フロンティアの消滅(二)

 このイギリスの智慧をそっくりアメリカが違った形で継承しました。イギリスは海でしたが、アメリカは海から空へ向かいました。第一次世界大戦以降、アメリカはイギリスとともに日本と海を争いますが、いつのまにかアメリカが制空権を握り、もう一つは金融ドルによる遠隔操作を実現し、第二次世界大戦を経て空から宇宙へと戦略を広げ、そして現在は恐らく情報を握るということで世界帝国を実現しましたが、このやり方は、領土を取るのではなく脱領土的支配であり、イギリスが先鞭を付けている方式をアメリカが継承しました。

 英米は、外国領土を外から大きく支配するやり方で世界帝国を築きましたが、スノーデンの事件があり大騒ぎになりましたが、現在でもアメリカが情報を握っており、あれは如何にもアメリカ的な事件であって、またあくまでも基軸通貨を握って世界支配を完成させているのではないかと思います。

 さて、そういう16世紀から今に至る大きな流れがあり、これがキリスト教的近代西洋であると思います。それが色々な価値観をばら撒きながら結局は英米が世界を支配するという構造でここまで来ました。

 ところが現代はこれが大きな意味で行き詰っているのではないかと思います。ご存知の通り、フロンティアの消滅ということがあります。空間を広げるということはもう出来なくなっている時代に入っています。もし成長というものが近代の価値であるならば、現代は、日本だけではなく世界的にその成長が終わった時代ではないかと思います。

 自分の子供の世代は自分よりも良い生活が出来る、或いは孫の世代はより高い教育が受けられる。それが進歩の理念であります。日本の場合は土地神話というものがありました。必ず金利がついて金融財産が増えて行くのと同じように、土地であれば必ず値段が上がって行く、より豊かになる。これが言わばフロンティアがあるということであったと思います。

 先程イギリスの海賊の話をしましたが、イギリスは海賊から始まった国で凄まじい勢いで空間を拡大しようとしましたが、そのエネルギーはフロンティアを信じていたということであって、それが段々行き詰って今日にいたっているのではないかと思います。21世紀のここにきて、世界中どこにもフロンティアがなくなってしまいました。

 正直言って金利ゼロなんて時代が続くなんてことはあり得ない話で、それどころかとうとうヨーロッパはマイナス金利という異常な事を実行しました。これは資本主義が終わったということを意味するのではないでしょうか。つまり成長を信じていて空間のフロンティアが無くなってしまって、ありとあらゆることを考えた結果、アメリカは終に金融のフロンティアで色々な詐術を使って拡大をしてきました。

 つまり、もうフロンティアが無いところで成長を求めようとすると、勝つ人間と負ける人間が出てきて、必ず格差が拡大します。進歩は終わっているのに、経済は成長しなければならないという強迫観念が、皆の頭の中にあり、少しでも景気を良くしなければならないと考えれば、無理をするわけですから、当然特定の所にお金が集中し、奪う者と奪われる者の差が生ずるのは必然なのであって、世界中でそれが起こっているのが、今の時代なのではないかと思っています。

 そこで、中国という国が突然飛び出してきましたが、何故中国が我々にとって、或いは地球全体にとって謎であり、重要であり、そしてまた或る意味魅力であり、かつ危険なのかと言いますと、それは余りにも遅れていたからであり、余りにも多くの人口をかかえているからです。ということはあの国にはまだフロンティアが残されていると皆が思い込んでいる訳で、少なくともあの国には需要があるわけです。ドイツの自動車産業が熱に浮かされ、トヨタのトップが自転車の数を見て、これが全部自動車に代わったら凄いことになると言った科白が残っていますが、今はドイツは中国のモータリゼーションに自分たちの将来をかけています。需要があるということはフロンティアがあるということです。そのためそこになけなしのエネルギーを注いででも、何とかしようということでしょう。

つづく

フロンティアの消滅(一)

 平成26年(2014年)6月26日に行われた坦々塾主催の講演会の記録を掲示します。ちょうど3年前ですが、内容に格別の修正の必要はありません。そのまま出します。

フロンティアの消滅(一)

 最近私はスペインとかポルトガルとかオランダとかイギリスとか、あの辺りのことを勉強しており、これは知らなかったのですが、コロンブスがスペインから大西洋に出て行く頃か、あるいはその前に、イギリスからアジアの方へ出てくる船がありました。これにはびっくりしました。イギリスから西北の方向に進んでアラスカの北を通って、ベーリング海峡を抜けて日本の方へ出てくる西北航路。そしてもう一つは、イギリスから東北に向かってシベリアに抜けてベーリング海峡に入る。半分陸路を使ったのか、これはどのような道か良く分かりませんが、そういう道を切り開いていました。これを行ったのは海賊です。イギリスは海賊の国でしたが、ある本でそういう記述を読みました。

 それから、初めて知ったのですが、現在では考えられない位イギリスのしたたかな海洋覇権展開の歴史を調べると、興味深いことが沢山あります。インド支配に当り、プラッシーの戦いとか色々知られている訳ですが、インドを獲得した後、イギリスはどのようにしてこれらを守り、自分の物にしたか。すべて海からの支配でした。
 
 スエズ運河の先にアデンという所があります。そこからインドのコロンボ、その次にシンガポール、この三角地点を結ぶライン、当時シンガポールはマレー半島の先端にある何もない小島だったのですが、有名なラッフルズという人物がそこに着眼して、シンガポールを押さえればマラッカ海峡を押さえることが出来て、オランダを制圧することも出来る。また同時に三角地点を結んでインド洋を内海化して、一帯を我が物にできると考えました。

 それから、インドの西南の方、アフリカの東岸にマダガスカルという大きな島がありますが、ここはフランス領でした。この島をイギリスは、明治29年に安々とフランスに譲り渡して驚かなかったという理由を書いた本を読みました。その本によると、イギリスはマダガスカルから東北の方に1000キロでセイシェル島、東の方に800キロでモーリシャス島、北の方に300キロのところにあるアルダブラ島という3つの島をしっかり握っていて、それからマダガスカルの対岸のケニアを握っていたために、マダガスカルはフランスに譲っても一向にかまわないという、イギリスの海上を押さえる智慧、地政学的な判断力、これは海賊の才幹かもしれませんが、凄いものだと思いました。

 もっと驚いたのは、全く歴史の本には出て来なくてビックリしたのですが、いうまでもなくイギリスは18世紀にオーストラリアを我が物とし、その後ニュージーランドを、続いてカナダも我が物にします。更にその中間地点の小さい島を全部握ってしまいます。例えば1853年にノーフォーク、’74年にフィジー、’88年にファンニング、’89年にフェニックス、’92年にエリスという洋上の小さな島々をイギリスは全部掌握し、それからそこに通信基地を設け、海底ケーブルを張り巡らします。しかし、アメリカがハワイを取ったために途中でその流れが切られてしまいました。これは英米が海上覇権を巡って激しく対立していたことを示しています。

 イギリスの歴史を振り返って見ると、大体が英仏100年戦争といわれるように英仏は戦争を繰り返していました。しかし、ナポレオン戦争が終わってウィーン会議の頃フランスを押さえてしまいます。ナポレオン戦争でフランスが大陸に封じ込められると、イギリスは悠然と海洋に出て行き、自分たちは何も手を出さないけれど、あらゆる国々、ヨーロッパ内部は勝手に戦争させて、自分たちは海洋を押さえました。ですから、各国が貿易を考えた時には、イギリスに抵抗しようと思っても、他の国は何も出来ない。しかしイギリスは特別に侵略をしたりするわけではありませんでしたが、海洋の覇権を握っていましたから、ヨーロッパ全体を押さえることが出来ました。インドやマダガスカルを封鎖したのと同じことをヨーロッパ全土に対してしたのです。

 それからあとの19世紀のヨーロッパは平和な世紀で、普仏戦争や普墺戦争やイタリアの統一戦争のような小さな戦争はありましたが、ウィーン会議から第一次世界大戦までの間はパックスブリタニカにより、ヨーロッパは平和な時代でした。

つづく

英国のEU離脱について

平成28年6月26日 坦々塾夏季研修会での私の談話

 6月25日のニュースを見ながら考えました。今回のイギリスの決定で、離脱派の党首と思しき人物がテレビで万歳をして、イギリスの独立、インディペンデント・デイだと叫びました。常識的に考えて、世界を股にかけ支配ばかりして、世界各国から独立を奪っていた国が、自ら「今日は独立の日だ」などと叫んでいるのですから、いったい地球はどうなっているのかと思いました。

 今日の段階で日本のメディアはヨーロッパの情勢ばかり言っています。アメリカや中国を含む地球全体の話をほとんどしません。そして英国のEU離脱、すなわちEUというグローバリズムの否定、英国ナショナリズムをさも悪いことのようにばかり言っていますが、そうなのでしょうか。

 ヨーロッパは今、確かに混乱していて、伝え聞くところでは、ドイツのメディアは気が狂ったかのようにイギリスを罵って、「こんな不幸なことを自ら招いている愚かなイギリスの民よ・・・、これからイギリスは地獄に向かってゆく。あれほど言ったではないか。」私には、これがドイツの焦りの声に聞こえます。さっそくドイツ、フランス、イタリアの外務大臣が会合して、意気盛んに「すぐにでも出てゆけ。来週の何曜日に出て行け。」まるで借家人を追い出すような勢いで言っているそうです。フランスもイタリアも次の「離脱国」になりそうで怖いのです。ですからイギリスはいろいろ長引かせようと思っても、そういう四囲の状況から早晩追い立てられるようにして出ていくことになるのではないか。いっぽうイギリスの中では後悔している人が何百万人もいて、再投票をしてその再投票願望のメディア、インターネット上の票数が何百万に達したとかいうような騒ぎもありますが、もうそんなことは出来ないでしょうから、決められたコースに従って粛々と動いてゆくことだろう思います。

 それもこれも日本のメディアがEUというグローバリズム、国境をなくす多文化主義を一方的に良い方向ときめつけて、それに反した英国の決定を頭から間違った方向と定めているからではないでしょうか。必ずしもそうではない、という見方が日本のメディアには欠けています。

 各国の思惑はそれぞれで、日本のメディアはとてもそこまで伝えていないけれど、基本的にはヨーロッパの情勢を伝えているだけですので、私は今日は今度の一件を端的にアングロサクソン同志の長い戦い、米英戦争の一環と考えてみたいと思います。アメリカとイギリスという国は宿命の兄弟国であり、また宿命のライバルでもあって、何かというと、どちらか片一方が跳ね上がると、すぐもう片一方が制裁を加えるということを繰り返しています。これはずっと昔からそうで、私が『天皇と原爆』の中でも書いたように、基本的に第二次世界大戦は「アメリカとドイツ」、「アメリカと日本」の戦いであると同時に、実は「アメリカのイギリス潰しの戦い」でもあったということを何度も何度も歴史的な展望で語ったのをご記憶かと思いますが、私の見る限りではそういうことは度々あるわけです。

 今回のイギリスはやり過ぎていますね。何をやり過ぎたかというと、キャメロン首相とオズボーン財務大臣というのは組んでいて、オズボーンはキャメロンと大の友達で、キャメロンの後を継ぐことにもなっていて、キャメロンを首相に持ち上げた人ですが、大英帝国復活の夢を露骨に言い立てています。しかし今の自分の国の力だけでは出来ないので中国の力を借りるという路線に踏み込んで、オズボーンは中国に出かけて行って「ウイグルは中国の領土だ」と言って習近平を喜ばせたりしてやっていたイギリスの勢力です。私なんかは日本人として苦々しく思っていましたが、アメリカの首脳部も苦々しく思っていたのだ、ということがいろいろ分かってきました。

 基本的にヨーロッパはどの国も中国が怖くありません。煩くもないので、中国を利用したいという気持ちがつねにあり、そしてロシアが邪魔という気持ち、この二つがあります。それからドルは出来るだけ落ちた方がいい、ドルの力を削ぎたいという気持ち。これがヨーロッパ人が考えている基本姿勢です。ですから日本に対する外交も全部その轍の中に入っています。なんとかして日本を・・・、という考えは全く無く、この間の伊勢志摩サミットでどんな話が出たのか分かりませんが、結局今言った基本ラインがヨーロッパの政治の中枢にありますので、そういう方向だったでしょう。

 今中国が握っている人民元は2,200兆円(22兆ドル)です。ところが中国は3,000兆円もの借金をしています。だから2,200兆円を世界にばら撒いても、借金が3,000兆円で、年間150兆円の金利を払わなければいけないのですが、中国にそんな力はありません。ですからズルズルと中国経済がおかしなことになっているのが我々には見えているのです。そのズルズルとおかしなことになっている間に人民元が急落するでしょうから、そうなる前に何とか自国に取り込もうと、少しでも自分たちの利益になるようなことをしようということを、各国が目の色変えてやっているのです。その先陣を切ったのがイギリスでした。ご承知のAIIB、アジア・インフラ投資銀行でイギリスが真っ先に協力を申し出たというので、世界を震撼せしめました。それは先ほど言った財務大臣オズボーンの計略だったのです。中国の力を使ってシティを復活させたい・・・。中国もシティの金融のノウハウを手に入れたい・・・。

 中国共産党党員の要人が金を持ち出しているのは夙に有名ですが、その持ち出した金は1兆5千億ドルから3兆ドルの間と、はっきりした額は分らないのですが、1兆ドルは100兆円ですから、「裸官」によっていかに途轍もなく多くの金が海外に飛び出しているのです。しかし、なによりもそれをアメリカがしっかり監視し始めて、アメリカはこれを許さない、というスタンスになってきた。中国人からするとアメリカではもうダメだ、ということで、中国共産党の幹部たちはその資金をシティに逃がしたい。香港経由で専ら中国とイギリスは手を結んでいましたので、シティを使って自分たちのお金を逃したいということもあるのでしょう。

 それを暴露したのがパナマ文書ですよね。それでキャメロンが引っかかったではないですか。ものの見事にアメリカは虎の尾を捕まえたのです。おそらくEU離脱派を主導しているジョンソンという人が次の総理になる可能性が高いと思いますが、あの人物もトランプに顔が似ていてね・・・。(笑)ジョンソンが首相になったら、彼は反中ですから、イギリスはAIIBから抜けますと言う可能性は高いし、今まで支持していたSDRの人民元の特別引き出し権も止めるかもしれない。つまり、イギリスは中国から手を引いて一歩退くという方向に行くかもしれない。中国の悲願は、人民元が国際通貨ではないということをどうやったら乗り越えられるか、何とかして人民元を国際通貨にしたい、どこの国でも両替できる通貨にしたい。それができなかったので、今は香港ドルに替えて、そこから国債通貨にしていますから香港ドルに縛られていたのです。10月からSDRを認められて、人民元はいよいよ国際通貨になれると期待されていますが、英国の離脱でさてこれもどうなるか?疑問視されることになるでしょう。

 パナマ文書という言葉が先ほど出てきましたが、ついこの間までタックスヘイヴンやオフショア金融とかいう言葉が飛び交ったことはご記憶かと思います。タックスヘイヴンは「脱税システム」ということで有名です。私は、あぁこれこそ歴史上イギリス帝国が植民地を拡大した時の悪貨な金融システムなんだなぁと・・・。そうなのです。イギリスは酷いことをやっていたのですよ。タックスヘイヴンというのは、その中心、大元締め、つまり元祖みたいなものはシティです。シティというのは、イギリスの女王がシティに入るためにも許可がいるというほどイギリスの中の独立国みたいなものです。つまりローマの中のヴァチカンのような一つの独立国みたいなもので、それくらい権威が高く、しかも中世から続いているわけです。そしてそれを経て東インド会社ができて、世界中を搾取した、あの大英帝国の金融の総元締めであって、そしてそれによって皆が脱税などを繰り返した。そう、二重財布ですよね。つまり日本でも税金を納めないでやるために商店とかでも二重財布をやっているでしょう。実際の会計と、それから違う会計を作ってやってるではないですか。その二重財布みたいなことをやって、これで世界を支配していたんだなぁと。武力だけではなかったということです。日本は明治維新からずうっと手も足も出なかったではないですか。悪質限りの無いこのオフショア金融あるいはタックスヘイヴンのシステムというものを、今でもアングロサクソンは握っているのですが、結局この思惑が米英で今ぶつかったのですね。

 アメリカはイギリスのやり方がやり過ぎている、というか、チョッと待てと・・・。じつはアメリカだって隠れてやっているけれど、パナマ文書にアメリカは出てこなかった。イギリス人やロシア人や中国人は出てきたけれど、アメリカは国内にそういうシステムがあるものだから誤魔化せるわけですね。ですがアメリカは国際的に大々的にはやりませんよ。その代り各国の不正な取引は監視します、と。

 なぜそういうことになったかというと、一つにはリーマンショック。自分の不始末で金融がぐちゃぐちゃになって、これを何とかしなければいけない。監視しなければいけない。それからもう一つは、ダブついたお金がテロリストに回って、イスラム国みたいなテロリスト集団が出てきたから、これを何とか抑えなければいけないということ。この二つの動機からアメリカは断固取り締まるという方向になりました。そうすると目の色が変わるのはシティです。イギリスはシティによっていま一度大英帝国の夢を・・・、ということですから、これは当然ながらイギリスのシティがアメリカのドル基軸通貨体制の存立を脅かすということになってきます。深刻な対立が生まれていたことがお分りかと思います。

 「中国の野望」は「イギリスの野望」を裏から支えているという姿勢があります。つまり所謂プレトンウッド体制というものが毀れかかってきている。そのためにアメリカは過去にイラク戦争もしてきたわけですから、アメリカは焦っている。しかも身内であるイギリスがそういうことをやったということで、対応をとる処分に苦慮してきたのだろうと思います。

 それでもアメリカとイギリスが永遠に対立するなどということは無いので、結局イギリスの中の体制が変わってキャメロンが辞めて、きっと親米政権が生まれるでしょう。そして、どうせまたアメリカとイギリスは手を結ぶことでしょう。いずれはウォール街とシティは和解するのです。今度の出来事はその流れの一つではないかと思いますが、皆さんいかがでしょうか。

 そうなると、残ったEUはどうなるでしょうか。先ほども申したようにドイツは頻りに「哀れなイギリスよ、お前たちは泥船に乗ったのか?」と言っているそうです。メディアも頻りに「可哀想なイギリスよ」とやりたてている。テレビなどがイギリスは明日ダメになってしまう、というようなことをどんどん流しているそうです。そしてシティがEUから離れていくわけです。そうするとEUは必然的に没落します。それでシティの代わりにフランクフルトにいろんな金融機関が集まってくるということが興りかかっているそうです。しかし100パーセントそうはならないでしょう。つまりこのあとアメリカはイギリスの出方ひとつでシティを守るかもしれません。だから結局EUはドイツが中心。アメリカとドイツが永遠に仲良くなるとは思えませんし、結局アメリカとイギリスは和解してEUはダメになる。そしてシティはアメリカの管理下に置かれる。アメリカ、というかウォール街がシティの上に立つような構造になるのではないか、ということが当たるかどうか分かりませんが私の予想です。
ヨーロッパ全体はおかしくなってくる。フランスやイタリアもEUを否定する政権になるかもしれず、ドイツは英国を憐れんでいましたが、話は逆になるかもしれない。ドイツはEUという泥船をかかえてどうにもこうにもならなくなるかもしれません。

 少なくとも中国の世界戦略は破綻した・・・。良かった!と思います。今度の事件で私は良かった、と思ったのですが、私はドルを少し持っています。ドル建て債券を持っていて、円高になるからみんな落っこっちゃったのです。私なんかほんとに僅かだけれど、その変化をみていると、企業や国家が持っているドルはどんどん目減りするわけですから、大変なことになるだろうなぁと思っています。アベノミクスがうまくいったとかいうのは、あれはほとんど円安政策です。円安があそこまでいったから経済が動き出したのですから、名目上のことです。とにかく個人的には不味いのだけれど、私の中の非個人的な部分は万歳と・・・。心の中で喜んでいます。

 私の短い人生の中でこんなことが沢山はないのです。つまり中国が台頭したのも理解できない。あの最貧国が大きな顔をして、お金で他国を威圧するなどということは5年くらい前までは夢にも考えられなかったということ。そしてあのアメリカがタジタジとして自分で自分を護れなくなっているというのもビックリする話で、イギリスもおかしくなってきた。おそらくスコットランドが独立するのではないかという気がします。スコットランドがもう一回独立投票をやれば確実に離れるでしょう。そうするとイギリスという国は無くなるのです。ブリティッシュという概念は無くなってイングランドになる。イングランドになると同時に大国ではなくなります。何がおこるかというと、おそらく第二次世界大戦の戦勝国としての地位を失う。即ち国連の常任理事国としての地位を継承できなくなると思います。だってそうでしょう。ブリティッシュ、ブリテン大国がイングランドになったら、これはもう違う国なのですから。そういうことが直ぐにではなくとも必然的に起こりますよね。これでイギリスに片がつくと・・・。明治以来日本の上に覆いかぶさっていた暗雲が私の短い人生の中で一つずつ消えてゆく、というようなことを考えながら昨日(6月25日)のニュースを見ていた次第です。

文章化:阿由葉秀峰

坦々塾生出版のお知らせ(3)

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林 千勝さんご自身による紹介文

自著に寄せて

『日米開戦 陸軍の勝算―「秋丸機関」の最終報告書』(祥伝社新書)

                      林 千勝

「敵を知り、己を知れば百戦殆(あやう)からず」(孫子)
私もそう考えます。
こういう考えの私が、七十年前のあの戦争の「開戦」の決断に関する真実を追求してきました。その結果、驚くべき真実に出会ったのです。
決断は、人間の精神活動の中で、あるいは組織行為の中で、最も高次のものです。ましてや、七十年前のあの戦争の「開戦」の決断です。言うまでもなく、あの戦争は「総力戦」です。「総力戦」とは、すべての国力を挙げて、より本質的に言えば、国民経済を挙げて戦う戦争のことです。決断には、すべての国民の生命と生活がかかっていました。

本書では、「総力戦」の経済的側面を重視しなければならないとの観点から、戦争戦略の策定における客観的な数字データを読者の皆様にそのままお見せします。供するものは一次資料です。この一次資料には、当時、陸軍省内で実際に行われました戦争シミュレーションが含まれます。「開戦」の決断を後押しした戦争戦略の策定プロセスにおいて、枢要な位置を占めていたイギリス、アメリカの立場での経済的な側面を重視した戦争シミュレーションです。本書では、このシミュレーションを当時と同じ形で体験していただきます。このことにより、本書において、対米英戦開戦という空前の意思決定を行った東條首相や杉山参謀総長と、そこに至るまでの思考過程を共有することになります。同じ目線を持っていただきます。要するに、「開戦」の決断過程の追体験です。    ―― まえがきより抜粋

わずか70年前の歴史の真実、強く志向された「生」、主体的な「行動」、そして研ぎ澄まされた高い「認識力」。―― 戦前日本(昭和)では、政府や軍当局も、言論界も、すべてを認識していた。政治・経済・軍事を地球規模で俯瞰し、敵を知り己を知っていた。70年前の戦争の開戦の決断は、完全経済封鎖により追い込まれに追い込まれた末のもの。対米屈従の道を選ばなかったこの決断は、国が、民族が、家族が生き残るためであり、それゆえ、極めて合理的な判断の下に行われた。そうでなければ、国民は納得せず、国家は運営できず、陛下もご裁可なさらなかった。実際、「持久戦に成算無きものに対し戦争を始めるのは如何か」が昭和16年当時の陛下のお考えであられた。そして、この判断の主役は陸軍であった。

陸軍は「生きるか死ぬか」のぎりぎりの決断を下すために、敵と己の経済抗戦力の測定とそれに基づく戦略の策定に知見を最大限に発揮した。同時に、ドイツの苦戦も視野に入っていた。そして、科学的な研究に基づく合理的な“西進”主体の戦争戦略「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を、昭和16年11月15日大本営政府連絡会議にて決定し、続いて果敢に行動したのであった。―― 結局、日本は一部海軍勢力の作為によりこの戦争戦略から逸脱し敗北したが・・・・。戦後これまで、この戦争戦略の存在が歴史の中に埋もれていた。況や、この戦争戦略がどんなプロセスと裏付けをもって作成されたかは完全に歴史から消されていた。
70年前の戦争で植民地を次々と解放した日本の戦いぶりを見て、世界の支配者たる白人たちはその底力を恐れた。だからアメリカは、日本占領とともに戦争の真実、日本の「生」と「行動」と「認識力」の軌跡を消した。日本人の魂を圧殺し、歴史をつくり変えた。邪魔な書物を没収し、言論を統制し、ラジオ、新聞、映画そして教科書などで日本人を洗脳した。邪魔な当局文書もほぼすべて没収した。更に、アメリカ監修で二次資料をつくり浸透を図った。戦後あてがわれた日本の歴史、特に戦争をめぐる歴史は、大事な部分がフィクションだ。歴史の闇は深い。

われわれは、アメリカとGHQによって消された記録と記憶のすべてを「発掘」しなければならない。知性の責務だ。「発掘」される“昭和のダイナミズム”は、現在の日本人に対して求心力を及ぼす。日本人の「本源性」を呼び覚ます。これは、日本人の精神の軸に関わる問題であり、思想戦上の展開でもある。われわれには思想戦上の反転攻勢が必要だ。―― だから、私も本書でささやかな一石を投じたい。

坦々塾生出版のお知らせ(2)

注:8月12日のプライムニュースの動画を完全版にしました。
管理人

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鈴木敏明さんご自身による紹介文

 「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の英文版「The USA is responsible for the Pacific War」が一昨年8月に300部出版した。日本滞在の外国の大使館、領事館合わせて185ヶ国に贈呈した。著者の私としては、外国の図書館や外国のメディヤにも贈りたい。印刷会社に1万部と10万部の印刷料聞くと、およそ3百76万円、と3千100万円になると言う。これでは資金的に手も足も出ない。ベストセラーの小説でも書いて印税かせがなきゃとても無理。とても無理でも兎に角書いてみようと思ったのだ。私が若い頃、「野望に燃える男」というアメリカ映画があった。当時のイケメン俳優、トニーカーティスが、映画では普段さえないホテルのウェイターだが隆とした背広を着こみ青年実業家を装い大富豪に接近し、大富豪の子供の姉妹に近づき、彼女たちをたらしこみ、大富豪を乗っ取ろうとする映画です。今でも「野望に燃える男」という題名を覚えているので、いつ頃の映画だったか調べてみた。ウイキペディアでトニーカーティスと「野望に燃える男」を一緒にして検索してみるとくわしい説明書きが出てくるのにはびっくりした。この映画1957年の制作です。私はその時19歳。横浜の三流ホテルでボーイをしていた頃だ。小さなホテルだからボーイの他にもウェイター、ベッドメイキング、バーテンダーの手伝い、バーの掃除などいろいろやらされた。バーの掃除の時は、いつもレコードをかけながら、とくに好きだった「カナディアンサンセット」は何回もかけながら掃除をしていた。そんな頃私はこの映画を見たのだ。私はこれまでほとんど公言してこなかったが、私の人生は波乱万丈、仕事も波瀾万丈なら異性も波瀾万丈なのだ。若い頃社会的底辺の仕事をしていたが、少しも暗い影はなかった。私は若い頃はイケメンでものすごく女性に持てたからだ。「野望に燃える男」の映画を見て思わず「俺もいざとなったらこの手が使えるな」と考えたものだ。そのため「野望に燃える男」というタイトルが私の心から消えることもなくいまになっても覚えているのだ。そんなことで苦労話や興味のある体験談なら事欠きません。面白い小説を書いてやろうと書き出していた。しかし、あまりにも面白くしてやろうとそればかりを意識しすぎたせいか、書き終わってみるとあまりにも長すぎて焦点のぼけた小説なってしまった。今度は余計なものはけずりにけずってやっと仕上げた。しかし書き込むのはいいが、けずるという作業はむずかしいものだ。何かとてもいい話をけずるような気がしてならなかった。それでもけずったお蔭でまともな原稿が、ことしの前半にできあがった。360頁ほどの小説です。

本来ならここで私は数々の出版社まわりをし、出版のお願いをして原稿を置いてくるのでしょうが、知名度なにもなしの私が初めて書いた小説です。その上今月喜寿を迎える77歳の老人、私の人生の賞味期限もおよそあと10年、出版社まわりをしていつ出版してくれるかを待つ悠長な時間はない。私は自費出版を決断した。自費出版では、ベストセラーがさらに生まれにくくなることは確かです。私が「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を自費出版した時は、今から11年前、その時とは自費出版業界は、様変わりに変わっています。今ではどこの出版社でも自費出版しているのだ。そのため数はあまり多くないが自費出版でもベストセラーが出ているのです。私はこれまでに宝くじなど買ったことはありません。今度はベストセラーという一等賞を取るために自費出版という宝くじを買ったのです。宝くじの一等賞をとるのは非常にむずかしい。しかしベステセラーという一等賞がとれなくても、それなりに売れなければ、私の筆力不足、能力不足としてあきらめることにした。

まず四社、中央公論社、新潮社、幻冬舎、文芸社から合い見積もりをとった。私の原稿に対四社の書評は、良かった、しかしけなしたら出版社も商売にならないから、その分書評も割り引いて考えねばならないでしょう。一般的に自費出版の場合は、初版千部での見積りになります。初版千部の見積りの他に重要な物が四つあります。
1.初版千部は、いつまで売ってくれるのか?出版期間はいつまでか?
大東亜戦争は、アメリカが悪い」の場合は、一年の出版期間だった。一年で千部以上売れなければ、それで出版契約は、終わり。ところが一年で三千部も出版したのだ。出版社は、こんな本売れないだろうと予測し、本の大きさ、厚さを考えると1500円では安すぎるのに定価にしてしまったのだ。売れても損をすることないが、儲けがほとんどないことになる。倒産したから良かったが、倒産してなければあわてて定価を変えねばならなかっただろう。

2.印税の詳細、初版も二版もそれ以降も同じか、自費出版初めての人、私のように何回か出版の経験もあり、ブログを長期間書いている人、当然印税に違いが出る。

3.チラシ広告、100部、500部など出版費用に含まれているかどうか?売るためにはチラシ広告は、絶対に必要ですし、またどういうチラシにするか著者の意見も必要です。
自費出版でチラシなどいらないということは、自分で売り込みはしないということです。自分の書いた本を自分で売り込まなければ、誰が売り込んでくれますか。

4.支払条件
小さな自費出版社なら、分割払いを進めます。倒産の場合の被害を少なくするためです。

これらの四つの出版社の見積りの総合評価の結果、私は文芸社と自費出版契約を結んだ。今から11年前私が初めて自費出版した時、文芸社も自費出版社として存在していた。以来自費出版社として成長し、今では自費出版社だけの出版社としては最大で、草思社(出版社)を100パーセント子会社化しています。自費出版だけで食べているだけに、他の三社、中央公論社、新潮社、幻冬舎よりも自費出版には、一日の長があることがわかった。文芸社は、今二つのベストセラーを抱えています。
1.「それからの三国志」
サラリーマンが定年後に自費出版をした歴史小説です。現在20万部売れているそうです。
2.「本能寺の変、431年目の真実」
明智光秀の子孫が、このかたサラリーマンであったかどうか知りませんが、自費出版した。歴史事件の捜査ドキュメントです。これも今30万部売れているそうです。

この本の二つのタイトルを見ると、ベストセラーになる小説は、本のタイトルからしてベストセラーになる雰囲気があるような気がします。それに引きかえ私の本のタイトルではベストセラーになる雰囲気はないし、タイトルを今更変えることもできないし、変えるにしてもアイデアは浮かばないし、このままのタイトルでベストセラーになる夢を見ることにしよう。本が売れれば「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の英文版は海外にも行き、日本語版の再出版も可能になるのだ。本は8月末に本屋から売り出されます。皆さん、ぜひ買って読んでみてください。本のタイトルは、「えんだんじ、戦後昭和の一匹狼」、定価は1600円プラス税です。

坦々塾生出版のお知らせ(1)

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渡辺望さんご自身による紹介文

 この『大東亜戦争を敗戦に導いた七人』と『未完の大東亜戦争』の二冊の本の依頼をいただいたアスペクト出版さんは、パソコン関係で有名なアスキー傘下の総 合出版社ですが、最近は歴史・政治関係の書籍に進出していて、特に佐藤健志さん、倉山満さん、古谷通衡さんといった若手の保守系評論家の本を次々に出して います。「今までとは違う保守系の本」をつくっていきたい、ということです。私への依頼もこの流れの中でのことでした。
 
 まず一冊目の『大東亜戦争を敗戦に導いた七人』ですが、大東亜戦争の戦後七十年、何を考えなくてはいけないかという問題意識から書いています。戦後「七十 年」の前は六十年、五十年が論壇や政界で大きく問題になったし、そして「七十年」の後は百年、百五十年ということが待ち受けているでしょう。私などからするとこのような果てしない時間的儀式の繰り返しは、はっきりいって徒労感をおぼえる。たとえば「戦後」ということなら、日露戦争にも戦後ということはあるけれども、日露戦争の「戦後」は少しも問題にならない。日露戦争の終戦戦勝記念日である9月5日を記憶している日本人がどれほどいるでしょうか。
「敗戦」ということがこの大東亜戦争の戦後の果てしない時間的儀式と関係があるのでしょう。国際法規が戦争状態を規定し、また大東亜戦争の戦勝国がその前後でさんざんに戦争を引き起こしている現実からして、「開戦」ということ自体には歴史的に何の犯罪性も問題性もないことは、多くの日本人はわかっているはずです。また戦争法規違反という中韓を中心とした日本への戦争責任追及にしても、彼らが証拠をでっちあげていることが多々あり、こうした「犯罪を偽造する犯罪」は、刑事法規の世界では虚偽告訴・誣告の罪といって、たいへん重要な罪なんです。つまり中韓などの国は「戦争犯罪を虚偽した戦争犯罪」法廷をつくらなければならないようなことをしているわけです。要するに、平和主義勢力
や中韓国家の言うレベルでの戦争責任は逆立ちしても成り立つわけがない。成立するとしたら、それを受け入れている日本の現実が逆立ちしているのです。
   
結局、「敗戦」ということについて、日本国民自身がそれを導いた日本人を歴史法廷に訴える、ということのみが「戦争責任」だということになるわけです。このことが明確化されないまま、いや明確化されないからこそ、「戦後~年」の儀式は延々と続いてしまうことになっていると思います。同じ「敗戦」でも、たとえば七世紀の白村江の戦いでの大敗では、開戦を主張した斉明天皇や中大兄皇子らの「開戦責任」は少しも問題にならず、敗戦責任を日本の統治機構のシステムの不備にあるとして、律令制度の確立と整備をおこないました。以降、律令制度は形骸化の時期を含めて約1200年の長きに渡り日本を拘束しますが、やはり白村江の「敗戦」、敗戦責任の記憶の拠り所がそこにあって、律令制度を見る度に敗戦を克服できたから、という視点も可能だと思います。いずれにしても七世紀の日本人の方が、二十世紀・二十一世紀の日本人に比べて、遥かに明晰に「敗戦」と「戦争責任」に向かいあうということができていたのではないでしょうか。
 
 ただし、七世紀の日本人は、「誰それに敗戦責任がある」というような歴史法廷の場まで持つことはありませんでした。その時代の日本は大人すぎたといえるかもしれません。その感情の蟠りのようなものが、その後しばらく、壬申の乱その他の陰惨な政治劇を生み出した面があると思います。七世紀の白村江の戦いと二十・二十一世紀の大東亜戦争の二つの敗戦の両方に欠けていた「歴史法廷」の場を大東亜戦争に関してつくり、「戦争責任=敗戦責任」の所在とそれを有する歴史的人物を明示することを本書の課題とした積りです。山本五十六、米内光政、瀬島龍三、辻政信、重光葵、近衛文麿、井上成美を「敗戦責任者」とした人物選択と敗戦責任の内容については、この紹介文では省かせていただきたく思い
ます。
 
 

講演 ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(決定稿)(五)

            (五)

 それでは、なぜアメリカがヨーロッパに取って代ろうとする力になったか? 多様な考え方があって、今の私の連載ではそれを追究していて、全部終わってからでないと確たることは言えませんが、ひとつだけ今日お話しできるのは、古代から中世を経て、ひとつの考え方があるんですよ。「アメリカとヨーロッパ中世は似ている」ということなんです。中世の無秩序と暴力社会ということは、先ほどお話ししましたね。今のアメリカはやっとここまで来たのであって、やっとここまで両大陸は来たのであって、また無秩序に戻りつつあるけど・・・。アメリカは最初、とにかく南アメリカも北アメリカも中世的な無秩序状態、自然状態だった。

 アメリカというのは、予想外に「ヨーロッパの過去」に根を持っているんですよ。幾つか原因がありますが、一つは「宗教過剰」ということです。Theopolis 「神の国」をアメリカ人は信じています。アメリカ人の信じ方、これは凄いですよ。ピューリタニズムに覆われたアメリカは、とりわけ「朽ち衰えるヨーロッパと、新しい、未来の輝かしいアメリカ合衆国。」「腐敗のヨーロッパと、純潔のアメリカ。」これがアメリカが最初から意識した、それこそ、ワシントン、ジェファーソン、アダムスらが言っていることですが、アメリカはこれによってヨーロッパを超えようとしたわけです。しかしそれは、ヨーロッパに始まっているんですよ。先ほどから何度も言っているルターやカルヴァンに始まっているんです。つまりそのことは宗教改革に始まっているのであって、そしてローマ教王は「アンチクリスト」であるというふうなことで、世界を蘇らせたあのエネルギーというものがまた始まるのです。

 いまひとつ申し上げたのは「宗教過剰」ですが、もうひとつは、「帝国の思想」というのがヨーロッパにあり、それがアメリカにのり移った、ということです。ジァファーソンも「帝国」ということを言っていますが、そういうアメリカの要人が言っていたことよりもっと広く、ヨーロッパ中世のバック・ボーンを成す「神話」があるんですよ。私もまだ詳しくはなく勉強中なのですが、「四つの帝国」という「神話」があるんです。皆さん、この話知っていますか? 旧約聖書の「ダニエル書」に出てきて、それは「ヨハネ黙示録」に並んで過激な・・・、というよりピューリタニズムの柱を成した思想です。ヨーロッパの歴史の中で、4つの帝国が移動してゆくんです。ネブカドネツァルは聞いたことあるでしょう? ネブカドネツァルというのは、イスラエルを滅ぼしてバビロンへ連れて行った・・・、「バビロンの捕囚」を行った王様ですね。彼が不思議な夢を見て(それに悩まされ)、予言者ダニエルが(内容を言い当て)解釈した。

その思想・・・。

『 王様、あなたは一つの像をご覧になりました。それは巨大で、異常に輝き、あなたの前に立ち、見るも恐ろしいものでした。それは頭が純金、胸と腕が銀、腹と腿(もも)が青銅、すねが鉄、足は一部が鉄、一部が陶土でできていました。見ておられると、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と陶土の足を打ち砕きました。鉄も陶土も、青銅も銀も金も共に砕け、夏の打穀場のもみ殻のようになり、風に吹き払われ、跡形もなくなりました。その像を打った石は大きな山となり、全地に広がったのです。これが王様の御覧になった夢です。さて、その解釈をいたしましょう。』

・・・ということで、ひとつひとつの帝国がそこに準えられていて、第一の帝国(純金の頭)がシリア、第二の帝国(銀の腕)がペルシャ、第三の帝国(青銅の腹と腿)がギリシャ、第四の帝国(鉄と陶土の足)がローマ、というふうに、帝国が移り変わった。その次に今度は時代が中世ヨーロッパになって、この「夢」は新たに解釈し直されて、四つの帝国は、第一に古代ローマ帝国、第ニにビザンツ、東ローマ帝国、第三にカール大帝のフランク帝国、カロリング王朝ですね。最後にオットー大帝の神聖ローマ帝国です。これは何れも古代と中世のヨーロッパの帝国がこの夢であったと、帝国の移り変わりの思想です。この帝国の移り変わりは、優れてヨーロッパ中世的なヨーロッパが「自分たちを凄いぞ」、といって自讃するイデオロギーの中核にありました。

 この「帝国の移転」の思想は、ヨーロッパでは消えてゆきますが、ところがそれがアメリカへ移ったということなんです。第四から第五の帝国(自然に切り出された石がは像の全てを打ち砕き、山となって全土に広がった、五番目の帝国「永遠の国、神の国」)、「アメリカ」が出てきます。それがアメリカの神話的根拠。これを言いだしたのは、なんと哲学者バークリなんです。バークリを通じてこの思想がアメリカに伝わったのです。

 皆さんは、オサリヴァンの「マニュフェスト・ディステニー」のことは知ってますね。「明白なる運命」などと訳されます。19世紀にオサリヴァンという新聞記者が言った「マニュフェスト・ディステニー」というのは、西へ西へとアメリカは膨張し拡大して行き、それは神のお告げであり意思であり「神慮」であるということです。女神が空を飛んでいて、西へ向ってゆく、そしてインディアンなどを蹴散らしてゆく・・・、そういう絵もあります。その西へ行くエネルギーがカリフォルニアに到達しハワイに行き、やがて日米戦争を惹き起したというのが、全体として考えられる問題なんですが、このドラマ、「マニュフェスト・ディステニー」は最初に誰が言ったかというと、哲学者バークリだというのが驚くべき話であって、古田先生のこの本((二)の最後で紹介)は、バークリから始まっているんですよ。古田先生はドイツ哲学よりも、イギリス哲学のほうがより根源的だというお考えです。バークリという人は、実際に物が存在するということを、「実在は人間の視覚と感覚を通じて認識されるから存在するのであって、それ自体が存在するわけではない」ということを最初に言いだした人で、それに対してまた否定論がいろいろあって、カントに繋がってゆくわけですけれど・・・。

 バークリは大知識人であり、西洋史の一角を築いた人ですが、実は五番目、「第五の王国」としてアメリカを措定し、「新しいイスラエルを建国して世界の終末までこの世を支配するであろう(アメリカは・・・)」そういう詩を書いていて、それが1752年に公表されまして、その10年ほどの間に10回以上も印刷され多くの人々の間で回覧されます。それに対する研究もあります。

 皆さんはカリフォルニア州立大学バークレー(バークリ)校をご存知でしょう。あれはまさにそうなのです。第二代学長(カリフォルニア州立大学バークレー校の) D.C.ギルマンが1872年、つまりバークリより120年くらいあとの学長就任演説で、

『 大学の場所がバークリ、学者で神学者の名を冠しているのは宗教と学問の双方にとって善の兆しである。彼つまりバミューダ諸島にカレッジを創ろうとしたイギリスの聖職者をロードアイランドのニューポートへと運んだロマンチックな航海から、まだ一世紀半もたっていない。……彼の名声は、……大陸を横断した。そして、いま、地球のまさにこの果てで、ゴールデンゲート海峡の近くで、バークリの名はよく知られた言葉となるに違いない。彼の例をみならおう。……彼のよく知られたヴィジョンが真実になるように働き、かつ祈ろう。
 「帝国の進路は西にあり
最後の四幕は すでに閉じ (四幕というのは、古代と中世の四つの帝国です。)
その日とともに ドラマが終わるは 第五幕
もっとも高貴なる時代 そは 最後の第五幕」 』

 こういうバークリの言葉があり、そして「明白なる運命」というのは、単に終末論、終末論ではなくて、アメリカ的楽天主義、進歩の理念に結びつく。そしてそれが、教育と科学技術の展開になってゆく・・・。これがどんなに根強いものであるか、ということにわれわれは深く思いを致さなければならないんですね。

 古代ローマ帝国、東ローマ帝国、フランク王国(カロリング朝ですね)、神聖ローマ帝国、古代近世、中世にかけての帝国。これは最初、古代地中海世界に生まれた帝国が中世ヨーロッパで開花し近代アメリカに移転した・・・。アメリカ合衆国は近代のトップランナーであると同時に旧約的な帝国思想の継承者であり代弁者である。すくなくともその思想は、地下水脈として延々と19世紀と20世紀のアメリカ合衆国に流れつづけたということです。

 19世紀と20世紀の世界を支配したのは、近代国家システムだと信じられています。これは国家だけが暴力を支配することを許し、暴力の発動は警察か軍隊か、つまり国家は内側には警察、外側には軍隊、こういう主権国家の特権として、それを基にして今の世界は成り立ってはいるわけですけど、それが本当に守られているでしょうか? それが今、おおいに疑問として突き付けられていることなのですね。21世紀の世界では、主権国家よりも宗教や民族や何か別のものが結合体として動いているケースが強い。略奪や私的な虐殺などが横行する・・・。中世と同じような現象が顕れ始めているわけですね。

 加えてその帝国、アメリカは、例えばアメリカと中国の今の関係はというと? 私にはアメリカは中国に阿片戦争を仕掛けていると思っております。またまたやってるな・・・と。「阿片」というのは、中国人に阿片の代りに「甘美なる近代生活」を味あわせたわけです。便利で豊かなモダンな生活を中国人の一部の人にでも与えたわけですね。これは麻薬のごとく中国人を虜にし、そしてそれによって踊らされて、あっという間に中国はそういう製品に溢れた国になっていったわけです。でも買いきれなくなって、今度はいよいよドルを放出せざるを得なくなってくる。いまはもう行き詰まりにきています。これはさながら嘗て、お茶を売って銀がどんどん流入していたイギリスと支那の関係で、どんどんどんどん流入した銀がある段階から流出に転じて・・・、それで支那はご承知の通り滅茶苦茶になってしまうわけですね。いまそういう境目に来ているんじゃないですか? 支那大陸は・・・。

 つまり歴史というのは案外同じことが繰り返されるわけですが、これはアメリカが仕掛けているんですよ。これが「アメリカ帝国」なんですよ。やっぱり帝国の思想なんですよ。そして日本にはひたすら従順であることを要求しているわけです。しかし、ついこの間まで円高で日本を苦しめていたのは同じアメリカですからね。

 一方ヨーロッパはどうかというと、ルールを守ろうとして、「ヨーロッパの中だけは、うまくやろうじゃないか」と。そういう理念は啓蒙主義の時代に生まれているわけですから、それは分かるわけですね。それがEUというものを創ったわけですが、でもEUというのは積極概念ではなくて、あるものに対する恐れから始まったのであって、それはアメリカと日本に対する当時の恐れだったわけです。アメリカはご承知の通り1971年にドルの垂れ流しのような、金兌換性を否定するニクソン・ショックというドラマがありましたね。ドルは垂れ流しになるわけでしょう。つまり、ドルはいくらでも刷って良いというこの恐るべきシステムにヨーロッパは吃驚するわけです。約束が違うのだから・・・。そして地球の40%まで、日米経済同盟で支配されてしまう。あれがヨーロッパを狂ったようにさせたEUのスタートなんですよ。EUは恐怖から始まっているんですね。そしてそれが湾岸戦争で、ドルの支配とユーロと争ったけど、結果としてアメリカはヨーロッパを許さなかった。そして結果として、アメリカはEUには軍事力を認めなかった。NATOがあくまで頑張れよと。

 EUに独自の政治国家は許さないということですから、結局EUは何のために創ったのか分からないということになってしまいます。もともと昔争っていた国々が、なんとか「合理的」に和解していこうとしていたところですから、内部の対立が激しくなれば、直ぐに箍(タガ)がガタガタと狂うのは当たり前で、このままいけば、10年もたないうちにマルクやフランが独立することになるのではないでしょうか? もちろんギリシャが脱落するだけではなく、マルクもフランもリラも・・・。全部そろそろ別々にやろうという話になるんじゃないか、と私は何となく思っていますが、まぁ、どっちに行くかわかりかせんが・・・。輝かしいEUの未来というのは考えられないと私は最初から思っておりました。また怪しくなっているから・・・。まぁ、それで歴史は同じことを繰返しているんですよね。

 それは各国みな基本にあるのはエゴイズムなので、ちゃんとそれを見ていれば、そういうことはよく分かるのです。ヨーロッパがなんとか創った形の秩序、法秩序、国際秩序、国際法 International Law というものがその基本に有るわけですが、日本はそれを一所懸命守って「文明国」になって、それでもなお且つそれで、イギリスの裏切りとアメリカの無法で、痛い目にあわされて。そしていまだにイギリスとアメリカが大きな顔をして地球を「理念的」に支配している構造が続いているために、日本は仕方なくて頭を下げて我慢して生きているという・・・。こういう状態が続いていると私は理解しております。

 ですから、今度の「イスラム国」は、それに我慢できなかった人たちが居るわけで、これは恨み辛みがたくさんあって・・・。そのようになったと思えるのは、おもに「イスラム国」に参加している人々が移民の2世、3世ですよね。フランス、ドイツ辺りにいる移民の子供達ですね。だからそれは如何に閉塞感があって・・・。つまり、ここで「日本は移民をやってはいけない」んだよ、と・・・。移民をやると碌なことが起こらない。これは絶対やらない・・・。ということでいかなければいけないのに安倍総理は、移民問題だけはだらしないところがあるので非常に心配です。これは断固、皆で反対しなければいけないテーマですが・・・。しかし私も言うのに疲れてしまって、皆さんの力もお借りしなければいけないと思っておりますが・・・。もう、目の前でこれだけのドラマを見ていながら、まだ「移民だ」などと言っているのだから・・・。それにテレビがいちばんいけないのは、「移民は危ない」と以前よりは言うようになったけれど、それが「イスラム教徒」というんですよ。日本の移民で怖いのは「イスラム教徒」ではないですよ。「中国人」に決まっているではありませんか? ところがテレビは、「中国人が怖い」とは言わないんですよ。言ったら首が飛ぶのかな? よく判らないけど・・・。私は「中国人に対する「労働鎖国」のすすめ」という本も書いているんですよ。そんなこと、遠慮していてどうするのでしょうか? まぁ、そういうところでしょうか。では、このへんで終わりにしましょう。

記録:阿由葉 秀峰

講演 ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(決定稿)(四)

         (四)

 いま現に展開している中東の情勢と、世界史を震撼させている新しい現象。突如として起こった奇怪な事態の数々・・・。しかしこの根は全部「歴史」にあるんです。大概の事は「歴史」にあるんですよね。

 それに対してわれわれが「許せない!」と言ったり、「無法だ!」と言ったり、安倍さんが「国際法というものがある!」ということを言ったりする。それをわれわれが常識として考えているのは、主権国家というものがしっかりと各国の体制を守り、警察と軍事力によって、内側には警察、外側には軍事力で、この単体としての国家体制というものを自存し、独立させているのが自明だと何となく思っているからなんです。そしてヨーロッパがの先鞭をつけて、そうした歴史の流れを作ったのが事実であって、日本はその必要があまり無かった国だった。そういう不思議な、幸運なポジションにあった国であった。そのように解り易く考えることが出来ると思います。

 ヨーロッパにおいては、激しい内部の争いが宗教戦争を招いてイスラム教徒とヨーロッパの関係だけではなく、十字軍も挙げられましょう。 

 じつはイスラム教徒は寛大だった・・・。異教徒に対して寛大だったんですよ。イスラムの地域において、信仰の自由を許していたし、異教徒がそこで生活することも許していたし、キリスト教も布教が許可されていたんです。ところが怒涛のごとくキリスト教の側が襲いかかった、というのが実態で、そのことについて今日はテーマとしませんが、これは信じられないドラマなのです。

 そしてヨーロッパにモンゴルが襲来した時、もちろんモンゴルにも苦しめられますが、実はモンゴルと和解してでもイスラムを討ったのですよ。モンゴルとは話合いをしてでもイスラム教徒のほうが憎かった。それはヨーロッパに延々と続いているドラマなんです。

 イスラムは地中海のアジアへの入り口を抑えていましたから、ヨーロッパ人はアジアの方へ出るのに東に進むことが出来ずに、ご承知のようにコロンブスは大西洋を西に、ヴァスコ・ダ・ガマはアフリカ大陸を南下するという海路をとらざるをえなかったのは、何れもイスラム教徒に妨害されていたからで、そしてそれを打ち破ったのが、1571年、スペインのフィリップ二世のレパント沖海戦でした。イスラム教徒をとにかく抑え込むということで、ヨーロッパが東への出口を徐々に見出すようになるわけです。

 それでも、オスマン帝国は怯むことは無かったので、オスマン帝国が存在する間はイスラム教徒は文明的にも優位でした。先ほど言ったフェニキア文明やローマ文明をがっちりと受けとめていたのはイスラムであって、アリストテレスやその他の哲学も素文源も含めて、イスラム教徒がアラビア半島経由によって西ヨーロッパが初めて知るようになりました。これは有名な話なので、ここでお話してもしょうがありませんが、じつはキリスト教中世を通じてプラトンだけは受け継がれていました。プラトニズムというものは、キリスト教の中核に繋がったからなのだと思います。ただしアリストテレスは「自然学」でしたから、始めは知らなかったのですね。

 それで、今度はプロテスタントとカトリックの争いが始まります。ヨーロッパ人も、相互の争いがあまりにも激しく、これでは堪らないということで、中世におけるそういったものの崩壊に伴って各国の個別性や領域支配を前提とした体制を考えなければやっていけない、ということになります。ローマ教王や神聖ローマ帝国皇帝ではなくて、各国の君主ないし共和国の「主権」というものを最高の存在として定めます。そして諸国家間の相互システムを築いて、出来るだけ無駄な争いはしないようにしようと。その間ものすごい時間がかかっているわけです。いわゆる英仏戦争。それからドイツを舞台に繰り広げられた三十年戦役・・・。こういう戦争ばかりしていた地域ですから、徐々に武器の発達というものも伴って、さらに悲劇、惨劇が拡がって・・・。ヨーロッパ中世は13世紀まではいいのですが、14、5世紀というのは、疫病と戦禍と農業生産性の低さからくる餓えによって、地球上で最も悲惨な地域になります。それがなぜ15世紀から16世紀になって、にわかに立ち上がるのか? 言うまでもなくこれは世界史の最大の謎のひとつであります。

 つまり、われわれはヨーロッパが創った主権国家体制という国家が登場した16世紀、始めて「国家」が登場して、神の世界から「約束ごと」としての人の世界というものが成立する。新しい秩序が生まれてからこの方、それを「文明」と見做して、その文明を明治日本は受容れたのであって、そういう世界の姿しか日本は知らないのですよね。だから日本はそれを一所懸命モデル、手本にしたのです。

 でも、米ソ対立も終わり、今の「イスラム国」というドラマは、ひょっとすると、そういうことも全て虚しくなっているということかも知れないのですよ。日本が明治以来受け継いできたヨーロッパが考えた秩序、国家間の秩序・・・。それも虚しくなっているのかもしれません。

 そこですこし翻って、どういう形で国家というものが登場したのか考えてみる必要があるのです。16世紀ですね・・・。今も言われている「法」というのは何なのか? 戦争は相変わらず続くわけです。しかし戦争の仕方が滅茶苦茶ではなくなってくるのです。戦争は「決闘」に似てくるのです。互いに平等で、互いに正しいことをお互いに認める。だから「正しい戦争」という、どこか一方が「正しい戦争」ということは言わないようにしよう・・・。その意味から初めて第三国の「中立」という概念も初めて生まれてくる。「認め合う約束事」があって初めて「中立」が出来るのです。

 と同時にわれわれが歴史で習うのは、国家というものがなんとなく人格を持った、例えばイギリスはこう言っている、とか。フランス政府はこう言っている、何か国家の意思みたいな、人格、主体が言っているみたいにわれわれはニュースを聴いたりする。習近平が言っていることは中国の・・・? 全然そうではないはずなのに、中国の意思みたいにわれわれは扱っている。そのようにして、国家は擬人化される。あるいは主権的な人格を持っているかの如くにわれわれはそれを理解する。これは全てヨーロッパの、この「歴史」を潜りぬけたことが世界に拡がっているからなのです。

 どういうことかというと、「国際法」の進歩ということですね。戦争はするけれども、戦争を人道化する、歯止めが利く戦争をする、戦争の遣り方をルール化する、戦争の制限、限定が行われる。殲滅戦争はしない。もう相手を徹底的に滅ぼすようなことはしない。これはヨーロッパキリスト教文明圏の名においてしない。あまりにも酷い戦争を潜り抜けた結果としてですよ。それは、英仏戦争も三十年戦争も酷かったから、もう疲れたわけです。疲れてしまったその結果、政治と宗教を分けるという観念、政教分離が生まれるのもそれなのです。あまりに酷かったから、もう疲れたわけです。「正しい戦争」ということは言わない。大人になろうと・・・。以上はヨーロッパの話ですよ。アメリカの話ではありませんよ。アメリカは全部これが逆になるのですけれど・・・。

 「正しい戦争」ということは言わない。「正しい戦争」というと、相手は「不正」となるわけですから・・・。これは戦争の姿を恐ろしいものにしてゆくわけですね。私も「国民の歴史」にそのことを書いたではないですか? 『人類の名において戦争を裁くと、次の戦争はもっと恐ろしいものになる』と。徐々に々、世界は再びそのもっと恐ろしい戦争に近付いているのかも知れないのですよ。まぁ、まだまだ100年くらい変らないのかもしれないけれど。分かりませんね、これだけは・・・。

 16世紀から18世紀にかけて、戦争の形式化、ルール化が行われるようになります。「戦争をやったとしても、どこまでもヨーロッパの土地の秩序とそのバランスの体系内に留まるものとする」という暗黙の了解が各国間に生まれます。つまり利己的な権力欲拡大の、無規則な無秩序、カオスにはしない、という約束で。ここに出てきたのはカントの「永久平和論」です。つまり啓蒙主義の成立ということです。ご承知のように、この延長線上にハーグ陸戦法規やジュネーヴ条約とかが出来て、戦争のルールをひきます。

 明治日本はその当時、「文明国」になろうとしたからそれを懸命に学んだわけです。日本が世界史の仲間入りをしたのは、このヨーロッパの主権国家体制が19世紀の末ごろに完成しますから、それを「文明」と見て、福沢諭吉も内村鑑三も、世界の歴史はこのまま進歩発展すると信じました。日本はそれを目指せ。日本が文明国になれば、もし他の国が非文明国になったときに日本はヨーロッパに学んだ文明国の名において、一等国として他の国を見下せる立場になれる。一等国になろう・・・。だから日清戦争のとき、日本は「文明国」であり、支那、朝鮮は別だと・・・。

 そうなるとですね、今の中国あるいは韓国をみて日本人は密かに軽蔑感と優越感を抱いておりますけれども、これはヨーロッパが創った文明の基準に合わせて日本は一等国で、彼等はまだまだ駄目なんだという認識が日本人の中にあるからで、その基準が根底から狂ったら、全然ナンセンスな話になるのです。亡くなった坂本多加雄さんが、「きっと福沢諭吉が日清戦争のときのように、文明の名において日本があらためて大陸の諸国を見下すときが来て、そのとき云々・・・」ということを書いてましたけど、実際その通りで、今日本はそういう心理に入っています。われわれは、文明国であると・・・。ノーベル賞も獲っているではないか、その他国際条約に従順ではないか・・・。

 でも、第一次世界大戦前だってそういうことがあって、第二次世界大戦前だって日本は国際法をよく守り従順で、それでも駄目だったんですよ。だから、なにが起こるか分からないんですよ。日本は国際法に対して本当に立派な遵法国家だったのですから。だから南京大虐殺なんて無かったというのは・・・、ハーグ陸戦法規に違反することはやっていないからですよね。1,000人ぐらいの便衣兵、スパイは射殺しているでしょう。これは、国際法に則っていたのです。でも、それを「虐殺」というわけです。今の彼等の歴史観でいけばそうなるわけです。なんでも自分たちに都合のいい歴史ですから。どこかに絶対正しい国際法が有るわけではないのですから、この問題は難しいのです。唯われわれは、あくまで西洋が作ったハーグ陸戦法規を盾にして主張してゆけばいいんです。いいんですけど、「そんなものは駄目だ!」と中国は言っている訳だから、中国はすでに西洋先進国が作ったルールを否定すると言っているのです。尖閣を攻めてきたのも其れですから・・・。そしてアメリカが危ういことに、其れに対してグラグラしているということです。

 話を元に戻しまして、あくまで16世紀から18世紀にかけて行われたヨーロッパ啓蒙主義ですが、海洋、海は、ところがその取決めの外にあったのです。いま、ヨーロッパが狭い中で取決めて、お互いに戦争しないようにしようと言ったのは、あくまで彼等の領土の内部、陸の話に過ぎない。海洋は別だったのですよ。これが大きな問題になるのですね。

 海賊国家イギリスの出現です。イギリスが如何に徹底した海賊であったかということは、私の連載の3回位前に書いていますね。酷い海賊だった。非国家的な自由な枠を作ってしまった。「海洋は全く自由だ。」と主張したわけです。そして、じつは1815年から1914年まで。1815年というのはウィーン会議です。もう少し前のトラファルガーの海戦からといってもいいのですが、そこから第一次世界大戦まで、Pax Britannica(パクス・ブリタニカ)イギリスの平和だったのです。イギリス帝国が治めた平和が19世紀ヨーロッパから戦乱を免れたわけです。フランス革命の後ですね。なぜパクス・ブリタニカが成功したかというと、イギリスは海を抑えたからです。じつはフランスは悔しいけれど駄目だった。オランダは、とっくの昔にイギリスに封じ込められてしまった。フランスも一所懸命にやるけれども抑え込まれて、イギリスに遅れをとります。

 イギリスの遣り方がが、どんなに凄いかも私はどこかに書いていますし、今度出ました本にもその話を書いています。「GHQ焚書図書開封第10巻 地球侵略の主役イギリス」、なかなか面白い話がとくに後ろの方に書いてあります。マダガスカルという島があって、植民地戦争で永い間イギリスとフランスが争っていましたが、あっさりとイギリスはマダガスカルをフランスに譲ってしまいます・・・。でも、それは驚くべきことでも何でもない事と日本の地政学者、京都大学の先生が分析して書いていて、それを紹介していますが。じつはイギリスはマダガスカルの周りの島々を全部抑えているのです。対岸のケニアもイギリス領になっていますね。そうすると、「フランスに任せておけばいいじゃないか。ちっとも何ともないよ。」マダガスカルのひとつぐらいは、という・・・。イギリスはそれをいたる所でやったのです。

 例えばハワイがアメリカに抑えられる前、カナダとオーストラリアがイギリスのものになります。イギリスは、オーストラリアとカナダの間に海底ケーブルを引こうとするのです。そのために太平洋の小さな島々、名もなき島々までも、ずうっと抑えています。すごいですね、その頃は明治日本ですよ。

 ところが、アメリカが言うことを聞かないでハワイを先に取ってしまいました。そして、その計画は実現できませんでした。ハワイを略取されることについて、日本政府は大隈重信以下、激しく抵抗したこの話を私は何度も本に書いています。だけど当時の外務大臣 大隈重信ら、あの時代の日本の政治家は、よもやハワイを無視してイギリスが勝手に長距離の地下ケーブルを引こうと思ていたことまでは知らなかったと思いますよ。つまり地球支配というのは、そういうことを着々とやっていた、ということですね。

 さて、パクス・ブリタニカというのは相手の廃止でも戦争の廃止でもなく、戦争の限定、法に満たされている状態をつくること、そして強大国の指導性を維持すること、これは大人の考え方で、占領というものは、征服ではない、負けた者の私有権も既得権も認める、例えば王様の廃位はあるけど、その人格を侵すことはしない、また、その側近を処罰することはあるかもしれないけれど、主権の変動は起こさない。軍事的占領は必ずしも敗戦国の政府の変動をひき起こさない、もちろん憲法の改変も・・・、そういう暗黙の取り決めでヨーロッパで成立したものです。1870年から80年代というのは、ヨーロッパは最大のオプティミズムの時代で、ヨーロッパの領土の権利を相互に認め合って、1885年ベルリン会議が行われます。これはビスマルクの力ですが、もうこれ以上領土の奪い合いをしないというヨーロッパの暗黙の約束が出来上がって、文明と進歩と自由貿易への希望に満ちた時代だといわれていたわけであります。イギリスが世界中を勝手に抑えることは我慢して認める。その代わりヨーロッパの中は平和で行く・・・。

 ところが間もなくしてそれが難しくなる事態が起こります。一つは、アメリカの介入が始まる。2つ目は、アフリカの土地を巡る争いが始まる。3番目は、ドイツがイギリスを許さない、と言い出すようになる。これが19世紀の終わり頃から起こるドラマですね。

 1890年から1914年のあいだ、ヨーロッパの国家内の相互の合理的約束、利害調整の秩序というものが出来上がって、それを「国際法」というわけですが、そしてそれを第一次世界大戦が始まる頃に、その国際法をヨーロッパの外の世界に適用しようと・・・。これが、我が国にだんだん禍をもたらすわけです。それはしかしヨーロッパ側からすると、自分たちの考え方が世界に拡大するわけで(日本もそれに同調するわけですわけですが・・・)それをヨーロッパの勝利、文明の勝利というふうに言っていたわけですね。

 ところが今言ったように、かならずしもそうはならなかった。文明の支配は不可能になってまいります。アメリカがそれを邪魔し始める。ドイツが台頭して言うことを聞かなくなる。パクス・ブリタニカは壊れるわけです。1919年のパリの講和会議はヨーロッパの国際法の会議ではなくて、世界の秩序はヨーロッパによって取り決められるのではなくて、ヨーロッパの秩序が世界によって取り決められる、という逆の事態が発生してしまいます。つまりアメリカの発言権の増大と西欧の没落、というこが起こってしまうわけであります。この事態を見て、いわゆる「国際法」というのは雲散霧消してしまうわけです。力を失うわけです。

 それでは何がそこで登場するかということを今日の話で少し解って頂こうと思うのですが、「中世」の次は「近世」或いは「近代」。その次には「現代」というふうに、何となくわれわれは考えておりますが、果たしてそんなことが正しいのでしょうか? 私は自分で今、歴史を書いていて古代や中世を絶えず行き来します。「近世」という概念は別としても、「中世」と「近代」の間には、深い溝があると皆考えています。そうでしょう? 皆さん。「中世」と「近代」との間には深い溝があると考えます。それはある程度あるんですよ。でも本当でしょうか? 「ポストモダン」というのは、「モダン」の概念を強く意識するから「ポストモダン」という概念です。だから「ポストモダン」というのは、「モダン」の側に入っているわけですが・・・。

 一方「中世」と「近代」との間の断絶というのは決定的ではないというのが、「イスラム国」が挑戦していることなんですよ。この大混乱はそこに起因しているんですね。そしてヨーロッパが決めたあの戦争のルールは、第一次大戦の前に虚しくなって、アメリカはそれをぶっ壊しますけれど・・・、またまた虚しくなっているわけですね。

つづく

講演 ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(決定稿)(三)

            (三)

 「暴力」が基本にあった・・・。正論12月号にホッブスを例に、中世のもっぱら暴力について書いているので憶えておられると思います。

『西洋の歴史は戦争の歴史といったが、イコール掠奪の歴史でもあった。掠奪は経済活動ですらあった。』 『略奪し強奪しあうことこそ人間の生業であった。それは自然法に反すると考えられるどころか、戦利品が多ければ多いほど名誉も多いと考えられた。』

 その実例をここではたくさん書いています。どれか一つだけ例を挙げると分かり易いのですが・・・、一番最初に私が書いたトーマ・バザンの「シャルル七世の歴史」の一節からとった、分かり易い具体的な例です。読んだ人は知っているかと思います。

『この辺りでは畠仕事は都市の城壁の中、砦(とりで)や城の柵の中で行われる。それ程でない場合でも高い塔や望楼の上から目の届く範囲内でなければ、とうてい野良(のら)仕事などできなかった。物見の者が、遠くから一列になって駆けてくる盗賊の群を見付ける。鐘やラッパはおろかなこと、およそ音のする物はことごとく乱打されて、野良や葡萄畠で働いている者たちに、即刻手近かの防御拠点に身を寄せよと警報を伝える。このようなことは、ごくありふれたことだし、またいたる所で絶えず繰り返されたのである。警報を聞くと、牛も馬もただちに鋤から解放される。長い間の習慣でしつけられているから、追うたり曳いたりするまでもなく、狂わんばかりに駆けだして安全な場所へと走って行く。仔羊や豚でさえ、同じ習慣を身につけていた』

 要するにそれぐらい無法なんです。今の「イスラム国」を見てください。無法でしょう?これはイスラムでなくヨーロッパの話なのですが、近代国家が生まれる前の「中世がえり」。世界は中世に近付いているということで、皆さんに今この話をしているわけです。

 

『だから、大土地所有者は武装集団を抱えていたし、民衆も武器を常時携えていた。僧侶ですら武装していた。橋も砦になり、教会は城塞として造られ、僧院には濠、跳ね橋、防柵があり、地下牢や絞首台まで備えている所もあった。僧院や聖堂は掠奪の標的になり易かった。』

 暴力がいたるところに偏在しているで点は、平安末期の日本も恐らくそうでしょう。でも上に聳え立つ公権力が成立していれば、ことにそれが武家集団であれば、それほど無秩序にはならないんですね。ヨーロッパ中世には国家がないんですよ。国境がないんです。あったのは教会なんです。全体として、カトリック教会そのものが国家だった。これは精神的権威であっても政治的権威ではありませんから、ホッブスが「万人の万人に対する戦い」と言った姿が、ヨーロッパ中世の姿であった。

 戦争が日常であり、掠奪が合法であり、反逆とか復讐とかが当たり前なこととして横行していわけであります。Fehde(フェーデ)という言葉があるのですが、フェーデというのは、プライベートな戦争のことです。

 他人に対する想像力がひどく弱い時代で、相手の痛みの感じ方が無かったのではないか。例えば目玉をえぐり出すという刑罰がありました。しかもこれは「お情け」であった。「死刑にしないでやるから」と・・・。これは、最近の「イスラム国」の残虐処刑を思わせます。人類はあっという間に千年を飛び超えてしまったのではないかと・・・。

『今の中国大陸もある程度そうかもしれないが、すくなくとも蒋介石時代の支那大陸はそうだった。あるとき黄文雄氏が「戦いに負けた方は匪賊になり、勝ち進んだ方は軍閥になる」という面白い言い方をされた。』

 私は名言だと思い憶えていますが、国家というものが無かった時代の大陸の無法状態の中で、強盗集団が軍事力になり軍閥になる。地方権力になる。だから今中東で起こっていることがまさにそれであります。

『 面白いのは8世紀の西洋のある法典にも似たような規定があることだった。ウェセックス国の法典第十三条に、7人までは窃盗、7人から35人までは窃盗団、それを超えるものが軍隊である、という規定がある。盗賊と軍隊との違いは単数の相違でしかなかった。』

 まだ国家意識とかいったものもはっきりしなかった時代の話です。

 さて、そういう状況の中で最近の出来事を見ると、安倍総理は「法の必要」ということを頻りに言いますね。ここでいう「法」というのは「国際法」のことでしょうけど、「法」という言葉が通らない勢力に向かって「法」ということを言うわけですね。

 では、「国際法」とは何だったのか? あるいは安倍総理が言う「法」というのは、どういう形で出現したのか? 今を見ていると、確かに中世に戻ったようであり、そして、「法」はまさに「無法」なわけです。一方で私たちは、なにか何となく、主権国家というものがあって、それを当然の事とうけとめて、そして、「それに反している!」と怒っているわけです。しかし、もし「国家」だとしたら、爆撃または空爆することは「無法」ではないのでしょうか?

 ひと頃、「北朝鮮を核査察せよ」と言いましたね。それに対して、ひとつの国の主権国家の防衛権を、「なんとしても核を開発する」と言っている北朝鮮の主張のほうが、道理に合っていると言えないでしょうか? それは主権国家の自由ではないでしょうか? それは「日本の危険」ということとはまた別問題の問い、として言っていますが、「無法」といことを言うならば、どちらが「無法」かわかりません。いつの間にかヨーロッパやアメリカが決めている法秩序、国際法秩序つまり主権国家体制というものが自明のこととされています。そしてそれをヨーロッパ、アメリカの側が破ることはいくらでもあるのに、私たちはその主権国家体制というのを自明のことのように考えているのは、正しいのだろうか? おかしいのだろうか?

つづく

講演 ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(決定稿)(二)

        (二)

 イスラム教徒とキリスト教の対立の背景は、皆さんも相当ご存知かと思いますが、最近の話ではなく、2000年前から始まっていました。

 19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したベルギーの有名な大歴史家、アンリ・ピレンヌに、「マホメットとシャルルマーニュ」という1937年に出版された著書があります。フランス語のシャルルマーニュCharlemagneとはドイツ語でKarl der Große カール大帝のことです。この大著のさわりをご紹介しようと思います。まず、ゲルマン人がローマ帝国に侵入した時と、イスラム教徒がローマ帝国に侵入した時の違いをまず論じています。

 ゲルマン人がローマ帝国に侵出したときは、帝政の成立以前から直ちにローマに同化されつつ、ローマの文明を必死に守り、その社会の仲間入りを果たすべく、ゲルマン人は精神的には従順且つ従属的でした。ゲルマン民族の侵入は、ローマ帝国が誕生するより前から、徐々に北方から入っていたのです。

 これに反して、アラビア半島との間には、ローマ帝国は長い間交渉らしい交渉を持っていませんでした。ゲルマン人との間では長い間ローマ帝国は長い交渉があったのですが、アラビア人はマホメットの時代まではほとんど接触がなかったのです。

『 ヨーロッパとアジアの両方に対して同時に始まったアラビア人の征服は先例をみない激しいものであった。その勝利の速やかなこと、これに比肩し得るものとしては、アッティラが、また時代が降ってはジンギスカン、ティムールが、蒙古人帝国を建設した際の勝利の速さがあげられるのみである。しかし、この三つの帝国が全く一時的な存在であったのに対して、イスラムの征服は永続的なものであった。(中略)この宗教の伝播の電光石火のような速やかさは、キリスト教の緩慢な前進に比較するとき、全く奇跡とも言うべきであろう。
 このイスラムの侵入に比べるならば、何世紀もの努力を重ねてやっとローマ世界Romaniaの縁をかじりとることに成功したにすぎない、ゲルマン民族のゆるやかで激しいところのない侵入など問題ではなくなる。
 ところがアラビア人の侵入の前には、帝国の壁は完全に崩れ去ってしまったのである。』

 つまり、よく歴史の教科書にゲルマンの侵入がローマ帝国を崩壊させたと書かれていることについて、ピレンヌの学説は「違うんですよ。」といっているのです。ゲルマン人は武勇、智勇に優れているけれど、しかし文化面ではローマ人に包摂されて、侵入は速やかではなく徐々にでした。

 それに対して、ローマ人は

『ゲルマン民族よりも明らかに数の少なかったアラビア人たちが、高度の文明を持っていた占領地域の住民に、ゲルマン民族のように同化されてしまわななかったのは何故であろうか、』

ということを、ピレンヌは問題にしています。

 

『ゲルマン民族がローマ帝国のキリスト教に対抗すべき信仰を何ももっていなかったのに反して、アラビア人は新しい信仰にめざめていた。このことが、そしてこのことのみがアラビア人を同化することのできない存在にしたのである。』

 つまり、ゲルマン民族はなにも信仰をもっていなかったというのです。そこへローマ帝国との接触が始まったというのです。アラビア人はそうでなかった、とピレンヌは言うのですが、これには問題があります。いうまでもなくゲルマンにはゲルマンの信仰はありました。それは我が国の信仰にも似ているような一種のアニミズム、洞穴とか樹木の霊とかそういうもの。或いはまたゲルマン神話というのは、忠勇、武勇の神々、英雄たちの乱舞する皆さんもご存知の、後にワーグナーが楽劇にするような、そういう神話世界がありました。ゲルマン人に信仰がまったく無かった、などということは全く無ありません。そのことは、私が今日お渡しした雑誌(正論3月号)の中にきちんと書いていますので、読んでいただきたいと思います。

 ゲルマン人に信仰が無かった訳ではありませんが、しかしながら、「一神教」ではありませんでした。ローマはその頃すでにキリスト教化していたのですが、イスラム教はキリスト教と旧約聖書を同根に持つ一神教です。

『アラビア人は驚くばかりの速さで自分たちの征服した民族の文化を身につけていったのである。かれらは学問をギリシャ人に学び、芸術をギリシャ人とペルシャ人に学んだ。少なくとも初めのうちはアラビア人には狂信的なところさえなく、被征服者に改宗を要求することもなかった。しかし、唯一神アラーとその予言者であるマホメットに服従することをかれは被征服者に要求したし、マホメットがアラビア人であることからアラビアにも服従させようとした。アラビア人の普遍宗教は同時に民族宗教であり、そしてかれらは神の僕(しもべ)だったのである。』

 こういう点では、ユダヤ教も似ていると言ってもよいでしょう。それに対して、

『 ゲルマン民族はローマ世界Romaniaに入るとすぐにローマ化してしまった。それとは反対に、ローマ人はイスラムに征服されるとすぐにアラビア化してしまった。』

 アラビア人がいちばん凄いということですね。

『コーランに源泉をもっているその法がローマ法に代わって登場し、またその言語がギリシャ語、ラテン語にとって代った。』

 そしてアラビア語が支配することとなったために、西ヨーロッパの言語にとんでもないことが起こるのです。ローマ帝国の末期頃、公の言葉、国際語のギリシャ語が使われなくなり、代わりにイタリア、フランス、スペイン、ドイツ、という各地方の方言が使われるようになり、ラテン語も衰微していってしまうのです。

 その方言の使用が次の時代、だいぶ経ってからヨーロッパが生まれる理由ともなるのです。しかし、それにはさらに数百年から千年ぐらい時間がかかり、ダンテはイタリア語で神曲を書き、ルターが1500年代に聖書をドイツ語訳する。こういった民族の興隆には、およそ1000年くらいの時間がかかっているのです。

 イスラムがどれほど支配的であったかがこれでお判りかと思います。これまでの間にどのようなことが起こったか?これが根本問題で、皆が知っているヨーロッパは二つに分断されます。ローマを中心とする西ローマ帝国およびビザンチンと言われる東ローマ帝国。真ん中には地中海があり、そこには交通がありましたが、イスラムによって分断されてしまいます。

 『 リヨン湾の沿岸も、リヴィエラ地方からティベル河の河口にかけて海岸も、艦隊をもっていなかったキリスト教徒たちが戦争と海賊の荒らしまわるがままに任せたから、いまでは人煙稀な地方となってしまい、海賊の跳梁する舞台と化してしまった。港も都市も打ち棄てられてしまった。東方世界とのつながりも絶たれ、サラセン人(アラビア人)たちの住む海岸との交流もなかった。』

 地中海は押さえ込まれたということです。

 『ここには死の風が吹いていた。カロリング帝国は、ビザンツ帝国とは極めて著しい対照を示す存在であった。それは、海への出口を全くふさがれてしまったため、純然たる内陸国家であった。嘗てはガリアの中でも最も活況を呈し、全体の生活を支える要(かなめ)ともなっていた地中海の沿岸諸地方が、今では最も貧しい、最も荒涼とした、そして、安全を脅かされること最も多い地方となってしまった。ここに史上初めて、西欧文明の枢軸は北方へと押し上げられることになり、』

 つまりヨーロッパといわれるものは、いまはじめて我々が知っている西ヨーロッパのほうへ、つまりローマ地中海から北方へグーンと押し上げられてしまった。今でこそ、車で行けば行ける距離、あるいは飛行機で行けばひとっ飛びの距離でありますが、当時は封じ込められてしまったのです。

 『その後幾世紀間かは、セーヌ、ライン両河の中間に位置することになった。』

 つまり、その辺りにゲルマン人とローマ人が混血し、文化程度が著しく堕ちたカロリング王朝が位置することになったのです。

 『そして、それまでは単に破壊者という否定的な役割を演じていたにすぎないゲルマン諸民族が、今やヨーロッパ文明再建の舞台に肯定的な役割を演ずる運命を担って登場したのである。
古代の伝統は砕け散った。それは、イスラムが、古代の地中海的統一を破壊し去ったためである。』

 つまり、古代の伝統、つまりギリシャ、ローマの伝統が、ずっと続いていましたが、それが今言ったイスラムの侵出により・・・。これが言語問題にものすごく影響してしまい(今日お渡しした正論3月号の最後の方に書いてありますが・・・)、ギリシャ語の聖書も消えてしまい、ギリシャ語を話す者さえも居なくなってしまったのです。

 カール大帝は文盲で(皆ひとに遣らせていた)、教養の程度も著しく低く、西ヨーロッパは文字を読むのは一部の聖職者に限られ、伝統からも情報も絶たれた、文化的にも著しく遅れた野蛮な地域でした。それゆえに迷信も蔓延り、キリスト教がその迷信を加速させました。キリスト教はもちろん一神教ですが、その他の信仰、マニ教、グノーシス主義、ゾロアスター教、そしてアニミズムがゲルマン民族を捉えつつも、カトリックはそれらとある程度の共存をしたのです。それらを認めはしないけれど、直ちに弾圧、攻め滅ぼすことはなく、いわば許していたのです。

 現代のカトリックは少し違いますが、基本的にカトリックは「自然」というものを尊重するところがあり、一神教以外の神の概念をまったく認めない、ということはありません。

 一番象徴的な例は、戦後、靖国神社がマッカーサーの命令により焼却される危険に曝されたとき、反対したのはカトリック教会でした。それは「自然法」というものを尊重している。自然法というのは、法律以前に自然の定めで決められていること、解り易くいえば、結婚は男と女がするものである、とか、敗者といえども自分の民族を守った者は祀られてしかるべきであるのも自然法のひとつですから、靖国神社を焼き滅ぼすなどとんでもないというカトリックの考えで、そのカトリック教会に靖国神社は守られたのです。そういった意味でカトリックが諸宗教に寛大であることがお解りかと思います。

 ところがプロテスタントはそれが許せないのです。その話が正論3月号の最後の方に出てきますが、簡単に言うとプロテスタントは神をもう一度、再確認したのですから、キリスト教の復興、カトリックと大いなる戦争をしたのですから、カトリック側にも当然新しい選択を迫られた。自覚的な信仰の再宣託が行われたので、両方の宗教にとって近代化ということになるわけですが、ニーチェは面白いことを言っています。

『ところがルターは教会を再興したのであった、つまり彼は教会を攻撃したからだ。・・・・・・』(「アンチクリスト」第61節)

 「プロテスタントは、キリスト教を攻撃したために蘇らせてしまった・・・、本来亡くなって然るべきキリスト教が、ルターの、あるいはカルヴァンの攻撃によって自覚が蘇り、カトリックまで復活してしまった。」とニーチェは残念がって言っていた。そのようなパラドクスがあるわけですが、大きな流れで言うとそのようなことが言えるわけです。

 先を急ぎます。フランスのカルカソンヌ城をご存知ですか? フランスに行くと必ず観るのですが、そんなに(ご覧になった方は)居ないのですか?南フランスに旅行すると必ず観るのですが、意外と知らないのですね。素晴らしい古城で、夜はライトが照らされていて本当に素晴らしい・・・。トゥールーズのあたりです。

 この古城は異教徒の城で、それを法王が攻め滅ぼしてしまうのです。それはまさに中世のいろいろな十字軍がありますが、十字軍というのは外に出ていくもの、と皆さん思っているかもしれませんがヨーロッパの中をも攻撃する十字軍も当然あるのです。つまり、キリスト教に一元化するために「異教徒が一人でもいたら怪しからん」ということで、凄まじい戦争をしてトゥールーズの城カルカソンヌは何万という人を殺して潰されてしまう、という歴史があるんですよ。

 それは、今日お渡しした雑誌(正論3月号)の連載の前半の終結部分にだんだん近付いていて、日本が始まるのは未だもう少し先なのですが、ぜひ読んでおいていただくと有り難いのですが、言わなくても読んでいる人はきっと読むから・・・。だけど知っているんですよね。言っても読まない人はきっと読まないんですよね。学生に教えていたころから知っているんですよ。こう言っては皆さんに無礼かもしれないけれど。小川さんは「先生、プレゼントをしなくても、皆さん買って読みますよ!」と言っていましたが、それは「3分の1くらい」の方はそうでしょうから差し上げた訳でして・・・。ただ、単独で読んで頂いても纏まっていて、読切りの短編になっていますから、前とのつながりが無くてもわかります。

 その意味で、プロテスタントはキリスト教最高の運動になると同時に、プロテスタント自体がキリスト教の内部に対する「十字軍」だった、と言えないこともありません。(つまり、外に対しては「十字軍」。内部では「プロテスタント」)それぐらいルターとカルヴァンの思想、行動は峻厳だったんですね。ですから、いろいろな雑駁な異教徒の流れを汲む様々な理念や思想は潰されていったということがひとつ言えます。

 さて、今までの話でイスラム教徒とヨーロッパ文明との対決が、いかに根が深いかお判りになったと思います。もちろん同時にキリスト教の側は、その遅れた教養も低い鎖された地域の彼らは、信仰心だけは固めつつ、異文明に対してチャレンジしてく・・・、有名なのは、「十字軍」ですね。

 ご承知のように、十字軍は11世紀にはじまります。具体的な説明はしませんが、イスラエルがひとつ、それから北の方のラトビアとかポーランドへ向けての十字軍、イベリア半島スペイン・・・。つまり地中海は全て抑えられますから、地中海の異教徒を追払うということ。それから、最後には2つのアメリカ大陸に進出すると・・・。じつは、これら全て十字軍なんですよ。つまり信仰の旗を掲げて、そして、異教徒を改宗させるか、殺戮するか。「改宗か? 然らずんば死か?」そして、それを実行するために、内部の綱紀が緩むために粛清する。これが数多くの粛清劇、魔女狩りとか・・・、先ほどのカルカソンヌ城の異教徒退治もそのひとつですね。

 つまり、内部を徹底的に時々厳しくやり、そして外対して、異教徒に対しては妥協したり拡げたりする。いろいろな形で柔軟にやるのです。さながらその姿は、「私たち異教徒」から見ると、ソヴィエト共産党と中国共産党みたいなものに見えますね。つまり、外部に対しては外交的に狡猾で、そして、内部に対しては一寸した異端も許さない粛清劇をする。非常によく似たところがあるんですよ。ですから、「棄教」といって、教えを棄てる聖職者がいると、それを許さないだけでなくそれに対する尋問をしたり、それが後々までどんな影響を持つかということを徹底的に論争するという、激しいものがあります。そういう点も、共産党を辞めてしまうことに対する手厳しい攻撃によく似ていますよね。それが中世ヨーロッパのエネルギーであると同時に、それがまた世界史に拡がっていくパワーだと私は思っています。

 善かれ悪しかれキリスト教のヨーロッパ中世からはおそらく3つのもの、ひとつは「暴力」、ひとつは「信仰」、そしてもうひとつは、16世紀に産まれる「科学」がありますね。今日はその話は出来ませんが、自然科学は、何と言ってもポジティヴで、そして自然科学はキリスト教そのものから産まれたのであって、それは他の宗教に類例を見ない出来事、ドラマなのです。自然科学は一般的で普遍的であると思われるかもしれませんが、根っこはキリスト教にあったということは、また一つ大きな問題であります。そのテーマは、今日お見えになっているかどうか・・・?古田(博司)先生、いらしてますか?(小川揚司さん:4時ごろお見えになります。)古田先生の「ヨーロッパ思想を読み解く―なにが近代科学を生んだか」(ちくま新書)という本がありまして、これはひじょうに難しい本ですが、いろいろなことを考えさせられます。

つづく