講演会お知らせ・新刊紹介

TLF初秋の講演会

講 師  西尾幹二氏
テーマ   「国家中枢の陥没」

と き   9月2日(火)午後6:30~8:30
ところ   東京ウィメンズプラザ・視聴覚室(1F)
参加費  男性2000円、女性1500円
申込み  予約不要(当日、会場にてお申込み下さい)

主催   “非営利&非会員制”の〔知的空間〕
     東京レディスフォーラム 03-5411-0335 

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今年の夏は、この本を出すために、他のあらゆる仕事が押しのけられ、スケジュールが乱れてたいへんな思いをしています。

 目次はご覧のとうりです。

まえがき
Ⅰ部 皇太子さまへの御忠言
  
  第一章  敢えて御忠言申し上げます
  第二章  根底にあるのは日本人の宗教観
  第三章  天皇は国民共同体の中心
  第四章  昭和天皇と日本の歴史の連続性

Ⅱ部 皇位継承問題を考える

  第一章 天皇制度の「敵」を先に考えよ
  第二章 「かのようにの哲学」が示す智恵
 
 「WiLL」連載で言い残したこと
     ――あとがきに替えて

  初出誌一覧
Ⅰ部の主な参考文献

 29日ー30日の朝まで生テレビで、冒頭にこの本も紹介されました。31日に読売新聞に、3日に産経新聞に、この本の広告が出るそうです。

 当ブログ管理人の長谷川真美さんがご自身のブログで、次のように朝生の感想と、この本の精神的位置を解説してくださっています。仲間ぼめではない内容なので、以下に掲載してもらいます。

朝生見ました
徹夜はきついですねぇ。

番組が終ったあとは、頭が暴走していて、なかなか寝付けず、
寝付いたら寝付いたで、夢の中で続きを見ていました。
(番組終了後に講演会が始まり、上杉氏が横からメモを渡してくれて、
眠いので帰ります・・・という夢だった)

番組冒頭で、田原総一郎氏がリベラルな人達から出演を断られた・・・とのこと。

それほど皇室問題に言及することは、
左右両方からの攻撃にあう可能性があり、
深夜番組とはいえ、生なので危険すぎる・・・・ということでしょうか。

そういう意味では、西尾先生は常に危険なことに敢えて言及するタイプです。

WiLL誌では西尾先生は今回珍しく一般の方から理解されています。
通常の先生の論文の指摘は、最先端を行くことが多く、なかなか理解されません。
人気絶頂の時の小泉首相批判も当然受け入れられなかった。

「皇太子殿下へのご忠言」、西尾先生、やはり左右どちらからも批判されています。
・・・・両方とも「言うな、騒ぐな、直るまで待て」というような内容。
案外に左の方も、真っ向から天皇制度がなくなればいい、という本心は言えないようでした。

売文だとか、ののしられながら、
最初に口火を切ることの危険を敢えて犯し、
攻撃の矢を一身に受けている先生がおっしゃりたいことは、
日本の天皇制度が危機に瀕しているから、
なんとかそれを救いましょう・・・ということ。
日本の国が大切であるからこそ、日本の究極の伝統である天皇制度が
風前の灯であると心配なさっている。

その意味では猪瀬さんも高橋さんも同じ認識でした。

それにしてもやはり戦後の日本は、
歴史認識の再構築から始めなくてはならないんですね。

坦々塾報告(第十回)(二)

等々力孝一
坦々塾会員 東京教育大学文学部日本史学科専攻 71歳

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(4)
 さて、冒頭に、あえて2年前の坦々塾の発足時と、今回の「つくる会」総会とを対比したのは、2年前は、ちょうど西尾先生の「『小さな意見の違いは決定的』ということ」という文章が「日録」で進行中であり、今回の勉強会の「保守運動の再生と日本の運命」というテーマは、西尾先生のこの文章にまで遡ってみる必要がある、と筆者は考えたからである。

 西尾先生のこの文章は、60年安保時代の印象的な場面から始まって、今日の「保守主義者」の政治行動を、当時の「左翼」の政治主義になぞらえて非難するところに繋がってゆく。その論旨は、西尾先生ならではの鋭さに満ちているが、今一歩、真の病巣に論理のメスが届いていないのではないか、というような歯痒さをも心底に残してきたのである。

 それは、安倍政権成立に向けて権力にすり寄ろうとする傾向と、安倍氏の側からの教科書問題等に対する介入については、多くの批判が割かれているのに対して(ただし、そのうち後者については過大評価といわざるをえない。)、当時、西尾先生は、安倍政権を待望すること自体にも批判を向けられていたのだが、それにしては、安倍政権を積極的に形成しようとする動きそのもの(それは、権力に「すり寄る」こととは区別されるべきものである。)に対する批判が不明瞭であったことによるのではないだろうか。

 先生は、右派の「政治主義」に対しては、「もしどうしても集団行動がしたいのなら、政党になるべきである。自民党とは別の保守政党を作る方が、筋が通っている。」という根本的な批判をされているが、その批判は、政権獲得に類する安倍支援の活動にこそ、最も厳しく向けられるべきではなかったか、と考えるのである。

 しかし、ここで先生のこの文章の検討に立ち入ろうとしているのではない。それでは坦々塾勉強会の報告という範囲を逸脱してしまうからである。ここでは単に問題を提起しているに過ぎない。

 ただ、今までそれほど特別視することなく読んできた次の文章も、先に岩田氏の「保守主義」論を肯定的に捉えるとすれば、いやが上にも眼に突き刺さるように飛び込んできて、改めて考えざるを得なくなる。(勿論、岩田氏の「保守主義」が「政治的集団主義」を意味するものでないことは自明である。)

引用――

「どうも保守主義と称する人間にこの手の連中(引用者注:「大同団結主義者」)が増えているように思える。保守は政治的集団主義にはなじまない。保守的ということはあっても保守主義というものはない。保守的生活態度というものはあっても、保守的政治運動というものはあってはならないし、それは保守ではなくすでに反動である。」(「『小さな意見の違いは決定的』ということ」)

(5)
 平田氏の話の中で、日本においては、権力やシステム論が必要なときに、道徳論に入り込んでしまう傾向がある、という例として、藤原正彦「国家の品格」がベストセラーになったことを挙げていた。そこで、念のため、同書に目を通してみた。

 その結果分かったことは、「国家の品格」は、道徳論の本というより、どちらかというと、むしろシステムを論じている本なのである。近代的合理主義を批判して、論理唯一の立場を否定し、情緒の重要性を強調している。結論として、武士道・道徳論を説いているのである。

 藤原氏は、5ページ以上にわたってデリバティブを説明・批判し、今日のサブプライム問題のような金融破綻の發生を予言している。とても「天皇・靖国・大東亜戦争」の3点セット保守などの及ぶところではないのである。

 「国家の品格」に強いて難点を挙げれば、民主主義を支える「真のエリート」の必要性の説明があまりに直接的で、もっとフィクショナルな説明をすべきだ、ということを感じる。第二に、中国との戦争について、スターリン・毛沢東の策謀を認めた上になお、日本の道徳的誤り(侵略)を批判していることであろう。

 平田氏の論点を否定するものではないが、「国家の品格」が売れて読まれたことは、とてもよいことだと思う。坂東真理子「女の品格」などと比較されるべきものではない。(後者については、西尾先生の批判しか読んでいないのであるが。)

(6)
 平田氏の、昭和30年代のシステムの改革に失敗したことが、今日の大きな問題である、という指摘は、今後の最も根本的な研究課題であろう。政治的にはいわゆる55年体制ということになるが、経済的には高度成長を支えたシステムを、国民生活の向上や社会構造の変化、国際化・グローバル化などに応じて、適切に転換できなかったことが、幾多の負の遺産を抱える結果になってしまった。

 安倍内閣の成立から退陣に至る過程の総括は、保守運動にとって喫緊の課題であろう。(筆者は、安倍政権は、本質的に「期待すべき保守政権」というより、「小泉後継政権」としての意味が大きいと考えてきた。)

 「日本会議」的保守の問題は、その全貌が私にはよく分からないところがある。「つくる会」の活動にとってのみならず、平田氏の人権擁護法案反対の活動の前にも、日本会議が立ちはだかっているようであり、保守運動にとっての存在の大きさを感じるが、充分な議論と研究が必要であると思う。

 今回は、挫折した保守運動が再生に至る中間点、踊り場に相当するところに位置するのであろう。再生に向けての諸問題の坩堝とも言うべき会であって、その全体を鳥瞰することさえ、筆者には手に余る。断片的な感想に止まったことをお許し頂きたい。

 最後に、広い視野と厚い知識、豊富な情報量を基礎に、縦横に刺激的な問題提起をして下さった、平田文昭氏に、改めて感謝申し上げます。

(了)

お知らせ

朝まで生テレビ

放送日:8月29日(金)25:20~28:20
       (8月30日午前 1:20~ 4:20)
■ 8月のテーマ・パネリスト

 皇太子さまが結婚されて15年、以来、皇位継承問題、雅子さまのご病状、ご公務についてなど、世間の関心も高くなっています。
 そこで今回の「朝まで生テレビ!」では、「これからの皇室」はどうあるべきなのか、等を討論する予定です。

司会: 田原 総一朗
進行: 長野 智子・渡辺 宜嗣(テレビ朝日アナウンサー)

パネリスト: 猪瀬直樹(作家、東京都副知事)
上杉 隆(ジャーナリスト)
小沢 遼子(評論家)
香山 リカ(精神科医)
斎藤 環(精神科医)
高橋 紘(静岡福祉大学教授)
高森明勅(日本文化総合研究所代表)
西尾 幹二(評論家、電気通信大学名誉教授)
平田 文昭(アジア太平洋人権協議会代表)
森 暢平(成城大学准教授)
矢崎 泰久(ジャーナリスト)

坦々塾報告(第十回)(一)

等々力孝一
坦々塾会員 東京教育大学文学部日本史学科専攻 71歳

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坦々塾第10回勉強会報告(平成20年8月9日)
                                     
 坦々塾最初の集まりは、約2年前、平成18年9月10日だった。安倍内閣成立の前夜で、「つくる会」の騒動もほぼ大勢が決していた。八木秀次氏を会長とする、教育再生機構が発足しており、以後しばらく「つくる会」と「機構」との間の人事・組織の混乱はなお続いていたように思うが、ことの「正邪」については、既に決着していた。

 今回の勉強会の1週間前に「つくる会」の総会が終わったところで、そこでは、自由社版「新しい歴史教科書」の検定本が文科省に提出済みであり、対して「教科書改善の会」の新教科書の編集は検定に間に合わず、つまり教科書編集に関する限り、「つくる会」の「勝利」が明白になったのである。

 しかし、大会での質疑を見ても、保守運動全体における混迷はなお残ることは当然予想されるところではある。

 そのような状況下、坦々塾の勉強会のテーマと講師は次の通りであった。(敬称略)

    国家中枢の陥没      西尾 幹二
    保守概念の再考      岩田 温 (坦々塾メンバー)
    保守運動の挫折と再生  平田 文昭(外部招待講師)

(1)
 福田内閣の姿・その所作自体が、国家中枢の陥没を表しているようなものだが、西尾先生の話の中心は、保守言論の閉塞状況である。

 マスメディアの広告主・上位数千社が中国ビジネスに関わっており、従って、そこでは本質的な中国批判はできない。

 「文藝春秋」は、かつては「朝日新聞」に対抗する主要メディアだったが、知らず知らずのうちに「左方」に移動し、中性化・無性格化しているように見える。「諸君」さえもそれに引きずられている。「正論」、「WiLL」、「Voice」、「SAPIO」、「月刊日本」などが保守メディアとして存在しており、「激論ムック」のような新しいメディアも登場しているが、果たしてそれらは、ガス抜きとして許される以上のものなのだろうか。

 最大の問題は、政治家による然るべき発言が全く途絶えていることだ。北朝鮮の核武装をほとんど容認するが如き6カ国協議が進展しているにも拘わらず、わが国の安全保障や日米同盟の前途についての議論は、寂として起こらない。それは、言ってもどうにもならないと諦めているのか、何らかの圧力に屈しているのか、そもそも無関心なのか。――筆者には、その三つの全てが当たっているように思われるのだが。

(2)
 平田文昭氏は、一年ほどドバイに滞在し、帰国してみると、日本は何と情報閉鎖空間であることか、という。国内にいる我々にとって耳の痛いところだが、日本に入ってくる画像情報は、ほとんどアメリカからタイまでの空間のものであり、シンガポール以西の情報は少ない。しかも、それらはもっぱらアメリカによって提供・管理されている。

 中近東からシンガポールまでの、西アジア世界における日本の存在感は、希薄である。一方そこでのインドの存在感は巨大だが、そのような情報は日本にはほとんど伝わってこない。この地域の情報を圧えているのは、旧宗主国イギリスであり、BBCの影響力が大きい。もしお金があって、アルジャジーラの提供する画像情報をそのまま日本に流すことが出来たら、そのような情報の壁を破れるのだが、というのが、平田さんの壮大な感慨である。

(3)
 岩田温氏の話には、思わず聞き耳をたてるところがあった。

 西尾先生は、保守的態度、というものはあるが、保守主義というものはない、といわれるが、岩田氏の立場はそれに反対だ、というのである。西尾先生は、岩田氏達の発行する「澪標」に寄稿してそう述べておられるのだが、岩田氏の主宰する団体は、堂々と「日本保守主義研究会」を名乗っている。一体どうなっているのだろうと、気になっていたところではある。

 保守主義とは、たんなる現状維持ではない。それは現状維持を超えた、あるいは岩田氏は保守イデオロギーを超えた、という言葉を使っていたと思うが、そういう思想、超越的な何ものかが必要であり、保守主義とは、それによって国体を守ることである、という。

 そして続ける。――そう考えることによって、保守主義は、融通の利く、柔軟なイデオロギーとなる。――何となれば、国体についての考え方は、唯一絶対ではなく、多様だからである。

 この考え方は、筆者にとっては、極めて得心のいくものであった。

 天壌無窮の詔勅によって直接形成された国体、という考え方もあり得るが、近代的な国体論ならば、神話に淵源を持つ天皇が歴史的にその立場を確立し、またその天皇を中心として、さらに統治制度が発展してきたと考える。近代国民国家は天皇の名の下に形成され、それは立憲君主制として民主化の道を歩むが、一時期戦争によって、その歩みは停滞し後退する。しかし、占領下においては、その歴史の連続性は強制的に断絶され、戦後民主主義が導入された。――従って、歴史と伝統に立脚し、国家の意義を尊重する保守派ならば、その歴史の継続性を回復し、国体を保守することをもって、自らの任務と捉え、保守主義を名乗る。――筆者は、そのように解釈する。

 いつの時代にも通ずる、万国共通の保守主義なる概念はあり得ない。そのような概念は、具体的な歴史・伝統を尊重する保守的態度とは、相容れないからである。それに反して、上記の保守主義は、今日・現代、この日本の保守主義として、全く相応しいものと考える。

(3-2)
 たまたま、本日8月15日付「産経新聞」『正論』欄に、櫻田淳氏が、高坂正堯氏を引用して、「自分の過去の実績に基づく安らぎと自信」こそが、保守主義の基盤である、という趣旨を述べている。それは、現状維持主義とは言わないが、完全に現状肯定主義以外のものではない。

 特に、戦前を体験したことのない若い世代にとって、戦前の歴史は、それが自ら経験し達成した結果ではあり得ないから、それへの回帰を主張することは、観念論のレッテルを貼られ、否定される。すなわち、戦前の歴史との継続性を回復する経路は閉ざされてしまうことなのである。

 それは決して保守主義ではなく、ただの戦後民主主義礼賛ということになろう。

 真の保守主義者が、主権回復といった実際的課題に立ち向かう場合には、上のような自称保守の戦後民主主義者よりも、むしろ常識的な範囲での伝統や歴史を尊重する進歩主義者の方が、よりよき政治的同盟者になりうるだろう。

つづく

「斬」の解説(七)

 小説の最初の部分に三島事件への著者の感想が述べられているのはこの点でははなはだ抽象的である。

 著者は三島事件の

「政治的・社会的・思想的あるいは文学的背景ならびに意味については本稿の関与するところではない」

 ときっぱり言っている。これがすでに著者の現代への態度を表している。

 三島事件に関与する現代人好みのあらゆる解釈は著者には単なるおしゃべりにしか思えなかったことであろう。

 著者は割腹と介錯に関する、単なる事実だけを問題にしている。

 三島の割腹が常人のなし得ない精神力をもってなされていること、森田の介錯の失敗は、三島が立派に割腹したことに原因があり、森田の浅い傷は彼の臆病の証拠ではなく、彼が介錯者のためを考えていた沈着の証拠である、等々の緻密な分析は、この本の著者でなければ言えない十分に検証的な指摘であるといえる。

 氏は現場に残された事実の記録だけから推理し、思想的ないっさいの解釈を加えていない。

 三島事件に対するこの明確な態度が、また斬という反時代的な行為を小説に描き、現代的な論議から超然としている著者の態度にもつながっているといえよう。

おわり

文春文庫 綱淵謙碇『斬』解説 昭和50年(1975年11月)より

「斬」の解説(六)

 したがってこの小説の読みどころは、時代背景の描写でもなければ、魔性の女に振り廻される男たちの哀れさでもない。あくまで刑執行のリアルな場面の描写である。

 しかも一回ごとに、執行者の心の変動に応じて違って現われる首斬りの諸相のさまざまな変化こそが――いかに恐ろしく目をそむけたくなろうとも――小説として読みがいのある肝心な個所であろう。

 あるときは緊張しつつもうまく斬り、あるときは動揺して斬り損じ、またあるときは多数の罪人を一人で次々と無造作に斬っていく。

 

「斬首ということは無機物を機械的に斬るのではなく、人間が人間を斬るのであるから、斬る人間と斬られる人間とのあいだに一つ一つの場合でそれぞれ異なった心理的触れ合いが生じるのである。したがってつねに偶発性をともなって斬り手の心理なり感覚を揺り動かす事件が絶えない。」

 立派な志士たちは従容として死を迎えたといわれる。ために彼らは斬りいいように斬られていく。

 斬り手にかえって戸惑いが生じるほど立派な死に方をする人々を前に、斬り手の心が乱れ、刀が萎縮する場合があるという。

「だから志士という存在は、一番斬りやすくていちばん斬りにくい。つまり斬る者の心の戦いが生じるからだ」

 というような著者の鋭い分析を混じえた、各斬刑の現場描写が、いっさいの理屈抜きで、この小説の眼目をなす。

 ここには人間行為の直接性の最も極端な姿が描かれている。

 と同時にこの作品は、初めに述べたように、殴られるだけですぐ倒れてしまうようなわれわれ現代人、反省と議論にばかり耽って自分ではなに一つ行為しないわれわれ現代人の生き方に対する批評にもなっている。

つづく

文春文庫 綱淵謙碇『斬』解説 昭和50年(1975年11月)より

「斬」の解説(五)

 作者・綱淵謙碇氏は大正13年樺太の登富津(とうふつ)という漁村に生まれた。旧制新潟高校から敗戦の年の2月に陸軍に入隊し、9月に復員した。学籍はすでに東大に移っていたので、昭和21年4月から翌年3月まで大学に通ったが、学資がつづかず東京生活をやめ、新潟でそれから数年の間職を転々とし、物心両面の苦労がつづいたと聞く。

 昭和26年に大学に復学して英文科を卒業し、中央公論社に入社して、20年近くベテランの編集者として活躍した。編集者時代に谷崎潤一郎全集やエリオット全集を手がけたというが、前者は氏の作風に影響を与えているに違いない。出生の地が樺太であるせいもあって、幕末の樺太や千島といった北方の日本人の暗いロマンチシズムにも氏は強い関心を寄せていると聞くし、樺太を舞台にした大型の歴史小説『狄(てき)』(文藝春秋刊)もすでに書かれている。

 さて、本書を最後まで読んだ読者は、土壇場における死刑囚の血しぶきの匂いに、一方ではやり切れない思いを抱くのではないだろうか。

 さらにまた現代人の多くはこの本に少なからぬ現代的な疑問を抱くかもしれない。まるで殺人機械のように事務的に人間を斬首する山田家の人々は、彼らの日々の仕事に疑いをもつことはなかったのだろうか、というような疑問である。

 ことに幕藩体制が崩壊してから以降は、昨日の正義が今日の犯罪になるこの世の有為転変を、山田家の人々も目撃していた筈である。

 人の世の正義の相対性を、殺すも殺されるも時の運という政治の尺度のはかなさを、痛切に身に染みて経験する立場に彼らはいた筈である。

 とすれば、斬首が刑罰であるからといって、とくに国事犯の場合に、自分が直接に手を下して人を殺すことにいかなる道徳的な根拠もない。山田家の人々はそのことに苦しまなかったのだろうか。

 彼らは立派に死んでいく政治犯につねに最大の敬意を表している。彼らは死に場所での態度いかんが、志士や反逆者の器量を決めることを実際に目撃していた人々である。

 吉亮の斬った人の中には、斬るには惜しいと彼が思う人すらいたと述べられている。それなのに、山田家の人々を苦しめたのは、道徳的な根拠を求めての抽象的な煩悶ではなく、家業を奪われ、社会的地位を失いはしないかというきわめて即物的な不安でしかなかった。そこに現代人の多くはまず大きな疑問を抱くことと思う。

 さらにまた、斬る相手が、国事犯でなくても、人が人を殺すことを職業とすることへの、根源的な不安といったことが、浅右衛門一族に存在していないのはおかしい、とわれわれ現代人は考えたくなるであろう。

 斬られる罪人は勿論それなりの罪を犯している。しかし単なる性格の弱さが、凶悪犯罪を犯させる例があるし、動機の善良が、結果の悪行を生むという例もある。

 実際にこの本の、斬られた罪人の逸話の中にはそうした例が語られている。現代人は、だから当然のことだが、悪とは何か?絶対悪ははたして存在するか?といった抽象的な道徳論議を、法理論に重ね合わせて考える傾向をもっているのである。

 なるほど悪とは何か?という疑問に悩んでいてはおよそ首斬り刑の執行吏は務まらない。したがって浅右衛門一族に抽象的な道徳論、あるいは役人に関する宗教的な煩悶がなかったのは当然であるにしても、しかし作者にそういういわば形而上的な問題意識が欠けているのでは困ると考える人もいるかもしれない。人が人を殺すという主題を扱いながら、作者が人間の存在に関する根源的な問を提出していないのは、文学としてのこの本の最大の欠陥ではないだろうか、と。

 しかし前にも述べたとおり、以上のような抽象的な諸疑問は、この小説を成り立たせている領域の外にあり、これら諸疑問をきっぱり閉め出したところに、この小説の小説としての成立の根拠があるのである。

 勿論、読者が以上のような疑問を抱くのも一方では当然であるが、それはこの小説に対する最初からの「ないものねだり」である。むしろ作者がこうした疑問にかまけていたなら、この小説のもつ本来の長所は死んでしまうことにもなりかねなかったであろう。

 現代人が巻きこまれている思想的・道徳的・政治的なさまざまな反省、そういうものこそがかえって月並みで、ありふれていると、著者はおそらく確信しているに違いない。

 現代的な反省を拒否するところに、小説のリアリティを賭けてみようという思いが、おそらくこの著者の、題材に斬を選んだ最大の動機ではないかと思う。

 したがって浅右衛門一族は、政治によってどうにでも変わる正義の観念にも、、悪とは何かという宗教的な問にも疑問をもたない存在として設定されている。それがこの小説の強みである。

 人間をこのように単純な存在として限定することが、直接的な行為を描くこの小説の本来の目的である。

 私がこれは一種の「観念小説」であると先に述べたのは以上のような意味合いにおいてである。そのため小説『斬(ざん)』は、間接的・抽象的な生き方しか知らない現代のわれわれの文明を裏側から批評している小説になり得ているのである。

つづく

文春文庫 綱淵謙碇『斬』解説 昭和50年(1975年11月)より

「斬」の解説(四)

 幕末から明治にかけての歴史小説はこれまでも無数に書かれてきたが、その多くは英雄や志士の立場から書かれている。そうでない場合でも、時代の動向に対する正邪の判定が、すなわち歴史への評価が、なんらかの形で書きこまれていない小説は稀であろう。

 しかしこの小説にはそういう視点がまったくない。体制を譲るにせよ壊すにせよ、時代へのなんらかの価値判断がありうるわけだが、それを切り捨てたところにこの小説の独自の立脚点がある。

 体制がいかようであれ、斬刑を執行する精密な機械に徹することが、山田浅右衛門一族に課せられたプロとしての職業モラルであった。

 職業選択の可能性の閉ざされていた封建的階級制度下では、誰かが引き受けなければならないこのおぞましい家業を、ともあれ世襲として守り抜くことは一つの倫理ですらあったと思う。一族は社会的な屈辱に耐えながら、しかしプライドをもってこの仕事を守った。それは封建的体制下における一つの役割であったに違いない。役割に徹することにはなんらかの自足があり、安心がある。枠の固定した社会の中では、たとえ卑しまれた立場であれ、自分の分を守るということが、一番尊敬され、それなりの誇りをもちうるよすがにもなりえたのである。

 が、やがて新しい時代が来て、この一族を支えていた精神的支柱が崩れ去る。山田家が〈徳川家佩刀御試御用〉という役割を失い、明治に入って新政府の指示通りに、〈東京府囚獄掛斬役〉になるほかなくなったときに、この一族に荒廃の影がしのびこむ。

 小説を一読した方ならどなたにも明らかなことだが、この荒廃は外と内の両方からやってくる。すなわち廃刀令以来しだいに斬刑が時代遅れの刑罰とみられて、絞首刑にとって代わられていく外側の変化がその一つである。これにより一族が精魂こめて修業した、罪人に苦痛を与えない立派な斬り方という彼らの道徳はナンセンスになっていくからである。

 さらに加えて山田家の内側からひろがる荒廃は、父親の後妻となった素伝(そで)という若い女の存在によって引き起こされる。四人の兄弟はそれぞれ彼女によって感情の混乱の渦の中に置かれる。長男は不倫と放蕩に走り、次男は父に殺意をもって迫ったあげくに父に殺され、四男は家出をして、反政府運動の匂いのある強盗の集団に入る。一族はこうして外と内からしのびこむ荒廃の犠牲となり、運命に翻弄されて、四分五裂の状態に陥るのである。

 この崩壊の感覚が小説全体の主調音である。

 ところで素伝という女の特異な役割であるが、これはおそらく作者の小説的設定であろう。素伝は魔性あるこわい女として設定されているのに、肝心のこの女の描き方が不十分だという批評をある人が述べているのを読んだが、それは尤もな意見だと思う。

 素伝はたしかに魅力と魔性をかねそなえた女としては十分に描かれていない。作中の重要な位置に女を配することで、時代の変化による運命悲劇というこの小説の本来の主題がぼやけてしまうのではないだろうか。つまりこの点でありふれた小説の類型に近づいてしまう部分があることを私も読みすすみながらやはり残念に思った一人である。

 なるほど素伝という女を設定しないかぎり、小説はばねを失い、これだけの分量の長編小説にはなりえなかったかもしれない。しかし女の魔性をもち出すというあまりにも小説的な着色は、男性的な行為の極限を描く小説にはかえって不向きではなかったかと私は思う。

 吉亮の恋愛感情や個人的心理を、少なくとも刑執行の場面などからはできるだけ省いて、即物的な冷淡な描写に終始した方が、文学としての純度は高まったのではないだろうか。つまり歴史の重さの前で、個人の心理などはなにほどのものでもない。吉亮が女囚を斬るとき、母・素伝の幻影を斬っているというような心理的な説明が、私には小説的な空想でありすぎるように思えて面白くなかったのである。

 しかし、それはともかく、この小説は封建体制から近代社会への移行期を、いいかえれば人間が血や行為に直接的であった時代から、すべてが間接化していく文明社会への移行期を、特異な題材と視点をもって描き出した力作である。その功を買われ、この作品は昭和47年度上半期の第67回直木賞を受賞した。同じときに井上ひさし氏も受賞し、直木賞を分けあったが、選者からほぼ満票に近い圧倒的支持を受けたのはこの作品の方であった。

つづく

文春文庫 綱淵謙碇『斬』解説 昭和50年(1975年11月)より

「斬」の解説(三)

 江戸の元禄の頃から明治14年の廃刑まで、死罪における斬首の刑を執行した山田浅右衛門一族は、七代この仕事をつづけた。しかし斬首はこの一族の正式の仕事ではなく、二世吉時の代に〈徳川家御佩刀御試御用〉という役職、いいかえれば試刀家としての最高の地位に着いて、七代の間に富を築いた。

 試刀は徳川家にとってはなくてはならない重要な仕事でありながら、浅右衛門の一族は幕藩体制の内部に組みこまれることなく、終始一貫して「浪人」の地位でありつづけた。

 この不思議な地位についての著者の推理にはなかなか鋭利な観察が秘められている。斬首の仕事はもともと町奉行同心の業務であったが、山田家が彼らのいやがる仕事の代役をなし、その代わりに斬刑後の屍を試し切りに使用する自由と、生肝を抜き取り薬剤として売買する自由を、役得として思うままにしていたというのである。われわれの想像を絶した異様かつ凄絶な業務に、七代にわたり倫理とプライドを賭け、社会的屈辱に耐えながら携わってきた一族の孤独が、この小説の中心を流れている基礎低音である。

 まだ12歳の吉亮が、慶応元年(1865年)最初の斬首の刑を執行する日からこの小説は始まる。

 父親吉利が家職を伝えるために、まだほんの子供といってよい年齢の吉亮に、道場でねずみを斬る訓練をさせるところも印象的な描写である。そしてついに12歳の少年は、最初の日を迎え、儀式に従って堂々と罪人の首を落とす。失効後、吉利は屍体から生肝を抜き、二つ胴の試し切りをする。この一場の描写を最初に読む人には、心にある衝撃なしでは、読み通すことができないだろう。

 この小説のここの描写を読んだ福原麟太郎氏が「そのとき私は、こわいという感情を感じた。それ以外に何という言葉をもってその感情を言い表せば良いか知らない。私の用いる日本語の語彙(ごい)の中では、おそろしい、とも、悲しいとも全く違う、こわいである。(中略)私はそこでその小説を読むのをやめ、すこし神経の昂ぶりを感じながら、本を閉じた。とてもさきへ読み進む気にならなかった。」(『文藝春秋』昭和48・3)と語っているのは率直な感想として注目してよいと思う。

 こわい、あるいは嫌悪を感じる、そういう感想をもつ読者がいて少しも不思議ではないのだ。この小説はもっぱらそういう世界を描いているからである。異常な世界を正常な冷静さでもって、抑制のきいた重厚な文体でまじろぎもせずに叙述している。

 小説は吉亮の最初の刑執行の日から17年間、明治14年の最後の斬刑の日まで――この日をもって刑法史上に「斬」の刑罰はなくなるのであるが――を描いている。いうまでもなく幕藩体制の崩壊と近代国家としての日本の出発という動乱の一時代が小説の背景をなしている。したがって処刑される罪人たちも親殺しや夫殺しばかりではない。

 父吉利が処刑したものには吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎といった安静の大獄の志士たちがあり、維新後の吉亮の処刑者には、今度は逆の立場に立つ犯人たち、横井小楠、大村益次郎、岩倉具視を暗殺した犯人たち、国事犯としては雲井龍雄、そのほかには夜嵐お絹、高橋お伝らの名前がみられる。

 すなわち時代の大きな波のうねりを、この一族はもっぱら小伝馬町の囚獄から眺めていた。体制が変わっても彼らは変わらず、どんな体制下でもつねに同じ刑の執行者として振舞うという、幕末を扱った小説としては今までにない新しい視点を提供したといえる。

つづく

文春文庫 綱淵謙碇『斬』解説 昭和50年(1975年11月)より

「斬」の解説(二)

 先日友人たちと雑談をしていて、三木首相が暴漢に襲われた瞬間をNHKのカメラが偶然に捉えた一件に話が及んだ。事件当日のテレビのスロービデオで、私は三木首相が眼鏡をとばされ、ゆっくりと路上に倒れていく一瞬の動きを目にした。

 首相は恐らく不意をつかれたのであろう。不謹慎な感想かもしれないが、私がそのとき感じたのは、単なる殴打によって人間の身体がじつにあっけなく倒れることの驚きであった。しかし屈強な青年でも、不意をつかれればやはり同じような倒れ方をするのかもしれない。

 身体への直接の危害に対し現代人は普通心の用意を怠っているからである。流血に対しつねに備えている緊張した生き方を、文明社会に生きる私たちは平生にはしていない。

 テレビ劇や映画の中では殴ったり殴られたりする場面があれほど氾濫しているのに、大多数の人間は、実際の生活で、他人を殴った経験も、他人から殴られた経験ももっていないのではないだろうか。

 雑談の席にいた数人の私の知友たちに聞いたら、勿論、誰一人そういう経験がないと言っていた。不意に、予期していない場面で他人から殴打されれば、私たちも首相と同じようにあっけなく倒れてしまうことだろう。

 刑罰に対する考え方についても昔と今とでは大きな違いがみられる。幕末から明治初期を描いたこの小説の中で、勅任官に手傷を負わせたというだけで斬罪の刑になる男の話が出てくるが、現代では首相を殴り倒した男はどのくらいの刑になるのだろうか。

 見せしめや報復という考えは今では必ずしも刑罰の中心観念ではない。一般に現代では、犯罪を個人の責任に帰するというよりも、社会的あるいは病理学的要因に還元して、犯罪人の個人責任をできるだけ軽くするという考えが支配的になっているからである。

 先日テレビの報道番組で見たのだが、アメリカのある刑務所では――おそらく凶悪犯は除いてあるのだろうが――塀をはずし、門をなくし、社会との往来を自由にし、囚人は刑務所の中で個室をもらって、音楽を楽しみ、趣味に生き、女囚はお洒落を存分に味わえるという特殊な試みを実験的におこなっている例を見た。この小説の中で展開されている苛酷な刑罰の世界とはまた何という相違だろう。

 私たちは一杯の水を飲んでそれが直接死につながるかもしれないという不安をもって日々の生活を送ってはいない。たいていの病気からは医業によって守られていることを知っているからである。

 私たちはよほど特殊な例外を除いては、他人から肉体上の直接の危害を加えられることはない。ましてや血ぬれの身体、人間の切断した四肢や首を目撃するような機会はない。いな身内の臨終の床以外は、屍体を目にする機会すらほとんどないといっていいだろう。

 文明とは何だろうか。あらゆる残酷と直接の危害からわれわれの感覚が遠ざけられることが文明なのだろうか。

 したがって文明の発達した産業社会では、人間と人間との関係はどんどん間接的になっていくほかはない。そしてその分だけ映画・テレビ・小説といった映像や情報の世界には直接的な場面がふえていくのである。

 現代では人間が互いに間接的に交わり、自分ではなにひとつ行為せず、行為の世界を抽象的にしか意識できなくなっている。そしてそれにほぼ比例して、交通事故などによる大量の死、高度の戦争技術による組織的な破壊が、この地上のどこかで休みなくくりかえされていることをわれわれは知っている。それに対してわれわれ現代人はただ不感症になっていくばかりである。

 つまりこの現代では死もまた物体の消滅のように機械的・物理的な現象としか感じられなくなっているのと並行して、生もまた間接的な、なにか曖昧な性格のままに進行していく。

 この『斬(ざん)』という小説の世界は、あらゆる点でこうしたわれわれ現代人の生きている状況とは正反対のところに位置づけられている。少なくともこの小説の出発点はそうである。

 ここには人間が人間の首をはねるという――文学の題材としてははなはだ危険な――戦慄すべき場面がくりかえし描写されている。だが、読者が気をつけなければならないのは、ここには血への嗜虐的趣味が語られているのではなく、人間が人間に対しておこなう直接的な行為のいわば極限が提出されていることである。そしてそれが明治の文明化・西欧化の波の中でしだいに解体していくプロセスが語られているともいえる。

 いいかえれば、この小説はわれわれの今日の文明とは逆の立場から歩き出し、今日の文明をしだいに裏返しに映し出していく批評的な小説であって、首斬りという特殊世界に題材を限定していることが、すでに作者にとってはかなり意図的な設定であるといえよう。つまりこの作品はある種の観念小説であるといってもいいのである。

つづく

文春文庫 綱淵謙碇『斬』解説 昭和50年(1975年11月)より