つくる会定期総会での私の話(二)

 「夢はどこまでも夢ですから空想めいて聞えるかもしれませんが、いつだって半分は現実なんです。」私はそうつづけて、二つ目の夢はつくる会が広報に関するマーケティング戦略を展開できるようになることだ、と言った。

 「今回の総選挙で小泉首相が『改革を止めるな』と言っただけで国民はそうだ、そうだと雪崩を打って、言われた方へ走りだしました。四年間も首相の座にいて、改革を果すべき立場にあり、ちゃんとした改革をしてこなかったのは誰のせいでしょう。あの人の責任ではないですか。それなのにその人が『改革を止めるな』は、何という言い草でしょう。自分が止めていたんじゃないですか。私は笑えて仕方がなかった。

 けれどもこの鉄面皮こそが、勝つためには大切なんですね。つくる会にもいい教訓です。で、われわれも発想の転換が必要です。『新しい歴史教科書こそ反戦平和の教科書だ(笑)。国際協調を絵に描いたような教科書だ(笑)!』と堂々と言いつづけるような、胸を張った臆面のなさがを示すべきなんです。

 今度の自民党は参議院の世耕議員の肝入りで広報のためのPR会社が参入し、戦略を組み立てたと聞いています。広報と広告とは違いますよ。小泉さんも武部さんも大分前から広報会社とよく会い、よく打ち合わせをしていたらしい。解散はかなり前から研究していた。『改革を止めるな』は首相おひとりのアイデアではなかったようですね。

 つくる会もできれば広報会社に依頼したいのです。でも、そんな巨きなお金はありません。だから夢なんです。夢ですが、とても現実的な夢ではあるんですよ。

 それから三番目の夢はまた小泉さんに関係があります。8月8日の解散から9月の第一週目くらいまで、日本の大マスコミは小泉批判をピタッと止めてしまいました。テレビは女性刺客V.S.抵抗勢力の対決を面白おかしく追いかけるだけで、首相の仕掛けた罠にはまったのか、背後で見えない権力が動いたのか、薄気味の悪いほど同じ一色に染まった。皆さん、ご記憶にあるでしょう。小泉万歳を一番煽ったのは産経ですよ。そして産経から朝日まである意味で論調が一つになった。

 権力というものはもの凄いことができるのだということが証明されました。権力は小泉さんかどうか分りません。その背後にいるアメリカかもしれません。何か分らないが権力が本気になるとこういうことができる。

 それで三番目の夢です。夢ですからいいですか、無責任ですよ。

 教科書問題においては権力がまだ本気になっていない、そういうことだなと思いました。権力が危機感を覚え、本気になったら、地方の県教委なんてみんなふっ飛ばされてしまいます。みんな右へならえしちゃうんですよ。その程度の暗い闇なんです。

 以上三つの夢、申し上げました。夢ですから、すぐ醒めてしまいました。そして、私たちは再び自分の非力を悟らざるを得ません。

 ですが、非力でも、無力でも、ずっと旗を掲げつづけることが大切なのではないでしょうか。さもないと夢のつづきも見られません。

 尚、最後に八木秀次会長が今回の総会を機に自ら会の編成替えを示し、新しいプロジェクトを打ち樹て、本格的に会長の職責を全うせんと実力を発揮し始めたことを申し添えておきます。今までは前任者の後継ぎという立場を外さぬように慎重になさっていましたが、今回ご自身でどんどんアイデアを出し、指示し、命令し、活発に動き出しました。私の知らない間に新理事が増え、本部は若返りました。

 各地方支部におかれましても活動のより一層の活性化と次の時代への課題の継承をにらんだ組織の若返りをぜひにお願い申し上げる次第です。ありがとうございました。」

つくる会定期総会での私の話(一)

 「私は番外の人間ですので余り発言しないつもりでしたが、それでも会議の途中で思わず少し口出ししてしまい申し訳ありません(笑)。」というような前口上で、私が議長に指名されて、しめくくりの挨拶をした。

 新しい歴史教科書をつくる会第8回定期総会が9月25日午後1:00~4:00虎の門パストラルの大会議場で開かれた。全国から集まった約200人の正会員が熱心に討議をくり広げた。成功とはいえない採択のにがい結果にも拘わらず、会の空気は快活で、気力もあり、ひたむきに前向きだった。

 ただ私の心の中には、17日の全国活動者会議で北陸のある県の代表から聞いたことばが重苦しくのしかかっていた。北陸は圧倒的な保守地盤である。日教組もほとんど力がない。日の丸・君が代も抵抗なく励行されている。というのに、彼はドアをこじ開けることができなかった。

 開けようとすると、立ち塞がるある暗いものの影がある。ぞっとする。「それは何ですか」と質問する人がいた。「分りません。教師の世界の閉ざされたメンタリティー、そう言ってしまえば簡単です。そういうものでもない。それは闇のようなものです。」「教科書業界の利権でしょう?」と別の人が質問した。「そうかもしれません。しかしもっと何か奥深いもの、遠いものと絡んでいる。威圧するものがある。地元をよく知るわれわれがこの年齢になって今年初めてぶつかった説明のできない壁です。」

 以上は総会の一週間ほど前に聞いた話である。今回の採択の不首尾を象徴するような話だった。

 総会でもさまざまな角度から「壁」が語られ、議論された。しかし総会では「壁」を動かないもの、毀せないものだとは誰も考えていなかった。私は最後の挨拶を求められていた。

 「本日はご参集のみなさま、ありがとうございます。熱心なご討議も、また各種議案のご可決にも感謝申し上げます。さて、私は本日の会の終結にあたり三つほど夢を語ってみたいと思います。夢ですから多少無責任ですが、お許し下さい。

 教科書法の制定を求める運動が確認されました。教育委員会制度の見直し、権限の明確化ということですが、教師上りはレイマンコントロールの趣旨からいって教育委員にはなれないという法的とりきめがきちんとなされるのが望ましいのです。そういうことは先ほどもどなたかが仰言っていました。私は加えて、教科書販売に関し出版社の営業活動がいっさい禁止されるべきだと思います。道路や橋の談合についてあれほど世間は騒いでいます。しかし、談合の弊害が教科書においてはるかに著しいことは、道路や橋の比ではないのです。公正取引委員会がこれを黙認し、放置しているのはおかしい。

 教科書会社の営業が禁止されることになれば、東京書籍の営業マン150人が全員解雇されることになります(笑)。扶桑社にも迷惑をかけないで、対等に採択戦に臨める。まあ、いいことばかりです。

 これは夢ですが、あり得ない話ではないですよ。理屈からいって、正夢なんです。」

なんとか日本を守りたい

 9月16日頃から22日までの間、うち別件で一日使えなかった日があったが、自己集中して、次の二論文を書いた。

(1) 最後の警告!郵貯解体は財政破綻・ハイパーインフレへの道だ
  「諸君!」11月号(40枚)

(2) ハイジャックされた漂流国家・日本
  「正論」11月号(23枚)

 (1)は経済論、(2)は政治論である。どちらも、いうまでもなく現政権批判である。

 私の一連の関係論文はまとめてPHP研究所より単行本化される予定で、作業が開始されている。昨夜書名をどうしようかと担当者と話し合ったが、私は誰にでもすぐ分る簡潔なのがいいなァ、と呟やき、こんなのはどうかなと提案した。そうなるかどうかはまだ分らないが・・・・・『小泉純一郎は間違っている』。

 そのものズバリの、あけすけで分り易いこんな題の本を出したことはまだないが、私が言いつづけてきたことは、この題に尽きている。

 日本は戦後60年目にして、この政権で一大変質し、破局に近づいている。権力の頂点が頼りにならない、崩壊が上から始まっているこんな不安定は、私には初めての経験である。国民の大半が明日の自分の財布を心配していないのが不思議でならない。財務省や金融庁の幹部はじつは真蒼になっているのではないかと思う。

 尤も、彼らは破局ですべてを清算したいのかもしれない。

 私は郵政民営化は最終的には実行できないと思っている。法案が成立しても、執行されないうちに財政が行き詰まってしまうからである。4年間で240兆円もの、戦後政権で最大の借金を増やした小泉政権に責任は帰せられる。

 間もなくみんなが本当に困る時代がくるのである。

第二の人生もまた夢

 平成16年6月刊の『文藝春秋』臨時増刊『第二の人生設計図』にたのまれて「第二の人生もまた夢」という3.5枚のエッセーを書いた。書いたのを私はすっかり忘れていた。書いたのは昨年の2月頃である。お目に留めていただこう。

 

 私は65歳で大学を停年になって、この3月でまる3年になる。私の場合、在任中も退職後も、同じ著述活動がつづいていて、明確な切れ目がない。だから「第二の人生の設計図」を描けといわれると、そういうことをきちんと考えていないので、困惑の思いがまず先に立つ。

 けれども70歳を目の前にすると、さすがもう時間は刻々と迫っているのだと、厭でも考えざるを得ない。しかし真先に思いつくのは、仕事の上の新しい計画である。つまり「第一の人生」へのこだわりであり、なにも悟っていない愚かさである。昨年と同じように今年に期待している鈍感さでもある。いつ急変が身を襲うかもしれないのに、永遠の無変化を幻想している自分が、変化への恐怖を一日延ばしにしているだけかもしれないことに薄々感づいている。

 そんな自覚もあってか、生活の上でいくつかの小さな新しい試みをし始めた。若い友人と歩いていて、私が駅の階段を昇るのを見ていた彼が言った。「先生、今のうちですね。」「何が?」「外国旅行には脚力がいるんですよ。先生はまだ大丈夫です。」「そうだなァ。」という会話があって、一大決心をした。年に春と秋の二度、老夫婦で外国旅行をするという多くの人のやっているのと同じ平凡な慰安を考えた。まだ行っていないヨーロッパへ行く。北欧、南フランス、アイルランド、ルーマニア、ブルガリアに私はまだ行っていない。それで、北欧と南フランスの旅はすでに実行した。

 さて、そうこうするうちに、仕事とは別に、私は人生の終らぬうちにやっておきたいと思うことを心に確かめてみると、若い頃い実行していたことをもう一度してみたいという欲求がいま次第に募っている。まだ行っていないヨーロッパもいいが、昔留学していたミュンヘンの、私の住んでいた学生寮はもうないので、付近の街角に宿を得て半年くらい過ごしてみたい。毎晩のようにオペラ座へ行く。ミュンヘンを拠点にイタリアやスイスへ旅行し、またミュンヘンに帰ってくる。ドイツの新聞やテレビだけで世界を考える。酒場で見知らぬドイツ人と口論する。バーゼルやシルス・マリーアの“ニーチェゆかりの地”をとぼとぼ一人で歩いたあの旅と同じコースをそっくり再現したい、等々。

 それから、もうひとつ試みてみたい若い日の感激の再体験は何かと考えているうちに、私の場合は映画でもスポーツでもなく、長篇小説を読むことだった。バルザック、ドストエフスキー、トーマス・マン、ハーディ、ディケンズ、スタンダール、フォークナーなど、夢中で読み耽って、夜を明かしたあの忘我の感動を忘れてすでに久しい。違った世界を体験させてくれる唯一のものが世界文学全集だった。忙しさにかまけて若き日のあの感動をもう一度味わうことなしに人生を終るのは惜しい。昔読んだものと同じ作品でよい。学生時代の体験は、老人になってどう変っているかを知るのも得がたい。

 そう思いながら、きっとどれも実行できないだろうな、という不安もかすかに抱いている。じつは一年前に同じことを考え、『チボー家の人々』を用意したのだが、十分の一も読めないで、本は参考文献資料の山の下に押しこめられたままなのである。

後記  その後ルーマニア、ブルガリアにも行った。アイルランドが残っているだけである。

日本の会計事情と公認会計士の試練

 高石宏典(たかいしひろのり)

 昭和37年山形県生まれ。新潟大学経済学部卒。東北大学大学院経済学研究科修士課程修了。太田昭和(現新日本)監査法人山形事務所を経て、現在、山形県立産業技術短期大学校庄内校に勤務。

 個人レベルでは、「日本会計基準等の米国化」より「わが頭髪の消失化」の方が大問題ですが、こうした諸々の老化現象を受け入れつつ逆境をはね返してより社会貢献できるよう、この夏はまず虚心坦懐に学ばなくてはいけないようです。個人的感情のはけ口を求めるのは、その後ということなのかもしれません。
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 公認会計士監査の実務から離れて8年程になる。この間、ゴーイングコンサーン監査の学術研究にかまけ、簿記会計教育を生計の資として暢気に暮らしているうちに、会計基準や監査基準だけでなく商法や公認会計士法までも大きく様変わりしてしまった。昔読んだ愛着のある会計学や商法のテキスト類はもう役に立たない。変わり続ける会計基準等や法律(以下「会計基準」とする)に対応しようと、溜息をつきつつ研修中のわが身が息苦しい。

 上記会計基準の変更理由には、企業会計の「透明性」と「国際化」が馬鹿の二つ覚え?のように謳われている。これらが意味するものを敷衍すれば、会社は従業員や社会のためにあるというよりも株主の私有財産にすぎないとの“割り切った企業観”に基づく、会社の利益よりも会社資産等の現在価値それ自体がより重要であるとする“短気な会計観”への変更、ということになるであろう。端的に言えは“日本会計基準の米国化”ということに他ならない。金融商品等の時価会計や固定資産の減損会計の採用、それに春先のニッポン放送株式敵対的買収事件の発生は、こうした考え方の反映であり現象である。

 これら会計基準の米国化は、わが国の景気を躓かせる方向にのみ作用し、外資からの被買収リスクを高め、国益を損なうありがたくない効果をもたらした。「日米投資イニシアティブ報告書」等の存在によって会計基準の変更が米国の政治圧力に屈した結果であることが明らかになり、ここにまた一つの“経済敗戦”が現実化しようとしている。

 私はわが国の上場会社が米国化するのを好まない。また、何よりも米国流経営によって人心が荒廃し訴訟社会が出現して、地域社会が崩壊するのを決して望まない。公認会計士として米国の経済戦略に加担せずに、日本社会により貢献する道はあるだろうか?会計基準変更の背後にあるものをしかと見つめ、いま感じているこの“息苦しさ”の発散策を自分なりに模索してゆく必要に、私は迫られている。いや私に限らない。2万人強の日本人会計士は、例外なくそれぞれの立場でそれぞれの厳しい試練に直面している。

ヨーロッパ人の世界進出(一)(二)(三)

 昨年2月から毎月1回のペースで10回行われた『歴史教科書 10 の争点』という連続講座が本になった(徳間書店刊)。

 聖徳太子(高森明勅)、大仏建立(田中英道)、ヨーロッパの世界進出(西尾幹二)、江戸時代(芳賀徹)、明治維新(福地惇)、明治憲法(小山常実)、日露戦争(平間洋一)、二つの全体主義(遠藤浩一)、昭和の戦争(岡崎久彦)、占領下の日本(高橋史朗)が10の講座の内容で、人選とテーマ設定のコーディネーターは藤岡信勝氏であった。

 私は昨年4月8日に文京区シビックホールで300人くらいの会衆の前で上記テーマについて話をさせてもらった。その内容が今度の本に収録される。

 それに先立って、つくる会機関誌『史』(ふみ)の平成16年にこのときの講演の要約文がのせられた。要約文とはいえ、きちんと手をいれ、これはこれで独立した文章としてまとまっているように思うので、ここに再録する。

 『国民の歴史』第15章の「西欧の野望・地球分割計画」が念頭にあるが、後半で同書にも、教科書にも書かれていない新しいテーマに触れた。ヨーロッパの世界進出がまだ終っていないのは政治的理由によるのではなく、後半で述べられたこの新しいテーマによる。

ヨーロッパ人の世界進出

ヨーロッパ近代の本質とガリレオ・デカルト的思考の恐怖
名誉会長 西尾 幹二

■西洋はなぜアジアを必要としたのか

 15世紀まで無力だったヨーロッパはなぜかくも急速にアジアへ進出することが可能だったのでしょうか。

 ポルトガルはアフリカの南海岸を南下してアジアをめざし、スペインは大西洋を西へ西へと回って西インド諸島を発見、コロンブスがその代表としてアメリカ大陸発見ということになった。なぜポルトガルは南に行き、スペインが西へ行ったのか。

 彼らはジパングやインドを求めてきたのですから、地中海を東へ渡って陸路を来るのが近道だと思うのですが、それができなかったのは、当時、地中海がイスラム勢力に完全に制圧されていて、通行不能だったためです。しかし、全ての教科書はヨーロッパの進出をヨーロッパ文明の世界への展開という見地で書いており、扶桑社版の『新しい歴史教科書』のみが、ヨーロッパはイスラム勢力を迂回し南と西へ進んだという事実をはっきり書いています。

 当時の世界の中心は東南アジアでした。スペインやポルトガルがこの地域一帯を支配していたなどという事実は全くありません。それもまた多く誤解されている点で、ヨーロッパの世界制覇ということは現実には行われていなかったのですが、彼らの観念、頭の中では世界征服の地図はでき上がっていました。それがトリデシリャス条約で、大西洋の真中に南北に線を引き、ポルトガルとスペインが地球を二つに分割する協定をローマ教皇庁が承認しています。

 当時、ヨーロッパは本当に狭い地域におさえこまれていました。イベリア半島のイスラム勢力をやっとの思いで追い出した年が1492年、ちょうどコロンブスがアメリカ大陸を発見した年です。
ヨーロッパはたいへん遅れた地域でした。14、5世紀、生産性は低く、科学技術は遅れ、内乱と宗教的迷信に支配される、考えられないほど野蛮な地域でした。「ローマの平和」と言われた古代の時代が過去にありましたが、それが過ぎてから千年にわたるヨーロッパの歴史の中で十年以上平和だったことは一度もありません。

 なぜヨーロッパ人はかくも戦うことを好み、武器の開発に凌ぎを削り、順次東へ進出してきたかというと、故国にお金を送るため、ヨーロッパの中で果てしない戦争を繰り広げるための戦費が必要だったからです。そのために、アジアに進出してアジアの富を攻略することが急務だった。

 当時、ヨーロッパの横にはロシアのロマノフ王朝、西アジアのオスマントルコ帝国、インドのムガール帝国、そして東アジアの清帝国という四つの大帝国があり、それぞれが大きな枠の中に安定して存在していて、一種の世界政府でした。このうちロマノフ王朝だけはヨーロッパ文明側にくっついていきますが、オスマントルコ、ムガール、清は一六世紀から一八世紀くらいの間に次々と西ヨーロッパの餌食となってしまうのです。アジアの大帝国は西洋よりも遙かに豊かで進んでいた国であり、近代を生み出したとされる三大発明、火薬、羅針盤、印刷術は中国を起源とします。中国科学の方がはるかにヨーロッパに優越していました。

 つまり、西洋はアジアを必要としていたのに、アジアは西洋を必要としていなかった。物は豊富で政治は安定し、帝国の基盤は盤石で何一つ不足はないかに見えたその三つのアジアの大帝国。しかし、何故に遅れていた西ヨーロッパがアジアに勝る状況を生み出してしまったのか。

ヨーロッパの世界進出(二)

■ヨーロッパの二重性

 まず政治的・社会的な原因を考えてみましょう。アジアの四つの帝国は大きな世界政府がそれぞれブロックをなして、静的に存在していたという風に考えられる。

 ところが、ヨーロッパはひとつではなかった。ヨーロッパは内部で激しい戦争を繰り返し、経済・軍事・外交の全てを賭けて覇権闘争がまずヨーロッパという所で行われ続け、その運動がそのまま東へ拡張された。

 中心に中国があり、周りの国が朝貢して平和と秩序が維持されているという古い東アジアの支配統治体制においては考えられない出来事が起こってきました。ヨーロッパでのヘゲモニー(主導権)を巡る争いと、他の地域への進出のための争いとが同時並行的に運動状態として現れ、それが18世紀の中頃以降さらに熾烈を極め、終わりなき戦いは地球の裏側にまできて、決定的果たし合いをしなければ決着がつかなくなるまでになった。19世紀になって帝国主義と名付けられる時代となり、今まで動かなかった最後の砦である中国を中心とする東アジアに争奪戦は忍び寄ったというのが、今まで私たちが見てきた歴史です。

 1800年には地球の陸地の35%を欧米列強が支配しており、1914年、第一次世界大戦が始まる頃にはその支配圏は84%にまで拡大しました。日本の明治維新は1800年と1914年の第一次世界大戦とのちょうど中間にあたる時期に起きた出来事です。拡大するヨーロッパ勢力に対する風前の灯であった日本の運命が暗示されております。

 戦うことにおいて激しいヨーロッパ人は、戦いを止めることにおいても徹底して冷静です。利益のためには自国の欲望を抑え、相手国と協定や条約を結ぶことも合理的で、パっと止めて裏側に回って手を結ぶ。そういうことにも徹底している。しかし、日本人にはこの二重性が見えない。実はこれが国際社会、国際化なのです。

 ある時、欧米人は満州の国際化ということを言い出しました。「満州は日本政府だけが独占すべきものではなくて、各国の利益の共同管理下に置くべきだ」と。国際化というのはそういう意味なのです。では、日本の国際化というのはどういう意味ですか。日本人は無邪気にずっと「日本の国際化」と言い続けていますが、「どこかの国が占領してください」「どこかの国が共同管理してください」と言っているようなものです。間が抜けて話にならない。つまり国際化というのは、西洋が運動体として自分の王家の戦争のためにやっていたあの植民地獲得戦争が、もうヨーロッパの中で手一杯になってしまったから外へ持っていく。それが彼らの言う国際化、近代世界システムなのです。

ヨーロッパ人の世界進出(三)

■自然の数学化というデカルトとガリレオの考え方

 しかし、それだけが全てでしょうか。ここには社会学的、政治学的、心理的、宗教的な原因だけでは説明できない何か別のものがある。私は心の中でどこかやはり西洋に恐怖がある。この程度の政治的な自我葛藤闘争の巧みさに恐怖を抱いているのではありません。実は私がずっと西洋を勉強してきて抱いている恐怖は、ガリレオとデカルトです。

 ガリレオとデカルトは、全ての自然物から感覚上の性質をはぎ取ってしまい、物体というものを大きさと形と位置と運動という幾何学的、数学的な方程式に置き換えることで世界を説明しました。この思考形式がものすごいスピードで発展してきました。そして臆面もなく今日の社会、世界に君臨しています。
ガリレオはある物体をイメージとして描く場合に、大きさ、形、位置、運動、このことだけで全て説明できると言っている。その物質が白いか赤いか、音を出すか出さないか、甘いか苦いかなど、そういう性質は人間の感覚主体の中に存在するに過ぎず、感覚主体が遠ざけられると、それらの諸性質は消え失せてなくなってしまうという。それは人間が生きているから、そういうものを感受する主体があるから存在するのであって、真に実在するものは、数学的、幾何学的な数値に還元されるもので、それ以外のものは存在しない、と。

 これは、ガリレオがデカルトと共に発見した世界を数学の方程式に置き換えるもので、デカルトに至っては、人間の身体もまた物であって、身体の感覚、例えば手足の痛みも手足の中にあるのではなく精神の中にあるとしている。

 しかし哲学的には、バークレー、ヒューム、カントが出て、デカルトやガリレオの考え方はあり得ないとしてすぐに否定されてしまいましたが、この自然の数学化という思考は哲学的には論駁されたにも関わらず、我々の日常の暮らしの世界にドカっと居座って、独立した自然科学の方法として一人歩きを始めました。

 感覚的、人間的諸性質を人間的あいまいさから切り離して、そういうものは人間の主観の中にあるのだと言って閉じこめて、別個これを切り離してしまう措置は科学にとってこの上ない便利な方法でしたから、かくて自然は死物として線引きされ、数値化されて、その死物世界が客観世界として有無を言わせぬ勢いで人間の目の前に突き戻され、それ自体が知らぬ間にどんどん肥大化して発展していく。最近は宇宙開発どころか、ナノテクノロジーというような訳の分からないものが出現して現実に実用化するという。

 ところが、これは全部目に見えない話なのです。一層の細分化と一層の遠方化へ、そして人間の身体も分解して物体化し、やがて人間の精神もまた脳生理学の対象として物質の法則に還元される。自然、人間の身体、精神などが長い歴史の中でこのように乱暴に扱われたことは、過去において一度もなかった。幾何学的自然科学の専横です。

 ガリレオやデカルトが言っていることは全部間違いだったのですが、実際にはコンピューターのグラフィックデザインが次々と物を作り出している。火薬と羅針盤と印刷術を発見した中国の科学は、ガリレオとデカルトにやられてしまったのです。そういうヨーロッパ人の世界進出の根本の問題がここにもうひとつあるということを、我々は考えておかなくてはいけないのではないでしょうか。

(4月8日、つくる会連続講座「歴史教科書・10の争点」より)

 ガリレオとデカルトと歴史との関わりについて私見をより詳しく知りたい方は、拙著「歴史と科学」(PHP新書)の第2章をご覧ください。この第2章は秘かに自信を抱いている一文である。

今日のさざ波

 郵政民営化法案に反対した票は

法案賛成 33,897,275  
法案反対 34,194,372

で賛成した票を上回っていることを教えてくれた人がいる。

 この数字の中には無所属や小会派で戦った人がいる。よく頑張ってあれだけの当選者を出したとむしろ褒めてあげたいくらいである。

 彼らの中には自民党に戻りたい、あるいは戻れると予期していま運動している人がいる。心の迷いは同情するが、見通しの甘さを恥じるべきだろう。

 「日録」に掲げた私の「候補者応援の講演」(六)を見ていただきたい。あれは8月28~29日の演説内容で、まだ公示日前である。私は候補者に、自ら自民党籍を党本部に突き返して、反小泉の旗幟を鮮明にせよ、その方が民主党支援者層に自分のファンを広げるのに有利である、と言った。さっさと腹をくくれと言ったのだ。当選してから「小泉さん、許して下さい、私は郵政賛成派だったんです」はないだろう。縒りを戻せると思うのは甘い。

 当然だが、次の選挙でも公認はもらえまい。次の選挙では今回「刺客」として送りこまれた人が再び公認される。自民党はもう昔の自民党ではないのだ。人情なんか糞くらえだ!戒律厳しいファシスタ党に変質しているのである。 

 それでもまだ野田聖子氏は小泉首相にラブコールを送っている。ようやく腹をくくって、国会の首班指名で小泉の名は書かないと平沼赳夫氏と野呂田芳成氏は宣言した。やっと分ったのである。しかし、それにしても遅すぎた。

 もしも解散直後に37人が束になって反対党を結成していたら、比例も入れて50人の当選者を出すことに成功していただろう。そんなことが出来ないのを小泉首相は見越していた。そういう洞察力はたしかである。

 37人の中には小泉氏の親しい交わりのあった人もいたようだ。彼は自らの非情さを得意としているところがある。「俺は非情だ」と口ぐせのように言う。非情という言葉に酔っているところもある。

 非情冷酷を演技しているのではなく、本当にそうなのである。いつも自分を信長に擬している。知人の臨床心理士は、「非情冷酷の次の段階は残忍非道ですよ。」と言っていた。医学的にはそういう順序になるようである。「いくら何でもと思い、あの『Voice』10月号の図表にはこの四文字は入れませんでした。」

 信長はこの四文字を絵に描いたような人物である。

 さて、話変るが、モスクワ発の次の時事特電をみてほしい。

2005/09/14-22:17
【モスクワ14日時事】インタファクス通信は14日、北京の北朝鮮外交筋の話として、日本政府は同日の日朝会談で、「日朝国交樹立を引き続き望んでおり、この問題を協議するため平壌を訪問したい」とする小泉純一郎首相のメッセージを口頭で伝えることを計画していたと報じた。時事通信

 さあ、お出でなすった。やっぱりそうだった。日朝国交正常化は彼の次なるターゲットである。勿論、北朝鮮の体制転換につながるのなら大歓迎である。相手が何も動かないままの、無条件の国交正常化だけは願い下げにしてもらいたい。

 どうなるか、どうするつもりか、静かに見守りたい。

 尚上記時事特電については、6カ国協議の日本代表団同行筋は「まったくない」と報道を全面否定もしている。真相は勿論われわれには分らない。

 さらにまた平沼赳夫氏は再び態度変更したとの報も伝えられている。こういう局面でぐるぐる姿勢を変えるのがご本人のイメージを損ねる原因になることをどこまでお気づきであろうか。地方応援者への気がねが理由で首班指名選挙で小泉と書き、他方法案にはどこまでも反対する考えという。大変に苦労し、八方に気配りさせられているのである。平沼氏は大人として立派な態度を守っておられる。

 追いこまれた人間を心理的にまた追いこむのは首相の非情さのゆえであって、猫が鼠をいたぶっている姿である。大衆はボロ負けするものはどこまでも負けろと喝采する。今の日本はそういう国になった。

参照:(9/16)民営化反対無所属議員、新会派結成の動き
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ハイジャックされた漂流国家

 小泉首相の任期延長問題を、12日記者会見で首相自らがきっぱり否認した一件について、いろいろな解釈がとびかっている。切りのいい所で退陣してキングメーカーとしての影響力を残す戦術であるとか、いや、党内から任期延長論が湧きあがるのを前提とした高等心理戦術であるとか、そうではない、一年後の引退は本気で、引きぎわの良さという潔さの美学を見せたがっているせいであるとか、まあ、各種各様の解釈が花盛りである。

 私は首相が引退したがっているのは本当だと思う。たゞ、私の推理では――ここから先は私の勘にすぎないが――姉の信子さんから「純ちゃん、もうやり過ぎよ、ここいらでやめておいたら」と内輪で言われているためではないかと思う。

 彼女は弟が能力以上のことを偶然やってしまったことをハラハラして見ているのではないかと思うからである。あまりやりすぎるとヤバイと姉は知っている。私は伝記作家的な空想を語っているにすぎない。けれども私は病跡学(パトグラフィー)を読み耽ってきたニーチェ研究家でもあることを忘れないで欲しい。

 これは心理学的に面白いケースである。と同時に国民には危ういケースでもある。このブログのコメント欄で誰かが書いていたが、ヨーロッパ諸国、ことにイギリスなどでは最高権力者の逸脱を監視し、防止する歯止めが法的に存在する。19世紀には英王室が、20世紀には英国情報部がその役割を担っていたとか。しかし日本の法制度にはそれがない、と。

 小泉首相は郵政民営化だけをやり遂げればそれでもう満足で、他に国内経済改革に課題はないのではないか。医療と農協が次のターゲットだといわれているが、ご本人を夢中にとりこにしたテーマは郵政民営化だけなのである。それは政治信条というより、珍しい蝶を追って森林に分け入り、崖によじ登る少年時代の夢を生涯追求しつづける昆虫学者の情熱にむしろ似ている。詳しい分析は『Voice』10月号に譲る。

 首相は総合的な政治課題を持っていない。この点は今までの四年間で国民の前にさらけ出されている。最大の課題である郵政民営化が解決されずに残っていたので、幸い今日まで情熱を持続することができた。「殺されてでもやる」という有名な台詞は静かな意志表明ではない、思いつめた切迫感情の表白にほかならない。もう課題が後にないことを、だから首相はいつ辞めてもいいと思っていることを、自民党の森派の幹部は十分に知っているのではないだろうか。

 けれども他者を支配する政治家としての欲望は人一倍強い。政治的勘もいい。13日に、83人の新人議員を派閥に入れないことを命令した。小泉派閥をつくるつもりだと新聞は書いたが、私はあゝそうか、とすぐひらめくものがあった。「親衛隊」をつくりたいのである。

 これは独裁形成の確かな手続きの一つである。ご本人がどこまで目的を意識しているかどうかは別として、統治を一元的に強めたい指導者は党の内外に目を光らせる親衛隊を欲しがる。勿論最初はご本人にもそんなつもりはないというだろうが、いわゆる「小泉チルドレン」は結果としてだんだんそういう性格を帯びてくるだろう。

 もし小泉時代がつづけば、一年も経たないうちに、国民一般の目に異常と思われる政策が、党内を沈黙させ、あれよあれよという間に実行に移される局面が展開される可能性は決して小さくはないだろう。

 その際、歴史や伝統に発した真正保守の価値観には決して立脚しないだろう。首相は全学連の世代である。田中真紀子、加藤紘一、山崎拓、羽田孜、福田康夫、鳩山由紀夫、管直人と同じような思想傾向の人である。これも四年間でわれわれにすっかり見抜かれている。だから猪口邦子や片山さつきやホリエモンといった社民党から出たほうがいい人物に好意を寄せるのである。

 首相は集団的自衛権を認めるとは決して言わない。憲法九条の廃棄は自分の代ではやらないといつも逃げを打っている。北朝鮮への経済制裁は強い要請があるにも拘らず手をつけようとしない。拉致の被害者家族に会おうともしない。それどころか選挙中に、自民党候補者が拉致の関係の会に顔を出すことを禁じた。

 靖国参拝はやるかもしれないが、「心ならずも」戦場に赴いた人々などといって散華した将兵の心を知らない談話を平気で口にした。あの大戦は日本が一方的に悪いことをした侵略戦争だというアメリカの史観を引き摺っている。歴史教科書問題などには何の興味もない。そもそも教育問題には関心がない。人権擁護法はマスコミの政治家批判を押える法、政治家の人権を守るための法だとしか理解していない。外国人参政権の是非に意見は述べていないが、公明党に選挙協力のお礼をするためにあっという間に国会に上程するかもしれない。

 それよりも何よりも北朝鮮との国交回復につっ走るかもしれない。アメリカは核の輸出だけ禁じて核の開発を禁じない可能性がある。北朝鮮の「開国」には日本の金が必要といわれれば、核つき国家への巨額援助をあっさり決めてしまうかもしれない。・・・・・・・・

 何をしでかすか分らない人である。国家観、歴史観がしっかりしていないから、この国は外交的に、政治的に、軍事的に、国際社会の荒波を右に左に揺れ動く頼りない漂流国家である性格を今以上に露骨に示すようになるだろう。しかも操舵席は暴走気味の人格にハイジャックされている。

 今までは政府内に右もいれば、左もいて、自由な発言や提案が飛び交い、首相の意志決定に一定の歯止めがかけられていた。しかしこれからはそうはいかない。首相の鶴の一声ですべてがきまる。党内に意見具申の勢力が結集すれば「親衛隊」に蹴散らされる。

 今までの自民党を知る人はこんなはずではなかったとホゾを噛むだろうが、もう後の祭りである。米中の谷間で国家意志をもたない独裁国家、場当たり的に神経反応するだけの強力に閉ざされた統制国家、つまりファシズム国家らしくない非軍事的ファシズム国家が波立つ洋上を漂流しつづけるだろう。

 世間はファシズムというとヒットラーやムッソリーニのことを思い出すがそうではない。それだけではない。伝統や歴史から切り離された抽象的理想、外国の理念、郷土を失った機械文明崇拝の未来主義、過度の能率主義と合理主義への信仰、それらを有機的に結びつけるのが伝統や歴史なのだがそこが抜けていて、頭の中の人工的理念をモザイク風に張り合わせたきらびやかで異様な観念が突如として権力の鎧をつけ始めるのである。それがファシズムである。ファシズムは土俗から切り離された超近代思想である。

 小泉純一郎首班は過渡期の政権だとよくいわれる。そうだとしたら、この次に出てくるものが一段とファシズムの色を濃くしてくるのは必然だろう。ポスト小泉は「小泉的なもの」をさらに拡大した人物になれば、危険はいっそう強まる。

 しかし、前の首相と違うタイプの首相をくり出す自民党の健全な政権交替のルールが行われて、穏やかで、包容的で、安心を与える寛容な人物の手に政権が渡されれば、様相は一変するだろう。自民党の歴史が甦ることを祈るばかりである。

 首相は本当はこれから何をしてよいか分らない孤独な人であるように思える。郵政民営化が終った後の時間は真っ白かもしれない。一年たったら首相を辞めたい、とは本心だと私は思う。それに、いつも寄り添っている女性が幼児期からの彼をよく知っている。伝記作家として夢想する私の耳にはあの声、「純ちゃん、もうやり過ぎよ、ここいらでやめておいたら」と囁く声が聞えるようである。

 音楽をたった独りで聴いている時間が弟の一番幸せな時間であることを彼女はよく知っている、と私は秘かに信じているからである。

選挙結果を見て

 小泉首相は就任以来「改革」を言って来た。四年間それをなし得る地位にあって、彼は実のある改革をほとんどしてこなかった。そのご本人が自分の無為をどこかに置き忘れて「改革を止めるな」と叫んだ。すると、「そうだ、首相の言う通りだ。」と国民は怒涛のごとくその声にとびついた。

 「改革」をしてこなかった責任は誰にあるのだろう。首相ご本人にあるのではないだろうか。ところがその責任を全部他人になすりつけた。党内に悪役をつくった。最大野党も悪役にされてしまった。首相の巧妙さだと人は言うが、私は必ずしもそうは思わない。瞞されたがっている国民の心が先にある。

 先の参議院選挙の前には、「改革」といいながら少しも成果のあがっていない小泉政権への批判の声が高まっていた。道路公団改革は失敗した。三位一体はうまくいかない。行政改革はなにひとつ進まない。公約不履行の非難が浴びせられていた。北朝鮮再訪問のテレビショーで人心をあざむいて窮地を脱した。

 しかし参議院選挙は正確にみると、自民党の敗北だった。この次に選挙をすると民主党に政権を奪われるというプログラムは当時確実にみえた。本当はあのとき小泉首相は党内で力を喪い、誰か別の人が登場するのが従来の自民党の歴史に沿うやり方だった。

 しかしながら今の自民党には首相を倒すべく造反する二の矢、三の矢がいない。安倍幹事長が参議院敗北の責任を負って、幹事長を退き、幹事長代理という妙な地位に押しこまれた。そして、後を襲うべき次の世代のリーダーが首相から「中二階」の居候のような言われ方をし、揶揄された。

 自民党は上げ潮の民主党を恐れていた。だから自民党内で解散はタブーだった。首相は民主党を恐れなかったし、党内の二の矢、三の矢も見くびっていた。その自信と意気はたしかに見事であった。そこは褒められてよい。

 ただし彼が党内や野党に対する対応にぬかりがなく、彼らの肚を見抜いて自信ある行動をするということと、国民に対し実のある「改革」をほとんどしないで四年を過ごし、今になって急に「改革を止めるな」と党内や野党を悪役にし立てあげて国民に自分だけいい子のポーズを見せるということは、自ずと別個の事柄ではないだろうか。

 党内や野党にいくら自信ある攻撃行動を示しても、どうしてそれを国民は首相の「改革」への熱意と理解するのであろうか。全然別のことではないか。私にはそこがてんで分らない。

 今の日本には八方ふさがりの閉塞感がある。しかし閉塞感をつくってきた張本人は小泉氏である。その彼が閉塞感をこわす、といって右手を振り上げると、ワーッと喊声を上げる人々が老いも若きも、男も女も群がり起つ。大衆というものである。

 自分で壁をつくって、その壁をぶちこわしてみせるボクサーの演技に酔い痴れる人々が今度の選挙ほど露骨に目立ったケースは私も初経験である。

 演技者がうまいのだろうか。彼はたしかにハムレットのような佯(よう)狂(狂人のふりをすること)の徒かもしれない。しかし、ただそれだけでこれほどの成果をあげられるものではない。演技者の演技を待ちかねている国民の心が先にある。国民が酔い痴れたがっている。国民は心底、退屈しているのである。

 何に退屈しているのであろう?平和に?飽食に?何か徒方もないことが起こるのを期待している。たゞし自分の身に害が及ぶのは困る。自分が傷つかない程度に、ドラマが起こるのを待っている。つまり、国民は事が起こる前から、自らはそれと気づかぬように、見事に瞞されたいと願っている。

 首相はいくつもの仕掛けをした。特定郵便局長らという自民党支持者を切ってみせる潔さを示した。民衆の投票で首相を選べるという大統領制のような実感を有権者に与えた。改革という野党のカードを先に切った。そして、小選挙区という少しの振り子で大差がつくオセロゲームのような新しい選挙制度が、この仕掛けにうまくはまった。7%強という投票率の増加した分の、恐らく今までの無党派層の投票がきめ手だったに違いない。

 今度の選挙では自民党候補であれば、誰でも当選できるほどに一方にだけ甘かった。民主党との得票差は1.3倍で、2.7倍の当選者が自民党に与えられた。「改革を止めるな」とリーダーが自分の頭を自分で殴るような演技をしたら、大衆感情が湧き立った。バカバカしいような結末だった。

 バカバカしいがしかしまた恐ろしい結末である。左翼が逆の方向へ向けて同じことをやればまた人々は大波を打ってその方向へ走って行くだろう。退屈の余り何かが起こることを待望している国民の心が問題である。

 今回小泉氏は議会制民主主義をあっさり踏み破った。三権分立も袖にした。こういうことが繰り返され、無法に麻痺すると全体主義になる。

 これから彼の首相時代が何年つづくか分らないが、与党320議席を背にしてもしなくても、小泉という人間の本質は変らない。私が「狂人宰相、許すまじ」(Voice10月号)で詳しく分析した彼の性質、体質に変化は生じまい。今までと同じ言語少量、意味稀薄、一つにこだわり、現実の全体を見ない、詩人のような政治運営はこれからも変らないだろう。一年でやめると本人が言うなら、本当にやめてもらった方がいい。

投票日の朝に

 昨日ある企業の社長さんに会って、今度の選挙は革命ですね、と彼が嬉しそうに期待をこめて語るのを耳にした。小泉首相の乱暴なやり方が日本の社会を確実に変える、というのだ。従来の保守層、自民党支持者に、このような希望の声の小さくないことに私も気づいている。

 小泉首相の乱暴なやり方は、手を変え品を変えこの四年間繰り返されてきた。前回の参議院選挙の前にはジュンキンスさん騒動があった。外務省に命じてインドネシアを舞台に曽我ひとみさん一家の涙の再会シーンが演出された。あまりに見えすいた拉致被害者の選挙利用であることは誰の目にもはっきりしていたが、国民は曽我一家の幸福を喜び、首相の策謀を咎めなかった。

 今度の郵政解散も人目を驚かせただけでなく、自民党内に独裁恐怖心理を引き起こした――鴻池元大臣の参議院再否決はもうしないとの情ない白旗宣言ににじみ出ている――効果もやはり政治的にも、道徳的にもあまり非難されないで見すごされてしまうのかもしれない。

 それは国民の側に、変化を期待する感情がいつも余りに強いからである。日本が主権国家としての立場を確立するための変化なら歓迎されてよいだろう。しかしわけも分らず何でもかんでも変化を期待し、首相が「自民党をぶっ壊すだけでなく、永田町をぶっ壊す」というメッセージを出すと、何かが大きく変りそうな幻想を抱いて、従来の保守層にまで希望の心理が芽生えるのは、今まで何度も首相に乗せられ、また同じ手で同じたぐいのペテンに乗せられる人間の心の弱さ、哀れさを、しみじみ感じさせずにはおかないのである。

 この四年間の北朝鮮に対する首相の対応は、決して0点ではない。地村、蓮池、曽我の各家族を取り戻すことに成功しただけでも立派だったといえないことはないだろう。しかしブッシュの「悪の枢軸・イラク―イラン―北朝鮮」の発言があって初めて切り口が開かれたのであって、日本に外交主権があって起こった出来事ではない。外交主権がないことをむしろあらためて痛いまでに感じさせたものが北朝鮮の拉致事件であった。

 であるとすれば、郵政民営化が日本に金融主権がないことを同様に痛感させる事件であることを、日本人は正直に見つめるべきであろう。90年代、いわゆる「マネー敗戦」が進行した。あれはレイテ沖海戦だと自嘲する人がいた。とすれば郵政民営化は、台湾沖海戦から沖縄戦へ、そして広島・長崎への原爆投下になぞらえるべき事件ではないだろうか。

 日本は外交主権もなければ金融主権もない。その事実を正直に見つめないで「改革」と叫ぶのは、私には戦争末期の「大本営発表」の強がりに似ているように思えてならない。

 日本人はいま自国の主権確立のための、独立国家になるための「変化」だけを求めていけばよい。それ以外の「変化」を期待するのは幻覚である。小泉首相は永田町をぶっ壊してもいないし、ぶっ壊すこともできない。本当にぶっ壊すなら、もっと巨大なタブー、「平和」というタブーに挑戦しているはずである。

 そんな勇気もないし、そんな意思もない。むしろ自民党は逆の方向に走り出している。東京や静岡の比例女性候補者などに、平板な進歩主義的平和主義論者がかつがれていることが、自民党の左への移動を示唆している。

 当「日録」管理人の長谷川さんが9月8日に、次のように私に私信を送ってきた。まず昨今の「日録」の感想から始め、

今回、訪問者数も多く、ブログの役割は十分に果たしていますね。

小泉信者というよりも、自民党が元の自民党であると錯覚している人たちは、自民党を支持することによって郵政民営化というまん前にある落とし穴に落ちますが、その後の日本の行方に自分達の責任はないと思うのでしょうか。

 
 上記は私の気持をよく分ってくれている人の文章である。私もたしかにこういうことを言いたかったのだと思う。自民党は左へ移動しただけではない。責任感のある立派な伝統保守派の議員を多数見境もなく追放した。党内の融和をこわし、地域社会の義理人情を破壊し、恐怖と相互不信の情を政治の世界に持ちこんだ。

 自民党はもはや昔の自民党ではない。公明党の毒が全身にまわって、リベラル左翼の、ホリエモン的価値が横行する、しかも自由も民主主義も忘れた、人を統制したがる強権政治に傾く方向へ走りだした。

 私は自民党が圧倒的多数を占めることを望まない。今回は痛いお灸をすえる必要がある。地域によって異なるが、私は自民・公明・共産・社民の四党以外ならどこでもいいと思う。四党以外の党に投票する。

 それについて日米関係や安全保障の面で危いことが起こると心配する人がいる。自民党よりもっとひどい人権擁護法や外国人参政権を用意している民主党を選ぶことはやっぱりできない、という人もいる。それはそうだろう。

 けれども参議院は自民党多数であるから、急にどうなるものでもない。民主党は横路何某と西村眞悟が一緒にいる保革寄り合いの同床異夢の党である。あそこが一枚岩でありつづけることは考えられない。いつの日か分裂することは想定の内である。民主党が分裂するためには、自民党が弱くなるのが前提である。自民党が圧倒的に強ければ、寄り合い世帯の党も結束を固めざるを得ない。

 今度自民党は少し分裂したが、もっと大きく割れることが必要である。民主党内の同じ国家観、歴史観をもつ勢力と組んで、本当の、真正保守の党を結集してもらいたい。いっぺんにそうならなくても、この意味での政界再編が早く始まるためにも、小泉政権のひとり勝ち、独走体制は決して望ましくない。

 小泉強権の成立はむしろ危険である。時代の要請に逆行していると私は考える。

 以上投票日の朝の感想である。

(緑色部分、9/11 10:52追加)

西尾幹二の関連論文

小泉「郵政改革」暴走への序曲(Will10月号)

小泉首相「ペテン」にひっかかるな(正論10月号)

狂人宰相、許すまじ(Voice10月号)

 日録「候補者応援の講演」(一)~(六)も併せて読んで下さい。