講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(四)

 戦争に負けるということはもう海外の権益を奪われ、資産を押さえ込まれ、賠償を取られ、領土を失い、それから不愉快きわまるいろいろなことが相次いで起こるわけですから。国家の発言力は低下するし、国益は守りにくくなる。そうやって苦しんだ揚句、やっとのことで平和条約が結ばれ、そこですべてをいったん水に流してもらって、これ以上の釈明や言い争いはもうやりませんというのが、平和条約ですから。そこで、もうこれ以上二度と謝るということはないということを前提として考えておかなくてはならないわけです。

 が、どういうわけか、日本ではおかしなことがずっと戦後行われてきたのです。平和条約のあとでは、敗者は謝ってはいけないのに、謝るべきはむしろ勝者であるのに、謝罪が後あとまで尾を曳く。こんなバカなことはないのです。敗者と勝者の関係に世界史の中で異変が起こっている現れではないでしょうか。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間では勝者の態度に異変がみられるのではないでしょうか。

 ヨーロッパの市民文明というのは、二十世紀の初頭まで上昇に上昇を重ねてきました。輝かしい一番美しいヨーロッパ文化の花開いた時代、永井荷風がパリにあそんだあの美しいヨーロッパの姿。第一次大戦でそのヨーロッパが焦土と化し、四年にわたって悲惨な戦争を行って、とうとう最後には毒ガスまで出てきた。まぁ、みなさん知っています通り、ヨーロッパ文化が一番激しく自責の念にかられたのは、第一次世界大戦の後でした。

 インドの詩人タゴールが直後のヨーロッパを訪れて、物質文明そのものの持つ自己破壊、文明がもたらす非文明、野蛮、をそこに見て、インド人の目でヨーロッパの自我拡張意識の間違いを厳しく批判しました。ヨーロッパの中からも強い反省の気持ちがわき起こり、これが言うまでもなく1928年の不戦条約になるわけですし、さらにはヨーロッパの内部で、第一次世界大戦の惨劇に、時を同じくして『西欧の没落』という本が書かれます。シュペングラーと言う人のね。もうヨーロッパ文明の末路運命がここへきてニヒリズムの極限に立って、没落していくよということで、ヨーロッパが本当にすっかりがらがらと変るのは第二次大戦ではなくて、第一次大戦であると普通の文化史にも書かれているくらいです。つまり本当につらかったのですね。ヨーロッパ人はあの時ね。今までの美しかったヨーロッパを本当に自分の手で壊してしまった。そして、それが愚かだったという反省があった。

 しかし、第二次大戦のあとで、ヨーロッパの中から反省の声が出てきたでしょうか。まったく出てこなかったんですよ。ナチスの悪口ばっかりで、ついでに日本まで巻き添えにして、敗戦国の悪口を言い続けて、大量破壊史を展開した西洋人は、自己断罪を回避しました。悲劇において勝者と敗者の区別はありません、イギリスはドレスデン爆撃で1945年2月に3万人を殺戮し、アメリカはその1ヵ月後に東京空襲で10万人の一般市民を殺害しました。その勝者が文明の破壊の一翼を大きく担ったことの反省がなくて、どこかに悪者探しをしてけりをつけた。それがナチスのドイツと、軍国主義日本ということになった。まったく天から話がちがうんですが、そういうことになった。ドイツと日本を裁いた後で、戦勝国もまた深く反省し、自己を裁くべきだったのに、裁かなかったことは後々まで祟り、歴史を歪め、今日まで文明をねじ曲げてきております。

 さて、皆さん、戦勝国はどこも、第二次世界大戦においては、謝罪はしなかった。このことは異常なことだということを、あらためて考えるべきなんですよ。戦争は終ったんですから。異常なことだということ、それがわからない人が日本にもたくさんいて、さっき例をあげた大江健三郎さんなどがその代表ですけれどもね。つまり、逆のことを言っているんだからね。敗者だけが謝るべきで、敗者が勝者の犯した罪まで全部背負わなければならないという議論じゃないですか。原爆を落とされた側が人類の罪におののいて、そして、それ以降は日本人は文学はもう書けない境地になったなんて自分を辱め、転倒したこと言ってんだから、それじゃ勝利者の罪まで全部背負って生きていかなければならないのか。あの人のノーベル文学賞の受賞演説がそういう内容なんですよ。輝かしきヨーロッパ文明に対して、暗黒の日本という話なんだから。で、悪いことをして申し訳ありません、と。アジアを犯し、搾取したのはイギリス、フランス、オランダ、そしてアメリカではなかったのですか。大江さんはまったくわれわれとは異質な歴史認識を持っておられるようでした。

 そういうことを平気で言うのは日本の恥ですね、あの人は。ノーベル賞というものがくだらないものだと言うことを日本中に知らしめた功績者だと、私はかねてそう思っていますけれど。ノーベル賞ってのはおかしくなりましたね。佐藤栄作さんが貰って「え?」とびっくりして、なんで?って思って、それで大江健三郎が貰って、抱腹絶倒、ということになったのでありまして。そのあと金大中とかアラファトとか、となってますますいけません。文学賞と平和賞はやめるべきですね。無理がどうしてもあるんです。

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