『西尾幹二全集 第十一巻自由の悲劇』その(三)

西尾先生の指示により、長い文章ですが、切らずに掲示します。(管理人)

坦々塾会員 浅野正美

全集第十一巻自由の悲劇の感想

 先生の全集も前回の配本で半分が刊行されて、今回の第十一巻「自由の悲劇」で折り返しを向かえることになった。どの一冊も原稿用紙二千枚になんなんとする大冊である。

 本巻では、89年に起きた世界史上に特筆される政変劇、特にそのことを象徴する出来事の名をとって単に「ベルリンの壁の崩壊」といわれることもある共産主義の終焉と、人間にとって「自由」とは何かを突き詰めた考察、そして「労働移民」の問題を取り上げた論文が並んでいる。私は届いた本の目次を改めて見て、大きく三つのテーマを扱った巻だと考えて読み進めていったのだが、途中からその認識は過っているのではないかと疑うようになった。つまり、この三つは相互に関連し、因果が結びついた問題ではないかと考えるようになったのだ。89年の事件に驚愕し、思考を強制させられた人は多いと思う。当時の私は二十代があと数十日で終わるという、若くて未熟な年代に属していたが、あの日の衝撃は未だに忘れることができない。あの夜、だれとどこでお酒を飲んでいたかということまで、はっきりと覚えている。NHKのニュースでインタビューされた西独に住む老婆が、「絶対に起こらないと思っていたことが現実になった。もうこの先私の人生で何が起きようと、決して驚くことはないだろう」と語っていた言葉も強烈な印象として残っている。先生も同じ趣旨のことを後書きで書いている。

 指揮者のL・バーンスタインは確かドレスデンだったと思うが、ベートーヴェンの第九交響曲を指揮し、第四楽章歓喜の歌では歌詞の「フロイデ(歓喜)」を「フライハイト(自由)」と言い換えて演奏した。あの当時は、自由の勝利を称え、世界全体がそのことを無邪気に祝福するお祭り騒ぎに浮かれていたような印象がある。

 少し私事をお話させていただくことを許していただきたい。「壁の崩壊」からかなり時間が経ってからだが、私はどうしても東欧の国々を見て歩きたいと思い、ウィーンに飛んで、ハンガリー・ルーマニア・チェコを駆け足で回った。その中でも特に行きたかったのがルーマニアだった。本書にも書かれているように、当時大統領だったチャウシェスクとその妻は、民衆の激しいデモと国軍による攻撃によって無惨な最後を遂げた。このときの様子は連日テレビで放映されていたので、今も記憶している人が多いのではないかと思う。ルーマニアの「反革命」暴動は、最初北部の街ティミショアラから始まり、この街でも銃撃戦によって市民の中から多くの犠牲者が出た。そして、私が訪れた時には、そのときの痕跡を示す弾痕一つ見当たらなかった。やがて騒擾は首都のブカレストに飛び火して一層拡大し、夥しい犠牲者を生んだ。ブカレスト郊外にある広大な英雄墓地には、この闘争で亡くなった人たちが埋葬されていた。すべてが個人墓だった。墓石には生年と没年が刻まれていた。いうまでもないが、どの墓の没年も1989年である。私は総てのお墓を巡り、それぞれの犠牲者が何歳で亡くなったのかと計算して回った。なぜか。日本の報道では、若い学生や労働者が自由を求めて立ち上がったと伝えられていたからだ。そこに私は「安保」の光栄を懐かむ懐古趣味というか、郷愁の念のようなものを感じ取っていた。

 実際にこの墓地に眠っていたのは、まさにありとあらゆる年代の人たちだった。そこには0歳の乳児から相当な高齢者までがいた。

 その夜、オペラ座で「椿姫」を見た。切符売り場の窓口では英語が通じなくて、切符を買うのに大変な難儀をした。そうだった、共産圏では一部のエリート以外英語教育を受けられなかったんだ、ということを思い出した。たまたま列に並んでいた中に英語を話す人がいて、助けてもらった。演奏はオーケストラも歌手もひどい水準だった。優秀な人ほど、その能力で自分を高く買ってくれる海外の歌劇場に転身したのだろと思った。こんなところで資本主義の論理を実感できたことが可笑しかった。それでも社会主義時代の遺風だろうか、入場料は信じられないくらい安く、劇場で飲んだグラスワインの方が高いほどだった。この旅では、時間の都合で発火点であるポーランドにも、壁があったベルリンにも行かれなかったが、自分の中ではこれで共産主義のお弔いが済んだという思いだった。それから何年か後、モスクワに行った。美しい街だと思った。サンクトペテルブルク(旧レニングラード)はもっと美しいと、現地の人から言われた。新宿の路上でドイツ人の若者が、ベルリンの壁の欠片を売っていたので買ったこともあった。本物の証拠にと、壁に登って叩き割っている写真がおまけでついて来た。このコンクリート片は今も書棚に飾ってある。

 長々と思い出話を書いてしまったが、私にとってもこのときの体験(壁の崩壊)がいかに衝撃的だったかということを分かっていただきたかったからだ。もうこの先、どんな事件が起ころうとも、それに触発されて外国に行くなどということは絶対にないと思う。

 まだ刊行されているのは1・2巻だけだが、「昭和天皇実録」を読んで改めて感じたことは、昭和天皇の御生涯には実に多くの戦争が起こったという単純なことだ。御幼少の砌であられた日露戦争に始まり、第一次世界大戦、満州事変、支那事変(日支事変)、大東亜戦争(第二次世界大戦)、そしてその帰結である東西冷戦。まさに戦争の御生涯といっていい。東西冷戦の時代、西側諸国は繁栄を極め、平和を謳歌していたが、第二次世界大戦終結によって新たに形作られたその世界秩序は、冷戦終結によって見事に崩壊した。昭和天皇はそれを最後まで見届けることなく崩御されたが、この1989年という符合には、偶然では済まされない意味があるように考えてしまう。それは「壁の崩壊」がフランス革命から200年後に起きたと本書で指摘されている符合とも重なり合うのではないかと思う。

 先生がこの巻のタイトルを「共産主義の終焉」でもなく、「労働鎖国のすすめ」でもなく、あえて「自由の悲劇」としたところに、私は先生が伝えようとした問題の本質をくみ取ろうとした。あるいはこれは私の誤読(誤解)かも知れないのだが。

 先生は本書で、「共産主義の終焉」によって、歴史の進歩主義や人類の歴史におけるフランス革命の必然性という論理展開が完全に破綻したことを丁寧に説明している。本文から引用するのが一番分かりやすいと思うので、これ以外にもいくつかの重要なテーマに絞ってできるだけ多く先生の言葉を引用しながら進めていきたい。

『だからこそ久しい間、ブルジョア資本主義社会が打ち倒されて、プロレタリア独裁の共産主義社会が到来することが、「歴史の必然の法則」と呼ばれて来たのである。そして、その法則に従って、過去の歴史が解釈されてきた。とりわけブルジョア資本主義社会に道を開いたフランス革命に代表される市民革命が、共産主義革命を準備する前段階として評価され、位置づけられて来たのだと思う。(略)そもそも歴史に必然など存在しない。未来の一切は原理的に人間の認識の外にある。未来を限定して考える必然論は、人間が歴史の自由な創造者でもあるという大切な側面を無視した、思考のいわば放棄である(257p) 』

『「歴史の必然の法則」のドグマとは、フランス革命はロシア革命の前史にすぎなかったのである!フランス革命は次に起こるべきロシア革命準備段階として位置づけられ、それによってようやく意義を獲得していたにすぎない。二十世紀にはこのような見方が支配的だった。しかし二十世紀も終わりに近づいて、ロシア革命の有効性が疑われだした。ソ連や東欧は自らの革命を否定した。地球上の他の諸地域において、フランス革命のような市民革命を超克するプロレタリアートのための次の革命はもう起こらない、ということになれば、二十世紀を通じてのフランス革命の意味づけも、根本的に修正させざるを得ないことになってくるであろう。(259P)』

『そもそも否定されたのは「歴史の必然」という考え方である。普遍的なモデルを先行させて考えるあらゆる予見論が誤りとして否定されたのだ。(260P)』

『フランス革命のもたらした「自由」は必ずしも普遍的価値ではなく、南ヨーロッパ・カトリック地帯に起こった風土的精神現象、ローカル現象という一面もあるのではないか。(260p)』

 もう一つ私が感心し驚いたのは、この時点(1989年)ですでに、現在世界のあちこちで起きている混乱と紛争を予言していることである。

『ヨーロッパ流の「近代的自由」の勝利であり、やがて地球の隅々まで「近代的自由」は普遍価値として拡がるであろう、と言う人が多いが、私にはそうは思えない。イスラム世界は堡塁を守り続けるだろう。中国も「近代的自由」とは必ずしも一致しない異質の世界として残るだろう。「近代的自由」の最も良き理解者は日本だが、それでも完全には一致しない。世界は多元体制としての姿を明らかにするだろう。(76P)』

『ソ連の最大の悩みは他民族問題だが、そのコンフリクトの凄まじさは、米ソ両超大国のイデオロギーの覇権争いが終わった後で、地球上で起こる争いの最たるものが何であるか、人種、言語、宗教のコンフリクトこそが二十一世紀の命運を左右するのではないか、という反省をわれわれに蘇らせた。(295p)』

『国際社会で「教義」を持つ文明同士の争いを前にしたとき、日本の特性は無力を露呈する。長所を長所としてどこまで守りきれるか。抽象性を欠く道徳は、自由へのラディカルな情熱を持たないがゆえに、他人の情熱も見えないがゆえに、対策を誤ることにもなりまねないであろう。(343p)』

 まさに二十一世紀の今、人種、言語、宗教のコンフリクト(衝突・対立)が世界の命運を左右する情況となっているではないか。私たちは今、この論文が書かれた時点ではなくて、四半世紀が過ぎた時点で読むことができたために、先生が怜悧に現実を見据えた末に辿り着いた先見性の正しさに改めて驚愕することになる。世の中に、未来を予測する人は多いが、その多くは耳目を集めるための言説が言いっ放しにされているだけであり、検証もされなければ、例え現実がそうならなかったとしても、言った本人も何一つ反省などしない。

 もう一つ、共産主義が完全に否定されたにも関わらず、わが国では相変わらず左翼的な言論が一向に衰えを見せないという奇観というよりも病理的な現象が衰えを見せない。のみならず、それが正義であり優しさであるという共同幻想すらある。

 大衆がその意思決定において判断の拠り所とするところといえば、

『現代の世相は新聞・テレビに動かされ、あるいは知識人、評論家、大学の教師、ジャーナリストに動かされ、これとは正反対の方向の自由ばかりを-私に言わせれば真の自由からの逃走を-しきりに声高に唱える時代を向かえている。(360p) 』

 それだからこそ、こうした立場にいる人の発言には社会的な責任が伴うべきだが、現実は果たしてどうであろうか。

『ドイツでも日本でも、政治主義者の不幸とは、骨の髄まで空想家でしかないのに、自分では現実化だと思っているところにある。(215P)』

『考えてみれば日本の戦後史もこの手の知識人の空しい言論の墓場であった。(略)進歩的な知識人たちは、未来を口にしながら、つねに過去しか視野の中に入れてこなかった。(221P)』

『彼らには学問上の知識はあるが、判断力はなく、知能は高いが、知性のない人たちなのだ。彼らの呪いのヴェールを破り、裸形の現実をありのままに見るようにならない限りこれからの日本も世界も浮かばれないだろう。(747P)』

 なぜ彼らは破綻した共産主義という悪夢にいつまでもすがりつくのか。

『日本のマスコミや知識人は、なぜCommunismを紛らわしくも「社会主義」と訳すのであろうか。そのわけはCommunism の体制とそれ以外の体制との間の深い、決定的な溝を直視したがらない曖昧で無自覚の国民性とCommunism の体制を心のどこかで救いたい、その最終的な敗北と失敗を認めたくないという深層心理と結びついたきわめて後ろ向きの退嬰的心情のなせる業と思われる。そして、スターリン一人に悪役を押しつけ、Communism に期待した自分の過去の不明から目を逸らし、自分の善意と正義心を泥沼に沈めたくないという自己欺瞞に外ならない。(245P)』

『マルクス主義が知的モードとなった二十世紀の初め頃から、人は素直に現実を見ようとしなくなった。民衆のエネルギーによる「下からの市民革命」を近代社会成立の前提条件と考え、各段階を乗り越えたうえでプロレタリア革命が最後の矛盾を克服していくという歴史の必然的発展段階説を信仰するようになった。(311p)』
『明治天皇制を、フランス革命以前のヨーロッパの絶対主義と規定したのは、1932年のコミンテルンから日本共産党に与えられた運動方針の一つであったようだ。日本の学会は、講座派理論と大塚史学に代表されるように、この運動方針に盲従した。なんというばかばかしい迷信が日本の学問を支配し、呪縛していたことであろう。(313p)』

 そんな彼らだが、自らの不明を恥じることもなく、深い精神的な煩悶に悩まされることもなく、実に平然と、いやあっけらかんとすらしている。

『自国をできればコミュニズム体制に近づけたほうが良いのだ、と漠然と思ってきた人々は、大学社会や文壇・論壇や新聞社・出版社に数知れないほど存在していたことを、私は決して忘れてはいない。私が疑問なのは、彼らがいまほとんど動揺もしていない事実である。二十世紀を悩ませてきたロシア革命の理念の、七十年余にしての破産を前にして、本来なら彼らは、東ドイツの人々と同じように放心状態に陥るか、羞ずかしくて人前にも顔を出せない心境になるべきはずのものであろう。(232P)』

 では、人間の複雑性に関して誰よりも鋭敏であるべき文学者はどうであろうか。先生はドイツのギュンター・グラスと大江健三郎の発言を引用しつつ、このように批判している。

『少なくとも「ベルリンの壁」の開放に関するかぎり、ソ連の政策の一大転換が、すべてを決定したのであって、民衆の力は相対的に小さい。グラスは「革命」などという言葉に浮かれているだけで、歴史の底流を動かす力学がまるで見えていない無知を暴露指している点では、日本の進歩的文化人と瓜二つである。(217P)』

『詩的なヴィジョンによって現実が変化するのではない。あくまでも現実的な要請が変化を生み出しているのだということに彼らはもっと留意しなければならない。(226P)』

『「自我の幻想性」と私が呼んだのは、世界中において自分の置かれた位置の認識ができていないことを指す。詩的なヴィジョンで政治に変化を期待する-そしてその無効性と自己欺瞞に永遠に気がつかない-グラス型の文学者は日本にも少なくない。(227P) 』

『文学者が自国の歴史を実際以上に暗黒化して、自分のみを美しい良心の徒に仕立てるという、いい子ぶっている動機が透けて見えるので、文学者らしからぬ、心理的複雑さの欠如というほかはない。(229P)』

 マルクス主義が生まれた背景とは何か。

『マルクス主義はもともとドイツ人がフランス革命よりもさらに徹底した、時代の先を行く革命を実行することで、フランス近代を追い抜こうとする底意を秘めた思想だという一面があるのである。(略)ユダヤ人のメシアニズムの系譜を引くマルクス主義には、千年王国を実現するための弱者の怨恨感情が流れている。遅れたもの、弱いものの暴力による一瞬にしての失地回復と永遠の至福の達成―マルクス主義のこのモチーフは、選民としてのユダヤ人の復讐感情(ルサンチマン)と無関係とは言いがたい。(161P)』

 そしてそれが目指していたものとは、本当に資本主義とはまったく正反対の概念であったのだろか。先生の認識はひたすら深い。

『東側の共産主義体制が自壊していくのを目の当たりに見ながら、両体制は政治制度的にはたしかに対立していたが、精神的には両者の間に本質的相違はなかったことを、あらためてここに確認する。なぜなら、どちらも物質の自由、産業や技術の向上発展への期待、地上の楽土建設への夢を求めてきた点では同じであって、ただそれにいたる手段や目的に相違が認められたにすぎない。(366p)』

 あの当時、共産主義の終焉は「自由の勝利」と讃えられた。ではその自由とは何か。果たしてそれは普遍のそして至上の価値なのか。

『フランス人にしても、ドイツ人にしても、「自由」のドグマによって現実には不自由に陥っている。しかしそれがヨーロッパ人の生きて行くために必要な掟であり、戒律であり、生の形式なのだと私は思う。(89P)』

『「自由」のドグマによって欧米が実際に陥った不自由とはいかなるものであろうか。
それでもなおアメリカは、自由競争のこの原則の旗を下ろすことはあるまい。なぜなら「自由」はこの場合、ただの理想でも、目標でもなく、いわば一個のドグマだからである。ドグマはここでは「独断」と訳されるべきではない。「教義」と訳されるべきである。一つの掟であり、定めであり、言ってみれば戒律である。どんなに不便でも、掟であれば従わないわけにはいかない。これなくしては、国家社会が成り立たず、ばらばらに解体してしまうようなもの、それがドグマだからである。(300p)』

 イスラム教徒の生徒が、戒律で定められているスカーフを着用して登校したことで大論争に発展したフランスでは、

『外から見ている限り、何ともはやばかばかしくも、みっともないコメディーに見えるが、当のフランス人自身は目の色を変えんばかりに切実な面持ちで、真剣である。自分で自分に課した「教義(ドグマ)」に縛られて、身動きできなくなっているからである。なにしろ、ドイツのように、教育の現場に宗教の表徴(しるし)を平気で持ち込むのは、ドイツの「後進性」の表れだと、フランス人は傲慢に解釈し、それが彼らの年来の自負心になっているから始末に負えない。その結果、自分たちの自由も、外国人の自由も、ともに制限せざるを得なくなっていることには気がついていない。(309p)』

『ドイツ人は、学問の選択の自由、研究の自由は、どんな大衆民主主義の時代になっても完璧な形で守らなければならない、という「教義(ドグマ)」に取り憑かれているようである。かりに医学を学びたいという学生がいたとしたら、彼を選抜試験によって門前で追い払うのは、「選択の自由」の原理原則に抵触すると考えるのである。(320p)』

 私たちの感覚ではもはやあっけにとられるばかりである。しかしこれが彼らのパラダイムなのだ。だから彼らにとって日本は永遠に異質の国である。

 

『日本の小学校の朝礼を見て軍国主義といい、日本の労働者を見て会社への封建主義的忠誠心に生きていると頭から決めつける、あのヨーロッパ版「日本叩き」は、ヨーロッパ社会が個人、自由、孤立、プライヴェートの諸価値を、今ではイデオロギーとしてしまったことのいわば裏返しであり、反証なのである。(286p)』

 先生は繰り返し、普遍などなくあるのはローカルな価値だけであると説く。そして、人間は本当に真の自由を欲しているのか、さらにそれに耐えうるのか問う。

『われわれ自由主義体制の人間は、余りにも広く開かれた「自由」の情況の中で、自分というものを維持していくワク組の喪失に悩んでいると言いかえてもよい。そのため、選択の自由は無限にあるのに、何をして良いかわからない。(略)この広い空間の中に自分を維持してくれるワク組が存在しないので、敢えて意図的に小さなワク組を自分の周りに作る。われわれの活動は多かれ少なかれ自閉症的にならざるを得ない。(254P)』

『妨げとなる障害を打破し、自由や平等の拡大を求めてきた結果、この方向をどこまで進めても、人間は自由にもならなければ、平等にもならないという事実にあらためて突き当たる。(340p)』

『何らかの自由の制限なしでは、自由の社会制度そのものも成り立っていかないことは、常識が教えている。しかし、世間が撒き散らしている「自由」の幻想の中では、常識はややもすると時代遅れにみえ、非常識が似非ヒューマニズムの仮面を被って大道を罷り通る。(361p)』

 そもそも、ヨーロッパが育んだ風土・思想・宗教とはいかなるものだったのだろうか。

『われわれは西洋的なヒューマニズムの発生の根源が、孤独と絶望と断念の思想に接していることを知らなければならない。孤独のないところには、人間相互の高度の理解というものも生まれないのである。したたかな自己象徴のせめぎ合う世界にしか、たくましい自己犠牲の宗教が生まれるはずもないだろう。(270p)』

 そして神の死によってもたらされた精神の荒廃とはいかなるものか。

『「もうひとつの縦の垂直の軸」に頼って、すなわち自分の心の内部に問いかけるだけで、横の相対的な関係軸を捨てても安心して生きていける生き方の「型」のようなものだけはまだ残っている。けれども、残っているのは型であり、形式であり、ポーズだけであって、「垂直の軸」の上方には本来は「神」があるはずなのに、じつは何もなくぽっかり空洞があいているに過ぎないのではないか。(略)内心の神に許されたと称して、果てしなく堕落することが起こり得てくる。(285p)』

 再び問う。人は自由な存在なのかと。何ものからも自由であるなどということが果たして可能であろうかと。

『人間は一個人であれ、一民族であれ、この地球上に自分の条件を背負って存在している。障害を持って生まれた個人もあれば、資源や気象条件に恵まれない領土に住む民族もある。そこまで敢えて言わなくても、個人の生涯は彼がこの世に生を享けたときに八割方決定されていると言ってもいい。民族の歴史にしても同様である。しかし、二割から三割くらいはその後の努力に任されている。(349p)』

『人の心は希望の方にばかりどうしても傾く。自由の幅を二割から三割に、三割から四割に少しでも拡大する方法にばかり意を注ぐ。周りの環境もそれをしきりに応援する。しまいに錯覚が生じる。そして、もともと七、八割は最初から制約され、条件づけられていたのだという自らの宿命は、次第に忘れられてしまうのである。(349p)』

そして先生はさらに恐ろしい現実を直視する。それは人間にとって最大の不自由とは何かという問題である。

『山の中腹を切り拓いて開墾はできても、山を動かすことはできない。この場合、どうしても動かない山とは何か。それは自分というものである。弱いものも強いものも、才能のないものも、女性も男性も、誰しも自分というものの限界の中に生きている。(350p)』

『人間にとってどうにも解決のできない困難な相手は、社会的・政治的な課題ではなく、自分という存在に外ならない。自分ほど困った、厄介な相手はこの世にない。(351p)』

『一番手に負えないのは自分という存在である。自由を妨げているのは自分であって、自分の外にある社会的障害ではない。何度でも言っておくが、そのような自分と闘うことから真の自由が始まる。障害と闘うことはなんら自由を意味しない。(352p)』

『百人のうち九十九人が、悪いのは自分ではなく、社会の制度や仕組みに問題があるのだと、自分の外に敵を見つけ、「自由」の不足を恒常的に意識するように教育されてきた現代では、そもそも「自由」であることそれ自体が人間の悲劇であり、何人もそう容易に「自由」であることに耐えられはしない、と深く認識させのは、聖書ではないが、駱駝が針の孔を通るよりむつかしい。(360p)』

そんな人類が到達した世界観を先生はこう述べる。

『われわれの体制にももちろん巨大な悪がある。しかし1989年に人類は、そもそも最善の体制は存在しないので、最悪の体制よりは次善の体制を選ぶ、ということでついに合意を得たのではないかと私は考えている。(234P)』

『1989年のゴルバチョフによる幕引きのドラマは「近代的自由」の導入が理想として後に立つ最大の地域がまだ残ってはいたが、今度の事件で消滅し、このあと「近代的自由」は、最終的に勝利するのではなく、標的を失って、新しい試練に直面するであろう、ということを意味するのである。(323p)』

『共産主義のような偽の自由のイデオロギーにも惑わされず、他のいかなる心地よい理想にも幻影を抱かず、時間的にも空間的にも何もない地平に、そうと承知して生のつづく限り現在を静かに、冷静に立ち尽くしているということ-この単純なことが人間には簡単にできないのである。(739P)』

論文の末尾はこう結ばれている。

『光はいま私自身をも包んでいる。なぜなら、私は自由だからである。しかし、光の先には何もなく、光さえもないことが私には見える。なぜなら、自由であるというだけでは、人間は自由になれない存在だからである。(367p)』

 非常に視覚的な、その映像が目に浮かぶような文章である。これは虚無だろうか。否、私はただ、「現実を直視せよ」ということではないかと理解した。
本書において先生は、複雑極まりない人間のことを知ろうと思ったら、少なくとも若いときに大文学と格闘せよと書いている。まったくその通りだと思う。歴史も未来も、それを描くのはただ人間の営みだけである。人間がその内面に抱える底なしの沼のような闇、その悪を受け容れなければ人間理解など到底叶わないだろう。世にはびこる偽善とお為ごかしからは、真実は何も見えてこない。悲しいかな、すべての人間が自分で思考し、自分で判断することができるほどに、大衆の知性レベルは高くない。先生も指摘しているように、多くの国民は、何の批判精神もなく、疑うことも知らずに、新聞やテレビを通して伝えられる意見や映像を通してただぼんやりと流されていく。

 大衆の混迷は国家の混迷に直結するが、その根本にあるのは、世論を形成する知識人問題であると先生は訴える。国家も個人も、いざとなったらエゴイストになる覚悟が求められるのだ。きれい事と人の善意をあてにするだけのお人好しで、相手もきっとそうであろうなどという甘えは世界では通用しない。
共産主義の七十年にわたる壮大な実験と失敗とは一体何であったのかという問題は、この二十五年間私の中で常に付きまとっている問題だった。特にそれがついに終焉を向かえた瞬間に、同時代人としてそこに立ち会えたということは非常に大きかったと思う。

 ロシアの作曲家、ショスタコービッチの交響曲11番は、1905年1月9日の日曜日に勃発した「血の日曜日事件」への鎮魂歌である。極めて乱暴ないい方をしてしまえば、このときの皇帝に対する不信が、十二年後のロシア革命への狼煙となったといってもいい。1905年は明治三十八年にあたり、日露戦争が終結した年でもある。日本は当時戦況を有利にするための後方攪乱として、ロシアの蜂起陣営を支援していた。だから、もう一度乱暴ないい方を許してもらえるならば、ロシア革命においてわが国は、その実効性はともかくとして、革命側を側面援助したということになるのである。

 フランス革命という母親から、正統な嫡子としてのロシア革命が生まれたというというおとぎ話を真に受けている人は、その前史としての明治天皇制国家を守るための裏工作というエピソードを、どのように読み説くのだろうか。これすらも歴史の必然であると強弁するのだろうか。共産主義が、ブラックマンデー(世界恐慌)という敵失と、右翼による全体主義からの防波堤役を期待されたという二つの外部要素によって、幸運にも生きながらえたという指摘も今回初めて知ったことだった。
東西冷戦終結に伴う当然の帰結として、世界はグローバリゼーションの嵐に巻き込まれた。まさにわが国における労働移民問題とは、遠く二十五年前の世界史を揺るがせた大事件に端を発しているといっていいだろう。冒頭で三つの大きなテーマはそれぞれが独立しているのではなく、お互いが因果関係にあるといったのはそういうことである。

 本巻を私は、本に付箋を張り付けながら読み、その個所をノートに書き写していった。そのノートには、今回引用しなかった文章もあるが、その大学ノート十数頁の書き写しは、自家製超エッセンシャル版として、今後何度も目を通して行きたいと思う。かつてドラッガーを同じようにして読んだ、若い日のことを思い出した。

『西尾幹二全集 第十一巻自由の悲劇』(その二)

目 次

序に代えて ほら吹き男爵の死

Ⅰ 1989年
世界史の急転回と日本

Ⅱ 1789年
フランス革命観の訂正
侃侃諤諤、フランスの「自由」
勝利した「自由」こそ最大の悲劇

Ⅲ 共産主義の終焉
共産主義とは何だったのか
歴史の失敗と思想の失敗――東大五月祭での廣松渉氏との公開討論
ゴルバチョフが鄧小平になる日
ロシア革命、この大いなる無駄の罪と罰
ソ連消滅 ! 動きだす世界再編成と日本
動き出す世界再編成と日本
日本よ、孤立を恐れるな
フランス革命から天安門広場の流血へ
対中国外交をめぐる私の発言
天安門事件の直後に――日本の慎重外交に利あり
いまは天皇訪中の時期ではない
1970年代に見え始めていたイデオロギーの黄昏
小国はつねに正義か――小田実の論理破綻
不惑考――私が四十歳の頃

Ⅳ「再統一」に向かうドイツ人の不安な足踏み
1989年12月における私の見通し
ドイツ統一は今や時の勢い
消えてなくなるはずのない東独人の東独愛国主義
統一ドイツの十字架
旧共産圏の人々のGefühlsstau(感情のとどこおり)
ギュンター・グラスと大江健三郎の錯覚

Ⅴ 自由の悲劇
第一章 自由の衝撃
第二章 自由の混沌(カオス)
第三章 自由の教義(ドグマ)
第四章 自由の砂漠
第五章 自由の悲劇

Ⅵ 自らを省みて
政治家の顔
試される日本
日本人のなけなしの自我合意社会日本の落し穴
欧米の傲慢は外交を考える前提である
アングロサクソンの後始末をしている地球
ポール・ケネディ『大陸の興亡』を読む
空漠たる青年たち――「左翼のニーチェ主義化」(アラン・ブルーム)
教養の無力を知った時代

Ⅶ 難民時代と労働力
当節言論人の「自己」不在――猪口邦子氏と大沼保昭氏と
日本を米国型「多民族国家」にするな――石川好君、皮膚感覚で語る勿れ
人手不足は健全経済の証拠
外国人単純労働者受け入れは国を滅ぼす
受け入れ是非に米国の干渉を許すな――「ニューズウィーク」批判
外国人技能実習と指紋押捺全廃の問題点
元シンガポール大使に苦言を呈する

Ⅷ「労働鎖国」のすすめ(1989年)
第一章 労働者受け入れはヒューマニズムにならない
第二章 世界は「鎖国」に向かっている
第三章 知識人の「国際化コンプレックス」の愚かさ
第四章 日本は二十五億のアジアに呑み込まれる恐れがある
第五章  労働鎖国」で日本を守れ
あとがき
私の最後の警告――文庫版まえがき(1992年)

Ⅸ 新稿四篇
自民党「移民1〇〇〇万人」受け入れ案のイデオロギー(2008年)
外国人地方参政権 世界全図――中でもオランダとドイツの惨状(2010年)
中国人に対する「労働鎖国」のすすめ(2013年)
トークライブ「日本を移民国家にしていいのか」における私の発言(2014年)

追補
孤軍奮闘の人              長谷川三千子
『「労働鎖国」のすすめ』について       西部 邁 

後記

『西尾幹二全集 第十一巻自由の悲劇』(その一)

宮崎正弘氏のメルマガより

共産主義は大間違いの思想という根源を問う
  なぜ西側に共産主義残党が生き残り、マスコミは彼らを支持するのか?

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 かねてから不思議でならないのは、冷戦で西側が勝利したはずなのに、なぜ共産主義の残滓である中国が大国として躍進し、ソ連崩壊後のロシアが帝国主義の道を歩み、国際政治で巨きな発言力を維持しているのかということである。

 冷戦に勝利した筈の自由陣営に、なぜいまも共産主義を礼賛し、日本を貶めることに熱狂する左翼が残ることが出来たのだろうか不思議でならない。自由、民主の側の怠慢なのだろうか。

 いや、「自由」とはいったい何かの根源の哲学を問われているのではないのか。

 本巻で西尾幹二氏は、縦横無尽にこの難題に挑み、多角的に論じている。過去の作品のなかから「自由の悲劇」「労働鎖国のすすめ」「日本の不安」「日本の孤独」「たちすくむ日本」の五冊を基軸に編集されたもので、重厚な思想の書でもある。

 まず「ソ連型共産主義はまちがっていた」とする左翼人も、「マルクス主義は間違っていない」として、「これからの社会主義運動はマルクスの原典に立脚すべき」と言い出しかねない手合いがまだ日本にはごまんといて社会を攪乱している。

 西尾氏はこう書き出される。

 「日本では左翼と呼ばれる言論人も左翼政党も、ソ連型共産主義は否定してきた。しかし悪いのはスターリンであって、共産主義思想ではないと言い張っていた。歴史は失敗したが思想は失敗していない。じつはそういう言い遁れは二十年も前から準備されていた。『新左翼』と呼ばれた運動がそれである」。

 かれらは環境問題、南北格差、そして人権問題に潜入し、いまは沖縄や反原発にぞろぞろと蝟集し、時代遅れの主張をがなり立てて、それなりの付和雷同組を集めているし、左翼マスコミがまだ支援しているから始末に負えない。テレビ討論には聞くに堪えない言説をはくブンカジンがまだ大手を振って出演している。

 近未来に関して、西尾氏はかく予測されていた。
 

「共産主義体制の崩壊の後に、次第にはっきりと浮かび上がってくると予想される世界は、近代ヨーロッパの価値観が到るところで普遍と見なされる平板な世界ではなく、宗教、言語、人種、歴史の異質性が相互に主張され、相克しあう世界であろう。人類はイデオロギーの対立を克服し得ても、人種問題や宗教的信条から血を血で洗う葛藤を永遠に克服することはできないかもしれない」

「世界の新しい対立の構図はこのあたりから形成される可能性もある」

とした冷戦終結直後の氏の予想は、じつに正確に当たっている。

 ISILのテロ、旧ユーゴスラビアの地を血で洗う内戦、いまシリアでイエーメンで、そこら中で宗教対立、人種対立の紛争がつづいている。

 そして中国の近未来に関して次のように言われる。

 「暴力によって獲得した権力は、暴力によってしか維持できない。流血の惨劇に出会った人には気の毒だが、(天安門)事件はまことに単純きわまりない性格をもつ。中国もまた暴力革命を建国の起点にもつ国だ。中国がいまのソ連と同じように、中心の権力を死守するために、周辺の防衛戦を後退させる必要に迫られたとしたなら、やはり、周辺の国々の思惑など気にせず、好き勝手に行動するだろうから、東欧と同じような混乱と流血が起こるだろう。また逆にソ連が自分の経済や政治のシステムをなんとか能率的に切り替えようと努力しても、変えようのない宿痾を抱えているため、ある限界を超え、内乱状態が生じ」

るだろう、と不気味な中国とロシアの近未来を予測する。

 本巻では西尾氏が「共産主義の敗北をみとめず欺瞞的議論」を撒き散らす左翼の論客を次々と痛烈に批判している。
俎上にのせられたのは加藤周一、大江健三郎、小田実をはじめ、一見保守とみられる堺屋太一、大前研一、舛添要一らを切り、猪口邦子は「単純なおばかさん」、石川好は「無頼派を意気がっているひとに過ぎない」と一刀両断、大沼保昭、木村尚三郎、高畠通敏には「気味の悪さ」を感じたと言われる。さらに立花隆、加藤典洋、内田樹、加藤陽子、中島岳志、保阪正康、香山リカらは「加藤周一らの後続部隊」とみる。

 それにしても批判するからには、こういうオバかさんたちの著作を読まなければならないだろうが、西尾氏はじつに丹念に左翼陣営の著作を読み込んだ上で批判しているのである。根気強い人である。

 評者など、二、三ページ読んで当該書物を投げだした人たちで、丸山真男は『正真正銘の馬鹿』であり、読んでみて左まきのアホと判断してあとは立花も内田も保阪も、まるで読まない。ほかの人は中嶋岳志をのぞいて、名前も知らないし、読む時間が無駄と思われるような「論客」には付き合っている時間がもったいないと考えているから西尾氏の苦労は並大抵ではないだろうと推察するのである。

 いずれにしても、本書の基幹は共産主義が大間違いの思想という哲学的根源を問うものであり、冷戦に勝利したはずなのに、なぜ西側に共産主義残党が生き残り、マスコミは彼らを支持するのか? 

 この謎に思想的に重層的に挑戦した巻となっていて、ぎっしりと読み応えがある。
   

書評:昭和天皇 七つの謎 

書評:昭和天皇 七つの謎 加藤康男著(ワック・1600円+税)

評論家 西尾幹二

きわどい皇室の歴史に肉薄

 皇室の中心部、すなわち天皇の側近に国民の常識とかけ離れた異質な集団が入りこんだら恐ろしいことが起こる。ことに非常時においては国家の運命を左右しかねない。私はそういう不安をずっと抱いているが、本書の「七つの謎」のうち最重要の第3章「天皇周辺の赤いユダ」、第7章「皇居から聞こえる賛美歌」は戦中戦後に皇室を現実に襲った事件を論じ、日本民族を本当に危うくしたきわどい歴史に肉薄している。

 近衛内閣は支那事変の不拡大方針を表明していたがどうしても実行できなかった。軍の中枢に共産主義者がいて、計画的に支那事変を拡大し、日米戦争までもっていって日本を破壊し、敗戦後の共産革命を一挙に果たすと計画していたらどうなるか。関東軍司令官の梅津美治郎にその疑いがあった。近衛文麿の身辺にマルクス主義者を配置したのは彼である。近衛はゾルゲ・尾崎グループの謀略に乗せられたことに時を経て気づき、不明を恥じるが、終戦の決断を急ぐように陛下に上奏(じょうそう)した際、和紙8枚を陛下側近の木戸幸一に渡した。その日のうちに梅津の手に渡り、2ヶ月後に吉田茂以下の和平工作派が逮捕された。

 木戸幸一は「赤いユダ」の中心人物だった。ソ連との和平交渉役に木戸は身内の都留重人を立てた。都留はハーバート・ノーマンらと組んで戦後日本の共産化を企てた学者だ。「天皇の知らないところで木戸は共産主義者と手を結び、近衛を陥れた」

 皇室が危うくなったもう一つのドラマは戦後のキリスト教への改宗の危機である。宮内庁長官、幹部、侍従職、女官まで含め、皇室とその主だった周辺はクリスチャンだった。天皇はもとより皇居や各宮家も聖書研究会を催し、キリスト教に感化された。「マッカーサーの戦略」は着々と進んでいた。

 共産主義とキリスト教は根が一つで、民俗信仰の独自性を大切にする皇室の伝統とは相いれない。著者は通説を疑い、批判し、そこから先は言えないぎりぎりまで推理し、誰も書かなかった歴史の闇を切り拓(ひら)くことに成功した。

産経新聞6月7日 読書 この本と出会った より

 この書評はわずか800字という制約があったので、同書の主張の中の最も重要なポイントの一つを私は取り上げることができなかった。それはさきごろ刊行された『昭和天皇実録』への加藤氏の疑問である。

 加藤氏は『実録』をよく調べておられる。昭和天皇の事績の中で、当然記されるべきことが『実録』には記されてなかったり、詳しく書かれるべきことが略記されたりしている例を多数発見している。実録と称して実録ではないのではないか。人を欺く一面がありはしないか。

 あまりにも早く編纂刊行された『実録』にはある種の政治的動機が潜んでいはしないか。私は氏の疑問を正当な批判であると感じた。

 上記書評では言及できなかったので、読者の皆さんは同署の、とくに最終章に注目して読んでいただきたい。大変に重要な氏の洞察であると私は思う。

中国、この腐肉に群がるハイエナ(五)

 さしあたり大動乱が起こる兆しはもちろんまだない。AIIBにしても、世界銀行やIMFやアジア開発銀行と最初協調しようとするだろうし、日本やアメリカも監視役として内部にはいったほうがむしろいい、という声にも一理あり、六月末にもそうなるのかもしれない。それは政策論上の議論であって、思想の問題ではない。

 アメリカは外からであれ内からであれ、自分の望ましい方向にAIIBを変えて行くであろうし、アメリカがやらなければ日本が率先してそれをやらなくてはいけない。両国の参加または監視は、明白な意図を持つ中国の帝国主義的野望にとって必ずや邪魔になるだろう。中国が知的財産権無視、非法治主義、人権問題を改善せずに、この侭プレゼンスを高めていくことは許せないという気運は、共和党優位の米議会の大勢を占めるようになるであろう。近頃ではキッシンジャーやブレジンスキーのような反日親中の指導者たちですら中国非難の声を挙げるようになってきている。

 半世紀先は分からないが、経済の世界ではさし当たり十年はアメリカが独り勝ちで、中国は下降線を辿るばかりであると考えられている。中国経済はもう成長できないと見込まれている。国内が右にも左にも行かなくなっているのにグローバルに風呂敷を広げてもうまく行くはずはない。まずは内需を高め、消費を増やす方向に行かなくてはならないのに、いきなり海外展開、それも中国の自己都合で展開しようというのだから、外国との摩擦が生じ、国内経済にもマイナスに働くだろう。すでにミャンマーやスリランカやアフリカ諸国から、中国不評判の現地との摩擦はすでに多数報道されている。アメリカは必ずや大がかりな中国封じ込め政策――9・11同時多発テロ以前には手をつけていた――を再開するだろう。大統領選挙の行方も勿論これに大いに関係してくる。

 ただアメリカ民主党は過去において共産主義を理解し許容した兇状持ちである。このことに一言触れておきたい。

 中国に毛沢東政権を作るに任せたのは後に国務長官になったマーシャル将軍だった。毛沢東は確信的共産主義者ではなく、民衆のために働く「農地改革者」だという甘い触れ込みをアメリカに流布し、信じさせた。毛沢東によって中華人民共和国が成立したのを黙認していた早くも翌年に、中共軍が朝鮮半島に侵攻し、朝鮮動乱となって交戦を余儀なくされたのは、たしかにアメリカの手痛い誤算だったことは間違いない。けれどもそれを誤算だったと声を大にして、マーシャルの非を唱える人はほとんどいない。戦後の初期になぜ中国を共産主義者に譲り渡したのか、今日問われるべき価値のある重大な問いは、その後も久しく、そして今もなお、アメリカでは伏せられている。容共的進歩主義をムード的に歓迎するリベラリズムへの傾斜は日本だけでなく、アメリカをも席捲しているのである。それゆえ、AIIBの見え透いた虚偽は分かっていても、現代中国封じ込め政策が断固として行われるかどうかにはまだ疑問の余地がある。

 以上のような次第で、世界どこを見ても暗雲の晴れる場所はなく、各国迷走しているようにみえ、それがまたモンスターには絶好の機会を与えることになるが、大きなカネが動きそうな処にハイエナのように群がる国々を尻目に、日本はたとえ孤独でも、アメリカを主導して法治主義を知らない国の闇を取り払わなければなるまい。なぜなら戦前においてすでに共産主義の危険を知り尽くし、甘い迷妄からの脱却を国家方針として確立していたのはアメリカではなく、わが国であったからである。


「正論」6月号より

中国、この腐肉に群がるハイエナ(四)

 私はかつて、アメリカは超大国らしい振る舞いをしないのにまだ超大国のつもりでいて、行動と意識がずれていると書いたことがある(本誌平成二十六年五月号)。ウクライナの件でも、今度のAIIBの件でも、アメリカの失政が困難を招いている。最初ウクライナの反ロシアデモをアメリカが強力に支援したことがロシアの不安と不満を引き起こし、争乱になった。アメリカは資金と技術を中国に与え、長期にわたる元安政策を支え金満大国を作り上げておきながら、世界銀行やIMFやアジア開発銀行で力にふさわしい役割をこの国に与えなかった。アジアのインフラ開発の必要度が今や非常に高まっている時であるのにである。中国はうまくタイミングを掴んだといえる。諸国に広がるアメリカの高姿勢と不決断への不満をかき集めることに成功した。

 アメリカの失政というより、オバマの失敗である。シリアの開戦処理に彼が逡巡して、稚拙な残虐を誇示する「イスラム国」というテロ集団を引き出してしまい、制禦できずにいるのも、オバマの気質的無能に端を発している。加えて同盟国のヨーロッパ諸国の反アメリカ感情をまで呼び出してしまった。ロンドン・シティの新たな行動はわけても厄介である。

 超大国アメリカの衰弱とよくいわれる現象が背後にあるともみられるが、しかし別の目で見ると、そこには不気味な混沌、地球全体をいま揺さぶっている精神的無秩序の次第に大きくなる暗い広がりも感じられる。それはアメリカだけが原因ではない。経済のグローバル化、無制限に移動する資本、IT技術が可能にする巨大化した目に見えない金融の闇。国家を超える有効な機関が存在しない現代世界の無政府的状態は、中世末期の個人同士と同じように、国家と国家とが互いに対立し合い、相互に恐怖を感じ合う状態に近づいている。同盟を組んだり、毀したり、また新たに組んだり、そのうち大きなパワーとパワーが衝突することにもなるだろう。

 もともと近代とはイギリスの世紀のことであった。スペインが開いてイギリスが受け継ぎ、オランダ、フランスを圧倒して、アメリカに引き渡したのが近代史の大筋だ。そのイギリスの中核をなす王室は海賊と手を組んでいた。貧しい二流国家だったテューダー朝がスペインを破り、オランダに追い迫る過程で、カリブ海の奴隷貿易による利益が国運を決める役割において決定的だった。肝要な点はエリザベス女王が海賊の取引に最初から深く関与していたことだった。金銀満載の南米帰りの外国船を襲撃、掠奪してイギリス財政がささえられたので、女王はこの件でもつねに投資団の先頭に立って旗を振った。

 そういう時代だったといえばそれまでだが、第一次大戦まで地球を支配した英海軍による制海権なるものが、海賊の侠気と智謀と背徳に起源を発していたことはいくら強調してもし過ぎることはないだろう。

 追いつめられた野獣は何をするか分からない。私は、歴史はいま五百年前に戻りつつあるような気がしている。国家と国家が互いに恐怖を抱き始めている。地球上をほぼ隅なく劫略したのはイギリスだったことを忘れてはならない。そしてスパイと金融という得意分野はまた中国の得意分野でもあるのだ。

 一九九五年海部元首相が中国で江沢民主席と会ったときのことである。中国の核実験に日米ともに反対だと言ったら江沢民は、核兵器はアメリカが世界一だ。そういう国が反対だというのは「州の官吏は放火してもいいが、百姓は電灯もつけてはならないということか」とアメリカの言い分に食ってかかった。面白い喩え話ではある。海部氏は「それなら日本が電灯を点けても貴方は文句を言いませんね」とひとこと言い返せば見事なのに、彼にそんな度胸もないし、ユーモアもない。ひたすらへりくだって唯一の被爆国の悲願とか何とか言い「ぜひ中国は懐の深さを示してもらいたい」と言うばかりであった、と当時の新聞が伝えている。

 江沢民の心意気は私には分からぬではない。欧米に包囲され追い込まれた昔の日本の苦境を思い出させるからである。彼の意気盛んで己を恃む態度は、ワシントン会議から開戦までの日本に一脈通じているように思える。そして私は、中国はこのまま侭いけばいつかアメリカと正面衝突するな、とそのとき思った。 

 いまの世界には中心点がなく、ばら撒かれているいくつもの力点が揺れ動き、衝突し合っている。どの国も成算がなく、予測が立たなくなっている。

つづく
「正論」6月号より

中国、この腐肉に群がるハイエナ(三)

 ロシアに猛威を感じても中国には感じないヨーロッパ諸国は、他方では強過ぎるドルを抑えこみたいという一貫した政策を持ちつづけている。そもそもEUの成立が、ひところ世界のGDPの四割を占めた日米経済同盟に対する危機感に発していた。湾岸戦争もドルに対するユーロの挑戦という一面があった。ギリシアの混乱以降、ユーロが基軸通貨としてドルへの対抗力とはなり得ないことが判明して、他に頼るべき術もなく、人民元を利用しようとなったのだ。ルーブルを強くするのはヨーロッパにとっては不利だが、人民元なら怖くない。それに日本がアジアへの投資において、日本が得意の総合総社のパワーで自由自在であるのを見て、ヨーロッパ諸国は、元植民地支配者の流儀が今や通用せず、すっかり立ち遅れているので、中国の申し出は渡りに舟でもあった。

 中国の力を味方につけて中露分断を図り、ロシアの力を少しでも抑止したいのがヨーロッパの政治的欲求であることはすでに述べた。遠い国と結んで近い国を抑えるのは古代の昔から不易の法則で、安倍政権がロシアへの接近を企てているのも――ウクライナ紛争でいま中断しているが――、北方領土のせいだけでなく、中国を牽制したいと考えるからであろう。アメリカにこの点を理解させるのが日本外交の要点である。いま経済的にロシアは困窮している。積年の問題を解決するチャンスではないか。北朝鮮にロシアが力を貸し始めているので、拉致の問題でも突破口となる可能性はある。ロシアと敵対しているアメリカをどう説き伏せるかに成否はかかっていよう。

 ヨーロッパは経済的に日米から、政治的にロシアからずっと久しく圧力を感じつづけていて、そこからどう自由になるかが政策のモチーフとなり勝ちである。AIIBへの彼らの参加はそう考えると分かり易い。日米ほどに抵抗がない理由はここにあると思うが、しかしそれなら共産主義の解消の問題、「ベルリンの壁」がまだアジアでは存続しているあの歴史への責任問題をヨーロッパではどう考えているのか、という疑念が強く浮かび上がってくる。とりわけイギリスが率先して加盟に動いた事実は日本人にとって、ことに保守層の日本人にとって小さくない衝撃であった。明治以来イギリスがヨーロッパ文明の代表である時代はずっとつづいていた。今でもまだその基調は変わっていないと思われてきた。しかし何か変だ、と今度初めて感じる人も出てきたと思う。

 私見では、イギリスは国際情報力と金融業以外になにもない、生産力を失った弱い国になったことに真因があると思われる。イギリスは追い詰められている。スコットランドにあわや逃げられかかったあの一件が象徴的である。もし国民投票が通っていたら、国名もイングランドとなり、国連の今の地位も失って、二流国に転落したであろう。

 イギリスとアメリカはつねに利喜の一致する兄弟国ではなかった。一九三九年まで日本政府も「英米可分」と判断していた。しかし第一次大戦で疲弊したイギリスは、その頃も何かにつけアメリカを楯に利用するしかなく、第二次大戦にアメリカを誘い込むために謀略の限りを尽くしたことはよく知られている。この知謀の国はまた何かを企んでいる。

 国際金融の世界では「タックスヘイブン」とか「オフショア」とかいう巨額脱税の一種の・いかさま・が実在していることはよく知られていよう。アメリカはそれを解消しようとしたが、表向きで、一部の州で企業に有利な法体系や特定の人への税の優遇措置が認められている。アメリカはそれでも不公正な闇に批判的ではあるのだが、イギリスはそうではない。国家ぐるみの大規模なアングラ・マネー隠しの構造を死守しようとしてきた。金融立国イギリスの中心地シティがその役割を果たす場所である。
 
 「世界のマネーストック(通貨残高)」の半分はオフショアを経由している」とか、「外国直接投資総額の約三〇%がタックスヘイブンを経由している」とか、そういう証言を読む度にただただ驚かされるが、ヴァージン島とかキプロスとかケイマン諸島といった地名も近年では新聞紙上に瀕出するようになった。そのいわばグローバル金融のハブがロンドンのシティなのである。シティは二〇〇八年のデータで、国際的な株式取引の半分、ユーロ債取引の七〇%、国際的な新規株式公開の五五%を占めている、等の記述を関連文書の中に見ると、世界の経済がどこで誰によってどのように動かされているのか、私ごときには謎が深まるばかりで、じつに息苦しい。

 冷戦体制下に繁栄をきわめていたタックスヘイブンの運営は、国際的な反対運動の力もあって次第に難しくなり、富裕層が頼みとするスイスの金融業が批判にさらされ一部危うくなった等のニュースは私もたびたび耳にする。シティもまたオフショア金融センターとしての機能を次第に失いつつあるといわれる。ただしシティはイギリスにとっては「国家の中のもう一つの国家」といわわれるほど大きな存在で、自治区として中世以来の特権的立場を認められ、なにびとも指を触れることのできないイギリス財政の聖域であった。これが危殆に瀕していることはこの国の生存に関わるであろう。何とかしたいというのがイギリス政治の必死の思いであることは分からぬではない。

 けれども、イギリス金融業界が目をつけたのがこともあろうに中国との連携であったのはただの驚きではすまないように思える。シティは人民元取引のセンターとなることにより、凋落しかけたその立場を復活させようというのが狙いであろうが、これはドル基軸通貨体制への挑戦であろう。ブレトンウッズ体制を覆す引き金にならないとも限らないではないか。アメリカが衝撃を受けたのは余りにも当然である。しかもキャメロン首相率いる保守党政権が企てたのだ。

 アメリカと対決する中国がなり振りかまわずイギリスを必要とするのは当然であるが、イギリスが腐敗して崩れかけたモンスター国家に飛びつくのは理解できない。そこまでこの国は追い込まれ、零落したのだろうか。それとも中国の明日にも知れぬ経済破綻についての情報が届いていないのだろうか。というよりここ数年ではなく国家百年の計に賭けた歴史的取り組みだというのだろうか。人口十三億は二百年来の世界貿易の垂涎の時だったが、やはりそういうことだろうか。
 それにしても、と私は言いたい。イギリスはじめ西欧諸国はナチスの全体主義と闘い、戦後はソ連のスターリ二ズムに耐え抜いて、やっと「近代的自由」を手に入れたはずだった。習近平が何を企てているかが見えてないはずはあるまい。歴史に逆行するこの見境いのない選択は、余りといえば余りのヨーロッパ人の倫理的気質の喪失でなくて何であろう。

つづく
「正論」6月号より