訃報を受けて(八)

横久保義洋さんから

 哭 先師 本覺院殿信導日幹居士(西尾幹二先生)

秋雨濛濛雲蔽巓 驚聞噩耗哭東天
象胥才顯尼華論 清議名高愈軾篇
誘掖後生能自立 冥思心性友前賢 
師從廿載悔何短 夢裡逍遙酌冽泉

秋雨濛々として雲 巓を蔽ひ
噩耗を驚き聞きて東天に哭す
象胥 才は顯はす尼・華の論
清議 名は高し 愈・軾の篇
後生を誘掖して能く自ら立たしめ
心性を冥思して前賢を友とす 
師從すること廿載 悔ゆ何ぞ短きを
夢裡 逍遙して冽泉に酌まん

大意:
秋雨が降り続き、近くの山の頂が雲に覆われて隠れてしまっているようなその日に、 突然の先生の逝去の報せを聞き、悲しみのあまり先生のおられる東の空に向かって声を上げて哭く。

思い返すと先生は早歳よりニーチェ(尼采)やショーペンハウワー(叔本華)などの著作の翻訳によってその才能を発揮し、 やがて、その憂国憂民の至情は筆端に迸り、時勢を厳しく論ずるようになったが、その節義は韓退之(愈)や蘇東坡(軾)の諫奏の文より優れている。

多くの後進を教え導いては、いずれも論壇等で一本立ちできるようにさせ、
自由・孤独・宿命、そして生死等の哲学的命題を深く考え、時として徂徠・宣長、あるいはベルジャーエフなど古の内外の賢者たちの著述の林に分け入り、それを自家薬籠中のものとした。

先生に師事することができるようになって二十年あまり経ったが、今となってはその歳月が短すぎたことが惜しまれてならない。

冀わくは夢の中で先生にお会いし、生前愛された公園の辺りを共にそぞろ歩きしながら、そこの清冽な泉の水を汲み上げて飲むようにして再び先生のお教えをいただきたいものである。
      

横久保義洋(キルドンム) 哀輓

訃報を受けて(七)

吉田 圭介より:

西尾先生に申し上げたかったこと

 先生、トランプ氏がアメリカ大統領選に勝利しましたよ。
いつものように、先生のお見立ての通りです。

 先生の予言は必ず当たるのです。
直ぐに結果が出るものも有れば、二十年三十年の時間を経て実現するものも有りますが、いずれにしろ的中するのです。

 それは先生が真にフラットな視点をお持ちだったからであり、その視点は真の自由を求めてやまない先生の精神によって形作られたものだったということが、今は良く分かります。

 「日本はドイツのように戦争を反省していない」というマウントに日本人全体が押し潰されそうになっていた時、「やったことが違えば謝り方は違って当然」という誰もが納得せざるを得ない道理を用いてそれを鮮やかに覆した西尾先生。

 経済人だけの論理で安易に進められようとしていた外国人労働者受け入れ論を、「社会的・文化的・民俗的な問題として考えなければ必ず大問題が起こる」と警告してその流れを押し止めた西尾先生。

 近隣諸国への配慮という巨大な同調圧力の中、従軍慰安婦問題に対して行動を起こした藤岡信勝氏に真っ先に賛意を表明し、自ら教科書改善運動の先頭に立たれた西尾先生。

 「愛子妃が問題なのではなく、その次の代になった時の国民の尊崇の念の低下が問題なのだ」という、誰もが理解し共感できる説明で女系天皇論の急進を食い止めた西尾先生。

 「人権委員会」の存在の危険性をいち早く指摘し、保守系の政治家やメディアも全く気づいていなかった人権擁護法案の異常性を広く認識させて法案を廃案に持ち込ませた西尾先生。

 そして、あらゆる言論がトランプ非難の大合唱だった中、トランプ勝利の十分な可能性と、それが日本にとって有益である理由を敢然と説かれたのも西尾先生でした。

 先生、先生はいつだってトップバッターでいらっしゃいました!切り込み隊長でいらっしゃいました!
それも、マスメディアやアカデミズムが特定の意見一色に染まり、「みんながそう言うならばそれが正しいのかも知れない…」と、声の小さな者たちが確信を失いそうになった時、まるでドアを蹴破るように、テーブルをひっくり返すように、大音声で正論を叫ぶ勇者でいらっしゃいました!

 「西尾幹二ってカッコいいよなぁ」
 「西尾幹二って人は何回、独りで国を救うんだろうね」
私は友人たちと酒を呑みながら、幾度となくそんな会話で盛り上がったものです。
友人の一人は話の締めくくりに必ずこう言います。
「西尾神社を創建しなくちゃいけないね」
勿論これは半分冗談ですが、私は満更冗談とは思っておりません。

 先生、先生は以前、ご自身の主宰する勉強会「坦々塾」で(確か女系天皇問題についてご講話を頂いた時だったと思いますが)、お話が終わって懇親会になり、お酒もまわってさぁお開きという時に、「ああ、オレはもう言うべきことは言ったし、あとはどうにでもしろってんだ!」と言いながら破顔一笑されたことがありましたね。

 ご尤もです。全くもって、おっしゃる通りです。

 残された私たちが、先生が憂え続けていらした事柄を少しでも正すことが出来るのか。先生が斯くあるべしとお示しになった方へ少しでも世界を近付けることが出来るのか。
先生、どうか泉下で、或いはWalhallaで、お見守りください。

西尾幹二先生、本当に有難う御座いました。