小説の最初の部分に三島事件への著者の感想が述べられているのはこの点でははなはだ抽象的である。
著者は三島事件の
「政治的・社会的・思想的あるいは文学的背景ならびに意味については本稿の関与するところではない」
ときっぱり言っている。これがすでに著者の現代への態度を表している。
三島事件に関与する現代人好みのあらゆる解釈は著者には単なるおしゃべりにしか思えなかったことであろう。
著者は割腹と介錯に関する、単なる事実だけを問題にしている。
三島の割腹が常人のなし得ない精神力をもってなされていること、森田の介錯の失敗は、三島が立派に割腹したことに原因があり、森田の浅い傷は彼の臆病の証拠ではなく、彼が介錯者のためを考えていた沈着の証拠である、等々の緻密な分析は、この本の著者でなければ言えない十分に検証的な指摘であるといえる。
氏は現場に残された事実の記録だけから推理し、思想的ないっさいの解釈を加えていない。
三島事件に対するこの明確な態度が、また斬という反時代的な行為を小説に描き、現代的な論議から超然としている著者の態度にもつながっているといえよう。
おわり
文春文庫 綱淵謙碇『斬』解説 昭和50年(1975年11月)より