脱原発こそ国家永続の道 (一)

『WiLL』7月号より

目に浮かぶ業苦の光景 

 今でも毎日のようにテレビに映る被災地の情景、木材と瓦礫と泥土に埋まった車、家、船の信じられないシーンにも、最近は少しずつ慣れてきた。そして、ふと、このなかに欠けているものがあることに気がついた。肝心かなめのものが写し出されていない。遺体だ。
 
 一度だけ、中国の新聞に出た被災地の写真をネットで目にしたことがある。民家の階段に両手を開いてあお向けに倒れている男性の遺体だった。もう一枚は、瓦礫のなかに投げ出された泥土のついたままの昭和天皇のお写真だった。どちらも、日本ではめったに写し出されることのない映像である。
 
 私たちが見ていないものを、現地の人や救助隊の人は日々、目にしているのである。平凡で和やかなはずの日常が突然破れ、口が開いた裂け目は、現地ではおそらく、私たちとは違った形で人々を直撃しつづけてきたのであろう。
 
 避難地域のテレビ報道で、悲惨な牛舎のシーンを見た。乳牛が幾頭も倒れて死んでいる光景だった。そしてパッとカメラが回った。牛舎の柵から頭を思いきり出して秣のほうに首を延ばしてそのまま死んでいる七、八頭の牛がいた。仔牛もいた。秣の山が届かなくて、必死に首を延ばして息絶えたのだろう。鼻の先に餌はまだ山をなして残っている。しかし、柵で首が届かない。見てはいけないシーンをみたように思った。業苦の光景が目に浮かんだ。
 
 人間の屍体がいたるところにある社会で、動物への残酷は看過ごされる。震災の現場は、私たちの知らない日本でありつづけている。
 
 裂け目から覗き見えたある不気味なもの、無秩序といっても混沌といってもうまく言い得ていないある空っぽで暗いもの、そのうえに私たちの文明社会が辛うじて載っかっている。土台ともいえない土台──ちょうど今度の地震で地盤沈下を起こして建物が斜めに傾いた地域があったが、文明全体があれと同じようにとても脆弱で、頼りない土台のうえに載っている。ぐらついていて、明日倒壊してもおかしくはないと実感される。裂け目から奥が見えて、ぞっと寒気もする。

どんな事故も「想定外」

 地震と津波に原発事故が重なったのはじつに因果だが、いわば一体で、切り離すことはできない。国民全部の元気がなくなっているのは、東北の犠牲者への鎮魂の思いからだけでも、放射能の広がりへの恐れからだけでも、より大型の余震や東海・東南海地震の新たな発生へのおびえからだけでもない。それらのすべてがまじった、説明のできない不安がここそこに漂っている。

 これはなぜか存在の不安、生きていること自体の不安にも似ている。

 この国の住人は永い間、裂け目の奥を覗き見ることをしないできた。ロボット大国といわれた日本の原発事故で、すぐ使える役に立つロボットがなかった。強い放射能にも耐えられるロボットは開発されていなかった。核戦争を前提としたアメリカの軍事用ロボットが初めて役に立った。いいかえれば、日本の原子力発電所は事故を前提としない事故対策をしていたにすぎない。原発の事故の現場は、核戦争の最前線と同じだという認識が頭からなかった。

 地震と津波が「想定外」の規模であったことは、誰しも認めている。しかし、非常用電源が津波で流されない仕組みやシステムを作っておかなかったのは人間の不用意であり、あらかじめ八方から注意や警告を受けていたのに対応しなかったことが「人災」だといわれるのは当然なのではあるが、私はそもそも、日本の原子力発電所は最初からどんな事故も「想定」していなかったのではないかとむしろ考えている。放射能に耐えるロボットも、セシウム除去装置も、丈の高い注水ポンプも、すべて事故が起こる前から用意されていてしかるべきではなかったか。日本は技術大国ではなかったのか。

 東電は企業だから、経費のかかることはやりたがらない。それなら、原子力安全委員会や原子力安全・保安院はあらかじめ事故を「想定」するシミュレーションを試みていただろうか。私は、罪深いのはむしろ内閣府や経済産業省と一体をなしているこれら企業に対する監視体制であったと考えている。そもそも、経済産業省は原発推進の中心勢力であった。そこに、附属機関として原子力安全・保安院がくっついているという仕組み自体が間違いではないか。

戦争も「想定外」 

 ある人の講演を聴いて知ったが、今から一年前の新聞に、福島第一原発はこれからなお二十年は運転可能であり、健全に維持できると原子力安全・保安院からいわばお墨付きを与えられていたと報じられていた。原発というのは四十年、内部が中性子を浴びつづけると圧力容器がどうしても脆くなって危うくなるものだそうで、そのあたりを厳密に審査して承認したのだろうか。
 
 世界の原子炉は、平均二十二年で廃炉になるそうである。日本でも法律で定期安全評価義務が求められていて、三十年経つと、必ず再評価が法令で義務づけられているのは良いことだが、すでに四十年経っているあの福島第一原発をすべて合格、しかも、これからなお二十年は運転可能と承認していたというのだから、いったい原子力安全・保安院はどんな審査をして、これほどの評価を与えたのだろうか。現に、メルトダウンし圧力容器に穴があいているといわれているではないか。
 
 四十年を超えている原子炉は世界では稀なケースだそうである。言っておくが、電源の置かれた位置や予備発電装置も審査の対象だったはずである。
 
 考えてみると、日本の原子力発電にとっては津波の大きさだけではなく、すべての事故が「想定外」だったのである。事故は起こらないという大前提でことは進められていたに相違ない。そして、そのことは日本の根本問題につながっている。この平然たる呑気さは原発だけの話ではないからだ。原発にとって事故は「想定外」であったと同じように、そもそも自衛隊にとって戦争は「想定外」なのではないだろうか。
 
 この国の住人が何となくうそ寒い不安を覚えているのは、日本がこのままで大丈夫なのだろうかという意識に襲われるからである。外から何かがあったら、今度の原発ショック以上のことが起こりはしないかと国民は口にこそ出さぬが、漠然と感じているのである。
 
 原発にとって、事故は「想定」してはならないものでさえあった。さもなければ、官僚機構のど真ん中にある原子力安全・保安院のこれほどの間抜けぶりは考えられない。最悪を「想定」するところから物事をはじめる、という考えがまったく育っていない。企業人だけでなく、官僚も、学者も、政治家も、文明の永遠の存続を前提とし、その裂け目から、文明が破壊された廃墟をあらゆる想像力を駆使して覗き見るということをしていない。同じように、自衛隊にとって戦争は──本当はそれが目的で存立している組織であるのに──「想定」してはならないものとして観念されているのではないだろうか。

原発建設より憲法改正を 

 アメリカやフランスは核保有国である。アメリカや中国やロシアは国土が広い。フランスや北欧は地震がない。しかも、原発を引き入れるこれらの国々では戦争は「想定外」ではない。フランスはつい最近も、リビアを空爆した。日本では、拉致被害者を武力で取り戻すことができないことを当たり前のことのように受け入れてしまっている。こういう国では、ロボット技術がいくら発達しても軍事用のロボットをつくる意識が育たないのだ。そういう国では、原発技術をいくら高めても、事故はそもそも「想定外」のままなのである。いつまで経っても、事故に対する備えの意識は本格化しないだろう。
 
 原発事故は戦争の現場と同じである。憲法九条をいつまでも抱えこんでいるこの国が、原発に先に手を着けたのが間違いである。アメリカは完全装備の核部隊を持っている。日本の自衛隊にそういう部隊はあるのだろうか。福島の現場がいよいよ軽装備の普通の作業員の手に負えなくなったら、どういうことになるのだろうか。今回の件は、戦争を忘れていた日本に襲来した戦争にほかならない。
 私は、日本の原発は作るべきではなかったと言っているのではなく、憲法を改正するのが先で、順序を間違えていなかったかと言っているのである。

つづく

「脱原発こそ国家永続の道」について(二)

 月刊言論誌の月が替わった。私は立てつづけに脱原発論を二本書いた。

 「平和主義ではない脱原発」『WiLL』8月号(6月26日発売)
 「さらば原発――原子力の『平和利用』の誤り」『正論』原発テーマの臨時増刊号(7月5日発売)

 今回は題名を次のようにもっとはっきりさせた方がよかったかもしれない。はっきりさせるなら「日本の核武装を妨げている原発」となる。そういう論旨で書いている。

 私は徹底して事実に即して語っている。空想は語っていない。日本の核武装、少くとも日本の国防の合理的強化を妨げているのは原発の存在である。このことを論証している。

 言論界は左も右も、すなわち平和主義的脱原発論も、国家主義的原発擁護論も、みな現実に即してではなく、情緒でものを言っている。日本の原発の置かれてきた国際情勢を見ていない。

 この期に及んで平和主義や国家主義に心がとらわれているようではダメであると私は言いたい。

 当「日録」では先月同様に、これから『WiLL』の7月号論文「脱原発こそ国家永続の道」を分載する。まだ読んでいない方もいるかもしれないし、すでに読んだ方はもう一度読んでいたゞきたい。

 ただし、コメントはすでに今売り出されている8月号の『WiLL』「平和主義ではない脱原発」を踏まえて、むしろこの方に力点を置いて書いていたゞけるとありがたい。これは当然議論を喚起している論文だからである。

西尾幹二全集の内容見本

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 西尾幹二全集(国書刊行会、全二十二巻)の内容見本全12ページが刷り上って、自由に配布されている。ご覧のように当ブログにも掲示するが、内容見本の実物を手に取って見ていたゞくのが一番よく、国書刊行会に電話かファクスかで申し出てもらうと送られてくる。

 全集そのものの注文も電話かファクスかがよい。電話は03-5970-7421、ファクスは03-5970-7427である。各小売書店でも予約は受つけられている。

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 表紙と裏表紙をここに掲示しますが、ここをクリックしていただくと、全部見ることができます。文字が小さい場合はプラスの表示を押し、拡大することができます。また、下にロールダウンするとページが動いていきます。

坦々塾報告(第二十一回)報告

 小川揚司
坦々塾会員 37年間防衛省勤務・定年退職
                           

 第21回 坦々塾は、当初4月2日に予定されていたが、大震災から間もない国内情勢を慮って延期され、今般6月4日(土)に開催された。お正月の新年会以来半年ぶりの坦々塾であり、出席者は47人、新年会と同様、熱気溢れる盛会となった。

冒頭、西尾先生から、新たにご参加のお三方、沼尻裕兵さん(「Will」編集部員)、松木國俊さん(つくる会東京三多摩支部副支部長、「調布史の会」主宰)、平井康弘さん(スイスの世界的種苗会社の日本法人「シンジュンタ・ジャパン」執行役員)、加えて、坦々塾ブログから応募されオブザーバーとして参加された小泉健一さん(元海運会社経営)のご紹介があった。平均的年齢層がやや高くなっていた当塾に新たに壮齢の人士が加わり、更に新鮮で幅広い論議が盛り上がることが期待され、何とも嬉しいことである。

大震災、福島第一原発事故からほぼ三ヶ月となる今回の勉強会での最初の講師は櫻林美佐さんで、「大震災と自衛隊」と題する講義であった。

櫻林さんは、「大震災に派遣された十万人に及ぶ自衛官達の過酷な状況下での渾身の奮迅と被災者達の感謝の想い」について、現地での取材に即してその実情を具に語りながら、しかし「自衛隊は本来、災害派遣のために存在する組織ではなく、国防を担う組織なのである。然るに、政権も広範な国民もそれを理解せず、防衛予算を減らし続け、自衛隊の装備や人員を削ぎ続けて、それでも黙々と無理に無理を重ねて献身する自衛隊とその隊員達(現場で尽力する自衛官、駐屯地や基地で後方支援に任ずる事務官、技官達)に一応の感謝はしても、その根本的誤謬には一向に気が付かない、そのような無能な政権と無知な国民が抱える根本的な問題」について、数々の具体的実例を列挙しながら、切々と語りかけられた。

坦々塾の会員諸氏は、国防の問題に関してもそれぞれに一見識の持ち主ではあるが、櫻林さんが明らかにする吾が国の防衛態勢と自衛隊をめぐる奇怪なほどに歪んだ現実を、そのひとつひとつの衝撃の事実を、それほどのものであったかと満場固唾をのんで聴講した。
そして、櫻林さんは、極めて深刻な問題として「今日只今、吾が国の防衛生産基盤が崩壊の流れに入ってしまっていること、即ち、ここ十数年来、大幅な軍拡を続ける中国とは正反対に、吾が国は防衛予算をとめどなく低減させ続けており、そのために防衛装備に発注が減少し続け、その生産基盤の裾野を構成する数多の中小企業(町工場)が続々と倒産や撤退に追い込まれ、プライムの大企業ですら防衛部門からの撤退や縮小が目立っている。生産ラインとともに不可欠な技術と技術者も次々と消滅しており、このままでは確実に防衛生産基盤は崩壊すること」を訴えられた。筆者も曾て防衛省・自衛隊において、防衛装備の調達行政にも携わったことがあり、往事からの諸問題が益々深刻化していることを痛感し、憂慮を更に深めたところである。

曾て忠勇無双を誇った帝国陸海軍も「兵站の貧弱」がアキレス腱であったが、それでもなお巨大な陸軍・海軍工廠を保持していた。しかし、現在の自衛隊にはそれすらなく、「お国のために」と自ら立ち上がってくれたM重工、K重工をはじめとする防衛産業のみが頼みの綱なのである。櫻林さんは「防衛産業は「国の宝」であり、多くの防衛産業の人達は「儲かるか、儲からないか」と云う次元ではなく、「国を守れるか、守れないか」と云う視点で、日々、研究開発に努めている、と云うのが取材を通じて得た私の印象である」と断言し、これを守るべく懸命の論陣を張って下さっている。数多の防衛問題の専門家の中でも、現下の自衛隊の窮迫した実情を冷静に具体的に掌握し、生身の自衛隊と隊員達に肌を寄せるように温かく、本質的で建設的な施策を提言する論者は希有であり、日本人としての真心と抜群のセンスを兼備した櫻林さんのような論客の存在を心底頼もしくも嬉しくも思うものである。

講義の後、櫻林さんに「誰も語らなかった防衛産業」(並木書店)、「終わらないラブレター」(PHP)などのご著作があることも西尾先生から紹介された。 
また、「正論」7月号にも「自衛隊の被災地支援作戦で見られた国民の“宿題”」と題する卓論を寄せておられるので、併せてご紹介申し上げる。

次に、当塾の会員であり、東京電力(柏崎・刈羽)に勤務される傍ら、新潟大学でも教鞭をとられる小池広行さんに「福島第一原発の今後の行方」と題して講義いただく予定であったが、ご勤務の関係上、現時点では状況が許さないと云うことで、代わりに小池さんから寄せられたご勤務の近況についてのメッセージが、西尾先生から披露された。メッセージの内容は盛り沢山でそれぞれ興味深いものであったが、中でも小池さんと同期でもある福島第一原発の吉田所長との掛け合いは実に剛毅であり出色であった。他方、小池さんには新潟県内に避難された被災者の方々に東京電力を代表して対応するお役目もあり、精神的に憔悴されることも度々であるとのこと、会員の浅野さんから贈られた東郷神社の御守を胸に、試練に耐え抜いていただくことを、遙かにお祈り申し上げるものである。

メッセージが披露された後、西尾先生が「Will」6月号に寄せられた「原子力安全・保安院の「未必の故意」」、同じく7月号の「脱原発こそ国家永続の道」を踏まえ、西尾先生からお話しがあった。
西尾先生は「この二論文の眼目は、吾が国の国家のあり方に関わる根本問題についての指摘にある。どうも佐藤首相のころから日本はおかしくなり始めてのではないか」と問題提起され、具体的には、次の二点、6月号の「つねに最悪を考える」の節にも記述された「アメリカは、日本が国家漂流の状態になることがあり得るという可能性を想定に入れているからこそ、大部隊を派遣したのである。 … しかし、日本では政府も民間人もそこまで考えているだろうか。福島原発がコントロールできなくなるような最悪の事態、国家の方向舵喪失のあげくの果ての、政治だけでなく市民生活全般における恐怖のカオスの状態を念頭に置いているだろうか。 … アメリカの政治家にあって日本の政治家にないのは、あらゆる条件のなかの最悪の条件を起点にして未来の計画図を立てているか否かである。つねに最悪を考えるのは、軍事的知能と結びついている」と云う問題、また、7月号の「戦争も「想定外」」の節の「考えてみると、日本の原子力発電にとっては津波の大きさだけではなく、すべての事故が「想定外」だったのである。事故は起こらないという大前提でことは進められていたに相違ない。そして、そのことは日本の根本問題につながっている。この平然たる呑気さは原発だけの話ではないからだ。原発にとって事故は「想定外」であったと同じように、そもそも自衛隊にとって戦争は「想定外」なのではないだろうか。 … 原発にとって、事故は「想定」してはならないものでさえあった。 … 同じように、自衛隊にとって戦争は ― 本当はそれが目的で存立している組織であるのに ― 「想定」してはならないものとして観念されているのではないだろうか」と云う問題に言及された。

西尾先生のご炯眼によるこのご指摘は問題の核心を直指するものであり、就中、自衛隊に関するご洞察は、紛れもない事実であると承知する。
筆者は、昭和46年に防衛庁に入庁し、昭和四十年代後半から昭和五十年代にかけての十数年間、内局の防衛局と陸上幕僚監部の防衛部を往復するなどしながら勤務したが、その間に正にそのように防衛政策が根本的にねじ曲げられコペルニクス的に大転換させられるのをまのあたりにした。
即ち、当時の自民党政府は、保革伯仲の政治情勢の中で公明党に迎合し、骨幹防衛力整備の途中でしかない「三次防」末の防衛力を「上限」とすることを政治決定し、その「政治的妥当性」の理論構成を防衛官僚に命じて作文させ、「平和時の防衛力(脱脅威論)→ 基盤的防衛力構想 → 防衛計画の大綱」と云うを蜃気楼を幻出させたのである。

古今東西 自国に対する「脅威」を想定し、その脅威に対処し得る「所要防衛力」を整備するのが「軍事的合理性」に基づく防衛政策の基本であり常識である。
しかし、吾が国においては「軍事的合理性」に基づく「脅威」は「想定」してはならないものとされ、敢えて「脅威」を想定せず「所要防衛力」の算定を度外視した「防衛計画の大綱」が現在も神聖不可侵の国是とされているために、中国が膨大な軍拡を続けていても、吾が国(歴代政権)は脳天気に平然と防衛力を削減し続けているのである。これは元は自民党政権が犯した大罪に由来するが、現政権(市民感覚・主婦感覚でしかものが見えない民主党政権)にその是正を望んでも、木に縁りて魚を求むるが如く絶望的であることは論を俟たない。(吾が国の致命傷ともなり得るこの問題については、あらためて別の機会に詳しく論じたい。)

最後の講師は小浜逸郎先生で、「人はひとりで生きていけるか ― 大衆個人主義の時代― 」と題する講義であった。
小浜先生は、レジュメの項目として Ⅰ「個人化」と「大衆個人主義」 Ⅱ「私」「自分」とは何か  Ⅲ.現代政治の危険性  Ⅳ.新しい哲学と倫理学の必要 と云う内容で、実に明晰に論理を展開された。就中、第3項においては、①民主党政治がうまくいかない理由、②風潮としての民主主義と国家体制としての民主主義、③亡国の制度改革 について解説され、中間共同体の崩壊が全体主義への道を開くものであることを指摘し、それを促すものとして民主党政治の制度改革等を厳しく批判された。そして、第4項において、吾が国の歴史・伝統に合った倫理学の出現への熱い期待を語られた。また「心的人格の構造関係」について、フロイトのように図式化しながらもその問題点を指摘しながら、無意識の基底にある底なしで時間もない「エス」についてのお話も興味深く、小浜先生の哲学的で、大層明晰な講義から新鮮な刺激を与えられた聴衆は、筆者の他にも多かったものと思われる。
講義の後、小浜先生には、本日のご講義のタイトルと同じ「人はひとりで生きていけるか ― 大衆個人主義の時代― 」(PHP)、その他 画期的な教育論をはじめとする多数のご著作があることが西尾先生から紹介された。

以上、今回の坦々塾の勉強会も大層密度の濃い充実したものであった。
その後、例によって高論百出の熱気溢れる懇親会が盛会裡に開催され、西尾先生を囲んでカラオケを熱唱する恒例の二次会も壮年会員を中心に、今回は「軍歌の神様」である松木さんも加わって勇躍と夜の更けまで行われ、今回も賑やかに結びとなった。
末筆ながら、西尾先生の益々のご健勝とともに、大石事務局長をはじめ事務局幹事の方々のいつもながらのご尽力とご高配に深謝申し上げ、筆を擱くこととしたい。

平成23年6月18日

甘い保守主義者へ

 最近の私の主な仕事をまとめておしらせする。

 『正論』7月号(6月1日に出ている)で張作霖爆殺事件をめぐって新しい研究を発表された加藤康男氏と大型対談をしている。『正論』の臨時増刊号(6月20日頃に出る)に、「仲小路彰の見たスペイン内戦から支那事変への潮流」を書いた。同じ頃に仲小路彰の新刊復刻本が三冊同時に発売される。私が解説を書いている。注意してみていただきたい。

 大震災から原発事故をへて、私は『WiLL』の5月号、6月号、7月号にこれまで立て続けに観察と見解を述べてきた。6月号論文は当日録に掲載し、7月号論文には日録で注意をうながした。

 『WiLL』8月号(6月26日発売)が昨日校了となった。私はひきつづき「平和主義ではない脱原発」を発表している。原発が日本の国防を混乱させ、国家の独立自存にマイナスに働いていることを書いた。原発がなくなると産業も成り立たない、などとまだ言っている古い保守主義者はいろいろなことをもっと知って、世界についても広い知識を持ってからものを言ってもらいたい。知らないで既成観念に閉ざされているのは愚昧と言われても仕方がない。

 私の8月号論文を読んで目が覚めたら、素直になって欲しい。原発をつづければつづけるほど、放射能の危険のことではなくて、国家の能率が下がることになる。それに原子力の研究者や技術者がどんどんいなくなっている。やりたくても原子力発電はやれない時代になっている。

 中国の風力発電が世界一なのを知っているだろうか。アメリカが世界最大級の洋上風力発電を企画し、三菱電機、伊藤忠、住友商事が次々と参画しはじめているのを知っているだろうか。日本がやらないから、日本の企業は世界に手を伸ばす。高速増殖炉と再処理工場の故障で動かない日本の原発は「ガラパゴス化」していたのである。

鈴木尚之さんを悼む

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「新しい歴史教科書をつくる会」の事務局長だった鈴木尚之さんが亡くなられてまだ日は浅いが、6月12日15:00~17:00にグランドヒル市ヶ谷で「偲ぶ会」が開かれた。私は必ず行くつもりでいたが、またしても13日原稿〆切りの直前で行かれないので、新事務局長に託して、次の文章を読んでいたゞいた。思えば親しくお付き合いして10年の歳月が流れた。ご冥福を祈る。

鈴木尚之さんを悼む 西尾幹二

 本当は今日ここにお伺いしたかったのですが、余りに日が悪く、明13日に〆切り原稿があって、弁解にきこえるでしょうが、お許し下さい。昔なら夜寝ないで昼間の時間の遅れを取り戻せたのですが、今は体力がなくなりそれだけはもう出来ないのです。

 鈴木さんはどうして逝ってしまったのか。あの円い元気な顔で、「つくる会」の象徴みたいな顔をして、今でもそこにいて笑っているような気がします。元気で、明るい方だけに、突然いなくなったことが、病気がちだった人の死とは違って人生の不条理をひとしお感じさせます。

 一番さいごに電話で私がおはなしをしたのは退院されたと聞いて間もなくです。あの退院は何だったのでしょう。私が電話でお見舞いのことばを述べだして少しして、彼はそそくさと電話を切りたがったのです。変だなと思いました。いつものような明朗さは言葉にだけあって、態度にないのです。ずっと変だなと思いつづけていました。

 そしてしばらく経って藤岡さんからご逝去の知らせを受けました。後で考えてみると、退院したと聞いてから私が電話をしたあのときには、もう鈴木さんは近づく死を覚悟されていたのでしょうね。「可哀そうだなァ」と今、そんな言葉しか思いつきません。生きている者が襲われる生物の不条理を感じるばかりです。

 楽しい思い出はいつもカラオケでした。玄人(くろうと)はだしの名調子の鈴木さんに適う者はいませんでした。私の知らない歌が多く、私が「あれを歌ってよ」と彼に所望するのは石川さゆりの「天城越え」で、鈴木さんは「またあれですか」とあきれたような顔をして、それでもいやがらずに朗々と上手に歌ってくれたものでした。これからあの歌を耳にするたびにきっと私は鈴木さんの歌っている姿を思い出すことになるんでしょうね。

 先日の「つくる会」の祝賀記念会の席上の私のあいさつで鈴木さんのことを少し話しました。同じテーマですが、もう一度今度は少し詳しくお伝えしておきます。

 私の会長時代、野党のある代議士と私がファクスで論争しました。攻撃的なことを言ってきたので、私の名で鈴木さんが三往復ぐらいの論争をしました。私は結果だけを鈴木さんから知らされました。「いいのですか、私が勝手にやって」と鈴木さんが言うので、「どうぞそうして下さい」と私は全面的にお任せしました。鈴木さんは私の名で楽しそうにして反論を重ねていました。その相手となった野党の代議士というのは菅直人でした。

 詳しいことは覚えていませんが、菅直人がインネンをつけてきた文句というのは、「西尾は教科書問題で政治的主張をしている。政治的主張をしたいのなら、自ら衆議院に立候補して議員になってからやれ」というようなことでした。鈴木さんが私の名でどう反論されたかは、今は思い出せません。私は任せていても安心なくらい鈴木さんは堂々と相手を言い負かしていたと思います。

 なぜ菅直人がインネンをつけて来たかというと、「つくる会」の主張が世間に表向き受け入れられないようにみえても、マスコミに連日取り上げられ、大騒ぎになっていたことに対して、菅直人は危機感を覚えていたからだと思います。今から丁度10年前の夏の採択のときです。われわれの主張はマスコミからさんざん叩かれていましたが、今思うと世間から受け入れられ、歓迎されていたことの現われでした。あのときわれわれの主張ははげしい抵抗に合ったように思いましたが、じつは敵陣営にも脅威を与えていたのでした。それも強い脅威を。

 そのときの敵のひとりが菅直人で、今では居坐り総理、ペテン師、ウソつき総理ですが、それでも彼らが天下を取っているのはわれわれが冬の時代にあるということで残念です。これから再び春が来てわれわれの主張が大きく表舞台で受け入れられるときが来ることを信じたいと思います。

 鈴木さんがきっと喜んでくれる、そういう日が来ると信じます。鈴木さんどうか安らかにお休み下さい。みなさまと一緒にお祈りしたいと思います。

シアター・テレビジョン出演のお知らせ

■放送:スカイパーフェクTV!262ch 「シアター・テレビジョン」

討論番組 『そのまま言うよ!やらまいか』

収録:2011年5月12日

出演:堤堯、日下公人、西尾幹二、 志方俊之、高山正之、宮脇淳子、杉田勝、小林美佐子、古河雄太、大塚隆一

ゲスト:長谷川三千子(埼玉大学名誉教授)、
山田恭暉(福島原発暴発阻止行動プロジェクト発起人)

#15 テーマ:東日本大震災とこの国のかたち(民主主義 part7)

放送日 放送時間
6月10日 13:50
6月11日 23:00
6月17日 11:35
6月18日 23:00
6月24日 15:55
6月25日 23:00
6月26日 18:45
6月30日 25:00

次の総理

 『文藝春秋』2011年7月号のアンケート「次の総理はこの人」に私は以下のごとく回答した。7月号はまだ発売前なのでルール違反だが、次の総理が決まってしまってからでは面白味がなくなるので、あえて私の回答をおしらせしておく。

行動で自らを証明した亀井静香氏

 亀井静香

 政治は言葉だけではなく行動で自分を表現する仕事だ。中曽根から小泉に至る「改革」という名の日本を蝕む強迫観念に断固抵抗し、生き残った亀井静香氏は、TPPと尖閣という米国と中国の双方の圧力から日本を守る気概を持つ。連立内閣で裏切られた責任をとり閣僚を辞めた潔さも今の世に貴重だ。解散総選挙が難しい震災後の情勢で、各党から等距離にあり、政界再編の芽ともなり得る。民主党はすでに人材を出し尽くし、自民党は若手にのみホープがいるがいまだしである。石原慎太郎氏は過去何度もの好機を自らの勇気の無さで失ってきて、勇気のある亀井氏が最適任者である。

『文藝春秋』7月号より

「最悪を想定できない『和』の社会の病理」

 『WiLL』7月号の「脱原発こそ国家永続の道」に先立って同誌6月号に私は「最悪を想定できない『和』の病理」を書いた。(これは違う題名になって掲載されているが、私の本意とする題名は表記の通りである。)

 6月号と7月号の二論文はセットとなって私の今の考えを表現しているので、6月号論文を以下に全文一括掲示する。雑誌で読み落としている方もいると思うので、二論文を併読していただきたい。

原子力安全・保安院の「未必の故意」

日本永久占領 

 震災の起こる直前に、米国務省日本部長のメア氏の沖縄に関する問題発言があった。地震と津波と原発の印象があまりにも強くて、大概の人は忘れてしまったと思うが、沖縄人は「ごまかし」と「ゆすり」が得意という彼のもの言いが侮辱発言だと騒ぎになり、米国政府が平謝りし、メア氏をあっさり更迭したので、もちろん、今さらここで何も取り上げるべきことではない。
 
 ただ、メア氏の発言のなかには「日本は憲法九条を変える必要はない。変えると米軍を必要としなくなり、米国にとってかえってまずい」というもう一つの問題の言葉があった。ここにアメリカの本音が漏れていて、騒ぎが大きくなるのは日本永久占領意志がばれて困るという米当局の思惑からの更迭だろう、と私は推察し、沖縄人侮辱発言のせいでは必ずしもない、と思っていた。
 
 つまりこうだ。日本列島はアメリカ帝国の西太平洋上の国境線であって、いまだに日本に主権はないと考えねばならない。アメリカはここを失えば、かつてイギリスがインドを失った場合のように世界覇権の場からいよいよ滑り落ちる。日本はいわば最後の砦である。
 
 アメリカが必死なのは当然である。ルーピー鳩山以後の日本政府の子供っぽい「反抗」にも我慢して、ぐらつく普天間にも忍耐づよく振る舞っているのは、帝国の襟度を守りたいからであるが、しかし、それが見えている日本人は、だからこそ、真の独立をめざして必死にここを突破しなければ、日本復活のシナリオは生まれてはこないのだと考える。日本の政治が三流に甘んじていてダメなのは、いまだに日本があらゆる点で主権国家であることを放棄して恥じないからに外ならない。そう考えるべきだし、私はそう考えていた──。

福島原発とリビア軍事介入 

 と、ちょうどそのとき、地震と津波が起こった。アメリカは救援に大艦隊を派遣した。「ともだち作戦」とそれを名づけた。
 
アメリカは、苦境に陥っている人や国を救助する能力のある国だということをあらためて証明した。迅速で有効な展開力と行動力は、見事ですらあった。日本人の多くが心強く思い、感謝したのは当然である。さすがアメリカだ、と。私もその一人であることを正直に申し上げる。ここに何もことさらに下心や邪心を読む必要はない。アメリカ人らしい明るさと公正さと善良さに、我々は大きく包まれる思いがした。
 
もちろん、アメリカは日本の原子力開発には他人事ならぬ関心と期待を寄せつづける理由があった。この国は軍事的な核大国であり、核技術の蓄積も日本の比ではないが、スリーマイルの事故以来、原発は後退している。ウェスティング社を日本に託して、産業政策としての原発の未来の可能性はいつに日本のこの分野の進歩にかかっているとさえ見られていた。
 
 原子力発電の新規拡大には国内に反対勢力が強く、オバマ大統領がそれでも原発を目玉政策に掲げざるを得ないのはCO2削減もあるが、原油の値上げもあって、世界各国の動向がいよいよこれから原発の増大にはずみのかかっている折も折だったからだ。アメリカもフランスも、日本の失敗は他人事ではなく気が気でなかった。中東政策にも影を落とさざるを得ない。リビアへの軍事介入は、福島の事故が起こってからそれを横目に見ての出来事だった。
 
 もとより、「ともだち作戦」は地震と津波に襲われ、呆然としたわが国の自然災害の救助に向けられたのであって、福島第一原発の事故対応は直接の目的ではなかった。が、ほぼ時を移さずして、事故はアメリカ政府の最大の関心事となった。クリントン国務長官は冷却法の提供など技術援助を惜しまぬと語ったが、廃炉を恐れた東京電力がこれを断った。アメリカは不信を募らせた。日本政府の政治意志はこの間、ほとんど存在しなかったに等しい。

事実上の無政府状態

 「政治主導」は民主党政権が成立して以来、偉そうに言われてきた言葉であるが、政治家に官僚や企業人を超える知性と現実に対する謙虚さがなければ、逆にマイナスに働いてしまう事柄である。菅政権は知的指導力もなければ謙虚さもなく、いたずらに政治家が采配を振るおうとして、結果的に東京電力の情報に振り回されたり、官僚を使いこなせなかったり、惨憺たる有り様だった。
 
 菅総理には、自分にも分からないものがあるのだという政治家の限界への認識がない。それゆえ、すぐに特別災害救済法を発令するというようなことも思いつかず、他人の力に任せるという度量もない。それでいて、結果的には政治家が自らの力でできることはほとんど何もない。原発事故に関しては、司令塔は東京電力の内にあったに等しく、官房長官は東京電力のスポークスマンにすぎなかった。しかも、失敗すると責任を他人のせいにするのがこの政権の始末の悪い処で、その最悪のケースは低レベル汚染水の海中放出の事件であった。
 
 原子力規制の基となる通称「原子炉等規制法」というのがあり、第十五条にすべての決定は政府の管理下でなされると書かれていて、この法令がすでに発令されていた。第六十四条には「危険時の措置」が示されていて、応急の措置は大臣の命令による裁可に基づくと書かれている。放射能汚染水の海中放出は「危険時の措置」に外ならない。
 
 海江田経産大臣が、東電は何でこんな危ないことをやったのか自分は知らなかった、などと後から責任逃れのようなことを言うのはまったく筋が通らない。韓国政府が日本政府に抗議したのは当然である。外務大臣はあのとき謝罪すべきであって、醜い反論をしたのはさらにおかしい。
 
 菅総理が後から閣内不統一を認めてこれから指導すると弁解したのは、外国に事実上の無政府状態を告白したようなものである。韓国が「日本政府は無能」と追い討ちをかけたのは、残念ながら正鵠を射た罵倒語であった。

日本国家消滅の可能性

 アメリカは、こうしたいきさつをすべて見ているはずである。日本の政治がもう何年も低迷し、「権力の不在」という病理現象を呈していることを知り抜いている。少し前に中国の尖閣揺さぶりがあり、ロシア大統領の北方領土訪問の威嚇があったのも、日本の政治が真空化しかけているしるしだった。民主党政権が自らの危うさに気がつかず、空威張りの政権しがみつきを継続していること自体が、極東のこの地域一帯の政治権力の空洞化の危険な徴候である。

 そういう状態で巨大な災害、地震と津波と原発事故が起こった。これをアメリカが見ればどう見えるだろうか。オバマ大統領はなぜ空母を含む大艦隊を急派し、同盟国としての援助を惜しまぬと大見得を切ったのだろうか。

 「ともだち作戦」は、もちろん友愛と同情のしるしだが、ただそれだけの目的の行動力の展開だろうか。百五十名の核特殊部隊は横田基地に待機している。ほかにも、軍人や軍属は日本の許可なしに出入りし、艦隊の移動も自由であるのは日米安保条約六条に基づく日米地位協定に由る。安保条約は発動され、緊急事態に対処しはじめているのである。

 アメリカから見れば、日本列島もアフガンもイラクも、あるいはかつてのフィリピンもベトナムも南朝鮮も、政権がしっかりしていないこと、単独で危機に対処する能力がないこと、いざとなれば米軍のてこ入れで臨時政府をつくる必要がある地域であることは同じであって、つねに国家漂流の可能性は計算されているはずである。何とも情けない話だが、日本のこの現実を今の日本政府は増幅させている。

 もちろん、そんな可能性は万に一つもないと日米ともに平常時には考えているし、福島第一原発の小休止状態──不安をはらんだままの──である四月半ば過ぎの段階においては、考慮する必要はまだないのかもしれない。しかし、アメリカが日本支援に起ち上がったあの原発事故の初期の時期には、日本という国家の突然の消滅の可能性を想定していたはずだ。そして、原発の今後の動向いかんでは、再び想定せざるを得ない場合もあり得るだろう。

 放射能放出が止まらず、冷却水の循環装置の修復も困難となった場合に、国際社会ははたして黙っているだろうか。日本は原発事故の収拾権をIAEA(国際原子力機関)に奪われ、この点に関するかぎり、国家主権を制限される羽目に陥るのではないだろうか。否、ひょっとすると我々が知らないだけで、すでにそうなっているのかもしれない。 

 『週刊文春』四月二十一日号によると、アメリカ政府は当初から東電本社の対策統合本部の近くに会議室を強引に借り受け、そこから矢継ぎ早に・進言・を下しているという。今やあらゆる原発事故のデータはワシントンへ届き、分析されている。そして、日本政府のさまざまな分野に・助言・がなされているらしい。「おともだち」の単なる支援救援を越え、日本の首相が決断すべき国家の意志決定のプロセスに事実上、介入する事態に立ち至っているようである。

 もし万が一に、四千万人の避難民が西に移動する東日本崩壊という事態になったら、日本は完全な無政府状態に陥るだろう。そのとき頼りになるのはアメリカだと考えるのは、じつはあまりにも安易である。アメリカは政治的に干渉するが、実力部隊は介入すまい。

つねに最悪を考える

 三月十六日頃の原子炉内のメルトダウンと温度急上昇によって、大量の放射能の出ることが予測され、東京が一気に危険圏内になったあのとき、アメリカ軍は八十キロ圏外に逃れ、原発の現場の作業に一人の米兵も参加しなかった。米船舶は西日本に移動し、ヘリは三沢基地に逃れた。現場に急行し、放水して危機を防いだのは周知のとおり、わが消防隊と自衛隊だった。自分の国と国民を守るのは外国人では決してない。そのことを我々は肝に銘じておかなくてはならない。

 アメリカは、日本が国家漂流の状態になることがあり得るという可能性を想定内に入れているからこそ、大部隊を派遣したのである。しかし、日本が国家喪失の状態になった後には実力を振るうが、そうなるまでは日本の混乱を冷淡に突き放して放置するだろう。自国兵の被曝の危険をできるだけ用心深く避けながら、極東の地域一帯の政治権力の喪失状態を何とかして回避したいと今も考えている。

 しかし、日本では政府も民間人もそこまで考えているだろうか。福島原発がコントロールできなくなるような最悪の事態、国家の方向舵喪失のあげくの果ての、政治だけでなく市民生活全般における恐怖のカオスの状態を念頭に置いているだろうか。

 アメリカ政府にあって日本政府にないのは、地球全体を見ている統治者の意識である。アメリカの政治家にあって日本の政治家にないのは、あらゆる条件のなかの最悪の条件を起点にして未来の計画図を立てているか否かである。つねに最悪を考えるのは、軍事的知能と結びついている。

官僚化した日本社会

 歴史書を繙くと、軍事行動に踏み切ることにいちばん慎重なのは軍人であることに気がつくことが多い。政治家とマスコミは戦争を煽る。軍人は臆病なのではなく、最悪の事態、困難な事態を一番よく知っているのである。軍事と政治を直結させないできた日本の政治的知性は不用心で、楽観的で、細心の注意で選択し、行動しないことが多い。

 そのことを典型的に表すのは、大事故に対する日頃の心の用意の質とレベルである。福島原発の事故が人災かどうかは別として、日本の社会の官僚化の欠陥が表面化したのだということは、軍事不在国の関連においてもどうしても言っておかなくてはならない点である。

 四月十日の午前中のテレビ朝日「サンデーフロントライン」の座談会で、原子力安全委員会の元委員長の肩書きの人がぺロッと口を滑らせた重要な発言があった。事故を防ぐために何から何まで想定して防止策を立てることは経費のうえからいってできない、と。

 原子力安全委員は「経費」を考える立場だろうか。これはおかしい、と東京新聞の人がそのとき釘をさしていたのに私も納得した。監視する側の人が監視される側の人と同じ立場に立ち、同じ意識でいる。馴れ合いと仲間意識が関係者同士の批判意識を鈍らせているようである。

 経産省は原子力推進勢力の一つである。その付属機関に、原子力・安全保安院があるのはおかしいのではないか。同じ仲間が、どこまで厳しく安全を守るためのチェック機能を働かせているだろうか。法律に照らして監視さえしておけばいい、事故が起こっても俺たちの責任じゃない、で日々を安易に済ませていないか。

 たとえば、聞くところによると、問題を起こした福島第一原発の一号機はアメリカのGE製、二号機はGEと東芝の共同製であった。電源設備が最初からあまりにもお粗末なつくりであったことで知られていた。ところが、これの点検やチェックは搬入後なされていない。アメリカで合格とされたものに、日本でバックチェックはあり得ないからだそうである。法の遡及は考えられない取り決めだというのである。何という実際性のない硬直した対応だろう。今日のここで起こった大事故の正体は、原子力・安全保安院の「未必の故意」ではないのか。

 東電を監視する側の官庁である経産省の高級官僚、エネルギー庁長官が今年一月、東電の顧問に天下りした人事はまさにアットオドロクタメゴロウであった(ただし、四月十六日に急遽解消された)。民主党政権になって急遽なされた人事で、自民党時代の天下りにはまだあったためらいも迷いもないストレートな決定だった。今回の原発事故からは「人災」の匂いが立ちのぼってくる。

 人間同士が対立的関係で相互監視しないシステムは日本社会の甘さの特徴でもあり、あらゆる案件に人が最悪の事態を想定して対応するという欧米風の習慣を育てない風土でもある。

事故の最大の温床

 今回、事故説明にテレビに登場したソフトな物腰の、安全と無害を国民に触れ回る東大教授の諸先生を、私は週刊誌が言うごとく「御用学者」だとからかうつもりはない。だが、東電の元社長や副社長の誰彼も、前原子力安全委員会委員長も、現委員長も、原子力安全・保安院の誰彼も、東芝、日立などメーカーのお偉いさんもことごとく東大工学部原子力工学科の出身者で、いわば「東大原子力村」、あるいは「東大原子力一家」とも名づけるべき閉鎖的相互無批判集合社会を形成していることが明らかになるにつれ、これ自体が今回の事故の最大の温床であり、誤魔化しと無為無策の土壌であったと私は判定せざるを得ない。たとえば、京大系に名にし負う反原発の俊秀がいることは知られている。私は素人で当分野に無関係の人間だが、ネットで主張を聞くかぎり、理筋の通っている人だ。同じテーブルについて互いに学問的に開かれた討議をし、甲論乙駁することが、国民の幸福と安全のためにもなるのではないかと愚考する次第である。

 ドイツの大学の人事に「同一学内招聘禁止法」(Hausberufungsverbot)という慣習法が存在する。教授資格を得た者は、母校である出身大学に就職することができない。必ず他大学に応募しなければならない。いいかえれば、老教授は自分の愛弟子を後任に選ぶことが禁じられている。それだけでなく、准教授から正教授へ昇格するときも、自分の今まで勤務していた大学でそのまま上位の地位を得るのではなく、必ず他大学に応募し、複数の候補者と論文だけでなく講義の実演を公開して、新たに「挑戦」することが義務づけられている。いうまでもなく、馴れ合いを排し、正当な競争が公正に行われるための条件を守りつづけるシステムとして、こうした慣習が確立しているのである。アメリカの大学はドイツとは相互関係が異なるので必ずしもドイツほど厳格ではないが、ハーバード大学の出身者はハーバード大学の教授にはなれない、などの不文律はあると聞く。

人間社会の暗黙の「和」

 人間社会の暗黙の「和」を信用せず、「競争」の維持を最優先させるシステムといってよい。それはまた、人間相互の悪と不信を前提とする個人主義に立脚している。個人主義は性悪説から成り立っている。原子力安全委員長が電力会社の思惑を公衆の前で平然と代弁するような、検事が弁護士になり替わってしまうような日本社会の生ぬるいいい加減さ、監督官庁の幹部が監督される企業の幹部に無警戒に天下りし、同じ大学の出身者が企業、学界、官界を独占的に牛耳り、肌暖め合ってなにごとでもツーカーと分かり合ってしまうような精神風土が、今度の大事故の背景にあったことに我々は冷静な批判のメスを入れるべきときである。

 現場に対し監督側に立つ企業の幹部や、企業を監督する原子力安全委員や原子力安全・保安院のメンバーには、万が一の事故が起こった場合には何らかの刑事罰が課せられるような法改正がなされてしかるべきではないだろうか。それでなければ、国家の根幹を揺るがすこともある原子力発電の今後の継続など、安易に口にすべきではないように思える。

 原子力の安全神話が間違っているのではなく、安全神話を担いで外からの批判を封じ、ある全体的な雰囲気をつくって仲間意識を拡大し、政治やマスコミを巻きこんでソレイケドンドンとやってきた集合意識が、問題なのである。異論は、共産党や一部左翼の議論であるとして、非理性的に排除されてきた。異論や反論を同じテーブルにつける公明正大なディスカッションの場が、これからいよいよ必要であると思う。

 日本の一般社会の空気も問題である。東京電力のような影響力の大きい企業の人事が、江戸時代の農村メンタリティで決せられていないだろうか。詳しい事情は知らないが、減点法で無難な人が出世し、批判力や指導力よりも社内に敵のいない既成の枠を守る人、創造力よりも気配りのいい保守型の人、こういう人物が出世の階段を昇り易くなっていないだろうか。

 日本は、これからはこの手の人材ではもう発展が望めないと言われて久しいのに、千年一日のごとく「和」のムードを優先させているのが政・官・財・学に共通する日本の人事の実態のように見受ける。

現実の承認と現実の否定

 もとより西欧型、米国型の「個人主義」が、すべてにわたって優位にあるとは必ずしもいえない。ただ、自然科学はそもそも欧米からきた。そこに日本の伝統技術も加算された。原子力発電は日本で進歩が著しいといわれるものの、いざ事故が起こってみると、事故対応の役に立つロボット技術ひとつ用意されていない。バケツで水を撒いたり、汚水の穴にオガクズやおしめの類を入れてみたり、子供のマンガを見させられているような滑稽なシーンがつづいた。

 さらに、昨日の危機は改善されずに今日の危機が目前にあったことも見逃せない。地震から一カ月経った四月十一日午後五時過ぎに大きな余震が起こり、津波の恐れがあったのに再び電源が切れ、建屋内への注水が途絶えた。作業員の手動による応急措置が待たれたが、たまたま津波警報で作業員は現場から離れざるを得ず約五十分、またしても一カ月前と同じ大事故の危機が生じた。

 幸い、東北電力からの電源が回復し、一同ホッとしてことなきを得たが、電源が切れたら第二、第三の予防措置を講じるという、あのとき求められていた強い要望は、あっという間に忘れられていた。津波警報が出て作業員がいなくなる、という「想定外」の出来事がまたまた起こったのである。現場はまたしてもなす術がなかったのだ。

 つねに最悪のことを考え用意する。最悪を見つづけるのは人間として勇気を要するが、それが大切だと私は本論で繰り返し書いてきた。事故に対するも、人間関係、人事や政治においても欧米社会にこの点で一日の長があることは、軍事ということを片時も忘れずにいる社会と、六十五年間これを忘れてしまった社会の差でもある。江戸時代の農村メンタリティに戻ってしまい、学者や経営者たちまでが前近代的に生きているのに、自分は最先端の技術を駆使する超近代人であると思いこんでいる錯覚が問題である。それが、今度の事故で打ちのめされたと言っていい。それはいいことである。この絶望から、この敗北感から再出発せざるを得まい。

 米国務省日本部長メア氏の「日本は憲法九条を変える必要はない。変えると米軍を必要としなくなる」の発言に、私は冒頭で多少とも立腹した。日本の政治がこのまま三流に甘んじていてはダメだと書いた。

 日本よ立ち上がれ、のそのときの気持ちに今も変わりはないが、政治とは学者や企業人の指導力を含む概念であり、政界だけの問題ではない。口惜しくても、米軍を必要とする現実はつづいているのである。日本の再生はこの現実の承認と、さらにその先を見つめたこの現実の否定からようやくはじまるはずである。