緊急出版『尖閣戦争』(対談本)

尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223) 尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223)
(2010/10/30)
西尾幹二青木直人

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 対談本『尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本――』(祥伝社新書)¥760が刊行されました。青木直人氏との対談本です。10月30日(土)には店頭に出る予定です。

目次
はじめに――西尾幹二
序章  尖閣事件が教えてくれたこと
一章  日米安保の正体
二章  「米中同盟」下の日本
三章  妄想の東アジア共同体構想
四章  来るべき尖閣戦争に、どう対処するか
おわりに――青木直人

 私の筆になった「はじめに」を紹介します。

 はじめに

 尖閣海域における中国漁船侵犯事件は、中国人船長が処分保留のままに釈放された9月24日に、日本国内の衝撃は最高度に高まりました。船長の拘留がつづく限りさらに必要な「強制的措置」をとると中国側の脅迫が相次ぎ、緊張が高まっていたときに、日本側があっさり屈服したからです。

 日本人の大半は敗北感に襲われ、国家の未来に対する不安さえ覚えたほどでした。

 間もなく日中政府間に話し合いの雰囲気が少しずつ出て来て、中国側は振り上げた脅迫カードを徐々に取り下げました。いったん幕は引かれ荒立つ波はひとまず収まったかに見えます。このあとすぐに何が起こるかは予断を許しませんが、こうなると何事もなかったかのごとき平穏な顔をしたがるのが世の風潮です。政府は果たすべき責任を司法に押しつけて逃げた卑劣さの口を拭(ぬぐ)い、「大人の対応」(菅首相)であったとか、「しなやかでしたたかな柳腰外交」(仙谷官房長官)であったとか自画自賛する始末です。マスコミの中にも、これを勘違いとして厳しく戒める声もありますが、事を荒立てないで済ませてまあよかったんじゃあないのか、と民主党政府の敗北的政策を評価する向きもないわけではありません。

 しかし、常識のある人なら事はそんなに簡単ではないことがわかっているはずです。海上への中国の進出には根の深い背景があり、蚊を追い払うようにすれば片づく一過性のものではなく、中国の挑発は何度もくり返され、今度は軍事的にも倍する構えを具えてやってくるであろうことに、すでに気づいているはずです。

 だからひらりとうまく体を躱(かわ)せてよかった、などとホッと安堵していてはだめなのです。中国は必ずまたやって来る。今度来たならどう対応するかに準備おさおさ怠りなく、今のうちにできることからどんどん手を着けておかなければなりません。

 沖縄領海内の今回の事件は、明らかに南シナ海への中国の侵犯問題とリンクしています。中国は今年3月、南シナ海全域への中国の支配権の確立を自国にとっての「核心的利益」であると表立って宣言しています。これに対しアメリカは、7月、ASEAN地域フォーラムで、南シナ海を中国の海にはさせないという強い意思表明を行なっています。

 2008年以来のアメリカの金融危機と、それに伴うEUと日本の構造的不況は、中国に今まで予想もされていなかった尊大な自信を与えています。アメリカの経済回復の行方と中国の自己誤解からくる逸脱の可能性は、切り離せない関係にあります。世界各国がすでに不調和な中国がかもし出す軋(きし)みに気がついています。その現われが劉暁波(りゅうぎょうは)氏への2010年度ノーベル平和賞授与であったといってよいでしょう。

 世界はたしかに中国の異常に気がつきだしていますが、この人口過剰な国の市場への経済的期待から自由である国はほとんどありません。アメリカもEUも日本も例外ではなく、中国を利用し、しかも中国に利用されまいとする神経戦をくりひろげていて、各国も他国のことを考えている余裕がなくなっています。そこに中国の不遜な自己錯覚の生じる所以があります。

 アメリカと日本と中国は三角貿易――本書の二章で詳しく分析されます――の関係を結んでいます。これは互いに支配し、支配される関係です。アメリカは中国に支配され、中国を支配しようとしています。その逆も同様です。アメリカは必死です。経済破局に直面しているアメリカは、日本のことを考えている余裕はないのかもしれません。それでも南シナ海を守ると言っています。しかしいつ息切れがして、約束が果たせず、アメリカは撤退するかわかりません。

 本書を通じて、私共が声を大にして訴えたテーマは、日本の自助努力ということです。アメリカへの軍事的な依頼心をどう断ち切るかは国民的テーマだと信じます。

 私は20年前のソ連の崩壊、冷戦の終焉(しゅうえん)に際し、これからの日本はアメリカと中国に挟撃され、翻弄される時代になるだろうと予想していましたが、ゆっくりとそういう苦い時代が到来したのでした。

 尖閣事件は、いよいよ待ったなしの時代に入ったというサインのように思います。

 今回対談させていただいた青木直人氏は、もっぱら事実に語らせ、つまらぬ観念に惑わされないリアリストであることで、つねづね敬意を抱いていました。氏は国益を犯す虚偽と不正を許さない理想家でもあります。この対談でも、現実家こそが理想家であることを、いかんなく証して下さいました。ありがとうございます。

平成22年10月15日

西尾幹二

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 裏の帯に書かれた細かい文字(編集部によって書かれた)を紹介しておきます。

日本人が知っておくべき衝撃の事実

〇 尖閣を、アメリカ軍は守ってくれない。
〇 中国海軍が、南シナ海でおこなっていること。
〇 日本はアメリカから、ますます金をせびりとられる。
〇 アメリカと中国は、事実上の同盟関係にある。
〇 なぜ米中間には「貿易摩擦」が起きないのか。
〇 EUにはできても、東アジア共同体はできない理由。
〇 修了したはずの中国援助のODAが、アジア開発銀行を迂回して、今も続いている。
〇 神田神保町から、なぜ尖閣・沖縄の古地図が消えたのか。

今日沖縄は中国の海になった!(その六)

 まずかいつまんで報告だけしておこう。尖閣問題について私の仕事は昨日でほとんど終わった。昨日まで忙殺されていて、私の思想の大半はまだ表に出ていない。コラム「正論」に書いた短文と『WiLL』臨時増刊号に書いた「米中に挟撃される日本」の二篇のみが表に出ている。

 10月30日(土)に青木直人氏との対談本『尖閣戦争』(祥伝社新書)が次の仕事として店頭に出る。緊急出版である。対談は9月25日に行って、加筆を重ねた。一冊の本の刊行がこんなに早い例は少ない。着手が早かったせいである。

 目次は次の通りである。

序章 尖閣事件が教えてくれたこと
一章 日米安保の正体
二章 「米中同盟」下の日本
三章 妄想の東アジア共同体構想
四章 来るべき尖閣戦争に、どう対処するか

 それから月刊誌『正論』12月号にも「日本よ、不安と恐怖におののけ」と題した評論を寄せた。『WiLL』臨時増刊号の拙論にはまだ書いていない別の視点から綴られている。ある程度内容の重なるところもあるが、別の雑誌の求めに、同じ題材で、それぞれ別の内容をもって応えようとする難しさはいつも経験しているが、ついぞ慣れるということはない。

 この「日録」には尖閣事件に関する私の考察はほとんどまだ語られていないと思って頂きたい。雑誌と本という活字メディアを中心に仕事をしているので、どうしてもそうなるのである。ブログ失格かもしれないが、今回はやむを得なかった。

 対談相手となって下さった青木直人氏は中国通のお一人で、北朝鮮と中国の関係についてリアリズムに立脚した洞察鋭い本を出している。また日本政府の対中ODAや中国協力者である日本の財界人や官僚の腐敗について、数々の事実を教えて下さった人だ。私は前から関心を寄せ、敬意を抱いていた論客である。

 その彼が対談も終り近く、四章の半ば過ぎでおやと思う発言をなさった。とつぜん会津藩の悲劇について語りだしたのである。中国がチベットに対してやったような冷酷な仕打ちを薩長は会津藩に加えたというのだ。

 その怒りや恨みは今につづいているという。また会津は賊軍で、薩長こそ正しかったという勝利者の側から書かれた歴史観、歴史教育が明治になって小学校から会津の子弟たちに行われたことの屈辱と怒りは今なお消えていない、とも語った。

 沖縄はかつて中国領であったという歴史の勝手な捏造をにわかに声高に言い出している中国は、アジアを解放したのは毛沢東で、日本に勝ったのはアメリカではなく中国共産党だという歴史観をやはり声高に語っている国である。青木さんはこのテーマを次のように結んだ。

 チベットの農奴制を解放したのは毛沢東と人民解放軍であるという教科書をチベットの子どもたちが使わされ、それを受け入れない限り、中国によって弾圧されるという構図。中国が日本を含めて東アジア全体に拡張してきたときに、軍事だけではなくて、自分たちの歴史観を同時に強制してくるということの恐さに、日本人は、ここで気づくべきではないのでしょうか。

 そうだった。たしかにそういうことだな、と私はあらためて考え直した。ここまで考えが及んでいなかった。悪夢だが、しかし当然起こり得る可能性の範囲内にあることである。

 われわれはまだ事柄を甘く考えている。沖縄が中国領になってもならなくても、沖縄の海域一帯が中国の政治支配下に事実上入った場合には、日本の国内は中国一色になり、政権は親中国的立場をとる政党のみが独占する事態になるだろう。そうなれば、教育内容も教科書もとんでもない方向へ変更を強いられることになるだろう。

 そんなことに私たちは耐えられるだろうか。否、そこまでひどいことには決してなるまい、とまだ私たちは高を括っているが、仙石官房長官のような人物がすでに政治の中枢に坐っているのである。彼は中国人でさえ嫌悪をもってしか語らない文化大革命の礼賛者だというのである。

 それでも今度私たちが少し心静かに事態を見守っていられるのは、民主党政権に日本国民が相当に激しいリアクションを起こしていて、さらにアメリカはじめ世界各国の中国を見る目がにわかに厳しくなっている情勢のゆえである。

 今日の産経では全国の地方議会が民主党政権に反対声明を次々と発しているということである。水島総さんがプロモートした10月16日の中国大使館包囲デモは大成功で、世界のメディアの注目を浴び、政治的意味が大きかった。アメリカが中国に厳しい視線を寄せはじめたことにも影響を及ぼしている。アメリカはここで日本を応援し、日本人の不安を拭って、普天間以来ぐらついていた日米関係を立て直そうという思惑もあるだろう。

 しかし私の論調は必ずしもそこで安堵していない。「日本よ、不安と恐怖におののけ」(『正論』12月号)からポイントを拾うと次の通りである。

 私がいま訴えたいのは日本の自助努力である。アメリカがともあれその気になっている間に、わが国が少しでも独立した軍事的意志を確立するべく時間的に間に合わせなくてはいけない。

 しかしながら、実は日本の自助努力を阻害するようにつねに作用するのはアメリカの軍事的協力の約束そのものであり、尖閣は安保適用対象であるというような単なる「客観的認識」が日本国民に与える気休めめいた安心感にほかならない。

 沖縄海域での米軍と自衛隊との合同演習が近く行われる予定が組まれたと聞く。差し当たりの安心材料ではある。

 ただ、ここが考えどころなのだ。このように――いつもそうなのだが――アメリカの協力を待ってはじめて外からの不安や危険が排除され、日本は自分に対する脅威を自ら排除しない。繰り返されるこのパターンの固定化が恐ろしいのである。

 私はアメリカの政府要人はむしろ日本国民を空しく安心させる「客観的認識」を言わないで欲しいと思う。

 会津戦争の話を青木さんから聞いて以来私の中の悪夢がまたふくらんでいたが、インターネット情報によると、中国共産党の解党が近いらしいという噂も聞こえてくるのである。出所は「大紀元」らしいが、体制崩壊後を早くも予想して、共産党内部が幹部の犯罪の証拠煙滅の準備会議を開いたというようなことが語られている。本当だろうか。

 この噂によると、18日に党大会で次期主席を約束された習近平は共産党を整理するゴルバチョフの役割を果すだろう、アメリカは着々とその方向を支援し、推進する動きをしている、というのであるが、本当だろうか。だったら万々歳である。アジアにも「ベルリンの壁崩壊」の時節が到来することになる。

 私は半信半疑で、早速宮崎正弘さんにそんな噂は聞いていないか、と電話をしたら、「全然」と即座に否定されてしまった。あゝやっぱり駄目か、とがっかりした。

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」(10月22日通巻3110号)は私のこのときの電話に対する答だったようだ。ご覧下さい。中国の近い未来に変化はないらしい。私の悪夢はむくむくとまた大きくふくらみ始めているのである。

今日沖縄は中国の海になった!(その五)

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 今日14日に『WiLL』の緊急増刊「守れ、尖閣諸島!」が発売された。ご覧の通り執筆の皆さんは中国憎し、民主党許せないの一点張りで、同盟国アメリカが最大の問題、アメリカに対する日本人の依頼心理をどう断ち切るかが今後の最大の課題だということが必ずしも中心主題になっていない。これは残念だが、言外には勿論、どの論文もそういう方向を向いてはいるけれど。

 西村眞悟氏と金美齢氏と塚本三郎氏との気迫のこもった奔ばしるような言葉の数々は魅力的だった。そのほかの方々もみな勢いのある鋭い表現を発し、次々と現実をえぐっているが、私が一番感心したのは青山繁晴氏の「中国共産党、二つの誓い」であった。私の気がつかない新しい発見がいくつもあった。例えば、

 私はいまから八年ほど前、ある政府機関の委託を受けて北京の人民解放軍の将軍たちと議論をしました。・・・・・

 私といちばん時間をかけて向き合った将軍はとても有名な方で、朝鮮戦争の指揮官の一人でした。彼はこう言いました。

 「青山さん。我々は1949年10月1日に北京に紅い星を立てて、共産党と人民解放軍による政府を樹立した時、二つのことを誓いました。これは今まで外国の方に言ったことはありません。

 第一の誓いは、中国は二度と周辺諸国に脅かされない。万里の長城のような役に立たないものを作るのではなく、積極的に周辺地域を抑えようと。

 第二の誓いは、人口です。当時は重荷だったが、やがてこのたくさんの人口が我々の財産となり、中国を世界一流の国に押し上げる。だから人口はあくまで増やし続けていく。

 この二つの誓いをドッキングして考えると、一つの国が思い浮かびます。わかりますか?」

 私が「それはインドですか」と聞くと、将軍は「その通りです」と答えました。インドだけが、やがて中国の人口を追い抜く可能性があるからです。

 中国がチベットを侵略したのはインドを抑えるためだった。これは西へ向けての企てである。次に北に向けて、1969年に中ソ国境紛争を起こした。

 モスクワで軍当局者に聞くと、ソ連はユーラシア大陸に大きな身体でのしかかるような国です。前や後ろは強いけれど、真ん中のおなかは柔らかい。そこを槍で突っつく奴がいる、誰かと思ったら中国だった、と私に語りました。中国はソ連の弱いところを見抜いて、戦いを仕掛けたわけです。

 北の次は南です。これもまた十年後の79年に、ベトナムと中国の中越戦争が起きている。中国は昔からベトナムに領土的野心を持っていた。ベトナムはフランスと戦い、アメリカと戦い、いずれも叩き出した。その様子をじっくり見て、アメリカは二度とベトナムに戻ってこないと確認してから、中国は南下を始めた。

 西、北、南と出ていき、一ヵ所だけ出てこない方向、東にあるのは日本です。しかし、今度はすぐには出てきませんでした。日本があるからではない。アメリカ軍が怖いからです。漢民族はもともと戦争に弱い。だから、二度と負ける戦争はしない。というのも現代中国の戦略なのです。

 1969年、ECAFE(国連アジア極東経済委員会)の調査によって、尖閣諸島の海底に資源があることがわかった。すると、翌年から中国が突然、尖閣の領有を宣言しました。ところが、行動には出なかった。先ほど言った通り、その頃は南下をしており、東シナ海より南シナ海に出ていこうとしていたからです。

 あれから40年後の現在、なぜこのタイミングで中国が東に出てきたのか。おそらく多くの人が、普天間問題で日米同盟が揺れたからだと考えているでしょうが、それはごく一部の動機に過ぎません。中国は目の前のことでは動きません。

 東側にいよいよ出ていく時期だと決断したのは、実は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件が真の契機です。

 ここから先は青山さんの文章を直接読んだ方がいい。尖閣への中国の侵略がきわめて戦略的な、長期にわたって練られた行動計画の終着点だったことがここから分る。東西南北の四方向に向けてのこの国の深謀に根ざした膨張行動であることを考えれば、尖閣問題が今回の一件で終わるはずはないのである。

 戦後わが国は一貫して幸運でありすぎた。いよいよそうはいかなくなってきた、と思えてならない。これから怒涛のごとく押し寄せてくる変動にまずは心の準備をしておかねばなるまい。

 今朝参議院予算委員会での山本一太氏の代表質問をテレビで見た。山本氏は首相と官房長官と法務大臣に果敢によく噛みついていたが、いよいよの所で追いこめていない。船長の処分保留の侭の釈放は検察の判断であって政治は関与していないという例のごとき三人の答弁に対し、山本氏はむしろ「それならなぜ指揮権発動をして検察の暴走を防ぎ、政治に主導権をとり戻さなかったのか」と追い詰めるべきではなかったろうか。青山さんもこの見地からの指揮権発動の必要を論じているのが注目に値する。

『GHQ焚書図書開封 4』の刊行(五)

 

 私が「朝日カルチュアーセンター」で講義するという珍しい経験をしたのは、昭和51年(1976年)10月~52年6月の期間だった。

 私のこの時期は、ちょうど40歳代に入ったころで、『ニーチェ』二部作の製作過程にあった。今でこそ各地にあり、珍しくないカルチュアーセンターは、朝日新聞社が初開講して、成人教育――まだ生涯教育ということばは使われていなかったように思う――の新機軸として脚光を浴びていた。私はそこで、もちろん翻訳を用いてだが、『ツァラトゥストラ』を読んで欲しいと依頼された。

 竹山道雄訳(新潮文庫)、手塚富雄訳(中公文庫)、吉沢伝三郎訳(講談社文庫)、氷上英広訳(岩波文庫)という四つの文庫本を用意させ、一回に一、二節ずつ読んだ。原文を使用できないのはまことに不便だった。

 一ヶ月もしないうちに手塚富雄訳だけが残って、他は捨てられた。教室でみんなが他の三つは読んでも意味がわからない、と言ったからである。

 教室に集まったのは20歳代後半から70歳代までの20人くらいだった。私には不思議な印象だった。年齢も職業もまちまちな人々が、特別利益にもならない企てに長期参加する。会は二度延長され、九ヶ月もつづいた。

 職業も学歴もばらばらだった。団体役員、高校教師、私大事務局勤務の女性、教科書会社のOL、紙問屋の若主人、一級建築士、通信機器メーカー技術者、書道家で立っているご婦人、などなどじつに多種多様な顔であった。けれどもみな成熟した大人で、しかもニーチェが好きなだけにどこか世間ずれしていない純粋なところがあり、そしてまたそのおかげでどこか孤独な一面をも宿していた。

 じつは「ツァラトゥストラ私評」の副題をつけた私の『ニーチェとの対話』(講談社現代新書)は、この講義の中から生まれたのである。

 以下にご紹介する大西恒男さんは一級建築士で、そのときの受講生の一人である。今は京都のお寺の修復工事で設計を担当する芸術家のような仕事をしている。参禅の経験も積んでいる。

GHQ焚書図書開封3.4を読了して

朝日カルチャーセンター「ツァラツストラを読む」受講生 建築士 大西恒男

戦後6年もたって生まれたものにとって、親が控えめに話す切れ切れの体験と戦後作成された戦争を扱うくつかのドラマなどによって先の大戦のイメージはかなり限られていました。世界平和が自明の合い言葉になっている現在でもその実自分は何をすればいいのか分かっていません。

テレビで見る戦争を扱うドラマなどで口角泡を飛ばすシーンなどは最初から結論が分かっている創作者の手腕であって、会社での会議のようにもっと言葉が切れ切れであったり、だれかがときには横やりを入れたりして結論が出てくるのが我々の日常だと思います。野球のナイトゲームの観覧のように決してリプレイのない状況に似て、何かに気を取られゲームのいいところを見逃しているうちに周囲の反響により大きなヒットが分かるような迂闊な状況もドラマではない本当の現実には多くあったと思います。

「焚書図書開封3」で引用され・解説されている第1章の「一等兵戦死」から第3章の「空の少年兵と母」までを読了して、戦後に作られた作家の創作ではない戦争ルポルタージュに魅せられました。淡々とした文章の中に暖かい慈愛があり、横に置いていたティッシュの箱を涙と鼻水でしばらくはなせませんでした。戦後の考えでドラマ化された戦争とはずいぶん違うというのが感想です。少しほっとするような人間味を味わうことが出来たからです。

 GHQがこのような本を焚書にした意味合いが全く分かりません。私の父世代の日本兵には節度や人情があったのでは何か都合が悪いのでしょうか。そこまでしなければいけない理由がよく分かりません。・・よくぞここで取り上げてくださったと感謝しております。

 「焚書図書開封4」の国体論はタイトルを見たときにはこの本を最後まで読みきれるかどうか正直に言いますと少し不安でしたが、丁寧な解説があったので無理をせず読了いたしました。日本の長い歴史を生き抜いた宗教としての「皇室」も理解できたように思います。
複眼の視点で捉えられた6・7章 杉本中佐の「大義」もわくわくして読んだものの一つです。西尾先生は戦闘と禅についてつながるものかどうか少し疑問をお持ちですが、江戸城の無血開城に大きな働きのあった山岡鉄舟は剣・禅・書の達人であったようです。生死を超えたところに身と心を据え自己を空じ尽くしたところに活路を開くという意味ではやはり大きなつながりがあったのではないかと思っております。

中国人相手の反論力

ゲストエッセイ 

      坦々塾会員 大石 朋子

 最近、特に駅の表示やトイレの表示に中国語やハングルが目立つのが不愉快。ここは日本だ。

 たまに、外食をすると聞こえてくるのは、日本人の数倍の大きな声で話をする中朝の人々。
これが、「立場が逆なら灰皿で頭を殴られるんだよな」と以前中国で起きた事件を思い出しました。

 最近特に外国人登録者数の増加が著しい江東区では、身近なところで「日本人より中国人が偉いんだ」という声を聞くのですが、我が家では「とりあえず日本人が中国に密入国するようになったら、中国が日本より凄いんだと認めましょう」
と答えるようにしています。

 日本に来て、自分達が偉いと勘違いしている中国人に、媚び諂う日本人も情けないのですが、よく「中国人の自慢話には辟易する」と言う話を聞くのです。

 私は何故反論しないのか不思議でなりませんでしたが、日本人の不勉強さと誤解が大きな問題であると思いました。

 ある日、産経新聞の集金に中国人が来て、我が家の玄関の本棚にある中国問題、南京問題、尖閣問題の本の背表紙を見て、突然「日本人は昔わるいことした、だから謝らなくてはならない…」と始めたので、さぁ大変。
 彼は私に捕まり一時間以上、ディベートに付き合わされました。
その中国人は、二度と我が家に集金には来ません。

 元台湾人の私の友人からも、中国の高層ビルはエレベーターが少ないため、上層階に行くには時間が掛かるので上層階は空室が多いという話を聞いていましたので、「中国は日本より高いビルが沢山ある」という自慢話にも反論できました。

 A(匿名)の仲間に、中国人を連れてきた人が居て、その中国人が、「中国はいい国だが、日本は酷い国だ」と言うので、Aは「じゃぁ『いい国の中国』に帰れば。」と言うと「お金が無いから。」それに対しAは「『公的機関で帰国費用を一時立て替えてくれるところがあるので、教えようか?』と言ったら、次からは来なくなった。」と言っていました。

 何れにせよ、この反論力を日本国民が持ち始めたことは喜ばしいことですが、政治家が、マスコミが、この反論力を持っていないのか、使おうとしないのかが悲しいと共に、何か弱みを握られているのではないかと勘ぐってしまうのです。

 日本人は、沈黙を良という民族です。この問題が起きたとき「沈黙は時として悪である」と私はメールで流しました。この沈黙が相手を増長させたのであるのなら、日本側にも非があるのだと思います。

 今回のこの尖閣問題は、長年沈黙し後回しにしてきたつけです。

 国際政治学者の殿岡昭郎さんの「尖閣諸島『灯台物語』」(高木書房)をお薦めします。
今年の六月に殿岡さんからこの本をいただいて読みましたが、民間人がここまで頑張ってきたことを、マスコミは正義として報じず、政府は右翼のやったこととして揉み消し妨害したことに、知れば知るほど涙が出ました。

 フォークランド紛争に多額の予算を割いたのは何故か。

 排他的経済水域の重要性を、日本の漁民たちはやっと気付き始めました。

 政治家は何時気が付くのでしょうか。

今日沖縄は中国の海になった!(その四)

 私にとって今回の事件は「米中はさみ撃ちにあった日本」という悲劇なのだが、中国への反発と民主党政権への怒りばかりが保守系言論メディアを蔽っていて、本当の不安が見えてこない。いつものことである。

 日本は自力で起ち上らないといけない。背筋が寒くなるようなアメリカの冷淡さが認識できていないと、起ち上ることができない。あるいは中国の理不尽な行動がもっとエスカレートしないと今度も起ち上れないかもしれない。

 元編集者の加藤康男さん――工藤美代子さんのご夫君――が私の9月29日付の新聞記事をよんで感想を寄せて下さった。

 今朝の新聞正論を拝読、久しぶりに小気味のいい先生のお言葉で多少胸の鬱憤が晴れました。

日米安保の重要性を説く人は多くても、「安保とはその程度の約束である」と語る「正論」人はなかなかおられないので、いらつく毎日でした。

先生がおっしゃるように、まずは自衛隊が、いや、日本国民が中国と一戦交える覚悟を示さなければ、アメリカはおろか、誰も助けてはくれないのです。
自分の土地は自分で守るという覚悟が、今の日本人にはありません。おっしゃるように、占領政策にその起点はありました。日本人が初めから気概がなかったわけではありません。
今回のような事件が起きて初めて少しずつ目が覚めるのかも知れませんが、時間がかかりますね。

 レアアースの妨害が解消し、フジタ社員の4人のうち3人が解放され、中国側が折れてきた印象であるが、これは中国人船長の釈放の直接の結果とは限らない。中国がアメリカの顔を立てている面がある。国際非難も怖いのである。

 中国の海洋への膨張進出の基本政策は変わっていないから、やがてまた異常な事態が発生するだろう。沖縄内部への工作も着々と行われていると思う。沖縄のメディアの偏向は日本本土への恨みと反米感情のせいだとよくいわれるが、それだけでは決してないはずである。

 アメリカの睨みがそれなりに効いている差し当りの期間に、日本は起ち上らなければ間に合わなくなる。その思いは心ある私の知友には共通している。元自衛隊内局幹部の小川揚司さん――坦々塾会員――がやはり拙文に反応して次のように言ってきて下さった。

中国を増長させるだけでなく世界に大恥を曝した菅・仙谷政権の無様な対応に憤激が治まらぬ日々が続いておりますが、先生の日録と本日(9月29日)の産経新聞「正論」の御文章を拝読し、更に深刻に胸に迫りくるものを痛感しております。
 昨日(9月28日)の「正論」は佐々淳行氏の勇ましい文章でしたが、防衛庁の官房長や初代内閣安保室長を歴任された危機管理の第一人者にしては何とも甘い対策の提言であり、矢張り西尾先生の御洞察が最も冷厳に現実を見抜いておられるものと痛感致しております。
 
 自衛隊(軍隊)はシステムであり、そのトップに乗っかっているのが小心で蒙昧な菅某や北澤某である限りシステムは作動できません。尖閣への自衛隊の出動は訓練名目でも覚束なく、自衛隊が出るのか出ないのか中途半端にマゴマゴしていれば、それを口実に中国軍に機先を制せられて瞬く間に尖閣を占領される情景が目に浮かびます。
 日清・日露の戦役から大東亜戦争までを戦い抜き白人どもの心胆を寒からしめた日本人と、この体たらくの政権与党、その醜態にも激怒せず、まるで対岸の火事を見るような蓬けた数多の日本人と、国家観を喪失すると人間はここまで見事に劣化するものかと、悲痛な思いを反芻しております。

 昨夜は私は「路の会」で、衆議院議員の高市早苗さんをゲストにお招きした。自民党の内部の動きに期待していたが、私たちが外から見ている通り、谷垣総裁とその執行部には格段の大きな変化はないようなお話であった。

 たゞ高市さんは、大変に心強い良いことを数多くなさって下さっていることが分った。例えば「領土教育」の件。学校で領土に関する詳しい授業をする熱心な先生は職員室で孤立し、教材も少いし、困難にぶつかっている。高市議員がそういう先生の連帯を考えて、全国から呼び寄せている。東京にくる出張旅費がつくように取り計らうなど、孤立しがちな少数派の連繋に心をくだいている。

 また大変に感銘を受けたのは、議員立法を作定する能力をもつ数少ない議員のお一人である高市さんは、森林の水資源を外国人から守る法案の作成に目下精を出している。地下水はこれまでいかなる規制もされていないらしい。外国人が買ってはいけない土地を定めた古い外国人土地法のリニューアルも試みているそうである。

 ありがたいご努力である。われわれはこういう政治家と連繋していかなくてはならない。稲田朋美さん、山谷えり子さんといったわれわれがよく知る保守系三人は、互いに協力し合って戦って下さっているそうで、心強い。

 私は序でにいくつかのお願いをした。その中で高市さんが議員立法の対象になる、と言って下さったのは、神田の古本屋街から日本の古地図、清朝以来の海域の地図がなにものかに買い占められてほとんどなくなっている問題である。中国人や朝鮮人が札束をもって動いている。国立国会図書館の竹島の地図は破られてなくなっているそうだ。貴重な地図はマイクロフィルム化して、貸出し禁止にする議員立法を考えて下さるというお話に私は感銘し、勇気づけられた。本当にありがとうと申し上げたい。

 私のような人間は言葉でなにか言っても現実に反映しない。言論はむなしく、実行は遠い。高市さんのような方がいないと現実はなにひとつ変化しないのである。

 『歴史通』に出すと言っていた私の次の仕事は、『WiLL』(尖閣問題特集号10月14日発売)に掲載されることになった。25枚をすでに書き終えている。