も多少なりと、迷っていて、よく分らないところがある。戦争を詫びるというのはどういう事だろう。私はまぁ終戦を迎えたのは小学校の4年生でした。始まったのは小学校に入る一年前、昭和17年の入学ですから、16年12月8日はまだ幼稚園生だった。

 でも、何か若い人には、正しい歴史の知識で、いけないことをしたなら、それを正直に教えていくことが客観的な正しい歴史を教えることであって、悪いことをしたなら悪いと認めるのも大切だというような言い方がたしかにありますよね。これ、言い続けてきたじゃないですか、戦後。そして悲惨な戦災や、悲惨な満州からの引き揚げや、悲惨な数多くの戦前戦後の物語を語り続けて来たこの民族の60年間、もうそれもだんだん、今は陰が薄くなりましたが――最初の40年間くらいは映画やテレビにそういうドラマが絶え間なくありましたが――みな日本が仕掛けた戦争だったから仕方がないんだと、悪いのは日本人なんだからと、そう思い込んで無理に納得してきたんじゃないでしょうか。

 とりわけ大変に滑稽なのは大江健三郎という男で、「アウシュビッツの後に文学なし」といったドイツの思想家の言葉にならって、「広島の後に文学なし」と、こう言ったんですね。アウシュビッツと広島の惨劇を二つ並べるのは、悲惨のレベルという点で必ずしも間違った見方だと私も思いませんけれども「アウシュビッツの後に、ドイツの文学者がドイツの文学を書くことは出来ない」というのは、加害者のドイツ人が、ということですね。「広島の後にアメリカに文学なし」と言うのならば話は通りますよ、これは。「広島の後に日本人が、もはや文学を書くことはできない、文学はない、精神はない、もうないんだ」。これはおかしいんじゃないのかなと、てんでひっくり返っているんじゃないかなと、思うわけであります。原爆を落としたのはどこの誰なんですか?大江健三郎は狂っているんはないですか。こんなふうに狂った人が戦後ずっと多かったんですよ。