『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』解説(九)

 上田三四二の『この世 この生』の文庫解説が終わった。日録の読者であまり読んでいてくださる方はいないのではないか、と思っていたが、そうでもないらしい。
  
  若い友人の渡辺望さんが私信で、上田文学に接したときのご自身の記憶をつないで、次のような感想の一文を寄せてこられた。まず上田さんの作品を知っている人が、昔の私の文学仲間以外の若い人の中にいたのがうれしかった。
  
  本人のご了解を得て、私信をそのまま掲示させてもらう。

guestbunner2.gif
渡辺 望 36歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了

 拝啓 西尾先生

 だいぶ涼しくなって参りましたが、お元気でしょうか。

 ここしばらく日録にてされている、先生が上田三四二さんについての過去に記された評論を中心とした文章の連載を更新の度に読んでおります。いろんな感想が湧いてきましたので、一筆執りました次第です。
 
 私は上田三四二さんについて、彼が一番高く評価されている短歌の人としての作品は残念ながらまったくといっていいほど知りません。また彼の思索の中心である、今回の連載で先生が触れられている宗教論についても、大学生の時代に、彼の吉田兼好論を斜め読みしたくらいです。

 しかし彼の小説に関しては、大学生から大学院生にかけて幾つか読み通して幾つかの印象が残っています。当時、大学の一般教養課程での国文学の授業で、「私小説」がテーマだったのですが、教授が少し変わった作家の選択をする先生で、ふつう、「私小説」というと、志賀直哉や安岡章太郎を講義することがオーソドックスなのに、上林暁のような作家を題材につかうような先生でした。その先生がよく題材に使った作家の一人に上田三四二さんもいたのです。そのことで、上田さんの小説の幾つかを知ることになりました。だから上田さんは私にとって、読んだことのない作家というわけではないのです。

 日録での先生の上田三四二論を読んで、そののち、当時、私が読んだ上田さんの本を久々にひっぱりだして再読しました。そしてこれはたまたまなのですが、私は上田さんの本を再読したその日、モンテーニュの「エセー」がふと気になって、それを再読したのです。

本当に妙なことなのですが、再読する度に私の心を惹きつけてやまなかったモンテーニュの「エセー」の説く「死の哲学」についての数々の文章が、そのときだけかもしれないのですが、何も感じられませんでした。私にとって存在論的真実に迫ったモンテーニュの言葉のどれもが、まったく色褪せたものに感じられて、自分の感じ方の変わりように、首を傾げたくなりました。これは明らかに上田さんについてのいろいろを再読してそれに惹かれたことと連鎖反応しています。

 私が上田さんとモンテーニュを比べてみて感じたことを何とか整理してみると、次のようなことになると思います。
 
 「死」の先に何もない以上、死の瞬間まで死を想わないことが実はもっとも人間的な行為であるかもしれない、ということは西尾先生の死生観の基軸で、「自由と宿命」での池田俊二さんとの対談でもそのことをおっしゃられていますね。上田さんの文学や思想が西尾先生のその死生観の支柱の一つであるということ、しかもそれが無神論者のニヒリズムのようなものでない、独自の「優しさ」にみちた主張になっている作家として上田さんをとても高く評価されていることを、日録の先生の上田論、そしてその後の上田さんの本の再読したことによってよく理解できます。

 その上で、なのですが、「死を想え」というヨーロッパ哲学の巨大な前提と、「死を想わないことがもっとも人間らしい」かもしれないという上田さんの世界からよく導き出される思想の両極について、私達はどう考えればよいのでしょうか?

 「死に親しみ、馴れ、しばしば死を念頭に置こう。いつも死を想像し、しかもあらゆる様相において思い描こう」とモンテーニュは言います。しかし、モンテーニュの言葉を逆さまに読めば、「死」は親しみ、馴れ、想像し、思い描ける可能性をどこかにもってる、ということを言っているのだ、ともいえます。
 
 どうも、「死」はそこで「不可解」というあるいは「わからないもの」という名前の、一つの意味を与えられていて、何かの作為を許容してしまうことが有り得る、ということになっているのではないでしょうか。
 
 やはり「死の哲学」の強力な主張者であったハイデガーが、死の意味をナチスに預けて、その意味の操作に身を任せたことと、モンテーニュのこの言葉は無関係ではないようにも思います。あるいは日本でも盛んになってきているホスピスケア、「死の教育」というものがどこかでもってしまういかがわしさ、ですね。性教育のいかがわしさほどでないにしても、果たして「死」は教育に値するのかどうか、それこそが実体を虚構する作為ではないか、と私は思います。
 
 こうした「死の哲学」的思考は上田さんがとらない考えなのでしょう。人生の時間を線分的に切断するものにすぎない上田さんにとっての「死」は、「不可解」という意味さえももっていない存在です。ある意味でまったく単純に意味が定まっているもの、それがゆえに、死の意味の操作もありえないもの、それが死というものなのかもしれない、私は西尾先生の上田論から、そんなふうに思いました。
 
  こう考えれば、西尾先生が言われるように、上田さんが「死」論よりも時間論に執着しそれを語ろうとするのは、ほとんど必然的なことだったといえるのですね。

 上田さんにとって、時間の切断にすぎない「死」という単純明瞭なことより、切断されても流れ続ける「時間」の方が、遥かに巨大で、本当に考えられれるべき不可解さをもっていると感じられるからです。おそらく、ヨーロッパ哲学のような「死」から「時間」へ、ではなく、「時間」から「死」へ、問いが逆転している。死が無意味なものである以上、「死への認識」ではなく、「時間への認識」が、思索にとっての最大の課題にならざるをえないのです。
 
  たとえば、「花衣」という小説、これは一読すると主人公の中年男性が、今はこの世になき女性・牧子との情事を回想する小説ですが、これらのことを承知した上で今読み返してみて、「時間」の主題がおそろしく明瞭に溢れていて、先生の上田さんの良寛論への指摘と重ね合わせて考えて、まったく驚いてしまいます。昔読んだときは一つの私小説として思われ読んだ小説群が、西尾先生の日録の上田論を読んだ後ですと、「哲学小説」にさえ思えてきました。

 美しく描写される染井吉野の散り様や、二人の情事の場面の背後に、世界を危うくする時間がひしひしと迫ってくる。「今まで堪えていた時の流れが堰を切って」というくだりもあります。特に二人の情事の後、牧子のヘアピンを抜く音が執拗に語られることに私はあっと思いました。昔読んだときはさして気にならなかった箇所です。執拗な描写ののち、「・・・・・・一つの音はそのあとの静寂に、次の音を誘う期待をこめているかと思われた」とあります。

 「線分的時間」にしか私達の人生が過ぎないのだとしたら、来世を信じるという人間に負けないように救済されるにはどうすればよいのか。このことが上田さんの世界について考える一番の大きな意味でしょう。西尾先生が上田さんの時間論が宇宙論的視点にまで拡大されて語られている、といわれますが、つまり「瞬間」と「永遠」を等価におくことのできるような精神的な認識行為が必要になります。時間を超えて際限なく広がっていく「永遠」を何かに閉じ込めなければならない、のですね。

 「茜」という作品では「時間の凍結」という言葉がありますが、つまりそれは「永遠
」を「瞬間」に閉じ込めるような激しい行為の比喩に他ならない。そして凍結を終えた後、それをささやかに楽しむ「和らぎ」も可能になる。上田さんは吉田兼好の「つれづれ」とは、そのような「和らぎ」であった、といっています。

 「時間の凍結」と「和らぎ」の行き来こそが線分的時間にしか過ぎない人生の救済たりうる。線分的時間の「線分」が時間という「永遠の線」に飲み込まれないで、枯れた滝壺の比喩を私達が受け入れることができるかもしれないのです。「花衣」での「ヘアピンを抜く音」は時間の凍結に他ならず、「次の音を誘う期待」とは、その凍結が解けた「和らぎ」に他ならないのでしょう。これはおそらく、ヨーロッパ人の書けない小説なのではないでしょうか。

 先生は上田文学の「優しさ」を言われますが、それはこの「和らぎ」なのだ、と思います。その優しさが芯のとおったものなのは、「時間の凍結」という精神的行為の段階に上田さんが徹底しているからでもある、と思います。この両者があってこそ、「枯れた滝壺」の比喩は、ニヒリズムから救い出されます。ヨーロッパ哲学でニヒリズムを主張する「死の哲学」者は、ファシズムに傾斜したり狂人になったりする人間が少なくありません。「時間の凍結」しかないからです。しかし上田さんが取りあげる日本史上の来世否定論の人物の多くはそうした狂乱には至らない。そこにはこの「和らぎ」の有無がかかわっている、私はそう思います。

 私は正直言って、日録の先生の上田さんについての文章の連載に触れるまで、上田さんという作家は比較的地味な作家だと勝手に思い込んでいました。しかし、先生の読み解きのおかげで、大袈裟な言い方になってしまうかもしれませんが、ヨーロッパ哲学の根源へのアンチテーゼということまで考えうるものが彼の作品の世界にあるのだ、と知ることができました。

 私もまた、死後の世界の意識や実存をほとんど信じることのできない人間ですから、上田さんの精神的格闘は無縁ではありません。無縁でないどころか、自分に身近な思考として、学ばなければならない対象だったようです。たとえば自分がまず生きていないで「無」になってしまう22世紀の日本や子孫のために語り考えることはどうして可能なのだろうか、ということは、私にとっていつまでも大問題です。そんな自分の考えるべき方向についてまた一つ資するところを与えてくださった先生の日録の連載に感謝の言葉と感想を言いたくて、文章をしたためました。

 長い文章になってしまったことをお詫びいたします。

 季節の変わり目、お体の方、くれぐれもご自愛くださいませ。

                                           渡辺望 拝

『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』解説(八)

 良寛が「雪」ならば西行は「月と花」、そして明恵は「月」である。

 本書は哲学の本ではない。一面では歌論である。救済の理念はとどのつまり詩的表象の外にはない。古人の詩魂の外にはない。

 にも拘(かか)わらず、著者が哲学的宇宙論の論理構造に救いを求めるほかなかったもう一つの側面が、本書の重要な特徴でもある。

 さりとて、その宇宙論も、さいごには雪や月や花が出てくる上田三四二に特有の詩の世界であり、文学的世界像にほかならない。そして敢(あ)えていえば、文学的イメージの展開によってしか望むことも触れることもできない、証明不可能な宇宙論を扱おうとしていたのだともいえなくはない。

 およそここで扱われたたぐいの宇宙論は、哲学者も数理物理学者も最終局面では文学的イメージに終るほかないといわれるような、なんとも不分明な世界なのであって、従って本書の著者が数理論的な追究を十分に果し得なかったにしても、だからといって常識を逸脱した気紛れな方向を走ったわけではけっしてない。

 これは現代人にふさわしい方向を目ざした歌論であり、宇宙論でもあるといってよいのではないか。

 そして、このような一面では数理論的な「時間論」になぜ著者がにわかに激しくのめりこんだかがむしろ問題である。

 それは彼が、自らなにかを予知していたかのごとく、時間が限られていることの自覚、「心の混乱」に襲われ、何とかそれを克服しようとした、倒れそうになる自分との闘いの表現ではなかっただろうか。静寂のなかにある叙述の集中と熱気は、それを裏書きして余りあるように思える。

——————@——————@——————

 昭和59年は著者にとり多産な年だったと前に述べた。『この世 この生』は9月に上梓されている。しかし春頃から血尿が出て、悩んでおられたと聞く。夏に二度目の大患で癌研泌尿器科に入院した。入院直前までに本書の刊行準備を終えていた。本当はもう一篇、近江(おうみ)永源寺開祖の寂室元光(漢詩を残している)について書く予定であったそうだが、それは断念した。

 最初の大患から18年も経(た)っていた。再発であったのか、新しい部位での発病であったのかについては、私は知らない。

 亡くなられたのは昭和64(平成元)年、天皇崩御の翌日であった。

 『この世 この生』は昭和59年度の読売文学賞を受賞している。

おわり

上田三四二『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』
(昭和59年9月新潮社)の文庫化の解説より 平成8年3月

9月末から10月初旬への私の仕事

 私は今『三島由紀夫の死と私』(PHP新書)の最後の章の執筆と全体の整理に追われていて、他に書くゆとりはあまりなく、『Voice』10月号の後の仕事でご報告できるものは次のものになります。

 「静かな死の情景」――『撃論ムック』(西村幸裕責任編集)連載中の「思想の誕生」第3回。この一冊は「猟奇的な韓国」という題のムック本で、拙文とは別に、評判になっています。

猟奇的な韓国 (OAK MOOK 241 撃論ムック) 猟奇的な韓国 (OAK MOOK 241 撃論ムック)
(2008/09/19)
西村幸祐

商品詳細を見る

 
 テレビ出演「GHQ焚書図書開封」第26回「戦場の生死と『銃後』の心」
    日本文化チャンネル桜9月27日(土)午後23:00-24:00
  (特別番組のため、放送が延期されました。今後の予定は未定です。)

 テレビ出演、花田紀凱ザ・インタビュー。皇室問題への発言以後の反響その他について語ります。
    BS11 10月5日(日)午前9:00-9:55
    再放送 10月18日(土)午後15:30-16:25
 (花田紀凱ザ・インタビューは今後、発信局がBS11に移り、全国放送になるそうです。その第一回です)

 『WiLL』11月号に『正論』編集長と松原正氏に対する、私と『WiLL』編集部の連名による謝罪要求の短い文章がのっています。

 評論集『真贋の洞察』(文藝春秋刊)は10月7日に店頭に出ます。目次とあとがきの一部紹介を、近づいたら告知いたします。

 この間に『日本の論点2009』(文藝春秋)に皇室問題について寄稿しました。

 9月29日に財団法人日本国際フォーラムの国際政治懇話会で、数ヶ月前から頼まれていたテーマ「私の視点から見た日本の論壇」というユニークな論題での話をいたします。外交官、経営者、学者知識人等の集りですが、こんなきわどい題材で私に一席語らせようというのですから、当の私が少し驚いています。活字になったらきっと驚天動地ですね。

 9月21日の姫路市における私の講演を聴衆の中でまとめて下さった方がおり、長谷川さんのブログ「セレブな奥様は今日もつらつら考える」に掲示されました。以下に転載させていたゞきます。

 以下に述べられた以外のことも私はたくさん語っています。2時間ありましたから、当然です。以下はあくまで一つの要約です。しかし、概略こういう内容でした。むつかしい「まとめ」をして下さった聴衆の中のお一人(新聞「アイデンティティ」の葛目浩一さん)に御礼申し上げます。

昨日、姫路で行われた西尾幹二先生の講演を聞きに参りました。自民党総裁選を翌日に控え、生々しい話をされました。

民主党に政権を渡せば国が亡びるこれだけの理由 

西尾幹二氏特別講演 要旨
『国家中枢の埋没』 
-東アジア危機・国家観のない小沢一郎・外国人参政権と移民問題
 平成20年9月21日
 イーグレ姫路3階あいめっせホール
 主催 自民党兵庫県第11選挙区支部(支部長衆議院議員 戸井田とおる)

 (アメリカ帝国の崩壊) 
 今、100年に一回の大ドラマが展開されている。サブプライム問題に関連してリーマン・ブラザースの破綻など、今、アメリカ帝国は音を立てて崩壊している。数年後は米ドルは紙切れになる。では、中国はというと、バブル経済の破綻、経済格差による民衆の暴動でこの国の崩壊も近い。
 
 日本は、強力なリーダーのもとで国民が自信を持って立ち向かえば、今、世界で一番底力のある国は日本だから、世界を救う国となる。
 
 (麻生首相は政権を投げ出すな) 
 この非常時に、麻生氏は、来年9月の任期満了まで、石にかじり付いても解散してはならない。もし、次選挙で民主党が政権をとれば、日本破滅となる。
 
 民主党小沢一郎代表の国家観、国家主権意識、領土観がない。国連至上信仰は必ず国を亡ぼす。
 
 (国家滅亡への道、民主党の危ない政策)
 ①過度な国連信仰
  テロ特措法に反対だが、国連軍なら戦闘地域に自衛隊員を派遣すると言っている。武器使用基準で縛られている隊員をアフガンなど危険な戦闘地域に派遣できるのか。
 小沢氏は、国の安全を国連に委ねると言っている。わが国の南方諸島を中国から侵攻された際、わが国が安保理に訴えても、安保理の一員の中国が拒否権を発動するのは明らかだ。
 
 ②地方議会への外国人参政権付与
 小沢氏が熱心な地方議会に対する外国人参政権付与問題は自民党内の安倍、麻生氏ら保守系議員の反対で国会上程を阻止してきたが、民主党が政権を握れば民主党が国会に上程、公明党と自民党一部の賛同で一挙に成立する。その後に起こることは、対馬への韓国人、沖縄の離島への中国人の住民票移動によって、わが国の地方自治体の一部が敵性外国人によって実質的に支配されることになる。
 
 ③外国人移民一千万人計画
 自民党元幹事長中川秀直氏らの主張する移民一千万人計画は元々は民主党松本剛明氏らの一千万人移民構想が下敷としたものだ。
 少子化による国力の衰退、労働力不足を外国人労働者によって充足しようとするもので、財界一部の支持もある。民主党が政権を取れば、外国人参政権付与問題同様、一挙に可決される危険性が高い。
 そうなると、すでに、池袋で進んでいる中国人街計画が日本中に広がり、日本の底辺で行われている、フイリッピン人、ヴェトナム人との抗争が激化し、その牙が日本人に向けられる可能性が高い。
 日本は大和の国だから、外国人も文化も容易に同化できるというデマに騙されてはいけない。人口の1割近くも外国人を入れたらどうなるか。
 移民問題で内乱頻発のオランダの過ちを繰り返してはならない。
 
 ④沖縄を中国に売り渡す民主党沖縄ビジョン
 日本からの自立独立、香港のような「一国二制度」、中国語を始めとする外国語教育、地域通貨の発行、本土との時差、東アジアのエネルギーセンター構想など正気とは思えない沖縄を中国に切り渡す民主党の文字通り売国ビジョン。
 

 以上、どうしても自民党に勝って貰わなければならない。今、勝てないならぎりぎり任期一杯政権を保持し、その間得点を挙げて国民の支持を得るべきだと語っています。

『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』解説(七)

 もしも現世を超えた彼岸にいかなる超越原理も存在しないとしたら、静止した永遠もまた存在しない。時間は円環をなし、万物は永劫に回帰する。インドにも古代ギリシアにもあった時間観念、ショーペンハウアーやニーチェにもひきつがれた想念が、著者によって、良寛や道元のことばの中に探索され、確認される。

 回帰する時間の構造は、極大、極小ともにかぎりのない空間の構造にも照応する。時間も空間も無限であるなら、いっさいの尺度はどこまでいっても相対的でしかない。

 自分は限りない微粒子から成り立っている以上、微粒子の一つ一つを宇宙とするさらに限りなく小さい自分が存在しないという保証はない。

 また自分をも微粒子とする宇宙が自分を包んでいる以上、その宇宙を微粒子とするさらに大きな宇宙が存在しないという保証もない。しかも極大へ向けても極小に向けても、いっさいが無限である。

 著者はこういう想念に驚きを覚えるとともに、ある慰さめを得ている。救いを見ている。それが大事である。

 しかも、著者は哲学者でも、数学者でも、物理学者でもない。ロジックは不徹底であるほかない。そこがまた魅力である。肝心要(かなめ)なところにくると、歌人としての詩的イメージが決め手になる。

 良寛の手毬遊びが紡(つむ)ぎ出す時空の深奥は「三千大千世界(みちあふち)」の名でよばれる。しかしそれは「雪」が降りつもる越後(えちご)の五合庵(ごごうあん)と切りはなして考えることはできない。

 「良寛の雪は、この円環をなして回帰する時間の隙間(すきま)隙間に降っている。時の沈黙を満して降っている。」

つづく

上田三四二『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』
(昭和59年9月新潮社)の文庫化の解説より 平成8年3月

西尾幹二講演会のお知らせ

場所と時間:
平成20年9月21日(日)16時~18時
姫路市・イーグレひめじ3階あいめっせホール
(姫路市本町68-290 ℡ 089-289-3443)

演題: 国家中枢の陥没

崩壊するアメリカ、行き詰る中国に対し、日本は起ち上がるときなのに、いったい何をしているのだろう。

問い合わせ先: 衆議院議員
戸井田とおる事務所 ℡ 079-281-7700

入場料: ¥2000

『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』解説(六)

 私は右の時評で、死病に襲われた近い仲間たちの懊悩(おうのう)の深さ、あわてぶり、命を惜しむ病人の執着の強さに、作者は自然なやさしさで対応していると述べたが、彼は病人たちの心の混乱にいつも自分の心の混乱を重ね合わせて見ていたに相違ない。

 彼自身が命を惜しみ、あわてていたのだと思う。

 彼は医師としての優越者の余裕で病人にやさしくしていたのではない。自分の心の混乱が他人の苦悩の姿に写し出されるのを見ていた。隅々(すみずみ)までそのことに気がついていた。それゆえの秘(ひそ)かにして切実な心の闘い、倒れそうになる自分の弱さとの闘いが、内的に結晶し、あの独特な、すべてを包みこむような柔和でやさしい文体を生み出したのであろう。読者の心を静寂にする文体の効果は、ひとえに死を恐れる自分への正直さ、素直さと、それを乗り越えようとする精神的闘いから生じている。

 『この世 この生』で死をそれ自体として直視した四人の宗教的人格を読み解こうとした著者の傾倒ぶりもまた、このような自分の心の危機の克服のためであったように思える。

 文中に「良寛に惹(ひ)かれて十五年、すなわち再発をおそれて過ごしたそれだけの期間」というような文言がふと吐息のように洩(も)れ出ているためばかりではない。冒頭部分に「死の際(きわ)まで死を思わないで生きることは人間の生き方のもっとも健全なものにちがいない。」とある一行に、私はかえって著者の死の自覚の深さをみる。

 そして、この評論の中心主題が「時間」であることに、あるいは彼岸の救済を排した上での時間と永遠の問題であることに、端的に、著者の主要動機がよみとれるように思える。

 叙述の流れがあるモチーフにさしかかると転調し、にわかに急迫する例は、評論では珍しくないが、本書にもそのような屈折点がある。それは「時間」である。

 「道元は時間を憎んでいるかに見える。」と書かれた「透脱道元」の中の一行からあと、著者は急速に一つの関心に向かって自己集中し、われを忘れる勢いである。

 そこまでの叙述は道元の単なる解読である。ていねいな解説といってもいい。ところが屈折点からあと、著者の「自分」が出てくる。はっきり表に出てくる。

 「遊戯良寛」でも同じようなことがいえる。手毬(てまり)をついて「一二三四五六七(ひふみよいむな)」と歌う「良寛のそれは文字ではない。時間である。」のあたりからあと、評論の主題は歌論から宇宙論へ転じていく。

つづく

上田三四二『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』
(昭和59年9月新潮社)の文庫化の解説より 平成8年3月

『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』解説(五)

 ここで私のかつての時評(昭和59年8月号)を、もうひとつお読みいただきたい。

 〈七つの短編から成る上田三四二氏の連作「惜身命」(文学界)が今月の「天の梯(はし)」で完結した。一編ごとに異なる、死病に襲われた知友の悲痛な運命の転変を叙し、この地上に暫時(ざんじ)生をつないだ人間のはかなさに静観の目を注いでいる。

 医師であり歌人である作者は、この両方の世界に仲間がいて、いずれも中年から初老へかけての年齢なので、重病に襲来されることは珍しくない。死という「遁(のが)れぬ客」の到来を悟った病人の心は揺れる。

 文学、学問、思想、政治、信仰……これらはある程度の健康が保証された者がやる遊戯にすぎない、死に追い詰められた人間には無関係だ、と叫んでやけくそになる心境も真実なら、医者も女房もありがたい、今日生きていられたことがありがたいのだ、という生をいとおしむ心境になるのももう一方の真実である。

 上田氏はこのように動揺しながら死のふちにのぞむ者のそば近くに、自分の気持ちを寄り添わせていく。

 氏は慈愛の気持ちを片時も放さないが、しかし宗教家のような無理な構えはない。医者らしく死を見詰める客観性を保持している。それでいて、自分が出会った一人一人の人間の運命を大切にする思いはつねに深く、篤(あつ)い。感傷的では決してない。自然なやさしさが、作者の人格そのものから発している。この自然さこそが作品の魅力のすべてである。

 氏は医師として「大勢の患者に接しながら、自分が病気になってはじめて、死という亀裂(きれつ)の淵(ふち)の深さを覗(のぞ)いた」と書いているように、氏自身の八年間の大患の経験が、死者に寄り添うこのやさしさの根源を成していることは言うまでもないが、しかし、果たしてただそれだけがすべてだろうか。

 自ら病気をしても、そこから何も学ばない者は学ばないのだ。

 上田氏が自然に振舞っているのは患者に対してだけではない。文学に対してもそうである。否(いな)、氏は自分自身に対して自然に振る舞っている。あるいはそうあろうと努めている。そこにこの作品の、他者に対するやさしさがいやみにならず、命を惜しむ病人の執着の強さに女々しさも悲惨さも感じさせない、独特な視点の取り方がある。

 作者に宗教的意図はないが、地上のこの生は無常であろうとする超越的な目がどこかに生きていることを感じさせる作風である。

 最近氏が上梓(じょうし)したばかりの「夏行冬暦」と並んで、本作は本年度最も注目すべき成果の一つとなるに相違ない。〉

 事実、昭和59年は、駈(か)け急ぐかのような多産な年だった。故磯田光一氏と私とがその頃何年か担当した『東京新聞』の年末回顧「文壇この一年」でも、上田三四二『夏行冬暦』『惜身命』『この世 この生』の三作が59年度の特筆すべき成果として取り上げられ、私はベスト5の一つに選んでいる。一年に力作が三冊も上梓されたスピードぶりにもわれわれは目を見張っていたのである。

つづく

上田三四二『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』
(昭和59年9月新潮社)の文庫化の解説より 平成8年3月

『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』解説(四)

 いうまでもなく著者は科学者である。現代人である。客観的にすべてを見ている。

 本書の最初のほうに、人生の時間を「滝口までの河の流れ」と捉(とら)える著者の比喩(ひゆ)と、歴史を見る目とはつながっている。

 昭和41年に著者は結腸癌(がん)で入院手術した。予後のむつかしいこの病気で、再発を恐れつつ、死と向き合って15年以上を経過した。が、だからといって、死後の世界の救済は決して求めない。魂の存続は信じない。身をはなれた心の永続も認めない。

 「身体の消滅のときをもって私という存在の消滅するとき」と観じている。

 「死はある。しかし死後はない。死の滝口は、そこに集った水流をどっと瀑下に引き落とすと見えたところで、神隠しにでもあったように水の量は消え、滝壷(たきつぼ)は涸(か)れている。それが死というもののありようだ。」

 「死を避けることは出来ないが、死後はないと思い定め、思い定めた上は死後の救済に心を労することなく、滝口までの線分の生をどう生きるかに思いをひそめればよい。」

 この決然たる覚悟が、本書において西行、良寛、明恵、道元の四者を選ばせたそもそもの理由であったように私には思える。

 彼岸に救いを求めず、しかし此岸において超越を決せんとする精神、神の死を確認し、いっさいの神の影をも拒否しつつ、しかもなお神の探求者であることをもついに止(や)めなかった精神――それを西洋の歴史においてわれわれは例えばニーチェにおいて知るのであるが、したがって必然的に、本書もまたニーチェの提出した問題――永劫回帰(えいごうかいき)の説などの時間論に現われる――ときわめて近い距離にあるさまざまなテーマを展開させている。

 しかし、私に興味があるのは、上田三四二が四聖を扱うときの、ニーチェなどとはまったく異なる控えめなある種のやさしさ、柔和さである。それは一体どこからくるのだろう。

 四聖はいずれも靭(つよ)い精神である。それなのに、「〈無能〉に良寛の自意識があり、言いかえれば後ろめたさのあることはすでに見たとおりである。和みわたる心の底に、身をよせる悲しみと世界によせる感謝がある。」と彼が書くとき、良寛にではなく、そこに彼は自分の日常の心のあり方をそのまま自然に映し出しているようにみえるのである。

つづく

上田三四二『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』
(昭和59年9月新潮社)の文庫化の解説より 平成8年3月

近況報告

ozawa2.jpg

 Voice 10月号 (9月10日発売)に、ご覧のように、「時計の針が止まった小沢一郎」(32枚)を書きました。これを書いているときにはまだ福田内閣総辞職にはいたっていませんでした。

 政変は秋になるので、それとは関係なく、早手回しの民主党特集だと編集部は言っていました。

 ところがそれから間もなく総辞職となり、私の小沢論は偶然にもタイムリーな論文となりました。

 1989-91年の海部内閣の幹事長の時代と、1993年の細川政権の成立時(自民党長期政権の終焉のとき)が、小沢一郎が世間の脚光を浴びたピーク時であって、あとは発想が固定化して、国際的な現実の動きを見ていない、国民に有害な政治家になっているということを論及しました。

 吉田茂と鳩山一郎とを合同させて自由民主党をつくりだした1955年の保守合同(政界再編)の影の舞台回しに、三木武吉という戦略政治家がいました。小沢一郎をこの三木になぞらえる見方がよくありますが、似ているのは国会対策の戦略家というだけで、三木には岸信介という保守の巨魁がついていましたが、小沢には左翼がついているだけで、小沢自身が保守ではありません。

 小沢も政界再編を目論むでしょうが、目的も理念も彼にはなく、「ぶっこわす」ことだけが彼の狙いで、合同を目指すとしても「左翼全体主義」以外のなにももたらさないだろう、ということを当時と今の政局から占いました。国連中心主義、外国人参政権、移民国家論など、いずれを見ても危険な存在です。

 話変わりますが、新刊『皇太子さまへの御忠言』は発売一週間目で、増刷ときまりました。

 もうひとつついでにご報告しておきますと、10月7日発売で、『真贋の洞察』という360ページの評論集の整理が完了し、私の手を離れて、すでに校了となりました。この本の副題は「保守・思想・情報・経済・政治」となっており、14本の評論がおさめられております。文芸春秋刊、税込み¥2000 です。

 これらの仕事で夏は瞬くまに終わりそうです。しかし基本的に夏男で、体調はすこぶるよいです。以上ご報告申しあげます。

『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』解説(三)

 本書の主役である西行、良寛、明恵、道元それにしばしば言及される吉田兼好と本居宣長は、西行ひとりを例外として、死のむこう側の世界、後世を信じていないひとびとである。いわゆる神秘家ではないひとたちだ。

 「彼(明恵)は彼岸に浄土を求めていない。現世に浄土を願っている。」

 「明恵は〈いま〉という現在の時間を生きた。また〈ここ〉という現在の場所に身を置いた。」

 「道元は現世の悲惨に砕かれない。現世の悲惨はあやまった現世のありようであり、真実現世は浄妙国土、仏国浄土であることは疑いようがないのである。彼は他力門の現世穢土(えど)と彼岸浄土との二分割を虚妄として退ける。」

 「道元はつねに、〈今〉である。存在にとって〈今〉とは、また〈此処〉である。そして存在の第一意義は〈我〉である。道元の生、道元の時空は、今、此処、我あり、である。」

 「兼好は明日死ぬと思えと言う。思うだけでなく、真実、明日死ぬのが人間のいのちだと言う。さいわい明日死ぬことをまぬがれたものも、明後日(あさって)を期することは出来ないだろうと言う。そんなふうに言いながら、彼が後世を頼んだふしは見当たらず、……死後に何の関心も寄せていない。先途ちかき思いはひしと彼をせめているが、後世は……彼の視野に入っていない。」

 「死ねばみな黄泉(よみ)にゆくとはしらずしてほとけの国をねがふおろかさ……ここで彼(宣長)は死後に何の期待も寄せていない。極楽浄土なぞ、絵そらごとだと言っている。」

 西行だけが例外的に死後にまで自己の時間を延長しているとされるが、それも極楽を信じていたという明確なはなしではない。彼にとって死後は死の瞬間に及ばないとされる。死をすらも輝かしいものとする月と花への憧(あこが)れが、花火のように尾を曳(ひ)いて、闇(やみ)に懸かり、闇を照らし渡る――そういう詩的イメージが西行の思い描いた、死のむこう側の世界の表象であるらしい、と作者は考える。

 いずれにしても現世を穢土と見立て後世に望みのすべてを託す「後世者(ごせもの)流」は、西行を含む本書の登場人物のすべてから退けられている。

 現世に生きることに価値を見出(みいだ)さないひとびと、現世は死後のためにのみあり、今生(こんじょう)はただ極楽往生のための準備期間にすぎず、此岸(しがん)のいっさいはもっぱら彼岸のためにしかないと信じるひとびとは、中世から近世へかけての宗教世界に決して珍しい存在ではない。上田三四二はそのような宗教的精神に関心を向けなかった。ここに、この本の著者が選択した第一の前提がある。

つづく

上田三四二『この世 この生 西行・良寛・明恵・道元』
(昭和59年9月新潮社)の文庫化の解説より 平成8年3月