トランプよ、今一度起ち上れ!

WiLL 2023年1月号より

 なぜトランプか――それは彼の自己英雄視のロマンティシズムが時に役に立つからだからだ

高知能、低知性の時代

 米国の中間選挙の投票が終わり、注目の上院の大勢がきまらず、ジョージア、アリゾナ、ネバダの三州の行方が未定の十一月十一日にこれを書いています。予想されていた共和党の圧倒的大勝は下院にも起こらず、民主党は大敗を免れた、と安堵と喜びの声を発するだけでなく、次期大統領選挙への見通しも明るいと言わんばかりの勢いです。

 その際バイデン大統領は一貫して「民主主義」が共和党によって脅かされているという前提に立ってものを言っています。恐らく米国民の半数は、このもの言いに反発しているでしょう。いったい民主主義を危うくしていたのはどこの誰だったのか、忘れているわけではあるまい、と。けれどもメディアは気が早く、トランプの勢いに翳りが出て来たのをここに見て、共和党内部の混戦を予測し、新しいスターとしてフロリダ州のロン・デサンティスの名を持ち上げ始めています。ブッシュやクリントンやバイデンのような職業政治家の嗅味紛々たる常識を打ち破ったトランプの魅力。その大言壮語や子供っぽい所作や芝居がかったパフォーマンスの政治効果は、すでに早くも終りかけているとメディアははやし立てています。メディアはいつでも、どこでも所詮浮気なのです。ロン・デサンティスは若いのだから慌てない方がいいでしょうね。私はトランプの時代が終わったとはまったく思っていません。

 トランプは保守の思想がしっかり身についている指導者です。素朴な家族主義、伝統と信仰への信頼、初め分からなかったのですがいざというときにはっきり示された軍事力への傾斜、しかし彼は戦争嫌いで、一方軍は彼を最も信頼しているという逆説。小さな政府という理念とそれに見合った減税政策、オバマやバイデンには出来なかった徹底的な反中国政策、メキシコとの国境の壁の具体的なリアリズムに現れた確信と実行力、北朝鮮に単身乗り込んだ勇気ある人間力、等々を挙げていけば切りがありません。

 この間あるインテリぶった男がテレビでオバマは教養があり、言葉使いも豊富だけれども、トランプはワンセンテンスの単純な表現力しか持っていない、と言っていましたが、言語の力というものを知らない人間の言うことです。トランプのワンセンテンスの繰り返しには力があり、変化もあり、展開もあり、決して単調ではない。政治家は文学者ではありません。現代は知能指数は高いけれども、知性の低い人がいわゆる政界・官界・企業社会を覆い尽くしています。日本も同様です。オバマは八年間の大統領の立場を利用し、六千~八千人の体制順応派を造り、行政府の高級官僚、裁判所の判事、警察の幹部、目立つ政治家を手なづけ、今の左翼全体主義に導き、アメリカ社会を牛耳りました。彼らが司法省を抑え、FBIを支配し、今やりたい放題に振舞っています。「ロシアゲート事件」はその代表例でした。これはトランプ政権の末期に「オバマゲート事件」と名を替え、新たに告発され、民主党の悪事がとことん白日の下にさらされる切っ掛けとなるところでした。

 政権が変わらない限り法律も新たに動き出さない。法の秩序は普遍中立ではない。これが今のアメリカ社会ではないですか。

 2020~21年の大統領選挙は目も当てられない不正まみれだと日本のユーチューブで言葉の限りを尽くして罵っていたケント・ギルバートさんが、ある日突然同じメディアで選挙に不正はありませんでした、バイデン当選を認めることこそがアメリカ民主主義ですと言い出したとき、私は腰を抜かさんばかりにびっくりしました。手の平を返すような大変身ぶりを見せたのは、あのいつもは手堅いもの言いの古森義久氏にも認められました。いったい今までの自説はどこへ行ってしまったのでしょう。私はしきりに首を傾げました。しかし考えてみるとご両名はアメリカに戻ればアメリカ人として、あるいはそれに近い立場で活動をつづける人々です。右の措置はご両名のいわば運命への屈服にほかなりません。

 二年前、アメリカで何かが起こったことは間違いありません。それはアメリカの建国の理念を揺さぶるほどの、一歩間違えば内戦をも招きかねないほどの大事であったことを世界中の人々は承知しています。国連もEU諸国もみな知っていても知らぬ振りをしているのです。アメリカであれどこの国であれ、代表者が仮面を替え、国内はこれで決まったと新しい仮面を主張し始めたら、どこかおかしいと思ってもその国がそれでいいと言っている以上、他国が口出しする余地はありません。バイデン政権はそのような疑念と不安定の中を船出し、今なお本来の権威を失ったまま走航しているのではありませんか。

 それを見抜いて正確に分析し、自由な立場からアメリカをときに批判しときに教導するのが外国のメディア、日本のような同盟国の言論人の本当の仕事ではないでしょうか。言葉を封じられている病めるアメリカのメディアの口移しそのままの垂れ流しをつづけるだけの日本の新聞・テレビ・出版界のていたらくは見るも無惨というほかありません。

 そこで二年前の現実のアメリカをもう一度吟味し直す必要があります。あのとき何があったのか。トランプはなぜ権力を失ったのか。なぜ正論を貫くことが出来なかったのか。彼は実行力あるリアリストではなかったのか。それとも感情に溺れる空想家だったのか。何処でどう間違えたのか。今あらためて問い直してみましょう。

 私には当時SNS大統領選挙観戦記を書こうとしていたときの生のデータ、耳と目の経験しかありません。でも、その方がかえっていいのです。

堕ちた米民主主義

 振り返ってみてトランプを苦しめたポイントは三つありました。第一に連邦最高裁判所の徹底した無責任、逃げの姿勢です。アメリカがこれほどひどい司法の無力をさらけ出す国とは思いませんでした。無力というより司法の腐敗、堕落、背徳です。

 各州の判事、司法長官のレベル以下の逃げ口上や怠慢はまあ予想の範囲内でした。目の前に不正を見せつけられた例の夜中のジョージア州の一件。開票所の監視カメラが映したごまかしようのないシーン、何千票ものトランプ票がみるみるバイデン票にカウントされる光景を州の公聴会で見せつけられても言を左右する司法関係者を見て、傍聴席は哄笑の渦に包まれたそうです。つまり大衆は全部を知っていて大笑いだったのです。

 問題は、連邦最高裁判所の判決です。トランプは一年も前から最終決定の場として最高裁に期待し、必ずここがやってくれると確信していました。郵便投票のデタラメを罰するのもここしかないと。しかるに判決は一切の理由説明なしの「却下」でした。

 テキサスを筆頭に南部諸州が怒り出しました。北東部のペンシルバニアなど四州の憲法違反を提訴しました。「お前たちの勝手な不正投票で大統領選に番狂わせが起こるのは迷惑千万だ」と。憲法遵守は各州平等の義務のはずです。これはまったくの正論です。テキサスには全国から一斉に拍手が送られました。しかるに最高裁は狂っているとしか言いようがありません。

 最高裁は再び「却下」です。二度目には理由をつけていました。テキサスなど南部諸州はペンシルバニアなどの遠い他州の選挙を問題視する機能がないというのです。単に距離が遠いというそれだけの理由です。小学校の自治会の取り決めですら、こんな理屈はあり得ますまい。

 「廊下を走らないようにしましょう」と全校自治会が決めました。校舎のはずれにある五年生の子は授業が終わると野球やサッカーの道具を持って走り出します。違う建物の三年生の生徒から出口でぶつかって痛いと声が上がり、自治会にこれを止めさせてほしいと提訴しました。自治会はいかなる理由をもって提訴を「却下」できるでしょうか。建物や階数が違うのは理由になるでしょうか。

 戦後日本は教育をはじめアメリカ式の民主主義を文化の基本原理の一つとして受け入れました。しかし日本国民は今ここにきてアメリカの民主主義をもはやまったく認められない、と宣言すべきです。多数決の原理すら公正に運営できない国は民主国家とすらいえない。否、法治国家とすらいえないのかもしれません。西部劇時代の野蛮と非文明の地肌が再びさらけ出されました。

 連邦最高裁はただただ内乱が怖かっただけです。ロバーツ長官は判事たちに「お前たちは責任がとれるのか」と問責したという話も伝わっています。しかし、それは政治の領域の判断です。司法の番人は司法の公正に忠実であればよい。政治への出すぎた介入は慎むべきです。アメリカという国家はすでにどうしようもないほどに病んでいるといえます。

 連邦裁判所の身勝手な思い込み、差し出がましい政治への干渉をもって、米大統領選挙は事実上ここで終焉を遂げています。

 トランプ大統領はこのとき声明を発表しました。

「悲しいかな選挙は不正であり、その多くが詳細に触れることもなく、完全にゲームを変えてしまった。最高裁をはじめとするすべての裁判所は裁定(正しい判決の実行)をせず、“根性なし”だったし、そのように歴史に残るだろう」(2021年3月20日)

 このときトランプはほぼすべてのソーシャルメディアから追放されており、最後の砦であったパーラーへの参加すらアドバイザーから阻止されていると言われていたので、「Save America Now PAC」を通じてかろうじてメールでこの声明を発表することができました。

 自国の大統領の最後の言論の自由すら奪ったアメリカ社会の異常心理については後に述べます。

ペンスの裏切り

 トランプを苦しめた第二のポイントは、ペンス副大統領の裏切りでした。ペンスとの仲はいまだにはっきりしません。その後、ペンスはトランプを讃える演説などをして関係を修復しようとしていたようですがペンスの果たした「ユダ」の役割は党にとっても本人にとっても致命的でした。2018、19年の二度にわたるペンスの反中国・反共産主義の名演説は世の月並みな副大統領の成し得ない洞察力に富んだもので、力量に感服しましたが、残念ながら1月6日にやるべきことをやらなかった「逃げの選択」は政治生命を左右しました。

 年末から年始にかけて選挙人投票の獲得票数は民主党若干有利のまま両党が鍔迫り合いを演じていました。ただ「不正選挙」という嵐のような国民の声が沸き起こり、大統領選の勝敗の行方はどうなるかわからないままクリスマスを迎えました。

 全米各州からの選挙人は結果を未開票のまま1月6日にワシントンの連邦議会に集まりました。通例はそこでシャンシャンと手打ち式をして無事に終わるのですが、このときは違いました。選挙人の投票は結果を初めてここで公開して、認定するか否かを裁定するのは、副大統領の仕事と決まっていました。副大統領が議長役を務めるのが年来の取り決めでした。今回はペンスの一挙手一投足に注目が集まりました。

 ペンスが問題の多いいくつかの州の選挙人獲得数は認定できない、ときっぱり言えば、驚天動地、大統領選は振り出しに戻ることになります。そして連邦議会が改めて投票によって大統領を決めることになります。ただし議員全員の多数決ではなく、各州が一票ずつ投じる百年以上前の方法に戻るべきともいわれていて、共和党が有利になり、あっというまにトランプ当選の決定が下されるともしきりに言われていました。トランプ陣営の最後の期待でもあったのでした。

 しかしペンスは不正の多いと言われる州の認定を拒否するとはついに言いませんでした。失望が走りました。と、そのとき、言っている間もなく連邦議会議事堂内部への暴徒の乱入が始まり、議場は総立ちとなり、議員はみな逃げ出し、何が何だか分からなくなってしまいました。

 私はあのときペンスが認定拒否表明さえしていれば、情勢は変わったと今でも思っています。トランプ勝利にすぐに道が開かなかったとしても、トランプに暴徒煽動の罪を被せるという「弾劾」の声をメディアが一方的に広げるわけにもいかなくなり、乱入者にはANTIFA(アンティフア)などもいることが正式に証明され、もう一つの道程が公表されるという利点があっただろうと信じるからです。

 このあたりの事情は謎だらけで、深く闇に包まれています。なぜペンスは裏切ったのか。彼は1月6日の行事を済ませた直後にイスラエルに行くことになっていました。しかし行事の何日か前にイスラエル行きは中止すると宣言されました。ペンスの身に危険が迫っていなかったとどうして言えるでしょう。一枚岩の左翼はいざとなったら何でもするのです。イスラエル行きの計画自体も、あるいはまたその中止決定も、どちらも実は身を護る手段だったのかもしれません。

 ユーチューブに「中川牧師の書斎から」という味のある時局解説のコーナーがありました。中川牧師は、トランプは戒厳令を敷いて軍の正式の協力体制の下に中国など外国の選挙介入を調査し、票の再監査を行うべきだと早くから主張していました。大統領の権力を維持している間にできる最後のチャンスを生かすべきだとも言いました。それにはペンスの命がけの協力が必要で、彼の認定拒否は神の与え給うた千年に一度の信徒としてなし得る信仰の力の見せ所だ、というようなことさえ言いました。福音派の信者たちはあのとききっと同じ心境だったのでしょう。

 ペンスの「ユダの弁明」を私は知りません。したのかどうかも知りません。ペンスに限らず共和党議員が今回危機感に乏しかったのもトランプの誤算でした。マコーネル院内総務などという米上院の「二階俊博」にトランプは怒りまくっていました。もし今回の選挙で敗退すれば共和党は二度と大統領選では勝てないだとう、というような広い危機感が党内に分有されていたようには私には見えませんでした。

 保守はどこの国でもぼんやりしているのが取り柄なのかもしれません。民主党新政権は九人いる最高裁判事をいっぺんに十三人に増員して、増やした全員を左派で占める案をすでに考えているとか、移民をどんどん入れて左派の人口を増やし同時に民主党に投票する有権者数をも比例的に増大させるなどのアイデアが実行に移されだしています。国家や国民の幸福など念頭にありません。「左翼の独裁」が目的でしょう。選挙人投票という大統領選挙の伝統的方式をすら変えようとしていると聞きます。これが実現したら共和党にもう勝ち目はなく、アメリカは今までわれわれの知るアメリカとはまったく別の国に姿だけではなく内実ともどもがらりと変わってしまうことになるでしょう。

馬淵大使「先見の明」

 トランプのぶつかった第三の壁は、すでに先にも申し上げている通り、マスメディアが堂々と憲法違反し、言論の自由を破壊し、自分の国の大統領の発言まで封殺して当然という顔をしていたことです。しかも永久封鎖まで宣言したというのは驚くべき事実です。それよりもさらに驚くべきは、これらのすべてをやり抜けて選挙を完遂したあと、あれは少しやりすぎだったと反省する人は少しいたかもしれませんが、やりすぎとの自覚があるフェイスブック、ツイッター、グーグルなどの全社を挙げての一連の行動を犯罪として摘発し、そのCEOを犯罪人として弾劾するべきだという声が少しも効力を示さないことです。

 アメリカはもはや完璧に憲法を逸脱した非民主主義国家に成り下がっています。以上に取り上げた事例は、アメリカ合衆国の権力構造に明白に異変が生じ、ホワイトハウスの大統領府を超えた何らかの新しい権力がすでに実在し、選挙を動かし、政府を取り換え、官僚の任命権を握り、軍の司令塔を左右している(軍だけは今もバイデンにではなく秘かにトランプに忠誠心を尽くしているという説もありますが)という一連の力の交代劇が行われているという恐るべき事実を示しています。

 これはやはり「革命」でなくて何でありましょう。日本の政治学者諸氏にこの点をお尋ねします。革命でなかったら何と名付けたらいいでしょうか。

 それからもう一つ。アメリカの権力構造が変動し、ホワイトハウスの上位に「超権力」が存在するらしいことは、かねてディープ・ステートの名で言われ、日本では馬淵睦夫さんが早くから指摘して周知され、「establishment」という言い方もありますね。馬淵さんが最初に言い出した頃には半ば疑わしく見え、陰謀論だという反論さえありました。しかしたとえ馬淵さんが言うほど歴史に明白なラインが引けるかどうかは今からないとしても、今度の選挙で現実に異変が存在することが具体的になりました。馬淵さんの先見の明の功績は讃えられるべきだと私は思います。

 しかし、それでも歴史として語られることが多いので、私には馬淵さんの言う政治権力の実態は今ひとつ明らかにならないのです。ディープ・ステートはウォール街の金融資本につながり、地球をワンワールドとして支配するユダヤ民族の自己解放運動に由来するといくら言われても、私に推量できるのはそういう思考心情が存在することすなわち政治心理の次元までであって、世界を現に統括する組織、機構、議会、政体までが一元的にユダヤに支配されつつあるとはとうてい思えず、これも一種の観念論のように思えてなりません。

 パワーの泉は結局は経済でしょう。それならわかります。グローバリズムの経済運営が格差社会を増幅させ、世界の富の一極集中を引き起こして、中国とも協力関係を結べる条件の広がりをもたらすということ、確かにそういう不安はあります。しかし、アメリカ政府の上にあるとされる「超権力」は習近平とはおそらく相容れず、さりとて中国の民主化・近代化に手を貸すつもりもなく、あの大陸には何らかの独裁国家が必要だと思っているに相違ない・・・・・と私はここではたと立ち止まって考えます。この「超権力」は戦前の軍閥が群雄割拠していたあの古めかしい中国のイメージに依然として囚われたままでいるのではないでしょうか。

 まあ、色んな疑問が湧いてきます。

 二年前に多くの人の予想に反しあっという間にトランプが失脚し、バイデンが正式に大統領の座を射止めた背景の動きには何があったのか、永遠の闇に終わるのか、今後少しずつ解明されて行くのか、今のわれわれにはことに外国人である私にはたしかに明確なことが何か言えるテーマではありません。しかしこの背景にはアメリカ社会の変貌があります。アメリカが今急速に中国やロシアのような全体主義国家に体質が似て来ていることは深く憂慮されます。「中川牧師の書斎から」が言っていたように、あのときトランプは戒厳令を敷いて軍の正式の協力体制の下に、中国やベネゼエラなど外国の選挙介入を調査し、票の再監査を行うべきだったのではないでしょうか。それにはトランプ自身が“右翼ファシスト”として内外から非難される覚悟を要しました。しかし実際に彼がしたことは、ワシントンDCの連邦議会議事堂前の広場に予想されるところの大群衆の支持者を呼び集めることでした。大群衆に歓呼の声で迎えられることを彼はひたすら希望していたのでしょうか。戒厳令か、それとも連邦議会議事堂前か、この二者択一は運命の岐れ目だったのではないでしょうか。

 乱入事件に対しトランプに政治責任はありません。彼は煽動演説をしていませんし、乱入の始まったとき現場からはるか離れた位置にいました。けれどもなぜ連邦議会議事堂前に1月6日に大群衆を必要としたのでしょうか。左翼の罠にはまるのは目に見えていた筋書きではありませんか。私はあのときすでにそう心配していました。トランプには自己英雄視のロマンティシズムがあり、これが唯一の政治的欠点でした。

 しかし他方から見れば、米中対立、米露対立のような硬直した場面で大戦争を引き起こさないためには、固定観念に囚われないこのロマンティシズムが、いよいよになると役に立つ光であり、希望でもあり得るのです。ウクライナ戦争の行方を決めるこれからの国際政治の光景(シーン)にトランプがいないのは私は口惜しい。いざというときに自国の強さと弱さを計量できないバイデンのような職業政治家はとてもあぶない。

 大切なのは、自分の立場や姿勢を固定せず、現実の変化に当意即妙に対応できる自分に関する自由の感覚への信頼です。今の世界の指導者の中でこの自由を保持している人物がトランプのほかにいるとは私には思えません。

私が高市早苗氏を支持する理由

令和3年9月17日 産經新聞【正論】欄より

 評論家・西尾幹二 

 自民党総裁選に出馬する高市早苗氏は、次のように語っていた。

 「日本を安全で力強い国にしたい、という思いです。経済が相当弱ってきているのに、五年先、十年先に必ず起こる事態に向けた取り組みが、何一つ手つかずであることに相当な危機感を持っています。一刻の猶予もないと思っており、ものすごい焦りがあります。今着手しないと間に合いません。だから、何が何でも立候補したいと思いました」(月刊「正論」10月号)

≪≪≪ 国難の中、日本を守れる人に≫≫≫

 私の胸に真に突き刺さった言葉で、共感の火花を散らした。21世紀の初頭には技術産業国家の1、2位を争う国であったのに、平成年間にずり落ち、各国に追い抜かれた。ロボット王国のはずだったのに、今やAI(人工知能)ロボット分野で中国の後塵(こうじん)を拝している。世界的な半導体不足は日本のこの方面の復活のチャンスと聞いていたが、かつて円高誘導という米国の謀略で台湾と韓国にその主力は移った。実力はあっても今ではもう日本に戻りそうもない。

 毎年のように列島を襲う風水害の被害の大きさは国土強靱(きょうじん)化政策も唱えた安倍晋三内閣の公約違反であり、毎年同じ被害を繰り返すさまは天災ではなく、すでに「人災」の趣がある。

 台湾情勢は戦争の近さを予感させる。尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺のきな臭さを国民の目に隠したままではもう済まされない限界がきている。少子化問題は民族国家日本の消滅を予示しているが、自民党の対策は常におざなりで本腰が入っていない。

 そもそも国会では民族の生死を懸けた議論は何一つなされないし、論争一つ起こらない。余りの能天気ぶりに自民党支持層の中から今度の選挙ではお灸(きゅう)をすえようという声さえあがった。横浜市長選挙の自民党惨敗は間違いなくその「お灸」だった。それでも総裁選挙となると、飛び交う言葉は、蛙(かえる)の面に水だった。ただ一つ例外は高市氏の出現だ。氏の新刊書『美しく、強く、成長する国へ。』(ワック)を見るがいい。用意周到な政策論著である。私が冒頭にあげた日本人の今の怒りと焦りがにじみ出ている。同書はアマゾンの総合1位にかけ上った。

≪≪≪目立たぬ努力に政治家の本領≫≫≫

 高市氏は十分に勉強した上で「日本を守る。未来を拓(ひら)く」を自らのキャッチフレーズにした。日本を守るは抽象論ではなく、「領土、領海、領空」を守ることだと何度も言った。世界各地域の戦争の仕方が変わってきたことを説明し、今の日本の法的手続きを早急に超党派で議論し、用意しておかないと、すべてが間に合わなくなると言っている。従来のような憲法改正一本槍(やり)の観念論ではない。

 私は高市氏と2回雑誌対談を行っている。私の勉強会「路の会」で講話していただいたこともある。最初は10年以上前だが、その頃すでに北海道の土地が外国人の手に渡っていることを憂慮し、これを阻止する議員立法に工夫をこらしている話をされた。一昨年行われた2度目の対談では「安全保障土地法案」(仮称)が準備中であることを教えられた。国土が侵されることへの危機感に氏が一貫して情熱を燃やし続けておられる事実に感動した。

 人の気づかない目立たぬ努力に政治家の本領は表れる。戦時徴用をめぐり、昭和34年時点の在日朝鮮人60万人余といわれていたが、徴用令によって日本にきたのは245人にすぎなかったことを外務省の資料から証明し、政府答弁書に残したのは高市氏だった。大半が強制的に日本に連れてこられたなどという誤解を正し、影響のすこぶる大きい確認作業である。
日本の政治の偏向危惧する
総裁選に出馬表明した岸田文雄氏は9日、安定的な皇位継承策として女系天皇を認めるかを問われ、「反対だ。今はそういうことを言うべきではない」と述べた。対抗馬と目される河野太郎氏が「過去に女系天皇の検討を主張しており、違いを鮮明にした」(読売新聞10日)。一方、10日に出馬表明した河野氏は、政府有識者会議の女系天皇ためらいに配慮し、軌道修正した(産経新聞11日)。

 前言を堂々と翻して恥じない河野氏にも呆(あき)れるが、「違いを鮮明にした」つもりの岸田氏も風向き次第で態度を変えると宣言しているようなもので、両者、不節操を暴露し、外交・防衛・経済のどの政策も信用ならないことを自らの態度で裏書きした。なぜなら「万世一系の天皇」という国の大原則に、フラフラ、グラグラしているのが一番いけない。

 議会制民主主義統治下の世界全体のあらゆる政党政治の中に置いてみると、日本の自由民主党は決して保守ではない。ほとんど左翼政党と映る。日本のメディアは左翼一色である。
高市氏が一般メディアの中で自分が右翼として扱われることに怒っていたが、怒るには及ばない。もし中道保守の高市氏を右翼というなら、世界地図に置くと公明党も立憲民主党も政党以前の極左集団と言われても不思議ではない。(にしお かんじ)}

「移民国家宣言」に呆然とする 

平成30年12月13日産經新聞正論欄より

 人口減少という国民的不安を口実にして、世界各国の移民導入のおぞましい失敗例を見て見ぬふりをし、12月8日未明にあっという間に国会で可決成立された出入国管理法の改正(事実上の移民国家宣言)を私は横目に見て、あまりに急だったな、とため息をもらした。言論人としては手の打ちようがない素早さだった。

≪≪≪新たな民族対立に耐えられるか≫≫≫

 私が外国人単純労働力の導入に慎重論を唱え出したのは1987年からだった。拙著『労働鎖国のすすめ』(89年)は版元を替えて4度改版された。初版本の当時は発展途上国の雇用を助けるのは先進国の責務だ、というような甘い暢気(のんき)な感傷語を堂々たる一流の知識人が口にしていた。この流れに反対して、ある県庁の役人が地方議会で私の本を盾にして闘った、と私に言ったことがある。

 「先生のこの本をこうして持ってね、表紙を見せながら、牛馬ではなく人間を入れるんですよ。入ったが最後、その人の一生の面倒を日本国家がみるんですよ。外国人を今雇った企業が利益を得ても、健康保険、年金、住宅費、子供の教育費、ときに増加する犯罪への対応はみんな自治体に降りかかってくる。私は絶対反対だ」

 この人の証言は、単純労働力の開放をしないとしたわが国の基本政策の堅持に、私の本がそれなりに役割を果たしていたことを物語っていて、私に勇気を与えた。私は発言以来、不当な誹謗(ひぼう)や中傷にさらされていたからである。
 外国人は自分の欲望に忠実で、先進国に入ってくるや否や徹底的にそれを利用し、そこで出世し、成功を収めようとする。何代かけてもである。当然、日本人社会とぶつかるが、そのために徒党を組むので、外国人同士-例えば中国人とベトナム人との間-の争いが、日本社会に別の新たな民族問題を引き起こす。その争いに日本の警察は恐らく無力である。
 日本国民は被害者でありながら、国際的には一貫して加害者に位置づけられ、自由に自己弁明できない。一般に移民問題はタブーに覆われ、ものが言えなくなるのが一番厄介な点で、すでにして日本のマスメディアの独特な「沈黙」は始まっている。
 

≪≪≪大ざっぱな文化楽天論が支配≫≫≫

 今回の改正法は国会提出に際し、上限の人数を決めていないとか、すべて官僚による丸投げ風の準備不足が目立ったが、2008年に自民党が移民1千万人受け入れ案というものすごく楽天的なプログラムを提出して、世間をあっと驚かせたことがある(「人材開国!日本型移民政策の提言」同年6月12日付)。中心は中川秀直氏で、主なメンバーは杉浦正健、中村博彦、森喜朗、町村信孝などの諸氏であった。外国人を労働力として何が何でも迎え入れたいという目的がまずあった。

 これが昔から変わらない根本動機だが、ものの言い方が変わってきた。昔のように先進国の責務というようなヒューマニズム論ではなく、人口減少の不安を前面に打ち出し、全ての異質の宗教を包容できる日本の伝統文化の強さ、懐の広さを強調するようになった。

 日本は「和」を尊ぶ国柄で、宗教的寛容を古代から受け継いでいるから多民族との「共生社会」を形成することは容易である、というようなことを言い出した。今回の改正案に党内が賛同している背景とは、こうした大ざっぱな文化楽天論が共有されているせいではないかと私は考える。

≪≪≪歴史の興亡を忘れてはならない≫≫≫

 しかし歴史の現実からは、こういうことは言えない。日本文化は確かに寛容だが、何でも受け入れるふりをして、結果的に入れないものはまったく入れないという外光遮断型でもある。対決型の異文明に出合うと凹型に反応し、一見受け入れたかにみえるが、相手を括弧にくくって、国内に囲い込んで置き去りにしていくだけである。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、それに韓国儒教などの原理主義は日本に絶対に入らない。中国の儒教も実は入っていない。

 「多民族共生社会」や「多文化社会」は世界でも実現したためしのない空論で、元からあった各国の民族文化を壊し、新たな階層分化を引き起こす。日本は少数外国人の固有文化を尊重せよ、と早くも言われ出しているが、彼らが日本文化を拒否していることにはどう手を打ったらよいというのか。

 イスラム教徒のモスクは既に数多く建てられ、中国人街区が出現し、朝鮮学校では天皇陛下侮辱の教育が行われている。われわれはそれに今耐えている。寛容は限界に達している。34万人の受け入れ案はあっという間に340万人になるのが欧州各国の先例である。
 四季めぐる美しい日本列島に「住民」がいなくなることはない。むしろ人口は増加の一途をたどるだろう。けれども日本人が減ってくる。日本語と日本文化が消えていく。寛容と和の民族性は内ぶところに硬い異物が入れられると弱いのである。世界には繁栄した民族が政策の間違いで消滅した例は無数にある。それが歴史の興亡である。(にしお かんじ)

日本は米国に弓をひいたのか

平成30年11月7日産經新聞正論欄より

≪≪≪ペンス演説は悲痛な叫びだ≫≫≫

 ペンス米副大統領の10月4日の演説を読んでみた。米国の対中政策の一大転換を告げていた。

 中国の国内総生産(GDP)は過去17年間で9倍に成長し、共産党政府による通貨操作、強制的な技術移転、知的財産の窃盗、補助金の不正利用などによるものだと演説は告発している。もちろん投資した側の米国にも責任があるが、中国はあれよあれよという間に膨張した。

 今はさらに図に乗って「中国製造2025」などといい、ロボットやバイオ、人工知能(AI)など最先端技術の90%を支配すると豪語している。今後もこの目的のために、米国の知的財産の全てをありとあらゆる手段を用いて取得する方針を宣言してもいる。

 いうまでもなく日本の技術もターゲットとされていよう。獲得した民間技術は大規模に軍事技術に転用されてきた。南シナ海の人工島があっという間に軍事基地化した背景である。

 ここまでくればペンス副大統領が悲痛な叫びを上げるのは当然である。中国政府によるウイグルの民族弾圧などは近年目に余るものがあるが、ペンス氏は中国が「他に類を見ない監視国家」になっていて、米国の国内政治にまで干渉の魔手を伸ばし出したことを最大限に警戒している。なんとハリウッドが中国政府の「検閲」を受けているのだ! 映画だけでなく米国内の大学、シンクタンク、ジャーナリストなどがあるいは脅迫により、あるいは誘惑により、反中国の思想を封じられ、中間選挙や次の大統領選挙までが中国によって動かされようとしている。

 米国は気づくのが遅かった。しかしここまでやられたので国防権限法を発動して、軍と政府のすべての機能をフル稼働させ中国の侵犯に対して自らを守り、全面的に対決することを宣言したのがペンス演説である。これは米国の国家意思といってもいい。

 ≪≪≪スワップ協定は果たして必要か≫≫≫

 日本人は米国のこの本気度をどの程度、理解しているだろうか。米中貿易摩擦が単なる経済問題でないことはみんな分かっているだろう。世界史に新たにわき起こった覇権争奪戦、人呼んで百年戦争の勃発であるともいう。

 米国は留学生の受け入れまですでに大幅に制限し出している。体制を等しくする同盟国には当然、同じ姿勢が求められるだろう。それが理解できないで、肝心なところで中国に同調する個人ないし企業は、米国に反逆する者として制裁を受けることになるであろう。

 このような折も折、わが国はとんでもないことを引き起こした。ペンス演説を政府の要人が読んでいなかったとはまさか思えない。強い警告が出されていたのを承知で、日本政府は安倍晋三首相訪中により対中接近を図った。3兆4千億円の人民元と円のスワップ協定を結んだ。外貨が底を尽きかけた中国でドルの欠乏をさらに加速させるのが米国の政策である。これは習近平独裁体制への攻撃の矢である。日本の対中援助は米国の政策に弓を引く行為ではないか。

 谷内正太郎国家安全保障局長が弁解に訪米したというが、詳報はなく、日米間に不気味な火薬を抱えたことになる。反トランプ勢力の中にも中国批判は強まっている昨今、「日本は何を勘違いしているのか」という声が米政府外縁から上がる可能性は高い。米中戦争の開始とともに日本が反米へのかじを切ったと騒ぎ立てるだろう。

 日本の財務省は、スワップ協定は日銀が人民元を使える自由を広げ、企業と銀行を助け、日本のためになる政策であって対中援助ではないと言っているが、詭弁(きべん)も甚だしい。そもそも人民元が暴落しかけているさなかに、しないでもいいスワップ協定を結ぶのは欠損覚悟なのか、不自然である。

 ≪≪≪対中接近は政治的な誤りである≫≫≫

 私はいま遠くに考えを巡らせている。尖閣が危うくなり南シナ海の人工島が出現してから、私はアジアと日本の未来に絶望し始めていた。米軍の力の発動をひとえに祈るばかりだったが、オバマ大統領時代には期待は絶たれていた。

 トランプ大統領がやっと希望に火をともした。しかし人工島を空爆して除去することまではすまい。半ばヒトラー政府に似てきた習近平体制を経済で揺さぶり、政権交代させるところまでやってほしい。ペンス演説はまさにそのような目標を掲げた非軍事的解決の旗である。日本経済はそのためとあれば犠牲を払ってでも協力すべきである。日本の国家としての未来がここにかかっている。

 朝鮮戦争のとき世論に中立の声(全面講和論)は高まったが、日本の保守(自民党)は米ソ間で中立の旗を振ることは不可能なだけでなく危険があると判断し、米国側に立つこと(多数講和)に決した。2大強国の谷間にある国は徹底して一方の強国を支持し、二股をかけてはいけない。今回の日本の対中接近は政治的に間違っている。ただしスワップ協定は条約ではないので、日本はすぐにでもやめれば、なんとか急場をしのぐことはできるだろう。(にしお かんじ)

「トランプ外交」は危機の叫びだ

平成30年6月8日産經新聞「正論」欄より

 やや旧聞に属するが、昨年の東京都議会選挙で自由民主党が惨敗し、続く衆議院選挙で上げ潮に乗った小池百合子氏の新党が大勝利を収めるかと思いきや、野党に旗幟(きし)を鮮明にするよう呼びかけた彼女の「排除」の一言が仇(あだ)となり、失速した。そうメディアは伝えたし、今もそう信じられている。

≪≪≪「排除」は政治的な自己表現≫≫≫

 私は失速の原因を詮索するつもりはない。ただあのとき「排除」は行き過ぎだとか、日本人の和の精神になじまない言葉だとか、しきりに融和が唱えられたのはおかしな話だと思っていた。「排除」は失言どころか、近年、政治家が口にした言葉の中では最も言い得て妙な政治的自己表現であったと考えている。

 そもそも政治の始まりは主張であり、そのための味方作りである。丸く収めようなどと対立の露骨化を恐れていては何もできない。実際、野党第一党の左半分は「排除」の意思を明確にしたので立憲民主党という新しい集団意思を示すことに成功した。右半分は何か勘違いをしていたらしく、くっついたり離れたりを重ね、意思表明がいまだにできていない。
今の日本の保守勢力は政党人、知識人、メディアを含め、自己曖昧化という名の病気を患っている。今後の新党作りの成功の鍵は、自民党の最右翼より一歩右に出て、「排除」の政治論理を徹底して貫くことである。小池氏はそれができなかったから資格なしとみられたのだ。
 
 実際、日本の保守勢力は自民党の左に立てこもり、同じ所をぐるぐる回っているだけで「壁」にぶつからない。新しい「自己」を発見しない。今までの既成の物差しでは測れない「自己」に目覚めようとしない。

≪≪≪秩序の破壊は危険水域を越えた≫≫≫

 世界の現実は今、大きな構造上の変化に直面している。かつてない危機を感じ取り、類例のない手法で泥沼の大掃除をすべく冒険に踏み出そうとしている人がいる。米国のトランプ大統領である。

 彼はロシアと中国による世界秩序の破壊が危険水域を越えたことを警鐘乱打するのに、他国から最もいやがられる非外交政策をあえて取ってみせた。中国を蚊帳の外にはずして、急遽(きゅうきょ)、北朝鮮と直接対話するという方針を選んだ4月以降、彼は通例の外交回路をすべてすっとばして独断専行した。

 同時に中国には鉄鋼とアルミに高関税を課す決定を下した。それは当然だが、カナダや欧州やメキシコなど一度は高関税を免除していた同盟国に対し、改めてアメリカの国防上の理由から高関税を課す、と政策をより戻したのは、いかな政治と経済の一元化政策とはいえ物議を醸すのは当然だった。

 彼はなぜこんな非理性的な政策提言をしたのだろうか。世界の秩序は今、確かに構造上の変化の交差路に立たされている。アメリカ文明はロシアと中国、とりわけ中国から露骨な挑戦を受け、軍事と経済の両面において新しい「冷戦」ともいうべき危機の瀬戸際に立たされている。トランプ政権は、北朝鮮情勢の急迫によってやっと遅ればせながら中国の真意を悟り、この数カ月で国内体制を組み替え、反中路線を決断した。

 トランプ氏は人権や民主主義の危機などという理念のイデオロギーには関心がない。しかし軍事と経済の危うさには敏感である。アメリカ一国では支えきれない現実にも気がつきだした。そのリアリズムに立つトランプ氏がアメリカの「国防上の理由」から高関税を遠隔地の同盟国にも要求する、という身勝手な言い分を堂々と、あえて粉飾なしに、非外交的に言ってのけた根拠は何であろうか。

≪≪≪日本は「自己」に目覚めよ≫≫≫

 トランプ氏はただならぬ深刻さを世界中の人に突きつけ、非常事態であることを示したかったのだ。北朝鮮との会談に世界中の耳目が集まっているのを勿怪(もっけ)の幸いに、アメリカは不当に損をしている、と言い立てたかった。自国の利益が世界秩序を左右するというこれまで言わずもがなの自明の前提を、これほど露骨な論理で、けれんみもなく胸を張って、危機の正体として露出してみせた政治家が過去にいただろうか。

 政治は自己主張に始まり、「排除」の論理は必然だと私は前に言ったが、トランプ氏は世界全体を排除しようとしてさえいる。ロシアと中国だけではない。西側先進国をも同盟国をも排除している。いやいやながらの同盟関係なのである。それが今のアメリカの叫びだと言っている。アメリカ一流の孤立主義の匂いを漂わせているが、トランプ氏の場合は必ずしも無責任な孤立主義ではない。北朝鮮核問題は逃げないで引き受けると言っているからだ。

 ただ彼の露悪的な言葉遣いはアメリカが「壁」にぶつかり、今までの物差しでは測れない「自己」を発見したための憤怒と混迷と痛哭(つうこく)の叫びなのだと思う。日本の対応は大金を支払えばそれですむという話ではもはやない。日本自身が「壁」にぶつかり、「自己」を発見することが何よりも大切であることが問われている。
(評論家・西尾幹二 にしお かんじ)

 六月八日付産經新聞正論欄に「トランプ外交は危機の叫びだ」を出しましたので、九日より以降、どうかコメント欄への自由な書き込みにご活用下さい。

 宮崎正弘氏の最新刊『アメリカの「反中」は本気だ!』(ビジネス社)を読みました。米中政治対決が明確化したという私の予測と理解にそれまでかすみがかかっていた迷いがあったのに、この本で拭い去られました。それが三日前です。二日前に藤井厳喜氏からファクスで、トランプがロシア疑惑を克服したこと、ロシア疑惑はヒラリー陣営をむしろ危うくしているという新情報を与えられました。この二つのニュースを個人的に手に入れて熟読し、八日の産經コラムのあの内容を決定しました。宮崎、藤井両氏の名を挙げるスペースはありませんでした。両氏にここで御礼申し上げます。

 産經コラムの前半の小池百合子氏による「排除」の一語云々の私の政治解釈は、コラムの話を面白くするために例として出しただけで、特別の意味はありません。直接つながらない無関係な二つの主題をあえて結ぶとたぶん面白い刺激になるだろう、という思い付きでやったまでで、うまく行ったかどうか私にも分かりません。今の保守は「壁にぶつからない」とか、「今までの物指しでは測れない『自己』に目覚めようとはしない」等の保守を批判した言葉遣いは、夜中に寝入る前に思いつき、枕元の紙にメモしておきました。

 この産經コラムはいつもそうするのですが、字数合わせもあるので、ペンで二度清書して、大抵三~四行くらいマイナスに削って、夜書き上げ、早朝もう一度見直し、さいごの修正をしてファクス器にかけます。

 なぜ今回はこんな詳しい内情をお話しするのかというと、短文でもこれだけ苦心するのだということ、否、短文だからこそかえって時間がかかるのだということをお知らせしたかったからです。三日を要しています。私はたぶん非能率な人間なのでしょう。

久々に現れた米国大統領らしい人物…「価値の転換」訴えたトランプ氏 

産經新聞平成29年11月16日 「正論欄」より

 トランプ米国大統領のアジア歴訪を主にテレビを通じてじっくり眺めた。私は子供の頃から大統領といえば米国大統領のことだと思っていた。そのイメージは大きい、強い、堂々としているなどで、象、戦艦、甲虫、大資本家、帝国主義者などである。
 
 フィリピンや韓国やトルコの代表も「大統領」の名で呼ばれているが、ピンと来ない。体が大きく、断固たる「意志」の表明者であるトランプ氏は、久々に現れた米国大統領らしい人物である。
 
≪≪≪ 自己自身のために生きる時代 ≫≫≫

 そこに「粗野」とか「軽率」とか「無遠慮」といった礼節の欠如を示す形容がついて回るのが、彼の特性とされるが、果たしてそうだろうか。彼の風貌をくりかえし見て、どこか憎めない、愛嬌(あいきょう)のあるところが常に感じられた。

 言葉の使い方も緻密で、外国での演説の全文を翻訳で読んだが、あれだけの分量を情熱を込めて語り切った能力は大変なものだと思った。

 白人比率が下がり続ける今の米国社会は、人種間対立が激しい。南北戦争における南軍の将の銅像が人種平等の過激派の暴徒によって引き倒される事件があった。中国の文化大革命を思い出させる歴史破壊が米国で起こったのだ。

 しかも米国でも日本でもメディアは歴史破壊を非難せず、暴徒に味方した。トランプ氏はそうではなかった。彼は白人至上主義者も過激派の暴徒もどちらもいけないと両方を叱責した。メディアはそれすらも許さなかった。白人至上主義者を一方的に非難することをトランプ氏に求め、それをしない彼を弾劾した。

 遠くから見ていた私は彼に同情し、米国社会の深い病理の深淵(しんえん)を覗(のぞ)き見た。トランプ氏は米国社会に、ひいては全世界に「価値の転換」を求めているのである。

 今度のアジア歴訪で彼は機会あるごとに「アメリカ・ファースト」を叫んだ。ベトナムでは米国を他国に利用させないとまで言った。米国に依存する弱小国の甘えをもうこれ以上認めない、という宣言である。実は、今の世界はあらゆる国々が自己自身のために生きることを、臆面もなく主張する時代に入っているのである

≪≪≪ 感傷に満ちた世界を拒絶する ≫≫≫

 米国も例外ではない、と彼は言いたいまでだ。トランプ氏の物言いの臆面のなさは、今直面している世界の現実の、歯に衣(きぬ)を着せない表現だと思えばよい。エゴティズム(自己愛)を認め合うことの方が、人道や人権の仮面をかぶったグローバリズムよりよほど風通しがよいと言いたいのだろう。

 彼はストレートで、非妥協的で、不寛容ですらある。米国社会に、ひいては全世界に「反革命」の狼煙(のろし)を上げているので、改革とか革命とか共生とか協調とか団結といった、人類が手を取り合う類いの感傷に満ちた世界にNO!を突きつけ、あらゆる偽善に逆襲しようとしている。

 今度のアジアの旅で笑ってしまった場面は、11月9日に習近平国家主席と対座して、28兆円の取引が公開された際の習氏の演説内容である。自国を世界に開放しすぎた結果の米国の引き締め策が「アメリカ・ファースト」だが、自国を世界にいっさい開放しない強権と専制の国である中国が、これからの開かれた国際社会の協調をリードするのは中国だとあえて言ったことである。
これは笑い話であり、誰も信じまい。しかし28兆円に驚かされて本気にする愚かなメディアもあるかもしれない。28兆円の交換文書は契約書でも何でもなく、大まかな計画メモにすぎないのに。

≪≪≪ 日本には胆力備えた意志が必要 ≫≫≫

 国際会議における日本は残念ながら存在感が薄かった。各国が自己自身のために生きる意志を何のためらいもなくむき出しにし始めた時代であるのに、日本にはこの「意志」がない。

 極東の運命を決める会議で日本は20世紀前半までは主役であった。今はわずか東南アジア諸国連合(ASEAN)や豪印との友好によって米国に協力する-それは外交的には好感されているが-以外には力の発揮のしようがない。

 何よりも、安倍晋三首相は北朝鮮の脅威に対抗する政策において「日米は完全に一致」したと日米会談の直後に公言した。「一致」という言葉はこういう場面では言ってはならない禁句のはずだ。これは日本がどんなに理不尽なことを言われても、百パーセント米国の命令に従います、と今から誓約しているような言葉遣いである。

 安倍内閣は「人づくり革命」とか「働き方改革」とか革命や改革を安易に乱発し、左翼リベラル政治の臭いを漂わせている。一体どうなっているのだろう。

 米国と日本はいま、半島有事ばかりを気にしているが、それは尖閣の危機でもある。中国は尖閣を落とせば台湾を軍事的に包囲できる。台湾奪取の布石となるこの好機を習氏が見逃すはずはない。あらゆる点で「意志」を欠いている日本に求められているのは、必ずしも首相の雄弁ではなく、胆力であり、決断力である。(にしお かんじ)

歴史が痛い

―坦々塾秋季研修会 西尾幹二先生 御講話(文章化 阿由葉 秀峰)―
日時:平成二十九年十月一日(日) 十三時半~

 国会の中で、民族の生存を懸けたような議論が湧き起こらなければおかしい国際状況です。しかし突然、総選挙ということになり、バカバカしい話ですけれども、表に出て来る言論から、にわかに戦争とか軍事とかに関わる言葉がふぅーっと霞の様に消えてゆきました。それはどの党もなるべく触れないようにしている。面白いですね。ほんの一寸でもきなくさいことに触れると投票に影響すると思うのでしょうか。ですから知らん顔をして、憲法のこともだんだんあまり言わなくなる。関係のないことばかり言って、加計、森友がどうだとか、くだらぬことばかり言っている。どっちにしてもそういう状況です。『正論』十一月号の私と高市早苗さんとの対談で、高市さんが面白い発言をされています。

 

若い頃に、国際政治の鉄則は「ネバー・セイ・ネバー」つまり、「何でも起き得る」ということです。ところが、国会議員になって驚いたことは、「起きてほしくないことは起きない」という前提で議論している方々(説明:長老議員)がおられることでした。例えば私が若手議員だった頃、「首相官邸や原子力発電所など重要施設の警護は、自衛隊が担うべきだ」と主張しましたところ、ある重鎮議員から、「国民に銃を向けるのか!」と怒鳴られ、また、二〇〇三年にイラク戦争が勃発する直前、経済産業副大臣だった私は、官邸で行われた副大臣会議の場で「どう考えても数日内にアメリカは爆撃を始めると思うので、各省庁が初動で対応すべきことを情報共有しておきたい」と提案しました。しかしこの時も「平和のための外交努力が行われている最中に、官邸内で戦争が起きる前提で議論がされたことが公になると大変なので、今の発言はなかったことにしよう」ということになってしまいました。
『正論』(二〇一七年十一月号)

 もうとにかく非現実もいいところですが、今も日本はまだそういう状態になったままですよ。それが言いたいわけですね。本当はまさに論じなければならないテーマを皆が逃げちゃって、この長老議員と同じようなムードで選挙戦が行われているのではないでしょうか。そこのところをどのくらい国民が自覚して意識しているかどうかというのが、今日とり上げたいテーマです。折しもそこへまた「タヌキとキツネの騙し合い」みたいな女性が飛び出してきて、妙なことを言い出しているために皆関心がそっちに行っちゃっていると思います。その話は本日のテーマではありませんし、雌ダヌキに騙されたくないのでこれ以上は言いません。

 一番の問題は、ポイントだけ言います。世界の中で、欧州、アメリカその他、いわゆる先進工業国ではどこでも、既成の政権の右側に保守批判の今までの体制を批判するナショナルな主張が沸き起こっていて、中途半端な言論に対して集団的な勢力、声が沸き起こっている。ヨーロッパの場合は特に激しく、フランスのルペンの国民戦線を代表に、ドイツのAfD、イギリスの独立党、オランダとオーストリアの自由党、それからイタリアの北部同盟など、欧州議会の中にいわゆる連合みたいな共同戦線を作っておりまして、それなりにヨーロッパ全体での諸問題に対するアンチ保守政権の勢力が、著しいパワーを発揮しています。

 もちろんもう一つ付け加えておくとトランプ大統領が、一足早く同様の行動を成功させて、共和党の既成の政党路線から一歩も二歩も外れた主張を展開しています。しかも最初の主張を止めない。この「止めない」というのが凄いと思って見ているわけですが、アメリカでは上からの革命が起こっているように見えます。それに対して下からの革命というと変ですが、南北戦争の銅像を引き摺り降ろすような過激なテロリズムの行動があって、それに対して、トランプさんはまた「No!」という怒りの声を上げる。アメリカは荒々しい昔の時代に再び戻っているかのような、そんな印象を持ちます。それはアメリカはまた本源のヨーロッパから別れて、アメリカが出来た頃のあの時代、あの荒々しい時代にまた戻ろうとしているのでしょうか。少なくともそこに戻らないと決着がつかないというような空気を感じます。ですから、トランプのやっていることは一種の上からの革命と思ったらいいのでしょう。そういうことが起こっております。

 話を元に戻すとヨーロッパやアメリカのこうした状態に対して、何度も言っているように日本は寂として声が無い。本当はあるはずなんですよね。あるから雌ダヌキが何か言い出した内容をよく見ていると、「保守」という言葉を頻りに言う。それから、左の民進党の勢力を「排除」すると言っているのは一種のイデオロギー宣言と言っても良いわけで、これは望ましい方向だと思いますが、しかしそれが徹底しないのですね。徹底しないのは、憲法九条に踏み込むのは反対で、第八章の「地方自治」に手を付けるとか何とか、何を言っているのだろう、と思う様な及び腰でもあります。つまり保守と言っておきながら肝心要のことは逸らすという、それでいて時々ギョッとするようなことを言うのですね、あの女の人はね。

 例えば、加藤康男さんの本『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(平成二十六年刊 WAC BUNKO)、あの大発言を読んでるんだね。ああいうものを。読んでしかも影響を受けているとみていい。素直な心で読んでいる証拠ですね。彼女の口からそれがポロッと出ちゃったのは、色々ご議論があるようですから、という言い方で朝鮮人虐殺の追悼式に対して、今年は都知事としての追悼文は出さないと言い出したのです。そういう素直な心を持っていたら救いがあると思いますけれど、しかし忽(たちま)ち九条には手を付けないなんて言い出すから訳が分からない。とにかく徹底しないんですよ。意図的に保守の外から保守を、右側から批判するというパワーの結集がこれほど諸外国では烈しいのに、日本には無い。無いわけではないんですよ。無いわけではないのは、「新しい歴史教科書をつくる会」から始まって、「チャンネル桜」に到るまで、そういう声が今までにも約二十年間かなり有効に働いてきているし、皆さんの今日のこの活動もその内の一環だろうと思うわけです。しかし、危険だからこれ以上のことは出来ないと思っている。まぁそういうことかもしれません。でも無いわけではない。二十年前には盛り上ったのに、この強い新たな規制の環境はどこから出て来るのか。

 考えてみますと、ドイツの場合はとても滑稽なことが行われているようですね。ドイツはご承知のようにAfD、「ドイツのための選択」という名前ですが、変な名前の政党が出てきて、これは東ヨーロッパ系と考えて良いと思いますが、理由は「反ソ」なんですね。その理由は、ドイツも含めて西ヨーロッパに民主主義の「ソ連化」とでもいうような思想が拡がっていて、これがシステム化した全体主義、ソフトファシズム、つまり我々が呼んでいる左翼リベラリズムの正体ですけれど、それが鮮明な姿を現していて、異常なくらいドイツのメルケル政権を覆っているように思えます。

 現地に住んでいる人の話は面白いもので、このあいだ少し聞いたのですが、非常に滑稽なことが起こっているようです。あぁ、こういうことなのかと思って聞いたことがある。具体的な話の方がずっと面白い。今回十三パーセントをAfDが取りまして、これは連邦議会に八十人から九十人送り込むことになる数字なので、驚くべきことなんですよ。今までは五パーセント条項というものがあって、ナチスを防ぐために四・九パーセントまで取っていた右の政党があっても一人も国会議員にはなれなかったのですが、いっぺんに九十人くらいの右派系の議員が誕生する。議会が恐るべきAfDが出現するということになって、現実の問題になってしまったわけです。どんなバカバカしいことが起こっているかというと、「議会の座席で私は彼らの隣に座るのは嫌だ。」。座席ですよ。AfDの隣に並ぶのが嫌だっていうんですよ。汚らしいということでしょう。これ子供、幼稚園児みたいなことでしょう。こんなバカらしいことがドイツで起こっているんです。それからもう一つは、事柄を決めるのは、議会の中の最長老が最初の司会者になるという、言わば年長者が座長になるという取り決めがあったのですが、そうするとAfDの議員が最長老になる所がいっぱい出てきて、それが嫌だというために急遽会議を開いて、その取り決めを取り消すという、そういう子供っぽいことをやっている。

 それはでも、同じことが日本のメディアにも起こっていますね。具体的には例えば「産経虐め」ですよ。それから保守言論を「正論」「WiLL」「Hanada」の三誌に閉じ込めちゃうというマスメディアの戦略ですね。「チャンネル桜」に出た人は普通のテレビには登用しない。しかし、これでは若い人が遣りにくくなっているだろうと同情していたら、インターネットが出現したためにそんなこと、新聞だテレビだなんて、どうでもよくなってきた。新しい自由の領域が広がったために「保守のための保守の戦い」はずうっと遣り易くなってきている、というのが今の実態で、それがどういうことになるかはまだ決着していない。日本の場合は無自覚で、フワフワ~ッとした状況で誤魔化しているからさらに分りにくい。しかしドイツのような事態が出現したら日本ではどうなるのか。なぜそういうことが日本でははっきりした形をとらないのか。ドイツあるいはフランス、イギリス、オランダ、カナダでも・・・、どこの国でも起こっているグローバリズムに反対する政治勢力が顕在化しないという日本の現実はどこから来たのか、この話を纏めますので、そこから先は皆さんご自分で考えていただきたいのです。

 理由ははっきりしていると思います。第二次世界大戦が終わったあとで、自由民主党がどうして生まれたかというと、占領軍アメリカによって公認された政権として、言わば権力を委託された政党、外国に権力を委託された政党だとして始まったんですよね。それを「宣撫工作」といいます。こういう言葉は普通に使われていたのですが、今は皆さんあまり見ないでしょう。私たちは子供の時からよく見ていました。つまり「宣撫工作」というのは、被占領地域に占領軍が宣伝で宥(なだ)めて、人心を治めて占領政策を潤滑ならしめるというための工作です。もちろんそれはGHQによる沢山の威嚇の上で行われました。それから寧ろおだてて育てる・・・。そのおだてて育てる一つが自由民主党です。それでずーっと来ちゃってるんですよ。一度も自己変革をしないで、疑わないで、アメリカのほうはもうそんなこと忘れてますよ。

 どういうことが基本にあったかとかというと、自由民主党がアメリカから指令されたことは、「反共防波堤」であれ、ということで、反共の砦であればそれでよく、それ以上のものである必要はなく、むしろあってはならない。忠実に我が自由民主党は左翼とは戦ったわけです。例えば六〇年安保、七〇年安保を含めて日米安保条約はアメリカにとっても日本を抑える切り札でしたからね。それから一番の戦いの象徴は社会党が一六〇名を頂点に議席を増やすことが出来なかった。社会党はそれが一番多かったでしょう。つまり社会党はソ連勢力であるためです。国際共産主義勢力に加担している党だ。それを抑えればいいのだから。同時に自由民主党は保守合同を成し遂げて以降、たった一人の脱党者も出してはいけない。数が大事ですから。
 
 だから自民党でバラバラになることはなかったのですね。それは反共防波堤の役目ですから、大人しく役割を忠実に守って、しかし意見の相違はいろいろあったわけですね。それは派閥になったわけですが、ところが派閥がイデオロギーで分けられていなかった。派閥は完全な人間の彩で分けられたものでしたから、多少左っぽい、多少右っぽいなんていうのは我々も知っているんですけれど、派閥はすべからく思想で区別されていなかった。しかもいけないことに、自民党の一党独裁が毀れた時が丁度、雌ダヌキが「日本新党」で味を占めた時であって、彼女にはあの思い出があるんですね。あれとこの間の都議会選挙で「受け皿」となって、自民党をあっという間に圧倒したという二つの記憶があまりにも鮮明であるために、全部それで巧くいくと思って、今でもいるし、だからあの時の小沢一郎を引き込んだり、細川護熙に声をかけたりしていますね。彼女の頭の中は全部あの時代の記憶だという事が分かります。

 一番いけないことはあの時、自民党が社会党と手を切ったときですが、イデオロギーではっきり分かれて分裂すればよかったのに、そうならないで私の記憶では竹下派の人脈で別れたんだよね。竹下派の人脈で党が幾つかに分かれたりしたんですよ。だから松原仁のような人が民主党に入っちゃてるし、西村慎吾も民主党に入ってたじゃないですか。民主党に本来在るべからざる人たちがたくさん入っていたじゃないですか。自民党にも本来左の人がたくさん入っちゃってる・・・。そういう構造のままずーっと来て動きがとれなくなっているというのが、宣撫工作を曖昧にして無自覚に不鮮明にしてきた付けの一つで、この後何度も選挙があるので、改変されるべきなのですがそうならない。イデオロギーには触れない。対立、対決はしない。そういうことでずうっと来た結果に振り回されている。

 それがゆえに今何が起こっているか、つまり保守を正当に政党として政治的に国民の立場から批判するという声が育たない。育たないどころか、そうしない感情を温存させてきていて、国民はそれが政治だと思い込んでいる。そのために欲求不満だけ国民の中に強いので、自民党に対してだんだん失望感が強くなっていて、そんなことを言っているうちにあっという間に、空襲警戒警報が出て、その訓練までさせられて、冗談じゃないよと、何もしっかりした防衛策もとらないし、やれ憲法九条の二項を削除するなんてことすら出来ないで、変なことを総理がやっているような事態で、常識はずれなことを続けていたくせに、いきなり空襲警戒警報で子供たちを机の下に座らせて、年寄りは皆思い出して嗤ってますよ。このバカバカしさというものが日本の不幸と言えば不幸ですが・・・。したがって自民党に対する不安、頼りなさ、ある種の厭わしさ、自民党に対して俺たちの首を絞め続けていくのではないかという、あまりはっきりしないけれど漠然とした嫌悪感。そういうものが漲(みなぎ)り始めていて、本当はチャンスさえあれば・・・、本当に、だからどの人たちも投票に行くのであれば仕方がないや・・・、という気持ちで行くわけで。今度は恐らく投票率が低いと私は思いますが、予言はしませんが雌ダヌキは失敗するでしょうね。そして安倍再選で花田さんが大喜びすると・・・。(笑)バカバカしい事態が訪れるだろうと。

 その先を私は花田さんに言ってるんだけど。そんなことを言ってるんじゃないんだよと。花田さんの雑誌がやっているチンドン屋みたいな表紙、あれは本当に凄い単語を並べて毎回ビックリするような、目を欺くのですが、今月(十一月号)も「腹上死」なんて言葉を表紙に使ってるね。(笑)もう下品の下で、あそこまでくると言論雑誌とは到底言えないと思います。でもそれが売れる。一方でそれが売れるけど、一方で失望している人も沢山いるはずです。失望してる人が即、私の本を買ってくれたり宮本雅史さんの本(『爆買いされる日本の領土』角川新書等)を買ってくれたりすれば良いんだけど、そうは必ずしもいかないというのが世の中の常で。(笑)

 もう一つ一番大事な話があって、なぜ右から烈しい感情が沸き立たないかという事の中で恐るべきことが進行しているわけですよ。それは私が『保守の真贋』(徳間書店)にも書いたように、歴史とニヒリズムということををチラと言いましたが、私たちはどんどん歴史を失ってますよね。どういうことかと具体的にいえば、皆さん世界中どこの国へ行っても同じようになってしまって、例えばファッションなんか、若い男女の着ているものがパリへ行ってもモスクワへ行っても東京と同じなんだよね。世界中皆そうなっていて、それが当たり前だと思っている。国境を越えても何も変わらない。それから今年も来年も同じことが繰り返されるだけで、時間が過ぎても目的が見えない。そのために『応仁の乱』なんて本が流行るのは、目的の見えない闇の中での戦乱が今日に非常に似ているという・・・、無目標の、そして何のために争うのか分からない。分からないからむしろ大変苦痛ですよね。目的さえはっきりすれば良いのですから。それは歴史の喪失なのですが・・・。私が最近得た歴史の喪失は皇室の問題です。言っておきますが私の発言ではありませんからね。これから読み上げます。

   旧皇族、旧華族のなかから眞子さまのご婚約について賛否両論が沸きあがった。旧皇族の一人は、「昨今、晩婚化が進んでしまって、二〇代での結婚は一般の社会でも少なくなっている。そのため少子化が進み、社会の活力が欠けてきている。皇室が率先して若いうちに結婚し幸せな家庭を築くことは、大変望ましいことではないか」と語った。
その一方で、手放しで喜んでいいのかという声が聞こえてくる。
別の旧皇族関係者が語る。
   「小室家は今後、皇室とゆかりのある家柄になる。ましてや秋篠宮家の悠仁親王殿下が天皇陛下に即位される場合は、天皇の義兄となる。その家系で父や祖父の死因がはっきりしないというのは、非常に大きな問題だ。本人が好きだからとはいえ、なぜそのような人との結婚を許すのだろうか、今後を懸念している」(説明:この件はご承知ですね。お父さんも、お爺さんも自殺しているということですよ。メディアがすでに伝えていて、知っている人はみな知っています。)
   これらの懸念は、皇室記者にも当然のことだが、ある。しかし、婚約記者会見の質問には、宮内庁からいくつかの注文がついたという。
   ベテラン記者が語る。
   「小室さんに関しては、親族が自殺したとか、あるいはよからぬ集団との係わりが噂されている。(説明:よく分かりません。ここにそう書かれているので読み上げておきます。)そのため、質問でも小室さんの家族についての質問は出なかった」(説明:封じられたわけです。質問しちゃいけないって。)
   それだけではなかった。宮内庁は事前に皇室記者に聞き取り調査したともいわれる。その結果、NGとなった質問に、こういうものがあった。
   「小室さんの将来の夢」(説明:夢も言ってはいけないらしかった。)
   「理想の家庭像と父親・母親像」(説明:これも聞いちゃいけないと言わ                                  れた言葉らしいですね。)
   「お父さんがいたとすれば、どのようなことをおっしゃったでしょう」
   「天皇陛下に会われたときの印象」(説明:天皇陛下はお爺様ですからね。)
   このほか、宗教に関する質問とか、「父親や祖父を連想させるような質問」などもほとんどNGになった。(中略)
   小室氏がこれらに関連して会見で語ったのは次の2か所くらいだった。
   「いつも自然体で和やかな家庭を築いていきたいと思います」(理想の家庭像を聞かれて)(中略)
   これでは旧皇族や旧華族が心配するのも無理はない。
『THEMIS』(二〇一七年十月号)

「旧皇族や旧華族が心配してる」だけじゃないですよ。我々国民がものすごく心配しますよ、こんなことは・・・。いくら好きな人だとか愛しているとか言っても、事柄が違うじゃないですか。私は心配を通り越して悲しかった。何ともいいようもなく悲しく、かつ苛立たしかった。もうこの国はダメなのかなァ、取り返しつかないほど壊れてしまったのかなァ、と思いました。

 映画『ローマの休日』ですが・・・、いきなりとんでもないことを言い出すとまたびっくりさせるかもしれませんが。(笑)『ローマの休日』でグレゴリー・ペック演じるアメリカ人新聞記者とオードリー・ヘップバーンが扮するヨーロッパ某国の王女様が、お忍びのローマの出会いがあって、そしてお忍びのデートがあって、それが映画の夢物語であります。しかし初めは王女様と知らなかったけれども、グレゴリー・ペックの方がそれを知るわけですね。それで最後は身分の違いを悟って、「サヨナラ」と言って別れる。ヨーロッパですよ・・・。まぁ、何十年も前の話と思われるかもしれませんが、ヨーロッパだって今でもそうだと思いますよ。

 私の留学時代に同じゼミに「プリンツ」つまり、“Herr. Prinz ”と皆が呼ぶ大学院生がいました。ミスター・プリンスということですが、ハプスブルク家のなんとか家のなんとか、ということで、聞いたけどよく憶えていませんが・・・、でも財産はちゃんと継承してるんだね。素敵な人でしたが、同級生がやはり一目置いていて、そういう人の結婚の話も話題に上ったこともあったようですが、私もあまり関心がありませんでしたから詳しくは聞いていませんが、でも結婚のことは大変で、大変というのは「簡単な人とは結婚できないから大変だ」というようなことを、チラッと言っていたことを憶えています。

 もういいですね・・・。歴史が私を苦しめるのです。こんなはずじゃなかった。歴史が堅牢な国では起こりようがない。私たちの国の歴史はどうなっちゃうの。歴史が遠くなるとか、歴史が私達を苦しめるとか、私達に対して絶望感を与えるとかというのは、古い建物が壊れたり、古い樹木が伐られたりするときも痛いですよね。古い言葉が使われなくなるのも辛いです。さっき土地の話が出ましたが、今日は素晴らしいお話(宮本雅史氏の講演)を頂きましたが、「領土」ではなくて「国土」なんですよ。領土観ではなく国土観の概念が領土観の上になければいけないんです。国土の一つが壊れるから辛いのです。私達は美しい国土に恵まれている、しかし狭くて地震も多いのです。そういう国土が毀損されるのは厭なのですよね。同様に緑の樹が伐られたり田畑が荒らされるのは厭なのです。あの緑のふさふさした水田がいつまでも美しい水田であって欲しいのです。瑞穂の国なのですね。そういう美しい自然と風土というものを私達は大事にしてるから、それが破壊されること自体が苦痛なのです。歴史にたいする思いも同じなのですよ。

 今日の秋篠宮家の話は秋篠宮殿下に訴えたいですよね。「どうなさったのですか」と・・・。「ご自分の娘さんのことだけなんですか、お考えになるのは、国民のことはお考えにならないのですか。」陛下にも言いたいですね。「畏れながら、どうなさったのですかと、お孫さんのことだけでおよろしいのですか。ずうっと進歩的と称されていたい天皇なんですか」と・・。そうお尋ね申し上げたいですね。しかしこの思いを実際には具体的にどこへ向けたらいいのでしょう。嗚呼。

 (ここから先はNGにするかもしれませんが)韓国が今、悠然としているそうですよ。どんなことを言ったって日本人はもうダメだ。天皇が韓国に来て謝るんだ、と。そして地べたに頭を付けて謝るんだ、謝らせるんだ、と。そういうことが起こるから日本人は何をやったってもうダメなんだよと・・・。歴史研究をして韓国に反論しようとお前たちは今データを集めているそうだが、そんなことをしたってもうダメなんだよ。そう言ってるそうです。そうなったら全て天地がひっくり返っちゃうんだ、と。しかし治安状態のこんなに酷い、明日有事になる可能性のあるところに外務省が如何に愚かでも陛下を出すとは思えません。それにしても、そのいう噂を韓国人が胸を張って言うそうですから。

 じつはこれは、私が今加わっている産業遺産国民会議の猛烈な鍔迫り合いの最中に日本人幹部の耳に入ったことばです。間もなく、二〇一七年の年末に韓国に約束した文面が決まるのです。文面とは日本側が建物を造ってそこに表札を建てることになっていて、約束させられていた承認事項でしたから、軍艦島を含めて建物につける記録文面をわれわれがあれこれ工夫している最中です。

 しかし日本の歴史について、しかもまったく朝鮮との合併、併合と何の関係もないそれ以前の出来事について、日本が文面を韓国からとやかく言われる筋合いは何もないわけです。日本の歴史は日本の歴史ですから。しかも日韓併合より前の出来事ですからね。近代日本の誕生時の産業遺産は朝鮮半島と日本が相関わる前の時代の話です。本当に何の関係もない。それにもかかわらず、イチャモンを付けてくる。その決着の時が近付いている。それに全敗するかもしれないんですよ。どう決するかは外務省と総理大臣の智恵一つです。

 私は雌ダヌキのほうがこういう時には度胸があると思うんですね。ひょっとすると、分からないですよ、度胸の件は。肝っ玉が無いんだから、あの男(安倍首相)は。肝っ玉が無いというのは一番の問題なんですよ。まぁ、ここから先はもう止めます。

民族の生存懸けた政治議論を 保守の立場から保守政権を批判する勇気と見識が必要だ 

平成28年8月18日産經新聞「正論欄」より 評論家・西尾幹二氏

 今でも保守系の集会などでは当然ながら、安倍晋三政権を評価する人が少なくなく、私が疑問や批判を口にするとキッとなってにらまれる。「お前は左翼なのか」という顔をされる。今でも自民党は社会体制を支える最大級の保守勢力で、自民党の右側になぜか自民党を批判する政治勢力が結集しない。欧州各国では保守の右側に必ず保守批判の力が働き、米国でもトランプ一派は共和党の主流派ではなかった。先進国では日本だけが例外である。

≪≪≪仲良しクラブでは窒息死する≫≫≫

 日本政治では今でも左と右の相克だけが対立のすべてであるかのように思われている。民主党も民進党と名を変え、リベラル化したつもりらしいが、共産党に接近し、「何でも反対」の旧日本社会党にどんどん似てきている。ここでも左か右かの対立思考しか働いていない。自民党も民進党もこの硬直によって自らを衰退させていることに気がついていない。
 それでも国内の混乱が激化しないのは、日本は「和」の国だからだという説明がある。まだ経済に余裕があるからだとも。米国のある学者は、世界では一般に多党制が多く、二大政党制を敷く国は英国をモデルにしたアングロサクソン系の国々で、ほかに一党優位制を敷く国として、日本やインドを例に挙げている。自民党を喜ばせるような研究内容である。

 しかし選挙の度に浮動票が帰趨(きすう)を決めている今の日本では、一党優位制が国民に強く支持されているとは必ずしも言えない。仕方ないから自民党に投票する人が大半ではないか。党内にフレッシュな思想論争も起こらない今の自民党は日本国民を窒息させている。

 「受け皿」があればそちらへいっぺんに票が流れるのは、欧米のように保守の右からの保守批判がないからだ。左右のイデオロギー対立ではない議論、保守の立場から保守政権を正々堂々と批判する、民族の生存を懸けた議論が行われていないからである。

 保守政党が単なる仲良しクラブのままでは国民は窒息死する。一党優位制がプラスになる時代もあったが、今は違う。言論知識人の責任もこの点が問われる。

≪≪≪保身や臆病風に吹かれた首相≫≫≫
 
 私は安倍首相の5月3日の憲法改正案における第9条第2項の維持と第3項の追加とは、矛盾していると、6月1日付の本欄で述べた。そのまま改正されれば、両者の不整合は末永く不毛な国内論争を引き起こすだろう、と。
 
 今は極東の軍事情勢が逼迫(ひっぱく)し、改正が追い風を受けている好機でもある。なぜ戦力不保持の第2項の削除に即刻手をつけないのか。空襲の訓練までさせられている日本国民は、一刻も早い有効で本格的な国土防衛を期待している。

 これに対し、首相提案を支持する人々は、万が一改憲案が国民投票で否決されたら永久に改憲の機会が失われることを恐れ、国民各層に受け入れられやすい案を作る必要があり、首相提言はその点、見事であると褒めそやす。
 
 さて、ここは考え所である。右記のような賛成論は国民心理の読み方が浅い。憲法改正をやるやると言っては出したり引っ込めたりしてきた首相に国民はすでに手抜きと保身、臆病風、闘争心の欠如を見ている。外国人も見ている。それなのに憲法改正は結局、やれそうもないという最近の党内の新たな空気の変化と首相の及び腰は、国民に対する裏切りともいうべき一大問題になり始めている。

≪≪≪保守の立場から堂々と批判を≫≫≫

 北朝鮮の核の脅威と中国の軍事的圧力がまさに歴然と立ち現れるさなかで敵に背中を向けた逃亡姿勢でもある。憲法改正をやるやるとかねて言い、旗を掲げていた安倍氏がこの突然の逃げ腰-5月3日の新提言そのものが臭いものに蓋をした逃げ腰の表れなのだが-のあげく、万が一手を引いたら、もうこのあとでどの内閣も手を出せないだろう。

 国民投票で敗れ、改正が永久に葬られるあの幕引き効果と同じ結果になる。やると言って何もやらなかった拉致問題と同じである。いつも支持率ばかり気にし最適の選択肢を逃げる首相の甘さは、憲法問題に至って国民に顔向けできるか否かの正念場を迎えている。

 そもそも自民党は戦争直後に旧敵国宣撫(せんぶ)工作の一環として生まれた米占領軍公認の政党で、首相のためらいにも米国の影がちらつく。憲法9条は日米安保条約と一体化して有効であり、米国にとっても死守すべき一線だった。それが日米両国で疑問視されだしたのは最近のことだ。今まで自民党は委託された権力だった。自分の思想など持つ必要はないとされ、仲良しクラブでまとまり、左からの攻撃は受けても、右からの生存闘争はしないで済むように米国が守ってくれた。

 しかし、今こそ日本の自由と独立のために自民党は嵐とならなければいけない。保守の立場から保守政権を堂々と批判する勇気と見識が今ほど必要なときはない。(評論家・西尾幹二 にしおかんじ)