年末のお知らせ――講演の始末、その他

 12月8日の私の講演「大東亜戦争の文明論的意義を考える――父祖の視座から」について、ご所見をお寄せ下さる人が多数にのぼり深謝にたえません。その後あの講演を文字化し、プリントして、自ら再検証した処、話はあちこちに飛び、論旨に不明なところもあり、赤面の至りでした。聴き手の皆さまにご迷惑をお掛けしたと痛感しています。あんな不完全なスピーチからよく本意を汲み取ろうとして下さったと、申し訳なく思っております。

 そこでご報告します。あの講演は400字詰で120枚ありました。三分割し30枚論文を三篇作成し、『正論』2月号(12月25日発売)から「『天皇』と『人類』の対決――大東亜戦争の文明論的動因」(上)(中)(下)と題して掲載します。余計な処を削除し、新しい表現も加え、筋を明確に辿れるものに新装いたしますので、あらためて読んで下さい。

 加えて、日本文化チャンネル桜の私の「GHQ焚書図書開封」の時間帯に、同講演をやはり三回に分けて放映いたします。放映日は1月8日、22日、2月5日で、いずれも翌日にはYou Tubeにあがります。

 これらに伴い、私の『正論』連載「戦争史観の転換」と日本文化チャンネル桜の「GHQ焚書図書開封」通常番組は、その間休止させていただきます。いずれもしっかり連載の準備の勉強をしたいという思いからであり、急がず慌てず、前へ着実に進めるための一助になろうかと考えています。

 「GHQ焚書図書」⑧『日米百年戦争』はご好評をいただいていますが、今後の計画は、来年中に⑨『対日石油禁輸と経済封鎖の真相』、ならびに⑩『水戸学物語』です。

 『WiLL』1月号の六人座談会の「柳条湖事件の日本軍犯行説を疑う」後篇が当然2月号に期待されたはずですが、出ていません。私にもまだ不掲載の編集部からの理由説明は届いていません。残念ながら「遺憾」としか申し上げられないのが現段階です。

ご講演を拝聴して

感想文 坦々塾会員 阿由葉秀峰

最初から些細な私事で恐縮ですが、当日グランドヒル市ヶ谷に行く前に、開戦記念日ということもあり、靖国神社に参拝申し上げました。参道脇の賑やかな骨董市を横目に拝殿へと向かったのですが、若者の参拝者が多いことに驚きました。参拝の後に中門鳥居の前で、「GHQ焚書図書開封第8巻」と境内を一緒に写真に収めようとしている方を見て、あのひとも同じく講演会に行かれるのだろうか・・・、と思いつつ声はかけませんでした。

ご講演の導入として先生は、「歴史には過去に何かが仕掛けられている。」として、今日の日本は100年前とさほど変っていない、と仰いました。

欧米諸国は領土問題で好意を示す一方、政府が国内の右傾化を煽り、紛争を意図的に惹き起こす意図があるなどと疑っています。明らかに被害を被り続けているというのに、とんでもない無理解ぶりです。

中国の分からず屋ぶりと、利益を掠めつつ逃げ腰な欧米と、不利で孤独な日本、という関係は100年前の繰り返しです。

中国はここ5年ほどでアメリカまでも脅かすほどの猛烈な力を付けましたが、日本の力は不在のままです。韓国は日本から経済や技術の支援を散々受けておきながら、国民が衰頽しているのに日本を貶める外交に力を入れて、まさに中国が裏で操って朝鮮半島という刃物を日本列島の脇腹に突き付けているような状況です。

第一次世界大戦後のパリ講和会議で人種差別撤廃提案を強引に否決とした時のように、近い将来再び日本は正当なことを要求しても不合理な仕打ちを受けないとも限りません。当時日本は異民族ながら国際社会で尽力したけれど、欧米は「反共」ではなく「反日」を選んだのです。

ただし、当時の日本は孤独な立場であっても、毅然としていて、恐怖と不安に押しつぶされず果敢に困難に立向いました。

日本をさんざんに利用しておきながら、追い詰めて虐める。国際連盟からの脱退は、国際社会からの孤立ではなく、単なるアングロサクソンの利権のための同好会に見切りをつけた寧ろ毅然とした行為でした。

ところが今の日本人は終戦までの日本の孤独と悔しさを理解しません。歴史学会は言うに及ばず、保守系とされる知識人でさえも片目は日本、もう片目はGHQの視点です。日本の歴史を語るのにアメリカの視点、立場など交える必要などありません。

東京裁判で、日本がアメリカの多くの行為はハーグ陸戦条約違反であることを訴えたら、アメリカは17世紀オランダの法学者、フーゴー・グローティウスを引合いに出し、「人類」への非道に対して日本の戦争責任への裁き、という「自然法」的な概念を持ち出しました。そんなものが出鱈目である証拠に、アメリカで当時公然と行われていた白人が黒人に対しての苛烈なリンチ刑、今日であれば、チベットやウイグルなどへの中国の残虐行為など、国際的に裁かれるべき非道はいくらでもありますが、あれらはどうなのでしょうか。欧米が胡散臭い「人類」などと言い出す時は必ず利己心や、国益のため、と見てよいのでしょう。昔も今も変わらず利己心のためのレトリックには臆面もありません。

いっぽうの終戦までの日本ですが、130万部のベストセラー、軍神杉本五郎中佐の「大義」は、たいへんな共感を持たれて国民に読まれていたとことと思います。

義公水戸光圀からおよそ300年間にわたり国体思想の研究が行なわれ、民族滅亡の危機が身近に迫った「終戦間近」にこそ、それまでよりもより多くの国民の精神に「国体」「大義名分論」が沁みて、昇華していたのではないかと思います。

杉本中佐の「大義」は、後期水戸学に繋がっています。「大義名分」は日本発祥、後期水戸学の思想だからです。

水戸藩二代目藩主、光圀公に始まる水戸学は藩の四分の一もの予算を投じて17世紀後半、彰考館において「紀伝、志表、十志、五表、論賛」の編纂をはじめました。「大日本史」の完成は明治39年と、249年も費やしているのだから驚きです。

光圀公の没後、およそ80年もの空白の後、18世紀後半の古着屋の商人から生まれた早熟の天才、藤田幽谷の後期水戸学に到って、国風の思想「国体」として熟したようで、「大義名分」は幽谷18歳の著作「正名論」からの出自だそうです。先生は漢心の影響の強い初期水戸学で判断せず、後期水戸学にこそ目を向けるべきと説かれました。

先生は、神童で夭折のモーツァルトと幽谷は同時代と補足されましたが、GHQによる断絶が無ければ水戸学の研究は継続され、誰もが知る重要な日本の古典、クラシックに位置づけられていたのかも知れません。

さらに早熟の天才といえば、先生が「江戸のダイナミズム」で紹介された、18世紀前半に文献学的な考え方をヨーロッパとほぼ同時期寧ろ早くに展開した、大坂のやはり商人の生れで夭折の冨永仲基が思い出されます。

戦後、GHQの指示により学校の教科書も墨塗りされて、先生の「GHQ焚書図書開封」シリーズで紹介されているとおり、欧米の侵略や、国体にかかる内容の書籍など、およそ七千種もの書籍が焚書処分となり、「萬世一系の皇統を肇国にいただく国体の為に英霊たちが散華した真意」もすっかり理解できなくなってしまった。挙句には、彼らは軍の強要した国体思想に洗脳され徒死したと、貶し嘲弄される始末です。

私たちの父祖の戦時中の心意が理解できない、という今の日本はまったく酷いというほかありません。

思えば最初の共産主義国家、ソヴィエト連邦などは膨大な犠牲を払いつつ結局100年も持ちませんでした。残っているのは、迷惑で危険な全体主義国家だけです。

西尾先生は、平成に入ってからでしょうか、全体主義国家の非情、犯罪性をさかんに訴え続けられました。その糾弾が一体誰に向けていたのかといえば、もはや主人の居ないコミンテルンの亡霊に魂を踊らされている、多くの日本人及び全共闘世代に対してではなかったかと思います。

しかし、彼らは主人を中国共産党や朝鮮半島2国に師匠替えして、ついには一時ではありましたが政権を担うまでになってしまった。

いったい主義や思想で、国家など創れるものなのでしょうか。共産主義思想など、歴史は浅いのですが、しかし麻薬のような力はあり熱狂し易いようで、一旦体内に摂り入れると、暫く後に拒絶反応を示し自らを滅ぼし始め、遂には崩壊します。

そんな亡国の思想を日本の財政、歴史及び教育界などなどの中枢が未だに後生大事にしています。

ご講演の冒頭に戻りますが、「歴史に仕掛けられたもの」というのは、じつは日本人の深層心理下に備っている「国体の本義」なのではないかと思いました。

だからこそ、ひとたび国難が襲えば、幕末期や終戦迄、戦後の経済復興も若しかしたらそうかもしれませんが、国民は烈しい変革に曝されても正気を失わず、欧米中心の秩序を変えてしまう程の劇的な行動がとれるのです。そしてその鍵はまさに水戸学、特に後期水戸学にあると思いました。

冒頭のお話で、天皇陛下、皇后陛下のお姿がどこか哀しくみえるとも仰いましたが、それは今の国民が大義を見失っているからなのかもしれません。

失ったものは取り戻さなければいけませんが、そのための苦難は長く続いています。感想文の最後として、単行本「教育と自由」を拝読したときから私の頭を離れない、全集第8巻からの箴言を引用させていただきます。

「真実の認識、絶望的なその困難に面と向かわないでいる限り、半歩の前進もじつは望めまい。壁の厚さを知る者だけが、たとえ小さな穴でもよい。実際に穴のあく鑿(のみ)の振るい方を心得ている。」582頁上段

水戸学も80年もの空白期間(終戦から今日より長い)があり、寧ろ藤田幽谷の後期から劇的に昇華したとのことで、12月8日のまさに開戦記念日の先生のご講演が終戦後の空白からの萌芽であったとも思います。

素晴らしいご講演を拝聴させて頂き、心より感謝申し上げます。

「戦後から戦前を見ている」という意味(講演会まとめ)

――大東亜戦争の文明論的意義から――

坦々塾会員 伊藤悠可

 三時間に及ぶ講演はまたたく間に過ぎました。傍観をゆるさない言葉の力は西尾幹二先生特有のものですが、この日は特に胸に響きました。自分自身の問題として考えなければならず、部外者面ができない話がいくつも含まれていたからです。

 展開は世界と日本、前後二つのフレームを用意され、第一次大戦後の遠い過去に罠を仕掛けた欧米と、民族の地熱によって近代的自我に目覚めた日本との文明的攻防の歴史をたどるというかたちを採られました。尖閣や慰安婦問題における不快と忍耐は、国際連盟成立時の英米の不可解な立ち回りからして、百年前と殆ど変わっていない事実を示されました。

 しかし、狡猾、悪事、詐術にさいなまれながら、それを撥ね除け孤独な戦いをしなければならなかった歴史の運命を知り、危急において民族使命を恢復させた跡をたどり、わが国がこれからも、どのような信仰を得てどのように真実を追求していくべきか、という点が重要であるとして講演は進められました。このことはとりもなおさず、現下の日本人に投げかけられた命題にほかなりません。

 人道や平和の守護者のような顔をして勝手な振る舞いをしてきたアメリカに、“人類の概念”を吹き込んだ「国際法」の誕生があること。翻って、わが国が孤塁を守るのではなく高い理想を掲げて世界を相手に戦えたのは、国体思想の礎をつくった水戸学が原動力であったこと。

これらを詳説されたことによって、改めて大東亜戦争に至るまでの彼我の足跡と交点がはっきり見えてきたのですが、ここでは私が急所と思われる一点に絞って考えを述べたいと思います。

 同講演を告知するリード文にも挿入しましたが、西尾先生がしばしば、洩らしておられた数多ある戦争論や昭和史に対する感想。それは「戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るということをしていない」というものです。これを聞いた人はたくさんいるはずです。けれど、私は正直何を言っておられるのか、長い間わからなかった。

 ――現代は戦争からとうに遠ざかった戦後である、その戦後を生きている人間があの戦争を論じる場合、当然戦後から戦前を見るということにならざるを得ない。戦前の人の目で戦前を見るというのは不可能である。一知半解で済ませるのは居心地が悪い。いったん棚に上げておこうとということで、そのまま卸せないできた。とにかくこんなに平易な言葉でこんなに不明になるとは解せない。

 こうして放っておいたのですが、講演の後段ではたと悟るところがありました。「戦後から戦前を見ていて、戦前から戦前を見ようとしない」ひとつの例として、長谷川三千子氏の『神やぶれたまはず』を挙げられました。この夏に上梓され保守層読者の間で話題になっている書です。

 タイトルは折口信夫が終戦直後に書いた詩「神 やぶれたまふ」に対するものであり、「昭和二十年八月十五日正午」という副題をみても、〈終戦〉を核にした論考であることは広告ですぐわかりました。購入し折口信夫、橋川文三、桶谷秀昭、太宰治と読み進めたところでした。私の知人の一人もまた賞賛していました。どこに感銘したのかと問うと、「終戦の日のあの瞬間、日本人が立ち返るべき特別の瞬間ということを教えてくれている」と言います。私より少し上の長谷川氏と同じ戦後生まれですが、終戦の日の追憶に深く共感したのでしょうか。

 例えば、終戦の詔勅を聴いてとどめた河上徹太郎氏の有名な一節があります。記憶している人もあるでしょう。「それは、八月十五日の御放送の直後の、あのシーンとした国民の心の一瞬である。理屈をいひ出したのは十六日以降である」。これについて長谷川氏はこう書くのです。―――「あのシーンとした国民の心の一瞬」といふ河上徹太郎氏のこの言ひ方は、舌足らずのやうでゐて、その「言葉にならぬ」絶対的な瞬間の相貌をよくとらへてゐる。

 終戦の日のあの瞬間。全論考が玉音放送とその関連で書かれているわけではありませんが、〈特別の瞬間〉に対する静かな、そしてたしかな視線を注いだ、或いは注ぎ直して紡いだ長谷川氏の熱い思いであることはまちがいないでしょう。死を覚悟して散っていった人たちへの鎮魂の気持ちが込められていると言ってもよいものです。しかし、私は知人が共感したほどに感銘はしませんでした。立ち止まった保守知識人から出てくる〈情感の完成形〉を感じるのです。

 講師もまたこの書を認めません。これを是としない語調は強いものでした。先生の発言をやや詳しく文字で再現しておきます。

 「あの戦争でなぜ進んで死を選ぶことができたのだろう、などということを言いますが、私はおかしいと思っているんです。戦後の保守を含めて、どうして死を選べたのか、特攻隊はなぜ行けたのか、そういった興味ばかりです。戦争というのは生と死を越えていくのであって、また戦前まで日本人には大義の自覚があったのです。銃後の人にしてもそうです。なぜ死ねるのでしょうではなくて、なぜもっとよく戦えなかったのだろうと考えないのか」

 「長谷川氏は終戦の瞬間に思いを寄せるが、そんな無時間・超時間の抽象ではなく、また八月十五日に至るまでの戦争の歴史ではなく、われわれ民族の世界史における使命に起った日本人があったんです。死は生物として恐れますよ。だが、歴史を自分の運命だと知っていた日本人はさっさと越えていった。死ぬことが生きることだと知っていたんです。あの戦争は正しかったというのが最大の鎮魂になるのではありませんか」

 講師は、拝読してある種の疑問を抱かざるを得ないのです、といって上記の気持ちを語っていたのです。思うに、このとき、西尾幹二は文芸評論家でも思想家でも学者でもないのです。歴史の中の日本民族の一人として語っています。ということは、われわれもまたサラリーマンとして教師として元何々として聞いているわけではない。民族の一人です。

 したがって講師は長谷川美千子氏の作品を批判したのではなく、作品以前に著者が見ている眼の先を批判したのです。戦争ができるまでに近代国家をつくりあげた父祖の姿が全然見えていないと先生が指摘したのです。

 戦後から戦前を見る。それは恰も半分を見てあと半分は見ないということのようです。仕切りをつくって仕切りまでは見るが、そこから奥は見ないで引き返すということのようでもあります。いずれにせよ、私には、「一回終わった日本」と見ている人が片方にいて、もう一方に「戦いは一度も終わっていない」と見ている人がいるように映ります。そして戦前から戦前を見られるという人は、戦いはこれからだと考えているはずです。うまく表現することがむずかしいのですが……。

 戦前から戦前を見る。これはどうか。「戦前の人の目で戦前を見るというのは不可能である」と右往左往した自分ですが、不可能ではないようです。先生が紹介した杉本中佐は死ぬ寸前まで、四人の息子に遺書を綴っています。これが『大義』になりました。世界史において使命を帯びるという意識で、「実はたくさんの議論が戦前はなされていたんです」と講師は強調されましたが、戦前の人間の、戦いに対する高い意識はいくらでも確かめてみることができます。

 原随園は京都帝国大学の西洋史の先生ですが、昭和十九年に『戦力の根源』を発表しています。第一次欧州大戦の結末に冷静な研究を進め「ドイツの敗因は複雑なものがあるにしても、その有力な一つは戦力といふものを、単に武力に傾注して、他の国力を軽視してといふことにあった」と論断しているものです。「真の戦力とは単に武力ではなく、むしろ戦争に傾けられる国民の実力であり精神力でなければならない」。

 この人は、武力戦の終結を以て戦争終れり、とするのは危険だと説いています。「衰へ行く道義心を以てしては、たとへ武力戦に於いて一旦の勝利を得るといっても、それは民族の永遠の歴史の上からするならば、敗北の第一歩でなくて何であるか」と書きました。そして「この恐るべき道義の低下を防ぐ道は、唯一つ民族使命の自覚あるのみである。この意味に於いても、民族精神の昂揚こそ真の戦力といひうる唯一のものである」と言い切っております。

 真の戦力とは民族的自覚にほかならぬ。西尾先生が命題とされた冒頭の言葉と寸分変わりません。

 もう一例を取りあげます。同時期に広島文理大学で理論物理学を研究していた三村剛昴教授は、米国が物量という新兵器を唯一の武器として日本にのしかかって来ているのに対し「日本独得の兵器とは何かといふと飽くまで日本精神なのだ。日本精神こそ独特の兵器であり何れの国も真似出来ない偉大な兵器である。これは現在、特攻隊としてその形がはっきりと現れている。特攻隊精神は新兵器中の兵器である」と高らかに主張しています。

 この明朗さは、戦後から戦前を見てきた人にはわからないし、前者の議論にもこの後者の先生の主張にも、まったく戦後的なるものを見い出すことができません。生と死は問題外であったことは認めなければならないわけです。

 昭和十一年当時、沖縄の尋常小学校六年の女子生徒が書いた次の作文はどうでしょうか。

――日本の女子の覚悟
我々が毎日、安楽にくらす事の出来、学ぶ事の出来るのは何故でありませう。それは申すまでもなく大日本帝国民であるからです。一番大事な年は昭和十一年だといふことを校長先生や、集会ある毎の偉い人々から話を聞いています。何故非常時の一番大事な年かと申しますれば、それは今ロンドンにかいさい中に軍縮会議だそうです。我国は正義の元でいろいろの問題を提出しておりますが、連盟各国が此の問題をみとめてくれなかったら、時によっては戦争にならんとも限らないからであります。(略)世間には軍人だけが戦争をするものと考へる人もおるが、これは大ひにまちがったお話だと思ひます。(略)一朝ある時は男子に負をとらず、国防にあたらぬばならんと思ひます。(沖縄県八重山郡石垣尋常高等小学校 尋六 下地ヨシ=全国小学児童綴方集)

自らを保守だと言う人がこの講演会に来られ、「石油も何もないのになんであんな戦争をしたのか」と、戦後このかた幾百と聞いてきた戦前嘲笑をしていましたが、保守でも左でも中間でも何でもよいから、並ぶ店を間違えないでほしいと言いたい。「大ひにまちがったお話だと思ひます」。

私が雑誌の取材でお会いする、埼玉トヨペットの創業者で現会長の平沼康彦さん(九十三歳)は、特攻隊機を掩護する第二二四隊の戦闘機に乗り、四度不時着しながら生き残った奇跡の人です。「特攻隊が離陸した後を追ってわれわれも飛び立ち、その上空を編隊を組んで掩護して行く。もう大丈夫というところまでついて行って引き返してくる。無言の別れは何ともつらかった」と自著に書いています。八日市基地で玉音を聴いたのだが、ラジオの音が悪くて何もわからず、「ソ連が参戦したからお前たち頑張れって言っているんだろう」ぐらいにしか思わなかったと言います。

まもなく敗戦を知ったとき「勝ちはしないけど負けるのは早いよ」と思わず口に出していたそうです。「祖国のために死ぬのは当たり前と思っていたから、生も死も考えなかった」がそのまま本心です。掩護の途中、敵機と遇えば空中戦です。良く死ぬことが良く生きることであるということを体現してきた人で、こういう人はどこかケロッとしています。

私が戦前の目で戦前を見られているかどうかはわかりません。『大義の末』で杉本中佐を描いた城山三郎でさえも、戦前の目を遠くに置いて忘れ、戦後人の感覚だけになってしまったかと思われる時期があります。昭和五十年八月一日付の東京新聞(夕刊)に『真の勇者とは』と題するこんな随筆を書いています。

「『八紘一宇』とか『大東亜共栄圏建設』とか『鬼畜米英撃滅』とかの大合唱。それは非の打ちどころのない理想のように見えたが、実態はどうであったか。国をあげての大合唱のおそろしさ、愚かさ」。この平板な物の言い方はなんでしょう。

昭和十七年に書かれた田中晃(九州帝国大学助教授)の『生哲学』に、歴史の運命を受けとめ生きて死ぬこととは何かと、追求した部分があります。一節を引いてまとめにしたいと思います。

「日本民族の念願した永生は『七生報国』であって、個人としての永生ではなかった。そこに真の死を公の立場に於いてとらえた意義がある。公とは何であるか。それは個人を越ゆる物であるが、個人を断絶した普遍者ではない」

「いのちは生まれたものであるが故に、いのちの死もまた公なのであった。さすれば、いのちの生まれた源が国家であるとき、その国家に死することが真に公なのである。祖国の体験はそこにある。しかして祖国が、真に祖(おや)なる国としての原理的意義を有するのは、ただ日本に於いて云はれ得ることでなければならぬ」

 戦前の日本人に具わっていて戦後の日本人に欠いてしまったものは何か。この講演で西尾幹二先生が投げかけた問題は、日本人である限り自分は例外だといえないものを含んでいます。
(了)

『同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時が来た』の刊行

同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた 同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた
(2013/12/10)
西尾幹二

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 今月10日にこの新しい本を刊行する。表題には迷ったが、初めてこんな長い題をつけた。短い簡潔な題はいくら工夫しても意に添わなかったからである。

 テレビや新聞を見ていると、しきりに安倍首相の右傾化をアメリカは憂慮している、河野談話の見直しなどを日本政府が言い出したらアメリカ各界から総スカンを食う、などという声が聞こえてくる。むしろそうなってもいいではないか、という決意も必要だが、中国との関係が微妙な今、おそらく政府はそういう断固たる決意は示せないのだろう。

 テレビや新聞の圧倒的空気は、日本の今後の針路を従来路線の親米平和主義のままにしておこう、それでいける、という考え方である。これは「何もしないことなかれ主義」で、アメリカが日本を裏切るかもしれない可能性についても警戒ひとつしていない。バイデン副大統領が来日しても、民間航空機の対中国対応の日本との相違について、アメリカはいまひとつ煮え切らない。

 一説には、ケネディ大使は慰安婦謝罪と韓国和解を一方的に安倍さんに強制するのではないか、ということも言われている。韓国の日本侮辱に対する日本人の感情がないがしろにされるならば、恐らく反米感情が高まるだろう。ケネディさんはいい人だが、そういう人情の機微が分っている人なのかどうか、われわれには分からない。

 であれば、私のこの本の題は時宜に適っているのではないかと言いたいのである。「同盟国アメリカに」と最初につけたのは、私がただの「反米」ではないことを示したかったからである。私は本の中でも言っているが、「離米愛国」派なのだ。

 むかし朝日新聞を筆頭に日本の左翼は、反米で平和主義だった。ここでいう平和主義とは「何もしない」主義のことだ。今彼らはこの怠惰な、無気力で現状維持の、明日を考えない無責任な“ぬるま湯”イデオロギーを守るために、むしろ「親米」の旗を振るのだ。自分たちのこのイデオロギーを守るために、アメリカからの「外圧」を利用しようとするのだ。そうすると、日本の保守は腰くだけになる。そのことにNO!を言うのが、私の本の表題である。

 中身は次に示す「目次」でご判断ください。

目 次

まえがきに代えて
総理、歴史家に任せるとは言わないでください! 3

第一章 歴史の自由
同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時が来ている 12
「西洋の内戦」の歴史に日本はもう左右されないと世界に言うべき時ではないか 43
誤解したがる世界の目を日本人は静かに拒否する勇気を持つべきだ 71

第二章「悪友」たちとは交遊を絶て
妄想と狂気をはらむ国・韓国 88
日本が「孤独」に強くなる心得 111
中国に対する悠然たる優位 116
防衛と侵略の概念 121
中国は戦勝国ではない 123
恥ずべき「日中歴史共同研究」 126
韓国も台湾も中国の持ち駒 128

第三章「反日」の不毛と自己防衛
「反日」は日本人の心の問題 136
「反日」で呼吸が合うアメリカと中国 147
悪夢のような中国からの大量流民 155
在日中国人と中国本土の国防動員法 162
沖縄県民は中国人になりたいのか 164
「核シェアリング」のすすめ 167

第四章 息切れするアメリカ文明と日本
不可解な国アメリカ 170
ありがとうアメリカ、さようならアメリカ 172
新英語教育考 189
百年続いたアメリカ独自の世界システム支配の正体 199

あとがきに代えて
総理、迷わずに「憲法改正」に向かってください! 211
初出誌紙一覧 221

 話変わるが、12月8日の講演会をもって今回が7回目を数える私の全集刊行記念講演会はいったん中断する。全集は1月に第9巻『文学評論』を出したあと、次は4月に第14巻『人生論集』に飛ぶ。

 第10巻から第13巻は、思想的に私の人生の中期に入り、何が起こっていたかを知るためにテキストの総整理をしなくてはならない。国立国会図書館に現在約800篇の私の大小さまざまな論考が所蔵されている。その中に私の忘れている、まだ単行本に収録されていない未確認論文が約2割はある。それらを全部点検し、本格的「全集」の名に値するものに編成しなくてはならない。講演会は一年くらいはお休みにさせていたゞきたいと考えている。そういうわけだから12月8日にはぜひお出かけたまわりたい。

          西尾幹二全集刊行記念講演会のご案内

  西尾幹二全集第8巻(教育文明論) の刊行を記念し、12月8日 開戦記念日に因み、下記の要領で講演会が開催いたしますので、是非お誘い あわせの上、ご聴講下さいますようご案内申し上げ ます。
 
                       記
 
  大東亜戦争の文明論的意義を考える
- 父 祖 の 視 座 か ら - 

戦後68年を経て、ようやく吾々は「あの大東亜戦争が何だったのか」という根本的な問題の前に立てるようになってきました。これまでの「大東亜戦争論」の殆ど全ては、戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るという視点が欠けていました。
 今回の講演では、GHQによる没収図書を探究してきた講師が、民族の使命を自覚しながら戦い抜いた父祖の視座に立って、大東亜戦争の意味を問い直すと共に、唯一の超大国であるはずのアメリカが昨今権威を失い、相対化して眺められているという21世紀初頭に現われてきた変化に合わせ、新しい世界史像への予感について語り始めます。12月8日 この日にふさわしい講演会となります。

           
1.日 時: 平成25年12月8日(日) 
(1)開 場 :14:00
 (2)開 演 :14:15~17:00(途中20分 程度の休憩をはさみます。)
                       

2.会 場: グラン ドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」

3.入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

4.懇親会: 講演終了後、サイン(名刺交換)会と、西尾幹二先生を囲んでの有志懇親会がございます。ど なたでもご参加いただけます。(事前予約は不要です。)

   17:00~19:00  同 3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円 

  お問い合わせ  国書刊行会(営業部)
     電話 03-5970-7421
AX 03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp
坦々塾事務局(中村) 携帯090-2568-3609
     E-mail: sp7333k9@castle.ocn.ne.jp
  

amazon書評より

          西尾幹二全集刊行記念講演会のご案内

  西尾幹二全集第8巻(教育文明論) の刊行を記念し、12月8日 開戦記念日に因み、下記の要領で講演会が開催いたしますので、是非お誘い あわせの上、ご聴講下さいますようご案内申し上げ ます。
 
                       記
 
  大東亜戦争の文明論的意義を考える
- 父 祖 の 視 座 か ら - 

戦後68年を経て、ようやく吾々は「あの大東亜戦争が何だったのか」という根本的な問題の前に立てるようになってきました。これまでの「大東亜戦争論」の殆ど全ては、戦後から戦前を論じていて、戦前から戦前を見るという視点が欠けていました。
 今回の講演では、GHQによる没収図書を探究してきた講師が、民族の使命を自覚しながら戦い抜いた父祖の視座に立って、大東亜戦争の意味を問い直すと共に、唯一の超大国であるはずのアメリカが昨今権威を失い、相対化して眺められているという21世紀初頭に現われてきた変化に合わせ、新しい世界史像への予感について語り始めます。12月8日 この日にふさわしい講演会となります。

           
1.日 時: 平成25年12月8日(日) 
(1)開 場 :14:00
 (2)開 演 :14:15~17:00(途中20分 程度の休憩をはさみます。)
                       

2.会 場: グラン ドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」

3.入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

4.懇親会: 講演終了後、サイン(名刺交換)会と、西尾幹二先生を囲んでの有志懇親会がございます。ど なたでもご参加いただけます。(事前予約は不要です。)

   17:00~19:00  同 3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円 

  お問い合わせ  国書刊行会(営業部)
     電話 03-5970-7421
AX 03-5970-7427
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閑居人さんのアマゾン書評より

「『十七歳の狂気』韓国」西尾幹二。
韓国の新聞の主なものは、今、インターネットで日本語版が読める。だから、彼等の「夜郎自大」ぶりは、あまりに滑稽なものとして、「笑韓」と笑い飛ばすこともできる。しかし、北の核開発が進み、国内に従北勢力が蔓延し、全教祖による北を正統とする教育・教科書が学校教育で進み、昨年12月には、親北・従北派を代表する文在寅候補が当選寸前までいった。保守層、老年層の巻き返しで朴槿恵の逆転勝利にこぎつけたことは記憶に新しい。
その朴槿恵の「自滅外交」である。日韓防衛協力協定を締結一時間前にドタキャンした背景には中国の恫喝とともに朴の強い意向があったと言われる。日本の「集団防衛権」解釈変更を「右傾化」と呼んで騒ぎ立て、立ち寄る国の先々で「慰安婦問題」に火をつけてまわる姿は、北と中国の脅威に囲まれていながら味方にナイフを突きつける狂気の十七歳そのものである。
韓国人に良識がないわけではない。例えば、朴槿恵政権の立役者、知日派の趙甲斉はさすがに放っておけなくなって、「日本の集団的自衛権の解釈変更」が有事に際して、どれほど韓国の助けになるものか、8月以来諄々と諭している。ソウルに置かれた国連軍本部は、後方基地である東京横田、沖縄の支援を得ない限り十全に機能することはない。
大陸では中国・ロシアの圧迫を受け、海からは日米経済圏に取り込まれた韓国の地政学的位置付け。その人口・資源から中級国家としてしか生きようのない韓国の現実。中国と日本という二つの異なる文明圏の強い影響下に置かれた歴史。その真実の実態を韓国人自身が認識できるのは、いつの日になるのか。
怒りにあふれているように見える西尾の文章には、悲しみのかげりすらある。

秦郁彦「河野談話を突き崩した産経大スクープ」
十月十六日の産経新聞は、二十年にわたり政府が封印してきた韓国の元慰安婦十六人の聞き取り記録を掲載した。「河野談話」のいい加減さを決定づける証拠である。
1973年、千田夏光が「従軍慰安婦」という言葉を発明したとき、これに関心を抱いた人は少なかった。秦郁彦は雑誌社のもとめで千田と対談したが、そのとき秦は、「新たな視点からの戦史の掘り起こし」という観点から千田に好意的に接しているように見えた。
秦が、昭和史研究者として「慰安婦問題」で果たした最大の貢献は、1983年発行吉田清治「私の戦争犯罪」に描かれた済州島での「娘狩り」が、根も葉もない捏造であったことを実地調査で証明したことだろう。吉田清治の証言を頼りに展開された運動は、本来ならここで潰れるはずだった。しかし、中韓の策動とそれを支援する朝日新聞、研究者吉見義明、高木健一・戸塚悦朗弁護士たちの活動はどこまでも続いている。
秦は、「日本政府が一括して国際社会へ騙した責任(朝日、吉田、吉見、高木、そして河野談話を含む)を謝罪するのも一案かと思う」と述べる。しかし、これは、また、逆に利用されるだけだと思えるが、どうだろうか。

その秦郁彦の関係する「昭和史の謎」に焦点が当てられようとしている。
西尾幹二を主宰者とする「現代史研究会」による「柳条湖事件 日本軍犯行説を疑う」である。
1931年(昭和三年)9月18日、南満州鉄道の奉天(瀋陽)駅の北東7.5キロ地点にある柳条湖で中国軍による鉄道爆破事件が起きた。この事件から、「満洲事変」へと拡大するのであるが、後に、関東軍の自作自演とされた事件である。
新にこの研究会の一員となった加藤康男は「張作霖爆殺事件と同じく、柳条湖事件も関東軍の謀略によるものだとは思っていません。あとひとつハード・ファクツ(動かぬ証拠)さえ出れば、一挙にひっくりかえります。柳条湖事件がひっくりかえれば昭和史は全て書き直しです」と語る。
「東京裁判」は「関東軍の謀略」と断定したが、事件当時の関係者の直接的証言はなかった。戦後、昭和三十一年、河出書房「知性」12月号に、「花谷正論文」が掲載され「関東軍の謀略」がほぼ間違いない事実と考えられるに至った。花谷は、当時、関東軍参謀陸軍中佐として奉天に勤務していたから、信頼できる証言と思われたのである。
実は、このとき、花谷にインタビューして文章もまとめたのが当時23歳の秦郁彦である。つまり、「花谷論文」は相当程度、秦郁彦の手になるものなのである。秦は、東大に在学中からオーラル・ヒストリーに取り組んでいたが、これはその成果の一つだった。関東軍が満洲制圧計画を持っていたことは間違いないが、柳条湖事件そのものには謎も多いのである。詳しくは、本文を読んでいただくしかない。

「WILL」なのか「歴史通」なのかよく分からなくなってきてしまった。こういうときは、読者はひとまず「蒟蒻問答」でも読むに限る。