平成30年の年賀状

賀正

 現代世界の諸問題に囚われ過ぎて生きることは人間の弱点かもしれないと思うようになった。私は現代を研究する二つの勉強会を主宰し、月刊言論誌九冊の寄贈を受け、新聞やネットの方面も気懸かりで、家の中は到来する本を山積みにした気の利かない古書店のように乱雑である。

 耳がまだ聞こえるうちに少しでも良い音楽を聴いて死にたいと名演奏家を世界の涯てまで追いかけていた法律家の友人が四月死亡した。私は眼がまだ見えるうちに入るので、何とかパウル・ドイセンの『ヴェーダ・ウパニシャッド60篇』を読み込みたいと祈願している。これは金沢大で宗教哲学を教えていた友人が、ショーペンハウアーとニーチェを結んだドイセンの大業に直接に触れずしてどうして君は死ねるのか、とオランダで入手したドイツ語原本(第二版1905年)を私に寄贈してくれたものだ。一年前にその友も亡くなった。吉祥寺で二人で食事をした店の前を昨日も私は漫然と歩いていた。

平成30年 元旦  西尾幹二

全集の最新刊(三)

宮崎正弘氏書評 第十八巻『国民の歴史』
 あの強烈な、衝撃的刊行から二十年を閲して、読み返してみた
  歴史学界に若手が現れ、左翼史観は古色蒼然と退場間近だが

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西尾幹二全集 第十八巻『国民の歴史』(国書刊行会)
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 版元から配達されてきたのは師走後半、たまたま評者(宮崎)はキューバの旅先にあった。帰国後、雑務に追われ、開梱したのはさらに数日後、表題をみて「あっ」と小さく唸った。
 二十年近く前、西尾氏の『国民の歴史』が刊行され、大ベストセラーとなって世に迎えられ、この本への称賛も多かったが、批判、痛罵も左翼歴史家から起こった。
初版が平成11年10月30日、これは一つの社会的事件でもあった。もちろん、評者、初版本を持っている。本棚から、ちょっと埃をかぶった初版本を取り出して、全集と比較するわけでもないが、今回の全集に収録されたのは、その後、上下二冊の文庫本となって文春からでた「決定版」のほうに準拠する。それゆえ新しく柏原竜一、中西輝政、田中英道氏らの解説が加えられている。

 初読は、したがって二十年近く前であり、いまとなってはかなり記憶が希釈化しているのは、印象が薄いからではない。その後にでた西尾さんの『江戸のダイナミズム』の衝撃と感動があまりにも大きく強烈だったため、『国民の歴史』が視界から霞んでしまった所為である。
 というわけで、正月休みを利用して三日間かけて、じっくりと再読した。こういう浩瀚な書籍は旅行鞄につめるか、連休を利用するしかない。
 そしてページを追うごとに、改めての新発見、次々と傍線を引いてゆくのだが、赤のマーカーで印をつけながら読んでいくと、いつしか本書は傍線だらけとなって呆然となった。

 戦後日本の論壇が左翼の偽知識人にすっかり乗っ取られてきたように、歴史学界もまた、左巻きのボスが牛耳っていた。政治学を丸山某が、経済論壇を大内某が、おおきな顔で威張っていた。それらの歴史解釈はマルクス主義にもとづく階級史観、共産主義の進歩が歴史だという不思議な思い込みがあり、かれらが勝手に作った「原則」から外れると「業界」から干されるという掟が、目に見えなくても存在していた。
 縄文文明を軽視し、稲作は華南から朝鮮半島を経てやってきた、漢字を日本は中国から学び、したがって日本文明はシナの亜流だと、いまから見れば信じられないような虚偽を教えてきた。
 『国民の歴史』は、そうした迷妄への挑戦であった。
だから強い反作用も伴った社会的事件なのだ。
 縄文時代のロマンから氏の歴史講座は始められるが、これは「沈黙の一万年」と比喩されつつ、豊かなヴィーナスのような土偶、独特な芸術としての高みを述べられる。
 評者はキプロスの歴史博物館で、ふくよかなヴィーナスの土偶をみたことがあるが、たしかに日本の縄文と似ている。
遅ればせながら評者、昨年ようやくにして三内丸山遺跡と亀岡遺跡を訪れる機会をえた。弥生式の吉野ケ里でみた「近代」の匂いはなく、しかも発見された人骨には刀傷も槍の痕跡もなく、戦争が数千年の長き見わたって存在しなかった縄文の平和な日々という史実を語っている。
 魏の倭人伝なるは、取るに足らないものでしかなく、邪馬台国とか卑弥呼とかを過大評価で取り上げる歴史学者の質を疑うという意味で大いに賛成である。
 すなわち「わが祖先の歴史の始原を古代中国文明のいわば附録のように扱う悪しき習慣は戦後に始まり、哀れにも今もって克服できない歴史学界の陥っている最大の宿唖」なのである。
「皇国史観の裏返しが『自己本位』の精神をまでも失った自虐史観である悲劇は、古代史においてこそ頂点に達している」(全集版 102p)

 西尾氏は中国と日本との関係に言語体系の文脈から斬りこむ。
 「古代の日本は、アジアの国でできない極めて特異なことをやってのけた、たったひとつの国である。それは中国の文字を日本語読みし、日本語そのものはまったく変えない。中国語として読むのではなくて日本語としてこれを読み、それでいながらしかもなお、内容豊かな中国古代の古典の世界や宗教や法律の読解をどこまでも維持する。これは決然たる意志であった」(92p)

 「江戸時代に日本は経済的にも中国を凌駕し、外交関係を絶って、北京政府を黙殺し続けていた事実を忘れてはならない」(39p)。

 こうして古代史からシナ大陸との接触、遣唐使派遣中止へといたる過程を通年史風ではなく、独自のカテゴリー的仕分けから論じている。

 最後の日本とドイツの比較に関しても、ほかの西尾氏の諸作論文でおなじみのことだが、ドイツのヴァイツゼッカー元大統領の偽善(ナチスが悪く、ドイツ国民も犠牲者だという言い逃れで賠償を逃げた)の発想の源流がヤスパースの論考にあり、またハイデッカーへの批判は、西尾氏がニーチェ研究の第一人者であるだけに、うまく整理されていて大いに納得ができた。
 蛇足だが、本巻に挿入された「月報」も堤尭、三好範英、宮脇淳子、呉善花の四氏が四様に個人的な西尾評を寄せていて、皆さん知り合いなので「あ、そういう因縁があるのか」とそれぞれを興味深く、面白く読んだ。
 三日がかりの読書となって、目を休めるために散歩にでることにした。

謹賀新年 ―知性の暗闇にとり巻かれて戦っていた過去をあらためて発見して―  平成30年(2018年)元旦

 年末に嬉しいメッセージの記された一枚のお葉書をいたゞきました。

 「全集第18巻『国民の歴史』が届きました。単行本・文庫本を読み、今回3度目となります。先生とご面識を得ることができた大切な本でもあります。」(浅野正美氏、坦々塾事務局長)

 他の方からも、全集の新鮮なページをめくってあらためて『国民の歴史』をもう一度最初から読み直してみたい、という希望を告げた葉書と電話を受け取りました。そこで、同じ希望を持つ方に、今度の全集版の刊行によって初めて発見された同書の本当の壁の存在を、以下の2点において、お示しすることが出来ると思いました。

 「壁の存在」と言ったのは「敵の正体」と言い換えてもいいでしょう。

 (1)は『国民の歴史』の3「世界最古の縄文土器文明」の冒頭部分(52~58ページ)です。日本列島に50万年前に「原人」がいたという考古学上の大詐欺事件がありました。高森遺跡の名で知られています。有名な事件だったので覚えている方も多いでしょう。

 当時の歴史学上の著作はみなこれを記した部分を削除して公刊し直しましたが、私は削除しませんでした。事件発覚後も同じ文章で押し通しました。詐欺の発覚後にも私はちゃんと通用する文章を書いていたからです。

 とにかくこの数ページを全集版で読んで下さい。ご自分の目で確かめて下さい。わが国の歴史学者との差は歴然と明るみに出されました。『国民の歴史』の最大の敵は日本歴史学会の関係者の知性のレベルの低さそのものです。

 (2)次は一冊の終りの方、今度新しく書かれた「後記」の終りの方に「歴史学研究会」という聞きなれぬ会の名を見ることが出来るでしょう(763ページ)。これは日本史学者に限らず、すべての歴史研究に携わる日本の学者を統合的に集めたいわゆる強制的に形成された戦後の組織です。

 この会の存在を今度私は初めて知りました。思想の自由を剥奪した恐るべき組織の名です。このページを読んで下さい。戦後歴史に関する日本のすべてのまともな活動が何によって抑止され、圧殺されていたかが分るでしょう。教科書問題はそのほんの一例です。『国民の歴史』はそもそも何にぶつかっていたのでしょうか。

 (1)と(2)はタイプと内容を異にしていますが、同じ溝にはまった知性の衰弱と国家の敗北がいつまでも尾を引く暗愚の根の深さをいかんなく共通して示しています。尚、「歴史学研究会」のことを私に教えてくれたのは坦々塾のメンバーのお一人である、歴史学者の石部勝彦氏です。あらためて御礼申し上げます。

 『国民の歴史』をもう一度読んでみようとやおら腰を上げて下さる人が一人でも増えることを祈念してやみません。

 その際、全集の刊行によって初めて発見された上記2点を忘れないで下さい。私自身、同書を書いているときには、まさかこういうレベルの知性の暗闇に取り巻かれているとは夢にも考えていないことだったのです。

 これでは良くなるはずの歴史教科書も良くならないはずです。尚、全集の『国民の歴史』には巻末に多数の関係論文が付録として併載されていて、同書の新しい魅力となっていると信じます。次の目次でこの点もご注目下さい。

 目 次

 まえがき 歴史とは何か

1…一文明圏としての日本列島
2…時代区分について
3…世界最古の縄文土器文明
4…稲作文化を担ったのは弥生人ではない
5…日本語確立への苦闘
6…神話と歴史
7…魏志倭人伝は歴史資料に値しない
8…王権の根拠――日本の天皇と中国の皇帝
9…漢の時代におこっていた明治維新
10…奈良の都は長安に似ていなかった
11…平安京の落日と中世ヨーロッパ
12…中国から離れるタイミングのよさ――遣唐使廃止
13…縄文火焔土器、運慶、葛飾北斎
14…「世界史」はモンゴル帝国から始まった
15…西欧の野望・地球分割計画
16…秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか
17…GODを「神」と訳した間違い
18…鎖国は本当にあったのか
19…優越していた東アジアとアヘン戦争
20…トルデシリャス条約、万国公法、国際連盟、ニュルンベルク裁判
21…西洋の革命より革命的であった明治維新
22…教育立国の背景
23…朝鮮はなぜ眠りつづけたのか
24…アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その一)
25…アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その二)
26…日本の戦争の孤独さ
27…終戦の日
28…日本が敗れたのは「戦後の戦争」である
29…大正教養主義と戦後進歩主義
30…冷戦の推移におどらされた自民党政治
31…現代日本における学問の危機
32…私はいま日韓問題をどう考えているか
33…ホロコーストと戦争犯罪
34…人は自由に耐えられるか

 原書あとがき

 参考文献一覧
文庫版付論1 自画像を描けない日本人――「本来的自己」の発見のために――
文庫版付論2 『国民の歴史』という本の歴史
追補一 『国民の歴史』刊行直後に書かれた一読者の感想…柏原竜一
追補二 古代とは何か――西尾幹二著『国民の歴史』に触れながら…小路田泰直
追補三 あれから二十年――『国民の歴史』の先駆性…田中英道
後 記