渡辺望による全集九巻の感想(三)

 これらの問題にさらに関連する全集収録の評論が「現代小説の問題」の二葉亭四迷論でしょう。三島やサルトルは近代小説の終点に近い時点から近代小説の限界を示したと思いますが、その逆、ヨーロッパ型近代小説の始点の時点にあった二葉亭は、近代小説の方法論を懐疑していました。「現代小説の問題」では、苦渋に満ち た作風でやはり近代文学小説の困難に直面している大江健三郎や古井由吉などについて触れたあと、二葉亭の前近代文学の性格について、「引けめ」と「不信感」をもって次のように説明されています。

 ・・・『浮雲』は、近代小説の先駆として、客観描写や写実という目標を一直線に実現したものでもないし、文語体の伝統的文学を上位に置いていたために文語の修辞に依存したのでもない。まさしくそのどちらにも「不信感」と「引けめ」を感じていた。近代小説を実現しているような、いないような、結局小説としても未完に終った中途半端な不均衡の上に、この作の独自性と、二葉亭の理想と絶望があったのである。                                                                                                               「全集九巻」p44    

 
 二葉亭は近代小説を懐疑して作品を書いて、しかし作品としては成功をおさめませんでしたが、しかし文学の世界にはいろんな実験作があるもので、たとえば坂口安吾の『不連続殺人事件』なんかは(純文学ではないですが)
 近代小説の枠組みをまったく逆手にとった傑作です。私はこの作品をはじめて読んだとき、「こんな小説が二十世紀にあるのか」と心底仰天しました。何しろ、作者本人が作品内でときおり顔を出してライバル作家に謎解き挑戦状をたたきつけたり、警視庁刑事に平野雄高や荒広介といった怪人物が登場したり(坂口の文学仲間の平野謙、埴谷雄高、荒正人、大井広介らの合成人物)、近代小説の客観主義を完全に無視して展開するからです。そして話の流れの先がまったく読めない。けれどこんなに面白い小説はない。これは前近代文学に詳しかった坂口だからこそ可能な方法論だったように思えます。
 氏はこのようにも言われていますが、ここで言う「ユーモア」は、坂口の『不連続殺人事件』の方法論に私が感じた面白さとたぶん同義でしょう。

  ・・・文学を信じない文学精神ということがよく言われる。そこには事実への絶対の信頼があり、他方に、在来の因襲的文学形式への信徒がある。又、事物にも可能な限り接近しようとする分析的意識と、事物から剥離していく一方の主観的修辞の爆発、といった両極端も存在することをすでに見てきた。このような時代に文学における精神の自由とは何であろうか。私たちは明治の初期の二葉亭や漱石のユーモアに『ドン・キホーテ』や『阿呆物語』の哄笑に学ぶべきところがあるのではないだろうか。それは簡単にいえば、どうせ面白い話を読んでいるのだからと読者も安心してお話の嘘を楽しむことのできるという意味で、いかにし てお話を真実らしくみせかけるのかという無理なこわばりのまだ発生していない段階のあるべき自由な姿の一つなのである。

                            「全集九巻」p45

 近代小説と書き手の問題の話に戻りますと、三島のような鋭敏な感性の持ち主にしてみれば、近代小説が、形式なんかにとらわれているうちに、近代社会の現実の方がどんどん速度をあげて小説から取り残さされていってしまうという焦慮感があったに違いないと思います。サルトルの「優等生」ぶりとは正反対の反逆児ですね。たとえば戦後派文学という一群が文学世界を支配し、戦争や国家や人間性、ニヒリズムやヒュ ーマニズムの問題をそれら「価値観の崩壊」という形で主題化しつづけるという時代がありました。氏は武田泰淳の小説を取り上げて「戦後作家くさいなあ」と言われていますが、これは見事な皮肉です。私は「近代文学」という言葉を繰り返し使ってきましたが、実際に日本の文壇を支配しつづけたのは さらに狭い「戦後派文学」という概念にすぎなかった面もあるからです。

 戦後派文学は困難な思想的格闘をしているようでいて、実は作者・作品・問題意識の間に安定した構図があって、その構図への依存が戦後派文学を可能にしていたのでした。この構図が戦後、二十年、三十年と経過し、戦後社会が抽象性を高めるとき、アイロニカルな喜劇が起きることになります。近代小説の「一つの視点」の方法論ではとらえどころのない現実が次々に出現し、小説を書く意味がわからなくなってしまう、ということが起きたように思えます。この問題意識を作品化した開高健の『夏の闇』を氏は全集九巻の「日常の抽象性」という評論で取り上げられ、戦後空間の抽象性への直面を描く開高の正直さを評価しておられます。しかし文学文壇の世界は、開高の 正直さの 世界を通り越して、詐術をもってしても延命をはかろうとすいる方向に行きました。

 だったら小説を書かなければよいのですが、近代小説はそう簡単に縊死するわけでもありませんでした。かつて、「価値観の崩壊」ということで、作品のテーマにしていたさまざまな世間的現象、世間的限界、そういった「崩壊対象」を、自分の作品の中に無理に再構築するという行為の作品が出現することになる。小説という形式を生かすために、「崩壊対象」を小説内容で虚構するというこの逆転が、アイロニカルな喜劇でなくて何でしょうか?日野啓三や加藤幸子の作品をとりあげながら、氏はこの方面での近代小説の行き詰まりを「仕切り」という単語を使って説明されています。

  ・・・戦後派の作家たちは、崩壊感覚をモチーフにしてはいたが、今からみると安定し   た「仕切り」の内部に生きていたのだともいえる。古い道徳や秩序に「仕切」られていたが故に、その崩壊の衝撃はひとしお絶望的に、黒一色に塗りこめらる外なかったのであろう。現代の作家たちはあっけんからんとした何もない明るい空間に抛り出されているために、何が起こっても衝撃はなく、むしろ人工的な架空の「仕切り」を必要とするのだ。
                                      
                                                      「全集九巻」p328

 氏が日野啓三の『天窓のあるガレージ』を取り上げているのはこの評論集全体の最も優れた卓見の一つだと思います。私の周囲の文学仲間の習作的小説のほとんどが(日野のこの小説を読んだこともないのに)きわめて類似した物語のパターンを紡ぎだしていたのを思い出したからです。「仕切り」をあえてつくりださなければならないような近代小説の閉塞は、(小説家を志す人間にとって)まったく全体的現象だったということができるのです。

 安部公房に対しての次のような好意的な評価にも同感です。おそらく、戦後作家の中で、近代小説、戦後派文学の限界に最も意識的な作家は彼だったのではないでしょうか。安部公房は近代小説の限定など無視して小説を書いていますし、そして何より、「崩壊対象」の再構築という文学者の詐術を、ひどくむなしいものとして考えていることにおいて、ある意味、もっとも鋭いリアリスト(安部公房の作品はどれも反リアリズムの極致ですが)だということができるでしょう。

  

・・・深刻な題材なのに、あまり悲壮感がなく、乾いた即物的な明るさが漂っているの   は、まさに「反抗」など成り立たないわわわれの時代に最もふさわしい表現形式が注意深く選ばれていることを示している。どのページにも笑いがあるが、その笑いの裏には作者の測り知れない悲しみがこめられている。脱れようにも脱れられない状況を再現するためには、怒りではなく、胸を圧すユーモア以外ないのであろう。

                                                       「全集九巻」p324

 近代文学小説が現実に力を失っていった背景には、私は小説の書き手の多くが、本質的にはかなりの欠点をもっているといわなければならない近代小説の形式を模範なものとして依存しつづけた結果、社会的現実があって小説作品がある、という本来の関係も見えなくなってしまったことがあると考えます。そしてついに、氏の言われるように、小説内部での「仕切り」をつくるという、社会的現実を小説内部で虚構するという逆転現象まで起きるに至っているのです。これは近代小説という「最後の砦」の中の「最後の姿」を描き出す一つといっていいでしょう。

 取りとめない感想になってしまいましたが、それはこの全集九巻のかかわる分野が広すぎて、まだまだ私に消化しきれていないことによります。これはあくまで第一段階の感想であり、時間が経過し、再読するに連れ、第二、第三の感想があらわれてくると思います。
 

(つづく)

渡辺望による全集九巻の感想(二)

 たとえば「『平家物語』の世界』という全集収録の西尾氏の評論についてです。ここで語られている巧みな近代文学批判の妙は、私のかつての文学仲間の文学崇拝の対極にあります。私の文学サークル、文学仲間で、小説の模範的テキストは一貫してマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』でした。その理由について、小説内部の時間操作の技術力を極限にまで高めた作品にある、というのが定説でした。しかし私はその見解に、当時から今にいたるまで、一度も賛成できないでいます。

 もちろんプルーストの小説が凡作ということではありません。しかしその小説内部での時間の流れの作り方は、特に斬新なものではないと『失われた時を求めて』を初めて読んだときから思いました。一例をあげれば、少なくとも近代文学とさして変わらない歴史の長さを有しているサイエンス・フィクションの世界に、『失われた時を求めて』を超えるような、時間認識に関しての名作はたくさんあります。

 私のそういった見解はしかし、「サイエンス・フィクションは小説内部の世界をさまざまな小手先の物語装置に依存していて、作者の視点が曖昧にされているけれども、プルーストの純文学作品は作者の一つの視点以外の何物にも依存していない」とよく反論されました。たとえば、『失われた時を求めて』より早くに書かれたH・G・ウェルズのSF作品は「時間旅行」というSF的小手先に時間認識を預けてしまって、作者の「一つの視点」を放棄しており、作品全体にあるのは虚構の時間認識でしかない、というふうにです。

 しかしこの「一つの視点」ということこそが深く考えられなければならない問題なのです。全集九巻には収録されていない西尾氏の三島由紀夫論「不自由への情熱」の次のような箇所を引いてみましょう。

 ・・・自分が歴史を構成するのではなく、歴史の中へ自分が這入り、自分を超えたある大きな目に見えぬなにものかの内部で、自分自身の姿が見えなくなる、それが「物語」であり、「叙事」の精神である。『戦争と平和』も、『ブッデンブロオグ家の人々』も、『静かなドン』もそのようにして書かれた。物語に必要なのは偶然性であり、自分がどこに連れていかれるかわからないような出来事の自然な生起、偶発的な生起、いいかえれば、作者が叙述の中なかで自分が見えなくなることがまさしく小説というもののもっとも本質的な性格に外ならないであろう。
 

 これは小説というものの矛盾した性格をたいへんよく言い当てている言葉です。小説を書き始めるときに、作家はその世界に入っていく自分を明晰に認識しているにもかかわらず、いつのまにかその自分が見えなくなっていってしまう不明晰に陥り、歴史=時間の中で自分を見失う。しかし本当に見失ったのではありません。なぜなら、作家は、書き始めのときにも増しての明晰さをもって、小説=叙事の最終章を書き記さなければならないからです。自分を見失っていたプロセスが、実はすべて明晰な意識の見えざるコントロール下におかれていたのかもしれません。いずれにしても、小説の中での自分=「「一つの視点」の喪失と回復のドラマ」が近代小説の原 則なのであって、これ を演じられないと近代小説というものは成立しないことになります。だから、明晰すぎる意識の持ち主であった三島由紀夫は、「豊饒の海」で重大な破綻をきたした、と氏は「不自由への情熱」で語られています。

 私の周囲の文学仲間のプルースト好きについていえば、これはサルトルの長編小説の失敗のようなものだと思われます。中村真一郎がサルトルについて、「サルトルは短編は面白いのに、長編になると小説の骨組みしかなくなってしまう」といい、「小説とは自分が見えなくなってしまうようなところにおいて初めて可能になるということがサルトルにはあまりわかっていない。これはサルトルが頭がよすぎるからなのだろうか」と評していたことがあります。サルトルが小説に関して大変な勉強家で、プルーストの手法を繰り返し学んで、自分の長編小説の模範としていたことは有名です。

 しかし勉強すればするほど、サルトルの長編はつまらなくなっていく。「骨組み」があるだけで「肉」がないからです。この「肉」とは何かといえば、「「一つの視点」の喪失と回復のドラマ」、自意識のドラマです。しかし意識の絶対優位の実存主義を説くサルトルもまた、三島とは別の意味で明晰すぎる意識家であって、不明晰を信じない人間でありました。プルーストを技法的に学んでも、この意識の問題を乗り越えない限り、近代小説はどんどん不可能になっていってしまう。私の当時の周囲の文学仲間とサルトルが似ているなあ、と思うのはそこのところに外なりません。サルトルは「文学の優等生」なのですが、しかし優等生ということはイコール名作者になるとは 限らないのが文学 の世界なのです。そして何より言いたいのは、ブルーストは成功した大河叙事小説の書き手であっても、トルストイやマンに比べると、技法が目立ちすぎる作家の一人であって、「模範」とすれば眼高手低の作風を呼び込みやすい、ということです。

 だったら、いっそのこと、近代小説の枠組みから離れてしまえばいいのではないか?たとえば西尾氏の平家物語論の次の部分は、そんなふうに考えていた当時の私の見解とまったく同じものです。近代文学としての条件を欠いていることが、物語として「劣っている」ということは少しもありません。『平家物語』がもっている、近代小説を超えた面白さをこれほど明瞭に説明した文章を私は他に知りません。

  ・・・『平家物語』の作者は、あるときは平家一族のこころを知っているかのように説明しているし、またあるときは、木曾義仲の、あるいは鎌倉殿頼朝のこころを知っている立場に立ってこれを語っている。それは、きわめて視点を自由にした、一つの立場にとらわれない、常識的な発想に立っているのであって、そのつど、現実の立場の変化に応じ、わりに責任なく動いていく一般人の視点というもので、事柄を素朴に表現してしまうところがあるためと思われる。一例をあげれば、壇ノ浦で家臣たちが自決し、二位殿が安徳天皇を抱いて入水して、なお決心のつかない、平家最後の頭目衛門督宗盛公とその子に対し、作者はその場面ではかなり冷たい目で、おろおろしている宗盛父子を臆病者として描き出しているところは誰も知っていよう。この場面では、宗盛父子が命を惜しむのはただ浅ましいものであって、海へ突き落とされても、聴き手は少しも不自然を感じない。しかしその三段あとで、宗盛父子一行が京の大路を引き廻される場面が語られる。ここで父子に対する作者の感情は一転しているのである。

                                        「全集九巻」p93

 「一つの視点」とは「神の視点」ということと同義で、小説の書き手は小説の内部の中では全能の存在になることができる。全能の存在だから、自己喪失しても最後はそれをとり戻すことができるという意識のドラマも可能になります。『失われた時を求めて』を小説の極意と考える識者は、その「神の視点」を小説の作者が有していると考える人でしょう。そういう意味では「一つの視点」をもちえない『平家物語』は近代小説としては失格です。

 しかし、「神の視点」は「一つの性格」「一つの感情」を必ずしも意味しない。さまざまな、矛盾した顔と人間的感情をいっぱいもったインド神話のような「神」がいてもかまわないはずです。激情にかられるかと思えば不意に優しく人間(人物)に触れる神=作者が、平家物語の背後にいる。『平家物語』は複数の作者の可能性がよく言われますが、もしかしたら、単一の作者がさまざまな人格を演技しているのかもしれません。平家物語は近代文学の前提に何も関心がないがゆえに、先生いわく「そのために、『平家物語』は雑多で豊富な内容と形式をかかえることが可能になった」(全集p94)のです。たしかに叙事詩も歴史論も宗教論も『平家物語』には豊か過ぎるほ どにある のです。

 ここにおいて、「近代文学の可能性」が「近代文学の限界」にテーマを変えることになります。

 『平家物語』の後白河法皇に対して西尾氏の描き方も非常に面白い。後白河法皇は、『平家物語』で表だった登場はあまりなく、発言もほとんどなく、様々な政治的行動を起こすけれども、その内的世界を『平家物語』の作者はほとんど描こうとしない。しかし描かなけれ描かないほど、その存在は異様に肥大していき、『平家物語』の主人公と思わんばかりの存在になってしまう。後白河法皇のこの「沈黙」もまた、「一つの視点」のコントロールの下の描写と告白に依存する近代小説のアンチテーゼ足りうる、と私は氏の評論を解釈しました。たとえば西尾氏は次のように言われています。
 

・・・もっとも注目すべきことは、『平家物 語』の作者が、後白河法皇の隠れた動機や術策の裏側に目を注ぐということをほとんどしていないことである。いや、それを術策として強調したことさえもない。当時のひとびとにとってこれは思いも寄らぬことであったのか、意識してそうなったのか、一考を要する問題の一つではある。が、いずれにしても、『平家物語』の叙述に限ってみただけでも、彼は敗れていく家臣にあるときは涙する温情家であり、またあるときは、危険の芽をいち早くつみとるべく、昨日の味方を敵にし、そしてときに、昨日の敵にやすやすと院宣を与える。そしてその立場はつねに強い。つねに残っている。これはまことに謎めいてみえる。『平家物語』は法皇の内的動機を説明せず、 矛盾した外的行動をただ現象的に記録してばかりであるが、そのためにかえって謎は深められるのである。

                                        「全集九巻」p95

 『平家物語』の後白河法皇の不気味な存在感は、私には三島由紀夫の『サド侯爵夫人』を連想させます。『サド侯爵夫人』の「主人公」は、実は作品内部に一度も登場しないサド侯爵に他ならない。彼は物語を表面的になぞれば、登場人物の女性たちによって断片的に語られるだけの存在に過ぎません。しかし姿を見せなければ見せないほど、彼の存在感は物語内部で大きなものになっていく。物語の最後に、公爵夫人ルネの悲劇の拒絶によって 、彼は物語世界から最終的に登場を拒まれるのに、その存在はついに得たいの知れないものにまで化していきます。

 描写や告白を使うことのない後白河法皇の存在の展開は、西尾氏の言葉を借りれば「伝説」のようなもので、少しも客観的な記述に依存していません。しかし神という見えざる存在を主人公とする宗教神話を考えれば明らかなように、「伝説」の力はあらゆる物語世界の頂において私たちの観念を支配しています。「伝説」の力こそ、物語作者が究極的に欲する力なのではないでしょうか。しかしいつのまにか「客観的描写作品」を描くような職業意識に沈んでいってしまうのではないでしょうか。

 三島という人は明晰な意識家であると同時に近代小説の限界にひどく意識的で、か なりの不満をおぼえていた人物です。近代小説の単調な時間の流れ、単調な作品と作家の関係に飽き足らないということを、彼はよく言っています。そんな彼が戯曲という小説に似て非なるものの舞台世界を生かして、近代小説ではありえないような主人公の描き方を巧妙に示したということができるでしょう。

(つづく)

渡辺望による全集九巻の感想(一)

 

「無能なオバマはウクライナで躓き、日中韓でも躓く」は、また後日連載します。

 今回の全集第九巻は、他の全集の内容に比べて、ずっと自分の根幹に生々しく迫るものが多く、読んでいて、自然とたくさんの感想が湧いてきまして、それを文章にしたためたくなりました。西尾氏(西尾先生とお呼びすべきを失礼を承知で西尾氏と表記させていただきます)は文学は自身の故地であり根拠地である、とおっしゃっています。私も氏の広さと深さにはとても及びませんが、文学の世界には、自分の始点のようなものを感じる人間の一人で、それが今回の全集を自分にとって身近なものにしている理由のように思います。

 故地であり根拠地である、と偉そうに言いましたが私の場合は、公の形で文学に関係する文章を同人誌以外に発表したことはなく、十代の頃から文学青年ということを公言していただけで、特に残るものを書いていたわけではありません。「文学青年としての個人的記憶」のみが私の文学経験、といってよいです。だから西尾氏の文学論への感想といっても、自然と自分の思い出話のようなものが混じってしまうような感想、文学論になるのはどうしても避けられません。

 「文学青年」などという言葉はたぶん今、世間的には死語なのでしょうが、私が大学生時代だった1990年代にもすでに半死の言葉でした。自分は大学・大学院時代と都内のある私大の文学サークルに所属していたのですが、サークルの部室があった階には、同じく芸術系表現系のサークルが集中していて、近所には、演劇サークルや映画サークルがたくさんあり、そうした表現系サークルは空間的にも精神的にも「近所」で、自分たちの仲間だけでなく彼らともずいぶんと議論を交わしたり酒を飲んだりしたものです。

 これがさらに十年二十年前だったら、文学仲間・文学サークル内部だけで侃々諤々できたのでしょうけど、私たちの時代はすでに「文学派」の学生が独力でいろんなことをやるのは困難になっていました。同時代の文芸作品で論じることいのできる作品が非常に少なくなっていたせいです。おかげで私は、いつのまにか、演劇にも映画にも多少詳しくなることができました。

 そういう面々の「近所」サークルの面々に議論の度毎にいわれたのが、「文学なんていう時代遅れのものをよくやっているなあ」ということでした。彼らが言うのは、「物語」に情熱を燃やすのは、文学も映画・演劇も同じである、しかし個人が小説や文学論を書くというようなスタイルは時代遅れもいいところ、時代はどんどんビジュアルになっているのだ、というようなことでした。

 今から考えてみればずいぶん青臭い議論をしていて恥ずかしいのですが、あまりに「文学は終わり」と彼らにいわれて、自分は何だか戦国時代に敗戦が決まっている弱い城に籠城している侍になったような卑屈な気持ちになっていきました。それでも自分は敗北覚悟で文学を自分の根拠にしているんだ、と居直って、文学を読んだり、同人誌に書いたり、議論したりしていました。少なくとも人並みに世界文学と日本文学を読んでいて、心底好きな作家、あんなふうに書けたらいいなあと思える作家が両手で数えられるくらいはいました。

 そんな自分が文学サークルその他、文学仲間に馴染めたかというと、ぜんぜんそうではありませんでした。文学が好きになればなるほど、文学を共にする仲間の見識の狭さが気になって、自分が文学世界で孤独孤立していくような気持ちに陥ってしまう。私が一番嫌だったのは、「近代文学」という精神的地面を揺るぎのない安定したものと思いこんでいる周囲の楽観性のようなものでした。

 私にとっては、近代文学そのものはぜんぜん安定した精神的地面をもっていない。自分もやはり、「文学は終わり」とどこかで決定的に思っていたのでしょう。ただ、「いかにして」「なぜ」、「文学は終わり」なのかはなかなか明瞭な答えを見出せない問いかけで、それは今も続いています。

 私の「文学青年」だった1990年代は、文化論的にいろんな解釈ができる時代だと思いますが、こと近代文学という面に関していえば、文壇雑誌とか文芸時評とかが力をまだかろうじて持っていた時代で、文壇の価値が通用した最後の頃だったといえると思います。最後の砦みたいなことになっているから、より一層強く依存していたのかもしれないのですが、文学仲間は誰も、ほとんど悲壮といえるほどに、文壇雑誌や文芸時評を真面目に崇拝していました。つまりもうヨレヨレになっている近代文学の法衣のようなものを厚くかぶって、その衣以外の知的衣服を拒否していました。敗れつつある戦国時代のどこかの城の中の光景で、絶望的な念仏を唱える武士のような気配 です。

 そういう自分の過去の背景を前提にして西尾氏の全集・文学評論について考えたいのですが、当時すでに読んでいたものもあるし、今回の全集ではじめて目を通したものもあります。

 氏のこれら文学評論の性格を一言で言いあらわすなら、近代文学が直面している「最後の姿」を緻密に描いている知的物語、といえると思います。近代文学の精神的地面がどんどんぐらついていっているということ、そしてその終末的な状況を、悲壮的でも楽観的でもなく、時代全体の物語というような筆遣いで描かれているところです。言い換えれば、「いかにして」「なぜ」、「文学は終わり」なのか、という自分がずっと考えてきたことを助けてくれる評論集、といえます。

 「最後の姿」を描く、というと何だか世界の終焉のような響きがありますが、決してそのようなことはありません。文学は何も近代文学小説がすべてではない。近代文学以前には広大な古典文学の世界があり、世界宗教の説話もまた文学であり、また近代文学が取り扱ってきたテーマは決して秀逸に解決されたものではなく、その多くが哲学理論的に検証して甚だ軽薄なものだ、という非難も可能でしょう。

 大学時代の「近所」サークルの面々が言っていた通り、映画にも演劇にも「文学」はあるし、私に言わせれば優れた文明論や歴史論にも「文学」はあります。近代文学小説というのはあくまで、ある文明的限定において成立している一つの芸術形式です。ところが、このことが、当の文学に集う面々があまりよくわかっていないようなのです。

(つづく)

「正論」連載「戦争史観の転換」について

 「週刊新潮掲示板」(2014年6月26日号)に次のようなおねがいを掲げた。多分、返事を言ってこられる方はいないだろう。

 ここは小さな簡単な探しものは効果をあげるのだが、そういう材料は今なにもないのに、何か出さないかと言われて仕方なくこんな掲示を作った。勿論、ご返事の期待は非常に少ないが、諦めてはいない。

 私はいま月刊誌『正論』に『戦争史観の転換』と題した30回予定の大型企画を連載中で、日米戦争の背後に西欧五百年史、中世・近世の歴史の暗部とのつながりを発掘し、近現代史観の克服を試みている。ペリー来航以後に米国の侵略意志を見る百年史観は今までにも多い。だが(一)五百年史観は戦前に大川周明、仲小路彰の例があるが、戦後に有力な論考があったら教えてほしい。(二)江戸の朝鮮通信使は朱子学の優位で日本人に教える立場であったのに荻生徂徠の出現で日本の学問が動いて立場が逆転した。この転換に詳しい適確な本を教えて欲しい。

 さて、その「正論」の連載だが、ようやく第二章「ヨーロッパ遡及500年史」の④が仕上り、7月1日号にのる。これで8回目である。前途多難である。

 第二章はスペイン中世のスコラ哲学とインディアスの関係が主たるテーマだった。次の第三章はまだ予定の段階だが、「近世ヨーロッパの新大陸幻想」と名づけるつもりだ。イギリス、フランス、オランダ等の17-18世紀が世界史を決めるのはアメリカ大陸への幻想からだった。第四章は「欧米の太平洋侵略と日本の江戸時代」、第五章は「『超ヨーロッパ』の旗を掲げたアメリカとロシア、そして日本の国体の自覚」・・・・・というような大よその方向を考えているだけで、その先はどうなるか分らない。各4節づつ全8章、全部で32回を計画している。

無能なオバマはウクライナで躓き、日中韓でも躓く(一)

『正論』5月号より  特集:安倍政権の難問

アメリカ・オバマセイケンノ「迷い」が世界を混乱させている。
日本にとっては国防上の危機だが歴史回復の好機でもある。

 三月中旬のある朝、新聞を見ていて二つの雑誌の広告欄に目が留まりました。「NHKvs官邸メディアの死――籾井新会長の独走が始まる 森功夫」という巻頭論文の大きな文字と、「『永遠の0』百田尚樹“暴言”の読み方 保阪正康」という巻末寄りの小さな文字です。『文芸春秋』四月号の広告のことです。

 どちらの論文も読みました。しかし論文の内容はここで扱うつもりはなく、私が気になったのは「暴走」とか「暴言」というような題字の付け方です。編集部が付けたのでしょうが、いつから『文藝春秋春秋』は日本を代表する公正で知的な雑誌であることを止め、煽動的な常套句で政治の一方向に加担する機関になったのでしょうか。

 同じ朝に見たもう一つの広告は『週刊ポスト』3月21日号で、やはり巻頭にヨコに「日本を破滅させる安倍外交の暴走」とあり、タテに大きな文字で「河野談話撤回で何が起きるか――日米の溝を深めるだけの自己満足外交を中国・韓国が大喜びしていることを安倍首相はわかっていない」と書かれていました。そして第二論文として、長い題ですが、「戦前生まれの保守重鎮はなぜ『安倍改憲』に反対なのか――中曽根、ナベツネから野中広務、与謝野馨、古賀誠、村上正邦まで」と書かれてあります。これも早速買って読みましたが、読まなくても長い題字だけで内容の大部分は予想がつくでしょう。

 私は第二次安倍内閣の今日までの外交努力を評価しています。背筋を立てて日本を主張しようとしている首相の姿勢にエールを送りますが、第一次内閣のときのようにいつへたれるのではないかと(健康ではなくアメリカの圧力によって)たいへんに心配しています。つまり私は『文藝春秋』や『週刊ポスト』とは逆方向の心配をしているわけです。

 私はNHK籾井新会長の記者会見の発言は百パーセント正論だと思いました。慰安婦は世界中のどの国の軍にもあるという彼の常識をどうして反対できるのでしょう。それ以上の失言を引き出そうとしてしつこく絡んだ記者団のひっかけ質問のほうが卑劣で、反日的でした。百田尚樹氏の新宿駅頭の選挙応援演説はたまたまネットで見たし、文字起こしも読みましたが、これまた歴史観としてまともな内容でした。南京虐殺はつくり話で、アメリカが広島長崎の戦争犯罪をごまかすために、東京裁判で被害者の数合わせまでやったのだというようなことは巷間言い古されてきたことで、すでにこれも常識であり、選挙演説だから多少は力をこめて述べられただけです。いまさらなんでこれが「暴言」なのか分りません。

 慰安婦、南京、侵略概念などをめぐる戦争時代の歴史認識については、戦後70年近く経ったいまなおオモテとウラの意見が分かれています。GHQ(連合国軍総司令部=アメリカ占領軍)が公認したオモテの意見と、プレスコードで封印されたままのウラの意見との対立が二重構造をなして並存しています。日本人は二重性を生きているのです。そのうちの南京は80年代に中国が、慰安婦は90年代に韓国が取り上げた新型テーマで、彼らが政治的な課題を解決するのに役立つ利用価値をここに発見して、今日の大騒ぎとなりました。しかしそれらを含めて戦争関連の歴史認識がほぼすべて、アメリカ占領軍に封印されたままであることの現われであり、日本が今なお占領下であることにあらためて気がついて、驚かされているのは最近の出来事です。

 籾井氏は公共放送の会長の発言だから問題だというのです。百田氏は小説家の放言なら良いが、公共放送の経営委員のもの言いだから許されないというのです。こんなことを言うマスメディアは言論にオモテとウラがあり、薄々ながらオモテが嘘、ウラが本当であることを認めてしまっていて、自らアメリカ、中国、韓国の支配下にあることをすでに良しとする前提に立っています。

 面白いのは最近少しずつ、ウラがオモテになりつつあることです。これはアメリカでも同じで、ルーズベルトの戦争責任は歴史学界の公然たる通念となってきたようです。少なくともウラとオモテの境い目がはっきりしなくなってきた。慰安婦や南京や侵略について政治的表現と歴史的真実の二つの意見があるのだとしたら、二つのうちの後者を選び出し、何とかして一つに絞り込んでいくのがメディアの仕事ではありませんか。慰安婦をめぐる河野談話、南京や侵略をめぐる村山談話を解消する課題について、いっぺんに難しければ、河野談話から先にでもいいのです。大切なのは解消への意志です。「暴走」とか「暴言」とかいうような野次で日本の立場を取り戻そうとする努力をなじり嘲笑するあの雑誌の広告の文言には、アメリカへの恐怖があります。恐怖をごまかすためにすべてを先延ばしにしようとする現状維持派、敗戦利得者、平和の名において何もしない後ろ向きな怠惰政治の卑劣な臆病心ばかりを私は感じます。はしなくも『「週刊ポスト」が名を挙げた「戦前生まれの保守重鎮」こそ自民党をダメにし、鳩山・菅の民主党政権に道を開いた人々ではなかったでしょうか。もう日本人は懲りたはずです。「中曽根、ナベツネから野中広務、与謝野馨、古賀誠、村上正邦まで」と書かれてありましたが、彼らこそアメリカ二ズムとコミュニズムの合体イデオロギーの信奉者であり、占領軍への恐怖から身動きできなくなった挙句に、中国・韓国に日本を売った人々です。

 日本再生への願いを「暴走」「暴言」と嘲った『文藝春秋』『週刊ポスト』の広告はあることを暗示しました。日本の国内には一本の線が敷かれていて、その線はどうやら自民党を真っ二つに割っていることを暗示しています。今のアメリカすなわちオバマ政権の世界を見る眼がリアルでなく、日本を混乱させているのはアメリカの世界政策の迷い――ウクライナ問題に端的に現われている――にあるようです。今でも冷戦思考にとらわれて、世界を何となくなめてかかっている甘さを孕んでいるのがオバマ政権ですが、それに日本で気がついているか否か、自ら冷戦思考のままであるかどうか、その違いの中間に一本の線が引かれているように思います。

(つづく)

講演会のお知らせ(日本を移民国家にしてよいのか)

満員になり、申し込みを締め切りました。

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申し込方法
往復はがきに「トークライブ希望」と書き、郵便番号、住所、氏名、電話番号、FAX番号(FAXの方)、枚数、(同伴がいる場合、同伴者の氏名も)を明記し、
100-8077(住所不要)産経新聞正論調査室宛てに送付。
6月23日ごろから、返信はがきに予約番号をふって返信します。
返信されたもの=予約券と交換に、前売り券1000円が購入できます。
当日券は1500円。

FAXでの申し込み先 03-3241-4281
メールでの申し込み先 seirontaisho@sankei.co.jp

日本はアメリカからとうに見捨てられている

『言志『 平成26年5月号より

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 私が『日本がアメリカから見捨てられる日』という本を出したのは2004年(平成16年)8月だった。十年早すぎたかも知れない。今ならきっとピンと来る人が増えているだろう。

 この本の第二章に標題と同じ題が付けられていて、次の三つの節に分れている。

① いざというとき軍事意志の片鱗も示せない国
② 国家なら他国に頼る前に自分に頼れ
③ 「対中戦略」以外にアメリカが日本を気にかける理由はない

 次の第三章の標題は「やがて日本は香港化する」で、やはり三つの節に分かれているが、ここでは二つの題のみ紹介する。

① 生活レベルは高いが、個人主義だけが跋扈する虚栄の市
② 日本の国防を内向きにしているのは憲法が原因ではない
(以下略)

 だいたい何を言おうとしていたか勘のいい読者はすでに十分にお分かりになるだろう。

 この本の第一章は小泉純一郎批判なので、いま関係がないので第二、第三章の標題のみを記した。日本は内側がダメになっていて、外側の急速な変化に追いつけず、アメリカは日本を防衛する気がなく間もなく立ち去るが、見捨てられる前にわれわれは大急ぎで国家体制を立て直さなくてはいけない、と言っているのである。私は十年前からこういう事を言いつづけてきた。少し早過ぎて本は売れなかったが、今なら売れるかどうかそれは分からないものの、内容は今の時局にドンピシャリと合致していると思う。

 ひょっとすると日本の国防はもう間に合わないのかもしれない。多くの日本人は薄々気がついているだろう。日本はすでにアメリカに見捨てられているということ、アメリカはアリューシャン列島、ハワイ、オーストラリアの線まで軍事防衛線を下げていて、今さら沖縄の基地も要らないし、自衛隊に集団的自衛権があってもなくてもどうでもよくなっているということを。

 それでもすぐに日本が亡びるのではない。中国の属国になって「香港化」するということが起こる可能性が高いということを私は言ったのである。まるでそれに符牒を合わせるかのごとく、自民党は今、毎年20万人ずつ外国人移民を受け入れる案を討議し始めるという。

 住み易いこの列島に住民がいなくなるということは決してないのである。住民は必ず存在しつづける、否、増えつづけさえする。しかし日本民族がいなくなる。日本文化が消えてなくなる。そういうことである。

 外国人移民のうち六、七割が中国人に占められることは今の趨勢から明らかだし、自民党はそれを予定して、国境の内側に敵国人を招き入れるトロイの木馬たらんとしているのかもしれない。

中国肥大化は米国の責任

 私がこんなことを考え、一段と危機感を募らせているのは、ウクライナ情勢を見て以来のことである。プーチンの力による国境変更にアメリカも西欧各国も有効な手段の手が打てず、既成事実化しかけている。このことから世界中の人が心配しているのは東アジアの動静である。台湾や尖閣や南シナ海の現状変更を望む中国の野望に火の点く可能性があることは、誰にでも見え易い動向である。いま中国はアメリカとロシアのどちらに与するのか明確な態度を見せず、アメリカが中国を味方につけようと必死になっているのを見るにつけ、オバマ政権の無能と無策を見せつけられる思いがする。

 アメリカはじつは今が歴史の曲り角に立っていて、いつの日にか起こり得る中国との大規模な衝突のテストケースを迎えているのかもしれない。それなのにオバマ政権は問題を複眼で見ているようには思えない。場当たり的にロシアへの経済制裁を重ねているのは、慌てている証拠である。ウクライナの動きを押さえようとする余り、アジアで妥協し、ずるずると日本に不当な仕打ちをしかねないのだ。それはアメリカにとっても将来大きな災いの原因となるのではないだろうか。アメリカはロシアに対しては曲りなりにも経済制裁の手を打つことができたけれども、米国債の最大の保有国である中国に対しどんな制裁の手があるのであろうか。ここまで中国を経済的に肥大化させたのもアメリカの責任である。

 ありとあらゆる面でアメリカの身勝手な振舞いにより日本は今不利な状況に置かれており、追いこまれていて、安倍首相の力量ひとつに国の運命がかかっている観さえある。ウクライナ=オバマ問題は、わが国にとっては慰安婦=河野談話問題とひとつながりの形で、三月中旬に大きなうねりとなって列島を襲った。3月14日に首相は河野談話の「見直し」はしない、と明言せざるを得なくなり、韓国朴大統領との日米初会議を辛うじて可能とした。だが、歴史問題がこのように封じ込められたのは日韓両国にとって不本意である。大波瀾もあっておかしくはない検証と論争を一度はくぐり抜けることが必要であったのに、おそらくオバマの命令にも近い要請によって、問題の追究が封じられたものに相違ない。

 オバマは日韓の間のトラブルはイスラエルとパレスチナほどではないにせよ、ある種の宗教的対立でもあるという困難さを理解しようとする気がない。また靖国参拝をヒトラーの墓詣でのごとくに侮辱する中国の見当外れも、冷静にこれを解釈し、判断する意思もない。それどころか安倍首相を「極右」とか「修正主義者」とか呼ぶニューヨーク・タイムズの誹謗中傷――これは玉本偉という日本人の左翼学者が書いていることが明らかになったが――をいいことに、これに悪乗りして、日本のナショナリズムを抑えこみにかかる。分かり易くいえば、アメリカは今、中国と韓国の対日歴史非難の共同戦線を都合よく利用して、日本の独立と自存への動きを抑えにかかっている。そこへウクライナ問題が発生して、日本が期待していたロシア外交という自由で独自な行動までが危うくなりかけているのである。

オバマの徹底した日本軽視

 アメリカは中国に大統領夫人ミシェルを一週間も送りこんでファースト・レディ外交をくりひろげた。それなのにオバマ自身の訪日ではたった一日の滞在日程とした。かつての歴代米大統領にはみられない日本軽視の行動である。台湾は今は第二のクリミアになりかねない情勢だが、オバマは北朝鮮の核問題には注視するものの、台湾の危機には口を緘し、むしろ中国の方に荷担してさえいる。

 アメリカが中国の民主化を心から望んでおり、独裁政権に対する厳しい意見をもつのなら――それがかつてのアメリカの姿勢であった――日本の右傾化を非難するのは筋が通らない。中国の尖閣威嚇が先行する事件であった。それゆえに日本の国内に防衛心理が芽生え、愛国心が高まったのだ。本来ならアメリカには日本の対決姿勢は有利なはずではないか。韓国の場合も、大統領の竹島上陸など韓国の対日侮辱が先にあった。日本はすべて受け身である。同盟国アメリカがこれを正確に見ていない。中国と韓国を諌めるのではなく、日本に「失望した」などと言って彼らを喜ばせるのは逆倒している。

 アメリカは中国の国防予算の増大に対して何も言わない。要人がたびたび中国に出掛けて行って、秘密外交をくりかえしているが、日本にはあまり来たがらない。中国からの巨額のロビー活動がホワイトハウスを麻痺させていると聞く。国務長官も国防長官も副大統領も典型的な親中派であって、有力な知日派はオバマの周辺にはいない。これらを勘案すると、アメリカは同盟国日本がもう邪魔になっていて、守るつもりはないのかもしれない。日本は早々とそう覚悟した方がよい。「核の傘」がそらごとであることはすでに自明であるが、「日米安保」もいざとなったら頼りにならないことを前提としてわれわれの防衛論議を組み立てるべきである。

 『日本がアメリカから見捨てられる日』を私が書いた時の予測はちょうど十年経って現実となったのではないだろうか。それならわれわれは一日も早く正確に自国の防衛の正体を知った方がよい。辺野古に基地を建設してアメリカ軍を必死に引き止めようとしているなどの日本の政策は、どこか哀れで見ていられない。可能な限り日本人は自分自身で起ち上がるべきだ。そのうえでアメリカと協力するならそれはそれでいい。同盟関係なしでは今の世界ではやって行けない。しかしそれは命令し命令される関係であってはならない。命令と依存の関係のままでは日本はかえって危うくなるのである。

『言志』平成26年5月号より

武田修志氏の『文学評論』ご論評

 前回、全集編集でいかに苦労しているかを報告したが、いつものように武田修志さん(鳥取大教授)から次のようなご論評をいたゞくと、大変に安堵し、苦労も消し飛ぶ。最初の方に私を評し「忍耐強い」という言葉が出てくるだろう。これは誰も言ってくれなかったが、誰かがきっとそう言ってくれるだろう、と久しく期待しているうれしい言葉でもあったのだ。

前略。
『全集第九巻 文学評論』を拝読いたしましたので、いつものように、短い感想を書かせていただきます。

今回の文学評論、文芸時評の八百ページは、月刊文芸誌を読まないできた私には、ほぼすべてが初読の御文章でした。それで、これら初見の時評、論文を読んで、新たに見えてきた西尾先生の姿が何かあったかと言えば、正直に言って、格別こうと言えるものに気づくことはできませんでしたが、しかし、これまでになかったある陰影が先生の姿に加わりました。それは、時評家としての先生が、大変に穏やかで忍耐強く、無私に徹しておられるお姿です。実に丁寧に「現実」と付き合っておられますね。つまり、月々に発表されるあまたの作品を丹念に読んで、しかし、自分を主張することをできるだけ控えて、この上なく丁寧に、一作一作に対応しておられるように読めました。単に丁寧な対応というだけではなく、時代の抱えている根本的な問題に対する洞察を持っておられので、個々の作品、個々の作家に対しても、作家自身の無意識の問題を的確に指摘することがおできになったのだと思います。ひと言で言えば、先生はある時期、日本の文学界が持った最良の時評家であったのだということを、今回この全集第九巻で初めて知ったような次第です。

印象に残っている言葉、論考について、以下に少し書いてみたいと思います。
649ページ、磯田光一氏の『戦後史の空間』を高く評価する論評の終わりに、こういう言葉が読まれます、「・・一つの疑問は、氏のすべての作業が相対化のための操作、つまり歴史に対する傍観の立場にのみとどまり、未来形成のための氏自身の行動の質がこれではまったく不明だということである。」ー「未来形成のため」という言葉が、私にはたいへん印象に残りました。こういう批判を先生がなさるということは、言うまでもなく、新しい見方を教えてくれる歴史分析も、その究極の役割は、我々の未来を開く、我々の魂を救うところにあるはずだという考えを先生がお持ちだということです。そういう考えは一つの常識かと思えますが、しかし、こういう批判が出てくるためには、批判者がまず、我々の未来にたいして責任を感じているということがなければなりません。短い時評文でも、先生のもの言いには、先生の誠実、責任感がにじみ出ていて、批評された作家にも、心に響くものがあったろうと、私はこういう小さな箇所で感じ取りました。

第一部「初期批評」中の論文「観念の見取図」は、当時、『鴎外 闘う家長』の読者をあっと言わせたことでしょうね。胸のすくような見事な論考だと思います。丸谷才一氏にはそもそも関心を持ったことがないのですが、山崎正和氏の『鴎外 闘う家長』は、実は私も大学生の時に読んでたいへん感心した一人です。大学にはいる直前に江藤淳氏の『夏目漱石』に出会い、文学には評論というジャンルもあることを初めて知り、今度は大学の三年生か四年生頃、『鴎外 闘う家長』を読んで、これにも魅了されて、ちょうど配本され始めた岩波の?外全集を予約するきっかけになったように記憶しています。当時、先生のこの評論をもし読んでいれば、今度は先生に百パーセント説得されて、自分の読みの表面的であることに、さぞかしがっかりしたことでしょう。自分の観念の見取図を最初に作っておき、それに合致する具体的事実のみを拾っていくーこういうやり方は、たしかに、当時の私のように、まだろくろく鴎外を読んでおらず、自分の鴎外像の描けていない多くの読者には、きわめて理解しやすく、評判を得ることになったのでしょう。

また、山崎氏の鴎外像が理解しやすかったというのは、これも先生が御指摘の通り、この「闘う孤独な家長」という鴎外像が当時の「通年によりかかっていた」せいですね。私なども、読んで、この鴎外は「かっこいいなあ」というふうに思ったことを思い出します。 そのほか、この評論の中には、次のような批評家心得第一条と言った言葉も読むことができ、私のような者にとっては、今読んでも教えられるところの多い魅力的な論文です。「批評は、たしかに対象を創り出す作業だが、しかし、批評家の自己表現の道具として、恣意的な虚構をつくり上げればそれでいいというものではない。批評は、いってみれば、いったん自分を捨てて、どこまでも対象に拘束されてみようとする意欲によって成り立つ行為ではないだろうか。単なる認識でもなければ、単なる想像でもない。客観的にとらえることでもなければ、主観的に解釈することでもない。過去にしばられ、過去の中に感情移入し、過去の声をよみがえらせ、それによってはじめて自分を表現できるのではなかろうか。」

第Ⅵ部の作家論で、今回私にとって最も心に残ったのは「石原慎太郎」論です。これを読んで初めて、石原慎太郎を一度読んでみようかという気持ちになりました。これまで、産経新聞で何度か氏の文章に接したことはありますが、読むたびに「この人は日本語の初歩文法がわかっていないのではなかろうか」という疑念にとらえられて、全く読む気がしなかったのです。 この論文は非常によい石原文学の案内になっているのではないかと思います。「太陽の季節」すらまともに読んでいない私も、石原文学を理解するには、先生の引き合いに出しておられる初期作品が大事であろうということが分かるように書かれています。

それから、これは文学論ではありませんが、445ページにおいて、石原氏が非常に広い視野の持ち主であることに触れて、ホーキング博士の講演を、氏が聴きに行ったときのことが述べられています。その際のホーキング博士の「どんな星でも地球のように文明が進みすぎると、その星は極めて不安定になり、加速度的に自滅してしまうのです」という答に、「石原氏は・・・衝撃を受けた」と書いてあります。この場面は、石原という人は信頼するに足る人だという感じがよく出ていて、印象に残りました。(ホーキング博士の「答」は初めて聞きましたが、これは本当に「衝撃的」です。)

第Ⅱ部「日本文学管見」の諸論文はすべて二度あるいは三度読んで勉強させていただきました。「人生批評としての戯作」は特に興味深い論文でした。この論の中に「『通』はひょっとしたら無自覚ながら絶対者なき風土における絶対者の役割をはたしていたのかもしれない。」という一文があり、心に残りました。近代日本においては、これが「教養」ということになったのかもしれないと考えました。「本当に人が完全な『通』になることは可能なことなのだろうか。・・・むしろ自分は『半可通』であることをたえず意識していることが、わずかに『野暮』に落ちずにすむ最後の一線なのではないだろうか。」近代においても、いよいよ絶対者はいなくなり、わずかに教養あることが最後の価値であるかもしれないけれども、教養ある人というのは、せいぜい自分が教養がないということを自覚している人にすぎない・・・というわけです。 そのほかにも、この論文は考えさせるところの多いものでした。

全体800ページの中で、第Ⅶ部「掌編」の中の「トナカイの置物ー加賀乙彦とソ連の旅」は、ほかの文章と比べて、相当に毛色が変わっていて、とても愉快に読むことができました。ほかの文章からは思い描けない先生のお姿も、ここで看取できたように思います。 第Ⅲ部「現代文明と文学」では、「オウム真理教と現代文明」を何度も読み返しました。力作評論ですが、先生も、オウム事件をどう読み解いたらいいか、この論文執筆の時点では、あれこれ考えあぐねておられるようにも感じ取られました。私は、ハイデッガーの「退屈論」を知りませんでしたので、この紹介が最も参考になりました。

こんなふうに一つ一つ取り上げていっても切りがありません。柏原兵三氏の作品はいわゆるベルリンものを読んだことがありますが、機会があったら氏の著作集を読んでみたいと思います。先生と「親友」であった作家、それだけでも興味が持てます。
綱淵謙錠氏の『斬』は、今読みかけているところです。夜、蒲団にはいって読みかけましたが、途中で、「これは悪い夢を見る」と、いささか気味が悪くなって、しばらく放ってあります。先生の解説は、要領を得ているだけではなく、著者にも教えるところがあったのではないでしょうか。
そのほか、先生の書評を読んで読みたくなった本や作家は相当多数ありました。

いつものごとく尻切れトンボですが、今日はこれにて失礼いたします。
御健康に留意なさいまして、ますます御活躍下さいませ。

上記の中で「人生批評としての劇作」について、「通」に日本近世社会における「絶対者」の役割を見ているという私の指摘に関心を寄せて下さってありがとう、と申し上げたい。西洋の近世文学と江戸文化の比較がもっとなされるべきと思う。

それなら武田さん、拙論中の「明治初期の日本語と現代における『言文不一致』をどうお考えになっただろうか。「後記」の第3節に三論文共通のテーマとして取り上げ、帯の文としても出しておいたあの言葉と音、文字と声のテーマについてである。お考えがあればおきかせ下さい。

ともあれ拙著の内容をよく読みこんでいる、レベルの高いご論考をいただいたと認識しました。

九巻帯表

日本の現代小説が朗読になじまないこと、評論や学術論文はさらに耳で聴いて分かるようには書かれていないことに大きな問題が感じられる。言葉は半ばは音であり、声である。文学作品が与える感動は作品と作家を背後から支える何かある「声」に由来する。作家は何かに動かされて語っているのであって、その何かを自分ひとりの力で「描く」ことはできない。(「後記」より)

九巻帯裏

西尾さんと「新潮」   元「新潮」編集長 坂本忠雄氏
この決定版全集の「内容見本」で、西尾さんは「同じことを二度書かないのが私の秘かなプライド」と述べているが、実に多岐にわたる全寄稿文でもそれが実行されているのは自分の思索を行為と同次元においているためだろう。人間の行為は厳密にいえば繰り返しはないのだから。・・・・「新潮」は戦前は文壇雑誌そのものだったが、戦後の再出発に当って昭和21年の坂口安吾「堕落論」を皮切りに、文学を詩・小説・文芸評論の枠から広げ、文学の文章によってその時代の文化の精髄を読者に伝える役割も果たしてきた。西尾さんが敬愛する小林秀雄、福田恆存、田中美知太郎、竹山道雄等の後を引継ぎ、この新しい領域を次々に切り拓いたことを、私は同世代の編集者として心から感謝している。
(「月報」より) 

阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム(第十一回)

51)人間が生きるとは、目隠しされているようなことかもしれない。目隠しされつつ、人間は未来への明察を欲するのだ。もしもすべてが見透せてしまったなら、そのような未来は、もはや生きるに値しない未来であろう。すべてが見えるという自己過信と、なにも見えないという自己不信とは同じ事柄の表裏なのだ。どちらもともに、自己と自己を超えたものとのかかわり合いがはらむ緊張を忘れている。

52)一人の作家が何を求め、何によって生きているか、それは、初期も晩年も、意外に一貫しているものである。

53)豊富で複雑な言葉をいくら多様に用いても、言葉は事実を把えることは出来ない。ある事実に言葉を与えることで、われわれはその事実を規定するわけだが、規定した瞬間、「事実」そのものはとり逃しているわけなのだ。

54)おそらく自己同一性が非常に高い日本人にとって、日本人は表向きはたえず国家意識みたいなものに反発を感じているくせに、ほとんど無意識のうちに国家単位でしか、ものを考えることのできない民族だという気も致します。

55)思想を弄ぶ人間の存在の形式が私をつねに苛立たせてきたのである。

出展 全集第一巻 
51) P535上段より 掌篇 現代ドイツ文学界報告
52) P552上段より 掌篇 現代ドイツ文学界報告
53) P554下段より 掌篇 現代ドイツ文学界報告
54) P585上段より 老年になってのドイツ体験回顧
55) P598P599より 後記

阿由葉秀峰の選んだ西尾幹二のアフォリズム(第十回)

46)外国に長く生活しすぎて、日本が概念的にしか感じられなくなれば、それは日本人の経験であることを止めたことを意味するのだし、逆に、日本で考えていたヨーロッパ像を打ちこわすことをせずに、既成の観念の殻に閉じこもって、妙に安定した表情で外国をひとわたり経験することも、けっして経験したことにはならないだろう。

47)ニーチェは思想の表面に現われた民衆侮蔑の言辞とは裏腹に、実際の人間は謙遜で、センチメンタルで、ひどく純情でさえある。ニーチェの思想は、知識人・教養人のもつあらゆる種類の凡庸さ、馬鹿さ加減にこそ固く門戸を鎖しているが、民衆のこころにはもっとも近いところに立っている。だからこそニーチェは誤解を怖れず、むしろ誤解されることを誇りとさえしたのだともいえよう。

48)文化が荒廃していれば様式美は生まれない。私は裏側を勘ぐり、故意に内側を分析する知性にはなにか欠けたものがあるとつねづね考えている。表面よりも内面のほうが豊富だと信じたり、表面の安定の裏に頽廃を嗅ぎつけたがったりするのは、知性のさもしさの表現でしかない。

49)この雑然とした、ときに騒然とした外観を備えた日本の都会の姿そのものが、外来文化の流入に耐えているわれわれの抵抗の姿とも言えなくはないだろう。

50)政治とは、現実に与えられた条件下で、ときに自分の立場を棄ててでも何か具体策を打出すというリアルな精神をさす。政治とは道徳ではない。

出展 全集第一巻 掌篇
46) P479下段より ヨーロッパ放浪
47) P486下段より ヨーロッパ放浪 
48) P508上段より ヨーロッパ放浪
49) P512下段より ヨーロッパ放浪
50) P522下段より 現代ドイツ文学界報告