「ルポ百田尚樹現象―愛国ポピュリズムの現在地」を読んで

令和2年7月17日
坦々塾会員 松山久幸

 最近、西尾幹二先生からこれを読んでみなさいと手渡されたのが「ルポ百田尚樹現象―愛国ポピュリズムの現在地」(令和2年6月22日発行、小学館)である。

 まず著者石戸諭(いしど・さとる)氏を簡単に紹介しておきたい。1984年生まれで立命館大学卒業後、毎日新聞社に入社。2016年に退社後2018年からフリーランスとなりジャーナリストとして活躍。

 著者の立ち位置と当著作の動機については序章で次のように述べられている。アメリカのフェミニズム社会学者A・R・ホックシールドの言葉を引用しながら、「橋の向こう側に立ってこそ、真に重要な分析に取りかかれる」として「川のこちら側」(左派)から「川の向こう側」(右派)へと敢えて足を運んだと。

 従って、我々にとって著者石戸諭氏は「川の向こう側」の人だ。「川のこちら側」には西尾先生や百田尚樹氏、藤岡信勝氏、小林よしのり氏(当時)などの「愛国」グループがおって、それぞれベストセラーとなる本を出している。はっきりした右派なのに何故そんなに読む人がいるのだろうかと石戸氏には不思議でならないので「川のこちら側」に来て分析をしてみたくなり、代表的な各氏に精力的にインタビューを試みて書いたのがこの本である。

 第一部では百田尚樹氏に焦点を当て、「百田尚樹現象」とは、百田氏が『永遠の0』や『海賊とよばれた男』で大衆から人気を獲得し大衆の思いを汲み取ることでベストセラー作家の地位を確立し、そして歴史本でまた大いに売りまくっていることを指す。その大衆とは「ごく普通の人々」と石戸氏は規定しているが、百田氏のサイン会に来ていた読者達はインタビューの受け答えから判断するに「ごく普通の人々」よりレベルは上だったように受け取れる。また多くの人々に感動を与えた映画『永遠の0』の中で、『大東亜戦争』ではなく 『太平洋戦争』という言葉が平然と使われていることに石戸氏は疑問を呈し、何故なのかと質問をしていて、「映画は娯楽だから」と百田氏があっさりと受け流したことに驚き、百田氏の大衆迎合の感を強くしたのだろうか。

 また次のように書かれた興味を引く箇所もある。石戸氏が南京事件の否定論などは「歴史修正主義」と呼ばれてもおかしくないのではとの質問をしたのに対して、「僕は歴史修正主義者でもなんでもありませんよ。それまで事実を捻じ曲げてきたことが歴史修正であり、私は『日本国紀』で普通の歴史的事実を書いています。南京大虐殺があった、日本の強制による従軍慰安婦がいた、というほうが『歴史修正』だと思いますよ」と百田氏は明解に答えている。因みに、『日本国紀』は2冊の関連本と合わせて100万部を突破しベストセラー街道を驀進していると石戸氏は記している。

 第二部はつくる会発足の経緯が一般人にも手に取るようにはっきりと理解できるほど詳細に語られている。つくる会のことに関して色眼鏡を付けずに殆ど主観を交えず恐らく事実に対して忠実に淡々と記述されていると思われ、ここはジャーナリストとしての石戸氏の面目躍如たるものがある。このように第三者的立場で書かれたものは他に見当たらない。嘘の従軍慰安婦問題を契機に立ち上げたつくる会は出鱈目な歴史教科書の存在を多くの国民に知らしめた。当時私もその禍々しきことを初めて知った一人であり、これは酷い、何とかしなくてはという強い思いに駆られ直ぐさま会員になることに決めた。それまでの私は唯のサイレント・マジョリティーで、日々の営業の仕事に明け暮れるばかりであり、もしつくる会運動がなければ死ぬまでずうっと無為に日を送っていたかも知れません。昭和45年11月25日の三島由紀夫の死が余りにも衝撃的で、我が人生はそれ以降まさに放心状態であったと言っても過言ではない。そのようなことがあってつくる会の発足は私にとっても実に画期的なことであった。
 
 この運動のお蔭で教科書から従軍慰安婦が消えて運動の成果を喜んでいたのも束の間、学び舎なる極左グループによる教科書出現によって従軍慰安婦は復活し、今度はあべこべにつくる会の教科書は不合格に。嗚呼。前川某というトンデモナイ輩が官僚トップになる体たらくの文科省は腐臭が漂うほどに腐り切っている。良識派だと期待を寄せていた大臣萩生田も見掛け倒しでどうにもなりませぬ。西尾先生も初代会長として大いに尽力されたあのつくる会運動は一体何だったのだろうか。今は虚しさだけが漂っております。

 石戸氏のルポに戻りますが、百田尚樹現象とつくる会現象をニュアンスの差はあるにせよ、どちらもポピュリズムの社会現象と石田氏は捉えているが、これは間違っている。ポピュリズムを大衆迎合主義と規定するならば、少なくともつくる会運動はそんな低レベルの問題ではない。日本国家と日本国民の将来を見据え、世に蔓延った自虐史観を糺そうとした崇高なる国民運動ではないか。その結果が多くの国民を覚醒させて、そして既存教科書会社も従軍慰安婦を削除せざるを得なくなった。どうしたことか今はまたその記述が復活してつくる会の努力は無になって仕舞いましたが。

 このようなことから石戸氏がつくる会現象と、ベストセラー作家たる百田尚樹氏の人気現象とが同一のポピュリズム現象であると論ずることには無理があると私には思われます。

 蓋し、ポピュリズムやポピュラリティーという用語を右派自身が使うことはない。この用語は専ら左派が右派を否定的に捉え揶揄する時に使っているのではないか。唯、この左派用語「ポピュリズム」を良識派の新聞たる産経までもが何の疑問を差し挟まずに使っている。一体これはどうしたことか。

 最後に細かいことですが、石戸氏は左翼用語の交ぜ書き「子ども」を使わず「子供」と表記をしている。今は亡き東京都議古賀俊昭氏に倣って古き良き日本文化を守る為、普通に「子供」と書いてほしいと願う私には実に嬉しいことである。(令和2年7月記)