領土欲の露骨なロシアの時代遅れ

令和4年5月24日 産経新聞正論欄より

 ロシアのウクライナ侵攻から日本人が得た最大の教訓は何だろうか。重要な教訓は単純な形をしているのが常だ。もし日本が侵攻されたら、日本人はウクライナ人のように勇猛果敢に戦えるだろうか。そのような疑問が私の心を離れない。

≪≪≪ 「平和主義」を振りかざすだけ ≫≫≫

 5月1日のNHK朝の各党党首出演の政治討論会を聴いていて驚いた。自民党から共産党までまったく同じ論調なのである。日本列島がウクライナのようになったらどうしようという国民が抱いたに違いない不安を予感させる言葉はだれの口からも出てこない。それどころか日本は輝かしい平和主義の国、平和主義を振りかざしていれば無敵、不安なし、平和主義こそが強さの根拠、と居並ぶ各党党首が口を揃えてそう語っているのだ。

 私は心底たまげた。ここまで口裏を合わせたかのような一本調子の同一論調、ロシアが再び北海道侵攻を言い出している時代だというのに、首相以下我が国を代表する政治家たちのこんな無防備、不用意な討論会を公共放送が放映する必要があるのだろうか。

 雑誌や新聞にロシアに好意的な見方が予想外に数多く見られることにも驚いている。北大西洋条約機構(NATO)が壁をつくったことにも責任があり、ロシアの反発もやむを得ないという同情論である。たしかに孤立したロシアを一方的に追い込むのは危険だという指摘はジョージ・ケナンやキッシンジャーの警告でもあり、人類が歴史に学ぶことがいかに少ないかの例証の一つではある。

 けれども現在のロシアが旧ソ連とどれほど違った新しい国に生まれ変わったかにはむしろ大きな疑問がある。スターリンとヒトラーは気脈を通じ合った同時代人であった。ネオナチは今のロシアを指す言葉だと言った方がいい。

≪≪≪ 19世紀型植民地帝国主義 ≫≫≫

 今度の侵略で目立つのはロシアの領土欲である。クリミアを手始めに露骨だった。同じことは公海に囲いをつくった中国にも言える。この両国は体制の転換期(1990年前後)に何も学習していない。対して第一次大戦後のアメリカの支配方式は「脱領土」を特徴とする。アメリカも帝国主義的支配を決して隠さなかったが、遠隔操作を手段とし、主として「金融」と「制空権」を以てした。

 第二次大戦まで国家の勢威の指標は領土の広さであったから、英仏蘭は戦後すぐ再び植民地支配に戻ったが、アメリカは国内総生産(GDP)を指標とし、世界はそれに従って今日に及ぶ。

 世界の覇権には軍事力と経済力以外に独自の文明の力を必要とする。科学技術や人文社会系の学問に秀で、映画など娯楽やスポーツ、農業生産力でも世界をリードすることが求められる。アメリカはそれをやってのけた。戦後世界を支配したのは当然である。

 今、覇権の交替を求めている中国には世界を納得させる新しい文明の型を打ち出す力はない。核大国・為替の支配・宇宙進出などアメリカの模倣である。ロシアはそれにさえ及ばない。かくて共産主義の過去に呪われた両国は今では「領土」にこだわる。19世紀型植民地帝国主義を再び演出する以外に手はないようだ。

 勿論アメリカの独自路線も少しずつ後退し、誇らしかった月面初到達も今や昔話だ。そして地球の問題を決めるのに少しずつ国際的民主化が進んでいる。

≪≪≪ いわれのない妄想捨てよ ≫≫≫

 民主化は良いことのようにみえるが、それは自由の幅を広げ、その分だけ不決断ないし無秩序が広がることを意味する。だからバイデン大統領はプーチン大統領が核に一寸でも手をつけたら、アメリカは断固モスクワを核攻撃しますよ、とは決して明言しない。ただ独裁国家の悪を道徳的に非難するばかりで、ロシアへの経済制裁とウクライナへの追加支援を積み重ねていくばかりである。誰しもが全体の状況を読み切れず一般的不安の中にいる。もし大戦争に拡大したら「貴方がこうすれば私もこうします」とはっきり言わないアメリカ大統領に半ば以上の責任がある。世界の政治はだんだん日本の政治に似てきている。「バイデン」は「岸田」に似てきている。

 5月10日、フィンランドのマリン首相が突如、日本にやってきた。訪日目的も明確ではない。フィンランドから見て、日本政界の太平天国の暢気さ、平和主義こそが自国の強さの根拠だという、いわれのない日本人の妄想が不思議でたまらず、現場に行って問い質し確かめたいと思ったのではないだろうか。岸田文雄首相は二言目には「自分は広島の出身だから」と言う。首相が広島県人であることが国の安全保障にどう関係があるというのか。できの悪い高校生みたいなことを言うな。

 日本は被爆国であるからこそ同じ体験を二度と味わわないためにはりねずみのように外敵が手を出したら直ちに同程度の報復をする準備体制を完備することがノーモア・ヒロシマの意味ではないか。今のままでいけば日本が3度目の被爆をする可能性は決して小さくはない。  (にしお かんじ)