編集長からの手紙

 この手紙をもらって私は大変うれしかった。私信公表なのでご本人の許可をいただいて――お立場上、若干ご本人もためらわれたが――ここにのせさせてもらう。

 私がうれしかったのは勿論私の論文を評価して下さったからだが、論の骨格を正確に読み取っていただけたこともある。

 年末の仕事の中心が福田恆存に関する講演と論文だった。『諸君!』が掲載してくれる約束だったのだが、量が多いので、削減を求められるのを私は恐れた。削られるくらいなら二ヶ月にわたる分載でいいから、全文のせてもらいたいと思った。そう希望しておいた。

 すると、講演を聴いていなかった編集長が手書きの私の草稿を読ませてほしいと言ってこられた。その結果、雑誌の立場としては分載するくらいなら全文一括で掲載させてもらいたいという。

 でも、確実に100枚は越える。さらに加筆するから最終的には何枚になるか分らない、と言ったら、それでもいいという。余り例のない話である。

 おかげで『諸君!』2月号に36ページもの一挙掲載となった。編集長には12月20日に一緒に酒を飲む約束をした。それからしばらくして、次の手紙が来た。まだ見本刷は出来ていない段階であった。

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 西尾幹二先生

 今月は福田恆存論をありがとうございました。年末のお忙しい時に、大作に挑んでいただき、感謝いたしております。お電話で構想をうかがった時はよくわからなかったのですが、60年代から70年代にかけての福田さんの言論、行動の重さを、全身で受けとめて、その精神を継承しなければならないというお考えが、強く伝わってきました。

 『常識に還れ』『私の國語教室』『批評家の手帖』の三方向からの「非文学」がいかに本来の意味での「文学」であり、行動であるかが、すごくよくわかりました。そして70年以後の、そこからの撤退。私自身が福田恆存の文章を熱心に読んだのは、70年から72、3年にかけて、新潮社から出ていた七巻本の評論集でしたから、その後半が今回、先生が主として論じられたところでしたが、時代の中で非常に孤立というか孤高な印象があり、その精神がレトリックと笑いによって、むしろ積極的に現実に働きかけてくるような凄味がありました。

 たしかに今度の論を読んでいて「アメリカを孤立させるな」や「日本共産党礼讃」がもっていたほがらかな破壊力と、それが破壊たりえた日本という国や社会の岩盤の固さが、70年代以後の日本から徐々に、かつ急速に失われていったことを思いました。変えようとした現実がどんどん不定形で軟体動物のようなものに変容していった中で、三島さんは死に、福田さんは論壇文壇から距離をとり、その空虚に耐えながら、先生の言論活動があるという歴史の構図がみごとに見えてきました。

 私的な回想のエピソードも美しく、没後十年にふさわしい文章をいただけて感謝しております。お疲れさまでした。また頂戴いたしました『日本人は何に躓いていたのか』を福田恆存論を脇に置いて読み直しますと、現実への働きかけへの情熱がまたちがって、ひときわ大きく見えてきました。

 どうもありがとうございました。それでは、20日の夜にお目にかかるのをたのしみにいたしております。

12月16日

                               「諸君」細井秀雄
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 私の言論活動が三島由紀夫、福田恆存の衣鉢を継いでいるというお話は勿論私に自覚のあることだが、一方ではこれは自己過大視と人には見えるかもしれないが、他方では大変に心を冷え冷えとさせる話でもある。この一本の流れは原則的に孤立者の系譜だからである。保守の中に仲間がいるようでいて、じつはいない。

 私は自分を時代に合わせ随分変えてきたつもりであるが、それでも孤立の宿命は避けられなかったし、これからも避けられないだろう。しかも時代と共に日本の条件はひどくなっていく一方である。保守は増えたが、精神は解体している。

 私は残りの人生において、恐らく健康が維持できてあと5年をどう過ごすか、仕事の内容と幅をどうきめていくか、年末年始に当りしっかり考えなければならないと思った。福田先生が脳梗塞で倒れられたのは今の私の年齢、69歳である。

 遅咲きの私はまだ語り残していることが数知れない。これからが生命を燃やす最後の段階であると思っている。

 教科書問題は安心できる後継者を得たので、今まで以上に私はここから離れることになろう。やり残している数多くの関心のあるテーマ、昭和の思想、古代と文字、ゲーテとフランス革命、萩原朔太郎、ショーペンハウアーの母、ニーチェ(続編)、荻生徂徠、空海、韓非子等々、まだほかにもあるが、やりたいテーマは山積している。ドイツ神秘主義にもずっと前から関心をもっていて、文献は大量にあつまっている。よほどよく選んで考えないと、不満な結果に終るだろう。

 福田先生が「もうこれ以上自我の芯で戦うのは間違っているのではないか」と私に自戒の言葉をお示しになったことは論文中に記したが、現代の目の前の愚劣な問題と「自我の芯」で切り結ぶことは私も間違っていると思いつつ、ジェンダーフリーにまで手を伸ばし、来年は憲法、中国問題、皇位継承問題など目が放せない問題が並んでいる。たゞどこまで付き合うか、現代との距離のとり方がこれから限られた貴重な時間内で、さらにむつかしくなってきたと痛切に自覚している。

 年末に編集長からの例外的な手紙を紹介する機に、所見を披露した。連載中の「正しい現代史の見方」は勿論まだつづく。

2005~2006年の私の仕事の計画表

2005(平成17)年

1月  新・国民の油断(PHP研究所)八木秀次氏との共著

2月  新・地球日本史(扶桑社)第一巻 編著

3月  人生の深淵について(洋泉社)旧作復刻・完本作成
     付・小浜逸郎氏解説

4月  江戸のダイナミズム(文藝春秋)
     1000枚を越える大著

5月  新・地球日本史(扶桑社)第二巻 編著

5月  あなたは自由か(ちくま新書)

6月  民族への責任(徳間書店)
     教科書問題再説

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これ以後順不同

1. 「ギリシア人の悲劇時代の哲学ほか」ニーチェ 中公クラシックス
2. 新版 労働鎖国のすすめ(再刊補説)PHP研究所  
3. 題未定(日録稿を基礎にしたもの)徳間書店

以上の大半はすでに終った仕事の整理か、他人の仕事の編著である。だから本の数が多いわりに、仕事量は少いと見る。それでも、これは過重労働ではあるだろう。もっと減らさないと2006年にひびく。

2006(平成18年)1月31日刊行予約
国民の現代史 (1800枚予定)扶桑社

2005年は仕事をセーブしてこのための準備勉強に入る。
範囲は21世紀史

12/25追記

高橋史朗氏埼玉県教育委員への私の「朝日」コメントについて

 埼玉県議会は12月20日午後、高橋史朗氏を同県教育委員に任命する人事案件を可決した。

 18日に朝日新聞さいたま総局から私に電話があり、20日の選出はほゞ確定した見通しなので、高橋氏の人となりを含め、教育委員高橋氏の将来をどう考えるか、コメントが欲しいと言ってきた。私は、文言をファクスで確認し、私が了承した文言どおりにのせるのなら応諾すると答え、電話口で感想を語った。

 翌19日午前8時27分に作成された文言がファクスで送られてきた。私は小さな修正をこれに加えて了承した。先方もこれを合意し、20日午前中には文言が確定した。

 21日13版第2社会面に、「つくる会名誉会長の西尾幹二・電気通信大名誉教授の話」として次のように掲示された。「周囲、感化を」とタイトルがついていた。

 「周囲を徐々に感化していくことで、事なかれ主義に陥りがちな教育委員会を変えてくれるだろう。我々の考える教育の健全な在り方を広めるきっかけにもなると期待している。」

 同上は12版と13版にのり、14版には全然のらなかったと報告された。ただし、私が担当者とファクスを交換し、合意した内容は次の通りである。

  「温厚で無口な性格だが、体からにじみ出るような説得力を持つ人。周囲を徐々に感化していくことで、事なかれ主義に陥りがちな教育委員会を変えてくれるだろう。我々の考える健全な教育の在り方を広めるきっかけにもなると期待している。」

 最初の一文が削られている。「行数の関係で短くさせていただいた」という釈明のファクスが入っていた。

 しかし、高橋氏の人となりを含めて感想がほしいと言ってきたのは先方である。「周囲を徐々に感化」する原因は高橋氏の人格だと私は書いているのに、勝手に原因を削ってしまったので、文意が変わっている。もし私に削ってほしいといわれたら、私なら最後の一文を削ったであろう。

講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(七)

 戦争が終って、敗北を知った直後、呆然としている日本人は、謝るというようなことを考えた人はほとんどいません。まして、世界に対して罪を犯したなんて、冗談じゃない、そんなことを考えた人は一人もいません。厭戦感情はありましたよ。疲れた、もう厭だ、これ以上はたまらない、これは別ですよ。でも、正義とか道理とかは、わが方にあるということを疑うものはいなかった。

 敗北を知ってホッとした感情があったのも事実ですよ。でも、これで助かったと思ってホッとしたんじゃなくて、余りにも苦しくて、疲れ切って、病人が早く死にたいと思ったりするような気持ちにも似て、ホッとしたんですよ。それをみんな誤解して、終ってホッとして生き生きと甦ったというような意味に解釈して、いつしか「解放感」と誤解するようになったんですね。

  「解放感」はむしろ開戦のときにあったんです。なぜ、武者小路実篤や太宰治のような作家までが、開戦の日にまるで甦ったように思ったのか。あるいは竹山道雄がこれでやっと決まったとホッとしたのか。明治以来の日本人の胸のうちに がしっーとかぶさってくるものがあったからでしょう。説明のできない圧力を受けてきたからでしょう。その圧力が中国戦線で晴らせるものじゃなかった。いつまでも中国に深入りしてたって、きりがない。本当の敵は何処にあるんだと、いう疑問は日本人を苦しめていました。後ろで援蒋ルートといって、盛んに蒋介石に物資を援助している政府がいるじゃないか。そのことを誰一人知らない者がいなかった。

 しかもいろんなことが戦後になって、最近になってわかってきていますよね。フライングタイガーという作戦ね、これひどいものですね。12月8日に、真珠湾攻撃で戦争が始まってたんじゃないんです。アメリカはそれより先に中国に空軍部隊を、つまり兵力を投入していたんです。ただし全部いったん退役にしまして、その上でアメリカの飛行機を投入してですね、いかにも義勇兵が勝手に参加しているかのごとき形式をとりまして、アメリカ自身が参戦していたんです。蒋介石軍が弱いんで、見てられなかったからでしょう。フライングタイガーという軍隊、事実上の軍隊ですが、しかもそれに正式にルーズベルト大統領が署名をして、退役にしたのは形式であって、やがて複役させということを約束している。そういう大統領の署名のある書類も発見されている。今となればですね。はるかにはるかに日本より早くですね、アメリカが「開戦」に踏み切っているんですよ。

 じつはそのとき、東京大空襲が計画されておりました。パールハーバーよりはるか数ヶ月前に東京は敵襲をいきなり受ける可能性が高かった。ところが、その時米軍がそろえていた飛行機がドイツ戦線に必要になったために、急遽東京空襲の計画は取りやめになったということですから、なんで日本が先に手を出したなんてことが簡単に言えますか?開戦の気分は双方同じだった。発火点に達していたが、切っ掛けだけがなかった。そういうことが大戦直前の状況だったんです。

 強い強い圧力、胸の中に鬱積してくるようにたまってくるものが日本人の中にあって、その原因となるものの正体が歴史の背後から少しづつ浮かび上ってきています。今だんだん証拠書類が公開されておりまして、第二次世界大戦に対するアメリカの公文書館の書類はいまやっと少しづつ出ているわけですね。それから、ソビエトの崩壊した1990年から何年間か、大体1998年ぐらいまでの間に、隠されていたソビエトの秘密文書がオープンになりまして、その多くは少しづつ翻訳されておりますけれど、歴史は塗りかわりつつあるわけです。

 プーチンになってからまた書類が出てこなくなりましたけれど、とにかくソ連(ロシア)もかなりひどいことをしていたことが全部わかってきつつあります。あの当時我々が知らなかった世界史の闇の部分が分るということになるわけです。虚々実々の現実がこれから明らかになるだろうと思います。日本が中国大陸に引きずりこまれたのはどこの国の意志であったのか。それは果して英米なのか。イギリスはソ連に警戒的でしたが、アメリカは慨してソ連に寛大で、政府の中枢にコミンテルンのスパイがいました。アメリカを介してソ連の巧みなコントロールがアジア情勢をどう動かしていたか。ま、私はまだぼつぼつ勉強している途中で、よくわかっていないところばかりで、これから大変なんですが、いずれにせよ、20世紀の歴史というものを我々はもう一度、よぉく振り返って、精査してみる必要があるのではないか、と思うわけであります。

 そうしたらば謝る気になんか、とてもなれないですよ。日本人が謝る必要なんか全くないということに、すぐ気が付くと思います。我々が悪をなして、アメリカが善をなしたとか、ソビエトが善をなしたとか中国が善良そのものだったとか、そんなこと考えられますか。自分が悪をなしたと思っているからおかしなことがおこるんです。そんな事は常識だって考えられないと思うんですね。今のアメリカやロシアや中国のやり方を見ていても、地球上で起っているどの出来事を見ていても、各国の強引さ、そして掛け引きのものすごさを思い浮かべてください。

「日録」の更新もままなりません

 12月の仕事は例によって過密スケジュールで進行し、「日録」の更新もままなりません。いづれ詳報しますが、やった仕事はやがて表に出て来ます。本日は完了した仕事の報告をいたします。

 八木秀次氏との対談本『新・国民の油断』は360ページのどっしりした本、グラビア、図版多彩の充実した反撃本です。「ジェンダーフリー・過激な性教育は日本を亡ぼす」の副題あり。すでに校了です。1月11日店頭発売、PHP研究所刊、¥1500。一冊仕上げるまでには大変な作業量でした。

 「福田恆存の哲学」という11月20日の講演は、大幅に加筆し、『諸君!』の2月号に36ページ約130枚、一挙掲載となります。題して「行動家・福田恆存の精神を今に生かす」で、私は12月7日から13日までこれに没頭、14日の明け方校了となりました。

 もうひとつは平松茂雄氏との対談「Voice2月号」――特集「日中友好は終わった」の中の「領海侵犯は偶然ではない――陸上自衛隊は米軍とともに東シナ海の警戒を強めよ――」。軍事防衛問題には私は関心が尽きない。そして産経の「新・地球日本史」12月20日から25日まで、三浦朱門氏と、連載をめぐって年末対談を行います。これも完了しました。

 これだけやっていると「日録」の更新はおろか、インターネットを開く時間もないのです。

講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(六)

★ 新刊、『日本人は何に躓いていたのか』10月29日刊青春出版社330ページ ¥1600


日本人は何に躓いていたのか―勝つ国家に変わる7つの提言

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帯裏:六カ国協議で、一番焦点になっているのは、実は北朝鮮ではなくて日本だということを日本人は自覚しているのでしょうか。これから日本をどう泳がせ、どう扱うかということが、今のアメリカ、中国、ロシアの最大の関心事であります。北朝鮮はこれらの国々にとってどうでもいいことなのです。いかにして日本を封じ込めるかということで、中国、ロシア、韓国の利益は一致しているし、いかにして自国の利益を守るかというのがアメリカの関心事であって、核ミサイルの長距離化と輸出さえ押さえ込めば、アメリカにとって北朝鮮などはどうでもいいのです。いうなれば、日本にとってだけ北朝鮮が最大の重大事であり、緊急の事態なのです。

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書評:「史」ブックエンド(11月号)より

外交・防衛・歴史・教育・社会・政治・経済の七つの分野にわたって、歪んだ日本の現状を立体的に解き明かしている。それはまるで推理小説の最終章のごとく痛快明朗だ。そこから導き出された提言は「日本人が忘れていた自信」を回復するための指針。こたつを囲んで優しく諄々と聞かされているようで、この日本の現状をどう捉えたらよいのかがだんだんクリアーになってくる。筆力ある著者ならではの説得力に富む快著。この祖国日本が二度と躓かないためにも、政治家や官僚に読んでもらいたいという著者の意向だが、国民必読の書である。

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書評:アマゾンレビューより

西尾ワールドの全貌, 2004/11/07
レビュアー: recluse (プロフィールを見る)   千葉県 Japan
西尾氏の作品は20年以上にわたって読み続けて着ましたが、今回の作品では、彼は自分の思想の全体像を簡潔な形で、整理することを目的としています。外交、防衛、歴史、教育、社会、政治、経済の順で議論を展開することにより、徐々に現象面から、より深く日本の抱える問題の根本に接近しようとしています。この手法により、彼の考えの基層に接近することが可能となるよう、構成されています。すべての論点で、彼は明確に一貫して変わることのない自分の人間観と歴史観を呈示しています。簡単なことですけど、これは稀有なことです。いったい何人の日本人が、自分が20年前に書いたことを一点の恥じらいもなく振り返り再提示できるでしょうか。また、本質を捉えたアフォリズムと西尾節も満載です。特に熟読すべきなのは、第三章の歴史の部分です。続きを読む

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講演「正しい現代史の見方」 (六)

 ま、その話をしだすときりがないから、よけておきますが、とにかく国民はそこで、A級戦犯もB級戦犯もない、戦犯は勝手に勝者が作った裁きなんだから、それにとらわれる必要はないんだと認定した。それには、理由がありましてね、わが国の戦争というのは、今私は天皇陛下との運命共同体と申しましたが、一握りの指導者が、民衆をたぶらかして戦争に走らせたと言う話ではないんですよ。共産党はそんなことを言いますが、共産党とその影響下にある人だけですよ、そんなことを言うのは。戦争に突入していった日本人は戦争の行く末がどうなるか誰にもわからなかった。やったことがまちがっていたか、正しかったか、悲しかったか、愚かだったか、賢かったか、それも誰にもわからなかった。

 ここに私はそのことを証明する二人の作家のことばを皆さんの前で読み上げてみたいと思います。

 この二人の作家は、戦時高揚を発奮する方々では全くありません。昭和16年12月8日、あの開戦の日ですね。もちろん戦意高揚を詠った詩人もおりました。高村光太郎、それにまた佐藤春夫、あの有名な詩人が国民を鼓舞する高潮した詩を新聞に掲げましたが、これからのべる二人の作家は、どう見てもそういうタイプではない。皆さんも知っている一人は武者小路実篤さん。

「十二月八日はたいした日だつた。僕の家は郊外にあつたので十一時ごろまで何にも知らなかつた。東京からお客がみえて初めて知つた。『たうたうやつたのか。』僕は思はずさう言つた。それからラジオを聞くことにした。すると、あの宣戰の大詔がラジオを通して聞かへてきた。僕は決心がきまつた。内から力が滿ち溢れてきた。『今なら喜んで死ねる』とふと思つた。それほど僕の内に意力が強く生まれたのだ。」

 もうひとりは、昭和16年12月8日の開戦のラジオの報道を聞いた太宰治です。太宰治がどんな作家か。最後に女と情死したあの作家ですよ。

 「しめきつた雨戸のすきまから眞つ暗な私の部屋に光がさし込むやうに、強くあざやかに聞こえた。二度朗々と繰り返した。それをぢつと聞いてゐるうちに、私の人間ははつてしまつた。強い光線を受けて、からだが透明になるやうな感じがした。あるひは精靈の息吹を受けて、冷たい花瓣はなびらをゐちまひ胸の中に宿したやうな氣持ちだ。日本も今朝から違ふ日本になつたのだ。」

 この二人の戦争協力などとはおよそ縁のない作家の言葉は、国民の普通の受けとめ方であったということです。国民は英米との大戦を容易ならざることと受けとめたことは事実ですけれども、これをマイナスの記号で判断した人は誰一人もいなかったんですよ。そういいだす人が出てくるのは、戦後になってからです。当時一高教授であった竹山道雄氏は

 「われわれが最も激しい不安を感じたのは戦争前でした。戦争になって、これで決まったと、ほっとした気持ちになった。そういう人も少なくありませんでした。」

 これも今の二人の作家にどこか繋がってくる言葉だと思います。

講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(五)

 さて、それではナチスドイツと日本ということですが、ドイツは謝ったんでしょうか?日本人はやっぱり謝るべきだってこのお手紙の中でもそう言っているわけですよね。謝る必要はないと私が言ったことはいかんとお叱りになり、「次世代の若者が何が起ったか、事実を知らなかったでは情けない、日本は悪くない、謝る必要はないとおっしゃいますが、それを言っちゃあおしまいよ、と私は言いたいんです」と、こう私に向かって書いてきている。こういう考え方を持っている人が、ごまんといて、朝から晩までマスコミがこういう調子でことばを流してきましたし、いまだにそうです。新聞だけでなくNHKあたりまでが戦後ズーッと朝から晩までこういう調子で物を言っていましたから。これは決して、日本にひどいことをしようと意図しているわけではない。こういうことを言っていると無難だという考えなんですよ。

 自分が悪いと言っていれば気が楽なんです。ホッとしていられるんです。抵抗して自分は正しかったと言ってスックと起ち上がるのには努力が要ります。意力が必要です。ところがですね、はっきり申しますが、ドイツは全く謝っておりません。侵略戦争を謝っていません。ユダヤ人虐殺だけ謝ったんですよ。この事実も知らないんだから、日本人は困ったもんです。ドイツが謝ったのだから、日本は謝り方が足りないと言って十年くらい前に戦後謝罪問題というのが起りました。

 ドイツは個人補償として沢山のお金を、日本の何倍と言うお金を犠牲者に払っているじゃないかと、細川内閣の少し前、たしか宮沢内閣のころですね、宮沢さんって人はすぐそれに同調しましたから。個人補償ということばがパッと広がりました。どういうわけだか「従軍慰安婦問題」がそのとき一緒に出てきました。誰かが裏で糸をひいていたんでしょうね。この二つはセットで新聞紙面におどりでました。そして細川内閣にかわっても、同じことで、細川さんもすぐあわてて、侵略者戦争謝罪発言というのをやりました。そしてその時彼はドイツが個人補償に7兆円だしているんなら、日本も1兆円くらい出すべきだなんてどんぶり勘定言って、根拠はどこですかと言われて笑われたんですが、真面目にそう言った人ですよね。これまた無知の然らしめるところは恐ろしいということなんですが、ドイツは戦争犯罪に対してビタ一文も払っていないんですよ。謝罪もしていません。それどころかドイツは平和条約をさえ結んでいないんです、まだ。ヨーロッパは何百年にわたり互いに侵略戦争をしていた処ですから、互いに非難なんかできません。

 日本はサンフランシスコ平和条約を結んで賠償を支払うべきところには支払い、在外地における財産は全部没収されて、しかもA級戦犯のみならず、BC級戦犯3000人の命が処刑の対象になり、これも不当ですからね、こんなことする根拠はないんですから、BC級戦犯と称して、いい加減な裁判で沢山の日本の人たちが処刑されて、そして昭和28年サンフランシスコ平和条約が結ばれると同時に日本の国内で戦争は終ったということになり、解決しました。しかしドイツはこの平和条約を結んでいません。近隣諸国と今でも法的には交戦状態にあるのです。しかし、それではやっていけないので、戦争の謝罪はしないが、ホロコーストにだけは補償しようという対応をしたのでした。

 他方、日本では平和条約を結んだそのとき、いいですかそのときに、なんと、まだ依然として巣鴨に拘留されていたA級戦犯の人たちの釈放運動がはじまりました。その釈放運動で旗を振ったのは社会党議員です。一社会党女性議員が旗を振って署名運動を展開して、皆さんのご年齢の方の中できっと忘れていないかたもおられると思いますが、4000万人もの署名が集まって、そうしていわゆる東京裁判の巣鴨拘置所に拘留されていたまだ処刑されていない人々が釈放されて、ならびに皆さんも知っている、軍人恩給というものにも平等に浴するするという立場を得られるのであります。戦争は終ったんですよ、そこでケリをつけたんです、国民の心の中で。社会党議員がですよ、すべてを許さなければならないと言ったのです。つまり誰か個人が他国を害したのではない、A級戦犯もB級戦犯もくそもない、みんな国民は天皇陛下と一緒に運命共同体の一員として戦ったんだから、誰かに罪があるという話ではない、と。

 死んでいるものに鞭は打たないとそういうことだったわけですね。それがですね、何が故に中国が今ごろになってA級戦犯を別に祀れとか言い出すのか。A級戦犯、A級戦犯というけれど、皆さん立派な人がいっぱいいるんですよ。あの中には、東郷外務大臣もそうだったし、戦後大蔵大臣をやった賀屋興宣さんもいたし、みなさん戦後復活して政治家として活躍された方々少なくない。何がA級戦犯ですか。あれは勝手に東京裁判で勝者がレッテルを貼っただけの話であります。

講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(四)

 戦争に負けるということはもう海外の権益を奪われ、資産を押さえ込まれ、賠償を取られ、領土を失い、それから不愉快きわまるいろいろなことが相次いで起こるわけですから。国家の発言力は低下するし、国益は守りにくくなる。そうやって苦しんだ揚句、やっとのことで平和条約が結ばれ、そこですべてをいったん水に流してもらって、これ以上の釈明や言い争いはもうやりませんというのが、平和条約ですから。そこで、もうこれ以上二度と謝るということはないということを前提として考えておかなくてはならないわけです。

 が、どういうわけか、日本ではおかしなことがずっと戦後行われてきたのです。平和条約のあとでは、敗者は謝ってはいけないのに、謝るべきはむしろ勝者であるのに、謝罪が後あとまで尾を曳く。こんなバカなことはないのです。敗者と勝者の関係に世界史の中で異変が起こっている現れではないでしょうか。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間では勝者の態度に異変がみられるのではないでしょうか。

 ヨーロッパの市民文明というのは、二十世紀の初頭まで上昇に上昇を重ねてきました。輝かしい一番美しいヨーロッパ文化の花開いた時代、永井荷風がパリにあそんだあの美しいヨーロッパの姿。第一次大戦でそのヨーロッパが焦土と化し、四年にわたって悲惨な戦争を行って、とうとう最後には毒ガスまで出てきた。まぁ、みなさん知っています通り、ヨーロッパ文化が一番激しく自責の念にかられたのは、第一次世界大戦の後でした。

 インドの詩人タゴールが直後のヨーロッパを訪れて、物質文明そのものの持つ自己破壊、文明がもたらす非文明、野蛮、をそこに見て、インド人の目でヨーロッパの自我拡張意識の間違いを厳しく批判しました。ヨーロッパの中からも強い反省の気持ちがわき起こり、これが言うまでもなく1928年の不戦条約になるわけですし、さらにはヨーロッパの内部で、第一次世界大戦の惨劇に、時を同じくして『西欧の没落』という本が書かれます。シュペングラーと言う人のね。もうヨーロッパ文明の末路運命がここへきてニヒリズムの極限に立って、没落していくよということで、ヨーロッパが本当にすっかりがらがらと変るのは第二次大戦ではなくて、第一次大戦であると普通の文化史にも書かれているくらいです。つまり本当につらかったのですね。ヨーロッパ人はあの時ね。今までの美しかったヨーロッパを本当に自分の手で壊してしまった。そして、それが愚かだったという反省があった。

 しかし、第二次大戦のあとで、ヨーロッパの中から反省の声が出てきたでしょうか。まったく出てこなかったんですよ。ナチスの悪口ばっかりで、ついでに日本まで巻き添えにして、敗戦国の悪口を言い続けて、大量破壊史を展開した西洋人は、自己断罪を回避しました。悲劇において勝者と敗者の区別はありません、イギリスはドレスデン爆撃で1945年2月に3万人を殺戮し、アメリカはその1ヵ月後に東京空襲で10万人の一般市民を殺害しました。その勝者が文明の破壊の一翼を大きく担ったことの反省がなくて、どこかに悪者探しをしてけりをつけた。それがナチスのドイツと、軍国主義日本ということになった。まったく天から話がちがうんですが、そういうことになった。ドイツと日本を裁いた後で、戦勝国もまた深く反省し、自己を裁くべきだったのに、裁かなかったことは後々まで祟り、歴史を歪め、今日まで文明をねじ曲げてきております。

 さて、皆さん、戦勝国はどこも、第二次世界大戦においては、謝罪はしなかった。このことは異常なことだということを、あらためて考えるべきなんですよ。戦争は終ったんですから。異常なことだということ、それがわからない人が日本にもたくさんいて、さっき例をあげた大江健三郎さんなどがその代表ですけれどもね。つまり、逆のことを言っているんだからね。敗者だけが謝るべきで、敗者が勝者の犯した罪まで全部背負わなければならないという議論じゃないですか。原爆を落とされた側が人類の罪におののいて、そして、それ以降は日本人は文学はもう書けない境地になったなんて自分を辱め、転倒したこと言ってんだから、それじゃ勝利者の罪まで全部背負って生きていかなければならないのか。あの人のノーベル文学賞の受賞演説がそういう内容なんですよ。輝かしきヨーロッパ文明に対して、暗黒の日本という話なんだから。で、悪いことをして申し訳ありません、と。アジアを犯し、搾取したのはイギリス、フランス、オランダ、そしてアメリカではなかったのですか。大江さんはまったくわれわれとは異質な歴史認識を持っておられるようでした。

 そういうことを平気で言うのは日本の恥ですね、あの人は。ノーベル賞というものがくだらないものだと言うことを日本中に知らしめた功績者だと、私はかねてそう思っていますけれど。ノーベル賞ってのはおかしくなりましたね。佐藤栄作さんが貰って「え?」とびっくりして、なんで?って思って、それで大江健三郎が貰って、抱腹絶倒、ということになったのでありまして。そのあと金大中とかアラファトとか、となってますますいけません。文学賞と平和賞はやめるべきですね。無理がどうしてもあるんです。

講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(三)

★ 新刊、『日本人は何に躓いていたのか』10月29日刊青春出版社330ページ ¥1600


日本人は何に躓いていたのか―勝つ国家に変わる7つの提言

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帯裏:六カ国協議で、一番焦点になっているのは、実は北朝鮮ではなくて日本だということを日本人は自覚しているのでしょうか。これから日本をどう泳がせ、どう扱うかということが、今のアメリカ、中国、ロシアの最大の関心事であります。北朝鮮はこれらの国々にとってどうでもいいことなのです。いかにして日本を封じ込めるかということで、中国、ロシア、韓国の利益は一致しているし、いかにして自国の利益を守るかというのがアメリカの関心事であって、核ミサイルの長距離化と輸出さえ押さえ込めば、アメリカにとって北朝鮮などはどうでもいいのです。いうなれば、日本にとってだけ北朝鮮が最大の重大事であり、緊急の事態なのです。

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書評:「史」ブックエンド(11月号)より

外交・防衛・歴史・教育・社会・政治・経済の七つの分野にわたって、歪んだ日本の現状を立体的に解き明かしている。それはまるで推理小説の最終章のごとく痛快明朗だ。そこから導き出された提言は「日本人が忘れていた自信」を回復するための指針。こたつを囲んで優しく諄々と聞かされているようで、この日本の現状をどう捉えたらよいのかがだんだんクリアーになってくる。筆力ある著者ならではの説得力に富む快著。この祖国日本が二度と躓かないためにも、政治家や官僚に読んでもらいたいという著者の意向だが、国民必読の書である。

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書評:アマゾンレビューより

西尾ワールドの全貌, 2004/11/07
レビュアー: recluse (プロフィールを見る)   千葉県 Japan
西尾氏の作品は20年以上にわたって読み続けて着ましたが、今回の作品では、彼は自分の思想の全体像を簡潔な形で、整理することを目的としています。外交、防衛、歴史、教育、社会、政治、経済の順で議論を展開することにより、徐々に現象面から、より深く日本の抱える問題の根本に接近しようとしています。この手法により、彼の考えの基層に接近することが可能となるよう、構成されています。すべての論点で、彼は明確に一貫して変わることのない自分の人間観と歴史観を呈示しています。簡単なことですけど、これは稀有なことです。いったい何人の日本人が、自分が20年前に書いたことを一点の恥じらいもなく振り返り再提示できるでしょうか。また、本質を捉えたアフォリズムと西尾節も満載です。特に熟読すべきなのは、第三章の歴史の部分です。続きを読む

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講演「正しい現代史の見方」 (三)

 最初からいきなり戦争なんてことはないわけで、だから私はよく言うんです。日本人の今の平和主義の考え方は、これはいつか遠い将来戦争を醸成しているようなものだと思います。平和以外には何でもありが許される平和主義は、必ず最後には戦争になる。平和以外はなにも望まない、どんな侮辱を受けても、じっと忍耐しなさいという種類の平和主義は、必ず最後に戦争になる。戦争にならないためには、適宜な発散が必要なんですよね。それがある意味の知恵なので、今南西諸島で起こっている中国のやり方を見て、このまま日本が引き下がっていったら、いずれ遠い将来に必ず戦争になりますよ。これはもう沖縄を取ろうとしているわけですから。黙って沖縄を取られることを許せますか?日本は。

 中国は沖縄をそっくり取ろうとしているなんて信じられないと思うかもしれませんが、中国の立場に立つと近代的開国が遅れて、気がついてみると北京から上海までの大陸の東側の海上は全部日本に抑えられている。中国は核、宇宙、海という三つの開発プロジェクトをかかえたアメリカ型の国家になろうとしていますから、海では何がいったい邪魔か。沖縄を全部自由にしたいと思うのは、ある意味で力の赴く必然ですからね。そりゃかならず戦争になります、そうなれば。だからアメリカの石油会社は逃げて行っちゃったんです、危ないから。こんな海域で商売は出来ないと。トラブルは必ず拡大すると見たんですね。日本人の側に覚悟はありますか?向うは核武装国家ですよ。愈々いよいよ正念場が来たんですよ、日本にはね。

 ま、それは別といたしまして、この要するに平和以外には何でもありが許される平和というのは、今の日本みたいな考え方ですが、これはかならず戦争につながるわけですから、例えば尖閣列島に中国人が7人上陸したら、ちゃんと裁判にかけて、処罰するべきことはしておくべきなんですよね。しかも内一人はご承知のように、執行猶予中の身であったということですから、もちろん収監するのが法治国家として当然のことであります。そういうことをしていけば、相手が日本の出方を知り、日本が迂闊に手出しできない国だということが分かり、簡単に手を出せないということになるわけです。平和を愛するなら早めに断固たる手を打っておかなければいけない。

 私は南西諸島の周りに軍事境界線を引いて、そして余りに過度の侵犯が起ったら中国の艦船の一隻や二隻撃沈したらいいと、思っています。そこまでやれば戦争にはなりません。将来。そこをやらないでいたらいつか戦争になると思います。とんでもないことになるかもしれないんですよね。

 ですから、先ほどの話に戻れば、国際間の紛争で謝罪して当然のものもあれば、どうしても謝罪してはいけないもの、言い分を出し尽くした結果、双方の言い分が一致せず、双方が相手を不当と信じて突入するのが戦争ですから、そうした場合にその行為についての事後の謝罪はあり得ないと。だって謝罪する余地がないから、戦争になったわけじゃないですか。そうして、その挙句のはてに、勝者と敗者が生れたときには、敗者は腹の中に多くの不満と正当性の感情を残して苦悩に耐えたわけであり、つまり負けたものには負けたものの理があって、納得していないわけですね。不服従の感情を持っているわけですね。敗北に対して。しかし、それは力で抑えこまれるわけですから、じっと忍の一字です。

 ま、こういうことでありますから、これ以上の謝罪はもう必要ないんです。もし謝罪をしたなら、それは二重謝罪になっちゃうわけじゃないですか。

講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(二)

 あの、東京オリンピックの時に、ラストランナー、聖火に火をともした青年のことを思い出して下さい。普通の場合ですと、第一級のスポーツマンで前オリンピックの金メダルの走者などが聖火台に駆け上がるのが普通ですけれども、東京オリンピックの時は何があったかご記憶がおありでしょう。広島の原爆の日に被爆した少年、19歳の少年が、もちろんスポーツマンなんでしょうけれども、日本を代表するランナーでも何でもない少年が出て走った。被爆の少年がここまで健康に大きくなりました、というのを世界に知らせるといって聖火台に上がった。とにかくそういうことを日本はやったんですよ。

 日本は悪意でやったんでも、なんでもない。日本は平和を愛してきた、戦後平和主義であった、そのことを世界に知らしめたい、そういう善意のつもりなんでしょうけれど、アメリカが愉快なはずはないですよ。アメリカは何にも言いませんけど、つまりこれは報復主義と思われてもしょうがないんですよ。忘れてはないよ日本人は原爆を、と。世界に告知した報復主義と思われても文句が言えないような所業を、平和主義という名においてやるこの日本人の間の抜けた無自覚ぶり。日本人は薄らバカじゃないかと僕はその時思いましたよ。勿論、アメリカに対する報復心理は心中深く私の内心にも宿っていますが、それを吐き出す場所が違いますよ。オリンピックでそんな本心をさらけ出すバカはいないでしょう。

 日本人はすべて無自覚なんです。アメリカという特定の国が原爆を落としたのではなく、天災かなにかのように考えている。国際社会、世界で起こっていることが何にもわかっていない。自分が悪いといえ、世界にとおると思っているのもそれと同じです。被爆した少年がもうこんなに元気に成人したっていえば、世界のどの国もが喜んでくれる。アメリカも喜んでくれる、無邪気にそう考えるんでしょうね。日本は悪い戦争を自分が始めた、そして今は善良平和な国民になった、世界中の人見てください、そういう気持ちだったんでしょうねぇ。

 戦争という悪いことをした、日本人が。そうですか?悪いことをしたのは、アメリカでありロシアであり、イギリスであり、フランスでありオランダであり、そして中国も含めて、毛沢東は何をしましたか。日本は加害者じゃありません。全然。この歴史、19世紀から20世紀にかけて。もし加害者というなら、加害の面もあったでしょう。しかしそれは、お互い様です。お互いさまだから平和条約を結んで、そこで、ご破算で願いまして水に流すのです。後くされなしに。それが平和条約というものではありませんか。

 謝るべきことあるいは、謝っていいことがあります。国際社会も人間の社会と同じですから、謝るべきこともあるでしょう。たとえば、我々が、隣の家に車をぶつけてしまって、隣の塀を破損してしまったと。謝らなかったらこれは人間じゃありませんね。まず謝る。そして本当に誠意をしめす。そうしたところから近隣の関係が保たれてまいります。国家の間でも同様に、菓子折りを下げて謝りに行くのと似たようなことがございます。

 例えば、迂闊にも領空を侵犯してしまったような時。悪意も何もなく、それすぐ直後に謝罪するのが当然です。あるいはまた、ある物産、ある生産品を年間これだけ買うと約束したのに、その製品が暴落したために、買うことが出来なくなった。買う意味がなくなった。他の国から買った方がはるかに有利だというために、売主を代えてしまったと。これは信義に反する契約違反です。こういうことが行われた場合には、これも謝罪の対象にもちろんなるでしょう。

 クリントン大統領は沖縄で起こった少女暴行事件で、直ちに謝罪をしました。これもあって当然のことです。こういうことがあれば、国家といえども謝罪しなくちゃいけないのです。そのやり方を間違えると韓国の少女ひき逃げ事件のような大きな騒ぎになって、それが引き金で盧武鉉大統領が成立してしまうというような、予想外の、取り返しのつかないことが起きるわけですから、謝罪ということが国際社会にも重要なことは言うまでもないのであります。

 しかし、この世の中で、断じて謝罪していけないことがあるんです。それは戦争に対してなんです。軍人のみなさんを前にして、かようなことを言うのは釈迦に説法おこがましい次第ですけれども、戦争というのは、言葉の尽き果てたさいごに、謝罪したりためらったり、それまで繰返して謝罪したり、耐えたり、それから言葉でもって、言うべきことを言い尽くしたりまたいろいろな屈辱的なことをも重ねたりして、どうしようもなくなってとうとう挙句の果てに、戦火の火蓋が切られると、こういうことですね。そうじゃありませんか。