病中閑あり

「九段下会議」から「坦々塾」へ

                     西尾幹二

 私は「路の会」と「坦々塾」という二つの勉強会に関与していた。二つとも政治や社会問題や歴史研究に関心のある方々から成り、月一回の会合に進んで参加して来られた方が多い。「路の会」はプロかセミプロの言論人で、「坦々塾」は私の愛読者が主だったが、やがて噂を聞きつけて集まって来た一般人もおり、会社勤めを終えたいわゆる定年組が多かった。日本では今この層が一番本も読み深く知識を求めている人々で、頼りになる階層である。

 二つの会はどちらも会費を頂かず、会員名簿も作らない。熱心に来て下さる方は歓迎され、去るものは追わず、この自由がかえって会を長続きさせた原因だった。「路の会」は二十年余の歴史があり、この内部から「新しい歴史教科書をつくる会」(以後「つくる会」と略称する)が誕生した。西尾幹二全集第17巻の後記にその経緯が説明されている。「路の会」のメンバーの中心の座にいたのは宮崎正弘氏で、この会から新人として世に出てその後存在感を示した馬渕睦夫氏のような例もある。

 ここでは「坦々塾」成立の経緯とその政治的背景を語っておきたい。私は「つくる会」の会長を2001年9月に退任し、それから2006年1月まで名誉会長の位置にあり、現場の指導は田中英道会長に委ねていた。

 時代は小泉純一郎政権(2001年4月~2006年9月)下にあり、私が「つくる会」名誉会長の名において最も激しく時代に挑戦した最後のこの局面は、小泉首相が世間を騒がせていたあの時代とほぼぴったりと一致することになる。野党の党首菅直人までが、腹を立て私に直接電話を掛けて寄越し、そんなに大きな影響力を発揮したいなら、大学教授を辞めて代議士になって発言せよ、と腹立ちまぎれに言って来たこともある。野党から見ても私の発言はよほど目障りだったに違いない。自民党が箍の外れた水桶のように締まりのない緩んだ状況であったことは今と変わらない。自民党にはより保守的な右の勢力からの批判や攻撃が必要だった。嘗ての民社党のような勢力が必要であった。自民党は左からの批判や攻撃には十分に耐えて来たが、右からの圧力が無く、風船玉のようにフラフラと左右に揺れて来たのはそのためだろう。右からの要求は或る力が代わりをなしていて、自民党を背後から操っていた。それはアメリカだった。アメリカが右からの圧力を省いてくれ、自民党を身軽にしたということは、自民党を甘やかし無責任政党にしたということだ。それがアメリカの政策だった。

 二次占領期が訪れていた。私は思い立った。伊藤哲夫、中西輝政、八木秀次、志方俊之、遠藤浩一、西尾幹二、以上6名を代表代理人にして急遽、「九段下会議」と名付けた保守決起のグループ活動を始め、その先頭に立った。九段下にあった伊藤氏の事務所会議室を借りて運営し始めたので、この名を採用したのである。そして皮切りに月刊誌『Voice』(2004年3月号)に「緊急政策提言」という初宣言を私が書いて発表した。勿論代表代理人の討議を経て、内容は外交、国防、教育、経済ほかの各方面を見渡したものである(西尾幹二全集第21巻Aの630ページ参照)。しかも特徴的なのは、この提言を読んで関心を喚起された一般の方々の文章を募集し、独自のオピニオンを持つ方々を同会議のメンバーに加えるという会の方針を明記した。人数は忘れたが、選ばれて集まった方々は数十人を数え、会議室はいつも満杯だった。

 会議は何度も開かれ、これを聞きつけて安倍晋三、中川昭一を始め、当時勉強熱心で知られる「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」などに参集していた自民党内の若い保守勢力が次第に関心を高めるようになった。安倍晋三に会議の情報を伝えたのはたぶん伊藤哲夫氏と八木秀次氏だったが、とくに伊藤哲夫氏は政治的フィクサーの役を演じ、安倍政権の成立に情熱の全てを注ぐ立場の人だった。八木氏は安倍とは妻同士が親しく昭恵夫人とツーカーの仲であることが自慢で、周囲にも吹聴していた。

 伊藤哲夫、八木秀次に中西輝政を加えた三氏はやがて安倍政権成立の前後に、「ブレーン」の名でメディアに取り上げられ、関係の近さは秘密でも何でもなく公然の事実だった。政治家も不安で、よりはっきりした思想上の拠点が欲しかった時代だった。
 
 「朝日」が後日これを嗅ぎつけて、私と安倍との繋がりを調べに来た。調査は公平で、好意的ですらあったが、出た記事内容は私にも「つくる会」にも悪意に満ちたものだった。

 この頃、小泉純一郎は靖国にこれ見よがしに参拝し、またこれを止めたり、また近づいたり、私には靖国を愚弄しているようにさえ見えた。首相と名の付く人が来て下さるだけで有難いと、靖国側の人々が卑屈に耐えているのがまた哀れで、腹立たしかった。小泉の姿勢が不誠実であり、「自民党をぶっ壊す」との暴言は知性を欠き、政策は郵政民営化一本槍で、五分もスピーチすれば話の種子は尽きるほど、郵政問題にすら深い省察を欠いている虚栄の人、から威張りの無責任男に対する不信感は、心ある人々の間で次第に高まっていた。ただ大衆は逆に小泉の煽動に操られ易く、大言壮語に付和雷同した。

 そのピークは2005年9月の「郵政選挙」だった。党内の至る所の選挙区に刺客を立てるなど、徒に恐怖を煽る小泉の手口は社会全体を不安定にした。日本は国家としてあの時少し危うかったと思っている(西尾幹二全集第21巻A461~538ページ参照)。私が『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』(2005年12月刊)という思い切ったタイトルの本を刊行したのはこの時だった。

 私には恨みもあった。「新しい歴史教科書」をダメにしたのは小泉だった。検定までは容認するが採択はさせない、という腹積もりで彼は韓国を訪問し、立ち騒ぐ韓国政府との妥協を図ったと私は見ている。また教科書採択に当たった全国の教育委員たちが、波打つように小泉政府の無言の指令を忖度して、同一行動をとった動きを私はソフトファシズムの徴候と見て、そう書きもした。「民主主義の危機」と左翼が使うような表現をすら私はついに書いた。
 
 しかし日本は習近平やプーチンのように自分の任期を勝手に無期限にする独裁国家ではなかった。「郵政選挙」から1年後の2006年9月に小泉は安倍に政権を禅譲して、国民は明るい性格の安倍に新たな期待を抱くようになった。私も千代田区立公会堂で「安倍晋三よ、『小泉』にならないで欲しい」と題した市民公開講演を行い、満席の会衆を迎えた。
 
 それに先立つ少し前、まだ小泉時代が続いていた末期に、私は小泉から「ただでは済まさない」という脅迫のメッセージを受け取った。メッセージを私に伝えたのは何と八木秀次氏だった。知らぬ間に何か異変が起こっていた。私の権力を恐れない性格をはた迷惑と冷たい目で見ている人々が私の周辺を脅かし始めていたのに、私は気づかなかった。権力に媚びてでも利益を得たい―それが人間の本性である。勿論誰もそれを非難することは出来ない。

 私はその頃、十日ほどの予定でニュージーランドに観光旅行に出かけた。短い留守中に異変は拡大していた。安倍政権擁立のための運動が具体的に進んでいて、伊藤氏はもとより水島総氏なども旗振り役に加わり、保守運動家たちの大同団結が企てられていた。その後安倍も集会などを主催し、私も一、二度呼ばれて顔を出したこともあった。そのとき分かったのは、安倍は嘗ての政治家に例のないほどに知識人や言論人を必要とし、彼らから知識や統計上の数字を知ろうとしていた。当時南京虐殺事件が国難の一つだった。事件はなかったという主張が保守側に渦巻いていた。安倍は専門家に何度も問い質し、反論のロジックの筋道や数字上の事実確認を繰り返し聞いている場面を私は目撃している。伊藤哲夫氏がその頃役に立つアドバイザーであったことは間違いない。

 その間に「九段下会議」は何処かへ行ってしまった。同じ会議室を使って伊藤氏や八木氏が密議を凝らしていたに違いない。安倍のために全てを投げ打って一致団結する人々から私は敢えて距離を置いていた。「九段下会議」で唱えた理想が継承されるという保証は何処にもなかったからだ。

 ある講演で伊藤哲夫氏は、従軍慰安婦問題について国際社会で日本が抗弁する情勢にはなく、「日本が悪い」の圧倒的な声に我が国は頭を垂れ、謝罪し続ける以外にないと語ったことがあり、私は心密かに反発していた。

 その間に「つくる会」の周辺や内部に不穏な空気が漂い始めた。理事たちの一部が藤岡信勝排斥運動を始めた。藤岡氏は「つくる会」の柱だった。これを倒そうという動きは、理事たちの一部が「日本会議」に通じている面々であることが次第に明らかになったが、それは「日本会議」による「つくる会」乗っ取り事件の様相を呈し始めた。私は慌てた。この場面でも伊藤哲夫氏は暗躍している。
 
 間もなく「つくる会」そのものも分裂した。内紛が起こった。いまさら内紛の歴史を語るつもりはない。しかし外から大きな力が働いたことは間違いない。「つくる会」運動の内部に、力ある人が外から手を突っ込んだのだ。それは小泉ではなく安倍晋三だったと私は今は考えている。あるいは小泉に命じられて安倍が動いたのか、いろいろな推論が成り立つ。しかしその後保守系言論人は雪崩を打ったように安倍晋三シンパになりたくて、一斉に走り出した。今まで黙っていた人の名も、急に安倍、安倍、安倍と叫び出した。小田村四郎氏を筆頭に、岡崎久彦、櫻井よしこ、西部邁、渡部昇一 ……の各氏。

 その頃書いた私の文章「小さな意見の違いこそが決定的違い」(西尾幹二全集第21巻A580~609ページ)を見て頂きたい。当時の保守系言論人の心の動きが手に取るように分かるだろう。

 最初のうち私も安倍を否定していなかった。むしろ肯定していた。「文芸春秋」の次の首相に誰がいいのかのアンケートに私は安倍と書き、巻頭に揚げられた。安倍自身があるパーティで私にそのことのお礼を述べたほどだ。私は安倍に媚びていたのだろうか。そう言われれば言われても仕方がない。しかし「小さな意見の違いこそが決定的違い」なのだ。私は安倍シンパではない。

 「日本教育再生機構」とやらを作って安倍のブレーンとして名を連ねたのは八木秀次氏であり、中西輝政氏、伊藤哲夫氏も含めて三人である。「九段下会議」が見事に分断されたわけだ。「九段下会議」に参集した総勢60人の一般人のうち、分派活動をした安倍シンパの側に回った者は少なく、約八割が私の側にとどまった。

 そこで彼らをどう遇するのかに迷い、「坦々塾」がこの残った反安倍勢力を中心に形成された。政治活動ではなく歴史や政治思想をもっと勉強したいとの声につられて、講演会形式の勉強会として始められ今日に至っている。その活動の実際を伝える講師・演目の一覧表(伊藤悠可氏作成)をここに掲示する。
 
 安倍政権が実際に開始されてしばらくの間異様な動きがあった。「真正保守」とか「保守の星」と呼ばれていた安倍が期待に反し、村山談話や河野談話をすぐに認めると公言し、祖父の岸信介の戦争犯罪も認めると言い出した。「安倍さん、いったいどうなったのだろう?」と世間は首を傾げたものだった。
 
 「左に羽根を伸ばす」が伊藤氏たちブレーンの差し金による戦略であったらしい。政権の座に就く何か月か前に安倍は靖国に参拝していて、首相になった時には「靖国に行ったとも行くとも言わない」というあいまい戦術を展開した。不正直で姑息なこういうやり方に私は首を傾げた。ブレーンという名の謀略家たちは得意だったかも知れないが、安倍は評判を落とした。
 
 保守は正直で率直であることを好む。安倍は本当に自分の頭で考えているのだろうか、そういう疑問を抱くようになったのは、むしろ長期政権と言われるようになってからだった。

 2017年5月3日に、安倍は憲法九条の二項温存、三項追加という後に大きな問題を招きかねない加憲案を提起した。しかもこの案は安倍が自ら考えたのではなく、これまた伊藤哲夫氏の発案によるアイデアだった。伊藤氏自身がこれを告白している(「日本時事評論」(2017年9月1日号)。ブレーン依存はまだ続いていたのである。国家の一大事であり、安倍の存在理由でさえあった憲法改正の肝心要の発想の根源が他者依存であり、借り物であり、首相になる前から同じ一人の人間の助言に支えられているとは! 安倍ほど評価が二つに大きく分かれる政治家はいない。

 「九段下会議」の「緊急政策提言」については先に見た通りで主に私の筆になるものであるが、これを今読み返すと、如何に安倍政治にこれが反映されたか、安倍晋三の政治はむしろ彼が後日「九段下会議」の立案を下敷にして政治を行っていたのではないかと邪推したくなるほどである。「朝日」の記者が後日密かにさぐりに来たのも正にむべなるかな
である。

 例えば「外交政策」の「開かれたインド・太平洋構想」は言葉まですっかり同じ内容を踏襲している。安倍は私たちから如何によく学んだかが今にして分かるのである。しかし彼は政権を得てからほどなく、「九段下会議」の精神とは全く逆行する行動を繰り返すようになるのである。その最も早い行動は、安倍が従軍慰安婦問題で米国大統領ブッシュ(子)に謝罪するという筋の通らない見当外れな行動に討って出たことだった。これは私がこの「確信なき男」の行方に不安と混迷とを予感し始めた決定的な出来事だった。
(令和4年9月12日 記)

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 私西尾幹二は入院中ですが、二つの勉強会を振り返って「『九段下会議』から『坦々塾』へ」を綴りました。その足跡をたどるようにして、伊藤悠可氏が私の文に対して感想を寄せてくれました。読者諸氏に読んでほしい一文です。(コメント欄への皆様の投稿を希望しています)

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西尾幹二先生の「『九段下会議』から『坦々塾』へ」を読んで

伊藤悠可

 「九段下会議」は、若い頃から一度は会ってみたいと願っていた西尾幹二先生に、実際に会うことが出来た場所という点で、自分にとって大変、意義深い集いでした。また、著作や記事を通じて遠くから見ていた中西輝政さん、福田逸さん、西岡力さん等もいて、その他に各方面の専門家としてときどき媒体に登場する知識人も揃っていて、こういう席に座らせてもらうのかと胸が躍りました。

 一躍有名になられた馬渕睦夫さんの初の講義を自分は聴いています。

 先生の『voice』の「緊急政策提言」が2004年3月とありますから、自分の初参加はもっとあとの2005年の秋か冬ころだったと記憶しています。ちょうど、小泉純一郎の慢心ぶり、悪ふざけに腹が立っていたおりで、前後して『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』を先生が出されたことを知って、誰か小泉を諫めてくれないのか、と思っていた自分の気分が晴れました。小泉の奇態をゆるしているのは、自民党議員であり、国民である。拍手喝采する国民はどうしようもないが、国民をちょろいと見下しながら煽動し踊らせている小泉は嫌いなタイプでした。子ブッシュの前で、プレスリーの物真似をしてふざけて帰って来た日本国の宰相は品位を貶めた罪が深い。

 書いておられるように小泉が「ただでは済まさない」と間接的に先生に言ってきたことは、あの性格なら、さもありなんと思いました。彼なりに現代版の信長になったつもりでいたのかもしれない。たぶん図星だと思う。本で急所を突かれたから、信長だから、相手を恫喝くらいしないといけない。そう思って使いを出した。その役割を果たしたのが八木氏だったと思います。

 個人的体験や記憶だとお断りしますが、八木という人は、挨拶する人と、全く挨拶しない人とに人間を分けていると国民文化研究会の友人から聞いていました。九段下の事務所に向かうとき、彼と信号待ちで出くわし、挨拶したところ、無視されたことがある。一言も返さなかった。ああ、本当だと思いました。彼は大学時代、国文研を退会するとき、先輩諸氏を前にして「あなたたちと付き合っていても自分(の將來)に何の価値もない」と言い放ったことは有名で今でも酒の肴になっているようです。

 一方で当初、伊藤哲夫さん、それからすぐ下の名前は忘れましたが、後輩のなんとかさんの二人は親切で、非常に気持ちのよい人たちだと思っていました。部屋のテーブルをカタカナの大きな「コ」の字でかこむようにして、垣根は低く自由な空気感があって、どこからだれでも発言できる会議場、討論場で、物怖じしやすい自分も、最初から何度か気軽に発言できたことをおぼえております。そのころ先生が、「伊藤哲夫さんは無私の人だ」と褒められたことをよく覚えています。

 当時、〈国家解体阻止宣言〉というスローガンもあって、自分もある種、高揚感を味わっていました。テレビでも流された「つくる会」発足の記者会見に次いで、この人たちが、ひどい国に成り下がっていた日本に覚醒の檄をとばすだけでなく、政治、外交、行政、教育、文化の他方面の領域にわたって数々の提言を行っていくのだろうと思いました。

 小泉から安倍晋三に政権の禅譲がおこなわれた2006年9月は、自分はいろいろと鮮明な記憶がある時期です。15日には、悠仁親王の誕生がありました。前年の暮れには、小泉が面倒臭そうに皇位継承に関する有識者会議をつくって、さっさと女系でも何でも決めてしまえばいいんだと、彼は考えていたと自分は見ています。政権最後のお土産程度に感じていたと自分は見ています。有識者会議のメンバーにロボット工学の博士なんかが居るのですから。

 予算委員会の中継で、安倍晋三が小泉にそそと近寄って耳打ちをしたのをおぼえています。同年2月に紀子さまご懐妊のニュースがありました。ちょうどその第一報が安倍官房長官に届けられ、小泉に知らせたのです。小泉は一瞬、息をとめて驚いたような表情をしました。安倍の功績のうち、あまり取りあげられないが、進行中の皇位継承の議論を中断せよと、きっぱり小泉に迫ったことは評価されてよいと思っています。このときの電光石化の安倍の動きは偉いと感じたものです。あの頃の小泉は、ふんぞりかえって我が世の春を謳歌していましたから。

 しかし、小泉から禅譲される前後から先生が感じておられたように、保守系言論人はそうです、雪崩を打ったように安倍、安倍と言うようになりました。政界の現場、自民党内部の求心力というものではなく、まさに外部の、それも言論人、知識人の側から、安倍大合唱が始まったのではないかと思います。

 中西輝政、伊藤哲夫、八木秀次の諸氏はご指摘どおり首相のブレーンを自他ともに認めていたと思います。公然の事実で、産経以外の大手紙や雑誌も、首相と距離が近く、重要なブレーンであると当たり前に報じていた。そのほかにも、安倍を応援する保守論壇で名の通った人々、岡崎、桜井、田久保といった人は、いくらでも数えることができます。

 「首相動向」に登場する人たちのほか、安倍晋三と会った、安倍さんが事務所に来てくれた、安倍さんの誕生会に出席して祝った、安倍さんの自宅に呼ばれた、銀座のステーキ屋で歓談した……。金美齢さんという人はテレビでしかしりませんが、熱烈なファンであることを公言していましたね。しかし、アグネス・チャンなども夫人の親友として自宅に呼ばれているというのだから、それなら、芸能人、学者に似たタレントも何人もたくさんサロンにいるのだろう。我れ先にと安倍さんとの距離を自慢していた感があります。

 そんな中で、清潔でいいな、と思ったのは曾野綾子さんでした。この人は実際安倍氏と親しかったのかどうか知らないが、大事はそっと一人でやる。フジモリ元大統領が窮しているとそっと助けてやっている。家にかくまってやったと思う。フジモリ氏が正しいか正しくないかは私は知らない。でも、だいたい、曾野綾子という人はこういう時の所作は気持ちがよい。何にも伝わってこない。曾野さんは上坂冬子さんとの開けっ広げの親交も、ユーモアと清潔感があって好ましかった。「私はこの間、安倍さんとああしてこうして」などとは、節操の問題として口にしない人であろう。

 立ち戻りますが、九段下会議が崩壊してゆくなかで、伊藤哲夫さんはなぜ、西尾先生とあらためて肝胆相照らすというか、はらわたを見せて、語るという機会を持たなかったのか、とうとうそれが謎として残っております。政治的な助言者としてやりがいや義務を感じているなら、会議よりそちらが重いというなら、その道に行きたいと打ち明けることもできたはずです。

 安倍が生きがいだと言い放っている小川榮太郎のような人もいるわけです。なんで文芸評論家を名乗っていながら、安倍を応援することが精神の仕事になるのか。どうバランスがとれるのか。そこは理解できないとしても、伊藤哲夫さんなら西尾幹二の心の中に訴えることもできたはずです。

 それとも、やはり総理大臣の相談相手となって、単に舞い上がってしまったということなのでしょうか。たとえば田崎史郎を見ていると、何でも首相の毎日をよく知っているが、首相が日本を良くしているのか、日本を損なっているのかについては、一般の人より眼識は劣っているのではないかと思うことがある。「日本は中国に刃向かってはいけない。勝てるわけがないんだから」とテレビで言っていたことがあるが、その程度なんだと認識しました。

 会議を存続するか否かという判断は別にして、伊藤さんには自分はこういう考えであるから、先生とはこのまま一緒にやっていけない、という割り切りもあるのです。
わかりませんが、それとも出自母体とされている生長の家、その脱退後の有力な人々との見えにくい絆、日本会議との距離間のような彼にとって大事な価値観までさらしたくない何かがあったのでしょうか。

 おそらく、この場面では、私などにはわからない“雪だるま”が出来ていたのだろうと想像するのです。最初はチラチラと小雪が降っていた。小さな問題(この場合、前を向くと官邸、後ろを向くと西尾先生)も巻き込んで、拳ほどの雪玉を転がしていた。放っておくと、大きく重くなるので、その前に溶かしておくか潰しておくか、しておかなくてはならない。が、ついつい腹のうちを見せる機会を失って、雪玉は大玉転がしの大きさに育ってしまった。

 もっと勝手な邪推をすると、八木氏は八木氏で自分が安倍の最も重要な右腕だと思いたいし、自負もしている。伊藤哲夫とはまたちがう。一緒にされたくはない。しかし、政治家安倍にとっては、皆同じ大切な人くらいに、みえるし、またその形で頼りにしている。優劣はない。中西輝政氏はそういうタイプではないから、そこまで個人的交際はしたくないと考えていた。こんな関係性を肩に背負っていると、結構煩雑である。

 安倍晋三には子供がいない。子供がいない人は歴史がわからない。歴史というより、本当の歴史がわからない、と言いかえた方がいいかもしれない。歴史がわからない人は、「次代を担う子供たち」「後世を託す子孫たち」と叫ぶとき、熱い何かが欠けてしまう。或いは、熱い何かの半分が欠けてしまう。従軍慰安婦問題で、さあこれが一番大事だというとき、安倍はアメリカで間違ってしまった。これは取りかえしがつかない。決して譲ってはならない態度と言葉。それを冒してしまった。謝罪するべきは韓国であって、日本ではないのに。

 なのに、彼は謝ってしまった。彼は、「もう後世の子供たちに謝罪を繰り返させたくない」というような演説を行った。辻褄が合わない。

 日本国内では、そうとうに安倍という保守シンボル像が建立されていたため、このとき自分のように驚いたり怒ったりしている人は少なかった。みんな、安倍にすがっているんです。信じているわけではない、すがっている。

 「子供たちに謝罪を繰り返させたくない」といいながら、日本も悪かったと言って頭を下げてしまった。彼の心の中には、想像の上でも、子供たちの表情や姿は映らなかったんだと思う。将来の子供たち、というとき、彼には教科書の挿絵のような印刷の子供がうかんでいたのかもしれないと思う。子供のいない人を差別しているのではありません。ひりひりした心配は理解できないだろうと言っているのです。子供のいない人は歴史を半分しか感じないでいる。

 西尾先生は麻生太郎が首相の折りにも、手紙で大事を進言されたことがあると聞いたことがあります。具体的なことは忘れましたが、麻生は大事な一点を守れなかった。それで退陣してしまった。安倍はたくさん人を回りにつけながら、西尾先生は敬して遠ざけていたのだと思います。それは苦いからですし、恐いからだと思います。それでもって、少し甘い、心地のよい、やさしい伊藤哲夫、中西輝政を近づけたのかな、と思います。八木に関しては、なんだかわかりません。

 ほんとうは政権なんて短命でいいのに、短命だから言いたいことが言えるのに、だいたいは、長期だけを目指す。こういうことも先生は言っておられました。

 また尻切れ蜻蛉の感想になりましたが、ここに書きつらねました。

フロンティアの消滅(六)

 もう一つ大事なことは介護や家事労働のような特別の訓練を必要としない外国人は現地に於ける食い詰め者なのです。つまり、各国が棄民したいような人達、外に出して捨ててしまいたいような労働力であり、これらの人達は例外なく日本に来た後に不法滞在者になり、更に生活保護受給者になります。そこまで考えているのでしょうか。

 私は最近知ってびっくりしたのですが、介護のために政府は補助金を2兆年介護の事業主に支払っているそうです。介護に携わる介護士の賃金をあげるためなら良いのですが事業主に支払っているのです。プールされたこのお金はどこに消えているのでしょうか。

 介護士になりたがらないのは労働がきついわりに賃金が低いからで、報酬が良ければやりたい人はいくらもいるのです。看護師も同様です。現在でも平均賃金は上昇していません。外国人を入れることはデフレ脱却に逆行しています。ユニクロや外食のワタミが人手不足で困って、正規労働者をふやし、賃金を上げましたが、これがいい証拠です。外国人を入れなければ、全国全産業で賃金が上がり、消費が増え、若者は結婚する気になります。

 安倍さんはこの原則が分かっているのでしょうか。農業問題でも非常に疑問に思うのは、リンゴとかおいしいお米を中国に売るとか言っておりますが、それは悪いことではないかもしれません。ただ、本来日本の農業問題はそんなことでしょうか。日本の農地はあり余っています。これを株式会社にするということに対して農業団体が反対しており、動かない訳ですが、怖いのはそこに外資が入ってくることであり、それだけ厳格にチェックすれば農業の大型化は必要なことではないでしょうか。おいしいコメやリンゴを作って外国に売るなんてことは総理大臣が考えるようなことではありません。目の色を変えてでも次の世代の我が国民の主要食糧は確保出来るのかということが最大の課題です。これから地球全体の人口は20億人増えるといわれております。20億人増える人口に対してもう食糧の生産は限界にきております。

 中国政府は食料やエネルギーの確保に目の色をかえています。ですからベトナムを襲撃して石油を掘ろうとしているのです。フロンティアの拡大が無くなっているのですから、自分の国が必要な食糧やエネルギー獲得のためには戦争も辞さないといっているのです。

 ベトナム沖や尖閣で起こっていることはそのことなのです。13億の民にはまだ激しい「需要」があります。「フロンティア」があります。だから世界の眼はいぜんとして中国に注がれ、アジアがたとえ戦争になってもそこでまだ儲けようと、例えばヨーロッパ人は今現に考えているでしょう。

 ポルトガルの海の帝国がイギリスの海賊(パイレーツ)に引き継がれた「フロンティア」探しは、南北アメリカという新大陸への幻想によって推進され、四百年が経過しました。そしてすべての空間は究め尽くされ、金融や情報による地球支配も終わりに近づいています。中国が終われば日本は助かりますが、しかしもう新しいことは何も起こりそうもありません。「フロンティア」の消えた世界はパイの奪い合いは陰惨になり、静かに資本主義が死を迎えることになります。

フロンティアの消滅(五)

 その様な意味で、安倍総理の外交政策と防衛問題対応は今のところ正しいと思いますし、支持しておりますが、しかし、段々おかしくなってきています。本当の意味の確信というものがなくて、慰安婦と靖国というものが小さな問題であると思ったら大間違いで、軍人の名誉と国民の信仰の根幹というものは平和より大切なのです。それを総理大臣がやっぱり識らないのではないでしょうか。識っているような顔をなさっているだけに怖いのです。保守が保守を潰すのですから。第一次安倍内閣の時に私は安倍さんに向けて、あなたが保守を潰すことになるのですと書いたことがあります。

 あの時一斉に拉致問題対応が低迷に転じましたが、それは安倍さんが引き受けたようなことを言って、手を引いたからです。加藤紘一などが総理大臣であれば国民の怒りはもっと激しくなりますが、自分が真正保守だと言って、その保守が妥協して後退すると、国民は何も言えなくなってしまいます。保守が保守を潰すということが、もっとも深刻な状態で、再びまた起こる可能性があります。

 今年、間違いなくアメリカの圧力によって韓国大統領と妥協させられました。しかし、あそこでは慰安婦問題に関し政府間の大論争があってよかったのです。今回はぎりぎり一杯検証を行って体面を繕いましたが、河野談話の見直しはしないということを前提にしているわけですから、あれでは不十分で、本当は日韓政府間で大論争をすべきでした。今や論争になりかけてはいますが、日本も慰安婦問題なら出来ると思います。ただ、中国に対し南京問題は果たして大論争ができるでしょうか。日本国内の見解が不統一です。とはいえ、だんだん南京虐殺派は中国のイヌに見え始めてきました。これはいい傾向です。

 さて、安倍さんの内政に対する疑問を大急ぎで述べます。
外国人労働者問題です。7月6日に私はグランドヒル市ヶ谷でシンポジウムを行いましたが、まずこれは国民的な議論を必要とする大問題です。移民の定義は一年以上定住する者と国連がきちんと決めております。安倍さんは「外国人枠を広げる」と国民的な議論を経ないで言っております。移民ではないと弁解していますが、これは移民国家になると言っていることと同じようなことなのです。

 人手不足と言いますが、これは嘘です。だって若い者は大勢遊んでいるではありませんか。日本国民の力で十分労働力は確保できます。女性も中高年も老人も働きたいのです。しかし、10時間働くことは出来ない人もいます。3~4時間なら働きたいという女性や老人は沢山おります。そういうシステムをつくれば良いのです。何故それをやらないのかというと、外国人を入れた方が賃金が安くなるからです。賃金が下がればある種の企業が儲かり、株価が上がるという政策は、さ迷っています。もう成長戦略が行き詰っており、最後に何が出てくるかというと、外国人を入れるということと、女性労働力の活用くらいしかありません。しかもそれが介護と家事労働に外国人を入れる、家事労働にということは特区で女中さんを雇い、暇になった日本の主婦が社会に出て働くということですが、こんなことは日本の社会に馴染まない話です。

つづく

フロンティアの消滅(四)

 既にそのはしりは見えています。ご存知のように従軍慰安婦問題で韓国寄りの発言をし、靖国参拝で失望したと言って見たりして、徐々に始まっているわけですが、ここからが重要で、我が国は平和でありさえすれば何でも良いという国ですから、これが一番の敵であり我が国の弱点です。そうすると、中国の無理な要求は呑む他ないとアメリカに説得されてしまいます。日本国内もそれに賛成するのではないでしょうか。その様な事態を私は生きているうちに見たくはありません。

 慰安婦や靖国の問題で既に起こっていることは、そのまま更に過激になってくる可能性があります。それはどのようなことか。靖国神社を廃社にしろと言ってくる。歴史教科書に中国共産党が対日戦争に勝利したと書けと、中国共産党の歴史観で歴史教科書を書けと言ってくる。やがては皇室を無くせ、と大キャンペーンを張る。自衛隊の中国軍への従属を求める。このような一連のことに堪えられますか。次の時代に起こってくることはこのようなことではないか、私にはまだまだ悪夢が続くように思えるのです。

 それでも日本人は平和が良いと言います。戦争だけはダメだと、朝日新聞だけではなく産経新聞までそうなるかもしれません。もうすでに産経新聞は徐々に怪しくなっています。

 アメリカが戦争をしたくないのですから、アメリカがウラで操る可能性があります。中国と手を組んで安全であれば良いということになれば、どうしたら良いか、結論は決まっているわけで、戦争をしたくないアメリカと同盟を結んでいて、そのアメリカに我が国の軍隊はがんじがらめに縛られています。ご承知のように、武器弾薬をはじめ情報の伝達から命令系統まで、アメリカに支配されています。私は最大の防衛問題はそこにあると思っています。何よりも平和が大事だという今の日本の精神ムードが延長されればそのようなことになりますし、国民はそのように教育されてきております。これからも更にこの傾向が加速されればよい方向に向いて行きません。

 私はアメリカと中国による日本侵略はこのようにして進むのであって、実際にドンパチがあるということではなく、精神的奴隷化が始まるということです。それが一番恐れていることなんですが、フロンティアというものが無くなってきている世界では、どの国も目の色を変えるわけですから、中国から利益を得られれば日本の運命などどうでもよく、しかしそのことについて今言ったような方向がもし解消されるとしたら、中国経済の衰弱と没落です。他人頼みになってしまいますが、救いはそれしかないのではないかと思います。

つづく

フロンティアの消滅(三)

 海賊のパイレーツの果てしない戦い。イギリスの資本主義はパイレーツから始まったのですが、16世紀にスペインとポルトガルが、アスティカ王国のようなインディアスの国々からたくさんの財宝を運んできた船を掠奪することを、イギリスは国家行為として認めていました。そして掠奪船の船長であったドレイクにエリザベス女王は爵位を与え、かつ掠奪した財宝から得たお金がイギリスの国家財政を支えました。イギリスはスペインが新大陸から次々と財宝を運んでくるのが悔しくて悔しくてしかたがなかったのですが、そのまねができませんでした。そこで最初は海賊から始めたのですが、それだけではやってられないということで、1588年のスペイン無敵艦隊との海戦で勝ち、そこからイギリスがぐっと出てきます。それでもイギリスは100年位オランダにとてもかないませんでした。

 私はスペインとポルトガルは違うと思っています。スペインは陸戦の国でしたが、ポルトガルは海戦の国でした。「ポルトガルの海の鎖」と云うものがあり、これはイギリスの海賊の先がけをなすものですが、鎖のように船団を編成して、インドやその周辺の国々を海上で封鎖し、出入りする船から税金を取り立てました。この発想がポルトガルからイギリスに受け継がれ、イギリスを海洋帝国にしたのではないかと思っています。

 今フロンティアの拡大が中国へ向かっているわけで、そこから現代の目の前の話に移ります。無理にこじつけるようですが、怪しい動きが中国とヨーロッパの間に拡がっているようです。

 南シナ海でのベトナムと中国の衝突にアメリカや日本やアジアの国々は当惑しているようですが、ヨーロッパは喜んでいます。特にイギリスはどうやら石油メジャーがベトナムではなく中国と結びつき、ベトナムを叩き潰すという方向に動いています。この動きによって英米が対立するようですが、恐らくそうはならないでしょうから、これは結局中国が勝利し、ベトナムがつぶされるということのなるのではないかと思う訳です。

 ドイツも中国に色目を使っており、今や中国と一番うまくいっているのはドイツです。イギリスも必死になってそれに追いすがって、中国から、エネルギーを売るということで二兆ドルの受注をし、李克強はエリザベス女王に会わせないのなら行かないと言って面会を強要しました。そのくらいイギリスは中国に頭を下げてしまっています。これはどういうことかと言いますと、中国には石油採掘の技術がありません。そのため南シナ海を押さえる軍事力はあっても、イギリスの石油メジャーとくっつかないと石油の採掘が出来ないのです。

 さて、フロンティアを求める争いが凄まじいことになっているように思います.つまりどこにもフロンティアが無くなり、今や海の底になってきております。その海の底にも利権争いが一段と激しくなっております。

 アメリカはオバマが無能であるということはもちろんでありますが、完全に今になって慌てているというイメージを世界中に与えております。ソ連とアメリカが対立していた時代はイデオロギーを巡る対立であって、ソ連もアメリカも地球を支配するという理念を持っていました。今でもアメリカは持っていると思います。コミュニズムというのは理念でありますし、同時に古くヨーロッパを超えようとする理念がアメリカの理念であったと同時にコミュニズムの理念でした。二つの理念は古きヨーロッパを超えることだと思います。言い方を替えればヨーロッパ近代に対し「超近代」で行くのだという意気込みです。

 地球支配の覇権争いでしたから、冷戦というものが生まれ、私達の人生の大半は息をのむような思いで、米ソ冷戦を見つめていたわけですが、中国は地球全体を支配するという理念を持っていません。にも拘わらず、何を目的にして軍備を拡大し続けているのか、このことにアメリカ議会はあらためて疑問を抱き、大討論が始まっているらしいです。遅いんですが、つまり永い間舐めていたのです。中国は経済的に豊かになればまともな国になると思っていたら、そうならないでアメリカに刃向かってくるばかりである。そして、新型大国関係なんてことまで言い出しました。太平洋を二つに割る、はじめこれは冗談かと思っていたが、しかしどうも冗談ではなさそうだと。それでいて、中国はソ連型の理念国家ではなく、実利型国家ですから、利益があるからやっています。

 何が利益かというと、太平洋を二分する新型二国間関係は、太平洋を米中で支配しましょうということであることは伝わってきております。これがもし本当だとしたら危険極まりないことですが、もう一つ危険なのはアメリカに戦争をする気が全く無いことです。これはオバマだけではなく恐らく共和党になっても無いだろうと思います。それでも共和党を中心に中国の真意は何かと大騒ぎしています。中国は相手が最終的には戦わないと見究め、その前提で衝突ぎりぎりまで行こうとします。これはチキンゲームですから危ないです。今現に、尖閣の上空でもその様な事が起きています。

 中国は今後も太平洋を半分寄こせと言い続けるでしょう。アメリカは戦争だけはしないと既に本音を曝け出してしまっています。そうなると中国の太平洋を二分割したいという野望に対して、アメリカは譲歩し続けるばかりであり、具体的にはアメリカが日本なら日本に対し、或いはフィリピンにもそうですが、許されないような妥協をしてくることになる。恐ろしい事態が到来するのではないかと思っていますが、皆さまは如何でしょうか。日本人にとって許されないような条件をアメリカが日本に対して要求してくるということです。

つづく

フロンティアの消滅(二)

 このイギリスの智慧をそっくりアメリカが違った形で継承しました。イギリスは海でしたが、アメリカは海から空へ向かいました。第一次世界大戦以降、アメリカはイギリスとともに日本と海を争いますが、いつのまにかアメリカが制空権を握り、もう一つは金融ドルによる遠隔操作を実現し、第二次世界大戦を経て空から宇宙へと戦略を広げ、そして現在は恐らく情報を握るということで世界帝国を実現しましたが、このやり方は、領土を取るのではなく脱領土的支配であり、イギリスが先鞭を付けている方式をアメリカが継承しました。

 英米は、外国領土を外から大きく支配するやり方で世界帝国を築きましたが、スノーデンの事件があり大騒ぎになりましたが、現在でもアメリカが情報を握っており、あれは如何にもアメリカ的な事件であって、またあくまでも基軸通貨を握って世界支配を完成させているのではないかと思います。

 さて、そういう16世紀から今に至る大きな流れがあり、これがキリスト教的近代西洋であると思います。それが色々な価値観をばら撒きながら結局は英米が世界を支配するという構造でここまで来ました。

 ところが現代はこれが大きな意味で行き詰っているのではないかと思います。ご存知の通り、フロンティアの消滅ということがあります。空間を広げるということはもう出来なくなっている時代に入っています。もし成長というものが近代の価値であるならば、現代は、日本だけではなく世界的にその成長が終わった時代ではないかと思います。

 自分の子供の世代は自分よりも良い生活が出来る、或いは孫の世代はより高い教育が受けられる。それが進歩の理念であります。日本の場合は土地神話というものがありました。必ず金利がついて金融財産が増えて行くのと同じように、土地であれば必ず値段が上がって行く、より豊かになる。これが言わばフロンティアがあるということであったと思います。

 先程イギリスの海賊の話をしましたが、イギリスは海賊から始まった国で凄まじい勢いで空間を拡大しようとしましたが、そのエネルギーはフロンティアを信じていたということであって、それが段々行き詰って今日にいたっているのではないかと思います。21世紀のここにきて、世界中どこにもフロンティアがなくなってしまいました。

 正直言って金利ゼロなんて時代が続くなんてことはあり得ない話で、それどころかとうとうヨーロッパはマイナス金利という異常な事を実行しました。これは資本主義が終わったということを意味するのではないでしょうか。つまり成長を信じていて空間のフロンティアが無くなってしまって、ありとあらゆることを考えた結果、アメリカは終に金融のフロンティアで色々な詐術を使って拡大をしてきました。

 つまり、もうフロンティアが無いところで成長を求めようとすると、勝つ人間と負ける人間が出てきて、必ず格差が拡大します。進歩は終わっているのに、経済は成長しなければならないという強迫観念が、皆の頭の中にあり、少しでも景気を良くしなければならないと考えれば、無理をするわけですから、当然特定の所にお金が集中し、奪う者と奪われる者の差が生ずるのは必然なのであって、世界中でそれが起こっているのが、今の時代なのではないかと思っています。

 そこで、中国という国が突然飛び出してきましたが、何故中国が我々にとって、或いは地球全体にとって謎であり、重要であり、そしてまた或る意味魅力であり、かつ危険なのかと言いますと、それは余りにも遅れていたからであり、余りにも多くの人口をかかえているからです。ということはあの国にはまだフロンティアが残されていると皆が思い込んでいる訳で、少なくともあの国には需要があるわけです。ドイツの自動車産業が熱に浮かされ、トヨタのトップが自転車の数を見て、これが全部自動車に代わったら凄いことになると言った科白が残っていますが、今はドイツは中国のモータリゼーションに自分たちの将来をかけています。需要があるということはフロンティアがあるということです。そのためそこになけなしのエネルギーを注いででも、何とかしようということでしょう。

つづく

フロンティアの消滅(一)

 平成26年(2014年)6月26日に行われた坦々塾主催の講演会の記録を掲示します。ちょうど3年前ですが、内容に格別の修正の必要はありません。そのまま出します。

フロンティアの消滅(一)

 最近私はスペインとかポルトガルとかオランダとかイギリスとか、あの辺りのことを勉強しており、これは知らなかったのですが、コロンブスがスペインから大西洋に出て行く頃か、あるいはその前に、イギリスからアジアの方へ出てくる船がありました。これにはびっくりしました。イギリスから西北の方向に進んでアラスカの北を通って、ベーリング海峡を抜けて日本の方へ出てくる西北航路。そしてもう一つは、イギリスから東北に向かってシベリアに抜けてベーリング海峡に入る。半分陸路を使ったのか、これはどのような道か良く分かりませんが、そういう道を切り開いていました。これを行ったのは海賊です。イギリスは海賊の国でしたが、ある本でそういう記述を読みました。

 それから、初めて知ったのですが、現在では考えられない位イギリスのしたたかな海洋覇権展開の歴史を調べると、興味深いことが沢山あります。インド支配に当り、プラッシーの戦いとか色々知られている訳ですが、インドを獲得した後、イギリスはどのようにしてこれらを守り、自分の物にしたか。すべて海からの支配でした。
 
 スエズ運河の先にアデンという所があります。そこからインドのコロンボ、その次にシンガポール、この三角地点を結ぶライン、当時シンガポールはマレー半島の先端にある何もない小島だったのですが、有名なラッフルズという人物がそこに着眼して、シンガポールを押さえればマラッカ海峡を押さえることが出来て、オランダを制圧することも出来る。また同時に三角地点を結んでインド洋を内海化して、一帯を我が物にできると考えました。

 それから、インドの西南の方、アフリカの東岸にマダガスカルという大きな島がありますが、ここはフランス領でした。この島をイギリスは、明治29年に安々とフランスに譲り渡して驚かなかったという理由を書いた本を読みました。その本によると、イギリスはマダガスカルから東北の方に1000キロでセイシェル島、東の方に800キロでモーリシャス島、北の方に300キロのところにあるアルダブラ島という3つの島をしっかり握っていて、それからマダガスカルの対岸のケニアを握っていたために、マダガスカルはフランスに譲っても一向にかまわないという、イギリスの海上を押さえる智慧、地政学的な判断力、これは海賊の才幹かもしれませんが、凄いものだと思いました。

 もっと驚いたのは、全く歴史の本には出て来なくてビックリしたのですが、いうまでもなくイギリスは18世紀にオーストラリアを我が物とし、その後ニュージーランドを、続いてカナダも我が物にします。更にその中間地点の小さい島を全部握ってしまいます。例えば1853年にノーフォーク、’74年にフィジー、’88年にファンニング、’89年にフェニックス、’92年にエリスという洋上の小さな島々をイギリスは全部掌握し、それからそこに通信基地を設け、海底ケーブルを張り巡らします。しかし、アメリカがハワイを取ったために途中でその流れが切られてしまいました。これは英米が海上覇権を巡って激しく対立していたことを示しています。

 イギリスの歴史を振り返って見ると、大体が英仏100年戦争といわれるように英仏は戦争を繰り返していました。しかし、ナポレオン戦争が終わってウィーン会議の頃フランスを押さえてしまいます。ナポレオン戦争でフランスが大陸に封じ込められると、イギリスは悠然と海洋に出て行き、自分たちは何も手を出さないけれど、あらゆる国々、ヨーロッパ内部は勝手に戦争させて、自分たちは海洋を押さえました。ですから、各国が貿易を考えた時には、イギリスに抵抗しようと思っても、他の国は何も出来ない。しかしイギリスは特別に侵略をしたりするわけではありませんでしたが、海洋の覇権を握っていましたから、ヨーロッパ全体を押さえることが出来ました。インドやマダガスカルを封鎖したのと同じことをヨーロッパ全土に対してしたのです。

 それからあとの19世紀のヨーロッパは平和な世紀で、普仏戦争や普墺戦争やイタリアの統一戦争のような小さな戦争はありましたが、ウィーン会議から第一次世界大戦までの間はパックスブリタニカにより、ヨーロッパは平和な時代でした。

つづく

英国のEU離脱について

平成28年6月26日 坦々塾夏季研修会での私の談話

 6月25日のニュースを見ながら考えました。今回のイギリスの決定で、離脱派の党首と思しき人物がテレビで万歳をして、イギリスの独立、インディペンデント・デイだと叫びました。常識的に考えて、世界を股にかけ支配ばかりして、世界各国から独立を奪っていた国が、自ら「今日は独立の日だ」などと叫んでいるのですから、いったい地球はどうなっているのかと思いました。

 今日の段階で日本のメディアはヨーロッパの情勢ばかり言っています。アメリカや中国を含む地球全体の話をほとんどしません。そして英国のEU離脱、すなわちEUというグローバリズムの否定、英国ナショナリズムをさも悪いことのようにばかり言っていますが、そうなのでしょうか。

 ヨーロッパは今、確かに混乱していて、伝え聞くところでは、ドイツのメディアは気が狂ったかのようにイギリスを罵って、「こんな不幸なことを自ら招いている愚かなイギリスの民よ・・・、これからイギリスは地獄に向かってゆく。あれほど言ったではないか。」私には、これがドイツの焦りの声に聞こえます。さっそくドイツ、フランス、イタリアの外務大臣が会合して、意気盛んに「すぐにでも出てゆけ。来週の何曜日に出て行け。」まるで借家人を追い出すような勢いで言っているそうです。フランスもイタリアも次の「離脱国」になりそうで怖いのです。ですからイギリスはいろいろ長引かせようと思っても、そういう四囲の状況から早晩追い立てられるようにして出ていくことになるのではないか。いっぽうイギリスの中では後悔している人が何百万人もいて、再投票をしてその再投票願望のメディア、インターネット上の票数が何百万に達したとかいうような騒ぎもありますが、もうそんなことは出来ないでしょうから、決められたコースに従って粛々と動いてゆくことだろう思います。

 それもこれも日本のメディアがEUというグローバリズム、国境をなくす多文化主義を一方的に良い方向ときめつけて、それに反した英国の決定を頭から間違った方向と定めているからではないでしょうか。必ずしもそうではない、という見方が日本のメディアには欠けています。

 各国の思惑はそれぞれで、日本のメディアはとてもそこまで伝えていないけれど、基本的にはヨーロッパの情勢を伝えているだけですので、私は今日は今度の一件を端的にアングロサクソン同志の長い戦い、米英戦争の一環と考えてみたいと思います。アメリカとイギリスという国は宿命の兄弟国であり、また宿命のライバルでもあって、何かというと、どちらか片一方が跳ね上がると、すぐもう片一方が制裁を加えるということを繰り返しています。これはずっと昔からそうで、私が『天皇と原爆』の中でも書いたように、基本的に第二次世界大戦は「アメリカとドイツ」、「アメリカと日本」の戦いであると同時に、実は「アメリカのイギリス潰しの戦い」でもあったということを何度も何度も歴史的な展望で語ったのをご記憶かと思いますが、私の見る限りではそういうことは度々あるわけです。

 今回のイギリスはやり過ぎていますね。何をやり過ぎたかというと、キャメロン首相とオズボーン財務大臣というのは組んでいて、オズボーンはキャメロンと大の友達で、キャメロンの後を継ぐことにもなっていて、キャメロンを首相に持ち上げた人ですが、大英帝国復活の夢を露骨に言い立てています。しかし今の自分の国の力だけでは出来ないので中国の力を借りるという路線に踏み込んで、オズボーンは中国に出かけて行って「ウイグルは中国の領土だ」と言って習近平を喜ばせたりしてやっていたイギリスの勢力です。私なんかは日本人として苦々しく思っていましたが、アメリカの首脳部も苦々しく思っていたのだ、ということがいろいろ分かってきました。

 基本的にヨーロッパはどの国も中国が怖くありません。煩くもないので、中国を利用したいという気持ちがつねにあり、そしてロシアが邪魔という気持ち、この二つがあります。それからドルは出来るだけ落ちた方がいい、ドルの力を削ぎたいという気持ち。これがヨーロッパ人が考えている基本姿勢です。ですから日本に対する外交も全部その轍の中に入っています。なんとかして日本を・・・、という考えは全く無く、この間の伊勢志摩サミットでどんな話が出たのか分かりませんが、結局今言った基本ラインがヨーロッパの政治の中枢にありますので、そういう方向だったでしょう。

 今中国が握っている人民元は2,200兆円(22兆ドル)です。ところが中国は3,000兆円もの借金をしています。だから2,200兆円を世界にばら撒いても、借金が3,000兆円で、年間150兆円の金利を払わなければいけないのですが、中国にそんな力はありません。ですからズルズルと中国経済がおかしなことになっているのが我々には見えているのです。そのズルズルとおかしなことになっている間に人民元が急落するでしょうから、そうなる前に何とか自国に取り込もうと、少しでも自分たちの利益になるようなことをしようということを、各国が目の色変えてやっているのです。その先陣を切ったのがイギリスでした。ご承知のAIIB、アジア・インフラ投資銀行でイギリスが真っ先に協力を申し出たというので、世界を震撼せしめました。それは先ほど言った財務大臣オズボーンの計略だったのです。中国の力を使ってシティを復活させたい・・・。中国もシティの金融のノウハウを手に入れたい・・・。

 中国共産党党員の要人が金を持ち出しているのは夙に有名ですが、その持ち出した金は1兆5千億ドルから3兆ドルの間と、はっきりした額は分らないのですが、1兆ドルは100兆円ですから、「裸官」によっていかに途轍もなく多くの金が海外に飛び出しているのです。しかし、なによりもそれをアメリカがしっかり監視し始めて、アメリカはこれを許さない、というスタンスになってきた。中国人からするとアメリカではもうダメだ、ということで、中国共産党の幹部たちはその資金をシティに逃がしたい。香港経由で専ら中国とイギリスは手を結んでいましたので、シティを使って自分たちのお金を逃したいということもあるのでしょう。

 それを暴露したのがパナマ文書ですよね。それでキャメロンが引っかかったではないですか。ものの見事にアメリカは虎の尾を捕まえたのです。おそらくEU離脱派を主導しているジョンソンという人が次の総理になる可能性が高いと思いますが、あの人物もトランプに顔が似ていてね・・・。(笑)ジョンソンが首相になったら、彼は反中ですから、イギリスはAIIBから抜けますと言う可能性は高いし、今まで支持していたSDRの人民元の特別引き出し権も止めるかもしれない。つまり、イギリスは中国から手を引いて一歩退くという方向に行くかもしれない。中国の悲願は、人民元が国際通貨ではないということをどうやったら乗り越えられるか、何とかして人民元を国際通貨にしたい、どこの国でも両替できる通貨にしたい。それができなかったので、今は香港ドルに替えて、そこから国債通貨にしていますから香港ドルに縛られていたのです。10月からSDRを認められて、人民元はいよいよ国際通貨になれると期待されていますが、英国の離脱でさてこれもどうなるか?疑問視されることになるでしょう。

 パナマ文書という言葉が先ほど出てきましたが、ついこの間までタックスヘイヴンやオフショア金融とかいう言葉が飛び交ったことはご記憶かと思います。タックスヘイヴンは「脱税システム」ということで有名です。私は、あぁこれこそ歴史上イギリス帝国が植民地を拡大した時の悪貨な金融システムなんだなぁと・・・。そうなのです。イギリスは酷いことをやっていたのですよ。タックスヘイヴンというのは、その中心、大元締め、つまり元祖みたいなものはシティです。シティというのは、イギリスの女王がシティに入るためにも許可がいるというほどイギリスの中の独立国みたいなものです。つまりローマの中のヴァチカンのような一つの独立国みたいなもので、それくらい権威が高く、しかも中世から続いているわけです。そしてそれを経て東インド会社ができて、世界中を搾取した、あの大英帝国の金融の総元締めであって、そしてそれによって皆が脱税などを繰り返した。そう、二重財布ですよね。つまり日本でも税金を納めないでやるために商店とかでも二重財布をやっているでしょう。実際の会計と、それから違う会計を作ってやってるではないですか。その二重財布みたいなことをやって、これで世界を支配していたんだなぁと。武力だけではなかったということです。日本は明治維新からずうっと手も足も出なかったではないですか。悪質限りの無いこのオフショア金融あるいはタックスヘイヴンのシステムというものを、今でもアングロサクソンは握っているのですが、結局この思惑が米英で今ぶつかったのですね。

 アメリカはイギリスのやり方がやり過ぎている、というか、チョッと待てと・・・。じつはアメリカだって隠れてやっているけれど、パナマ文書にアメリカは出てこなかった。イギリス人やロシア人や中国人は出てきたけれど、アメリカは国内にそういうシステムがあるものだから誤魔化せるわけですね。ですがアメリカは国際的に大々的にはやりませんよ。その代り各国の不正な取引は監視します、と。

 なぜそういうことになったかというと、一つにはリーマンショック。自分の不始末で金融がぐちゃぐちゃになって、これを何とかしなければいけない。監視しなければいけない。それからもう一つは、ダブついたお金がテロリストに回って、イスラム国みたいなテロリスト集団が出てきたから、これを何とか抑えなければいけないということ。この二つの動機からアメリカは断固取り締まるという方向になりました。そうすると目の色が変わるのはシティです。イギリスはシティによっていま一度大英帝国の夢を・・・、ということですから、これは当然ながらイギリスのシティがアメリカのドル基軸通貨体制の存立を脅かすということになってきます。深刻な対立が生まれていたことがお分りかと思います。

 「中国の野望」は「イギリスの野望」を裏から支えているという姿勢があります。つまり所謂プレトンウッド体制というものが毀れかかってきている。そのためにアメリカは過去にイラク戦争もしてきたわけですから、アメリカは焦っている。しかも身内であるイギリスがそういうことをやったということで、対応をとる処分に苦慮してきたのだろうと思います。

 それでもアメリカとイギリスが永遠に対立するなどということは無いので、結局イギリスの中の体制が変わってキャメロンが辞めて、きっと親米政権が生まれるでしょう。そして、どうせまたアメリカとイギリスは手を結ぶことでしょう。いずれはウォール街とシティは和解するのです。今度の出来事はその流れの一つではないかと思いますが、皆さんいかがでしょうか。

 そうなると、残ったEUはどうなるでしょうか。先ほども申したようにドイツは頻りに「哀れなイギリスよ、お前たちは泥船に乗ったのか?」と言っているそうです。メディアも頻りに「可哀想なイギリスよ」とやりたてている。テレビなどがイギリスは明日ダメになってしまう、というようなことをどんどん流しているそうです。そしてシティがEUから離れていくわけです。そうするとEUは必然的に没落します。それでシティの代わりにフランクフルトにいろんな金融機関が集まってくるということが興りかかっているそうです。しかし100パーセントそうはならないでしょう。つまりこのあとアメリカはイギリスの出方ひとつでシティを守るかもしれません。だから結局EUはドイツが中心。アメリカとドイツが永遠に仲良くなるとは思えませんし、結局アメリカとイギリスは和解してEUはダメになる。そしてシティはアメリカの管理下に置かれる。アメリカ、というかウォール街がシティの上に立つような構造になるのではないか、ということが当たるかどうか分かりませんが私の予想です。
ヨーロッパ全体はおかしくなってくる。フランスやイタリアもEUを否定する政権になるかもしれず、ドイツは英国を憐れんでいましたが、話は逆になるかもしれない。ドイツはEUという泥船をかかえてどうにもこうにもならなくなるかもしれません。

 少なくとも中国の世界戦略は破綻した・・・。良かった!と思います。今度の事件で私は良かった、と思ったのですが、私はドルを少し持っています。ドル建て債券を持っていて、円高になるからみんな落っこっちゃったのです。私なんかほんとに僅かだけれど、その変化をみていると、企業や国家が持っているドルはどんどん目減りするわけですから、大変なことになるだろうなぁと思っています。アベノミクスがうまくいったとかいうのは、あれはほとんど円安政策です。円安があそこまでいったから経済が動き出したのですから、名目上のことです。とにかく個人的には不味いのだけれど、私の中の非個人的な部分は万歳と・・・。心の中で喜んでいます。

 私の短い人生の中でこんなことが沢山はないのです。つまり中国が台頭したのも理解できない。あの最貧国が大きな顔をして、お金で他国を威圧するなどということは5年くらい前までは夢にも考えられなかったということ。そしてあのアメリカがタジタジとして自分で自分を護れなくなっているというのもビックリする話で、イギリスもおかしくなってきた。おそらくスコットランドが独立するのではないかという気がします。スコットランドがもう一回独立投票をやれば確実に離れるでしょう。そうするとイギリスという国は無くなるのです。ブリティッシュという概念は無くなってイングランドになる。イングランドになると同時に大国ではなくなります。何がおこるかというと、おそらく第二次世界大戦の戦勝国としての地位を失う。即ち国連の常任理事国としての地位を継承できなくなると思います。だってそうでしょう。ブリティッシュ、ブリテン大国がイングランドになったら、これはもう違う国なのですから。そういうことが直ぐにではなくとも必然的に起こりますよね。これでイギリスに片がつくと・・・。明治以来日本の上に覆いかぶさっていた暗雲が私の短い人生の中で一つずつ消えてゆく、というようなことを考えながら昨日(6月25日)のニュースを見ていた次第です。

文章化:阿由葉秀峰

坦々塾生出版のお知らせ(3)

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林 千勝さんご自身による紹介文

自著に寄せて

『日米開戦 陸軍の勝算―「秋丸機関」の最終報告書』(祥伝社新書)

                      林 千勝

「敵を知り、己を知れば百戦殆(あやう)からず」(孫子)
私もそう考えます。
こういう考えの私が、七十年前のあの戦争の「開戦」の決断に関する真実を追求してきました。その結果、驚くべき真実に出会ったのです。
決断は、人間の精神活動の中で、あるいは組織行為の中で、最も高次のものです。ましてや、七十年前のあの戦争の「開戦」の決断です。言うまでもなく、あの戦争は「総力戦」です。「総力戦」とは、すべての国力を挙げて、より本質的に言えば、国民経済を挙げて戦う戦争のことです。決断には、すべての国民の生命と生活がかかっていました。

本書では、「総力戦」の経済的側面を重視しなければならないとの観点から、戦争戦略の策定における客観的な数字データを読者の皆様にそのままお見せします。供するものは一次資料です。この一次資料には、当時、陸軍省内で実際に行われました戦争シミュレーションが含まれます。「開戦」の決断を後押しした戦争戦略の策定プロセスにおいて、枢要な位置を占めていたイギリス、アメリカの立場での経済的な側面を重視した戦争シミュレーションです。本書では、このシミュレーションを当時と同じ形で体験していただきます。このことにより、本書において、対米英戦開戦という空前の意思決定を行った東條首相や杉山参謀総長と、そこに至るまでの思考過程を共有することになります。同じ目線を持っていただきます。要するに、「開戦」の決断過程の追体験です。    ―― まえがきより抜粋

わずか70年前の歴史の真実、強く志向された「生」、主体的な「行動」、そして研ぎ澄まされた高い「認識力」。―― 戦前日本(昭和)では、政府や軍当局も、言論界も、すべてを認識していた。政治・経済・軍事を地球規模で俯瞰し、敵を知り己を知っていた。70年前の戦争の開戦の決断は、完全経済封鎖により追い込まれに追い込まれた末のもの。対米屈従の道を選ばなかったこの決断は、国が、民族が、家族が生き残るためであり、それゆえ、極めて合理的な判断の下に行われた。そうでなければ、国民は納得せず、国家は運営できず、陛下もご裁可なさらなかった。実際、「持久戦に成算無きものに対し戦争を始めるのは如何か」が昭和16年当時の陛下のお考えであられた。そして、この判断の主役は陸軍であった。

陸軍は「生きるか死ぬか」のぎりぎりの決断を下すために、敵と己の経済抗戦力の測定とそれに基づく戦略の策定に知見を最大限に発揮した。同時に、ドイツの苦戦も視野に入っていた。そして、科学的な研究に基づく合理的な“西進”主体の戦争戦略「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を、昭和16年11月15日大本営政府連絡会議にて決定し、続いて果敢に行動したのであった。―― 結局、日本は一部海軍勢力の作為によりこの戦争戦略から逸脱し敗北したが・・・・。戦後これまで、この戦争戦略の存在が歴史の中に埋もれていた。況や、この戦争戦略がどんなプロセスと裏付けをもって作成されたかは完全に歴史から消されていた。
70年前の戦争で植民地を次々と解放した日本の戦いぶりを見て、世界の支配者たる白人たちはその底力を恐れた。だからアメリカは、日本占領とともに戦争の真実、日本の「生」と「行動」と「認識力」の軌跡を消した。日本人の魂を圧殺し、歴史をつくり変えた。邪魔な書物を没収し、言論を統制し、ラジオ、新聞、映画そして教科書などで日本人を洗脳した。邪魔な当局文書もほぼすべて没収した。更に、アメリカ監修で二次資料をつくり浸透を図った。戦後あてがわれた日本の歴史、特に戦争をめぐる歴史は、大事な部分がフィクションだ。歴史の闇は深い。

われわれは、アメリカとGHQによって消された記録と記憶のすべてを「発掘」しなければならない。知性の責務だ。「発掘」される“昭和のダイナミズム”は、現在の日本人に対して求心力を及ぼす。日本人の「本源性」を呼び覚ます。これは、日本人の精神の軸に関わる問題であり、思想戦上の展開でもある。われわれには思想戦上の反転攻勢が必要だ。―― だから、私も本書でささやかな一石を投じたい。

坦々塾生出版のお知らせ(2)

注:8月12日のプライムニュースの動画を完全版にしました。
管理人

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鈴木敏明さんご自身による紹介文

 「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の英文版「The USA is responsible for the Pacific War」が一昨年8月に300部出版した。日本滞在の外国の大使館、領事館合わせて185ヶ国に贈呈した。著者の私としては、外国の図書館や外国のメディヤにも贈りたい。印刷会社に1万部と10万部の印刷料聞くと、およそ3百76万円、と3千100万円になると言う。これでは資金的に手も足も出ない。ベストセラーの小説でも書いて印税かせがなきゃとても無理。とても無理でも兎に角書いてみようと思ったのだ。私が若い頃、「野望に燃える男」というアメリカ映画があった。当時のイケメン俳優、トニーカーティスが、映画では普段さえないホテルのウェイターだが隆とした背広を着こみ青年実業家を装い大富豪に接近し、大富豪の子供の姉妹に近づき、彼女たちをたらしこみ、大富豪を乗っ取ろうとする映画です。今でも「野望に燃える男」という題名を覚えているので、いつ頃の映画だったか調べてみた。ウイキペディアでトニーカーティスと「野望に燃える男」を一緒にして検索してみるとくわしい説明書きが出てくるのにはびっくりした。この映画1957年の制作です。私はその時19歳。横浜の三流ホテルでボーイをしていた頃だ。小さなホテルだからボーイの他にもウェイター、ベッドメイキング、バーテンダーの手伝い、バーの掃除などいろいろやらされた。バーの掃除の時は、いつもレコードをかけながら、とくに好きだった「カナディアンサンセット」は何回もかけながら掃除をしていた。そんな頃私はこの映画を見たのだ。私はこれまでほとんど公言してこなかったが、私の人生は波乱万丈、仕事も波瀾万丈なら異性も波瀾万丈なのだ。若い頃社会的底辺の仕事をしていたが、少しも暗い影はなかった。私は若い頃はイケメンでものすごく女性に持てたからだ。「野望に燃える男」の映画を見て思わず「俺もいざとなったらこの手が使えるな」と考えたものだ。そのため「野望に燃える男」というタイトルが私の心から消えることもなくいまになっても覚えているのだ。そんなことで苦労話や興味のある体験談なら事欠きません。面白い小説を書いてやろうと書き出していた。しかし、あまりにも面白くしてやろうとそればかりを意識しすぎたせいか、書き終わってみるとあまりにも長すぎて焦点のぼけた小説なってしまった。今度は余計なものはけずりにけずってやっと仕上げた。しかし書き込むのはいいが、けずるという作業はむずかしいものだ。何かとてもいい話をけずるような気がしてならなかった。それでもけずったお蔭でまともな原稿が、ことしの前半にできあがった。360頁ほどの小説です。

本来ならここで私は数々の出版社まわりをし、出版のお願いをして原稿を置いてくるのでしょうが、知名度なにもなしの私が初めて書いた小説です。その上今月喜寿を迎える77歳の老人、私の人生の賞味期限もおよそあと10年、出版社まわりをしていつ出版してくれるかを待つ悠長な時間はない。私は自費出版を決断した。自費出版では、ベストセラーがさらに生まれにくくなることは確かです。私が「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を自費出版した時は、今から11年前、その時とは自費出版業界は、様変わりに変わっています。今ではどこの出版社でも自費出版しているのだ。そのため数はあまり多くないが自費出版でもベストセラーが出ているのです。私はこれまでに宝くじなど買ったことはありません。今度はベストセラーという一等賞を取るために自費出版という宝くじを買ったのです。宝くじの一等賞をとるのは非常にむずかしい。しかしベステセラーという一等賞がとれなくても、それなりに売れなければ、私の筆力不足、能力不足としてあきらめることにした。

まず四社、中央公論社、新潮社、幻冬舎、文芸社から合い見積もりをとった。私の原稿に対四社の書評は、良かった、しかしけなしたら出版社も商売にならないから、その分書評も割り引いて考えねばならないでしょう。一般的に自費出版の場合は、初版千部での見積りになります。初版千部の見積りの他に重要な物が四つあります。
1.初版千部は、いつまで売ってくれるのか?出版期間はいつまでか?
大東亜戦争は、アメリカが悪い」の場合は、一年の出版期間だった。一年で千部以上売れなければ、それで出版契約は、終わり。ところが一年で三千部も出版したのだ。出版社は、こんな本売れないだろうと予測し、本の大きさ、厚さを考えると1500円では安すぎるのに定価にしてしまったのだ。売れても損をすることないが、儲けがほとんどないことになる。倒産したから良かったが、倒産してなければあわてて定価を変えねばならなかっただろう。

2.印税の詳細、初版も二版もそれ以降も同じか、自費出版初めての人、私のように何回か出版の経験もあり、ブログを長期間書いている人、当然印税に違いが出る。

3.チラシ広告、100部、500部など出版費用に含まれているかどうか?売るためにはチラシ広告は、絶対に必要ですし、またどういうチラシにするか著者の意見も必要です。
自費出版でチラシなどいらないということは、自分で売り込みはしないということです。自分の書いた本を自分で売り込まなければ、誰が売り込んでくれますか。

4.支払条件
小さな自費出版社なら、分割払いを進めます。倒産の場合の被害を少なくするためです。

これらの四つの出版社の見積りの総合評価の結果、私は文芸社と自費出版契約を結んだ。今から11年前私が初めて自費出版した時、文芸社も自費出版社として存在していた。以来自費出版社として成長し、今では自費出版社だけの出版社としては最大で、草思社(出版社)を100パーセント子会社化しています。自費出版だけで食べているだけに、他の三社、中央公論社、新潮社、幻冬舎よりも自費出版には、一日の長があることがわかった。文芸社は、今二つのベストセラーを抱えています。
1.「それからの三国志」
サラリーマンが定年後に自費出版をした歴史小説です。現在20万部売れているそうです。
2.「本能寺の変、431年目の真実」
明智光秀の子孫が、このかたサラリーマンであったかどうか知りませんが、自費出版した。歴史事件の捜査ドキュメントです。これも今30万部売れているそうです。

この本の二つのタイトルを見ると、ベストセラーになる小説は、本のタイトルからしてベストセラーになる雰囲気があるような気がします。それに引きかえ私の本のタイトルではベストセラーになる雰囲気はないし、タイトルを今更変えることもできないし、変えるにしてもアイデアは浮かばないし、このままのタイトルでベストセラーになる夢を見ることにしよう。本が売れれば「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の英文版は海外にも行き、日本語版の再出版も可能になるのだ。本は8月末に本屋から売り出されます。皆さん、ぜひ買って読んでみてください。本のタイトルは、「えんだんじ、戦後昭和の一匹狼」、定価は1600円プラス税です。